Western Stars/Bruce Springsteen 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Western Stars』(2019)Bruce Springsteen
(ウェスタン・スターズ/ブルース・スプリングスティーン)

 

13のちょっとした、けれども大切な物語の中で僕が最も心を奪われたのは最後に収められた「Moonlight Motel」だ。主人公はかつて恋人と過ごした古びたモーテルを一人で訪れる。その愛すべき人はもういない。すれ違いによるものなのか、或いは永遠の別れがあったのか。いずれにせよもう若くない男は昔よく停めた駐車場の同じ場所に車を停め、自分自身に、愛した人に、そしてこの場所そのものに祝杯を上げる。

こう書くとなんかチープなストーリーだが、これがブルースの情景描写とスティール・ギターに奏でられた優しいメロディにより何とも言えない風景が目の前に立ち上がる。まるで自分がかつて経験したかのように切ない気持ちが蜃気楼のような立ち現われるのだ。

この曲は時系列が複雑で訳すのが難しかったとの訳者の弁がライナーノーツには記されている。前半の昔の出来事は現在形で、後半の今現在は過去形で書かれているそうだ。こういう書き方をすることによってかえってリアリティは立ち上がるのかもしれない。あまり語られないがブルースの音楽表現の確かさを見て取ることが出来る。

音楽表現と言えばライミングも見事で、内容もさることながらライムやアクセントの強弱でリリック自体にリズムを持たせているところは流石。個人的には「The Wayfarer」での言葉の転がり方が好きだ。

「The Wayfarer」は曲構成も素晴らしく、ブルースの真骨頂であるウォール・オブ・サウンドな曲で、時折聴こえてくるビブラフォンも効果的だ。最後のコーラス部分でいかにもダニー・フェデリーシなEストリート・バンド的オルガンの音色が聞こえてくるのが嬉しい。このアルバムはEストリート・バンドによるものではないが、ライナーノーツによると初代Eストリート・バンドのキーボーディスト、デイヴィッド・サンシャスが参加しているらしいので、そういうことなのかもしれない。ついでに言うと「The Wayfarer」の次に収められた「Tucson Train」にはいかにもロイ・ビタンなピアノのフレーズも出てくる。

ブルースの言によるとこのアルバムは「宝石箱のようなサウンド」だそうで、60年代~70年代の良質なポップ・ミュージックにオマージュを捧げたものになっているらしい。僕にはどのあたりがそうなのかよく分からないが、大掛かりなストリングスとホーン・セクションを配したサウンドは、ブルースの横に広がるソングライティングに奥行きを与え、情景をより立体的なものにしているが、何より手を添える感じのさりげなさがよい。陰影の濃いリリックと対照的なポップなサウンド。これもブルースが意図してのことだろう。

ブルース・スプリングスティーンは世間的には世界へ向けて力強いメッセージを歌うマッチョな人というイメージかもしれないが、実際はその真逆で名も無い人々の暮らしを綴るストーリー・テラーというのが本当のところ。僕にとっても初期のころからずっと変わらないブルースの大きな魅力のひとつだ。

ブルース自身もどれだけ巨大になろうと自分は1949年生まれの労働者階級の端くれで、自分もいつどうなるか分からないという漠とした不安を抱えたどこにでもいる一人の男という認識を持ち続けているようにも思う。

その年配の白人労働者階級というとトランプ大統領の支持層ということになるのだが、当然ブルースはトランプの支持者ではない。ブルースはただ自分とよく似た人々の生活を描いただけで、自分がたまたま白人労働者階級の出だったというだけだ。つまりブルースはそこを分け隔てていないのだ。

今トランプを糾弾するのは容易いかもしれない。ブルースにそれを期待する人も大勢いるかと思う。しかしブルースは一人のアメリカ人としての視点で言葉を紡いでいるだけだ。そこに他意はないと思う。

我々は何処から来て何処へ向かうのか。多くの人と同じく一人の孤独な男として、トランプ支持者であろうがなかろうが、白人であろうが黒人であろうが、若者であろうが年寄りであろうが、移民であろうがなかろうが、お前はそうだお前は違うではなく、一人一人にゆっくりと語りかけている。

このアルバムは僕の心を打ってやまない。それは他ならぬ僕たち自身も漠とした不安を抱える孤独な人間だから。いくら巨大になろうと、ブルースが僕たちから離れていかないのはブルースも同じだからなのかもしれない。

 

Tracklist:
1. Hitch Hikin’
2. The Wayfarer
3. Tucson Train
4. Western Stars
5. Sleepy Joe’s Café
6. Drive Fast (The Stuntman)
7. Chasin’ Wild Horses
8. Sundown
9. Somewhere North of Nashville
10. Stones
11. There Goes My Miracle
12. Hello Sunshine
13. Moonlight Motel

語りだす

ポエトリー:

『語りだす』

 

一日の最後に
気になる部位が
今日は何も無かったですかと
語りだす

世話のやける女の子の
父親になりたかったという声が
先発した大人の
傷んだ手帳から見つかった

それが叶わぬのなら
盛り場で台所仕事をする
手の荒れた女の人になりたいと
その手帳は続いていた

十代最後の夏
焼けただれた青春が
仁王さまの格好で
門の所に立っていた

私ではないですよと言っても
いっかな怒りは収まらず
怖い目つきは
今日は何もなかったですかと語りだす

だから終いにゃ
酷い言葉のほとんどは嘘だと言った
母との一番の思い出が語りだす
冷蔵庫に麦茶が冷えてるよと言った
母の言葉が語りだす

 

2019年5月

『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』 第32回「独裁者」 感想

TV program:

『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』 第32回「独裁者」 感想

 

とその前に前回の第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」についてひと言。ロサンジェルス・オリンピック編ではサイドストーリーとして日系人や人種差別のエピソードも盛り込まれていました。前回の最後に虐げられてきた日系人が歓喜の声を挙げる場面があるのですが、彼らは口々に「アイ アム ジャパニーズアメリカン!」と叫びます。

このジャパニーズアメリカンというのが良かったですね。日本人ではなくジャパニーズアメリカン。よく聞き取れませんでしたが日系人でない人も「~アメリカン!」と叫んでました。彼彼女らのアイデンティティーはそこなんです。

今移民の話題が時折出てきますし、日本にもこれから多くの移民がやってくる訳ですが、そうした問題を日系人として、我々と繋がる世界史へと引き寄せて物語る手法は粋だなと思いましたし、ロサンジェルス・オリンピック編のクライマックスを大活躍をした日本選手団ではなく、それまでのサイドストーリーであった移民の人々で終わらせるところもお見事でした。

さて、第32回「独裁者」です。大活躍をしたロサンジェルス・オリンピックから帰国した日本代表の面々。賛辞の声を浴びる中、東京オリンピックを日本に招致しようとした発起人の東京、永田市長が200メートル女子平泳ぎで銀メダルを獲得した前畑秀子に対し、「なぜ金メダルではなかったか」と心無い言葉を吐いてしまいます。その場に偶然通りがかった我らがカッパのまーちゃんはそんな永田市長に対し怒りの言葉を発するも、まーちゃん以上にブチ切れたのが2代目体協会長の岸清一。

岸は当初、大言壮語な嘉納治五郎を冷ややかに見るどちらかというとスポーツに多くを期待しない事務方として登場しますが、回を及ぶ毎にスポーツの力に魅せられ今や嘉納のよき理解者として日本スポーツ界を牽引しています。今回は岸清一にスポットが当たった回でもありました。

そんな岸を演じるのが岩松了さん。実物とそっくりです(笑)。『いだてん』の魅力の一つは個性豊かな俳優陣。テレビドラマというのはどうしても出演者が限られてくるというか、既に見知った方に占められてしまうケースが多いんですね。最近は俳優もバラエティー番組によく出ますから、どうしても登場人物の誰それ、ではなくその俳優としか見えなくなってしまう。なので僕としてはあまりテレビドラマには入り込めないのですが、『いだてん』の場合は先ず第一部の主役からしてよく知りませんでしたからね(笑)。

そりゃ中村勘九郎って名前ぐらいは知ってますけど、実際はどんな役者かはよく知らない。出演者の多くも脚本がクドカンですからそっち方面の方が沢山いて、僕はあまり演劇界に詳しくないから見ているだけで新鮮で登場人物を先入観なしに見れるんです。これはやっぱり大きいです。最近はもう『いだてん』の世界に入り込んで、あの役所広司でさえ嘉納治五郎にしか見えなくなってきました(笑)。

ところで我らがカッパのまーちゃんもここに来て大分変ってきました。当初は「勝たなきゃどうする?」、「参加することに意味がある?ないない、そんなもん」という立場でしたが、ロサンジェルス・オリンピックを経由して随分と考えが変わったようです。ていうか、もともと本音はそこにあったんでしょうか。

面白いのはそうしてまーちゃんがスポーツは楽しむもんだよと、いつの間にか嘉納治五郎化していくのに対し、最初はスポーツに冷ややかだった世間が少しづつ勝利至上主義になっていくところですね。つまりまーちゃんは一歩も二歩も先を走ってるんです。夢中になればなるほど先に行く。まさしく「いだてん」。当然、嘉納治五郎しかりです。

今回のクライマックスは東京オリンピック招致が困難な中、これからどうすべきかを体協で話し合っている場面。「お前の意見はないのか」と振られたまーちゃんがまくしたてる場面です。一部を書き起こします。

「誰の為のオリンピックかって話じゃんねー。ムッソリーニもヒトラーもいないんだから日本には。嘉納治五郎はいるけどね」

「何期待してんの?オリンピックに。ただのお祭りですよ。走って泳いで騒いでそれでおしまい。平和だよねー。政治がどうの軍がどうの国がどうの。違う違う違うっ、簡単に考えましょうよ。ローマには勝てない。じゃあどうします?戦わず勝つ嘉納さん」

そーいうことです。「誰の為のオリンピックか」。見事な発言だと思いました。

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 ~ラストの感想~

サマーソニック:

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 ~ラストの感想~

 

THE1975を観た後はそのままOCEAN STAGE に残り、折角なんでB’zを観ることにしました。SONIC STAGE のTWO DOOR CINEMA CLUB も気になるので、すぐにそっちへ行けるように出入口近くで待機です。

なのでステージからはかなり離れていたのですが、B’zの音は凄かったですね。ユニバにまで届くんじゃないかと思うぐらいの大音量。これには正直参りました…。すみませんが、この音量に太刀打ちできるだけの体力が残っておりませぬ。てことで、とりあえず稲葉さんの高音シャウトも聴けたことだし、3、4曲ほど聴いて SONIC STAGE へ向かうことにしました。それにしてもB’zの音の嵐は凄かったな。知ってる曲やってくれたら、もうちょっとおってんけどな。

SONIC STAGE も負けず劣らずの熱気でした。ここがホントの最後ですから、残っている人はホントにTWO DOOR CINEMA CLUB が好きな人。なのでかなり盛り上がってました。僕は彼らの1枚目しか持ってないんですが、やっぱいい曲を書くというか、知らなくても自然と体が動くいいメロディは流石。とはいえやっぱギター・ロックな1枚目からの曲が俄然盛り上がりますね。体力的にキツかったですけど(笑)。

観る度に雰囲気が変わる彼らですが、今回は先日出たアルバムのトーンで統一されてて、いい感じでした。2016年に観た時のかなり無理めな長髪スタイルより、断然こっちの方がいい(笑)。何度も感謝の気持ちを述べていて、気のええ兄ちゃんたちやね。

結局最後に感じたのはやっぱ曲の力。TWO DOOR にしても Sam Fender にしても PALE WAVES にしてもメロディの力が半端ない。我々は英語圏ではないですから、初見で言葉でグッと来るということはほとんど無いわけで、そうなるとメロディがモノを言うわけです。それに当然の如くみんな歌上手いから尚のこと歌が前面に出てくる。ま、この辺は好みもありますが、メロディの力は大きいなと思いました。

で TWO DOOR を最後まで観て、いざ家路につかん。と思いきや、帰りのシャトルバスは長蛇の列!!結局1時間近く並んだかも。ヤバイ、もしかして…、とちょっと嫌な予感がしましたが、終電までには至らずなんとか無事帰宅。

THE1975で目一杯楽しんだからでしょうか。TWO DOOR の頃はほとんど余力も無く、終わってみれば今年が一番疲れたような気がします(笑)。ま、年齢のこともありますので、次は昼間はもっと大人しくしておきましょう(笑)。とはいえ来年はオリンピックでサマソニはお休み。再来年になりゃそんなこと忘れて年甲斐も無くはしゃいでしまうんだろうな。

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 感想~THE1975編~

サマーソニック:

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 感想~THE1975編~

 

定刻より数分早く「The1975」のSEが流れだした。白のスクリーンにそのリリックが映し出される。それだけで辺りの空気は一変した。ただのSEである。フロント・マンはおろかメンバーの誰一人としてステージに現れていない。これが2019年のロック・シーンで最前線に立つバンドの存在感だ。

「The1975」のSEの余韻の中、メンバーがステージに現れるとオープニングの「Give Yourself a Try」のイントロがなだれ込んできた。もう僕たちは冷静ではいられない。あのマシュー・ヒーリーがそこにいる。体をくねらせながらダンスし、前のめりで歌うマシュー・ヒーリーがそこにいた。

僕は過去に2回、同じサマソニで歌うTHE1975を観た。1度目はデビュー間もない2014年の一番暑い時間帯。風が強く、メイン・ステージの後方でぼんやりと見ていた僕に、彼らの演奏は風に流され不安定な状態で届いてきた。前方では泣き出す女の子もいて、当時の彼らはまるでアイドルのような佇まいだった。

2度目は2016年。あの時僕はレディオヘッドのアンコールを後ろ髪惹かれる思いで諦め、ソニック・ステージを駆け込み、ラスト数曲ではあったが当代一のオシャレ・バンドになった彼らを観た。「The Sound」で景気よくジャンプしたのを覚えている。

バンドが成長する時というのは、ホップ、ステップ、ジャンプのステップとジャンプの間に大きな隔たりがある。かつてのレディオヘッドがそうであったように、THE1975も全く同じく2018年にリリースした3枚目のアルバム『ネット上の人間関係についての簡単な調査』でとんでもない跳躍をした。この日観たTHE1975はこれまでとは次元の違う完全にオリジナルで全く新しいバンドだった。

前半のポップな3曲でオーディエンスを完全に手中に収めた彼らは、4曲目の「Sincerity Is Scary」でゆったりとした新しい顔を見せる。プロモーション・ビデオや各地のライブで見せるあの耳の着いたニット帽を被ってヒーリーはステージを闊歩する。映画のような一瞬だ。

そう言えば始まって間もなく、ヒーリーは「こんなとこに吸い殻が。誰のだ?あ、オレか」みたいなMCをしたが、そのぶっきらぼうな態度こそまるで演出された一幕。他にも「カンパイ!」と言ってお猪口で日本酒を一気飲みしたり、タバコにむせて咳き込んだりと、自由でありながら計算されたかのような佇まい。スターというのは彼のこと言うのだろう。

『ネット上の人間関係についての簡単な調査』には硬質なポリティカル・メッセージを含んだ曲がある。サビを皆で歌ったゴスペル・ソング「It’s Not Living (If It’s Not With You)」の後に歌われた「I Like America & America Likes Me」もその一つだ。この時、スクリーンではコラージュのような映像がキーワードとなる言葉と共に矢継ぎ早に映し出された。ヒーリーは体をくの字に曲げて泣き叫ぶように歌う。オートチューンに加工されたボーカルは爪を立てるように僕たちを引っ掻いていた。

個人的に楽しみにしていた曲がある。「I Always Wanna Die (Sometimes)」だ。The1975の新境地と言っていいだろう。壮大なバラードはヒーリーのボーカルの新しい魅力を湛えている。「死んでつらい思いをするのは君じゃなく、家族や友達だ」と歌われるこの曲のサビで、ヒーリーは美しく伸びのある声で「僕だってたまには死にたくなるんだ」と歌った。誤魔化すことなくしっかりと正面を見据えて目一杯。魂のこもった素晴らしい歌声だった。

「Love It If We Made It」はヒーリーがアンガー・ソングと言ったように、強烈な社会的メッセージを伴った曲だ。スクリーン上ではプロモーションビデオと同じ映像が流れる。怒りの曲をヒーリーは激しくシャウトする。この曲で僕を激しく揺さぶったのは間奏でのダンスだ。女性ダンサー2名と共に情熱的なダンスが披露される。怒りを踊りに変えて。そして再び「Love It If We Made It!!」とシャウトするのだ。この日一番の感動的な場面に僕は泣いてしまいそうになった。

そしてステージはクライマックスへ向かい、必殺の「Chocolate」へ続く。「Sex」が終わった後、スクリーンには大きく「ROCK AND ROLL IS DEAD」「GOD BLESS THE1975」という文字が映し出された。そして間髪入れず、「The Sound」のイントロが流れ始める。なんという完璧な演出だろう。

余りにも完璧で美しい1時間。バンド4名とサクソフォン・プレイヤーとダンサー2名。そしてシンボル・マークである縦長長方形のボックス型LEDが中央にぶら下がり、背後には巨大なスクリーン。ただそれだけのこと。しかし濃密で激しく、ユーモアがあり、温かみがあり、愉快さがあり、怒りがあり、優しく、しかも押しつけがましくなく、至ってクールに、けれど情熱的で生命の存在に満ち溢れた1時間。けれど何ひとつ重たい要素に支配されることなく、彼らは伝えたいことを存分に伝え、僕たちは存分にそれを受け取り、それでいてエンターテイメントに昇華された1時間。

僕たちはもしかしたら、とんでもないものを見てしまったのかもしれない。

 

追記:
途中、長いMCがあった。キスがどうのこうのと言っていた。英語力の乏しい僕はよく聞き取れなかったが、後から知ったところによると、日本へ来る前にドバイで行われたコンサートでの出来事を語っていたらしい。同性愛が厳罰に処される彼の地でヒーリーは「結婚して!」と叫ぶ同性愛の男性ファンの元へ向かい、彼の承諾を得て口にキスをした。そのいきさつを語ったようだ。ライブでの大事なひとこまだったと思うので、ここに記しておきたい。

 

セットリスト:
1. The 1975(SE)
2. Give Yourself a Try
3. TOOTIMETOOTIMETOOTIME
4. She’s American
5. Sincerity Is Scary
6. It’s Not Living (If It’s Not With You)
7. I Like America & America Likes Me
8. Somebody Else
9. I Always Wanna Die (Sometimes)
10. Love It If We Made It
11. Chocolate
12. Sex
13. The Sound

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 ~前半の感想~

サマーソニック:

サマーソニック2019 大阪 2019年8月18日 ~前半の感想~

 

20周年のサマーソニック。今年は3日間行われました。私が行ったのは大阪3日目。ヘッドライナーはサマソニ初の邦楽、B’zです。が私のお目当ては何と言ってもTHE1975!!2019年のサマーソニックは如何にTHE1975へ向けて心と体の準備を整えていくか、これに尽きます!!

とはいえ今年もた~くさんの素晴らしいバンドが出ている訳ですから、事前準備は怠りなく!しっかりと予習をして私なりのタイムテーブルで存分に楽しんできました。事前に迷ったのは最後をB’zで締めるかTWO DOOR CINEMA CLUB で締めるか、そこだけでしたね。そこはもう現場の空気でしょう、ということで時系列順に簡単な感想を。

先ず私が向かったのはメインステージであるOCEAN STAGEのトップバッター、STRUTS。今回知ったバンドだったのですが、Youtubeであれこれ観ていたとおりの印象で、QUEENばりのギラギラ・サウンドが最高でした。初っ端にこういうハード・ロッキンな感じは気分も一気にアガッて、あ~、オレ、サマソニに来た~って感じ(笑)。

フレディ・マーキュリーばりのメイクをしたボーカリストは盛り上げ上手で、それこそフレディの「レ~ロッ!」みたいにコール&レスポンスしまくりで、逆に何回すんねんっ!ていうぐらい掛け合いがありました(笑)。印象としてはラブ&ピースな人だな~と。ホントにサービス精神旺盛な方でしたね。

ここで私は昼飯休憩。ってもう休憩かいっ!と言われそうですが、タイムテーブルとにらめっこして、如何に腹ごしらえをするか、そしてどのタイミングでお手洗いへ行くか(笑)、これもフェスでは大事な心構えです。

ゆっくり昼飯食って、さぁCHAIでも観るかとWHITE MASSIVE へ向かうと沢山の人だかり!なんじゃいこれは?!ということで音楽好きの間でCHAIは注目の的なんですねぇ。で、ステージではチューニングやら何やら準備が始まっています。ほとんどステージが見えない距離だったのでよく分かりませんが、ステージで準備してるのまさかのCHAI本人?!

しかしまぁなかなか個性的でしたCHAIの皆さん。チョッパー・ベースでファンキーかと思えば、やたらピコピコするのもあったり、途中そろいの衣装を着てダンスコーナーもあったりしますから、もうやりたい放題ですね(笑)。いいです。自由でいいです!私覚えました。NEOカワイイです!!

あと、私含め噂先行でCHAIを観に来た人が多かったみたいで、彼女たちの自由な佇まいにどう反応したらいいか手探りの観客、という絵面もオモシロかったです。

WHITE MASSIVEは日陰だったのですが、早くもバテ気味の私は涼みに行く目的でSONIC STAGEへ。次に観る予定のSam Fender まで結構時間はあったのですが、ここは体力温存を優先。そーなんです。欲張って、ちょっくらアレも気になるし観に行こかなんてフラフラしていると、後が大変!この日は時折風が吹いて心地よかったのですが、なんといっても猛暑真っ盛りですから。お目当てでぐったりならないように体力を温存することが肝要なのです。ま、歳も歳なんで(笑)。

そーいや、WHITE MASSIVE とか屋台の並ぶOASIS辺りで時折、ぷ~んと獣臭がしたアレはなんでっしゃろか?まさか普段は山羊でも放牧しているのか?そこに我々は地べたに座って飯食ってんのか?一体なんだったんだろうあの獣臭は…。

話が逸れましたが、次に観たのはSam Fender。カッコよかったです。観る前は冴えないJames Bayかと(失礼しました!)思っていたのですが、王道ロックでひたすら押しまくるのがカッコ良かったです。

なにしろ声がデカいですね。本人も自覚があるのか声でグイグイ押してきます。当然歌うまいし、曲も良く出来てて、全てが高水準にあります。声のデカさと曲の良さで場を支配しつつ、間奏になるとギターをギュインギュイン言わせてくるところなんか、若いのによう分かっとるわい。バンド全体から感じるブレなさ。なかなかやりおる。

確か英国出身だったと思うのですが、サウンドはアメリカっぽくて、でも英国の湿っぽさがあって、私の好みでした。アルバム出たってことらしいのでチェックしてみるか。

SONIC STAGE にそのまま居座り、続いてはPALE WAVESを観ました。出す曲出す曲キャッチーで、どうなってんだっていうくらい曲が抜群だった彼女たちでしたが、直に聴いてもその印象は変わりませんね。もう若さでキラキラしてます。語尾をしゃくりあげる歌声を生で聴けました(笑)。

そのボーカルのヘザーさん、ゴスメイクだしいい曲いっぱい書いちゃうし、どんな人かと思いきや、至って普通なんですね。勿論、才能ある方なんである意味普通じゃないんだろうけど、見た目とは裏腹に浮世離れしてないというか、いい意味で垢抜けてないんですね。彼女たちの魅力は、普通の子がここまで出来るっていう希望なんじゃないかと思いました。

ヘザーさん、最後はフロアに降りてくるんですね。これにはびっくりしました。一気に人がグワーッてなって、か弱そうなヘザーさん、大丈夫?!でもこん時の彼女の笑顔はスッゴイ素敵でした。今も私の脳裏からはなれません。イノセントそのものでした。

苦手なこと

ポエトリー:

『苦手なこと』

 

自信のある人が苦手
態度がデカい人が苦手
陰気くさい人が苦手
固形チーズが苦手
チーズ味はもっと苦手
豆乳が苦手
水泳が苦手
あと鉄棒も
聞いたことに答えない人が苦手
知ったように言う人が苦手
完璧かと聞く人が苦手
男前が苦手
綺麗な人が苦手
夜運転するのが苦手
ていうか運転が苦手
高い買い物が苦手
家にある服を思い浮かべて買うのが苦手
クーラーの風が苦手
冬が苦手
怖い人が苦手
コブクロとかGREENとかが苦手
熱がある時に頑張るのが苦手

苦手な事はいくらでも出てくる
でもちょっと面白い
今度は得意な事を考えてみよう

 

2017年5月

834.194/サカナクション 感想レビュー

邦楽レビュー:

『834.194』(2019)サカナクション

 

個人的には随分と久しぶりのサカナクションです。彼らのアルバムを買うのは2010年の『kikUU-iki』以来。ということで僕は熱心なサカナクションのリスナーではないので、あしからず。

その間、世間的には大ブレイクしたわけだけど、僕としてはなんか物足りないというか、もっとグワッとした塊というかロック的な衝動というか、何じゃこりゃ?というような過剰さが欲しかったというのがあって。勿論好きは好きなんだけど、アルバムを買うまでには至らなかったのは、なんか綺麗に洗練されて小ざっぱりしたバンドだなという印象が拭いきれずにいたからかもしれない。

そこでこの2枚組。CDが売れない、しかもアルバムとしてのコンセプト云々というのが顧みられなくなったこのご時世において2枚組を出すという。これはもう聴かなきゃいけないなと。

本作に伴う山口一郎のインタビューで印象深かったのが、作為性/無作為性という話。「天才というのは尾崎豊やブルーハーツのことで、彼らは本能で書いてそれが認められる。けど僕たちはそれが受け入れられなかった。そこでどうしたら受け入れられるかを考えるようになり、そこで見つけたのがダンスやエレクトロニカを導入した今の形。」というような発言。山口によると、札幌でのアマチュア時代が無作為性で、認められて東京に出てきて今に至るというのが作為性ということになる。

なんかメンドクサイことを言ってやがると思いつつ、けどそれは大いに共感できる話で、つまり音楽家に限らずある程度認知されているアーティストというのはすべからく作為的なところが恐らくある。つまり作家性と商業性で、そこの使い分けは別に悪い事でも何でもなくて当然なのではと、素人だからこそ思ったりもするのだけど、山口一郎の場合は長くやってきたけど未だにそこのところがしっくりと来ない。つまり今回の2枚組はその気持ちのわだかまりが形になって現れたという風にも受け取れるのではないか。

そういう意味では僕がサカナクションに対しなんとなく物足りないと感じていた部分は的外れでもなかったし、当の山口一郎本人がそうだったのだから、そりゃ当然だろうと思うのだけど、その揺らぎというのがこのアルバムにはちゃんと出ていて、そこは本人が意識していたのかどうかは別にして、見事に揺らいでいるなぁ、というのがこのアルバムに対する僕の印象です。

つまり山口本人の言として、Disc1は作為性であると。認められて東京に出てきたスタイルを表し、だからキャッチーだしアッパーな曲もある。一方のDisc2は無作為性、本当はそんなこと言っている時点で作為的なんだけど、兎にも角にもウケるウケないは横に置いて内面に糸を垂れる、ありのままの音楽表現で行くんだというDisc2をセットする。

で実際に聴いていると確かにそんな感じはするし、具体的に言うと家で休みの日なんかにDisc1をかけてたら家族は喜ぶし、いい感じのリビングになるんだけど、Disc2はやっぱりそうじゃねえなって。家族が寝静まった夜に一人イヤホンを差して聴くというのがしっくりくる。

けどこれが聴き続けているとどうも違ってくるというか、だんだんそういう境目が無くなってくる。言う程1枚目は作為的でもないし、言う程2枚目は無作為でもない。当然ながら、時間の経過と共に彼らは成長しているのであって、無作為性なんて言ったって、もうそういうところへは戻れない訳だし、しかし戻りたいとする意識はここにあって、そういう作為性と無作為性が混ざり合う感じ、まだ完全に混ざり合っていない、不確かな感じがこのアルバムの魅力として横たわっているような気はする。

ということで、今この時期に2枚組にする必要はあったのだろうけど、山口一郎はこういうメンドクサイ人だからこそ信用できるのかなと。いずれこういう不器用な事をせずとも、全く自然な作為/無作為の交わったサカナクションというものが立ち現れてくるだろうけど、それは随分と先の話ではなく意外とすぐそこに来ているのかも。

個人的にはソロ活動をジャンジャンやりゃあいいのになぁと思ったりもするけど、それは余計なお世話(笑)。

 

Tracklist:
(Disc 1)
1. 忘れられないの
2. マッチとピーナッツ
3. 陽炎
4. 多分、風。
5. 新宝島
6. モス
7. 「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」
8. ユリイカ (Shotaro Aoyama Remix)
9. セプテンバー -東京 version-

(Disc 1)
10. グッドバイ
11. 蓮の花 -single version-
12. ユリイカ
13. ナイロンの糸
14. 茶柱
15. ワンダーランド
16. さよならはエモーション
17. 834.194
18. セプテンバー -札幌 version-

文庫本

ポエトリー:

『文庫本』

 

友達に貰った文庫本
読む読むと言って机の隅
引き出しの奥に仕舞うこともできずに
二階の窓から空見上げれば
月は高く
今はもう会わなくなった友達を思い出し
あいつは俺より利口だったけど
今はどんなふうだろうと
そんなことを思いながら
友達に貰った文庫本
今一度目をやり
心の隙間を空白を
沢山の詩で満たして欲しいと
今宵月に話しかけている

 

2017年2月

Fruits/佐野元春 感想レビュー

 

『Fruits』(1996)佐野元春

 

ハートランド解散後、第一弾のアルバム。一人になった佐野が、国内の気になる音楽家をとっかえひっかえ呼び集め、長いセッションを繰り返した末に出来たのがこの『フルーツ』アルバム。今思えば、ハートランド時代からよく海外へ出かけ、現地のミュージシャンとアルバムを作ってくることが何度かあったので、その国内版みたいなものかもしれない。ただ当時としてはやはりハートランドがいないということはかなりのインパクトで、この先どうなるのかは全く想像がつかなかった。

参加ミュージシャンの多さに伴い、サウンド的にも色々なジャンルが施され雑多な多国籍料理のような佇まい。詩の世界観もあちこち飛び回るのだけど不思議と統一感のあるアルバムで、佐野が「僕の庭で始まり、僕の庭で終わる」と言ったのも納得。佐野の案内のもと、初期の『No Damage』を思わせるテンポの良さで、タイムマシーンのように人生の切り絵をあっちこっちドライブしてゆく。そんな脳内ロード・ムービーのようなアルバム。各曲が意図的に3分程度にまとめられている点も効果的だ。

良くも悪くもザ・ハートランドという制約を取っ払ったことで、佐野の才能がスパークしており、堰を切ったようにアイデアが溢れ出している。自由にソングライティング出来る喜びに満ち溢れているといった感じである。

またアルバム・リリース後にバンドを組むことになる The Hobo King Band のメンツがあらかた揃っているのも特筆すべきで、当然このアルバムを機に佐野のサウンドは大きく舵を切る。このアルバムで言えば佐橋佳幸のギターが大きくフィーチャーされており、これまでのキャリアを見てもこれだけギターが目を引くのは初めてではないか。また、ドカドカした古田たかしのドラムとは異なり、小刻みに弾けるように叩く小田原豊のドラムが新鮮。彼のドラムはこのアルバムのムードによく合ってる。

佐野はこのアルバムを、誕生、成長、結婚、そして生と死といった人生のサウンド・トラックと称している。非常にポップなアルバムで生を色鮮やかに彩る一方、その背後に死を感じさせており、特に大きな震災を経た今となっては余計にその思いを強くする。

そういえばこのアルバムは阪神淡路大震災後にリリースされている。当時はあまりに気に掛けなかったが、そこかしこに死や明日はもう来ないかもしれないといったイメージが見え隠れする。一見、シングル集的側面が強いポップなアルバムではあるが、頭から通して聴くべきアルバムではないだろうか。そういう意味では作家性の強い作品とも言える。

詩は非常にシンプルにまとめられており、視覚的にも平仮名が多くなっている。しかしながら映像を伴ったその喚起力は凄まじく、聴き手の想像力を大いにかき立てる。今思えば、近年ほぼ完成形を見せている平易な言葉での日常的な表現という手法の始まりだったのかもしれない。言葉が強く前面に出ていた前作『ザ・サークル』とはまた別の視点で日本語への接近が図られており、圧巻の♯14『霧の中のダライラマ』を始めとして、今までとは異なる言葉の冴えが随所に見られる。

このころの佐野の表情は柔和なもので、リリース前に行われたツアーでも笑顔が絶えなかった。やはり前作『ザ・サークル』で成し遂げた無垢の円環という気付きは大きなターニング・ポイントだったのだろう。文字通り、新しいシャツを着た佐野の次のタームがここにある。

様々な重荷から解き放たれたことで簡潔になった言葉。ジャンルを問わないサウンド。まさに新しい佐野元春が始まったということを印象付けるように前向きでまっさら、これまでの、またこれ以降の作品と比べても飛び抜けて色鮮やかな作品。『ザ・サークル』からハートランド解散を経て、佐野の新たなステージが始まった。そんな印象を強く受ける、その名のとおり新鮮な果物のようなアルバムだ。

 

 

Tracklist:
1. International Hobo King
2. 恋人達の曳航
3. 僕にできること
4. 天国に続く丘の上
5. 夏のピースハウスにて
6. Yeah!Soul Boy
7. すべてうまくはいかなくても
8. 水上バスに乗って
9. 言葉にならない
10. 十代の潜水生活
11. メリーゴーランド
12. 経験の唄
13. 太陽だけが見えてる
14. 霧の中のダライラマ
15. そこにいてくれてありがとう
16. Fruits