Fantôme/宇多田ヒカル 感想レビュー

邦楽レビュー:
 
『Fantôme』 (2016) 宇多田ヒカル
(ファントーム/宇多田ヒカル)
 
 
随分久しぶりのアルバム・リリースだそうだ。ラジオで「道」を聴いていいなって思った。でも宇多田ヒカルとは思わなかった。声とか言葉が僕が知っているそれとはちょっと違ってたから。後日タワレコで聴いてやっぱ思った。こりゃ言葉だなと。なんか惹きつけられるものがあった。
 
この数年、プライベートで非常に大きな出来事があったとのこと。一度目に聴いた時、そのことを色濃く感じた。彼女にとってこのアルバムは避けては通れないもの。セラピーの意味もあったのではないか。そんな風に感じたので、僕の試みとしては、ここ数年彼女に降り注いだ出来事は頭から切り離して聴きたい。そんなところにあった。
 
僕は宇多田ヒカルのアルバムを買ったのは今回が初めてだ。聴いてると「あぁ、やっぱお母さんに声が似ているな」とか、意外と回るコブシにも「こりゃ母譲りの情念だな」とかつい思っちゃう。昔テレビで宇多田さんの声は美空ひばりさんの声とおんなじで人が聴いて心地よい周波数が流れてるってのを観たことがある。テレビのことだからホントかどうかは怪しいもんだけど、僕としてもこの人の声をどう捉えたらいいのか今もって分からない。上手いのか、声がいいのか、味があるのか。一体この人の歌声の一番のチャームポイントは何処にあるんだ?僕にとって宇多田ヒカルは好きとも嫌いとも言えないじれったさと言えるかもしれない。
 
今回聴いて発見したことがある。言葉のフックのさせ方が絶妙だなと。これは間違いなくそう言える。多分、カラオケで宇多田さんと同じように歌える人はいないだろう。歌っても気持ちよくなれないだろう。だってそれってカンでしかないから。宇多田さんにはそういう体内時計が仕込まれてるんだな。彼女の壮大な才能の一つかもしれない。そういう意味じゃミラクルひかるはホントにミラクルだ
 
ところでサウンドについてはどうなんだろう。自身によるプロデュースはいつものことなのかどうかは知らないが、彼女は曲を作ってる段階で既に最終的なサウンドが頭の中で鳴っているのだろうか。これが明確な意図を持って作られたサウンドなのか、探りながら行き着いたサウンドなのか僕にはわからない。いつもの宇多田っぽい音なのか、今回がちょっと違っているのか、それも僕には判断がつかない。つかないけれど、サウンドについては、僕にはまだこれが宇多田ヒカルの決定版というところにまでは至っていないような気がする。声や言葉の圧倒的な質量に対して、何か煮え切らない感じがするのは僕だけだろうか。
 
宇多田ヒカルには素人の僕から見ても、彼女自身が扱えないほどの巨大な才能が埋まっている。昔テレビによく出ていた時の早口で変に明るいキャラも、彼女自身が自分自身を持て余していたからなのかもしれない。ただ彼女が今回ここで選択した言葉の落ち着きを見ていると、どうやらその有り余る才能を時の気分に応じてアウトプットする術を少しずつ獲得しつつあるのではないかというような気もする。しかしそのきっかけとなったのが近しい人との別れだったとすれば、これも過剰に詰め込まれたギフト故の業と言え、しかしそうすると私たちはこの素晴らしい作品を手放しで喜ぶべきかどうか。とはいえ、いくらその業が深いからといっても我々はただのリスナーであるべきだし、商業的であるべき。そんなことはお構いなしに音楽として消費すべきだ。
 
その点、このアルバムの立ち位置は面白い。通常、この手の個人的側面の強い作品は聴いていられない。でもどうだろう。このアルバムはひとつもやな感じがしないのだ。僕はこのアルバムを聴くにあたって、ここ数年彼女に起きた事柄とは切り離して聴こうと心がけていた。ところが何度か聴いていると、その必要が全く無いことに気付いた。だって彼女自身がもう他人事なのだから。そりゃ曲を書いてりゃ意図しようがしまいが個人的な断片はどうしても出てくる。しかし、書いてしまえば、録ってしまえば、手元から離れてしまえば、それはもう済んだこと。当然のことながら彼女は音楽を作っているのだ。個人的な体験でさえ一個の作品として昇華してしまえる。彼女はやはりアーティストなのだ。
 
このアルバムのポイントはここではないか。宇多田ヒカルは個人的な出来事でさえ距離を持って眺められるから、このような作品を世に出すことが出来るのだ。加えて言えば、それは作品そのものに対する作家の自負とも言える。逆にこれまではその距離が遠過ぎたのかもしれない。彼女自身、思うように間合いが測れなかったのだ。遠過ぎたからこそ、僕はじれったさを感じていたのかもしれない。しかし明らかに今回は曲と本人が近い。言葉が近くなった。そこに彼女の必然があったから。しかしそれは曲との馴れ合いの関係を示すものではない。あくまでもこれまでと比べて近くなったというに過ぎず、今も多くのミュージシャンとは比較にならないくらい遠い。テレビで歌う彼女を観た時、僕には彼女が自分ではない誰かの物語として歌っているように見えた。彼女はつまらない大人が期待するように涙を流して歌うことはないだろう。

僕たちも馴れ合っちゃいけない。彼女が本心を晒したなんて露にも思っちゃならない。僕らには到底理解できない回路を経由してこのアルバムは生まれたのだ。それがアーティストというもの。そしてそのアーティストとしての矜持がこの作品だ。僕らの時代には宇多田ヒカルがいる。僕らはもう少し自慢していいのではないか。
 
★1. 道
  2. 俺の彼女
  3. 花束を君に
  4. 二時間だけのバカンス
  5. 人魚
☆6. ともだち
  7. 真夏の通り雨
  8. 荒野の狼
☆9. 忘却
 10. 人生最高の日
 11. 桜流し

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)