ひとのためにできること

ポエトリー:

「ひとのためにできること」

 

リッスン!
気丈にも
わたしは耳に
声を傾ける

だれかしら
砂混じりの声
言ったそばから
首傾ける

「カルシファー、反転するよ!」
意外と大きな声
仲間たちが振り向く
自然治癒力

強大な力に囲まれても
わたしたちは衰退しない
キャンベルのスープのように

正直に言えば言うほど嘘になるけど
わたしたちは歩みすすめるよりほかなく
今もどくどくと血が流れる

やがて羽根を広げ大きく旋回する
だって誰かしらの声
聞こえてくるからさ

生涯のうちに何度か
ひとのためにできることがあれば嬉しい
そんなこともわたしたちの自然治癒能力

さぁ、
襟ぐりのボタンをしっかり留めて
「カルシファー、反転するよ!」

 

2026年1月

健康的

ポエトリー:

「健康的」

 

健康的な体だ
健康的な頭だ
健康的な顔だ
健康的な腹だ
健康的なふくらみだ
健康的なくびれだ

健康的な川だ
健康的な流れだ
健康的な道だ
健康的な位置だ
健康的な旅だ
健康的な速度だ
健康的な渋滞だ
健康的な花と嵐だ

健康的な暑さ寒さだ
健康的な浅さ深さだ
健康的な傘とツルハシだ
健康的な汗と疲れだ
健康的な噂話だ
健康的なすれ違いだ
健康的な別れだ
健康的な驚きだ

健康的な緑だ
健康的な水色だ
健康的な華やぎだ
健康的な結ばれだ
健康的な挑戦だ
健康的な限界だ
健康的な囁きだ
健康的なお囃子だ

健康的な諦めだ
健康的な黄昏だ
健康的な戯れだ
健康的な後悔だ
健康的な終わりだ
健康的なお迎えだ
健康的な墓だ
健康的な順番だ

健康的なお祈りだ
健康的な念仏だ
健康的な生涯だ
健康的な正体だ
健康的な悟りだ
健康的な光だ
健康的な天国だ
健康的な地獄だ

つまりもう
健康的に永遠だ

 

2026年1月

かすれて

ポエトリー:

「かすれて」

 

熱心なひとびとの
事柄が届く頃には
海は荒れて
魂はすさんだ

魂はいつものように服を着て
街へ出た
傍目にはわからないけれど
憎しみをこらえて

往来は最下層の海
人恋しくとも
灯りはささず

ひとそれぞれに
母の言いつけも忘れて闊歩する
命からがら
魂はかすれて

 

2025年11月

もう終わりだろ

ポエトリー:

「もう終わりだろ」

 

なるようにはなるのか
すべては眠るようにはいかない
やがてわたしたちは
倒れ込むようにうずくまる

すべてのつらさを
業績のように語るなら
こんなにも瞼の裏
暴れたりしない

うるさいな
タイミング的にはもう終わりだろ
ほんとうにもう眠れたら

夜明けに咲く花と
透けて見える月は
太陽に向かって

 

2025年12月

古い時代の陶器のように

ポエトリー:

「古い時代の陶器のように」

 

今、僕の中で
できることと
できないことが
こんにちはしている

できないことは過去から来たと言う
できることは未来から来たと言う
そりゃそうだ過去のことはできないから

ひるがえって
未来のことはできるのだろうか

未来がこんにちはしてきたとき
過去は言うだろう
できやしないよ
結局ぼくはなにもできなかった

そうだろうか
未来はこたえる
できたから君がいるんじゃないのか
できなかったら過去はいないよ

過去は言う
でもぼくは野球選手になれなかったし
好きなひとと一緒になれなかった
ぼくは過去だから できたこともある かもしれないけど
できないこと はできなかったんだ

 未来:でもきみはちゃんと答えてくれている
    大切なことはできてるじゃないか

 過去:それはぼくときみはひとつだからだよ

 未来:そうか
    ひとつか

自分でそう言っておいて過去はうれしそうだった
未来もうれしそうだった

それはまるで古い時代の陶器のように
自然な様子だった

いつのまにか過去と未来は
もうそんなにもすんなりとしていた

 

2025年9月

ようやくに

ポエトリー:

「ようやくに」

 

歌がはじまってまもなく
滝の音が出でて
すべては覆われた

かなしみは
空に吸い込まれることなく
彼らの頭上は
重く立ちこめたまま

われらの空は待ち望む
ようやくに
かなしみの歌が歌われんことを
かなしみが吹き上がらんことを

 

2025年11月

荒地

ポエトリー:

「荒地」

 

今日の音楽は
生身でグラグラしているから
リズムがとれない

脳内で型にはめ
補正する
フェイク
弦が切れた

裸足の感度が
ひとびとから剥がれ
今焼け野原

いいや
ガレキを足場にして
また歌を唄いはじめれば

 

2025年10月

新年によせて

ポエトリー:

「新年によせて」

 

新しい夢を見て
新しい街へ出た
わたしたちは毎日
新しいに手をかける

ただの、あるいは特別な
生命あるものとしての営み

新しい労働をし
新しい食事をし
新しく学び

新しい嘘をついて
新しい諍いをし
新しい和解をする

わたしたちは今日も新しいに手をかける
それは人類史上初めての経験
間違いもクソもない

 

2026年1月

秋風

ポエトリー:

「秋風」

 

秋風
あなたの目はもう死んでるね
疑いようがなく晴れわたる空

間違っても
人のそばに寄ることはないだろう
この先

それぐらい
傷ついたことを知って
あなたは許してくれるだろうか

それとも
ひとりぼっちでいることに慣れたのか
秋風よ

 

2025年10月

三日遅れてやってくる

ポエトリー:

「三日遅れてやってくる」

 

熱波熱波と言うがここは孤島なので
潮風がすべてを防いでしまう
潮風は他にもいろんなものを遮るようで
ここではすべてが三日遅れてやってくる

そんな具合なので天気予報も当てにならない
うわさ話も三日遅れでやってくる
それでも島民はスマホを手放せない
どうやらそういうことではないらしい
ということで災害なども三日遅れでやってくる
このところ小さな地震が続く

三日後のことは本島ではとうに分かっているのだが
誰も本島に行って確かめようとはしない
ひとびとの暮らしはいつもと変わらない
みんな変わらずのんきに暮らしている

本島では米が足りないらしいが、ここでは梅雨には梅雨の雨が降る
夏は夏でほどほどに暑く、冬は冬でほどほどに寒い
そんな気候もあってわたしはここに越してきた

今朝も田んぼに出かけた
本島を尻目に朝は卵ご飯、昼はどんぶり、夜は締めの雑炊
今日もたらふく米を食う

とはいえ三日後にはどうなっているのか分からぬ身
今の感じでは三日後のこの島も危ういかもしれない
が、かと言って本島まで見に行かないのはわたしも同じで
今もぐらり、ぐらりと来た

とにかく腹ごしらえでもして三日前(つまり本島で言うと六日前)に録画したテレビを見る
この腹減りも三日前のもの
厄介なのは腹いっぱい食っても腹いっぱいになるのは三日後だということ
初めの頃は調子にのってえらい目にあったがもう大丈夫
ここの暮らしもすっかり身についた

言い換えれば今のわたしも三日遅れの録画みたいなもの
どうにかすればどうにかすることができるものでもなく
とにかく三日後にえらい目にあわないよう努める
でもそれだって大したものだ
わたしたちは相変わらず確かめることなくどうにかしようと暮らしている

わたしたちは三日前のことを受け入れ、三日後のことに先回りする
たかが三日前、三日後
それで米をたらふく(といっても加減が必要だが)食えるなら言うことはない

今もぐらり、ぐらりと来た
住民は三日後に備える
なぜならここではすべてが三日遅れてやってくるから

 

2025年9月