エンタテイメント!/ 佐野元春 感想レビュー

邦楽レビュー:

『エンタテイメント!』 (2020年) 佐野元春

 

4月22日に佐野の新しい歌がリリースされた。タイトルは『エンタテイメント!』。印象的なギター・リフがリードする8ビートのポップ・ナンバーだ。佐野は何気ないリフが本当に上手だ。大袈裟な仕掛けもないのに風に乗っていくスピード感。それは『世界は慈悲を待っている』の系譜と言っていい。

今年はデビュー40周年ということで、この15年活動を共にしてきたコヨーテ・バンドと制作した4枚のアルバムの中から、選りすぐりの曲を集めたベスト・アルバムが準備されている。『エンタテイメント!』はこの中に収められる佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドの新曲だ。

つまりこの曲は昨日今日作ったものではない。恐らくは今年早々か、もしかしたら昨年にレコーディングされたのかもしれない。

ただの巡り合わせでこの時期にリリースされたに過ぎないのは分かっている。けれどコロナ禍がピークを迎えつつある今現在にこの曲がドロップされたことに心のざわめきを抑えようもない。

曲を仔細にに見ていくとただのエンターテイメント万歳という曲ではないことが分かる。人が人を徹底的に責め立てるネット上の悪意すら僕たちはエンタテイメントとして消費しているのではないか。そのような問いかけをもいつものように佐野は冷静にスケッチをしていく。

この曲が素晴らしいのは心が舞い上がるような前向きのポップ・ソングでありつつ、そのようなマイナスの側面、社会的なメッセージを携えている点だ。そうすることでふと言葉が自分に帰ってくる。僕自身はどうなのだと。

けれど稀に、曲には時代と偶然にも合わさる瞬間がある。今は幾分心が舞い上がる気持ちに身を委ねてもよいのではないか。高らかなギター・リフに乗ってどこまてもゆけるようにと。

~つかの間でいい
 嫌なこと忘れる
 夢のような世界 I’ts just an entertainment !~

たかがエンターテイメント。されどエンターテイメント。お偉いさんに言われなくたって僕たちは知っている。僕たちにはいつも文化が必要だ。

 

~ここはそこらじゅう
 見かけ倒しの愛と太陽~

というパンチラインが最高だ

マイノリティの笑い

その他雑感:
 
「マイノリティの笑い」
 
 
僕も志村けんを見てゲラゲラ笑った世代ですから、追悼番組とかやってるとつい見てしまうんですけど、志村けんは万人に愛されたコメディアンみたいな言い方をされるとちょっとんんん?ってなります。志村けんってそんなみんなに愛されてたっけ?
 
で思ったんですけど、志村けんってやっぱマイノリティーの笑いですよ。世間では馬鹿にされるような人、あるいは見向きもされないような人を演じて笑わせる。バカ殿も変なおじさんも震えっぱなしのおばあさんもよく考えりゃやばいです。
 
そういう表の世界では目を背けられがちな人にスポットライトを当てて、バカやって笑わせる。いや、笑わせるではなく、いかに笑われるかということを考えていたと本人も言ってますよね
 
あと下ネタも異常に多いでしょ。今どきゴールデンであんなに下ネタやってたの志村けんぐらいじゃないですか。しかも口から食べ物出たり汚いし(笑)。実は僕もバカ殿をうちの子供たちが見るのはちょっと警戒してしまうんですね、下ネタ多いから。 自分が子供の頃は涙を流して笑ってたくせに。
 
だからこの構図っていうのはとても面白くて、やたら下ネタが多いとか世間的には危ない人が沢山登場するってのは、もしかしたら常識とか正しいとされるものへの異議申し立てみたいな気分はあったんじゃないかと、ちょっと意識していたんじゃないかと想像してしまうんですね。みんなそんな変わらないでしょっていう。
 
NHK BS でやってた一見大人のコント・ドラマの「となりシムラ」とか「探偵佐平60才」も社会的にちゃんとしてそうなおじさんの下ネタ全開だったでしょ。そういう部分を敢えてひけらかすみたいな、大げさに言うと、タブーを表に出すっていうことを意識してたのかもしれないですよね。
 
だからやっぱりみんなに愛された笑いの人というまとめ方はちょっと違うと思うし、一部の人は眉をひそめる、そういうマイノリティーの笑いを大向こうを相手にしてやりきっていた人なんじゃないかと思います。
 
R.I.P

琥珀

ポエトリー:

「琥珀」

 

太陽の光から逃げて
月の裏側に潜む君の琥珀は
輝き出すには早く
転がり出すには脆く
上手く退路を掴めない

そんな日の言い訳を
考えあぐねる夜の景色の
順序よく縦に並んだ影の踏み絵

先頭きって走る君の横を
自動小銃よりものろい速度で共に
間を縫って歩き
時に岩礁に腰掛け
少ないながらも手に入れた
か細い命の手触りを

目一杯引き寄せて
目まぐるしく入れ替わる一瞬の
ため息に触れないまま
逃さぬままで
倦怠感の夜に突き落とす

先輩方の祈りむなしく
落ちる麒麟の声

清々しく朝に光る琥珀を手のひらに乗せ
遠くへ行けよと涙ぐむ朝日が
いつしか君の手を離れて
形あるものになった

 

2020年1月

負けるなとか勝つとかではなく

ポエトリー:

「負けるとか勝つとかではなく」

 

目に見えないものが見える
それは聖地、聖地…
おしなべて
がらくたまみれの現在、現在…
猫も杓子も
お祈りをして
裸のままの聖地

君の顔を洗う
伺う毎日
うがいをして
除菌をして
話しかけよう
あなたは女神
洗剤はミューズ
あなただけが頼りです
頼りですか?
そうです
頼りです

買い物をして
これは新しいんですと
話しかけても上の空
空はだっていつでもオープンエアーですから
思いつめる瞬間もないんです
だからよろしければそこ
もう少し間を空けてもらえませんか?
意地悪で言っているのではなく
あなたを愛しているのです

お命、頂戴つかまつる!
んなわけ
まだまだ長生きをしたいから
芝生の上に寝ころがってオープンエアー
ぐいっと伸びをして
オレは猫になって、
びぃよぉーんと背伸びして広がれよイマジネーション

だから静かにむにゃむにゃ……
よければあなたのお膝を貸してくださいな
心のなかだけですけど

そうそう、
僕のもいくらでも持ってってください心のなかを
まだ減らない想像力で現在の向こうへ

 

2020年4月

おしるこ

ポエトリー:

「おしるこ」

甘い君を見ていると
明日には溶けそうだ
長い君の話を聞いてると
悪い話も丸くなる

一息ついて良かったね
向こうから屋台がやってくる
甘いおしるこいかがです
おじさんお二つくださいな

力が抜けていく
お餅に溶けていく
世界はまるごと丸くなる
二人は赤くなる

出会えて良かったね
話せて良かったね
話した分だけ長くなる
恋は長くなる

世界は願った方には行かないけど
誓いのキッスをいつか出来たらなー

甘い君を見ていると
明日には溶けそうだ
長い君の話を聞いてると
悪い話も明日には丸くなる

一息ついて良かったね
向こうから屋台がやってくる
甘いおしるこいかがです
おじさんお二つくださいな

力が抜けていく
お餅に溶けていく
世界はまるごと丸くなる
二人は赤くなる
お餅は伸びていく

2020年1月

社会的な事柄に関与しようとしない日本のカルチャー

その他雑感:
 
社会的な事柄に関与しようとしない日本のカルチャー
 
 
ついにというかようやく緊急事態宣言が出されたのだが、昨日の仕事の帰り道、地元ではちょいと有名なアイスクリーム店の前ではいつもと変わらず多くの若者がたむろしていた。まぁ若者というのはふわふわとしているもの。総理大臣や専門家委員会が何を言おうと彼らはニュースなんざ見ないだろう。かくいう僕も若いころはそうだったし偉そうなことは言えない。
 
そこで一役立つのが有名芸能人。彼らが一言言えば効果テキメンだと思うがいかがでしょうか?それこそ海外ではまだこれほど大事になる前の初期の段階で、ビリー・アイリッシュやテイラー・スウィフトといった若者に発信力のあるアーティストが「家にいよう。自分を守るだけじゃなく、大切な人や他の人にうつさないために」みたいなメッセージをさかんに出していたし、日本人でも最近で言えば野球のダルビッシュやサッカーの香川などが素晴らしいメッセージを発している。
 
数年前のフジロックで音楽に政治を持ち込むな論争があったけど、芸術なんてのは社会と切っても切れない間柄なわけで、アーティストが社会的な事柄にコミットするのは当然だと思うんだけどなぁ。
 
あのアイドル事務所の人たちやあのダンス・ボーカル・グループの人たちや他にも沢山若い子に人気のバンドはありますから、そうした人たちがステイ・ホーム的なメッセージを発信すれば都知事が言う何百倍も効果があると思うんです。「みんな学校もなくて、自粛自粛でしんどいだろうけど頑張って」っていう優しい言葉だけでなく、主体的な言葉で社会的なメッセージを発してもらいたいなと。繋がろうとかはすぐ言うのになぁ。

中村佳穂の言葉~例えば「LINDY」

邦楽レビュー:
中村佳穂の言葉~例えば「LINDY」

 

「ハッときて ピンときたんだLINDY」。これだけじゃ何のことだか分からないですよね。これ、中村佳穂さんの『LINDY』の冒頭の言葉です。

以前カネコアヤノさんの『布と皮膚』のリリックに言及した時にも書いたんですけど、言葉というのは予め意味を持っているんですね。その予め意味を持った言葉を解体して新たなイメージを構築しようとする、それが詩人の仕事だとすれば、この『LINDY』の歌詞は正にそれを象徴するような歌詞だと思います。

それと中村佳穂さんの曲に顕著なのが韻ですね。それも理知的に捉えたライミングというより曲の流れのなかで、曲を口ずさむなかで発せられた動的なライミング。例えば『LINDY』。分かりやすいところでは、

 ON AND ON ドキドキ
 ON AND ON トキメキ
 となえるのさ
 応援をあげる

「ドキドキ」と「トキメキ」もそうですけど「ON AND ON」と「応援を」ですねここは。ちょっと私の説明、野暮ですか(笑)。ただ前半はそんなゆったりとした韻なんですがリズムが忙しくなる後半に入ると、

 パッと見て不意に気づくさLINDY
 おどけたふりして 結び直してゆく

と、この短いリリックの間でもそこらじゅうで韻が踏まれいて、「不意に」の「意」と「に」が「リンディ」の「リ」と「ィ」に。「おどけたふりして」の「ふり」が前段の「不意」と、プラス「ふり」は「リンディ」の「リ」、次の「結び」は発音も「結びぃ」となり前段の「リンディ」と掛かります。

まぁそこらじゅうで跳ねるようにアクセントが置かれていくんですけど、この一連のメロディを一気に聴くとですね、やはり言葉とメロディは一体なんだなと。そしてそうなることで冒頭の話じゃないですけど、新たな意味が構築されてゆくのが聴いているこちらも体で理解するんですね。これはやっぱり理屈じゃありません(笑)。

そう考えると中村さんはやはり詩人なんですね。意味を追いかけていかない、何百年も昔からあって既に意味を持っている日本語を駆使して自ら意味を授けようとしている。恐らくそれは意識してというより、もうそういうもんなんだという自覚があるからだと思います。

何故なら中村佳穂が捉えたポエジーは大げさな言いようですが、その場その時人類が初めて経験するポエジーなわけですから(それは僕やあなたのポエジーもそうです)、それを表す言葉というのはまだこの世に存在しないんです。それをたまたま自分が持っていたのが日本語であるならそれを利用して表現をするんだと。それが「ハッときて ピンときたんだLINDY」という言葉になるのだと思います。

あと言葉の解体と言えば、この曲では中盤にどっかの地方の掛け声のような、これも日本語を解体して新たなイメージを構築するという典型的な部分ですけど、その新しくイメージされた掛け声言葉が明けてのドンッと中村佳穂さんの歌い出しがあって、それは「全部あげる」という解放が始まるところですが、この「全部あげる」には深いエコーがかかってですね、佳穂さんの声は微妙にビブラートするんですがそれもあって、「全部あげる」が「ぜ え ん ぶ う あ げ え る」と解体されて聴こえてくるんです。もう言葉自体が解体されてしまっているんですね。

つまりここではもう give you :あげるという意味は解体されているんですね。勿論そういう意味はまだ含まれていますけど、そこを越えたコズミックなイメージが聴き手それぞれにもたらされる。歌い手が捉えたポエジーと同じ空間が手渡されるわけです。個別の意味とかは越えた感覚的なイメージですよね。だからもうこの部分は聴いていて本当に鳥肌が立つところでもあります。

詩人の茨木のり子さんが仰っていたのは、よい詩というのは最後に離陸する詩なんだと。そういう意味ではこの「全部あげる」という部分は見事に離陸しまくってます(笑)。そこまでも本当に素晴らしいんですけど、それがまるで助走のようにここで一気に飛翔するんです。

この曲は現時点の中村佳穂さんの最新曲になるのかな。その前のアルバム『AINOU』(2018年)も本当に素晴らしいので興味を持たれた方は是非手にとっていただければなと。動的なというものに限らず理知的で素晴らしい歌詞も沢山ありますので、頭と身体と同時に響いてくると思います。