寺尾紗穂コンサート 2026年2月7日 大阪市立阿倍野区民センター小ホール 感想

ライブ・レビュー:
 
寺尾紗穂コンサート
大阪市立阿倍野区民センター小ホール 2026年2月7日
 
 
会場は阿倍野ベルタと広い道路を挟んだ向かい側にあった。初めて行ったが、まだ新しいホールのようだ。こじんまりとしていたがとても立派なホールだった。僕の務め先は天王寺近辺にあるので、ベルタ辺りまでなら飲みに行くこともあるのだが、その裏側にこんな立派なホールがあるなんて知らなかった。
 
寺尾の歌はグッとくるものが多いので、ライブが始まる前、一緒に行った友人に「泣いてしまうかもしれんわ」と話していたのだが、実際始まってみると情緒的なことではなく、音楽的な広がりの中に身を浸していたという感覚で、純粋に今夜はとてもよい音楽を聴いたぞという気持ちの方が圧倒的に強いライブだった。
 
寺尾によるピアノの弾き語りは最初の数曲のみで、後はサポート・メンバー計4名によるバンド・スタイル。そのスタイルで演奏したほとんどが労働歌やわらべ歌だった。労働歌はもともと独特のメロディがあるうえに、ドラムスとウッドベースによるジャズをベースとしたサウンドに韓国の太鼓を抱えサブ・ボーカルも務めたチェ・ジェチョルが加わることでさらにビートの効いた歌となり、加えてアコーディオンや笛などいろんな楽器を操る人もいて、とても雄大な音楽となっていた。
 
雄大に感じたのは、地方に伝わる日本の古い歌をそれらしく演奏するのではなく、ジャズを基調にしていたからだろうし、チェ・ジェチョルの存在も大きいだろう。本編のラストではチェが帯状の紐が付いた帽子をくるくる回しながら踊る場面もあったりで(農楽(ノンア)と言うらしい)、当初想像していたものとは全く異なる光景がステージに現れていたもちろんどこまでも届きそうな寺尾の声もその奥行を感じさせた要因だろう。湿り気の無い声はとても澄んでいた。とにかく何かいろんなものが混ざっているけど継ぎ目のない世界を僕たちは体験した。
 
2026年2月7日、阿倍野の中心部から少し離れた小さなホールで素晴らしい音楽が奏でられていた。音楽が人々に行き渡るというのはこういうことを言うのかもしれない。一般的にはあまり知られていない音楽家たちであるけど、どの音楽がどうという事ではない、音楽本来のありようが等しく広がる地平の中に僕たちはいたように思う。
 
本編からものの数分で始まったアンコールも含めちょうど2時間。MCも少なく、寺尾はずっと歌いっぱなしだったが、ずっと素晴らしい歌声をキープしていた。『しゅーしゃいん』や土方のおじさんの歌をテレビ・メディアで聴きたいと思った。

「サムシング・エクストラ!やさしい泥棒とゆかいな逃避行」(2025年)感想

フィルム・レビュー:

「A Little Something Extra」2025年

邦題:「サムシング・エクストラ!やさしい泥棒のゆかいな逃避行」

Eテレの『toi toi』で「なぜ私を怖がるのだろう」という回があった。確かに日常生活の中で健常者から見て挙動不審な障がい者が、例えば電車の中で真横に立っていればつい身構えてしまう。僕自身は割と知りたい欲がある方なので、意識的に所謂マイノリティに関するテレビを見たり本を読んだりしているけど、それでもやっぱり「怖がる」という意識は働いてしまう。

映画のストーリーを簡単に言うと、宝石泥棒の親子が、警察の追跡から逃れるなか、ひょんなことから障がい者とその介助者に間違われ、障がいのある若者たちのサマーキャンプに身を隠すことになる。そこから始まる騒動を描いたコメディだ。大きな特徴は出演者は実際の障がい者たちという点。公開初日の動員数では『最強のふたり』(2011年)を大きく上回りフランス映画史上歴代2位を記録したという。『最強のふたり』は僕も大好きな映画なので迷わず観に行くことにした。

劇中、障がい者のふりをした主人公(息子の方)がいとも簡単に障がいのある若者たちに「ふりをしている」ことを見破られる場面がある。なぜ見破られたのかは明示されないが、つまりちょっとした視線や挙動で、この人の自分に対する態度はそういうことだな、ということを彼彼女らは日常的に経験している、そんなのすぐにわかるさ、ということなんだと思う。そういう描写ひとつとっても実際の障がい者たちが演じている効果は大きい。

物語は宝石泥棒の親子だけでなく、いろんなキャラクターが入り乱れ、好いた惚れたがあったり、ちょっとした事件があったりで同時進行的にドタバタと進んでいく。一応主役はいるのだけど、あんまりそこは関係ない。施設で働く職員たちも障がい者たちもみんなキャラが立っているので、それぞれにおかしいとこばっかりでホントおもしろいコメディになっている。あとヒロインもいるのだけど、ハリウッド的なキレイどころじゃない点も好印象だ。

「サムシング・エクストラ」というのは特別な何か。ギフトなんて言葉もあるけど、そういう目に見えない良き力があるんだよ、という映画なのかなと観る前はなんとなく思っていた。これは捉え方なので人それぞれなのだろうけど、僕は皆の壁が取っ払われたら、皆が「サムシング・エクストラ」になるし、つまり「サムシング・エクストラ」なんて言葉も必要なくなるよ、そんな風に受け取った。

演者の障がい者たちは本当にチャーミングだ。映画だから演じているわけで実際はそうもいかないだろうけど、それは健常者とて同じこと。少なくともこうやって愉快な映画を観ることで僕の認識はポジティブな方へ傾く。実際に接してすることが出来れば一番良いのだろうけど、映画を観たり、テレビを見たり、本を読んだりすることで少しずつほぐれていくことはある。好奇心でも何でもいいからその行動は続けていきたい。

合歓るーBridges / Laura Day Romance 感想レビュー

邦楽レビュー:
 
『合歓るーBridges』(2025年)Laura Day Romance
 
 
2018年デビュー、女性ボーカルにギターとドラムスの3人組。ソングライティングはギターのひとがメインのようだ。2025年初にリリースした『合歓る-walls』と本作が対になり、二作で3rdアルバムということらしい。僕は年末に読んだミュージック・マガジン誌で本作を知り聴き始めた。なので『-walls』の方は未聴。
 
若いが演奏は達者で、複雑なリズムで曲は進む。最近の若いミュージシャンはみんな普通に上手いから驚く。これまでの作品がどういったものかよく知らないが、言葉の載せ方選び方、アクセント、曲の展開、時折挟まれる印象的な音のフレーズ、どれをとっても秀逸だ。そこらじゅうで韻が踏まれているが、ちゃんと意味が通っていてしかもオシャレ。
 
近頃は邦楽オンリーで育ったミュージシャンが多いような気がするが、彼らは海外の音楽にも精通しているのではないか。#3『分かってる知ってる|yes, I know』はなんかThe1975っぽいぞ。ボーカリストはとても印象的な声の持ち主だけど、もうちょっと我儘に歌ってほしいかな。YouTubeでライブ映像を見たけど、バンド表現においてもまだまだ迫力不足な感じはする。ていうか連中はそんなこと求めてないのかも。
 
歌う対象との距離感も考えられていてしっかりと物語として表現している。#4『プラトニック|platonic』など情緒的な歌かと思いきやキチンと対象化されていて、アウトロでの着地のさせ方、そのまま5曲目のキラー・チューンへ向かう流れなんかホントによく考えられている。情緒でごまかさない丁寧なサウンド・デザインに好印象だ。
 
その#5『ランニング・イン・ザ・ダーク|running in the dark』はシンプルな曲なのに畳みかける言葉とアレンジを含めた全体で異様な疾走感と切迫感を表現していて、イントロのノイズからアウトロのピアノ・ソロに至るまで完璧。決め台詞の「あいにく雨だが 乾くよりマシか」がまた最高だ。他の曲もアイデア満載で素晴らしいけど、ちょっと神がかっているんじゃないかこの曲は。
 
音楽家にはクリエイターに限らず、アイデアが湧いて仕方がない時期がある。いわゆる初期衝動と経験値が合致してクリエイティビティがスパークするわけだが、それはどんな才能のあるアーティストでもあっても一時期にしか訪れない。もしかしたらローラ・デイ・ロマンスにとってこの作品がそれにあたるのかもしれない。ていうか僕が知らないだけで、他のアルバムもこのレベルにあるかも。だとしたら驚く。ちょっと他のアルバムも聴いてみよう。

HAYABUSA JET Ⅱ / 佐野元春 感想レビュー

『HAYABUSA JET Ⅱ』(2025年)
 
 
正直、『Ⅱ』があると聞いた時、僕はもういいだろうと思った。実際にリリースされて聴いてみると、確かにCoyote Bandらしくギターが騒がしく鳴る『君を想えば』、ダンスチューンに変貌した『太陽』、全く別物と言っていい『吠える』など、楽しい再定義はあった。けれど『Ⅱ』でもあり新鮮味は薄れていたし、『Ⅰ』ほどの興奮はなかった。僕の印象が変わったのはスピーカーで聴いてからだった。
 
『The Circle』(1994年)でThe Heartlandを解散したように、『The Sun』(2003年)を最後にThe Hobo King Bandでの新作が途絶えたように、2023年の『今、何処』以降Coyote Bandでの活動は活発ではなくなるのではないかと僕は勝手に想像していた。それぐらい『今、何処』アルバムは圧倒的だったし、上記2つのバンドの時のようにピークを迎えた後のCoyote Band としても次へ向かう道を見つけるのは難しいだろうなと勝手に思ってていた。
 
『HAYABUSA JET』シリーズは佐野自身が何度も語っていたように、佐野を知らない新しい世代に対するプレゼンテーションが主な目的だったろうし、『Ⅰ』は全くそのとおりだったと思う。しかし結局それはCoyote Band との関係をリフレッシュさせることにもなり、計算通りだったのかどうかは分からないけど、『Ⅱ』での更なるCoyote Band仕様への振り切りようを思えば、 ざっくり言ってしまえばそうした勘が当初から働いていたのだと思う。
 
つまり今回の『HAYABUSA JET Ⅱ』はまだまだCoyote Bandとの活動を終えるつもりはないという佐野の宣言なのではと僕は感じ始めている。今のバンドでこれ以上望むべくもないと思える作品があったとしても、かつてのように活動をやめてしまう必要はない。その答えが『HAYABUSA JET』シリーズ、いや『Ⅱ』にあるのかもしれないと。
 
イヤホンで聴くのをやめ、スピーカーで可能なそれなりの音量で聴いた時、それはまさしくCoyote Bandだった。過去曲に手を加えましたではなく、大袈裟に言うとライブを全身で浴びるようだった。当たり前だけど、The HeartlandでもないThe Hobo King BandでもないCoyote Bandとしか言いようがないサウンド。もしかしたら『Ⅰ』は新しい世代にという主眼が強く、曲そのものの若さを維持することに気が向けられていた部分があったのかもしれない。しかし『Ⅱ』ではそこはもう完全に吹っ切られているような気がした。Coyote Bandフルスロットルで行くんだと。
 
およそ1年をかけて行われた45周年を冠した一連の活動もまもなく終わる。次のアルバムがいつになるかは分からない。でも作り手にも僕たち聴き手にももうあの『今、何処』を越えなくては、という余計な気負いはすっかり剥がれているような気がする。あれはあれ、次は次、とばかりに。『HAYABUSA JET Ⅱ』はそういう役割を果たしたのではないか。
 
この一年の活動でおなか一杯になったコヨーテ達はしばしの休息に入るかもしれない。けどいずれ腹を空かせる。僕は気長に待とうと思う。キャリアの終盤にさしかかった佐野がCoyote Bandとともに再び走り出すのを。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のこと

フイルム:レビュー

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のこと

 

僕の実家はおばあちゃんが住んでいた平屋に、おばあちゃんの死後そのまま移り住んだもので、その頃でもすでに築50年以上は経ってたと思う。僕が中学生の頃だったか、姉がお年玉で小さなテレビを買った。リビングの横にある6畳ほどの和室にそのテレビは置かれた。リビングにあるメインのテレビと隣の部屋の小さなテレビの音声はいつも混じっていた。

初めて見たのは土曜ロードショー。姉が小さなテレビで見ていたのを途中から一緒に見た。場面はちょうどマーティが1955年のドクの屋敷に訪れるところ。僕の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はそこが始まりだった。

その後、幾度となくテレビ放送はあり、『2』は高校の時友だち何人かで観に行き、『3』は『2』の時にもいた映画好きの友人と二人で行った。当時は席予約や入れ替えなんてなかったから、席の離れた友人と顔を見合わせ、続けざまに2回観た。

後に『2』と『3』のVHSのビデオソフトを購入した。1作目は何度目かの土曜ロードショーを録画したものを繰り返し見た。10回?20回?いや、もっと見ているだろう。なので僕の頭の中に入っている台詞は土曜ロードショー版だ。例えば有名な最後のシーンのドクの台詞は「道など必要、、、ない」だし、マーティが”Johnny B Good”を演奏した後に言うのは「次の世代に流行るよ」だ。

この時の声優はマーティ役が三ツ矢雄三でドク役は穂積隆信。ドクは青野武や山寺宏一も演じているが、ちゃんとした科学者な感じがしないでもない。やっぱり穂積隆信の頭の上から出てくる狂気じみた声の方が僕は好きだ。それで育ってしまったからね。

ついでに言うと一番好きなシーンは、ジョージがビフをのばして一件落着と思いきや、変なやつにロレインを奪われジョージはロレインから手を放してしまう。するとマーティの手は透明になり額には冷や汗、存在が消えかかってしまうが、ジョージの再びの勇気によりマーティは復活!それに合わせるようにバンドの演奏も盛り上がり、「I falling love with you♬」のリリックと共に二人は初めてのキス。アウトロにバック・トゥ・ザ・フューチャーのBGMのフレーズがかぶさる。天使が降り立ったかのような素敵なシーンだと思う。皆はどんな場面が好きなのだろうか。

今日、IMAXの復活上映を観てきた。数え切れないほどビデオテープで見た『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をまさか映画館で観れるとは思わなかった。いろんな感情が入り混じり、僕は何度も涙を拭った。十代の僕はマーティの走り方を真似して、マーティのジェスチャーを真似して、マーティの喋り方を真似した。マーティ(やドクやジョージ)の勇気は真似出来なかったけど。。。とにかくマーティは僕の憧れだった。

今でもその気持ちは変わらないけど、今思うのはジョージはなんと人間味のある素晴らしいキャラクターだということ。マーティと同じくらい僕はジョージが好きになった。今回、スクリーンでマーティやドクやジョージやロレインを観て、なんだか昔の友だちに会ったような気がした。僕はとても嬉しい気持ちになった。

2025年 ベスト・アルバム

2025年 ベスト・アルバム

 

2025年に新しく聴いたアルバムは約40枚ぐらいか。月平均で3枚ちょい。1、2回聴いただけでやめたものを含めればもっとあるだろうが、その辺はよく分からない。けっこうな枚数だがそんなに忙しく聴いた覚えもなく、要するにSpotifyでの聴き方がすっかり馴染んできたのだろう。歌詞も音楽の魅力の一つなんて偉そうに言ってきたのが恥ずかしい。。。結局そこまで理解しようと思う僕自身の体力が無くなってきたのもあるかもしれない。今までなら必ずCDで買っていたハイムやビッグ・シーフですら、買わなくなった。

音楽を通して学んできたことはけっこうある。ケンドリック・ラマーなんかはその際たるものだし、音楽家は総じてリベラルな人が多いので人権や社会問題、環境問題などに対してもしっかりと声を挙げ作品の中へも反映している。僕の女性に対する考え方なんてハイムからの影響がかなり大きい。Spotifyで聴く間口は格段に広がったが、歌詞を読まなくなった分、抜け落ちているものは多いかも。この辺は僕にとって課題かもしれない。

どちらにせよ、2025年はこれまで以上に様々なジャンルの音楽を聴いた。ウルフペックやエル・マイケル・アフェア、はたまた南米のカンデラブロなど。恐らくこれらはSpotify以前なら僕の選択肢には入ってこなかっただろう。他にも流行りのオリビア・ディーンや大評判のディジョンや風変わりなエセル・ケインなどもしっかり聴いたし、僕もジャンルなんか気にせず単純にええのん聴いたらええやん、という現代人らしい体になりつつあるようだ。

なんだかんだ言って、基本はロック好きだから世間の評価とは関係なく、結局いつものステレオフォニックスやクークスやシェイムを聴いて、やっぱええなぁと思いつつ、さぁ2025年に最も印象に残ったアルバムはなんだっけと記憶を遡ってみると、2025年も変わらず女性アーティストが多いことに気付く。先に述べたハイムやビッグ・シーフだけでなく、ウルフ・アリスも何気にいいアルバムだったし、年末にはザ・ベルエアー・リップ・ボムズという活きのいいバンドも知った。優雅なレイフェイもよかったなぁ。邦楽では寺尾沙穂やローラ・デイ・ロマンスを気に入って聴いていた。2月にはさっそく寺尾のライブに行く予定だ。

そんな中、決定的なロック・バンドに出くわした。ギースである。こっちのフロントマンは男だが、ギタリストは女でその並びが新鮮。何しろバンドの佇まいからして只者ではない感満載だ。もう古いんだか新しいんだかよく分からないし、次にどう転ぶかも全く予想できない得体の知れなさだが、とにかくかっこええのは間違いない。ということで、2025年の僕のベスト・アルバムはギースの『Gettng Killed』ということになる。普通過ぎて面白くないけどね。ベスト・トラックはハイムの『Relationship』。Spotifyの年末まとめによると僕が2025年に最も聴いたのはこの曲だそうなので、素直に従うことにしよう。

せっかくなのでもう少し順位をつけてみるのもいいかもしれない。Spotify年末まとめだと最も聴いたアーティストもハイムだったので2位は文句なしでハイムの『I Quit』だ。最も聴いた曲のランキングにはリトル・シムズも入っていたので、3位はリトル・シムズ『Lotus』にする。聴いてて楽しいアルバムだった。うん、確かによく聴いた。続いてはビッグ・シーフの『Double Infinity』。前作の2枚組とは打って変わってシンプルなアルバムだったけど、今までで一番スッと体に入って来た。5位はウルフ・アリスの『Clearing』。70年代風の爽やかなサウンドが心地よかった。それにしても安定感が抜群だな。

自由や平和や平等といった、これまで当たり前のように良きものとされていたものがいとも簡単に無きものとされることを知ってしまった現在。けれど、だからといって悪しきものがもの良きものになるわけではない。僕たちに出来ることは大なるものに振り回されずに、目の前の些細な日常の中でささやかな自由と平和と平等を繰り返すことしかない。その助けとしてアートはきっと有効だ。アートはずっと時代を越えてきた。この先、どんな時代が待っているのか分からないけど、僕はこれからもアートに目を耳を傾けていきたい。

荒地

ポエトリー:

「荒地」

 

今日の音楽は
生身でグラグラしているから
リズムがとれない

脳内で型にはめ
補正する
フェイク
弦が切れた

裸足の感度が
ひとびとから剥がれ
今焼け野原

いいや
ガレキを足場にして
また歌を唄いはじめれば

 

2025年10月

新年によせて

ポエトリー:

「新年によせて」

 

新しい夢を見て
新しい街へ出た
わたしたちは毎日
新しいに手をかける

ただの、あるいは特別な
生命あるものとしての営み

新しい労働をし
新しい食事をし
新しく学び

新しい嘘をついて
新しい諍いをし
新しい和解をする

わたしたちは今日も新しいに手をかける
それは人類史上初めての経験
間違いもクソもない

 

2026年1月

Gettng Killed / Geese 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Gettng Killed』(2025年)Geese
(ゲッティング・キルド/ギース)
 
NY出身、3枚目だそうだ。こんな傑作を作っておきながら、1枚目2枚目はパッとしなかったらしい不思議なバンド。なんだかもう古いのか新しいのかよく分からないけど、ロックバンドとして一番大事な気というか佇まいというか、そういうものがギッシリ詰まったバンドだなと。こういうのが出てくるから洋楽を聴くのはやめられない。
 
70年代のいなたさとか土っぽさとかを僕はよく知らないけど、なにかしらの参照があちこちにあるのだろうとは想像できる。ただ古さを古さのまま再現したところでこんな面白い音楽は出来ないわけで、この割れた感じとか、不協和音さとか、断絶の時代に生きる僕たちの琴線にガシガシ突いてくる彼らの音は完全に今の音楽でしかない。
 
ボーカルはトム・ヨークみたいな歌い方というか発声ではあるけど、トムさんはここまでシャウトしないよな。つまり荒々しいけど、細い感じ。ギタリストはスラッと背の高い女性でクールだけどバカみたいにギターをかき鳴らしている、それこそジョニー・グリーンウッドみたいに。ボーカルが女でギタリストが男というのはよくあるけど、その逆というのは意外と見かけない。バンドの絵面としてとてもカッコいい。
 
あとアルバムジャケットにあるように管弦楽器がいい感じで挟まってくるが、それ以上に効果的なのが鍵盤系。これがあることで随分と曲調が広がっていく。特にガサガサしたスローソングでこれをやられると一気にイメージが広がる。荒々しいのから静謐な曲までホント間口が広いバンドだ。
 
僕は毎年年末になるとその年の気に入ったアルバムから1曲をピックアップしてプレイリストを作るのだが、このアルバムからはどれを選べばいいのかわからない。それぐらい突出した曲が多すぎる。う~ん、やっぱ『TEXAS』かなぁ。
 
こんなの作ってしまって次はどうするんだと余計な心配をしてしまうが、2ndから急に違うベクトルを向いたバンドなので、次も全く違う方を向くことだってあり得る。だんだん2000年代のレディオヘッドみたいな期待値で彼らを見たくなってきた。
 

秋風

ポエトリー:

「秋風」

 

秋風
あなたの目はもう死んでるね
疑いようがなく晴れわたる空

間違っても
人のそばに寄ることはないだろう
この先

それぐらい
傷ついたことを知って
あなたは許してくれるだろうか

それとも
ひとりぼっちでいることに慣れたのか
秋風よ

 

2025年10月