『RBG 最強の85才』(2018年) 感想

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『RBG 最強の85才』(2018年)
 
 
ルース・ベイダー・ギンズバーグさんのことは恥ずかしながら、この映画が公開されるまで知りませんで、最高齢の女性最高裁判事であり、米国の国民的アイコンであるというのを何かの記事で知り、是非見に行きたいなと思っていたのですが、気付いたら公開が終わってました。
 
で去年にそろそろTSUTAYAに出てるかなと覗きに行ったのですが残念ながら置いてなくて。ギンズバーグさんの映画はもう一本、『ビリーブ 未来への大逆転』というのもあるよと、友達に教えてもらったんですけど、これもTSUTAYAに置いてない!あぁ、AmazonプライムとかNetflixとかしな見られへんのかぁ、と思っていたら、なんとEテレの『ドキュランド』でやっとるやないか!始まる10分前に気づいたオレ偉い!ということで流石Eテレ、ええのんやりますなぁ。
 
  女性最高裁判事ということで勝手にヒラリー・クリントンとか小池都知事のようなガラスの天井ぶち破るみたいなイメージを持っていたのですが、いやいや全く正反対でしたね、ギンズバーグさんは。そこがまず新しいというか、新しいなんて言うと怒られるかもしれんが、女性であっても相当の地位に上り詰める人は男同様マッチョな人なんだというイメージを勝手に持ってたんですけど、今の時代そればっかりじゃないんですね。僕が知らないだけで、物静かで大人しい人でもリーダーを務めている人は沢山いるんです。女性であっても男性であっても。
 
だからまぁ特別感というのが薄いんですね、自分とは関係のない秀でた人、遠い存在ではないんです。世の中特別な才能を持った人より、僕もそうですけど自分をなんの取柄もない普通の奴だと思っている人が大半ですから、やっぱりギンズバーグさんの生き方というのはやっぱ励みになる。もちろん簡単にはいかないですよ、ギンズバーグさんの努力はすんごいですから(笑)。でも明らかにこいつ凄いなっていう才能ではなく、ギンズバーグさんの自分がすべきことに全力で取り組む姿勢というのは、僕たち自身の仕事で頑張ったり、夢を叶えたいなっていう道筋を照らしてくれますよね。これはやっぱり大きな勇気に繋がります。彼女が若い子に特に人気があるっていうのは凄く分かります。
 
あと彼女はいつも冷静で声を荒げたりしないですよね。映画でも「赤ちゃんに喋りかけるように話すことは何度でもあった」って話してた(笑)、そういう落ち着いた態度も凄く憧れます。凄みとか圧力とかでじゃなくて論理的に話す。それでも分からない人にはもっと分かりやすく赤ちゃんにも分かるように話す(笑)。そのためにしっかりと勉強をしてこれでもかというぐらい準備をする。結局、近道はないんですね。でもそこを徹底的にやりぬいた。
 
僕なんか誰かを出し抜きたいとか、いい恰好をしたいとか、いい風に思われたいとかいうのがやっぱり抜け切らないんですけど、そういうところじゃなくて為すべきことをするっていう。ホントかっこいい人です。
 
この映画は怠惰な自分を戒めるためにも定期的に見るべし、ですな。もう永久保存版です。

グランド・ブダペスト・ホテル (2014年) 感想レビュー

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グランド・ブダペスト・ホテル (2014年) 感想レビュー

 

一人の女性が墓地を通り過ぎ、とある作家の胸像の前に立ち止まる。胸像にはいくつもの錠前が掛けられていて、女性も持参した錠前をそこに掛ける。彼女はベンチに腰かけ手にした本を開く。タイトルは「グランド・ブダペスト・ホテル」。そんな風にしてこの映画は始まります。

あらすじです。1930年代、さる東欧の国では由緒正しきホテルが人気を博していた。顧客は主にセレブリティ。特に年配のご婦人には絶大な人気を誇る。このホテルの人気を確たるものにしているのはコンシェルジュであるグスダヴ・H。そのおもてなしは微に入り細に入り、夜のおもてなしも辞さないというもの。ところが長年の顧客であるマダムに突然の訃報。彼女の遺産相続争いに巻き込まれたグスダヴは殺人容疑をかけられてしまう。

先ほど述べた冒頭のシーンに戻ります。本の裏表紙には作家の写真(※胸像の人ではない)。物語はその作家の回想でスタートします。若き日にグランド・ブダペスト・ホテルを訪れた時の記憶。そこで出会った深い孤独を刻んだ老紳士。その紳士は作家にかつて共に過ごした偉大なコンシェルジュ、グスダヴ・Hとグランド・ブダペスト・ホテルの物語を語り始める。

と、ここまでで、この映画は二重三重の入れ子構造になっていていることに気づく。ひとつ目が墓地の女性のシーンで、ふたつ目は彼女の本の中。みっつ目は更にその中の作家の回想で、よっつ目は作家の回想の中の老紳士の回想。というふうに物語は箱の中の中、またその中の中、といった具合に進んでいく。それはまるでおもちゃ箱のようで額縁の付いた紙芝居のよう。現に幕間が変わる毎にそれぞれのシーンを題したタイトルが画面いっぱいに表示される。

その映像は特徴的でウェス・アンダーソン監督は正面、真後ろ、若しくは真横からしか写さない。加えてシーン毎に統一したカラフルだけど淡い色使いは尚のこと紙芝居のような印象を与え、また登場するキャラクターはまるでスヌーピーのマンガのようにデフォルメされている。誰がどうという強いイメージ付けは控えられ、主役であろうが脇役であろうが同じトーンで語られる。ある意味平面的に、というか恐らく意図的に。有名俳優がバシバシ出てこれるのはそうしたトーン故、かな。そして全ての登場人物にどこかユーモア、どこか抜けているところがある、というのもチャーミングな点です。

映画はシュールでドタバタなブラック・コメディとして楽しめる。けれど特徴的なウェス・アンダーソン監督の映像美や不可思議さもあってファンタジーの要素も強くある。或いは追いつ追われつのクライム・ミステリーとして見る人もいるかもしれない。そのどれもが並列しているのは確かだが、やはり冒頭のシーンが気にかかる。

映画は「Inspired by the writings of STEFAN ZWEIG」という言葉で締めくくられます。シュテファン・ツヴァイクとは1930年代活躍したウィーンの作家だそうで、当時のウィーンはハンガリー・オーストリア帝国にありました。ユダヤ人への迫害もなく今で言う多様性が大いに認められた自由な雰囲気のその国家では文化的なサロンも充実し、シュテファン・ツヴァイクはそこでかのフロイトやカフカ、シュトラウスといった人々と交流を深めていったそうです。ツヴァイクは来るべき平和な世界をそこに見ていたのかもしれない

ところが時代はファシズムのが徐々に忍び寄るナチスが台頭してくる。やがてツヴァイクの祖国は完全に飲み込まれてしまう。そしてツヴァイクは自死を選んでしまう。絶望したのだろうか。

映画は基本的にはコミカルにテンポよく進んでいくがグロテスクな描写もあるのでご用心、ウェス・アンダーソン監督は要人物が最後にあっさりとああなってしまうことも含め、あの戦争のことを記憶させたかったのかもしれない。冒頭のシーンや「Inspired by the writings of STEFAN ZWEIG」という言葉は愛する作家、シュテファン・ツヴァイクを投影させ、自身の得意とする分野、得意とする手法であの戦争の時代を描くことではなかったか。

しかしそれはそれとして、絵本のように時折パラパラとページをめくり、或いは絵画のように部屋に飾って時折眺めたい、そんなチャーミングな作品であることは間違いない。まずはその世界に身をゆだねたい。

「聲の形」(2016年)感想レビュー

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「聲の形」(2016年)感想レビュー
 
 
先日、テレビ放送されていたこの作品、タイトルを見て気になったので録画をして観ました。僕はアニメーションには詳しくないのですが驚きました。アニメーションってこんなに繊細な表現ができるんですね。すごく丁寧な作りだなという印象を受けました。
 
てここで良かった点。オープニング曲にThe Whoの「My Generation」が使われていた!!僕としてはこれだけで、はい、観ます観ます!って感じでしたね。ま、なんでこの曲なのかはよく分かりませんでしたけど(笑)。
 
観ていて先ず思ったのはすごく作り手が冷静だなと。表現をしたいことがすごく明確にあってそこがぶれていかないという。だから高校生たちの青春物語であり、聴覚障害者が登場するというところに目が奪われがちですけど、それは設定に過ぎないというか、目指したい場所に向かって丁寧に歩を進めていく、そんな感じがしました。
 
あと、やっぱり言い過ぎないというのが効いてますよね。中にはちょっと分かりにくいという人もいるかもしれないですけど、敢えて説明しないというのかな、かといって分かる人にだけ分かればいいというのでもなく、分からないところがあっても、そういう感覚と並走していける優しさもちゃんとあるんです。
 
ただ、なんでもそうですけど分からないって当たり前のことなんですね。なんでも分かりやすくっていう時代ですから、すぐになんでも分かろうとしますけど、実はそうじゃなくって、この映画も当たり前にそういうトーンですよね。最後も明確な答えは出てこないし。でも明らかに彼彼女たちは成長してますよね。だから最初にこの映画は繊細で丁寧でって言いましたけど多分そういうことなんだと思います。
 
あとこれは一番思ったことですけど、主要登場人物の誰にも肩入れできない仕組みになってるんですね。誰とも近寄れない距離感がある。多分映画を観た人の多くは好きな登場人物っていないんじゃないでしょうか。でもそれもやっぱり当然というか、人ってそんな簡単なものではないですよね。そういう揺らぎが登場人物にちゃんとあって、こちらとの距離感も揺らいでいく。この感じもなかなか新鮮でした。
 
個人的な話になりますが、僕には小学校からの友人が何人かいて今も年に2回ぐらいは会うんです。30年以上の付き合いですからまぁ仲はいいです。でもだからといって彼らとの間には永遠の友情があるだなんて思っていないんです。人と人との関係はそんな簡単なものじゃないんです。30年以上の付き合いがあろうが、明日からはそうじゃなくなるかもしれない。人と人というのはそういう部分をはらんでいるんですね。
 
だからあの登場人物たちもね、これからも色々あるんです。今は友達ですけど、離れ離れになって結局誰一人一緒にはいないかもしれない。でもそれは別に驚く事ではなく普通のことなんです。でもずっと誰とも分かり合えないの嫌じゃないですか。ほんのひと時でも良い関係を築きたいし、楽しい時間を過ごしたい。だから多分僕たちは他者とコミュニケーションを図ろうとするんですね。そしてそのほんのひと時の繋がりが命を救うことだってあるわけです。
 
今の世の中って繋がろう繋がろうって割と簡単に言います。それはそれで良いことかもしれませんが、そうではない、人と人とはそう簡単には繋がれないんだよ、でもだからといってそこで切ってしまわないで、丁寧に握手をしようとする。そういう誰もが経験する、そして今も誰もが現在進行形で真剣に行っているコミュニケーションについてを非常にリアルに切り取った映画だと思いました。
 
最後に。この映画はすごく良かったんですけど、ちょっと女性の脚を見せるようなカットが多かったんですね。それ必要かなって。こういう絵は要らないんじゃないかなとは思いました。

ブロークバック・マウンテン」(2005年 )感想

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「ブロークバック・マウンテン」(2005年 アメリカ)感想

 

少し前に見た「君の名前で僕を呼んで」と同じく男同士の恋愛を描いた映画ではあるけれど、アプローチとしては真逆かもしれない。「君の~」が人の悪意が表に出てこないある意味現実離れした世界であったのに対し、本作では悲惨な描写も含めてゲイが普通の人と同じように生きていくことの出来なさを描いている。

映画は1963年から20年に渡る二人の関係が描かれている。途中、イニスが9歳の頃に目撃した同性愛者の悲惨な末路を語る場面があるけれど、それから数十年経った1980年代においても彼らを取り巻く環境は大きく変わっていなかった。

そんな中、二人はなんとか‘マトモ’であろうとするのだが、心に嘘は簡単につけるものではないし、人が生きていく上でも最も重要な愛の持って行き場がそれであるならば尚の事ごまかし続けて生きることは困難で、自分だけではなく周りの人をもその苦悩に巻き込んでしまう。現に二人とも女性と結婚をし子供を持ち、‘フツウ’の生活を営もうとするのだが…。

そういう意味では開き直りつつ自身のセクシャリティーに素直であろうとしたジャックの方が割と上手くやりくりをしているように見えるのは皮肉だ。一方のイニスは元来の不器用な性質もあり、掴みかけた‘マトモ’な生活を手放してしまう。

僕たちが暮らすこの文化というのは一体何が正しいのだろうか。少なくとも二人が過ごしたブロークバック・マウンテンでの日々でそれを問われることはなかった。羊や自然には関係のないことだった。しかし山を下りた途端、そこには社会が広がり、文化が広がり、そこからはみ出して生きることは到底許されなかった。たとえそれが自分にとって不自然な生き方であっても。

本来はストレートであったイニスと元々ゲイであったジャック。二人の生き方の対比が物語が後半に進むにつれ、より鮮明になっていく。物語の最後、上手くやれていたはずのジャックはこの世を去っってしまう。本来は悲しみだけが残るはずなのに、悲しみだけではない複雑な感情を残して…。

最後、イニスの元に別れて住む娘がやってきて結婚式に出席してほしいとお願いをする。今まで仕事が忙しく娘の願いを聞いてやれなかったイニスだったが、娘が本当に愛する人と結婚をするということを聞いて、彼はなんとか都合をつけて出席するよと笑顔でこたえる。それは何ひとつ人並みな幸せを掴めなかったイニスが初めて手にした素直な喜びだったのかもしれない。

ドラマチックにいいことが起きるわけでもないし、どうしようもない物語が続いていくのだけど、時間を忘れて2時限ずっと引き込まれていく、そんな映画です。

映画の舞台は1960年代から1980年代だけど、今現在はどうなんだろうか。確かにクイアに関しては理解されやすくなったとはいえ、本心を隠して生きている人はきっと多くいるだろうし、なかには映画の二人のように異性と結婚をして子供をもうけて、という人もいるかもしれない。

そういう事実はなかなか表立ってこないけど、きっとしんどい思いをしている人はたくさんいるのだろう。ではマジョリティーである僕たちはどうすればいい?

映画は積極的に知ろうとしなければなかなか耳に入ってこないことをエンターテイメントに落とし混んで教えてくれる。改めて映画は素晴らしいメディアだなと思いました。

映画『裏切りのサーカス』(2011年)感想

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『裏切りのサーカス』(2011年)感想

 

映画好きの友達から薦められまして、二度見必須ということだったので、そんなん2回も見てられるかいなと思っていたのですが、案の定2回見てしまいました。ていうか2回見てもよう分からん!!

舞台は冷戦時代。英国諜報部の中枢である‘サーカス’のある作戦が失敗をします。その責任を取らされ、サーカスの責任者であるコントロールと彼の右腕であるスマイリーはサーカスを解雇されるのですが、どうも情報が漏れていた疑いがある。二重スパイ、通称‘もぐら’が入り込んでいるようだと。その‘もぐら’探しを任命されるのがサーカスを解雇されたスマイリー。彼と彼が招集した特別チームによって‘もぐら’探しの捜査が始まる…、というのが導入部です。

話は淡々と進みますね。スパイ映画ですけどアクション・シーンはありません。人は死にますけど、これもあっさりズドンて感じです。説明的なセリフも一切ありません。ていうか必要以上に喋りません。特に主役のスマイリー、無口です…。

でもこのスマイリーがですね、喋らないんですけど表情が饒舌なんですよ。饒舌と言っても無表情に近いんですけど、これ、なんて言うんですかね、抑えた演技と言いますか、存在感だけで持っていっちゃうんです。流石ゲイリー・オールドマンです。時々、池で泳ぐシーンがあるんですけどあれもよく分かりません。このシーンいる?って感じなんですが、それはやっぱりいるんですね。あれがかえってスマイリーのキャラクターを造形していくというか、リアリティーをもたらしています。あぁこういう人なのねと。それにしても凄い演技や。

ただ凄いのはゲイリーさんだけではなくて他の面々も超個性的で、何なんですかこの人達はっていう。全員怪しいんですけど、怪しくないっていう不思議な感覚もありまして、さっき個性的と言いましたが、個性的じゃないと言えばそうとも言えるし、私何言ってるか分かりませんけど(笑)、つまり超没個性的なんです、サーカスの面々は。

証拠に先ず顔と名前とキャラが覚えられないんです。皆あんな個性的な顔をしているのにですよ!これは私の脳みその問題ではありません多分(笑)。それぐらいぼんやりしているんですね人物描写が。逆にサーカスのメンバー以外の諜報部員はキャラがはっきりしていますから多分この辺はあえてなんですよ。だからこれは私の脳みその問題ではございません(笑)。ていうかそういう演技する俳優たち、すげ~なと。

でさっきも言ったとおり説明的な描写やセリフがない。ここがどこだかもちゃんと見ていないと見ている方が行方不明になってしまいます(笑)。あれ、この人さっき死んだじゃんって人がまた登場していたりするし、そういう意味では見る方が積極的に関与していかないいけない映画でもあります。てことでこの映画を観る時は事前にWikiとかで名前と人物関係のチェックをしておくのがお薦めですね、Wikiはネタバレもないし。私も2回目見る時そうしました、2回目やのに(笑)。ま、頭の中に相関図を用意しておくとよいかも、ってことです。

ただこういう分かりにくいし、変に盛り上げることない映画だからこそかえって2回も3回も見れるというのはあると思います。私はTSUTAYAで借りたので2回見て返却しましたけど、アマゾン・プライムとかに入ってたら多分もう一回見てると思います。そういう意味では何度でも楽しめる、逆にエンタ-テイメント性の高い映画ではないでしょうか。そうそう、抑え気味の音楽も素晴らしかったですね。

最後にちょっとネタバレ的なこと言うと、スマイリーが敵の大ボスとかつて会った時の話をする場面があるのですが、この時のスマイリーがいつもの冷静さではなく、ちょっと狂気じみた小芝居をします。あと‘もぐら’が最後にスマイリーに言うセリフに「俺は歴史に名を刻む人間だ」みたいなことを言うんですけど、こういうベラベラ喋らない立派そうな大人にもちゃんと狂気が隠れているっていう、そういう描写もリアルで面白いと思いました。

で、そのスマイリーと‘もぐら’の場面がクライマックスかと思えば、そうではなく最後に切ないラストが用意されているんですね。愛憎というかそういう複雑なところがあって(この点、この場面にスマイリーは登場しませんが、彼もそうです)、ここは最後まで一生懸命に見た人だけが感じ取れるような作りになっていますから、あきらめずに最後まで積極的に見ていただければと思います。

それにしても謎解きのところがどうも分からん。やはりもう一度見ねば。

映画『ジョジョ・ラビット』 感想

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『ジョジョ・ラビット』(2020年)感想

舞台は第二次世界大戦末期のドイツ。主人公はヒトラーに心酔し、ヒトラーを空想上の友とする10才の少年ジョジョ。ヒトラー・ユーゲント養成キャンプでの訓練でウサギを殺すことが出来なかったジョジョは臆病者の烙印を押され、ジョジョ・ラビットとあだ名される。この時ジョジョは大ケガをする。ここもこの映画のポイントだ。

監督はニュージーランド出身のタイカ・ワイティティ。ジョジョの空想上の友達であるヒトラーはワイティティ自身が演じている。

主要登場人物は5人だ。主人公のジョジョ。ジョジョのママ。ユダヤ人の少女エルサ。ヒトラー・ユーゲントの教官キャプテンK。ジョジョの親友ヨーキー。あ、あとイマジナリー・フレンドのヒトラーも。基本コメディ映画だからか、ワイティティ監督のヒトラーに象徴されるように登場人物達のキャラが立っていて面白い。また、時折挟まれるジョジョとヨーキーの会話がかわいらしくてほっこりする。

映画の内容を書きたくてウズウズしているが、ネタバレになるのでここに多くを書くつもりはない。ひとつふたつ差しさわりのない程度で言うと劇中いろいろとキーになる言葉や物、しぐさが出てきて、それらが最終的には見事に連結していく。だからよーく見ておくように、とは言わない。何故なら誰にでも分かるような形で提示されているから。そういう監督の姿勢が素敵だ。そうこなくちゃ。

調度品や衣装も素敵だ。子供も大人も皆オシャレ。映像も鮮やかだ。特に陽気で茶目っ気たっぷり、けれど影のあるジョジョのママに目が行く。フェアで勇敢なママ。ジョジョにはこんな素敵なママがいる。最後まで観た僕たちはそんなママのセンスがジョジョに受け継がれているのを確信する。

戦争は大人が始めたものだけど、最後に格好いい大人が登場するのも嬉しい。彼は戦争で片目が見えなくなったけど、そのことで別のものが見えるようになったということ。彼の衣装も最高だ。

ジョジョの家に匿われているユダヤ人、エルサ。守られるべき人という描写だけではなく、年頃の女性としての強さも持っている。彼女の衣装も素敵だ。たらかしたサスペンダーが格好いい。

冒頭のビートルズなど音楽もバッチリ決まっているが何より最高なのはデヴィド・ボウイの『ヒーローズ』。トレーラー映像でも使用されているのでここは隠さなくてもいいだろう。デヴィッド・ボウイはベルリンとも縁が深い。何処でかかるかは言わないが兎に角最高だ。あの場面、今どきのヒップホップではなくてギター・フレーズでウズウズするのが嬉しい。ここもやはりそうこなくちゃだ。

ところで、海外では思い出したようにヒトラー関連の映画が公開される。或いは人種差別の映画もそうだ。そうした映画が欧米では多くの地域で上映され、評価の対象となる。昨年は日本でも『朴烈と金子文子』という素晴らしい韓国映画が上映されたが、残念ながらミニ・シアターでひっそりと。アートの受容度で言えば、日本はかなり立ち遅れていると言わざるを得ない。愛知ではあんなこともあったしな。

それにしても。アレとかコレとか映画の内容を言いたくてウズウズする。ぽっちゃりとしたメガネのヨーキーも聡い子だ。いかんいかん、これもネタバレになる。『ヒーローズ』のギターが僕の今の気持ちとマッチする。あぁ、ウズウズして踊りだしたい気分だ。でもその前に…。僕も「できることを」しなくちゃだ。

映画『グリーンブック』 感想

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『グリーンブック』(2018年) 感想

 

主人公の一人、トニー・ヴァレロンガはこの時代(1963年)の多くの白人たちがそうであるように、黒人に対し差別的に扱うことを当たり前のこととして享受している恐らく本人たちはそれが殊更人種差別であるという認識を持っていない。何しろこの時代はそれが当たり前だったから。

証拠にトニーは仕事であれば黒人であるドク・シャーリーの運転手兼マネージャーを勤めることを厭わないし、ボスである彼の指示に一応は従う。けれど基本的には黒人に対しての差別心を持っている。

ここが微妙なところで、所謂今で言うレイシズムとはニュアンスが​異なる​のかもしれない。トニーに代表される当時の白人たちは何も知らないだけで、ただ黒人は卑下されるべきであるという昔ながらの慣習に従っているだけなのかもしれないのだから勿論それも紛れもない人種差別であるが)。

つまりは彼らは学べは肌の色の相違による差別はおかしなことだということに気付ける​人間だ​いうこと。根っからのレイシストは別にして、トニーのようなごく常識的間は(にしてはトニーは超個性的だが)それぐらいの感性を持っているし、それは何もトニーが特別​​だということではない。

知るということをトニードク旅で学んでいく。トニーは黒人がどのような扱いを受けているかということを​知り、エリートであるドクは南部の黒人がどのような暮らしをしているかということを知る。今はインターネットがあるから色々なことを知ることは容易だが(単に知ることは知ったことにはならないが)、当時は直に体験することでしか知ることは出来ない。その中でも最も手っ取り早いのは単純に人と人とのふれあいだ。

少しこじつけになるけれど、日本にもこれから多くの外国人がやってくる。島国である性格上、爆発的な移民という形は取らないかもしれないが、我々の教室に職場に隣近所に外国人はやってくるだろう。その時最も単純に知る方法はやっぱり人と人とのふれあいではないか。

外国人に限ったことではない。身体が不自由な人もそうかもしれないし、性的マイノリティ​ー​もそうかもしれない。知らないことを知ることは互いに良きものをもたらす。その事を僕たちはもう少し積極的に考えてもよいのではないか

勿論ことはそんな単純な話ではないけ​れ​ど、僕たちだってそれぐらいの感性はあるはずだ。事実、実在するトニーとドクはそうやって事態を乗り越えてきたのだから。

 

映画『きっと、うまくいく』感想

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『きっと、うまくいく』(2009年公開)

 

映画好きの友人に薦められて観たのですが、滅茶苦茶面白かったです。ホント、こんな素敵な映画を紹介してくれてありがとうって感じ。観たばっかりなので少し大げさな言い方になってしまいますけど、僕がこれまで観た映画の中でも3本の指に入るじゃないかっていうぐらい本当に心に響く素晴らしい映画でした。

内容を簡単に言うと、インドのエンジニア専門のエリート大学生3人が引き起こすあれやこれやの騒動と彼らの10年後の再会が同時進行で進んでいくというお話。

とにかくインド映画ですからエピソードてんこ盛りで途中歌ありダンスありの壮大なエンターテイメント絵巻。トータル3時間もありますから、それこそ大河ドラマのような中味の濃さなのですが、それでいて全く破綻することなく見事にまとめられていて監督、というか脚本も含めて本当によく出来た映画だと思います。

インド映画と思って侮ることなかれ。要所要所で登場する小ネタやあちこち飛びまくるエピソードがほったらかしどころか見事に気持ちよく回収されていきます。ホント、とんでもない映画です!

この映画はハッキリ言って滅茶苦茶です。そんなアホなという展開だらけです。きっと、うまくいく?そんなうまいこといくかいなっていうエピソードだらけです。ところがそんな映画にどんどん引き込まれていく。それは何故でしょうか。

少々大げさでもいいんですね。少々やり過ぎでもいいんです。要はその時の心の動きがどうなっているかで、言って見ればそれは現実とは少しばかり離れた心象風景。そこに僕たちの持ちうる想像力が重なればそれがリアリティーになるのです。

目の前の景色を真面目にキチンとそのまま描いたとして、それが聞き手にとってのリアリティーになるかどうか。多分、人に伝えるというのはそういうことではないのかもしれません。

この映画は色々な要素がてんこ盛りです。歌ありダンスありで社会的な問題も絡んできますし、謎解きの要素もある。下らない冗談ばっかと思いきや急にシリアスになる。でもそれらが違和感なく溶け合ってより大きな渦となる。

僕は音楽が好きなのでつい音楽で例えてしまいますが、音楽もメロディがあり言葉があり、バントの演奏があり声があり、それらが有機的に絡み合って一つ曲になる。そう考えると色々な要素を含んだこの映画の節操の無さも意味があることなのです。

さっきも言いましたが現実はそんなうまくいきません。でもこの映画の主人公たちは「アールイズウェール(きっと、うまくいく)」と唱えることで何とか乗り越えてゆこうとする。それは一見リアリティーのないことかもしれないけど、結局は理屈ではないんですね。大きな視座で見れば同時にそれも真実なのだと思います。

つまりとにかく「きっと、うまくいく」ことに向けて努力を続ける。良い意味での楽観性は人に良きものをもたらす。そういうことではないでしょうか。

映画は170分ありますけど、本当にあっという間です。170分も観ておきながら、最後はまだ主人公たちとサヨナラしたくない!終わってほしくない!という気持ちになりました。僕にとってはそれぐらい特別な映画でした。しばらくは「アールイズウェ~ル♪」が頭から離れそうにないですね(笑)。

映画「ぼくらの七日間戦争」感想

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映画「ぼくらの七日間戦争」 感想

小学五年生の息子が宗田理さんの「ぼくらのシリーズ」が好きで、とりわけ「ぼくらの七日間戦争」がお気に入りだ。その息子がこの年末年始に公開中のアニメ映画「ぼくらの七日間戦争」を観に行きたいと言う。普段はそういうことをあまり言わない息子が言ったのでこれは連れて行ってあげねばということで、親子二人で行ってきた。

息子によると今回の「ぼくらの七日間戦争」は原作から数十年経った設定のオリジナル脚本とのこと。調べるとかの宮沢りえさんも声優として特別出演している。もちろん、当時の役の名前のままで。

僕は宮沢りえさんと同年の生まれだ。映画が公開された当時の宮沢さんは凄い人気でクラスメートにも彼女の大ファンがいた。僕は随分と奥手な少年だったから何とも思わなかったけど、何年かしてテレビで放送されたときはしっかりと観た記憶がある。でもやっぱり自分とは違う世界の出来事だなぐらいの印象しか持てなかったのではないか。

今回の新しい「ぼくらの七日間戦争」は今の時代に添うようにネットやジェンダー、そして外国人就労者の問題もちりばめられていて、僕の息子がこういうポップカルチャーを通してそれらの大切なことを学んで行くのはよいことだなと思った。表現者としてそれらデリケートな問題を扱うことは難しかったと思うけど、表れかたとしては悪くなかったと思う。

アニメということで随分と無茶なアクションがあったり、ストーリー的にもリアリティーがあったとは言い難い部分が多く見受けられたが、根本には「子供の視点」という大きな幹があり、そこが揺るぎようがなくガッシリとしていたのは良かった。「子供の視点」なんて言うこと自体胡散臭いが、そこを何とか表現しようとする気持ちは伝わった気がする。

小学生も高学年ぐらいになると自分なりの物の見方が表れてくる。息子は私に似ず割りと正義感が強く、また大人の狡さにも憤りを感じている風なところがあって、恐らくそういう部分からこの映画を観たいというところに繋がったのかもしれない。

彼は映画を観た後とても満足気で十分楽しんだ様子だった。僕は帰り道で彼に「大人におもいっきり反抗したらええんやからな」と余計なことを言ってしまった。子供の頃に観た映画は強く心に残るものだ。そんなこと言われなくたってこの映画は彼の心に強く響いたに違いない。

映画を観終わった後、オリジナルの「ぼくらの七日間戦争」を観た当時の僕とは違い、息子は映画から何かを受け取った様子だったのでパンフレットを買ってやろうとしたら、彼はパンフレットじゃなく原作本が欲しいと言った。勿論、彼にプレゼントするつもりだ。

※ここからはネタバレですので、この映画を観ようとしている方はご注意を(笑)

ちなみに映画の最後の方で宮沢りえさん演じる中山ひとみが登場し「人生なんとかなるものよ」というセリフを言うのだが、この言葉に宮沢りえさんがダブって聞こえてグッと来た。ざっと見たところ、この日の観客に僕以外の中年はいなかったようなのでそんなことを思っていたのはきっと僕だけだったのではないだろうか(笑)

映画『イエスタデイ』感想レビュー

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『イエスタデイ』(2019年) 感想レビュー

もし世界にビートルズが存在していなかったら。この誰もが思い付きそうで思い付かないアイデアが先ず秀逸ですね。このアイデアを思い付いた時は「よし、これだ!」と小躍りしたんじゃないでしょうか(笑)

そこでです。設定としては最高なんですが、じゃあこれをどうやってドラマに仕立てていくか。そこがこの映画の見どころです。

話の筋としては、ミュージシャン志望の冴えない青年がそろそろ夢を諦めようとした時に、あるきっかけで世界は彼以外の誰もビートルズのことを知らない世界になってしまう。そして彼はビートルズの曲を自作の曲として歌いスターダムにのし上がってゆくというものです。

この誰もビートルズを知らない世界になるっていうきっかけが何じゃそりゃ感はあるのですが、その辺は冒頭のことですから、ここは設定の面白さで押し切れちゃいます。

その青年、ジャックは一躍時の人になるのですが、やっぱりね、後ろめたさはあるわけです。そういう意味では普通の人が一気に出世をして我を失う、けれど最終的には色んな人の助けを借りて自分を取り戻す、っていうよくあるパターンとはだいぶ異なります。ジャックは基本ずっと好人物ですから。

面白いのはジャックの後ろめたさが観ているこちらにも伝わるというところ。ジャックは真面目で優しい奴なんですが、事情が事情なもんでスターダムにのし上がったとしても観ているこっちは単純に喜べない。例えば『ボヘミアン・ラプソディー』のフレディみたいによし頑張れとはならないわけです。好青年のジャックを応援する気持ちはあっても観ているこちらの気持ちとしては中々盛り上がっていかない。そういうもどかしさを共有していく映画でもあります。

で、そこをどう決着を付けていくか、ビートルズが存在しないという世界を最終的にどう回収していくのか。その解決法がこの映画を好きになるかどうかの分かれ目なんじゃないでしょうか。

その結末ですが、ここは非常に真面目に取り組んでいると思います。気をてらった、或いはどんでん返しが待っているということではなく真面目に向き合っている。納得感を持たせるべく少しずつ積み重ねている気はします。ありがちな安易なクライマックスへ持っていかないところは好感が持てますね。そこはやっぱりビートルズへのリスペクトがあるからではないでしょうか。

ジャックはクライマックス前にある人物に会いに行きます。もしかしたらここはやり過ぎという声があるかもしれませんが、この出会いが最後のジャックの決断を後押しすることになる。ちょっとしたサプライズも含めここは感動的でした。

あと最後に付け加えると登場人物が皆いい人(笑)。ジャックの友達で何かと面倒臭いキャラのロッキーも最後はいい事言います(笑)。そういう意味でもこの映画は設定上、感動ストーリーと思われがちですが、基本はコメディと捉えて観た方がよいのではないでしょうか。実際笑うとこはいっぱいありますし(笑)。

もうひとつ。主人公のジャックは白人ではなく移民系ですね。『ボヘミアン・ラプソディー』もそうでしたし、今アメリカで公開されていて話題のブルース・スプリングスティーン絡みの映画『Blinded By The Light』もそうです。この辺りも物語にリアリティーを与えているのかなという気はします。