NHKスペシャル 平成史 第1回 大リーガーNOMO HIDEO 感想

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NHKスペシャル 平成史 第1回 大リーガーNOMO HIDEO             

 

野茂は近鉄時代から野茂英雄だった。ノーヒットノーランが掛かる最終回であろうが、勝負にこだわり真っ直ぐを投げ続けたし、右腕にライナー性の打球が当たり一旦ベンチに引っ込んでも、何食わぬ顔をして再びマウンドに上がった。何を聞かれても仏頂面で自分の意志だけを言った。その周りの事はどうでもよかった。今年、50代を迎えた野茂は体型が違えども眼光は昔のまま。今も尚、野茂英雄は野茂英雄のままだった。             

この番組で興味深かったのは野茂が近鉄バッファローズから離れることになったいきさつ。今回のインタビューで野茂から語られた内容によると、第1回契約更改の前に既に自由契約になっていたということ。揉めに揉めて自由契約になったとばかり思っていたが実は違うようだ。任意引退を申し出たのは野茂サイドの方で、自由契約になれば、復帰するには元の在籍球団としか交渉できないという制約があるものの、アメリカの球団との交渉は可能という、当時の日本プロ野球規則をあらかじめ調べ上げ、これならいけると近鉄球団へ申し出たのだ。その時点では誰も野茂がメジャーリーグに挑戦する意向を持っているとは思っていなかったわけで、近鉄球団側は野茂サイドのシナリオに乗った訳だ。

この辺り、番組中に名前は出てこなかったが、当時の野茂の代理人はダン野村氏であったかと思う。しかしこれを可能にしたのは、ここで野球人生が終わってもいいと覚悟した野茂の決意だ。説明を聞いてこれで行こうと一度決めたなら、あとは迷わずに突き進む。そこに野茂のピッチング・スタイルと同じ太い幹を見るような気がした。       

最後の交渉の場で近鉄はあらゆるオプション契約を提示し、野茂を引き留めようとしたが、同行した当時のピッチングコーチの佐藤道郎によると野茂は「メジャーに行かせてください」としか言わなかったようで、その様子を見た佐藤もその情熱の前では「頼むから気持ちよう行かせたってくれ」としか言えなかったそうだ。

野茂は自分が日本人メジャーリーガーのフロンティアと呼ばれることに抵抗を持っている。通訳やトレーナーや多くの関係者がいる。自分だけが特別扱いされることを極端に嫌う。野茂は自分がフロンティアだとは本当に微塵も思っていないし、寧ろ理解のあるドジャースに入れた自分は幸運だったと述べている。 

野茂は華々しくメジャー・デビューをするものの、キャリアの中盤では肘を手術するなど、思うような結果が出ない時期を過ごす。メッツ時代、ブリュワーズ時代がそれにあたるだろうか。しかしそこから野茂は二つ目の大きな山を作り出す。それはレッドソックス在籍時のノーヒットノーランであり、再びドジャースに戻った時のエースとしての活躍だ。どうして二つ目の山を作ることが出来たのかという問いには、「この頃から自分の事だけじゃなく、自分が投げない時もチームに貢献出来ないかと考えるようになり、回りの選手の事も見るようになった。投げていない日も試合を観るようになったし、そうしたらうまくいくようになった」と答えている。この非常に重要なコメントを引き出したインタビュアーの大越キャスターの質問は素晴らしかったと思う。

野茂は剛腕のイメージがあるが、肘を手術してからの真っ直ぐは(野茂はいつも直球を真っ直ぐと言う)140km/h中盤しか出ない。しかしその140km/h台中盤しかでない真っ直ぐで野茂は真っ向勝負を挑む。スピードがあるとかないとかではないのだ。打者を見据えて、腕を思いっ切り振ることしか考えない。野茂にとっては打者を抑えることが結果ではなくて、腕を思い切り振れたかどうかが結果なのだ。

大谷選手の活躍について聞かれると、大谷がどうこうとは一切言わず、自分も体が元気だったらもう一度やりたいとか、どんな球を投げるのか打席にも立ってみたいとだけ言う。日米野球では自分の真っ直ぐがどれだけ通用するかを知りたかったから、真っ直ぐばっかり投げて怒られてましたと言って笑う姿や、引退したくなかったし、引退してからも投げたいと思いましたと当たり前のように言う姿を見て、引退して何年も経っても野茂英雄は野茂英雄のままなんだなと思った。

野茂は批評めいたことや誰かのことを悪しざまに言ったりしない。「日本球界に対して大きな壁を感じたことはありますか」と聞かれた時もそうだった。近鉄球団に対しても文句はいくらでもあるだろうけど、口にするのは「最後の話し合いで、メジャーに行かせてくれた人には感謝しています」と言うのみ。マスコミに散々嫌な思いをしたろうけど、そんなことも一切言わない。多分それは野球とは関係ないことだからだと思う。

野茂英雄は僕にとってのヒーローだった。別にメジャーリーガーになったからではない。ユニフォームがはち切れんばかりに大きくワインドアップをして、背番号が見えるほど体を捻り、どんなに大きい相手であろうと、真正面から突破を試みる。それは僕には到底できないことだった。この日、久しぶりに野茂さんを見た。体型は変わって髪の毛には白いものが見えたけど、やっぱり野茂さんは僕のヒーローのままだった。高校の教科書に何度もピッチングフォームを落書きした、大学時代に4畳半のアパートで夜な夜な観た、あの時のヒーローのままだった。

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