Alpha Zulu / Phoenix 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Alpha Zulu』(2022年)Phoenix
(アルファ・ズール/フェニックス)
 
 
前作からは5年ぶりだそうで、相変わらずインターバルは長いが、こうしてちゃんと新作を出してくれるのは嬉しい。今回はルーヴル宮内のパリ装飾芸術美術館の中に機材を持ち込み、レコーディングをしたとのこと。大衆音楽家にこういう場所を提供出来てしまうのは流石フランス。日本だとどうでしょうねぇ。
 
今回はシンセサイザーが割と耳に付くが、5枚目の『Bankrupt!』(2013年)ほどの派手さは無い。どっちかっていと4枚目『Wolfgang Amadeus Phoenix』(2009年)に近いかも。こう書くと大ヒットした『Wolfgang ~』並みの完成度を期待してしまうかもしれないが、流石にあそこまでの爆発力は無いかな。でも先行シングルになった#2『Tonight』や#4『After Midnight』なんかは今の彼らのスタンスに当時のストロング・ポイントを加味したような、まるで『Wolfgang ~』ver.2.0のような出来栄え。ていうか前半、かなりの名曲ぞろい。
 
面白いのはヴァンパイア・ウィークエンドのエズラが参加している#2 『Tonight』で、エズラが歌っているところはまんまヴァンパイア・ウィークエンドなのに、トーマが歌っているところは思いっきりフェニックスっていう不思議。なんにしてもアルバム屈指の名曲やね。
 
というところで強力な前半に比べ後半は少し弱いかなとは思いました。『Wolfgang ~』の『Girlfriend』みたいに最後の方でもう1曲強力なポップ・ナンバーでひと押しあればなというところでしょうか。#10『Identical』もいいんだけどちょっと地味かな。
 
美術館に持ち込んだ機材の中には日本製の古いシンセサイザーもあったようで、#2『Tonight』や#4『AfterMidnight』のミュージック・ビデオは日本が舞台だし、相変わらずの日本びいきで嬉しい限り。なんじゃかんじゃ言いつつ、早速YouTubeに公開されたこのアルバムのお披露目ライブを見ていると俄然盛り上がってしまう。やっぱフェニックス、ええわ。

Quality Over Opinion / Louis Cole 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Quality Over Opinion』(2022年)Louis Cole 
(クオリティ・オーバー・オピニオン/ルイス・コール)
 
 
4年ぶりの新作は1時間10分、20曲の大作。才能あふれる彼らしく、今回も物凄い情報量が詰め込まれているようで、ネットで本作のレビューを検索すると事細かな記事を読むことが出来る。けれど彼の音楽の素晴らしいところはそうした専門家筋をうならせる一方で、そんなことを全く知らない我々一般リスナーが、単純にカッコエエと踊ってしまえる親しみやすさを備えていること。なので、1時間10分、計20曲であろうと大作感、というか敷居の高さはなし。身近なポップ音楽として気軽に楽しむことが出来る。
 
腕どうなってるんだ、という彼の超絶ドラムを堪能できる曲もあるし、メロウな優しい曲もある。得意のロマンティックなスローソングもあれば、エキセントリックな曲もある。20曲もあるということで、いろいろな曲が並べられているが、どっからどう聴いてもルイス・コールであるという記名性の強さ。それでいてグッタリ胃が持たれないのは、彼から染みついて離れないユーモアのセンス、というか心の余裕。リード・シングルとなった#9『I’m Tight』のミュージック・ビデオでのおふざけ感は最高だ。
 
ルイス・コールの場合、どうしてもテクニカルなところやサウンド面で語られがちだが、彼の真骨頂はメロディだと僕は思っている。いくら面白いサウンドでも曲がまずければこれだけ多くの人に支持されない。おかしみプラス大衆的な歌心が彼の音楽の肝だろう。その歌心を支えているのがボーカル力。実はルイス・コールは歌が上手い。声量で聴かせるタイプではないが、ファルセットだって全くピッチがぶれないし、高音になっても苦しさを感じさせないほどよい聴き心地はなかなかです。
 
そういえば来日するのかなと、今更ながら検索をかけてみましたが、このアルバムをフォローする来日公演はとっくにソールドアウトになってました。どれだけ凄いのか、一度、ライブを見てみたいものです。それにしても#5『Bitches』でのサム・ゲンデルとのマッチアップはカッコエエな。

The Car / Arctic Monkeys 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『The Car』(2022年)Arctic Monkeys
(ザ・カー/アークティック・モンキーズ)
 
 
アークティックと言えば長らく1st、2ndのガレージ・ロックというイメージだったが、今ではすっかり5作目『AM』(2013年)で示した重心が低く艶っぽいロックバンド、というイメージが定着している。加えて6作目の『Tranquility Base Hotel & Casino』(2018年)からはロックバンドの可動域を更に広めようとする野心的な取り組みで、もはや好きとか嫌いとかではなくちゃんと見ておかないといけないバンドの一員になった。
 
とはいえ、じゃお前はちゃんと見ていたのかというといささか心許なく、僕としては世間的には大評判な1st、2ndや『AM』よりも3作目『Humbug』(2009年)、とりわけ4作目の『Suck It And See』(2011年)が一番好きだったりするひねくれもので、その観点から言うと今作は割と好き。要するに、アレックスの奏でる風変わりなメロディによる歌モノが好きなのです。
 
前作『Tranquility~』は変わった作品で、もうあれぐらい突き抜けちゃうと好み云々ではなく姿勢として格好いいのだけど、歌モノ好きとしては随分とメロディが遠のいたなぁと。それとやっぱバンド感うすっ!っていう部分が印象としてはある。ただ『Tranquility~』はそれを補うだけのラジカルな姿勢があったればこそなわけで、とはいえそれが2作続くとなると流石にシンドイ。というところでリリースされた今作はというと、メロディは戻ってきています。メロディは戻ってきたうえで、ラジカルさはそのままにバンド感も上昇、てのが割と好きな理由です。アルバム・タイトルが『The Car』って、なんやそれ!やけど。
 
全体的なイメージは映画「コッドファーザー」。宇宙から戻ってきたとはいえ、マフィア(笑)。庶民感はなし。映画音楽、というか映画のような音楽。ゴージャスでしかもアレックスはアルバムを重ねる毎に歌が上手くなっている。2010年前後の作品が好きな身としては#1『There’d Better Be A Mirrorball』とか#7『Big Ideas』みたいな美しい曲が好み。彼らはもう過去作の延長線上のアルバムを作るという考えはないのだろうけど、時折こうしたメロウさが顔を覗かせるのが嬉しい。
 
彼らはロック・バンドとしての新しい表現を求めている。このアルバムからもそれはひしひしと伝わってくる。だから聞き手が戸惑うのは当然と言えば当然。しかし今作には『Tranquility~』ほどの戸惑いはない。つまり彼らは進化しているということ。新しい表現、新しいサウンドを求める権化となったアークティック・モンキーズは’アークティックと言えば’をこれからも更新し続ける。しかし彼らがレディオヘッドみたいになるとは思わなかったな。
 
今時珍しい’男の世界’を行く’男のバンド’。こういうのもたまにはいいね。とはいえやっぱ「ゴッドファーザー」、マフィアやん。

Being Funny in a Foreign Language / The 1975 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Being Funny in a Foreign Language』(2022年)The 1975
(外国語での言葉遊び/The 1975)
 
 
先日行った中村佳穂のコンサートで、彼女は曲終わりを告げるのに両腕を広げ、手のひらをギュッと握ることで演奏を締めていた。フロントマンが示すこういうジェスチャーは単純にカッコいいから好きだ。このアルバムのジャケットではマシュー・ヒーリーも同じように打ち捨てられた車の上で両腕を広げている。踊っている最中のようにも見えるが、これは何かを止める合図なのか。
 
そもそもアルバム・ジャケットに人が登場するのは今回が初めて。次からはまた誰も登場しなくなるのかもしれないが、とりあえずは彼ら自身が称していた’Music For Cars’の時代は前作『仮定形に関する注釈』(2020年)で終わった。とすれば、今回からは新しいフェイズ、アルバム・ジャケットの方向性が変わるのも頷けるが、このアルバム・ジャケットはどうも始まりには見えない。やはり何かの中途、間に挟まれるものという印象を受ける。
 
てことでもう一度アルバム・ジャケットを見てみると、広げられたマシュー・ヒーリーの両手は真逆にねじれていることに気付く。つまり’Music For Cars’時代とこれから迎えるべき新しい時代の間で彼らはねじれてしまっているということだ。
 
渾身の大作が2作続き、ホッと一息入れたいところで現にホッと一息つくようなポップ・アルバムが出た。しかも彼らにしては異例の11曲、トータル約44分というコンパクトさ。にもかかわらず、これはねじれた状態であるという矛盾。普通に考えるとこっちがスタンダードと思うが、彼らはもうそうではないところに来てしまったのか。これをシリアスに受け止めるかユーモアと受け止めるか。
 
とはいえ、このアルバムは彼らのブライトネスを切り取ったようなポップで軽やかなアルバム。あまりにも軽やかすぎて何か引っかかってしまうなどと面倒くさいことは言わず、ヘッドライナーで登場した今年のサマーソニックをマシュー・ヒーリーが「ベスト・ヒット・ショー」と称したように、素直に楽しく歌って踊りだせばいい。僕たちまでねじれてしまうことはないのだから。
 
今回が恐ろしく個人的で愛に溢れたアルバムになったからといえ、彼らはもう社会的な出来事にコミットメントしない、降りた、ということではないだろう。一方で本当に表舞台には出てこないんじゃないかという危うさも相変わらず保持しつつ、30代を迎えたとはいえThe1975はまだまだ安定とは縁遠い不安定さにいる。
 
結局、アルバム・ジャケットは何かを静止させているわけでも何かの狭間でねじれているわけでもなく、静止させようにも叶わず、グラグラした天秤の上でただバランスを取っているだけ、ねじれはその動作に過ぎない、ということなのかも。そしてそのバランスを保つ唯一の術は、このアルバムで語られているとおり個人の愛なのだろう。

Cruel Country / Wilco 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Cruel Country』(2022年)Wilco
(クルエル・カントリー/ウィルコ)
 
 
もし、一人もしくは一組のアーティストのカタログしか所持してはいけないという法律が出来たら、僕はやっぱり佐野元春かなと思いつつ、よくよく考えてみると、常にBGMとして傍に置いておきたいのはウィルコもしれないなと思い返した。なんてありもしないことを考えてしまったが、そもそも時折ありもしないことを妄想する僕の傾向自体がウィルコっぽいなと思いつつ、その根拠を聞かれても答えようはない。ただそういう妄想を許容してくれるのがウィルコの音楽。
 
そんなくだらないことを考えたのはこのアルバムを聴いたことが原因だと思うが、とにかくジェフ・トゥイーディのリアルなのか半ば夢見がちなのか、いつものことながら分かるようで分からないながら、どっちかというと分かる寄りの歌を聴いて、何事も白黒ハッキリつけたくない、というかハッキリつけられない性質の人間としては、このぐらいのスタンスがやっぱり落ち着く。
 
今回、その落ち着きをより顕著なものにしているのはカントリー色の強いサウンド。元々、オルタナ・カントリーと呼ばれるところから出発して(ちなみにこのオルタナ・カントリーというのも分かるようで分からないが、それもまたウィルコっぽくてよい)、途中実験的な音響であったり、エレキギターで変態的な音をギャイーンと鳴らすこともあったけど、ここ最近は、というか2016年の『シュミルコ』アルバムあたりから割とアコースティック寄りにはなってきた。
 
なんでそうなってきたのかは知る由もないが、なんにせよこの歌心と予想通りにはならないがなぜか安心感のあるサウンドはウィルコ以外の何ものでもない。しかし相変わらず大きく盛り上がることもなく地味な曲が21曲も続くのにずっと聴いていられる、あぁやっぱりウィルコはいいなぁと思わせるこの力はなんなんだ。
 
そこで考えてみる。音楽というのは非日常を楽しむものでもある。ダンス音楽に体を揺らすこともあれば、時には悲しい音楽で思いっきり悲しんでみたりもする。そうすることで心が晴れればいいじゃないかと。てことで普段私たちが耳にする音楽は感情の揺れ幅の大きいところめがけて奏でられている向きはあるかもしれない。それに対し、素のまんま、普段の調子の私たちに並走するのがウィルコの音楽ではないか。
 
日常とは基本的には平坦なものである。しかしその平坦な中にもドラマはある。そのドラマの中で小さくうごめく何か。つまりそれが#13『Hearts Hard To Find』。人生が起伏激しくやたらめったら盛り上がったり盛り下がったりするものではないならば、音楽も平坦でいい。僕はやっぱりウィルコの音楽を傍に置いておきたい。

Mr. Morale & The Big Steppers / Kendrick Lamar 感想レビュー

洋楽レビュー:
『Mr. Morale & The Big Steppers』(2022)Kendrick Lamar
(ミスター・モラル・アンド・ザ・ビッグ・ステッパーズ/ケンドリック・ラマー)
 
 

このアルバムは前後半、Volume1(Big Steppers)とVolume 2(Mr.Morale)に分かれているんですね。だから長いアルバムでもあるので思い切って前後半と分けて聴いていたんです。でVolume 1 の方から何回か繰り返し聴き続けて、あぁ今回は聴きやすいなぁなんて思っていました。もちろん、ケンドリックの作品ですからそんな単純に聴きやすいってこともないんですけど、割と重くないというか、急にセレブになってATM2台分ぐらいどうってことなくなってしまった自分や周りに対する違和感とか、昔ながらの男らしさを徹底的に叩き込まれた父親との関係とか、あとこれは4文字言葉連発という意味で聴くのしんどいので僕は時々飛ばしますけど(笑)、痴話ゲンカの一部始終とか、まぁこれまでの作品でこっちが免疫付いたのかもしれないですけど、割と負荷なく聴けるんです。

 
加えて音がべらぼうに恰好いいし、中には歌モノもあるしサウンド的な面白さもあってキャッチーな要素も結構ある。だからリリックはさておき、部屋で流して聴いても全然イケるなっていう感覚があった。ていう流れでじゃあそろそろVolume 2 を聴こうかってことでこっちも最初は音だけを聴いていたんです。でやっぱり恰好いいなぁと、ヒップホップ分かんなくても全然恰好ええわぁと。
 
まぁこれは、ケンドリックのアルバムを聴く時の僕のいつものやり方ではあるんです。やっぱリリックが強烈なのでシンドイ、後回しにしちゃえ、と。あと、いつも和訳付きの国内盤を買うんですけど、和訳片手に目で追ってくの大変なので、音まで気にしちゃいられないというのがある。でもそれも勿体ない、だから先ずは耳で楽しみたいなと。ケンドリックは勿論リリックだけの人ではないので、音楽的なところで先ずは楽しみたいというのがあって今回も先ずは訳を読まないでいました。とは言え、Volume 1 があったので、そこまでキツイものではないのだろうと高を括ってたんですけど、Volume 2 の和訳を片手に聴き始めたらですね、これはかなりヤバい、辛い内容がそこにはありました。
 
ずっとケンドリックが描いてきたことなんですけど、アフロアメリカンとしての歴史ですよね。特に性的なところ、レイプされレイプさせられてきたという事実。そういう中々消えない歴史、トラウマがアフロアメリカンにはあって、そしてケンドリック自身も幼いころに性的被害に関するゴタゴタにあっている、そして性的虐待や恐喝をした罪で服役しているR.ケリーも傷を負っていると。この辺のくだりは訳詞を読んでて本当にキツイです。
 
そしてケンドリックの告白ですよね、セックス依存症であるという。でケンドリックのパートナーであるホイットニーが登場して、彼女はすべてを包み込む聖母のようなんですね、でも実際はどうなんだろう、他の女の人とそういうことがあって、理由はあるのだろうけどそんな受け入れられるのかなとか、いやいやホイットニーも受け入れることができるぐらいアフロアメリカンにとってのトラウマ自体が深いものなのかとか、はたまたケンドリックぐらいになるとそれこそ女の人がヤバいぐらい寄ってきてもうまともな奴でもそうなってしまうのかな、でもなんでそうなっちゃうんだとか他にもいろいろ考え込んでしまう。
 
更に話は飛んで、日本だと在日2世とか部落の問題とかいろいろあるわけで、僕はEテレの『バリバラ』をたまに見るぐらいの知識しかないけど、じゃあ在日とか部落でもまだまだ言えないことがあるのだろうかとか、このアルバムはアフロアメリカンについてではあるので関係ないのかもしれないけど、こっちはそんなことまで考えてしまってまぁホントに重たい。あと、自分が子供の頃の記憶をたどりながら性転換をした親戚の話があったりもするし、曲自体は全体を通して聴きやすいし恰好いいんですけど、リリック含めた音楽としては気楽には聴けないなかなかしんどいアルバムではあります。
 
なのでVolume 2 も何回か聴いてますけどVolume 1 ほどじゃない、しかも和訳読みながらっていうのはそんなにないですね。アルバム買って2か月ぐらい経ちますけどまだ2回です、無理です(笑)。でも英語圏の人はこのアルバムを聴く度このヘビーなリリックが耳に入ってくるわけですよね、ちょっとそれは耐えられないなぁ(笑)。
 
最後にこういう事書いているとこのアルバムはじゃあどうなんだということになりますが、勿論素晴らしいです。先ずは当たり前のことして音楽として恰好いいかどうか、やっぱこれが大前提になりますけど、この点は流石ケンドリックの恰好よさです。あとやっぱリリックをね、何ラップしてるのか分からなくて音楽としてのみ楽しむ、勿論それもありですけど、リリックを読んでいろいろなこと、聴くのしんどい時はあるかもしれないけど、ケンドリックはやっぱ大事ことラップしてますから、日本人だから関係ないとかじゃなく、こういうことを知っておくというのも大事なんじゃないかなと、これは僕がケンドリックを聴き続けている理由でもあります。

10 Tracks to Echo in the Dark / The Kooks 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『10 Tracks to Echo in the Dark』(2022年)The Kooks
(10トラックス・トゥ・エコー・イン・ザ・ダーク/ザ・クークス)
 
 
4年ぶり、6枚目のアルバム。ではあるけれど、元々5曲入りのEPとしてリリースしていた2枚をくっ付けたものらしい。今作リリースにあたってのルーク・プリチャードのインタビューを読みましたけど、ルーク自身はもうアルバムという形にこだわっていないようですね。いい曲が出来たらその時に出せばいいっていう考えのようです。
 
彼らのアルバムはデビュー以来、ずっと聴いています。その時々でサウンドの方向性は異なりますが、ハズレはないですね。ボーカルはいいしバンドはいいし何よりソングライティングに長けている。耳馴染みがよく、それでいて個性的なメロディをいつも聴かせてくれます。デビューして16年経ちますけど、まだこれだけポップな曲を書き続けられるのは実は凄いことだと思います。同期のアークティック・モンキーズはなにやら難解になってますからね(笑)。
 
今作でもそのストロング・ポイントは十分に感じられます。あとはサウンドをどう持っていくかというところだと思いますが、ここが今回はちょっと弱いかなと最初は思いました、最初はね(笑)。やっぱり大人しいんです。ところがここで諦めてはいけない!かの洋楽レビューの大家、ロリングさんも仰られていましたが、こういう時こそ2週間の法則。1週間聴き続けると「ん?ちょっといいかも」、2週間聴き続けると「これ、ええやん!」、と見事に印象が変わりました。
 
全体的に感じられるのはシンセですね、あとベースがしっかりと聴こえてきます。雰囲気としては彼らの4作目であるファンキーな『Listen』(2014年)に近いかもしれませんが、あそこまで振り切れてはいないです。つまりこのアルバムの最初の印象が弱いのは、振り切れていないように見えるからなんだと思います。でもよく聴いていると、彼らの持ち味、彼らのこれまでの道のりがちゃんと配分されていて、何気ないアルバムではあるんですけど、そんじょそこらのバンドにはできない、16年経ったうえでの経験、16年経っても失われない鮮度、そういうものを感じられます。
 
全10曲、目につく派手な曲はないです。しかも多くがミディアム・テンポの曲で占められています。にも関わらず、それぞれの曲の輪郭が明確でそれぞれ全く違う個性を持っている。これはなかなか出来ることではありません。ということでサウンド作りは誰と組んでいるのかなと調べてみたら、ドイツ人のプロデューサー、Tobias Kuhnとベルリンで録音したみたいです。これまた世間とは関係なしにやりたいことをやるクークスらしい判断で、こういうところも好印象です。
 
ということで意識したのは80年代のサウンド。シンセが印象的なのはそのせいですね。とはいえ当時のアレをそのままやるとダサいですから、そこはかいくぐって今のクークスに照らし合わせてみる。
 
つまり『Listen』アルバムで取り組んだ跳ねる要素、パーカッションを用いたり、他にもちょっとした味付け、例えば#5『Sailing On A Dream』では何気にサックスを入れてみたり、#6『 Beautiful World』はレゲエのリズムでリゾート感を出す、#7『Modern Days』ではダフトパンク風のコーラス、#8『Oasis』ではアップリフティングなギターリフ、そうした要素をシンセ・サウンドを基調に合いの手のように入れてくる。確かにクークスと言えば、のギター・サウンドは薄いかもしれませんが、よく聞くと多種多様で職人芸のようなデザインがなされていることに気づきます。プロデュースはドイツ人のTobias Kuhnとルークの共同となっていますが、マイスターのように時代を追いかけない実直な技が光っていますね
 
なので全体の印象としては地味ですし、クークス、本気出してないんじゃないの的な腹八分目な印象を持たれてしまうかもしれない、ファンには歓迎されにくいアルバムではあるかと思います。が、僕はしっかりと作り込んださすがクークスと思わせるとてもよいアルバムだと思います。なのでこのアルバム、あんまりだなと思った人も多いかと思いますが、懲りずにもう何回か聴いてもらえると違って聴こえてくるのかなと思いますね(笑)。

Beatopia / Beabadoobee 感想レビュー 

洋楽レビュー:

『Beatopia』(2022年)Beabadoobee

フィリピン出身の英国人、ビーバドゥービーの2作目です。これ聴くと、デビュー・アルバムの90年代を思わせるオルタナティブ・ロックは意図的にそちらへ寄せていたのではと思ってしまいますね。これを『Beatopia』を聴いていると本来の彼女は純粋に良い曲を書くシンガーソングライターなんだという事がよく分かります。

なので、ギターをジャカジャカ、ドラムをドカドカ鳴らす必要がもうないというか、なんだこの人は曲の力だけで十分勝負できる人じゃんて。1曲目はイントロダクションでもあるので、実質的なオープニング曲である2曲目の『10:36』は1作目を踏襲したギター・チューンですが、2曲目から7曲目まではゆったりとした曲で占められているんですね。でも全然退屈じゃない。彼女、ほんとに素晴らしいメロディー・メイカーで似たような、ではなくそれぞれ個性豊かでアイデアに溢れたミディアム・テンポの曲が書ける。プラス編曲が抜群ですね。サウンドがすっごいオシャレでセンスがいいというか、#6『the perfect pair』なんてボサノバですよ。曲も含めアレンジはバンドのギタリストでもあるJacob Bugdenって人と一緒にやってるみたいですけど、このチームはもしかしたらかなり最強なんじゃないかと思います。

あと彼女はThe1975と同じDirty Hit レーベルで、少し前に出たEPでは彼らと何曲か一緒に作品を作ってるんですね。そういう稀代のオシャレ・サウンド・メイカーと一緒にやってきた成果というのが出てるのかなと、それも彼女独自の形で進化しているというのがいいですね。今作では#10『Pictures of Us』がマティの提供曲だそうで、聴いてると思いっきりThe1975なんですけど(笑)、この辺のThe1975の面倒見の良さもなんかイイ感じです。

The1975からはダニエルも#12『Don’t get the deal』に参加してるようで、この曲では割とギターをギャンギャン鳴らしているんですけど、後半のシンセかな、この辺の意表を突いた展開も流石に聴かせますね。と思ったら続く#13『tinkerbell is overrated feat. PinkPantheress』はTwiceみたいなチャーミングなポップ・チューンで、この辺の流れなんてすごくセンスを感じます。ラスト付近でこういう見せ場を作ってくるところなんか、本人も今回はかなり自信があるんじゃないかなと想像しますね。

とまぁ、1stから格段に進化した素晴らしいアルバムなんですけど、ひとつ気になるのは今回はずっとウィスパーボイスというか喋り口調に近いトーンなんですね。1stでは声を張り上げるところもあって、そういう激しさも魅力だったんですけど、ずっと囁き声というのは今回だけなのかそれとも今後もこういうスタイルで行くのか、ちょっと気にはなりますね。

A Light for Attracting Attention / The Smile 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『A Light for Attracting Attention』(2022年)The Smile
(ア・ライト・フォー・アトラクティング・アテンション/ザ・スマイル)
 
 
レディオヘッドのトム・ヨークとジョニー・グリーンウッドとジャズ・ドラマーであるトム・スキナーからなる新バンドのデビュー作。トムとジョニーってことはほぼレディオヘッドやんという世界的ツッコミに溢れているだろうこのアルバムは、一聴するとレディオヘッドでええやんだが、聴けば聴くほどレディオヘッドとの距離感は大きくなっていく。
 
つまりもう一人のトムさんです。手数が多く何拍子か分からない独特のリズム感に全体が覆われ、最初から最後までふわふわとした所在なさが続く。曲的には、あ、もしかしてこれレディオヘッドでやったら『In Rainbows』(2007年)かもという、トム・ヨーク久しぶりのポップな曲調ではある。ではあるが、もう一人のトムさんがそれを許さない。というかヨーク氏の方がそれを拒んだのか。故のスキナー氏。
 
てことで、『In Rainbows』収録の『Bodysnatchers』のようなスピード・ナンバーが3曲も入ってる(#3『You Will Never Work In Television Again』とか#7『Thin Thing』とか#12『We Don’t Know What Tomorrow Brings』)のは素直に嬉しいし、#6『Speech Bubbles』や#9『Free In The Knowledge』のような美しい曲もしっかり収録されている。ので、今はそういうモードなのかトム・ヨークとも思うが、ならば何故それをレディオヘッドでやらない、というツッコミはやはり入れたくなる。
 
というかそういうことはしたくないのだろう。アーティストにとって同じことをすること程苦痛なことはない。今のこのムードでポップな曲が生まれたのならば、そこは何も否定することはない。但し、それをそのまま出しても面白くないでしょということか。うん、確かに面白くない。でも逆に言うと、レディオヘッドじゃこのポップな曲で新しいことはできないということなのかなぁ。
 
なんじゃこれはという格好いい曲もあるし、うっとりする美しい曲もある。このアルバム好きかと問われれば、好きと答えればいいのだろうけど、うん、でも、という迷いが生じるのも確か。それはやっぱりトム・スキナーのドラムがロックじゃないからだろう。『Kid A』(2000年)や『Amnesiac』(2001年)やはたまた『King of Limbs』(2011年)だってロックじゃないだろうにと言われるかもしれないが、本当にジャズ・ドラマーが叩いてしまうとなんか落ち着かないということを今回は発見しました。
 
あと、オーケストラが大々的に使われているのはレディオヘッドでの前作『A Moon Shaped Pool』(2016年)から引き続き、ということになるのだが、こっちもどうもガッツリしてるはずがガッツリ感はなし。全体に漂うはっきりしない感、というか今回は物事のはざま、あわいの音楽、ってことでよろしいでしょうか?

Harrys House / Harry Styles 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Harrys House』(2022年)Harry Styles
(ハリーズ・ハウス/ハリー・スタイルズ)
 
 
このアルバムの欧州ツアーではバンド・メンバーが全て女性ということなので、アルバム自体もそうなのかな、でも生バンドっぽくないなと、ウィキペディアで調べてみたら、アルバムはそうではなかったです。でもピノ・パラディーノとかジョン・メイヤーとかベン・ハーパーの名前があってビックリ。大物やん!ただ、ドラムは基本ドラム・マシーンでした。オレの耳もなかなかやな。ちなみにツアーの前座は公演毎にミツキやウルフ・アリスやアーロ・パークスらが務めるらしい。ハリー、徹底してるな。ていうか豪華すぎるやろ!
 
僕はほぼ並行してこのアルバムとリアム・ギャラガーの『カモン・ユー・ノウ』を聴いていたのですが、だんだん思うようになってきました、この2人、なんか似てるなと。つまり、リアムもハリーも基本はチームでソングライティングをしている、ずっと同じチームで。ただ全く人任せではなく、自分も名を連ねてソングライティングに関与している。これはさっき言ったようにツアーではハリーの意向が全面的に出ていますが、それと一緒ですね。
 
つまりチームとはいえハリーがボスだということ。しかもちゃんと自分の求められている役割を全うしつつ、自分はこれだという基本線は崩さないという、これは全くリアムもそうですよね。それにサウンドは、ドラム・マシーンであるにせよ基本は生演奏で、ライブではちゃんとバンド編成。言わずもがなリアムもがっつりバンド。てことで、アウトプットされる音楽は異なるけど、スタンスとしちゃ非常に似てるんじゃないかと。
 
で肝心のアルバムですが、凄いです、いい曲ばっかです。チームとして多分今は絶好調なんだと思います。とにかくイントロからしてキャッチーだし、AメロもBメロもサビもサウンドも全部キャッチー。音楽的な新しさは感じないですし、既視感のあるメロディっちゃあそうなんですけど、どっから聴いても満点です。はい、言うことないです。この辺もリアムの『カモン・ユー・ノウ』と一緒やね。
 
という完璧なポップ・アルバムなので全世界あちこちでチャート№1に輝いています、日本以外(笑)。冒頭でウィキペディアを見たって言いましたけど、ウィキペディアには各国のチャートも記載されているんですね。30行ぐらいの表なんですけど、日本のとこだけオリコン35位、ビルボード・ジャパン43位、他は非英語圏でも全部1位(笑)。アルバム1曲目は『Music for a Sushi Restaurant』で、アルバム・タイトルは細野晴臣の『HOSONO HOUSE』(1973年)から来ているというのにこの結果はちょっと残念。
 
ただどうなんでしょう、日本はまだ6~7割はフィジカル盤、つまりCDらしいので、ほとんどサブスクの海外とは集計が異なるのかなと。ま、それにしても順位低すぎ(笑)。非英語圏でもちゃんと1位になってますから、こういうのを見ると、日本人の洋楽離れを実感しますね。