漆黒

ポエトリー:

「漆黒」

 

もう少し簡単に言えないものか
この見慣れた景色は
本当はどこまで続いている?

丹念に記された命の乞い
漆黒なら何をしてもいいと
願いが静かに歪められる

一時間後の夜に矛先を向ける

 

2019年4月

Petals For Armers/Hayley Williams 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Petals For Armers』( 2020年) Hayley Williams
(ペタルス・フォー・アーマーズ/へイリー・ウィリアムス )

へイリー・ウィリアムス、初のソロ・アルバムだそうで。とはいえ共同プロデューサーがパラモアのテイラー・ヨークで今回最も多くの曲でへイリーと共作しているのがパラモアのサポート・メンバーであるジョーイ・ハワードで、パラモアのドラマー、ザック・ファロもいくつかの曲でドラムを叩き、ある曲ではPVの監督までしちゃってる。てことで、もうこれパラモアやん!!

だいたいパラモアってメンバーが結構変わってるでしょ。出たり入ったりもあるけど、全く同じメンバーで続いたの何枚ある?っていう感じで。だからこのへイリーのソロ作もですね、現行パラモアメンバーが何人か加わっているってことで、それはもうパラモアの新作ってことでいいんじゃないすか。

だいたいソロでやろうかって時に、自分のバント・メンバーに声かけますかね普通(笑)。ホントこの人たちの人間関係はよくわからん。ま、そういうよくわからん人間関係がパラモア的ってことでしょうか。

肝心の曲の方ですけど、これだいぶイイですね。特にへイリーのボーカル。このアルバムはここが聴きどころじゃないですか。結構いろんなタイプの曲がありましてですね、「Leave It Alone」とか「Roses/Lotus/Violet/Iris」なんかはレディオヘッドみたいな雰囲気ですし、「Creepin’」や続「Sudden Desire」はダークでビリー・アイリッシュみたいな低音ですよ。

と思いきや「Sudden Desire」のコーラスでは「サドゥン、デザァイヤー!!」って待ってましたのいかにもへイリーなシャウトも聴けるしですね、パラモアの前作で見せたカラフルでサビではリリック跳ねてる「Dead Horse」もあるし、マドンナみたいな80’s感たっぷりの曲「Over Yet」もあって、メロウでオルガンな「Why We Ever」もいいですよ、後半の転調もぐっと来ますし。

ただ今までのパラモアと比べると瞬発力というか一気に持っていく感は低いです。僕も最初はピンときませんでした。でもその分じっくりと染み込んでいくというか、やっぱそこはへイリーのボーカルですよ。実に多彩に歌い分けてる。それもわざとらしくなくごく自然にね。

こういう歌い方聴いてるとこの人は伊達にここまで生き残ってきた人じゃないんだなと、なんだかんだ言いながらへイリーは本物だなぁ、流石だなぁと改めて思い知らされます。このアルバムでの彼女の表現力はホント素晴らしいです。

あと曲調というかサウンド・デザイン含めてですね、詞は100%へイリーなんでしょうけど、メロディはどこまで関与しているのか、多分今回で言うとテイラー・ヨークやジョーイ・ハワードがメインなんでしょうけど、全体の雰囲気とか曲全体の響かせ方ですよね、多分方向性についてはへイリーがタクトを握ってると思うんですよ。パラモアの前作『アフター・ラフター』の変わり様もそうでしたけど、じゃあこっちへ行こうっていう判断、その辺は本当に抜群の感を持ってるなと思います。

ここにきてこういうしっかりとしたアルバムを出せたのは大きいと思います。へイリーさん、個人的にはカウンセリングを受けたり結構大変な時期を過ごしたようですけど、パラモアの前作『アフター・ラフター』でああいう方向転換をして、で今回は更に違う雰囲気のこれ。サウンド的にどうこうではなく、へイリー・ウィリアムスとしての、或いはパラモアとしての骨格がよりがっしりと積み上がってきたなという感覚はありますね。

Track list:
1. Simmer
2. Leave It Alone
3. Cinnamon
4. Creepin’
5. Sudden Desire
6. Dead Horse
7. My Friend
8. Over Yet
9. Roses/Lotus/Violet/Iris
10. Why We Ever
11. Pure Love
12. Taken
13. Sugar On The Rim
14. Watch Me While I Bloom
15. Crystal Clear

夜が朝に切り替わる

ポエトリー:

「夜が朝に切り替わる」

 

実際、あなたの中にある
一途な声
太陽をめがけて
だらしなく弧を描き
ひどく緩慢な朝を迎えに

全体は
夜に裏打ちされし
絶望の壁
催涙ガスを吹いて
夜と通電す

夜面はおもむろに
唸り声を上げ
カスタアド色したあの人の面影
キャンパス一面に塗りたくるようにして
見知らぬ梢から梢
とばりからとばり
無責任に後を託す

夜に動きだす
動きだす列車が
そこかしこにせめぎ合い
蹂躙された新鮮な空気
物乞いをするように
お願いだから止めておくれ

スクロールしている
半永久的に
マグネット的な血の匂いが
半永久的にスクロールして
誰も気にしないまま
夜が朝に切り替わる

 

2019年5月

昨日を乾かす

ポエトリー:

「昨日を乾かす」

 

君に手紙を出した
昨日にお世辞を言う
僕は優しいから
喉が痒い

君の汗
真下に落ちてった
当てずっぽうな光を浴びて
見事に育つ針葉樹

12時台
ガラガラの電車に写る人影
着替えは持たぬ
行き先は知れず

砂粒が
眩しくなるからと
ボールペンは太陽と共に走り
よからぬことを語りだす

観音様にお辞儀をし
邪悪なものが通り過ぎていく
家に帰って米3合を
大事に洗う

神聖な行いは
夜への入口
明日が近づき
それでも昨日が追い付かない

姿形は同じでも
似ても似つかぬ声音を
甘ったるく適度に潤して
それでも今日はまだ今日になっていない

ベランダの奥で
針葉樹はすくすく伸びる
今日もまた昨日を乾かす
汚れは目立たぬようにエプロンをして
夜を明かす

 

2018年10月

ゆで卵の殻が綺麗に剥けたあかつきには

ポエトリー:

「ゆで卵の殻が綺麗に剥けたあかつきには」

 

ゆで卵の殻が綺麗に剥けたあかつきには
君の小窓にコツンと小石を当てて
きめ細かい絹のカーテン
波紋のように広がる

電熱器が暖かくするキッチンの
簡易な丸椅子横に並べて
大切な君の横顔におはようをする、ダンス
している気分で

今日も笑顔をキープして
狭い路地の向こう
仕事場へループする螺旋の
重い荷物を運ぶ舟
舳先は粗末な水飛沫浴び
柄にもなく栄養は二の次
その日の最高気温を記録する昼過ぎには
太陽の熱に柔らかくやられて
願わくば二階の小窓に写る
君の横顔を想いながら

僕の気分はより一層
一足も二足も先にハネムーンから帰った日の朝食
ゆで卵の殻を剥いても薄皮みたいにめくれない夢が頭の中の
キッチンの電熱器の上でグシャっとなる

 

2019年4月

エンターテイメントとは何なのか

その他雑感:

エンターテイメントとは何なのか

 

僕はフィクションに如何にリアリティーをもたらすかがエンターテイメントだと思っています。事実だけを知りたければニュースを見ればいいし、専門的な学術書を読めばいい。でも僕たちがエンターテイメントに期待するものはそうじゃないですよね。言葉では説明できない心に響く何かを求めているはずです。

例えば。このブログでも度々記事を書いている佐野元春さん。僕は十代の最後に彼の音楽に出会って、音楽がただの音楽ではなくなったんですね。でも佐野さんの音楽は僕の日常とはリンクしていなかった。当時夢中になって聴いていた『No Damage』や『Someday』というアルバムで描かれる80年代の東京という都市生活者の風景というのは90年代の南大阪の田舎に住む僕の生活とはかけ離れたものでした。それでも僕にはまるでこれは僕の歌だと思うぐらいのリアリティーがあった。それは何故か。簡単に言うとそこには僕の想像力を喚起するフィクションがあったからだと思うんです。リアリティーはなにも実際に起きたこととは限らない。僕はそう思います。

でもフィクションにリアリティーをもたらすことは非常に難しいことです。エンターテイメントというのは作り物です。その作り物にどれだけリアリティーをぶち込めるか。言ってみればそこが作者の腕の見せ所。そこにはそれぞれの経験や築き上げた技術、もちろんセンス等々、一朝一夕にはいかない固有のアプローチがあるのだと思います。

けれど場合によってはその過程をすっ飛ばすことが可能かもしれない。工期を短縮することが可能かもしれない。コスト、労力を考えると省けるものなら省きたいという気持ちも分からなくもない。しかしそれはエンターテイメントという大いなる作り物という視点からは少し逸脱するものであるような気がします。

過程は作り手の魂でもあるわけです。従ってそこをすっ飛ばして得た即席のリアリティーが人の心を揺さぶることができたとしても、それは非常に脆い、いささか無理のあるリアリティーではないか。テラスハウスに限らず今はそうした即席のエンターテイメントが溢れているような気がします。

けれども即席のエンターテイメント=悪しきものではないですよね。例えばジャンクフード、ファストファッション、Youtube等々。もう僕たちの生活や価値観に組み込まれたものです。誤解のないように言いますが、僕は即席のエンターテイメントも好きだし、むしろそうしたもので育ってきたと思っています。

ただ大事なことはジャンクフードはドレスコードが求められるレストランとは違うという認識です。ジャンクフードには昨日入った初心者でも十年勤めたベテランでも同じ品質のものを提供できるという利点を持っていますが、料理の世界で何年も修行をした職人が作る料理とは異なりますよね。いちいち考えないけど僕たちはちゃんと分けて考えている。理解している。

そこのところを履き違えなければ何の問題もないということ。しかし中にはドレスコードを装う即席のエンターテイメントがある。逆に僕たちの側が即席のエンターテイメントにドレスコードを求めてしまう場合がある。そこの勘違いしないように僕たちはちゃんと見極めなければならない。そういうことだと思います。

今回のコロナ禍で分かったようにエンターテイメントは僕たちにとって無くてはならない大切なものです。だからこそエンターテイメントとは何なのか、創作におけるリアリティーとは何なのかということを作り手も受け取る側も今一度よく考える必要があるのかもしれません。

『仮定形に関する注釈』についてのとりあえず最初の感想

洋楽レビュー:

THE1975『仮定形に関する注釈』についてのとりあえず最初の感想です

 

まだ聴いたの1回だけですけど(笑)、とりあえず今の感想としてはマッティ、曲が出来て仕方がないんだろなって。

そういう意味ではこのアルバムを聴いて僕が最初に思い浮かべたのは昨年のチャンス・ザ・ラッパーの『The Big Day』で、とにかく長い!曲いっぱいある!『The Big Day』も賛否両論でしたけど、ま、平たく言えばとっちらかってるってことですかね(笑)。

なんか一曲作る度にもう興味は次のアイデア、次の曲に行ってしまってるというか、彼らはそれぐらいの力量もありますから、言ってみればちょっとした躁状態のまま最後まで行ききったという感じですかね。

このアルバムは前回の『ネット上の人間関係についての簡単な調査』が出た時からもう話題には挙がっていて、そっから時間をかけてではあるけど一曲づつシングルが出て最終的には8曲かな、先行で公開されてて聴いてる方としても自分も一緒にリリースに向けて段階を踏んでいるという感覚があったんですけど、振り返ってみればそういう気分の高め方って新しい手法ですね。

また8曲も公開されて普通ならこれアルバム全曲に近い感じなんでしょうけど、このアルバムは22曲もありますから(笑)そういう意味では8曲ぐらい公開されてもどうってことないし、さっき言った聴き手との一体感も含めて逆に面白いアルバムだなって気はします。

それにしても22曲ですよこれ。もうこの曲数自体がヒップホップ的というか、実際チャンスさんみたいな曲もありますし、チャンスさんほどではないけど彼らには珍しくゲストも登場してますし。かといって一曲一曲の時間が短いというわけではなくトータル80分以上ありますから、もうホントにやりきったということなんだと思います。

でそれだけありますから、じゃあトータルで整合性高めていこう、一枚のアルバムにまとめていこうなんて思ってももう多分あとの祭りなんでしょうね。インスパイアされた時ってもうその時だけのものですから取り返しがつかない。変に触れない。それに多分躁状態だし(笑)。

とまあ、今の段階でもこのアルバムは十分好きなんですけど、『ネット上の人間関係に関する簡単な調査』みたいな時代を象徴する作品かというとそことはちょっと違うのかなと。そうではなくて事前の噂どおりこのアルバムは個人的な側面に重きを置いたアルバムでそう聴けばよりしっくり来るような気はします。夜に一人でじっくり聴くというね。僕もこれからじっくりと聴きたいと思ってます。

あとこれは無茶ぶりかもしれないですけど、グレタ・トゥーンベリさんのスポークン・ワーズを僕は各国仕様で吹き替えでやっても面白かったんじゃないかなと思います。もちろんグレタさんの声ということに意味はあるんでしょうけどやっぱり英語ですから、それぞれの言語に当ててですね、そんなこと言うと何ヵ国語必要やねんとか、技術的にもそんなことできっこないだろとは思うんですけど、彼らならそれをやりかねないでしょ。ラジオや店でこの曲、って言っていいのかな、これかかかると凄く面白いと思います。

一曲目がグレタさんのスポークン・ワーズで二曲目がハードコアなパンク・ソングで三曲目がストリングスのインストという最初の三曲でもう結構お腹いっぱい(笑)。なんにしてもこれだけ多岐にわたるスタイルでパワーのある曲を22曲も、そんなに時間をかけずに作るんですから凄いバンドです。

名盤の条件のひとつに語りたくなるってのがあるとすれば、この『仮定形に関する注釈』もそうですね。僕も一回しか聴いてないのにもうこんなに喋ってますから(笑)。あぁ、SUPERSONICで見れるかなぁ。

The New Abnormal/The Strokes 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『The New Abnormal』(2020) The Strokes
(ザ・ニュー・アブノーマル/ザ・ストロークス)
 
 
ストロークスというと、リバーブ無しの単音のギターに代表されるシンプルこの上ないサウンドでかっこいいロックンロールをやってのけるっていうイメージがあるんですけど、このアルバムを聴いていると彼らの魅力ってそれだけじゃないなって改めて思いますね。
 
当然のことですけどメロディですよね、ここが抜群にかっこいいんです。で、ここもサウンド同様シンプルで、これまた誰にでも真似できそうなメロディなんですけど、これはサウンド同様絶対真似できないやつですね(笑)。
 
聴いてると割とはっきりとしたメロディで何も特別なことはしていないんですが、それが幾つも積み重なることで独特のムードを生み出している。で、かっこいいのが大体の曲で途中で違ったメロディでを持ってくるんです。分かりやすいのが1曲目の『The Adults are Talking』で普通にバースがあってコーラスがあってって曲で、これでもかのストロークス節だからそれだけでも全然かっこいいのに、最後に別のメロディを持ってきてもう一段ポップさ加減を押し上げてるんですね。しかもここ、ジュリアンのファルセットがしびれるぐらいにかっこいい!
 
こういう展開って普通つぎはぎが目立ったりわざとらしくなるんですけど、これを自然に響かせてしまえるのがストロークスで、続く『Selfless』も全くそうですよね。今回割とこういうドラマチックな曲が多いです。リードトラックになった『At The Door』なんてアウトロのシンセが宇宙っぽい!こういう面白いことができるのがそんじょそこらのバンドとの違いですね。しかも旧来のストロークス・ファンが小躍りするような『Bad Decisions』もちゃんと聴かせてくれるんですから、やっぱ彼らは特別なバンドです。
 
でさっきジュリアンのファルセットって話しましたけど、これも今までこんなあったかなって。前作の『Comedown Machine』(←このアルバムも僕は好きです)でもありましたけど、ここまで全面的にアピールしてませんでしたよね。ファンキーな『Eternal Summer』なんてほぼ全編ファルセットですよ。ていうかジュリアン歌うまい(笑)。こう考えると、シンプルに見えるストロークスって実にいろんな引き出しを持ってます。
 
なんかストロークスって1stとか2ndだけっていう印象が強いですけど、僕はこれら初期の作品をリアルタイムで聴いていないんですね。で、未だにやっぱストロークスは1st、2ndだよって声があるのも知ってますけど、今この時に出たこの『The New Abnormal』も相当かっこいいですよ。しかも時勢にドンピシャのこのタイトルのものを去年作ってて、今出てくるっていう(笑)。
 
1stの『Is This It』の初期衝動もそりゃあかっこいいけど、当然時間がたってるわけで、今の方が間違いなくレベル・アップしてるし、スケール・アップしてます。勿論 『Is This It』も素晴らしいしどっちがいいではなく、どっちもいいって話です。
 
ただ今この時点で聴くべきなのはやっぱ『The New Abnormal』だと思います。それだけ完成度の高い近年の彼らの、近年と言っても非常に寡作ですけど(笑)、これは同時代性を感じさせる彼らの代表作になると思います。バスキアをジャケットにするぐらいの自信がここにはある。
 
 
Track List:
1. The Adults are Talking
2. Selfles
3. Blooklyn Bridge To Chorus
4. Bad Decisions
5. Eternal Summer
6. At The Door
7. Why Are Sundays So Depressing
8. Not The Same Anymore
9. Ode To The Mets

映画『君の名前で僕を呼んで』(2017年) 感想

フイルム・レビュー:

「君の名前で僕を呼んで」 (2017年 イタリア、フランス、ブラジル、アメリカ合作)

フィクションに如何にリアリティーをもたらすかがアートの大前提だとすれば、この映画は正しくアートだということ。そしてそれは美しさでもって語られる。

もしかしたらイタリア語フランス語英語を話し、ピアノを弾き自ら編曲をし、アントニア・ポッツィの詩集を友達に手渡すような早熟すぎる17才なんていないだとか、あんなに進歩的で物分かりのよい両親はいないだとか、二人がイケメン過ぎるだとか、悪い人どころか嫌な雰囲気の人すら登場しないだとか、要するにこの映画はとにかく非現実だと興ざめしてしまっている人もいるかもしれないが、誤解を恐れずに言えばあまりにも非現実的だからこそ、あまりにも美しいからこそこの物語は僕のような古い人間にも届いたのだと思う。

雑誌の批評を読んでこの映画に興味を持ち、男と男の恋愛がどういう風に進んでいくのかという下品な覗き趣味とプラトニックな美しさに期待をして僕はこの映画を見始めたのだが、それはすぐに間違いであることに気づいた。冒頭すぐに登場したオリヴァーはどう考えてもそんな生易しい存在ではなかったから。

僕は自分ではいわゆるLGBTQ的なことには理解がある方だと思っていたけど、実際、生々しい描写のあるこの映画をみていると、特にそういうまぐわいには目をどこにもって行けばよいのか分からなくなるしさすがに構えてしまうところはある。でも男と男というところに囚われなければそういうものではなかったかと。

ここまで劇的なことは誰もが経験することではないけど、自分も振り返り性的な衝動も含め人を好きになるということは心穏やかではいられないことで、つまり男と男であってもそれは同じだし、女と女だって多分同じ。どうってことないことこかもしれないけど、そういうことをゆっくりと時間をかけて染み込ませてくれた。僕にとってはそういう映画でした。

美しい映像共にゆっくりと理解するということ。身構えてしまうまぐわいもあの美しい夏の景色の連続した短いカットも控えめで回りくどいセリフも全ては僕たちに共通のもの。あぁほんとに水浴びのシーンはどれも素敵だった。

そして映画のタイトル。物凄く心引かれるタイトルですけど、これは心と体が結ばれたエリオとオリヴァーが交わした二人だけの秘密の言葉です。オリヴァーはエリオに「オリヴァー」と呼び掛け、エリオはオリヴァーに「エリオ」と呼び掛ける。映画の最後の方でお父さんが語った大切な言葉にも含まれているような気もしますけど、言ってみれば若い二人にとっての愛のおまじない、魔法の言葉ですよね。

かのゲーテは「人生でいちばん美しい時間は誰にも分からない二人だけの言葉で誰も分からない二人だけの秘密をともに語り合っているとき」と言いましたけど、まさにそんな感じでした。

最後のお父さんの話とその後の雪景色。これで終わりかなと思いきや冬の出で立ちのエリオが登場し、まさかのオリヴァーからの電話。ここでエリオは受話器越しにふたたび唱えます、「エリオ、エリオ、エリオ…」と。しかしここでのおまじないはもう風前の灯火。それでもエリオは嘆願するように「エリオ、エリオ、エリオ…」と唱える。

そして両親とオリヴァーの会話があって、暖炉の前にしゃがみこむエリオ。ここでのエリオの表情はそこに重なる音楽も含め本当に素晴らしかった!!

最後、ある人の何気ない呼び掛けで「エリオ」がただの人名、ただの固有名詞として終わるというのもこれ以上ない終わり方でしたね。