『オアシス:ドント・ルック・バック・イン・アンガー』(2026年)感想

フィルム・レビュー:

『オアシス:ドント・ルック・バック・イン・アンガー』(2026年)感想

 

驚いたことに僕はほとんど泣きっぱなしだった。昨年のチケット争奪には敗れ、復活ライブには行けていないせいもあって、興奮しきれずに映画館へ向かったけれど、カーディフでの復活ライブ初日の映像が流れた時、僕は涙をこらえきれなかった。

何がこんなにも僕を揺さぶるのか。それこそがオアシスがオアシスたる理由であり、結局答えは分からない。しかしリアムのソロでもノエルのソロでもなく、オアシスとしてステージに立った姿を見た途端に、毎日をなんとかここまでサバイバルしてきた僕たちは、僕たち自身までをも圧倒的に肯定してしまう。なんでだろう。

僕はノエルのことを随分と誤解していたようだ。僕はこの映画を見てノエルのことがいっぺんに好きになった。彼だって僕らと同じに心を痛めて思い悩む普通の人間なんだ。もうどっちがどうとかそんなことはどうだっていい。最後の「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」のなんて素晴らしいこと。僕は尚の事涙が止まらなかった。

映画は単なる復活ライブのドキュメンタリーではなく、根底に「赦し」というテーマが流れていた。いつまでも続く戦争や分断に対して有効な手立てはないのかもしれない。僕たちは政治家ではないけど、僕たちは僕たちとして「赦す」行為は出来る。

『ドント・ルック・バック・イン・アンガー』。怒りで振り返ってはいけない。それは他人に対してだけではなく、自分自身に対しても。単に代表作をタイトルにしただけだと思っていたが、まったく違った。こんな感動的な映画だとは思わなかった。

CORNELIUS REFLACTION TOUR 2026 感想

CORNELIUS REFLACTION TOUR 2026  in  Zepp Namba 2026年9月23日

 

『Reflactions』が音を詰め込んだ割と騒がしいアルバムだったので、これがライブでどう表現されるか興味深く臨んだ。正直、『Reflactions』はAIを使用したということが影響しているのかどうかは分からないが、僕には耳に負担のかかるアルバムだった(特にイヤホンでは顕著)。結論から言えば、ライブにおいても硬質な音、特に新曲でのギターは金属的な音がして、アルバムよりも軽減されてはいたが、少し音があり過ぎるとは思った。

コーネリアスはこんなにも音がデカかったろうかと思うほど大音量だったせいもあるかもしれない。いや、音が大きく感じたのは今回のサウンドのせいなのかもしれない。そこは分からない。ただ背景の映像も含めて情報量が過剰で、今回のライブはリラックスして聴けるものではなかったようには思う。

新曲の映像はAIで作られたものだろうが、新曲群と同じにやり込んでやり込んだ末の過剰さがあった。もちろんこれはコーネリアスの意図したものだろうが、しかしそこに目が固定されて肝心のステージをどれだけ僕は見ていたのか。まるで流れるSNSを無意識に没頭してしまうように。肝心なものを忘れてしまうように。

もちろんコンサートは他のライブではなかなか体験できないような圧倒的なものだった。しかしほとんどがアップテンポで、ギターをかき鳴らし、大音量で吐き出されるサウンドにはなにかしらの怖さを感じもした。多分、色鮮やかなAI映像もその一因だったと思う。何故今回はこんなにも激しく荒々しいのか。AIを多用した映像や金属的な音を出すギターの向こうで、人間小山田圭吾の中では何が渦巻いていたのだろうか。

近未来SF。サイバーパンク。来たるべきディストピア。ライブを見て僕が思ったイメージだ。何故今回はこんなにも過剰なのか分からない。分からないけど、どうも楽観的なものではないような気はする。言ってみれば半ばヤケクソのような。

これは僕の考えすぎかもしれない。世界は悲惨なことばかり。そこに対し何か抗っているような、本来は楽しいことが優先されるライブの場で隠しきれない、表現せざるを得ない何かがある、そんな意志が僕には伝わってきた。

「まざりたい」のイントロでコーネリアスは着席していた僕らにスタンダップを促した。そんなことはかつてあったのだろうか。何が彼をそうさせるのか分からないまま、2時間弱のステージは過剰でハイパーなまま最後までフルパワーで突っ切った。

ライブとはどうあるべきか。もちろん人によって様々だろう。けれど最も優先されることは表現者が表現したいように表現すること。その点で言えば、今回のライブもまた、コーネリアスはコーネリアスが今表現したいことを思うように表現したライブだった。その圧倒的なアーティスト・ファーストを僕らは堪能した。

瞬間の荒野

ポエトリー:

「瞬間の荒野」

 

身体を左右にひらき
空気の流れる音や
光の反れる粒を
感覚的に捉えられたとき
瞬間の荒野は
間もなく現れる

わたしたちの持っている
伝達や連絡手段を後ろ手にして
彷徨うことをよしとする
あの瞬間の荒野が現れると知り
わたしの心は
すっかり晴れた

何故ならそれは
もう人に憚ることなく
自由に抽斗を開けたり閉めたりできることや
靴を揃えて仕舞わなくてもいいことを
意味していたから

 誰も知らない始まり

諦めかけていたことや
言ってはならないことが平らになる
あの一瞬の振り出しを
わたしはきっと捉えられる
瞬間の荒野

 

2026年6月

『Reflactions』(2026年)コーネリアス 感想レビュー

邦楽レビュー:

『Reflactions』(2026年)Cornelius

 

僕がコーネリアスを再び聴くようになったのは2023年からで、再びと言っても聴いていたのは『ファースト・クエスチョン・アワード』までなので、なんだソロ1作目だけじゃないかと言われるとそれまでなのだが、2023年に思うところがありおもむろに再び聴きだし、なので慌ててブックオフなどで旧譜を漁ったりしていて今もそれは続いている。

ただ2作目の『69/96』がなかなか手に入らなくて、そんなことを娘に話していたら「メルカリやとあるんちゃう」と言われ、娘のスマホで検索すると難なく手に入った。スゴイなメルカリは。そしてありがとう娘よ。ということでつい1カ月ほど前から改めて『69/96』を聴いている。ちなみに以前はSpotifyにはないので、Youtubeで聴いていました。

前置きが長くなったが、そういう流れで今作『Reflactions』を聴き始めた。最初の感想はコーネリアスにしては騒がしくガチャガチャしている、なんか『69/96』みたいだなというもの。つい最近『69/96』を聴いたせいか。

『Reflactions』は思わず身体が揺れてしまうほどリズム感に溢れていて、ファンクの要素もあるし踊れるコーネリアス。いつも以上にギターを弾きまくるのも嬉しい、どこまでが生演奏かは分からないけど。いずれにしても家族のいるリビングで聴いていると遠慮してしまうほどのラウド。部屋に一人で心置きなく聴くのがいい。

ダンサブルでバンド感があるから肉体的ではあるのだろうけど、ただなんとなく気色悪さというか嘘っぽさもありつつ、なんなんだこの異物感はと思っていたらふとデヴィッド・クローネンバーグを思い出した。このところチャーリーXCXの新作を気に入って聴いていたし(その新作にデヴィッド・クローネンバーグがスポークンワーズで参加)、昨日WOWOWのテレビ欄で『グライムズ・オブ・ザ・フューチャー』を見つけたからその印象のせいかもしれない。

今作に伴うコーネリアスのインタビュー記事によると、大きなトピックとして本格的に創作にAIを導入しだしたということ。プロンプトを何度も繰り返して、出てきたのもを分解したりくっつけたり、またそれをAIに投げ返したり、あるいは自分で演奏して再現してみたりってことだろうか。わからんけど。とにかく新しいおもちゃを手にして楽しんでいるコーネリアス、の絵が浮かぶ。てことはサンプリングしまくって今や再発出来ない『69/96』と同じっちゃあ同じか。思わず『69/96』みたいやなと思ったのは僕の気のせいではなかったということで。

もちろんAIには沢山の水が必要だとか、バカみたいに電気を食うとかの環境問題、または倫理的な問題もある。つまりこのトライアルが次回でも引き継がれるかどうかは分からない。後で振り返ると、まだAIがシリアスになる前の記録、ということになるのかもしれないが、まだ無邪気に遊んでしまえる今はそんな貴重なひと時、と踏まえたうえでコーネリアスは遊んでいるのかもしれない。

カッティングギターもふんだんにダンサブルなソングライティング。そしてショーン・レノンをはじめ旧知の友人たちにボーカルや作詞をお願いしたりといつになく外向きなコーネリアス。そのままいけば陽性なアルバムかと思いつつ、そこに非人間的な要素を組み込ませ、デヴィッド・クローネンバーグを想起させる不穏さも。この奇妙な感覚を僕は持て余している。

ところで‘Reflections‘ではなく、‘Reflactions‘と表記するのはなんでだ?