Eテレ 日曜美術館「木版画 未踏の頂へ~吉田博の挑戦~」 感想

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Eテレ 日曜美術館「木版画 未踏の頂へ~吉田博の挑戦~」 2017.1.29 アンコール放送

 

新聞のテレビ欄に面白そうな番組を発見した。Eテレの『日曜美術館』。吉田博。精緻な木版画と書いてあった。僕は興味を引かれた。

画家、吉田博は今も海外では人気があるらしいが日本ではあまり知られていない。彼が活躍した昭和初期当時も日本画壇は黒田清輝を中心とする淡い色使いの人物画、所謂新派と呼ばれるグループが主流を占めていたようで、吉田のような油絵は旧派と呼ばれ、あまり評価をされなかったらしい。ともあれ、反骨の人、吉田は己の技法を突き詰めていく。そして49才の時に木版画と出会う。

その木版画。木版画とは言われてみないと分からない程の精緻さと奥行き、表現力だが、これはもう見てもらうしかない。僕らが持つ葛飾北斎とか棟方志功といった木版画のイメージを軽く跳躍する驚くべき作品。空前絶後だ。霧の表現、朝日の表現、水流の表現、水面の表現。全てがまだそこにある生きている景色。静的でもあり動的でもあり自然そのものである。彼はイノベーター。誰もなしえない未知の領域を表現している。

『濁流』は圧巻だ。文字通り唸りを上げている。圧倒的な動と静がそこにある。堅い樫木に細かく掘っていく作業は困難を極めた。歯を噛みしめるため奥歯が随分やられたという。1週間もかかったらしい。いや、1週間で彫りあげたのだ。これは驚異だ。何故そこまでして彫ったのか。答えは簡単。そこに線が見えるからだ。自分が進むべき線がはっきりと見えているのに描かない芸術家がいるだろうか。余談だが芸術家には我々には見えない、この進むべき線がはっきりと見えている。何故そんな風に描いたかなどという質問は多くの場合愚問だ。

吉田はいつまでも絵の表現を追い求めていく。満足しない。それこそ書生時代は「絵の鬼」と呼ばれるぐらい熱中した。沢山歩いて、沢山山に登って、沢山景色を見て、沢山人の絵を見て、何度も海外へ行って、自分の絵を高めていく。そして彼の絵は年代を追うごとに磨かれていく。彼の最後の作品である『農家』はその極みだ。芸術に年齢は関係ない。この絵は芸術には何が必要かということを証明している。

彼の言葉がある。
~自然と人間の間に立って、それをみることが出来ない人のために自然の美を表してみせるのが天職である。~

心に留めておきたいことがもう一つある。それは自分が決めた道であればそれを向上させるためにはいかなる努力も惜しんじゃならないということ。沢山学んで、吸収して、実践していかなくてはならない。自分の技法はこうだ、自分にはこれしかないとか、自分にはこれが合ってるというのではなく、新しいやり方に挑戦していかなければならない。芸術にとって停滞は悪だ。彼はそんなことは言わなかったけど、心得として、そんな風に聞こえた。

今年、『吉田博 生誕140年 回顧展』が幾つかの地域を巡回している。残念ながら北関東ばかりでこちらにはやってこないようだ。でもまあいい。僕はまだ長生きする。死ぬまでに吉田博の木版画を見る。

 

2017年2月

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