シグナルは黄緑

ポエトリー:

「シグナルは黄緑」

 

昨日には 春の嵐が吹き溜まり
黄緑の 花びら装束買いに行く
太陽を遮る手のひらに昇る稜線

気取っていた 似合わないシャツに着替え
日溜まりの光線 夏に浴び
気付いてた 指折る日毎に傷付いていた

外面をぶら下げ靡くお堀端
手のひら繁る黄緑シグナル
蓄えたものが今にも無くなる

秋にはなんだか後ろめたく
後ろの席でずっと、眺めたい
今すぐ始めたい
いい加減にしておくれ
この湯加減は止めにしておくれ

今再び、手のひらの稜線が 行けと言う
もう二度と お前たちの世話にはならないと
春の引き戸、怯える気持ち
私たちどうか無事に、
新しい地球の歩き方 始めます

 

2稿 2021年3月31日

Eテレ『SWITCHインタビュー 達人たち ~ 佐野元春×吉増剛造』を見て

TV program:

『SWITCHインタビュー 達人たち ~ 佐野元春×吉増剛造』

 
 
 
現代詩に対して不満がありました。難解すぎるだろと。もっと生活に寄り添うべきだ。そんなんだから誰も見向きもしなくなるんだと。それでも僕は現代詩が好きで、雑誌や詩集を買ったりする。でも大方分からない、ほとんど理解できない。ならなんで買うんだよと言われれば、それでも抗しがたい魅力があるからというしかない。難解で時には読むのも億劫になる、しんどい。でもなんか気になる。僕にとって現代詩とはそういう存在です。
 
僕は言葉を追いかけようとするんですね。当然です。理解するにはそれしかないのだから。なんて書いてあるのだろう、なんて書いてあるのだろうと言葉を追いかける。けどほとんど分からない。で途中で追いかけるのを諦める。番組で佐野さんは吉増さんの詩を分かろうとしないと言っていた。驚いた。佐野さん、そんなこと言うんだって。一言一句は分らないけど、全体としての感覚に委ねる、佐野さんは為すがままに溶け込ませようとしていた。そこで詠まれているイメージに身を任せてしまう。そして感じた事もまた言葉で説明できなくていい。目から鱗でした。
 
現代詩は難解でよく分からないけど、つい手に取ってしまう。僕がさっきそう言ったのはそういうことなんだな。間違いなく頭で理解できていない。けれどそこで発せられる声に恐らく体は感応してるんです。だからなんだろうなんだろうと気になる。言葉にして解いていかなくてもいい、理解したという証を求めなくていい。感応したまま放置すればいい。それでも読み手の中に巡るものはあるのです。
 
詩とはそういうものなんだと。いや、こういうことの繰り返しをまた一歩、進めたような気がします。もちろんちゃんと筋が通って理解できるものもある。それも詩だし、そうじゃないのも詩。頭で分かろうとしなくても体が反応していればそれは詩を読んだことになる。新たな発見です。
 
そこで。佐野元春 and The Cyote Band の『コヨーテ、海へ』。この曲は評価が高いです。佐野さん自信もフェイバリットに挙げてるし、吉増さんも取り上げていた。けど僕には分からなかった。要するに現代詩に近い感じ?何に対して「勝利あるのみ」なの?何に対して「show real」なの?ここでも僕は言葉を追いかけていたんです。でもこの曲全体から感じ入るものはあった。一言で言うと肯定かもしれない。過去、現在、未来の肯定。それらを纏った風景。「宇宙は歪んだ卵」と始まるこの曲を僕は理解しあぐねていた。でも僕の体は感応していた。
 
それにしても吉増剛造さん。現代詩の巨人が佐野元春の曲を熱心なファンのように調べて来ていた。そしてその批評が核心を突いてくる。佐野さんのなんと嬉しそうなこと。一方の佐野さん、吉増さんに対する尊敬の念が溢れていた。僕は長く佐野元春のファンをしているけれど、あのような佐野さんを僕は見たことがない。
 
日本の現代詩はとても素晴らしいです。でもあまりに難解過ぎる。そこに対してのヒントがこの番組にはあったと思います。吉増剛造のあのリーディング。何かを感じ入ったのなら、それは聞き手の体のどこかが感応したということ。それが詩です。国語の教科書のように頭で理解する必要はない。体が反応したのならそれは詩を読んだということです。
 
ただ吉増さん、もうちょっと文字、読みやすくしてくんないかな(笑)

Eテレ『SWITCHインタビュー 達人たち ~ 佐野元春×吉増剛造』感想

TV program:

『SWITCHインタビュー 達人たち ~ 佐野元春×吉増剛造』感想

 

科学を信じ過ぎではないかという声がある。勿論、非科学的な思い込みや一方通行があってはならない。けれど科学ではないところから声を持ってきてもよいのではないか。

コロナ禍の中、専門家の言葉が大きくなっている。未曾有な事件に大切なことだ。けれど一方で文学者の声を頼んでもよいのではないか、僕たちは。もう少し。

甘い戯れ言ではない。詩人の声だ。理屈の通った、理解の微振動を越えた言葉の連なり、の向こうにあるもの。吉増さんの仰る「gh」に打たれたい(嗚呼、と詩人風に、ここでも僕は分かった振りをしてはいけない)。

ということに今、随分多くの人たちが気付き始めている。隙間、零れ、句読点の谷、そうしたものが必然的に人々を助くはず。いや、そうしたものを表現する、どうやって?

もっと近くに忍び寄っておくれ。あなたの韻律を頭の回りに。脳みそに、ではなく。神秘的な言葉の「gh」を神秘的とは言わずに、そこにある物体としてそのまま受け取る。僕たちは誰彼構わず、そうしたことが出来るのではないか。という希望を。

詩は言葉ではないものをなんとか言葉で表現しようとすることだと思っていたが、言葉で表現することではなかった。

黄緑

ポエトリー:

「黄緑」

昨日には 春の嵐が来た
黄緑の 花束買いに行こう

気取ってた 似合わない 斜めに構え
気付いてた 真夜中に傷付いていた

外面ぶら下げて賑やかなお堀界隈
そっと握りしめた黄緑の花びらかわいい

勝ち気なんだ 後ろめたく
はじっこの席で 後ろ眺めたいんだよ
いい加減に いい加減にしておくれ
こんな湯加減 止めにしておくれ

手のひらの黄緑が 行けと言う
もう二度と お前たちの世話にはならないと
新しい地球の歩き方 始めます

 

初稿 2021年3月27日

プールサイド

ポエトリー:

「プールサイド」

溺れること
歪んだ理想
僕たちは水泳選手になりたかったわけではない

プールサイド
血染めのタオル
僕たちは死ぬまでに何リットルの血を流すのか

濡れる歩道に
息づかいに
よどむあなたの足取り
その足り得る武器で
波立つプールの
荒い呼吸音

大丈夫、
敵わぬはずはない!
報われぬはずはない!

 

2021年1月

Truth or Consequences / Yumi Zouma 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
Truth or Consequences(2020年)Yumi Zouma
(トゥルース・オア・コンシクエンス/ユミ・ゾウマ)
 
 
オシャレやねぇ。こういうの好きです。オレにはオシャレ感ないけど(笑)。こういうのドリーム・ポップ言うらしいです。上手いこと言うてるようでよう分からん言い回しですけど、あれですよ、囁き系の女性ボーカルにシティ・ポップなメロディー、それが浮遊感あるサウンドに包まれるっていう。んん~、それもよう分からん説明やな(笑)。ま、オシャレってことで。
 
ただまぁこの手のサウンドは好きな人多いですから、それこそ実際に取り組んでらっしゃるアマチュア・バンドもたくさんいると思うんです、なんか出来そう感もあるしね。ただ、これだけの完成度はなかなか出来るもんじゃございません。特にメロディですね。世界最強のオシャレ・バンド、フェニックスを思い起こすようなメロディもいくつかあって、そこで先ずがっしりと掴まれますね。このメロディを持ってたら浮遊感だろうが、対極なハードロッキンだろうがなんでもイケルで~。
 
加えて耳当たりがすごく良い。韻なんですけど、その踏み方というか流し方が抜群ですね。あと言葉の切り方ですか、例えば#3『Southwark』のサビですけど、「Oh and I am imperfectly yours」って繰り返すんですけどここを「Oh and I am imper」と単語の途中で一回切って「fectly yours」って続けるとこなんてオシャレそのもの。つーか「Oh and I am」って言い回しもオシャレやないかい。ここに一拍ずれたようなコーラスがこれまた囁きボイスで被さってくるっていう、どんだけオシャレやねん!こーゆーのが全編流れてますから、もう盤石ですね。
 
ところでこのバンド、昔タワレコで手書きポップに惹かれて視聴した記憶がありまして、それは多分デビュー作だったと思うんですけど、聴いていいなとは思ったんです。ただそれ以上のものはなかった。要するにまだ雰囲気に勝るものがなかったんですね。でも名前は記憶に残った。そして2020年の年間ベスト、なんの媒体だったか忘れたけどそこそこよい順位で載っていた。あぁ、あのバンドじゃないかと。で聴いてみたら、すごく良かった。バンドとしての音像が完成してるじゃないですか。こうなりゃ強い、しばらくは良い作品を出し続けるんじゃないかと思います。
 
製作の方ですが、連中はニュージーランド出身ですが、リモートで作っています。それもコロナだからというんじゃなくて、メンバーがロンドンとかニューヨークとか別々に暮らしているから前々からそういうスタイルだったと。2020年はリモートで作られた作品が数多くありましたけど、彼女たちはとっくにリモートでやり込んでいてそういうスキルもちゃんと磨いてきているわけです。だからか分からないですけど、聴いててやっぱちゃんとバンド感がある。個々ではなくバンドとしての音が飛び込んでくる。そういう仕組みのそういうバンドで、なんか雰囲気も独特な感じはあります。
 
しかしまぁ、フェニックスとかThe1975とかオシャレ・バンドめっちゃ好きやなオレ。最近じゃThe Japanese House とかもそおやし。そのオシャレ感、オレにも分けてくれや~。

映画『すばらしき世界』(2021年) 感想

フィルム・レビュー:

『すばらしき世界』(2021年)

 

映画は当初、原作どおり『身分帳』というタイトルのまま行く予定だったらしい。ところが撮影が進んでいくうちに、思うところがあって西川美和監督は『すばらしき世界』というタイトルに変えたそうだ。
 
何故だろうか。監督は今までオリジナルの脚本でしか映画を作ってこなかった。けれど今回は『身分帳』という原作に出会って映画化しようと考えた。それは当然のことながら、ストーリーのみならず主人公にも魅力を感じたからであろう。そして撮影が進むにつれ、紙面でしか存在しなかった主人公がリアルな魅力を放ち始める。しかも演じるのは役所広司。生身の三上がそこにいるのである。
 
映画の後半では三上の就職祝いパーティーが開かれる。彼を支援してきた心暖かい友人たちは口々に言う。「もっと自分を大切に」、「辛抱することも大事」、「我慢できないときはここにいる私たちを思い出して」と。三上は頭を垂れてもう二度と短気は起こさないと誓うが、最も近くで三上を見てきた津乃田は複雑な思いだ。映画を観ている側の我々も答えのない疑問に迷い込む。こうやって三上が ‘丸くなる’ ことを望んでそれでよいのだろうか。「善良な市民がリンチにおうとっても見過ごすのがご立派な人生ですか!」と激しく苛立った三上を消し去ってよいのだろうか。
 
当初は三上の生き方を相容れなかった津乃田はしかし、三上と長い時間を共有することで彼の人間的魅力に惹かれていく。そしてそれは自身を見直す契機にもなる。三上に最も近い観察者である津乃田はすなわち映画を観ている我々でもある。そして津乃田や僕たちをそう導いているのは西川美和監督に他ならない。けれど監督にそう思わせたのは三上であるという循環。
 
僕たちはそこにいなかったがそこにいた。そして三上という人物に触れた。原作『身分帳』は乾いた筆致が魅力であるけれど、三上を或いは彼を取り巻く世界を知った以上、もうそれを『身分帳』という ‘乾いた物’ で言い表すことはふさわしくない、監督がそう考えてもおかしくないのではないか。 生身の人間が行き交う世界、それを西川美和監督は『すばらしき世界』とした。そしてそれは′ご立派な人生’ を歩む僕たちの世界をも含んでいる。
 
監督はこれまでオリジナルの脚本でしか映画を撮らなかったが、今回初めて原作のある話の映画化に取り組んだ。そして原作とは異なる視点を持ち込んだ。意味を限定する固有名詞である『身分帳』から意味を規定しない『すばらしき世界』へ。今となってはこれ以上のタイトルは考えられない。

備忘録

その他雑感:
 
 
 
その日、大阪市内にある会社でパソコンの画面を見つめていると、何か画面が揺れているような感覚になった。最初は気のせいかと思っていたのだが、だんだんと軽い車酔いをしてるような気分になり、あれ、オレなんか調子悪い?眩暈でもしてるのか?と思い始めた。まるで液状化現象のような、何か柔らかいものがゆっくりと動いているような感覚だった。
 
ほどなく誰ともなく、俺も、私も、と同じような感覚を口にする人たちが現れ、僕たちのフロアは1階だったので、すぐ隣の駐車場へ、「地震かな?」とか「地震とはちょっと違うよな」とか言いながらパラパラと外へ出始めた。 同僚としばらくそこで話をしていたが、特に何も起きる気配はなかったので、僕たちは事務所に戻って仕事を再開した。けれど柔らかいものの上に乗っているような感覚が完全に体から抜け切れたかどうかは判然としなかった。
 
デスクに戻り、ヤフーニュースをチェックすると、確か「宮城県沖で地震発生」との速報のみが表示されていたと記憶している。しかし、先ほど体験した感覚は僕の知っている地震とは違ったし、何より宮城県の地震がここまで影響を及ぼすとは考えにくかったので、この二つを結びつけることはなかった。未曾有の災害が起きたと知ったのは、家へ帰ってテレビを付けてからだった。
 
僕は大阪に住んでいて被害は受けていないが、毎年3月11日になれば、あの日、自分は何をしていたかを思い出している。特に意味はないが、このことはこれからも続けていくだろう。

『すばらしき世界』(2021年) 雑感 その2

フィルム・レビュー:

『すばらしき世界』(2021年) 雑感 その2

※以下、ネタバレありですのでご注意ください。

 

前回の投稿では感想と言いながらちょっと映画とはかけ離れてしまった感かあるのでここで改めて。というよりやっぱり思うところが沢山出てくる映画でなんです、なんか気づいたら考えてるっていう。だから『すばらしき世界』というタイトルはホント奥行きのあるタイトルだなと、原作は『身分帳』という小説なんですけど(早速、買いました)、よくぞこのタイトルに変えたなぁと思います。

映画は人生の大半を少年院や刑務所で過ごした男が社会に復帰するもののうまく馴染めないというところを人と人との関係においてどうなっていくのかというのが主なストーリーにはなっているんですが、男の苦悩が合わせ鏡のように僕たちに返ってくるんですね。つまり主人公は弱いものが責められているのをほっとけないし、間違ったことを見過ごすことは出来ない。一方僕たちはホントは正しいと思えることでもそ知らぬフリをしたり、えっ、気づかなかった、みたいなズルい生き方をしていることが往々にしてある。もちろん正義のつもりでも相手を半殺しにする主人公はよくない。でもお前はどうなんだって。

映画のラスト近くで主人公は介護施設に職を見つける。そこで若い同僚が同じく同僚の障害者をあいつはホントに出来ねぇと言ってイヤなものまねをするんです。で映画を観ている僕は思うわけです。以前と比べて世間と折り合いを付けれるようになった主人公はこれまでのような暴力ではなく、違うやり方で若い同僚を戒めるはずだって、いや戒めて欲しいと。でもそれって勝手な話ですよね。主人公に対して散々世間ともう少しうまくやりなさいと言い続けてきたくせに、いざとなりゃ自分のことは棚に上げ、主人公に本来の正義感を発揮していさめて欲しい、ギャフンと言わせて欲しいと願う。なんて勝手な話だと思う。そういう風にして色々なことが観ているこっちにそのまんま返ってくる、そんな映画だと思います。

2018年度の犯罪白書によると、2017年の検挙者のうち再犯者は48.7%。受刑者の約半数が再犯者になっています。加えて2017年の再犯者の72.2%が逮捕時には無職でした。しかし何も好き好んで無職になったわけでありません。僕たちの側(と言ってしまうこともどうかと思いますが)にも大きな問題があるのです。

介護施設で働く主人公は素性を隠して生きています。自分に嘘がつけない主人公が自分に嘘をついて生きている。本来であれはちゃんと刑期を終えたわけですから元受刑者であったことを隠さなくてもよいわけです。けれど隠さざるを得ない。映画のクライマックスで主人公は同僚の障害者から花をプレゼントしてもらいます。その瞬間、二人は裸の魂の交感をする。その刹那、主人公は恐らく同じものを相手に見たんですね。とてもエモーショナルで美しい場面でした。

主人公は自分に嘘が付けない。一方僕たちは毎日小さな嘘をついている。主人公は心の声に従い暴力を用いてそれを正そうとする。それは良くない。けれど僕たちは見なかったフリをしてその場を立ち去る。何が正しくて何が間違っているのか。だんだん分からなくなってくる。でもそれは簡単に答えが出せるものではないし、むしろ答えなどないのかもしれない。『すばらしき世界』とはなんなのか。正しさとはなんなのか。これは観たものにそんな問いを残し続ける映画なんだと思います。

最後に、役所広司さんをはじめ皆さん本当に素晴らしいかったです。役所広司ではなく三上さんがそこにいました。主要人物だけでなく、街のチンピラやソープ嬢といった少ししか登場しない人たちにも本当にそこにいるようなリアリティーがありました。素晴らしい作品です。映画館で観て本当によかったと思います。

『すばらしき世界』(2021年) 雑感 その1

フィルム・レビュー:

『すばらしき世界』(2021年) 雑感 その1

 

映画を観た後、友達と会う約束をしていて、コロナだからホント久しぶりで、その時にまぁ久しぶりだからか随分と真面目な話もしたんですけど、その時の話の流れで、僕には小学生時代からの友人がいて、もう色々と知った仲ではあるんだけど、そういう人たちとも何かのきっかけでもう二度と会わなくなるなんてこともあり得るんだという話をしまして。もちろん大切だし彼らがいなくなったら僕は声をあげて泣くかもしれないけど、人と人との間というのは何が起きるか分からないし、だからと言って人と人との関係に絶望している訳ではないし諦めている訳ではないし、そこは信じている、ただそういうこともひっくるめて人間関係なんじゃないかなというような話をしたんです。

映画は最後に思いがけない終わり方をして、終わり方が思いがけないというのもあって、映画のタイトル『すばらしき世界』が僕には大きな壁として立ち上がったんです。で、映画を観終わった後もずっとあのタイトルはどういう意味だったんだろうと考えていました。それでその後友達とたまたまそういう話をして、その時はもちろん映画のことなどすっかり忘れていたんですけど、今になってあぁそうか、『すばらしき世界』というのはそういうことも含まれているのかもしれないなって、不思議となんか繋がったんです。

また一人の帰り道。これも唐突な話ですけど、何年か前に樹木希林さんが日曜美術館で、その時の回は北大路魯山人の話だったんですけど、魯山人には彼のことを理解してしくれる人がいた、で、司会者は樹木さんに「樹木さんには分かり合えるひとはいますか」というような質問をしたんです。その時に樹木さんは「人に期待してもらっては困ります」なんて返したんですね。当時僕はそれを聞いて涙が出そうになったんですけど、そのことを帰り道で不意に思い出した。樹木さんも恐らく人に対してたかを括ったり諦めていたということではないと思うんです。樹木さんは愛情をこめてそれを仰った。だからこそ僕は胸が熱くなったんだと思います。そこもなんかこの映画から呼び起こされた記憶なのかなっていう気がしています。