Eテレ SWITCHインタビュー達人達「ブレイディみかこ×鴻上尚史」感想

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Eテレ SWITCHインタビュー達人達「ブレイディみかこ×鴻上尚史」感想

 

現場を知らないといかんということですよね。今回の新型コロナにしたってPCR検査数を増やせ増やせという声が聞こえるけど、冗談じゃない、今でさえ手一杯なのに、という現場の検査員のTwitterもありましたし。

いくら賢い人がパソコンでガチャガチャやったところでそれは検討違いの国際貢献にしかならんということをペシャワール会の中村哲さんも口を酸っぱくして仰っていました。

ブレイディみかこさんさんの「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」が多くの人に読まれているのもそこでちゃん生活している人の直の声を聞きたいという気持ちが我々の中にあるからだと思います。

ブレイディさんの話で印象的だったのが子供の環境の話。子供の人格や能力は育つ環境による影響が大きい。しかし今の世の中、特にイギリスでは親の資本(経済力だけでなく)によって予めそれが限定されてしまっているとのこと。僕も子供に対しては親の遺伝子なんかよりその環境の方が断然大事だと思っているので、ブレイディさんの話はとてもよく分かるものでした。

ブレイディさんの対談の相手は鴻上尚史さん。鴻上さん、バシッと言い切ります。気持ちは伝わらないと。これ、高校生との演劇ワークショップの時の映像で出た言葉ですね。気持ちを込めても伝わんないよ、伝えるには技術が必要だよと。

つまりその役の気持ち、どういう気持ちなんだろうかとよく考えようということなんですね。ここでは役の気持ちですけど、要は相手の気持ちを考えるということです。

そこで思い出したのは司馬遼太郎さんの「21世紀を生きる君たちへ」の中の一節。相手の気持ちを考えるというのは思いやりの事。でも残念ながらこれは人が生まれながらに持っている性質ではない。だから思いやりというのは訓練して身に付けなければならない。そう司馬さんは仰っています。そうですね、自発的に身に付ける努力をしないといけない、僕もそう思います。

また日本的な根性や気合いといった気持ちを重視する考え方に懐疑的な点もお二人に共通するところですね。以心伝心という言葉があるけれど、そんなものは頼りになりません。気持ちで何とかなるということではなく、自分の気持ち、相手の気持ちを考える、相手の立場になって考えることが大切なんだと思います。

そういや鴻上さんは面白いことを仰っていました。コミュニケーション能力が高い人というのは皆と仲良くするのが上手い人というイメージがあるけれど、実はそういうことではなく上手くいかない時に対話でもって解決する方向へ導ける人のことを言うのだと。これは僕にとっても新しい視点でした。単に人懐っこい人のことを言うのではないのですね。

ブレイディさんによるとイギリスでは演劇が学校のカリキュラムに組み込まれているとのこと。これはスゴく大事なことで、さっき言った相手の気持ちを考えるということに凄く役立つ。例えば演劇であってもいじめらる役というのはものすごくつらいんだと。この点、鴻上さんは演劇に携わるものとして教育に演劇を取り入れしましょうということをずっと言い続けているらしいです。

実際に演劇が教育のカリキュラムに組み込まれるとしたらえらい大学の教授とか専門家がいつもの精査をするんでしょうけど、そこもやっぱり最初の話じゃないですけど、現場の声をね、それもちょっとこっち来て聞かせろっていうんじゃなく、鴻上さんのように実際そういう活動をしている人、もちろん現場の先生の話を足を使ってよく聞かないとそれも机上の空論ということになるのだと思います。

お二人とも話すことが沢山あってしかたがないという印象でした。それに想像力に対する信用度が大きい。ここも共通しているように思いました。そうですね、想像力は人間が持つ最大の力ですから、そこを簡単に手放してはいけない。物事を簡単にスワイプするのではなく、ちゃんと想像して考えたい、そう思いました。

Eテレ 日曜美術館「写真家ソール・ライター いつもの毎日でみつけた宝物」感想

アート・シーン:

Eテレ 日曜美術館「写真家ソール・ライター いつもの毎日でみつけた宝物」感想

今、一部の若い人たちの間でソール・ライター風の写真をSNSに上げることが流行っているとのこと。確かに、お洒落で且つ誰にも撮れそうな写真だ。誰にでも手が届きそうな距離感。つまりそれがポップ・アートということ。

ソール・ライターは有名ファッション誌の一流カメラマンとして名を馳せるが、ある撮影現場での外野の、すなわちスポンサーの「あー撮れ」「こー撮れ」という声にうんざりして、カメラを置きその場を立ち去った。

その後は一転、安定した収入もなく、友人に助けられながらの生計。セレブなステータスを得ながらも自分のやりたいことを貫いたソール・ライターの生き方。若い人たちはそこにも大きな魅力を感じているらしい。

ゲストの俳優、須藤蓮さんはその若い人々の気持ちを代弁するようにソール・ライターの魅力を論じていた。その気持ちは分かる。けれど一方でそれが先に来てはいけないよ、という軽い気持ちがないでもない。

須藤さんの興奮をクール・ダウンするように写真評論家の飯沢耕太郎さんは、「それもあるけど、先ず作品として素晴らしい」といったような趣旨の発言をされていた。

作家の個性、その人となりを愛することも良し。けれど作品そのものの評価は別個として考えたい。それが作家への、或いは作品への敬意だと思います。場合によってはこれはちょっと好きじゃないなって言える視点は持っておきたい。

そんなつまらない理屈をこねているから中年は駄目なのかもしれないですけど(笑)。

ソール・ライター展は東京で開催された後、春には京都へやって来ます。分かったようなことをぬかしておりますが、実物を見て素直に撃たれたいと思います(笑)。

Eテレ100de名著『力なき者たちの力~ヴァーツラフ・ハヴェル』第1回目 感想

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Eテレ100de名著『力なき者たちの力~ヴァーツラフ・ハヴェル』第1回目 感想

第1回目はイデオロギーの話。何気ないスローガンを何気ないものとして掲げているうちに、それがさも大事な事のようになっていく。そして人々はスローガンを受け入れることを互いに牽制し合うようになる。

ハヴェルはポスト全体主義には消費社会の特性があるとも指摘。我々は良心とか責任といった倫理的なものと引き換えに物質的な安定を優先してしまう。同調圧力。本当のことがあったとしても言えなくなってしまい、それは連鎖していくとのこと。

これ、僕としても一企業に勤める会社員として身につまされる言葉だ。

第1回目の放送を見ていてふと思ったのが東京オリンピック。そうしたら司会の伊集院光が言いずらそうに「東京オリンピックってホントにいるのかなってまだ思ってる」と発言した。

ハヴェルが本の中で訴えていることが今の日本にも、もちろん日本だけではないけれど、今現在も進行中だということを忘れてはいけない。

NHK『平成万葉集』感想

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「平成万葉集」感想

昨年の師走にNHKで放送されていた「平成万葉集(再放送)」。今まであまり短歌に馴染みが無かったのですが、番組を見て心が揺さぶられるのを感じました。

それは書き手の生々しい声があって、言うなれば血の通った言葉だったからなんですね。切ればザクッと血の出るような生きた人間の生きた言葉。番組で紹介された句はプロの方のものもあれば素人の方のものもある。でも問題はそこではないんですね。

番組は「ふるさと」、「男と女」、「この国に生きる」というテーマで3回に分けて放送されました。その最後の「この国に生きる」で語られた’短歌は心の底荷(バラスト)’という言葉が心に残りました。

バラストとは船底に積んで、船を安定させるための重量物のことです。番組で紹介された人々は皆それぞれの思いを胸に短歌を書いてきました。つらい体験。悲しい出来事。どうにもならない現実。それらを短歌にすることでなんとか命を繋いでゆくことが出来たという方も一人や二人ではありません。

これは僕の想像でしかありませんけど、恐らくどんな状況であってもよい短歌が出来ると嬉しいんですね。出来た、とその一瞬だけでも心が軽くなる。たとえつらい事に端を発した短歌であっても、瞬間出来た喜びに満たされる。その小さな喜びの積み重ねが、もしかしたら自分自身を癒す効果があったのではないか。そんな風に思います。

番組を見た後、お正月を迎えた僕は友人たちと久しぶりに地元を散策する機会がありました。僕は紙と鉛筆を用意し、彼らと一緒に歩きながら短歌を詠み合うという遊びを試みました。

友人たちは僕の提案にのってくれました。皆で短歌を作りながら昔懐かしい町を歩く。皆楽しんでくれたと思います。案外、短歌って身近なものかもしれないですね。

Eテレ『日曜美術館 秋野亥佐牟 辺境の向こう側を見た男』感想

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Eテレ『日曜美術館 秋野亥佐牟 辺境の向こう側を見た男』感想

 

勿論上手い下手はあると思うけど、前に出てくるのは描く人のエネルギーなんだと。絵を描くということ、そこの突端に全エネルギーを集中して描く。絵を見て圧倒されるのはやっぱり作者のエネルギーだ。

秋野亥佐牟(アキノイサム)さんはただ絵を描くのが得意なだけではなく、生きていくエネルギーに溢れた人で、世界中を旅したり石垣島で暮らしたりと、サバイバルしていく生活力にも長けた人。単純に体力がすさまじい。

若い頃はそのエネルギーを持てあまして、学生運動とか命を落としてもおかしくないところまでいったようだけど、ただそのエネルギーの持っていく先を見つけた、そのきっかけが日本画家でもあった母親であったというのは感動的だ。

その母とのインドへの旅で秋野亥佐牟さんは生きる道を見出だす訳だけど、それは人本来の生き方をするというもので、でその先に絵というものがあったということ。

ここはやはり天与の才というか、芸大に入って中退してっていうことがさらっと述べられていて、下地として既に絵を描く能力が備わっていた、加えて両親が著名な画家で経済的なあれこれを考える必要がなかったというのも大きいだろうし、こんなことを言うと身も蓋もないけど、生活を先ず考えなくても良かった、その前にやりたいことを出来る環境が才能も含めてあったということは事実だろうし、勿論その前提として人間力というか秋野亥佐牟さん自身の生きる力、圧倒的な前への推進力とポジティビティがあったんだと思う。

今もそのまま残されたアトリエには200を超える未発表作があって、膨大な文章も残しているし、何より腕が走って仕方がないというような作品の数々。溢れ出して仕方がないというような想像力があって、やはりこの人の体の中にはマグマのようなエネルギーが沸き立っていたんだなと思います。

番組に登場された奥さんやご子息、義妹さんたちの清々しさや聡明さを見ていると、その向こうに秋野亥佐牟さんが見えるような、息せききって旅をして、石垣島で海人になって、なったはいいものの魚を獲ることは二の次でそれでも地元の海人に愛されて、自分で建てた家のアトリエで静かに絵を描いている秋野亥佐牟さんがいるような、そんな気がしました。

兵庫県上郡町やたつの市へいつか訪れてみたいと思いました。

『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』 第32回「独裁者」 感想

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『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』 第32回「独裁者」 感想

 

とその前に前回の第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」についてひと言。ロサンジェルス・オリンピック編ではサイドストーリーとして日系人や人種差別のエピソードも盛り込まれていました。前回の最後に虐げられてきた日系人が歓喜の声を挙げる場面があるのですが、彼らは口々に「アイ アム ジャパニーズアメリカン!」と叫びます。

このジャパニーズアメリカンというのが良かったですね。日本人ではなくジャパニーズアメリカン。よく聞き取れませんでしたが日系人でない人も「~アメリカン!」と叫んでました。彼彼女らのアイデンティティーはそこなんです。

今移民の話題が時折出てきますし、日本にもこれから多くの移民がやってくる訳ですが、そうした問題を日系人として、我々と繋がる世界史へと引き寄せて物語る手法は粋だなと思いましたし、ロサンジェルス・オリンピック編のクライマックスを大活躍をした日本選手団ではなく、それまでのサイドストーリーであった移民の人々で終わらせるところもお見事でした。

さて、第32回「独裁者」です。大活躍をしたロサンジェルス・オリンピックから帰国した日本代表の面々。賛辞の声を浴びる中、東京オリンピックを日本に招致しようとした発起人の東京、永田市長が200メートル女子平泳ぎで銀メダルを獲得した前畑秀子に対し、「なぜ金メダルではなかったか」と心無い言葉を吐いてしまいます。その場に偶然通りがかった我らがカッパのまーちゃんはそんな永田市長に対し怒りの言葉を発するも、まーちゃん以上にブチ切れたのが2代目体協会長の岸清一。

岸は当初、大言壮語な嘉納治五郎を冷ややかに見るどちらかというとスポーツに多くを期待しない事務方として登場しますが、回を及ぶ毎にスポーツの力に魅せられ今や嘉納のよき理解者として日本スポーツ界を牽引しています。今回は岸清一にスポットが当たった回でもありました。

そんな岸を演じるのが岩松了さん。実物とそっくりです(笑)。『いだてん』の魅力の一つは個性豊かな俳優陣。テレビドラマというのはどうしても出演者が限られてくるというか、既に見知った方に占められてしまうケースが多いんですね。最近は俳優もバラエティー番組によく出ますから、どうしても登場人物の誰それ、ではなくその俳優としか見えなくなってしまう。なので僕としてはあまりテレビドラマには入り込めないのですが、『いだてん』の場合は先ず第一部の主役からしてよく知りませんでしたからね(笑)。

そりゃ中村勘九郎って名前ぐらいは知ってますけど、実際はどんな役者かはよく知らない。出演者の多くも脚本がクドカンですからそっち方面の方が沢山いて、僕はあまり演劇界に詳しくないから見ているだけで新鮮で登場人物を先入観なしに見れるんです。これはやっぱり大きいです。最近はもう『いだてん』の世界に入り込んで、あの役所広司でさえ嘉納治五郎にしか見えなくなってきました(笑)。

ところで我らがカッパのまーちゃんもここに来て大分変ってきました。当初は「勝たなきゃどうする?」、「参加することに意味がある?ないない、そんなもん」という立場でしたが、ロサンジェルス・オリンピックを経由して随分と考えが変わったようです。ていうか、もともと本音はそこにあったんでしょうか。

面白いのはそうしてまーちゃんがスポーツは楽しむもんだよと、いつの間にか嘉納治五郎化していくのに対し、最初はスポーツに冷ややかだった世間が少しづつ勝利至上主義になっていくところですね。つまりまーちゃんは一歩も二歩も先を走ってるんです。夢中になればなるほど先に行く。まさしく「いだてん」。当然、嘉納治五郎しかりです。

今回のクライマックスは東京オリンピック招致が困難な中、これからどうすべきかを体協で話し合っている場面。「お前の意見はないのか」と振られたまーちゃんがまくしたてる場面です。一部を書き起こします。

「誰の為のオリンピックかって話じゃんねー。ムッソリーニもヒトラーもいないんだから日本には。嘉納治五郎はいるけどね」

「何期待してんの?オリンピックに。ただのお祭りですよ。走って泳いで騒いでそれでおしまい。平和だよねー。政治がどうの軍がどうの国がどうの。違う違う違うっ、簡単に考えましょうよ。ローマには勝てない。じゃあどうします?戦わず勝つ嘉納さん」

そーいうことです。「誰の為のオリンピックか」。見事な発言だと思いました。

「いだてん」第22回 ヴィーナスの誕生 感想

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「いだてん」 第22回 ヴィーナスの誕生 感想

 

先日電車に乗っていたら、大阪駅で前に立っていた旅行者が「次降りる方がよか」「降りるばい」と言っていたのを聞いてわたくし、「リアル熊本弁や!」と心中大阪弁で興奮した覚えがございます。個人的には昨年の「じゃっどん、ほなこつ」より「よかですばい!」の方が明るくていいですね。ま、言い方によるか。

先々週の第20回「恋の片道切符」で金栗四三のオリンピックを巡る物語は一旦終了。先週の「櫻の園」からは急転直下、四三の女子スポーツ普及にまつわる話にひとっ跳びです。この変わり身の早さ、いいですねぇ。その第21回「櫻の園」。廃墟のベルリン女子の「くそったれ!」で始まり、黎明日本体育女子の「くそったれ!」で終わるという本大河屈指の痛快回でございましたが、今回の第22回も名場面続出の素晴らしい回となりました。

出だしは志ん生こと若き日の美濃部孝蔵。変名を繰り返した志ん生ですがこん時の名前はなんだったか。ようやく真打ちに昇進したものの相変わらずの放蕩三昧。見かねた小梅が孝ちゃんに無理くり見合いをさせます。で、その相手がちょいといいとこのお嬢さん、かどうかは怪しいりん。ちなみに後年のりんを演じているのが中尾彬の「おい、志乃」でお馴染みの池波志乃さんで、志乃さんは本物の志ん生の長男、金原亭馬生の娘ですから志ん生直系の孫娘様なのです。ってそんなこと知ってるって?

前回、東京府立第二高等女学校に着任した金栗四三。女子スポーツの普及に四苦八苦していたいだてんですが、もうすっかり打ち解けて思う存分女子スポーツの普及にいそしんでいます。と話しは進み、四三先生の生徒の興味はもっぱらテニス!てことではるばる岡山へテニスの遠征へ行きます。そこで出会ったのが後に日本女子オリンピアン第1号となる人見絹枝。その人見に四三の生徒たちはコテンパンにやられます。

が、人見の有り余るスポーツの才能にほれ込んだ同行していたシマ先生、人見に向かって、日本陸上界の第一人者である四三の元へ来てはどうかと熱心に口説きます。最初は渋っていた人見もシマの熱意にほだされ、四三に脚の状態を見せることになる。裾を上げて脚を出そうとする人見に四三は「いやいや、見せんでよか。触れば分かる」と人見の脚にふれようとした刹那、人見は我に返り四三にハイキック!うずくまる四三を横目にスタコラと人見は去っていく…。

この時の描写、良かったですね。人見のハイキックはスローモーションとなり、ワイヤーアクションのように四三が吹っ飛ぶ。人見さん、まるでマトリックスのトリニティー!!で、映像おもしれぇーってなるところで同時に我々視聴者は人見のシャンな(=美しい)ハイキックにとつけむにゃあ運動能力を視覚的に理解するわけです。こりゃ確かに触らんでも分かるなと。

東京へ戻った四三一同は日本初の女子による運動競技会を開催します。ところが第二高等女学校のエース村田富江は新調したスパイクが足に合わない。ってことでその場で黒のハイソックスを脱いでしまいます。なんせ女子は肌を見せちゃいかんという時代ですから、先生、生徒、日本初の女子運動競技会の取材に来ていた記者などなど、競技場全体がどよめく事態となります。が、当の村田は素知らぬ顔、最初は戸惑いの表情を見せた四三も大きくうなずき、見事村田は優勝をかっさらっていきます。

しかし女性が脚を出して走り回ったということが新聞紙上に踊り、大問題に。しまいにゃ、村田の写真が卑猥な写真として露店で売られる始末。それを売ってるのが美川ですよ。忘れたころに出てきますよねぇ美川くん。スヤには本当に忘れられていましたが、我々も本当に忘れそう。でもね、多分ですよ、この美川って人はやっぱ我々なんですよ。同じ遊び人の孝蔵は憎めないのに、美川が憎たらしいのは、そこに自分自身を見るからです。胸に手を当てると誰だって美川くん的な一つや二つあるわけです。そういう現代人っぽい普通の人、ちょっと露悪的に描かれていますが、美川は我々なんだと思います。

で間の悪いことにその写真が村田の父親の知るところになってしまい、父親は第二高等女学校へ怒鳴り込んできます。女子が脚を出すとは何事か。こんなことをしてどう責任を取るんだ。だいたい女子にスポーツをさせるなどと…。最初は殊勝に聞いていた四三先生ですがここで遂にブチ切れます。

「なぜ、女が悪かとですか!」、「それは君、好奇の目にさらされる」、「それは男が悪か!女子が靴下履くのではなく、男が目隠ししたらどぎゃんですか!!」。もういだてん屈指の名場面でしたね。物語中、ここまで四三が怒ったのは初めてじゃないですか。この言葉の力、これほど四三がリアルに感じられたのは初めてでした。「いだてん」では2019年現在に投げかけられたような言葉が随所に見られますが、今回のこの言葉は正にそうでなかったか。それぐらい魂のこもった声でした。

物語の最後、学校をクビになった四三先生を辞めさすまいと女生徒たちが教室に立てこもります。一歩も引くそぶりを見せない女生徒たちに、遂に四三が動き出す。さて、どうなる!ってとこで続きは次回へ。ん?次回はいだてん、金八先生になる、か?!

Eテレ『SWITCHインタビュー 達人たち』2019年6月8日放送 奥田民生×リオ・コーエン 感想

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Eテレ『SWITCHインタビュー 達人たち』2019年6月8日放送回 奥田民生×リオ・コーエン

2名のゲストが交代してインタビューをし合うEテレ『SWITCHインタビュー 達人たち』。2019年6月8日の放送回では、ミュージシャンの奥田民生とYouTube音楽部門の総責任者リオ・コーエンが対談した。

日本でもそうだが海外では完全にストリーミングが中心。若い子のほとんどはもうCDなんて買わないそうだ。そりゃ月々1000円程度で音楽が聴き放題ならそっちがいいに決まっている。一方、アナログ盤、レコードの売上は右肩上がり。より本格的に音楽を聴きたい連中はレコードを聴くのだという。

リオ・コーエンもCDプレーヤーは持っていないそうだ。じっくり聴くときはアナログ盤。だから来日した時に色々な方がCDをくれるんだけど実は聴けないんだと笑いながら話していた。

番組を観ていて思ったのは、二人とも何も特別なことを言っていないということ。根底に流れるのは音楽とそれを作る人と聴く人双方へのリスペクト。

例えば奥田民生からリオ・コーエンへの質問。「レコード会社は要らないですか?」。リオ・コーエンは言う。「80年代と同じことをするのならレコード会社は要らない」と。

これからの音楽の流通においては。奥田民生は言う。「こちらからは選べないから全て出す」。リオ・コーエンは大きく頷き、CD、レコード、音楽配信。音楽を聴きたいと思う人に、聴き手が望む形でちゃんと聴けるようにするべきだと。

音楽の流通形態がこの10年で大きく変わったように、この先10年ももっと早いスピードで変わり続けるだろう。しかし大事なのは音楽家と聴き手両方に対する敬意。作る側と聴く側にもっとも利益(お金という意味だけではなく)がもたらされるべきだという、ごく当たり前の態度ではないだろうか。

リオ・コーエンはYouTubeの機能について不満があるそうだ。現在のような聴き手の好みに応じていく形ではなく、レコード店に行ったときに目当てのミュージシャンだけでなく他のミュージシャンに目移りをしてしまうような、良い音楽とそれを求めている人との偶然の出会いがあればいい。YouTubeをそんな未知の音楽との出会いの場していきたいと語っていた。

僕はCDを買う派だ。歌詞や対訳を読みたいから。だからストリーミングでも対訳が読めれぱ僕はストリーミングを選ぶかもしれない。ただ今はやっぱりCDを買うことがそのミュージシャンへのサポートになるかもしれないという気持ちが大きいいかな。ストリーミングはどういうシステムだかよく分からないし。

聴き手のわがままを言わせてもらえば、選択肢は沢山あった方がいいけど僕の好きな音楽家の収入が減って、彼らが思うように音楽が作れなくなるのは一番困る。だから結局は音楽の作り手にちゃんと正当な利益が還元される仕組みが絶対に必要。音楽を作らない、音楽を聴かない商売人に音楽配信の世界を牛耳られてはいけないのだ。

僕がこの番組を観て思ったこと。音楽配信の最大手であるYouTubeのトップにリオ・コーエンのような人がいて本当に良かった。日本を代表する音楽家の根本の考えが僕たち聴き手と同じ方向を向いていることを知れて良かった。この番組を観て僕は音楽の未来に対し、明るい気分になりました。

いやいや「いだてん」は面白い!

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いやいや「いだてん」は面白い!

 

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の視聴率が低調らしいが、いやいやかなり面白いぞ。ということで唐突ですが、先日の第20回「恋の片道切符」の感想です。はは~ん、そういうことやったのねと思っていただければ幸いです。

とその前に。このドラマが始まる前、天の邪鬼な私としては、「けっ、2020年東京オリンピックのプロパガンダかいっ」と思っていました。が実は実は大間違い。プロパガンダどころかちゃっかりスポーツはこうでなくっちゃっていう批評が盛り込まれているんです。

例えば、満を持して出場したアントワープ・オリンピックでは、テニスで日本初の銀メダルを獲得するものの金栗四三始めその他の競技は完敗。帰国後の記者会見で記者から選手団が集中攻撃を受ける中、二階堂トクヨはこう言い放ちます。「オリンピック最優先の体制を改めない限り、わが国の体育の向上はない!」と。これ完全に今の日本に対して言ってますよね(笑)。

あと嘉納治五郎が欧米との実力の差にこう呟きます。「重要なのは50年後、100年後の…」。視聴者はこれまでの嘉納治五郎のイケイケぶりを観てますから、きっとこの後のセリフは、「50年後、100年後の日本選手が欧米人と対等に、いやそれ以上に戦えるよう」みたいなことを言うのかと想像します。ところがです、嘉納治五郎は満面の笑みでこう言うんです。「50年後、100年後の選手たちが、運動やスポーツを楽しんでくれていたら、我々としては嬉しいよね」と。

この場面の嘉納先生は神々しかった~(笑)。それまでは女子はスポーツしては駄目なんですかと訴えるシマに対しても、全く理解を見せるところが無かったあの嘉納治五郎がここでは打って変わってこういうセリフを吐く。なんか嘉納治五郎が一気に開花したような錯覚を覚えました(笑)。

シマは女子がスポーツなんかするもんじゃないと言われながらもこっそりと朝早く起きて、マラソンの練習に励んでおります。そこへ四三の朝練とかち合います。そしてその邂逅と四三がオリンピック後の放浪中にベルリンで観た景色、女子が当たり前のようにスポーツをする景色を見て四三は天啓を得るわけですが、ここでシマとの邂逅が繋がるわけです。

そのシマ。今回の話では彼女の「キエーッ!!」というシャウトが聞けます。そうです。四三の持ちネタですね。四三が素っ裸で水浴びをして「キエーッ!!」と叫ぶ。もう「いだてん」の定番です。ところが最近はその四三の「キエーッ!!」の回数が減ってきた。そこで今回はシマが初の「キエーッ!!」。次週の予告編ではシマが何度もシャウトする姿が描かれています。しかも四三は女学校の教師!?

つまり第21回、ここから四三の精神がシマへ受け継がれることを意味するのです。密かな主役交代と言っていいんじゃないでしょうか。日本人初のオリンピアン、金栗四三から女子体育の夜明けを担うシマへのバトンタッチ。私はそういう風に受け取りました。

この点、先のトクヨさんの発言や嘉納先生の発言と被って来ません?つまりそういうことなんです。勝利至上主義やメダルを何個獲ったとかではなく、市井の人々が等しくスポーツを楽しめることこそが本来のスポーツではないかと。金メダル、金メダルと念仏のように唱えていた四三もまたここで鮮やかに開花するのです。

私は芸術というのはすべからく批評の精神が宿っていると思っているんですね。たかが日曜夜の大河ドラマにそんな大層な理屈付けるんじゃないよと言われるかもしれませんが、これはやっぱり芸術なんだと。制作者一同もきっとそういう心意気なんだと私は思います。

ちなみにシマ演じる杉咲花さんは昨年末の「笑ってはいけない」に出演。バス内でのコントでいきなり「ギヤーッ!!」と叫び笑いを起こしていました。「いだてん」でのシャウトはそこから始まったのではと私は勝手に解釈しております(笑)。

Eテレ「落語ディーパー~火焔太鼓~」 感想

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Eテレ「落語ディーパー~火焔太鼓~」 2019.3.26放送 感想

 

古今亭志ん生特集の第2夜は「火焔太鼓」。落語には頼りない主(あるじ)としっかり者の女房というのは付き物で、この「火焔太鼓」もそんな噺。

ある日道具屋の甚兵衛が古い太鼓を仕入れてくる。またそんなものを買ってきてどうすんの、と女房の小言が始まる訳だが、丁稚の定吉が店先でそれにハタキをかけるふりをして叩いていると、表から侍が駆け込んでくる。偶然通りがかった殿様が太鼓の音色を聴いて、いたく気に入ったご様子だと。是非、屋敷に持参せよと言う。甚兵衛は喜ぶが、妻は半信半疑。しかし甚兵衛が屋敷に太鼓を持参すると、殿様はすぐに買いたいと申し出る。甚兵衛の手元には思わぬ大金が手に入り、めでたしめでたしというお噺。

この噺、古今亭のお家芸だそうで、他の流派はやってはいけないという暗黙の了解があるとのこと。どうしてかと言うと、先にも書いた通り、あらすじとしちゃ大した話じゃない。これを志ん生が工夫を重ねて面白おかしく創り上げたという経緯があるから、志ん生の次男である志ん朝いわく、これは「オヤジの噺」なんだと。よそでやってる奴がいたら、「誰だそいつは」ってんで志ん朝がたしなめたっていう逸話があるようで、古今亭にとっちゃ一門を代表する大事な噺だそうです。東出昌大が今日はいつになく緊張感がありますね、と変な空気を感じていたみたいですが、ま、そういう噺なんだそうです。

落語なんてのは割と柔軟というか自由が効く芸なんですが、中にはね、こういうドシッとした重しみたいなものがあるのも面白いところではあります。そういや大阪にも「地獄八景亡者戯」なんていう桂米朝が復活させた大ネタがありますが、これはどうなんですかね。やっぱし敷居は高いんでしょうか?

志ん生の「火焔太鼓」に戻りますが、この噺はほぼ夫婦の会話で成り立っています。それも丁々発止やり合うってんではなく、女房が一方的にやり込める。でも、これがいい感じの夫婦なんです。二人の間に目には見えない情がある。仲睦まじさがあるんですね。これはやっぱり志ん生の人間力なんだと思います。こういう会話をあの声でテンポよくやられると、ホントに気持ちいいです。

そうそう、今回気付いたんですが、志ん生はリズム感が抜群なんです。どうもゆったりとゴニャゴニャ喋ってるイメージですが、結構早口なんです。でもそんなに早くない。ちょうどいいスピードで夫婦の会話がテンポよく弾んでいく。ベタな言い方ですが、間がやっぱり独特なんです。このつかず離れず、粘り気がありそうでない、湿り気がありそうでない独特の頃合いが抜群ですよね。

志ん生の特徴として合間合間にくすぐりを入れてくる。笑いどころを入れてくる。立川吉笑はパンチラインという言い方をしていましたが、この言い方、いいですね。例えば女房は頼りない甚兵衛を「だからお前さんはあんにゃもんにゃなんだよ」と言う。「バカだねぇ」とは言わずに「あんにゃもんにゃ」と言う。これ、まさしくパンチラインですよね。

それをさらりと言うところがまたよくって、まぁこれは志ん生自身が普段からそういうことを言う人なんだろうということですが、演じてるってんではなく、実際長屋の住人が言うようなちょっとしたユーモアの感覚が志ん生に備わっている。そういうことなんだと思います。

昔の人はそういうユーモアがありましたよね。私ごとで恐縮ですが、うちの母親なんかも昔アイドル歌手が歌ってると「風呂で蚊が飛んでるような声」だなんて言ってましたね。あと、大阪難波駅にかつてあった「ロケット広場」を「ロボット広場」なんて言ってましたが、こうなると間違って言ってんだかワザとなんだがよく分かりません(笑)。

ところで、今回の志ん生スペシャルから司会者となった片山千恵子アナウンサーがいい質問をしていました。女性を演じる時はどうするかって話。古今亭菊之丞が答えます。日本舞踊を習ってりゃ女性っぽい所作は身に付きますが、基本は話し方なんだそうで、けれど声音は必要以上に変えちゃいけない。女でも子供でもそうですが、極端に声音を変えるのは「八人芸」と言って嫌がられるそうです。要するにそんなの芸じゃねぇってことでしょうか。

確かに、志ん生の「火焔太鼓」だって夫婦それぞれの声音を変えちゃいない。普通に志ん生の声なんですね。それなのにちゃんと甚兵衛とおかみさんにしか聞こえないんですから、この何気なさがすなわち芸、凄みなんだと思います。