(アフター・ラフター/パラモア)
After Laughter/Paramore 感想レビュー
(アフター・ラフター/パラモア)
洋楽レビュー:
『High Noon』(2014)Arkells
(ハイ・ヌーン/アーケルズ)
丸ビルのタワレコで「店長のイチオシ、もろ80’Sでデュランデュラン」、みたいなことが書いてあったから興味本位で聴いてみたら、あまりのどストレートぶりに思わず買ってしまった。デュランデュランがどういう感じかは知らないけど、今時逆にスゴイなってぐらいの暑苦しい80年代ロックの登場だ。
なにからどう語ればいいのか分からないというか、語るべきものがないというか、デビット・ボウイを聴いた後だからか余計にそう思ってしまう。最初聴いた時はキラーズみたいかとも思ったんだけど、あの大げさなサウンドをセンス良くまとめてしまうスタイリッシュさはなく、いやあここでキラーズをスタイリッシュって言ってしまうのもおかしな話だけど、このバンドを聴いてたらそう言っちゃうしかない。この大陸的な大らかさはカナダのバンドだからか。いやいや彼らがこういう人たちなんでしょ。
まあでもこういう人たちは他にもわんさかいるんだろうし、何故彼らが極東のCDショップで知らず知らずのうちにお薦めされてるかっていうと、そりゃもう曲が抜群いいから。あと演奏も手堅いし。#4なんてホント良く出来てて、なんで全編これぐらい丁寧に作らせないんだろう、ってプロデューサーを確認してみたらなんとトニー・ホッファー。それこそフェニックスとかファスター・ザ・ピープルといったセンスの塊みたいな人たちとやってきた人なのにあら不思議。こいつらはこれしかねえってことなのか。
はっきり言って評論家からは相手にされないだろうけど、まあいいんじゃないか。結局なんだかんだ言って僕もこういうのは嫌いじゃないし、単純に楽しいやん。笑っちゃうほどベタな展開で暑苦しいボーカルなんだけどみんなもこういうの好きでしょ、ってことで許してしまおう。あー、でもホントに語ることがない(笑)。
1. Fake Money
2. Come To Light
3. Cynical Bastards
4. 11:11
5. Never Thought That This Would Happen
6. Dirty Blonde
7. What Are You Holding On To?
8. Hey Kids!
9. Leather Jacket
10. Crawling Through The Window
11. Systematic
お薦めは#4、#3、#6の順かな。
#5もいい曲なんだけど曲間のシャウトがダサくて最高。
#8とか#11とかもホント振り切っちゃってる(笑)
洋楽レビュー:
『★』(2016)David Bowie
(ブラック・スター/デビッド・ボウイ)
あまりにもキャリアが膨大過ぎて、もう自分とは関係ないやっていうアーティストって結構いる。デビッド・ボウイもその一人で、一昨年かその前の年だったか、久しぶりに新作が出た、しかもサプライズでってことで話題になったんだけど、僕とすりゃふ~んて感じであまり気にも留めなかった。そこへ昨年の訃報。それとほぼ同時にニュー・アルバムが出た。そんなことでこれまたビッグ・ニュースになって、そんでまた下駄を履かせたわけではないんだろうけど、年末に各紙で発表される2016年のベスト・アルバムにこのアルバムが結構食い込んでて、そんなにいいんだったらいっちょ聴いてみるかって気になった。そこへ運よく知り合いにデビッド・ボウイ好きがいたのでその人から借りたという次第。ということでデビッド・ボウイ初心者による『★』のレビューです。
デビッド・ボウイといえば美しいというイメージが刷り込まれているので、美しいメロディを期待していた節があったけど、なんだこの抑揚のないメロディは。デビッド・ボウイの呻き声みたいじゃないか。と少し面食らった面も無きにしも非ず。途中からは考えをリセットし、これはもうリーディングだな、と。ジャズ(これがジャズかどうかは分からないが、世間でそう言うのだからそうなのだろう)に乗せて詩を朗読するってのはよくある話だし、そうやって聴けば違和感はない。それにこのアルバムはデビッド・ボウイの才能がスパークしているというより、彼に元々備わっている美意識とか先進性とか哲学といったものがそれはそこにあるとして、そこにどう肉付けをしていくか、いかに2016年現在にフックさせていくか、というところが主題のようにも見えてきた。だからスパークしているのはボウイそのものというより、その後ろで鳴っているサウンドというべき。つまりボウイ自身の居住まいは決して変わっていない。ありのままというか、ありのままですがそれが何か?っていうことだろう。
そのありのままがこんなけったいな音楽になるのだから、要するにありのままが相当イッちゃてるってこと。加えていうと、そのありのままは1970年であろうと2016年であろうと生のままでは人に見せたものではない。味を調えたり、意匠を纏う必要がある。これこそがデビッド・ボウイということか。
1. ★
儀式めいた雰囲気。序盤のアタック音が効いてる。転調してからの「あの者が死んだ日の出来事だった」から始まる詩が秀逸。少し長いかなって気はするど、これはロック以外の何物でもない。
2. ティズ・ア・ピティ・シー・ワズ・ア・ホア
今作で特徴的なドラムが印象的。単調だが一気にグワッと行ってしまうところはいい。
3. ラザルス
トラックが素晴らしい。ホーンが効いてる。こういう渇いたスローソングは好きだ。
4. スー(オア・イン・ア・シーズン・オブ・クライム)
バンドかイカす。これはヒップホップだな。クールなリーディングかラップがいいと思うけど、ボウイの歌は正直かったるい。
5. ガール・ラヴズ・ミー
この手の変化球ってありがちだけど個人的にはあまり好きではない。退屈。でも聴き手を完全に無視してるところは好きかな。この曲辺りからベースが耳に残り始める。
6. ダラー・デイズ
これはもうイントロからして美しいでしょう。ここに来てアコースティックギターが聴こえてくるところなんかズルイ。この曲と最後の曲でメロディが戻ってくるところは確信犯か。なんだかんだ言ってこの曲が一番好きかな(笑)。サビのベースリフには当然意味がある。
7. アイ・キャント・ギヴ・エヴリシング・アウェイ
そのままの流れで最後の曲。ベースリフは早くなってる。「私は全てを与えることはできない」とか言いながら、サウンドはオープン・ザ・ロードだ。
このアルバムは僕の手に負えない。てかよく分からない。でも何度も聴いている。要するに分かればいいってもんじゃないってこと。アートとはいつもそういうものだ。ピカソの絵は理解できるからいいわけではない。人々はそのよく分からなさに惹かれるのである。69才にもなってこんなスリリングな作品を作れるのだから、やはり音楽に年は関係ない。
最初はしんどいなと思ったけど、1度目よりも2度目。2度目よりも3度目という風にだんだんよくなってくる。音楽には時にこういうことがあるから面白い。
ポエトリー:
『君のために』
今朝がた
君の体から
言葉
剥がれ落ちた
今朝がた
君の体から
心
零れ落ちた
レースのカーテンが
風に揺らいでいた
2013年6月
TVプログラム:
忍耐と想像力を傍らに往く創造的な「旅」のかたちを
※2017.5.28放送 NHK-BSプレミアム 『Not Yet Free~何が俺たちを狂わせるのか~』より
ポエトリー:
『クリーニング店』
広い通りに面したクリーニング店では
服を預けるとちょうどよい肩幅のハンガーが付いて返ってくる
彼女の肩幅もちょうどいいという噂があるがそれは確かめようがない
私ももちろんそこへ行く
今日の私はクリーニング品を預けるだけでなくコインランドリーで洗濯をする
コインランドリーで洗濯をしている間は退屈なので選りすぐりの本を持っていく
普段はあまり読まないようなもの
少し頼りがないものがいい
ここのハンガーがちょうどいいように
ここの洗濯機の音もちょうどいい
彼女も今日あたりここへ来るかもしれない
けれども彼女の肩幅はアイロンをかけていない
彼女の靴下は裏返っていない
彼女の魂は撹拌されていない
ここの洗濯機の音はちょうどいい
私の退屈な時間も残り僅かなので
詩を2編ほど読んで今日はもう終わりにする
2016年6月
ポエトリー:
『青くなるゆえん』
君が尋ねたら
相手は知らないと言った
ただそれだけのこと
恋とも呼べない
ため息は泡となりまどろむ
空気が少しずつ濃くなって
春を導く
空が青くなるゆえん
2015年3月
ポエトリー:
『ただ一つの物語』
ただ一つの物語を君のために送る
荒廃した裏庭にハッと目が覚めるような花を添えて
夕暮れ時、赤茶けた煉瓦の向こうに差す光を
手の甲の青い線に沿って真っ直ぐに線を引く
いつか君の動力源に辿り着きたい
今度こそ正しい言葉を見つけ
出来るだけ分かり易くただ一つの物語を君のために
2017年5月
『Oasis:Supersonic』(2016)
(オアシス:スーパーソニック)
オアシスの映画を観た。公開初日に観た。2時間たっぷり。観終わった素直な感想は「疲れた~」。「馬鹿か、そんなんじゃやってけねぇよ」ってノエルに言われそうだけど、それぐらいすごいパワーに圧倒されっぱなしの2時間だった。
見どころは沢山あってその辺の詳しい話はいろんな媒体に載っているからよしとして、僕が思ったのはオアシスが巨大になっていくに従って、トラブルも倍々に増えていったけど、悪いやつは一人もいないってこと。そりゃノエルもリアムも無茶苦茶やるけど、後に金目当ての裁判を起こしたトニーだって悪くない。すべてなるようになった。それだけのことなのだ。結局、映画観ててこいつ悪いやっちゃなぁって思ったのは父親だけ。でもその父親がいたから二人がいるってことだから全否定はできない。
ということで、この映画には製作総指揮としてノエルとリアムが関わっている。通常この手のドキュメンタリーは死んだあとに作られたりするんだけど、二人はまだピンピンしてる。なのに一番輝いていた時期だけを抜き取って映画にすると言う。そんな昔の栄光、なんで今更って話で、ディナー・ショー・ミュージシャンじゃあるまいし、我々がよく知ってる二人のキャラからは考えられないことだ。なのに映画にすると言う。それは何故か?要するにこれはオアシスの8枚目のアルバムだからだ。
オアシスが解散してからずっと、二人は絶縁状態のままだ。今もツイッターやインタビューで互いを罵り合ってる。なのに力を合わせて映画を作る。確かに面と向き合って作り上げていくわけではないが、これはもう明らかに二人の共同作業。同じ場所にいなくても二人が同じステージに立っていた時のように通じ合っている。こっち向いていくぜって。ケンカしながらもスタジオに入った時に、あるいはステージに立った時に爆発的な力を発揮したあの時と同じ。二人は分かっているのだ。今もそれが可能なことを。そして自分たちが今やるべきことを。それは何か。ただの昔の栄光を辿る下らない映画ではなく、今を、2016年を、ジャスティン・ビーバーやテイラー・スウィフトやカニエ・ウェストがいる2016年を20年前と同じように唾を吐いて、ファッキン喚き散らし、壁に穴をあけて、叩き壊す。二人の目線は間違いなく今ここにある。だからこうやって映画を作ったのだ。
トランプが大統領になるとか、イギリスがEUを離脱するとかはどうだっていい。ロックもEDMもヒップ・ホップもソウルも何もかもポップでいいねっていう世の中に、デビット・ボウイもビヨンセもケンドリック・ラマーもすべて同じ地平で語られる世界に、二人は2016年に叩きつけてきたのだ。そんなんじゃねぇぞ。なにぬるいこと言ってんだって。昔の伝記映画ではなく、新しいロックンロール・アルバムとして。
二人はあの時と何も変わっちゃいない。同じ態度で同じ目線で、無敵なままやってきた。お前ら、くだらねぇこと言ってねえでオレたちを見ろって。ネットや周りの意見なんてどうでもいい。いいことはいいと言えばいいし、やなことは嫌と言えばいい。みんな隣の顔色伺って、あれもいいよねとか、それもありだよねとか、一見物わかりの良くなった2016年に、クリック一つで何もかも分かったような気になる2016年に、顔をさらさず好きなことが言える2016年に、二人は20年前と同じ温度で怒鳴り込んできた。これはそういう映画だ。2016年現在、今この時にドロップされたオアシス8枚目のアルバムだ。そう考えてほぼ間違いない。
2016年12月25日