プールサイド

ポエトリー:

「プールサイド」

溺れること
歪んだ理想
僕たちは水泳選手になりたかったわけではない

プールサイド
血染めのタオル
僕たちは死ぬまでに何リットルの血を流すのか

濡れる歩道に
息づかいに
よどむあなたの足取り
その足り得る武器で
波立つプールの
荒い呼吸音

大丈夫、
敵わぬはずはない!
報われぬはずはない!

 

2021年1月

Truth or Consequences / Yumi Zouma 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
Truth or Consequences(2020年)Yumi Zouma
(トゥルース・オア・コンシクエンス/ユミ・ゾウマ)
 
 
オシャレやねぇ。こういうの好きです。オレにはオシャレ感ないけど(笑)。こういうのドリーム・ポップ言うらしいです。上手いこと言うてるようでよう分からん言い回しですけど、あれですよ、囁き系の女性ボーカルにシティ・ポップなメロディー、それが浮遊感あるサウンドに包まれるっていう。んん~、それもよう分からん説明やな(笑)。ま、オシャレってことで。
 
ただまぁこの手のサウンドは好きな人多いですから、それこそ実際に取り組んでらっしゃるアマチュア・バンドもたくさんいると思うんです、なんか出来そう感もあるしね。ただ、これだけの完成度はなかなか出来るもんじゃございません。特にメロディですね。世界最強のオシャレ・バンド、フェニックスを思い起こすようなメロディもいくつかあって、そこで先ずがっしりと掴まれますね。このメロディを持ってたら浮遊感だろうが、対極なハードロッキンだろうがなんでもイケルで~。
 
加えて耳当たりがすごく良い。韻なんですけど、その踏み方というか流し方が抜群ですね。あと言葉の切り方ですか、例えば#3『Southwark』のサビですけど、「Oh and I am imperfectly yours」って繰り返すんですけどここを「Oh and I am imper」と単語の途中で一回切って「fectly yours」って続けるとこなんてオシャレそのもの。つーか「Oh and I am」って言い回しもオシャレやないかい。ここに一拍ずれたようなコーラスがこれまた囁きボイスで被さってくるっていう、どんだけオシャレやねん!こーゆーのが全編流れてますから、もう盤石ですね。
 
ところでこのバンド、昔タワレコで手書きポップに惹かれて視聴した記憶がありまして、それは多分デビュー作だったと思うんですけど、聴いていいなとは思ったんです。ただそれ以上のものはなかった。要するにまだ雰囲気に勝るものがなかったんですね。でも名前は記憶に残った。そして2020年の年間ベスト、なんの媒体だったか忘れたけどそこそこよい順位で載っていた。あぁ、あのバンドじゃないかと。で聴いてみたら、すごく良かった。バンドとしての音像が完成してるじゃないですか。こうなりゃ強い、しばらくは良い作品を出し続けるんじゃないかと思います。
 
製作の方ですが、連中はニュージーランド出身ですが、リモートで作っています。それもコロナだからというんじゃなくて、メンバーがロンドンとかニューヨークとか別々に暮らしているから前々からそういうスタイルだったと。2020年はリモートで作られた作品が数多くありましたけど、彼女たちはとっくにリモートでやり込んでいてそういうスキルもちゃんと磨いてきているわけです。だからか分からないですけど、聴いててやっぱちゃんとバンド感がある。個々ではなくバンドとしての音が飛び込んでくる。そういう仕組みのそういうバンドで、なんか雰囲気も独特な感じはあります。
 
しかしまぁ、フェニックスとかThe1975とかオシャレ・バンドめっちゃ好きやなオレ。最近じゃThe Japanese House とかもそおやし。そのオシャレ感、オレにも分けてくれや~。

映画『すばらしき世界』(2021年) 感想

フィルム・レビュー:

『すばらしき世界』(2021年)

 

映画は当初、原作どおり『身分帳』というタイトルのまま行く予定だったらしい。ところが撮影が進んでいくうちに、思うところがあって西川美和監督は『すばらしき世界』というタイトルに変えたそうだ。
 
何故だろうか。監督は今までオリジナルの脚本でしか映画を作ってこなかった。けれど今回は『身分帳』という原作に出会って映画化しようと考えた。それは当然のことながら、ストーリーのみならず主人公にも魅力を感じたからであろう。そして撮影が進むにつれ、紙面でしか存在しなかった主人公がリアルな魅力を放ち始める。しかも演じるのは役所広司。生身の三上がそこにいるのである。
 
映画の後半では三上の就職祝いパーティーが開かれる。彼を支援してきた心暖かい友人たちは口々に言う。「もっと自分を大切に」、「辛抱することも大事」、「我慢できないときはここにいる私たちを思い出して」と。三上は頭を垂れてもう二度と短気は起こさないと誓うが、最も近くで三上を見てきた津乃田は複雑な思いだ。映画を観ている側の我々も答えのない疑問に迷い込む。こうやって三上が ‘丸くなる’ ことを望んでそれでよいのだろうか。「善良な市民がリンチにおうとっても見過ごすのがご立派な人生ですか!」と激しく苛立った三上を消し去ってよいのだろうか。
 
当初は三上の生き方を相容れなかった津乃田はしかし、三上と長い時間を共有することで彼の人間的魅力に惹かれていく。そしてそれは自身を見直す契機にもなる。三上に最も近い観察者である津乃田はすなわち映画を観ている我々でもある。そして津乃田や僕たちをそう導いているのは西川美和監督に他ならない。けれど監督にそう思わせたのは三上であるという循環。
 
僕たちはそこにいなかったがそこにいた。そして三上という人物に触れた。原作『身分帳』は乾いた筆致が魅力であるけれど、三上を或いは彼を取り巻く世界を知った以上、もうそれを『身分帳』という ‘乾いた物’ で言い表すことはふさわしくない、監督がそう考えてもおかしくないのではないか。 生身の人間が行き交う世界、それを西川美和監督は『すばらしき世界』とした。そしてそれは′ご立派な人生’ を歩む僕たちの世界をも含んでいる。
 
監督はこれまでオリジナルの脚本でしか映画を撮らなかったが、今回初めて原作のある話の映画化に取り組んだ。そして原作とは異なる視点を持ち込んだ。意味を限定する固有名詞である『身分帳』から意味を規定しない『すばらしき世界』へ。今となってはこれ以上のタイトルは考えられない。

備忘録

その他雑感:
 
 
 
その日、大阪市内にある会社でパソコンの画面を見つめていると、何か画面が揺れているような感覚になった。最初は気のせいかと思っていたのだが、だんだんと軽い車酔いをしてるような気分になり、あれ、オレなんか調子悪い?眩暈でもしてるのか?と思い始めた。まるで液状化現象のような、何か柔らかいものがゆっくりと動いているような感覚だった。
 
ほどなく誰ともなく、俺も、私も、と同じような感覚を口にする人たちが現れ、僕たちのフロアは1階だったので、すぐ隣の駐車場へ、「地震かな?」とか「地震とはちょっと違うよな」とか言いながらパラパラと外へ出始めた。 同僚としばらくそこで話をしていたが、特に何も起きる気配はなかったので、僕たちは事務所に戻って仕事を再開した。けれど柔らかいものの上に乗っているような感覚が完全に体から抜け切れたかどうかは判然としなかった。
 
デスクに戻り、ヤフーニュースをチェックすると、確か「宮城県沖で地震発生」との速報のみが表示されていたと記憶している。しかし、先ほど体験した感覚は僕の知っている地震とは違ったし、何より宮城県の地震がここまで影響を及ぼすとは考えにくかったので、この二つを結びつけることはなかった。未曾有の災害が起きたと知ったのは、家へ帰ってテレビを付けてからだった。
 
僕は大阪に住んでいて被害は受けていないが、毎年3月11日になれば、あの日、自分は何をしていたかを思い出している。特に意味はないが、このことはこれからも続けていくだろう。

『すばらしき世界』(2021年) 雑感 その2

フィルム・レビュー:

『すばらしき世界』(2021年) 雑感 その2

※以下、ネタバレありですのでご注意ください。

 

前回の投稿では感想と言いながらちょっと映画とはかけ離れてしまった感かあるのでここで改めて。というよりやっぱり思うところが沢山出てくる映画でなんです、なんか気づいたら考えてるっていう。だから『すばらしき世界』というタイトルはホント奥行きのあるタイトルだなと、原作は『身分帳』という小説なんですけど(早速、買いました)、よくぞこのタイトルに変えたなぁと思います。

映画は人生の大半を少年院や刑務所で過ごした男が社会に復帰するもののうまく馴染めないというところを人と人との関係においてどうなっていくのかというのが主なストーリーにはなっているんですが、男の苦悩が合わせ鏡のように僕たちに返ってくるんですね。つまり主人公は弱いものが責められているのをほっとけないし、間違ったことを見過ごすことは出来ない。一方僕たちはホントは正しいと思えることでもそ知らぬフリをしたり、えっ、気づかなかった、みたいなズルい生き方をしていることが往々にしてある。もちろん正義のつもりでも相手を半殺しにする主人公はよくない。でもお前はどうなんだって。

映画のラスト近くで主人公は介護施設に職を見つける。そこで若い同僚が同じく同僚の障害者をあいつはホントに出来ねぇと言ってイヤなものまねをするんです。で映画を観ている僕は思うわけです。以前と比べて世間と折り合いを付けれるようになった主人公はこれまでのような暴力ではなく、違うやり方で若い同僚を戒めるはずだって、いや戒めて欲しいと。でもそれって勝手な話ですよね。主人公に対して散々世間ともう少しうまくやりなさいと言い続けてきたくせに、いざとなりゃ自分のことは棚に上げ、主人公に本来の正義感を発揮していさめて欲しい、ギャフンと言わせて欲しいと願う。なんて勝手な話だと思う。そういう風にして色々なことが観ているこっちにそのまんま返ってくる、そんな映画だと思います。

2018年度の犯罪白書によると、2017年の検挙者のうち再犯者は48.7%。受刑者の約半数が再犯者になっています。加えて2017年の再犯者の72.2%が逮捕時には無職でした。しかし何も好き好んで無職になったわけでありません。僕たちの側(と言ってしまうこともどうかと思いますが)にも大きな問題があるのです。

介護施設で働く主人公は素性を隠して生きています。自分に嘘がつけない主人公が自分に嘘をついて生きている。本来であれはちゃんと刑期を終えたわけですから元受刑者であったことを隠さなくてもよいわけです。けれど隠さざるを得ない。映画のクライマックスで主人公は同僚の障害者から花をプレゼントしてもらいます。その瞬間、二人は裸の魂の交感をする。その刹那、主人公は恐らく同じものを相手に見たんですね。とてもエモーショナルで美しい場面でした。

主人公は自分に嘘が付けない。一方僕たちは毎日小さな嘘をついている。主人公は心の声に従い暴力を用いてそれを正そうとする。それは良くない。けれど僕たちは見なかったフリをしてその場を立ち去る。何が正しくて何が間違っているのか。だんだん分からなくなってくる。でもそれは簡単に答えが出せるものではないし、むしろ答えなどないのかもしれない。『すばらしき世界』とはなんなのか。正しさとはなんなのか。これは観たものにそんな問いを残し続ける映画なんだと思います。

最後に、役所広司さんをはじめ皆さん本当に素晴らしいかったです。役所広司ではなく三上さんがそこにいました。主要人物だけでなく、街のチンピラやソープ嬢といった少ししか登場しない人たちにも本当にそこにいるようなリアリティーがありました。素晴らしい作品です。映画館で観て本当によかったと思います。

『すばらしき世界』(2021年) 雑感 その1

フィルム・レビュー:

『すばらしき世界』(2021年) 雑感 その1

 

映画を観た後、友達と会う約束をしていて、コロナだからホント久しぶりで、その時にまぁ久しぶりだからか随分と真面目な話もしたんですけど、その時の話の流れで、僕には小学生時代からの友人がいて、もう色々と知った仲ではあるんだけど、そういう人たちとも何かのきっかけでもう二度と会わなくなるなんてこともあり得るんだという話をしまして。もちろん大切だし彼らがいなくなったら僕は声をあげて泣くかもしれないけど、人と人との間というのは何が起きるか分からないし、だからと言って人と人との関係に絶望している訳ではないし諦めている訳ではないし、そこは信じている、ただそういうこともひっくるめて人間関係なんじゃないかなというような話をしたんです。

映画は最後に思いがけない終わり方をして、終わり方が思いがけないというのもあって、映画のタイトル『すばらしき世界』が僕には大きな壁として立ち上がったんです。で、映画を観終わった後もずっとあのタイトルはどういう意味だったんだろうと考えていました。それでその後友達とたまたまそういう話をして、その時はもちろん映画のことなどすっかり忘れていたんですけど、今になってあぁそうか、『すばらしき世界』というのはそういうことも含まれているのかもしれないなって、不思議となんか繋がったんです。

また一人の帰り道。これも唐突な話ですけど、何年か前に樹木希林さんが日曜美術館で、その時の回は北大路魯山人の話だったんですけど、魯山人には彼のことを理解してしくれる人がいた、で、司会者は樹木さんに「樹木さんには分かり合えるひとはいますか」というような質問をしたんです。その時に樹木さんは「人に期待してもらっては困ります」なんて返したんですね。当時僕はそれを聞いて涙が出そうになったんですけど、そのことを帰り道で不意に思い出した。樹木さんも恐らく人に対してたかを括ったり諦めていたということではないと思うんです。樹木さんは愛情をこめてそれを仰った。だからこそ僕は胸が熱くなったんだと思います。そこもなんかこの映画から呼び起こされた記憶なのかなっていう気がしています。

前夜

お話:

「前夜」

 

マグネット大王はなんでもくっつける
けれど大王が恋をしたのは竹の女王
くっつかないじゃない
どうしたら仲よくなれるかな

大王はじぃに尋ねました
どうすれば竹の女王と仲よくなれるかな
じぃは思案しました
「そういえば大王、村の奥の奥のずっと奥に土とともに暮らす一族がいるとか
 確か、、確か、、、
 そうじゃ、確か砂鉄と言っておりましたな」

大王は砂鉄をお城に招きました
「そ、その、、そのさっ、
 なんで君たちは砂なの?
 どうやったら土と暮らせるの?」
砂鉄は困りました
生まれてこのかた、ずっと土と暮らしているからです
「ま、あれじゃないの、毎晩お月さんにお願いしとけばなんとかなるんじゃないの!」
チャラいぞ!砂鉄!!

真に受けた大王は毎晩月に祈ります
毎晩毎晩祈ります
闇夜に浮かぶマグネット大王
その姿が夜空に溶けていく

噂は山の向こうの竹の女王の耳にも入りました
「ばぁ、あの噂知ってる?」
「あら、女王のお耳にお入り?」
「そのマックナゲット、、、じゃなくてマグネットさんは何をお祈りしているのかしら?」
「よくある話ですよ」
「よくある話って?」
「叶わぬ恋の話です」

大王は来る日も来る日も月に祈りました
一方女王のほうでも、竹の女王はいつもひとところにいるものですから
恋するあなたのもとへと流れ着きたいというロマンチックなお話に心が傾き始めています
「ねぇ、ばぁ
 大王が好きな人って誰かしら?
 虹のふもとのあの人かな、それとも湖の王女かな?」

大王は来る日も来る日も月に祈りました
けれど叶う気配は一向にありません
砂鉄になって女王のもとへ飛んでゆくなど夢のまた夢なのでしょうか

しかしその日は不意に訪れました
三日月が更に薄くなった月ごもりの夜、
焦がれて焦がれて焦がれ尽くして
とうとう大王は砂鉄になりました

その夜、大王はお城から姿を消しました
じぃはにっこり微笑みました
よく朝
山の向こうのまっすぐ伸びた若竹の根は赤く色づいたそうです

竹取の翁が竹やぶに入っていったのは
それから何年も経ってから
ひときわ輝く満月の夜だったそうです

『RBG 最強の85才』(2018年) 感想

フィルム・レビュー:
 
『RBG 最強の85才』(2018年)
 
 
ルース・ベイダー・ギンズバーグさんのことは恥ずかしながら、この映画が公開されるまで知りませんで、最高齢の女性最高裁判事であり、米国の国民的アイコンであるというのを何かの記事で知り、是非見に行きたいなと思っていたのですが、気付いたら公開が終わってました。
 
で去年にそろそろTSUTAYAに出てるかなと覗きに行ったのですが残念ながら置いてなくて。ギンズバーグさんの映画はもう一本、『ビリーブ 未来への大逆転』というのもあるよと、友達に教えてもらったんですけど、これもTSUTAYAに置いてない!あぁ、AmazonプライムとかNetflixとかしな見られへんのかぁ、と思っていたら、なんとEテレの『ドキュランド』でやっとるやないか!始まる10分前に気づいたオレ偉い!ということで流石Eテレ、ええのんやりますなぁ。
 
  女性最高裁判事ということで勝手にヒラリー・クリントンとか小池都知事のようなガラスの天井ぶち破るみたいなイメージを持っていたのですが、いやいや全く正反対でしたね、ギンズバーグさんは。そこがまず新しいというか、新しいなんて言うと怒られるかもしれんが、女性であっても相当の地位に上り詰める人は男同様マッチョな人なんだというイメージを勝手に持ってたんですけど、今の時代そればっかりじゃないんですね。僕が知らないだけで、物静かで大人しい人でもリーダーを務めている人は沢山いるんです。女性であっても男性であっても。
 
だからまぁ特別感というのが薄いんですね、自分とは関係のない秀でた人、遠い存在ではないんです。世の中特別な才能を持った人より、僕もそうですけど自分をなんの取柄もない普通の奴だと思っている人が大半ですから、やっぱりギンズバーグさんの生き方というのはやっぱ励みになる。もちろん簡単にはいかないですよ、ギンズバーグさんの努力はすんごいですから(笑)。でも明らかにこいつ凄いなっていう才能ではなく、ギンズバーグさんの自分がすべきことに全力で取り組む姿勢というのは、僕たち自身の仕事で頑張ったり、夢を叶えたいなっていう道筋を照らしてくれますよね。これはやっぱり大きな勇気に繋がります。彼女が若い子に特に人気があるっていうのは凄く分かります。
 
あと彼女はいつも冷静で声を荒げたりしないですよね。映画でも「赤ちゃんに喋りかけるように話すことは何度でもあった」って話してた(笑)、そういう落ち着いた態度も凄く憧れます。凄みとか圧力とかでじゃなくて論理的に話す。それでも分からない人にはもっと分かりやすく赤ちゃんにも分かるように話す(笑)。そのためにしっかりと勉強をしてこれでもかというぐらい準備をする。結局、近道はないんですね。でもそこを徹底的にやりぬいた。
 
僕なんか誰かを出し抜きたいとか、いい恰好をしたいとか、いい風に思われたいとかいうのがやっぱり抜け切らないんですけど、そういうところじゃなくて為すべきことをするっていう。ホントかっこいい人です。
 
この映画は怠惰な自分を戒めるためにも定期的に見るべし、ですな。もう永久保存版です。

Shiver / Jónsi 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Shiver』(2020年)Jónsi
(シヴァー/ヨンシー)
 
 
シガー・ロスのフロント・マン、ヨンシーさんのソロ第2作。本体のシガー・ロスはほとんど聴いたことがないんですけど、2010年のソロ第1作『GO』は気に入ってよく聴いた覚えがあるので、今回はどんな感じだろうとすごく興味を惹かれました。
 
シガー・ロスのこともヨンシーさんのこともよく存じ上げないので、最近の活動状況を今一つ分かっていませんが、このアルバムを聴くと乗りに乗ってるというより、今現在は過渡期なんじゃないかなと思いました。
 
もちろん、ソングライティングに長けた方なので、曲は悪くないし、何しろあの声を持ってらっしゃいますから、それっぽさはあるんですけど、なんかガシッとしたイメージが固まってこないなというのはあります。あくまで僕の印象ですが。
 
アルバム屈指のポップ・チューンがRobinて方との共作?というのもなんかねぇ。しかもまんまパッション・ピットやん!ていう(笑)。やっぱあの『GO』が大地と鳴動するようなオーガニックなサウンドで独自の世界観を築いていましたから、どうしても比較しちゃうというか。今作はあの景色が動き出すようなサウンドが見いだせないというのはあります。って繰り返しますが、あくまで僕の感想です。
 
てことでサウンドは『GO』とは対照的に機械的です。て書くと誤解されそうですが、メタリックな質感ということですね。この独特なサウンドを手掛けたのはA.G.Cookという方のようです。ヨンシーさんの神秘的な声とメタリックなサウンドの融合というのは一見相反するように見えますが、逆に相性いいです。うん、ナイス・アイデア。
 
ただやっぱりなんかガツンというのがね、じゃあそっからどう飛躍していくんだ、というのが僕の感性では掴みそこねてます(笑)。メタリックな感じなんだけど、賛美歌のような、祈りのようなヨンシーさんの教会音楽ではあると思うんです。だから聴き方をそっちに据えればよいのかもしれませんが、なんか僕の中でどっちかに偏れないという宙ぶらりんな感じが続いちゃってる感があります。
 
ていうか今回Spotifyでしか聴いてないので、あんまり偉そうなこと言えないか(笑)。やっぱリリックをちゃんと読まんとな。

『永遠のソール・ライター』in 美術館「えき」KYOTO 感想

アート・シーン:

『永遠のソール・ライター』in 美術館「えき」KYOTO 感想

 

僕は詩が好きで常に何かを読んでいるものだから、自分の中にも時々言葉が落ちてくる。そうするとやっぱり書きとめたくなる。ただ、そうやって自分の楽しみで書いていたものが、やがてこれは何か意味があるのかなって思わなくもない。例えば他の人の詩には切実な思いがある、書かずにはいられない理由がある、気がする。けれど僕はどうだ。そんな切実な思いないやん。

ソール・ライターの写真展に行ってきた。一言で言うとオシャレな写真です。見てるとあれもこれもと沢山の気付きがあって語りたくなる、喚起力がスゴいんです。で見ながらふと思う。ソール・ライターは何を言いたかったのかなって。

写真を取ることは見つけること。絵を描くことは創造すること。これはソール・ライターの言葉です。ソール・ライターは一瞬の美を切り取っていたんです。世に美しいと言われるもの、ではなく単純なこと、あるいはつまらなく見えるものの中にある美を。

世に美しいと言われるものにしても世間一般が規定したものですよね。だったら、わたしが規定した美、あなたが規定した美でもいい。ソール・ライターは美しい風景を切り取っているだけなんです。これはオレが美しいと思うもの。あなたはどう?って。

ではソール・ライターにとっての美とは何か?それはもう自然美ですよね。意図されたもの、準備されたものではない、偶然がもたらす一瞬の調和、例えば道ゆく人の足が交差する一瞬訪れる完璧な世界。山や木々ではなく彼が暮らす街、ニューヨークの自然美。

ソール・ライターは言います。私の写真によって世界を進歩させることはできないけど、誰かをいい気分にさせることはできるって。ソール・ライターは一瞬訪れる完璧な美を見つけると写真を撮らずにはいられない。ポートレートもたくさんあったんですけど、多分あれはほら、ショーウィンドウに映った自分のシルエットが中の商品や回りの景色と調和してなんかいいなって思うことあるでしょ。あんなノリじゃないかな。

街の自然美、ソール・ライターにとっての偶然訪れた一瞬の均整、彼はそれが目について仕方がなかった。街に生きているとたくさん目につく、いや、もっと見つけたい、そこにシャッターを押したいって。

ソール・ライターに主張したいことはなんですか、何を表現したいのですか、あなたが写真を撮る理由はなんですかって聞くのはなんか違うような気がしてきたな。目につくのはしょうがない、シャッターを押したいのはしょうがない。その瞬間を捉えたいんだもん。多分、他に理由はなくてもいいんです。