★/David Bowie 感想レビュー

洋楽レビュー:

『★』(2016)David Bowie
(ブラック・スター/デビッド・ボウイ)

あまりにもキャリアが膨大過ぎて、もう自分とは関係ないやっていうアーティストって結構いる。デビッド・ボウイもその一人で、一昨年かその前の年だったか、久しぶりに新作が出た、しかもサプライズでってことで話題になったんだけど、僕とすりゃふ~んて感じであまり気にも留めなかった。そこへ昨年の訃報。それとほぼ同時にニュー・アルバムが出た。そんなことでこれまたビッグ・ニュースになって、そんでまた下駄を履かせたわけではないんだろうけど、年末に各紙で発表される2016年のベスト・アルバムにこのアルバムが結構食い込んでて、そんなにいいんだったらいっちょ聴いてみるかって気になった。そこへ運よく知り合いにデビッド・ボウイ好きがいたのでその人から借りたという次第。ということでデビッド・ボウイ初心者による『★』のレビューです。

デビッド・ボウイといえば美しいというイメージが刷り込まれているので、美しいメロディを期待していた節があったけど、なんだこの抑揚のないメロディは。デビッド・ボウイの呻き声みたいじゃないか。と少し面食らった面も無きにしも非ず。途中からは考えをリセットし、これはもうリーディングだな、と。ジャズ(これがジャズかどうかは分からないが、世間でそう言うのだからそうなのだろう)に乗せて詩を朗読するってのはよくある話だし、そうやって聴けば違和感はない。それにこのアルバムはデビッド・ボウイの才能がスパークしているというより、彼に元々備わっている美意識とか先進性とか哲学といったものがそれはそこにあるとして、そこにどう肉付けをしていくか、いかに2016年現在にフックさせていくか、というところが主題のようにも見えてきた。だからスパークしているのはボウイそのものというより、その後ろで鳴っているサウンドというべき。つまりボウイ自身の居住まいは決して変わっていない。ありのままというか、ありのままですがそれが何か?っていうことだろう。

そのありのままがこんなけったいな音楽になるのだから、要するにありのままが相当イッちゃてるってこと。加えていうと、そのありのままは1970年であろうと2016年であろうと生のままでは人に見せたものではない。味を調えたり、意匠を纏う必要がある。これこそがデビッド・ボウイということか。

1. ★
儀式めいた雰囲気。序盤のアタック音が効いてる。転調してからの「あの者が死んだ日の出来事だった」から始まる詩が秀逸。少し長いかなって気はするど、これはロック以外の何物でもない。

2. ティズ・ア・ピティ・シー・ワズ・ア・ホア
今作で特徴的なドラムが印象的。単調だが一気にグワッと行ってしまうところはいい。

3. ラザルス
トラックが素晴らしい。ホーンが効いてる。こういう渇いたスローソングは好きだ。

4. スー(オア・イン・ア・シーズン・オブ・クライム)
バンドかイカす。これはヒップホップだな。クールなリーディングかラップがいいと思うけど、ボウイの歌は正直かったるい。

5. ガール・ラヴズ・ミー
この手の変化球ってありがちだけど個人的にはあまり好きではない。退屈。でも聴き手を完全に無視してるところは好きかな。この曲辺りからベースが耳に残り始める。

6. ダラー・デイズ
これはもうイントロからして美しいでしょう。ここに来てアコースティックギターが聴こえてくるところなんかズルイ。この曲と最後の曲でメロディが戻ってくるところは確信犯か。なんだかんだ言ってこの曲が一番好きかな(笑)。サビのベースリフには当然意味がある。

7. アイ・キャント・ギヴ・エヴリシング・アウェイ
そのままの流れで最後の曲。ベースリフは早くなってる。「私は全てを与えることはできない」とか言いながら、サウンドはオープン・ザ・ロードだ。

このアルバムは僕の手に負えない。てかよく分からない。でも何度も聴いている。要するに分かればいいってもんじゃないってこと。アートとはいつもそういうものだ。ピカソの絵は理解できるからいいわけではない。人々はそのよく分からなさに惹かれるのである。69才にもなってこんなスリリングな作品を作れるのだから、やはり音楽に年は関係ない。

最初はしんどいなと思ったけど、1度目よりも2度目。2度目よりも3度目という風にだんだんよくなってくる。音楽には時にこういうことがあるから面白い。