ポエトリー:
『春の訪れ』
都会に立って耳元で囁いた
呟き あさっての方向へ
水際立って立ち姿素敵
あの子はきっと爽やかペテン師
4月、
春の口元に書いている
君の耳元に流れている
少し襟元が汚れている
5月、
浮かない顔 春の音ずれ
2016年5月
ポエトリー:
『春の訪れ』
都会に立って耳元で囁いた
呟き あさっての方向へ
水際立って立ち姿素敵
あの子はきっと爽やかペテン師
4月、
春の口元に書いている
君の耳元に流れている
少し襟元が汚れている
5月、
浮かない顔 春の音ずれ
2016年5月
洋楽レビュー:
『Coloring Book』(2016年)Chance The Rapper
(カラリング・ブック/チャンス・ザ・ラッパー)
普段はラップを聴かないけど結構好きです。僕はやっぱり言葉が気になるし、通常のポップ音楽よりラップとかヒップ・ホップの言葉の方がライムが転がって、気の利いたアクセントがあって、リリックが溢れて断然面白いやって思うことが時々あって、じゃあなんでラップ聴かないのっつったら、まあ単純に英語のリリックに全然ついていけないからで(笑)。なので、日本語のカッコいいラップがありゃ誰か教えてください(笑)。
それにラップって過去の楽曲とか社会とか時代背景とかいろんなことが重なり合って(←そーです、ラップは知性なのです)、そういうのにもついていけないってのもあるし、でもたまにそういう意味性とかリリックが全然分からなくても直接心に響いてくるのがあって(これはラップに限らずどんな音楽にも言えるんだけど)、言葉なんか分からなくたって直に音楽として伝わってくるものがある。まあそういう直接心に響いてくる音楽を大雑把にソウル・ミュージックって言い切ってしまえば、チャンス・ザ・ラッパーの『Coloring Book』もソウル・ミュージックのひとつなのかもしれない。ていうか僕にとってはもうまるっきりソウル・ミュージックです(笑)。
そりゃネットで歌詞を検索して和訳を見りゃ、へぇ~、そんなこと言ってんだってそれはそれで感心するし、どっかのライターが書いたレビューなんか読んでると、このアルバムにはピーターパンに出てくるウェンディが出てくるんだけど、そのウェンディはチャンス・ザ・ラッパーの故郷である全米一治安が悪いとされるシカゴ、ウィンディ・シティとかかっているとかで、そういうのが同じくシカゴ出身の先輩ラッパーであるカニエ・ウェストの昔のアルバムでも引用されてたとか、まぁ他のヒップ・ホップ音楽と同じようにそんなような背景が山ほどあるみたいだけど、そんなことは当然こっちはなんも分かんない(笑)。でも分かんなくてもそれで通用するというか、とにかく聴いてて幸せな気持ちになるっていうか、家人が寝静まった夜に聴いてたりすると、もうソファに座ってられなくて、立ちあがって踊りだしてしまうっていうか、まぁ実際恥ずかしながら踊りだしてしまうんだけど(笑)、要はそういうポジティブなエネルギーがこのアルバム(←正しくはミックス・テープって言うらしいです)には溢れるようにあるってことです。ま、そんな日は興奮してなかなか寝付けなかったりするんですが(笑)。
YOUTUBEで彼のライブ映像なんかを見ると本人も周りもみんな楽しそうで笑いながらラップしてるし、そりゃ『Same Drugs』をみんなで一緒にシンガ・ロングする映像を見てたらうらやましいし、ホント美しい光景だなって思うけど、もし僕がそこにいて英語なんか分からなくても、同じように美しい光景だなって、心が打たれて一緒に歌っている気分になるんじゃないかなぁって。あ、後から知ったけどこの歌、とってもいい歌詞です。
ラップってのは僕の解釈だとブルースというか、うまくいかない事とか、つらい事やな事をはっきりとそんなのクソ食らえだぜみたいに言ってしまったり、世の中そんなのおかしいじゃねぇかっていうようなことに反逆したりっていう怒りとか憤りっていう割とネガティブな声を力に変えていくっていうイメージがあるんだけど、このアルバムに至ってはそうしたネガティブな声を感じないというか、そりゃ歌詞をちゃんと見ていけばそういうのもあるのかもしれないけど、とにかく僕が感じるイメージとしては、祝福とか喜びとか生きていることを讃えている、ただそこにいることを讃えている、そんなポジティブな光がめいっぱい放射されていて、彼は音楽は売らない主義とかでCD化はされてないし、無料でダウンロードできて、僕ももっぱらYOUTUBEで聴いているんだけど、そういう彼の態度っていうのかな、要は子供たち、みんな聴いてくれみたいな彼の果てしない陽のパワー、ビッグ・バンみたいな陽性の力が伝わってくる、スマホで聴こうがなんだろうがちゃんと伝わってくる、それはやっぱ感動的な事なのです。
あと音楽的なところで言うと随分ラップのイメージとは異なっていて、ボン・イヴェールの『22,A Million』なみに声にエフェクト利かせまくってるし、ラッパ隊もきらびやかで、ゴスペルもふんだんに出てくる。ラップっていうと一定のリズムを延々ループさせてそこにリリックを乗せていくっていうイメージだけど、このアルバムはメロディもあるしポップ・ソングでいうサビみたいなのもある。それにトラックはメチャクチャカッコイイ!!僕がソウル・ミュージックだなんて言ったのはそんなところにも起因するのかもしれないけど、その場合、普通はラップとはみなされないらしくて、でもこのアルバムは、っていうか流石にチャンス・ザ・ラッパーっていうくらいだし、やっぱちゃんと自他ともにラップとして成立してしまっているところが実はスゴイところらしいです。らしいですってこんだけ書いておきながらなんですが、これも後から知ったことなので(笑)。
ラップらしからぬと言えばリリックも断然そんな感じで、前述のとおり僕はラップをあんまり知らないから偉そうなことは言えないけど、ラップってどっちかっつうとドギツイ言葉が出てきて攻撃的というかマッチョなイメージがあったりするんだけど(←どーも偏見でスミマセンッ)、このアルバムに出てくる情景ってのは全然そういうんじゃなくて、そりゃ『Summer Friends』みたいに友達がいなくなったりいい話じゃないことがいっぱい出てきたりするんだけど、そういうのが怒りに転化されるんじゃなく、日本にいて平和で自分も含めて身近な人が銃で撃たれてっていう世界とは無縁の僕みたいな人間にでも凄く自然に入ってくるというかスッと馴染んでいく表現になっていて。だからシカゴで生まれ育ったことは彼のアイデンティティーに大きく関与しているわけだけど、だからと言って暴力的になってかないっていうか、やっぱゴスペルであったり語弊があるかもしれないけど『Summer Friends』の美しさ、祈りに向かって行くというような美しさというようなものがあって、あんまり共感って言葉は好きじゃないから使わないけど(笑)、そういう部分も親子程年の離れた青年から僕は教えられたような気がして。そしてそれはやっぱり日本にいてもある種のリアリティが感じられる、よりよいベクトルへ向かう力になり得るものだと僕は思うのです。
ラッパーっていうととかくイメージがよろしくなくて、ドラッグとか暴力的な事とかがついて回るというか、実際チャンス・ザ・ラッパーも子どもの時にラッパーになりたいなんて言うと随分怪訝な顔をされたらしくって。でも当然ラッパーに知性は必要だし、社会的な貢献や影響も大きいし、なんだったらオバマ大統領(当時)に会ったりすることもあるんだぜっていう。そういうラッパーとしての地位向上というか意識を変えていくんだっていう意味合いもあってチャンス・ザ・ラッパーって名前にわざわざしたとかで、そこにもやっぱ彼の気概を感じられるし、音楽的にだって通常のラップではない新しいことにチャレンジしたり、音楽をフリーで提供するってやり方も、これはメジャーと契約しなくたって出来るんじゃないかと思って実際にやってしまって革命を起こしてしまっているし、そうした切り開いていくイメージが、一番最初の、何も知らないまま彼の音楽をYOUTUBEで初めて聴いた時に感じた、なんじゃこりゃ!?すげー、すげーよっ!!っていうどんどん溢れてくる陽性のパワーにも繋がってて、やっぱこの光の源はここにあんだよ、うんうん、っていう感じで。だからラップとかヒップ・ホップとかそんなカテゴリー云々じゃなくて大げさかもしれないけど『Coloring Book』は今この時代に光を差すような、人々の背中を押すような、時代とか世代とか性別とか国境とか人種とかを超えて、音楽を道具って言ったら怒られるかもしれないけど、実際に人々が前を向いて歩く力になり得るホントに素晴らしいアルバムだと僕は心から思うのです。
なんかひとりで盛り上がってますが、チャンスさんのことを知ったのは実はほん2、3週間ほど前のことでして…。なのでなんだ今頃知ったのか、っていうツッコミは自分で自分にしておきます(笑)。あとこのアルバムは色んな人が参加しているので、まだチャンスさんの声とごっちゃになってますってツッコミも一応(笑)。それとこういう音楽は子供たちや嫁さんのいる休日のリビングでかけたいなぁって思うので、僕個人としてはやっぱCD出して欲しいです…。わ、言うてもうた(笑)。
1. All We Got (feat. Kanye West & Chicago Children’s Choir)
2. No Problem (feat. Lil Wayne & 2 Chainz)
3. Summer Friends (feat. Jeremih & Francis & The Lights)
4. D.R.A.M. Sings Special
5. Blessings
6. Same Drugs
7. Mixtape (feat. Young Thug & Lil Yachty)
8. Angels (feat. Saba)
9. Juke Jam (feat. Justin Bieber & Towkio)
10.All Night (feat. Knox Fortune)
11.How Great (feat. Jay Electronica & My cousin Nicole)
12.Smoke Break (feat. Future)
13.Finish Line / Drown (feat. T-Pain, Kirk Franklin, Eryn Allen Kane & Noname)
14.Blessings (feat. Ty Dolla Sign, Anderson .Paak, BJ The Chicago Kid & Raury)
佐野元春 マニジュ・ツアー/佐野元春&THE COYOTE BAND
~2018年3月11日 大阪フェスティバルホール~
昨年リリースされた佐野のアルバム『MANIJU』。そのアルバム名を冠したツアーが行われた。大阪はフェスティバルホール。3月11日の開催だ。
今回のツアーは2007年に結成したコヨーテ・バンドと制作したアルバムからのみの選曲になる。具体的に言うと、『COYOTE』(2007年)、『ZOOEY』(2013年)、『BLOOD MOON』(2015年)、そして昨年の『MANIJU』。嬉しい事だ。僕はアンジェリーナもSOMEDAYも好きだけど、もうライブで毎回演奏する必要は無いと思う。何かの機会にたまに演奏する程度でいい。佐野には今を叩きつける新しい歌が沢山あるのだから、当たり前のように僕はそっちを聴きたい。本当にそう思う。
僕は2階席の丁度真ん中辺りだった。ライブが始まって立とうとすると立てなかった。なんと2階席は誰一人立たなかったのだ。佐野のコアなファンの年代は僕よりもかなり上なのは分かっているが、まさか誰も立たないとは。僕はたまりかねて、途中の休憩の間に(そう、年齢層に配慮してか休憩まである!)、フェステバルホールの係員に後ろの通路で立ってもいいかと尋ねたが、やはりそれは駄目だと言われた。残念ながらこのことがライブを通してずっと僕のストレスとなってしまった。
ライブ自体は素晴らしいものだった。予想に反して、前半はアルバム『BLOOD MOON』からの曲が立て続けに演奏された。聴いている時は分からなかったが、後で振り返るとそれは意味のあることだった。中でも『私の太陽』が強く印象に残った。「きっと君は君のまま / 変わらない」。この曲はドカドカしたジャングル・ビートとキーボードのうねりがたまらないが、この日は何よりそのリリックが突き刺さった。
前半の最後に披露されたのは『優しい闇』。硬質なメッセージを携えたロック・チューンだ。サビではこう歌われる。「何もかも変わってしまった / あれから何もかも変わってしまった」。この日は3月11日。どうしたって震災を思わずにはいられない。確かにあの日を境に変わった。僕はこれまで、あの日を境に僕たちの生活や価値観は変わったと思っていた。けれどそれは‘僕たち’ではなかった。僕は何も変わっていない。この曲の最中、何気ない自分の偽善をふいに突き付けらた気がして僕はひどく狼狽えた。
後半はマニジュ・ツアーにふさわしく、新しいアルバムからの曲が披露された。素晴らしいソウル・ナンバー、『悟りの涙』はライブで聴いてもグッ来た。『新しい雨』が始まる前、佐野は自分たちの世代と新しい世代との交流の歌を作ったと言った。けれど正直に言うと僕にはそれがあまりピンと来なかった。すこし楽観的過ぎるんじゃないかって。
表題曲『MANIJU』は組曲仕立てになっている。後半に向かって音自体もどんどん大きくなって空間の境目が溶けていく。けれど客席に向けられた照明がかなり眩し過ぎて目を開けていられなかった。音楽に集中出来なかったのが残念だ。
『MANIJU』アルバムからの曲に挟まれて、『ZOOEY』アルバムからの2曲が演奏された。『世界は慈悲を待っている』。印象的なイントロのギターに続き、モータウンばりのリズムが跳ねる。曲は大げさに盛り上がったりはしない。淡々と進んでいく。けれど聴き手の心を掻きむしる。続く『ラ・ビータ・エ・ベッラ』。この2曲に僕は不覚にも泣いてしまった。
アンコールでは古い歌も披露された。『レインガール』がオリジナルに近いアレンジで披露されたのが嬉しかった。大好きな曲なので、一緒になって歌った。『ヤァ、ソウルボーイ』が演奏されたのも意外だった。どちらも今のコヨーテ・バンドらしくブルージーで渋い。とてもカッコよかった。最後のアンジェリーナでは隣のベテラン客がやたら盛り上がっていた。僕個人としてはアンコールでもコヨーテ・バンドとの曲だけにして欲しかった。それに休憩も要らない。年齢層に配慮するなら1時間かそこらでもいい。今を歌う今のコヨーテ・バンドと共にペース配分など気にせずに一気に駆け去ってしまった方がいい。ライブ後についそう思ってしまうほど、この日の僕は揺さぶられていた。
僕は10代の頃に佐野の音楽を聴き始めてからライブにはほとんど参加している。途中、なんだかんだと行けなくなった時期もあったけど、ここ10年ぐらいは再び参加し続けている。そしていつもいい気分で帰ってきた。そこに佐野がいる。実在している。そのことだけで僕には特別な事だった。しかしこの日のライブは少し勝手が違っていた。
音楽に何が出来るだろう。3月11日、僕は僕にとって特別な人のライブに行った。音楽が白々しく聞こえてしまう時があった。音楽が訴える言葉に涙する時があった。この日の僕はどちらにも極端に振れた。僕は何も知らないくせに感情が昂った。
音楽は何を訴えることが出来るのだろう。音楽は何に向けて真っ直ぐに突き進むことが出来るのだろう。ただ騒いでそれだけでいいのか。人々の心に何か残すことは出来るのだろうか。何かを残すなんて自惚れたこと考える方が間違っているのだろうか。少しでも何かをより良い方へ向かわせる意志が人々にあったのだろうか。今日のこの集まりは何か意味があったのだろうか。
そもそも僕はこの日のライブに何を求めていたのか。僕はきっと期待していたに違いない。3月11日のコンサートが僕の気持ちを少しは整理させてくれるものと。何か明確な、目に見えるもの。世界中で起きている理不尽な事に対し、痛ましい表情をしながらも、いつものように日常を過ごすだけの自分の偽善を蹴飛ばすような、すっきりとさせてくれる何かをもしかしたら求めていたのかもしれない。或いはそれでいいんだよと肯定してもらうのを待っていたのかもしれない。しかし同然ながらそんなものはない。なかった。当たり前だ。
マニジュ・ツアーの冒頭はアルバム『ブラッド・ムーン』からの曲が立て続けに演奏された。あのアルバムは発した言葉がそのままこちらへ帰ってくる硬質で辛辣なアルバムだ。今日、そのアルバムからの曲が沢山かかった。お前、今日は何かのキリになるかと思ったか、とでも言うように。
あの日から何もかも変わってしまった。違う。お前は何も変わっていない。お前まで変わってしまったなど傲慢な。必要以上に繊細になるな。痛ましい振りをするな。憂い顔をするな。眉間に皺を寄せるな。お前がそんな顔をしても何も変わらない。
ライブが終わって、家に帰っても落ち着かなかった。スッキリとするはずだと勝手に思っていたものが全くスッキリしなかったのは僕の勝手だ。もしかしたら2階席で本編の間じゅうずっと座らなくてはならなかったことや、アンコールで昔の曲が始まった途端、急に立ち上がってやたら盛り上がる人たちに苛立ったせいもあったかもしれない。益々こんがらがって僕は心の安定を欠いていた。
今にして思う。今まで音楽に、ライブに楽しさを求めていたのは僕の方だったのだ。日常の上手くいかないことをほんの1時間でも2時間でも忘れて目一杯楽しむ。そうだったはず。しかしこの日は妙な声が入り込んできた。お前にとって音楽はそれでいいのかと。
『世界は慈悲を待っている』のサビはこう歌われる。「Grace 欲望に忠実なこの世界のために / Grace 今すぐ そのドアを開け放たってくれ」。世界は欲望に忠実だ。これは何もそういう世界を非難している訳でも糾弾している訳でもない。お腹が空けば何かを食べるし、眠たくなれば眠るし、大切な人とも話をしたい。欲望に忠実な世界とはそういう平坦な普段の営みのことだ。そこに佐野は‘Grace’と言う。‘Grace’とは優美さ、寛容さ、或いは恩寵、神の恵みを意味する。
僕はこの日のライブの直後、こんな煮え切らない思いをするなら、佐野のライブにはもう行かないかもしれないと思った。けれど今は違う。ライブは楽しければいい。それはそう思う。でももう少し違う一面があってもいい。わけもなく感情が揺さぶられてその所在が分からなくなって、苛立って、それでもいい。
『ラ・ビータ・エ・ベッラ』で不覚にも僕は泣いてしまった。震災を想起させる歌に泣いてしまった。それは素直な感情の発露だったと思う。けれど一方で、お前なに泣いてんだ、という気持ちがすぐに持ち上がったのも事実だ。言ってみればこの日のライブはそうした感情のせめぎ合いでもあった。何をめんどくさいことをと言う人もいるだろう。でもそれはやっぱり必要な事だと思いたい。分からないまでも、知らないまでも、何も変わらないまでも、戸惑うことは、考えることは必要なのだと。僕はやっぱりドアを開け放たっていたいのだ。
僕はこれからも佐野のライブに行くだろう。また心の中を行ったり来たりするものに揺さぶられるかもしれないが、それをしっかりと受け止めたい。
佐野のライブでこんな複雑な感情になったことは初めてだ。それは3月11日にここ数年の曲だけでライブが行われたというのも大きな理由だったかもしれない。
ブック・レビュー:
『夕凪の街 桜の国』 こうの史代
こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』を読みました。先ず絵がすっごく上手。そんなこと言うと、こうのさんはくすぐったがりそうだけど、本当に素晴らしい絵です。決して写実ではないんだけど、ちょっとした表情とか体の動きに実に敏感な絵で、伝わってくるものがとても大きいのです。
漫画だから静止画なんだけど、ちゃんと前と後ろがあるっていうか動いてる。絵に躍動感がある。桜の国(1)で七海ちゃんが野球のノックを受ける場面があるんだけど、その時のスローイング姿だけでもずっと見てられます。背景も丁寧に描き込まれていて、広島で暮らしている時の家の中の様子や街の背景に映るちょっとした人の姿なんかもしっかりと描かれていて、そうしたところからも人の動きの前と後ろを感じられる。だから人物が立体的なんだな。そうした流れの中でセリフがあってそのセリフにも前と後ろがあってしかもそこを急がないっていうか、読み手に時間を与えてくれる。だから俳句的っていうか行間がたくさんあって、少し読んでちょっと戻ってまた読んでみたいな、そんなゆったりとした時間を与えてくれるのです。
何気ない絵なんだけど、凄く表情が豊か。だから登場人物がとっても魅力的なんです。ちょっとした微妙な表情の変化を捉えていて、そこにもやっぱり前と後ろがあるっていうか。だからちらっとしか出てこない皆実ちゃんの会社の同僚たちだってちゃんと立体的で生活があって、何気ないからこそ、さぁーと流れて行ってしまわない。場面一つ一つ、セリフ一つ一つが流れて行ってしまわないのです。
東日本大震災があって、生き残った人がいて、生き残ったのになんで生き残ってしまったんだろうって加害者の気持ちになってしまう人たちがいて。皆実ちゃんもそうでした。なんで私は生き残ったのかって自分を責めて。だからようやくそこと向き合い始めて、ようやく歩き出そうとしたある日、急に皆実ちゃんの身に起きる現実に、「てっきりわたしは死なずにすんだ人かと思ったのに」ってセリフに愕然としてしまいます。
そして時が経って。おばあちゃんやお父さんや七海ちゃんや凪生や東子ちゃんが東京にいて、いや今も日本中のどこかにまだ沢山いるんだってことが、戦争が終わって70年以上も経ってもまだここにいるんだってことが流れて行ってしまわない。まだ前と後ろがあって、現在へ続いている、夕凪はまだ続いているのだと強く感じられるのです。
ブック・レビュー:
『想像ラジオ』 いとうせいこう
夢ばかり見ている子供でした。野球選手になって大活躍する夢や悪い奴をやっつける夢や好きな女の子に告白される夢。いや、これは夢と言うより妄想かな。ていうか今もやってます(笑)。告白しますが、僕はいい年をして未だに妄想しています(笑)。
僕には大切な家族がいます。もし何かの理由があって会えなくなったら。僕は妄想すると思います。街角で急に会って、「あぁ、こんなとこで」、みたいな妄想を。それからまた一緒に居れる妄想を。もしくは本当にこの世から居なくなったら。僕は妄想すると思います。楽しかった時、険悪な雰囲気だった時(笑)、それから今の今、一緒にいる姿を。
僕が急にこの世から居なくなる場合もあるかもしれない。そうそう、実はそういうことを妄想してしまうことがあるのです。ここで自転車で転んで頭打って死んだらどうしようとか、電車に乗ってる時に後続の電車が突っ込んで来たらどうしようとか。
でもそうなったら僕は真っ先に妻の元へ駆けつけるかもしれない。いや、きっと駆けつける。きっと空へ召されるまでに幾ばくかの猶予があるはずだ。だから一刻も早く、空へ召されるまでに何とか妻の元へ駆けつけ、先ずはこうこうこういう理由でこうなったとことを、或いは詫びや言い残したいこと、或いはあそこの引き出しは開けないでくれとかをあれこれ告げるだろう。だから妻の元へ駆けつけるまでの少しの時間を利用して、必死に考えをまとめて必死に急ぐんだ。ていうかもうこれ、妄想入ってます(笑)。
『想像ラジオ』は‘魂魄この世にとどまりて’しまったDJアークの物語。かもしれないし、もしかしたら登場人物である作家Sの作中小説かもしれない。一方でこれホントのことかもしれない、ドキュメンタリーかもしれない。時々耳鳴りがしたり、気分が悪くなったり、変な声が聞こえたりっていうのは精神疾患的なものじゃなく、事実、何かの声が聞こえているのかもしれない。でもやっぱり作者いとうせいこうの想像かもしれない。まあ何だっていいや。
僕は小さい頃、大きくなったら妄想はしないだろうって思っていたけど、40を過ぎてもまだやっている。多分、もっと年をとっても死にそうになってベッドに寝たきりになっても妄想しているだろう。好きな人のこととか、それは妻だったり、妻じゃなかったり(笑)。あと僕がカッコいいスーパーお爺さんになってたり。
今は3月だから震災関連の番組があります。気になるから観るけど、「この後津波の映像が流れます」ってテロップが入ると僕は目を閉じて耳をふさぎます。僕は大阪にいて全く被災していないけど、僕にもムリです。
想像することは止めることができない。いいことだけじゃなく嫌な事も想像してしまう。しょうがない。気付けば勝手に想像してしまうのだから。きっと僕は死んでも想像しているだろう。もしあの世があればあの世に行っても想像しているだろう。会いたい人のこととか、会えない人のこととかを。
ポエトリー:
『今はなき世界の終り』
味気ない 語るでもない
浮わついている 心の不思議
たまさかに 咳き込むように
昼過ぎのこと 表に出る
華やいだ街 ひどい言葉の先
広々とした道の ほろ苦い味
何から始めようか 何を約束しようか
ちらついた風 押されながら
果たすべきか 自ら問いかける
バチが当たるのも 覚悟の上
鼻につく 新鮮な檜の薫り
横ざまに 駆け捨てて
尚且つ 通りいっぺんの話題にも
ほとほと愛想を尽かし
もう嫌だ あの人の小さな声を
思い出すのも
意地悪な 物の見方をするのなら
腫れ物に触るような 先達の鎧に
くびき入れ 苛立ち紛れ
書きまとめを 火の中へ放り込めば
若干の後ろめたさも 今はなき世界の終わり
抜群の功績をもって 俄に称えられ
もういいです こんな時どうするかは誰にも教わっていませんからと
ひとり呟く
2017年12月
サマーソニック:
2018年 サマソニ出演者第4弾、及び日割り発表!
サマソニ第4弾の出演者と日割りの発表があった。今後細かな変更があるにせよ、大方はこれで決まりと考えていいだろう。それにしても今年はどうしたかことかえらい気合の入りよう。このラインナップは世界中のフェスと比べても見劣りしないなかなかのものなんじゃないでしょうか。てか決まるの例年こんな早かったっけ?
てことで東京、大阪で2日間に渡って行われるサマー・ソニック。今年のヘッドライナーは既報のとおりノエル・ギャラガーとベック。ベックの日にはチャンス・ザ・ラッパーもラインナップされていて正にダブル・ヘッドライナー状態。更にその日はパラモアも出演するとあってこりゃ大変。この日はチャンスさんのアルバムで共演したノックス・フォーチュンっていう若いもんも出演するみたいで、こりゃもうチャンスさんのステージで共演するがなっ、ていうお楽しみまで付いている。
その上でパラモアっていう、去年のアルバムで思いっきりイメージチェンジをした強力なエモ・ポップ・バンドもいたりして、しかもおまけでこりゃ盛り上がること間違いなしのウォーク・ザ・ムーン(おまけって言ってスミマセンッ)までいるという私にとってはテンコ盛り状態。あとはベックとチャンス・ザ・ラッパーとパラモアのタイム・テーブルが被らないことを祈るばかりです。なんかそれぞれ別のステージでトリやってそうなので(笑)。
それとあともう1日、大阪で言うと2日目はノエルの日。これが打って変わってあんまりそそらないです…。まぁそれは私にとってという意味で、実際はシャーラタンズとかフライング・ロータスとかチーム・インパラとか結構名のある連中がいたりするのでこっちの方がいい!って人ももちろん沢山いるのでしょうが、この辺は私よく知らないのです…。あ、フレンドリー・ファイヤーズが復活するってのはちょっと気になるかな。
とまぁ、ノエルは絶対的な存在なので行かなアカンやろうし、こりゃどーしよーって感じです。初の両日参加となりそうな予感もちらほら漂っているところでございますが、両日参加って色んな意味でしんどいよな~(笑)。
洋楽レビュー:
『Heathen Chemistry』(2002年)Oasis
(ヒーザン・ケミストリー/オアシス)
今年のサマソニにノエルが来るってことで、最近のノエルのセット・リストを眺めてたら『Little by Little』が載っていて、なんかちょっと聴きたいなぁと思って久しぶりにアルバム『ヒーザン・ケミストリー』を聴いてみたら今さら気に入っちゃって、最近は結構な頻度で聴いている。とまあ、聴いてると色々思うところがあったので、今さらながらのレビューです(笑)。
オープニングは1stシングルにもなった『The Hindu Times』。シングルらしい明朗な曲だ。タイトルどおりノエルのインド趣味が出ています。ま、このぐらいならかわいいもの。前作の『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』で見せたサイケデリアも継承しています。
1曲目の流れを引き継いでたゆたうドラム・マシーンから入るは、『Force of Nature』。ノエルのボーカル曲だ。大体ノエルは一番いい歌を歌いたがるんだけど、この曲はそうでもないような…。でもこの高音はこん時のリアムにゃムリだな。続く3曲目はゲム・アーチャー作。ってことで今作はドラマーのアラン・ホワイト以外のメンバー4人が作詞曲を行っているのも特徴。で3曲目の『Hung in a Bad Place』。これがなかなかいいんです。結論から言って何ですが、このアルバム、結構いい曲があって良盤だと思うのですが、カッコイイかとなるとちょっと答えに詰まります。そんな中『Hung in a Bad Place』はいい線言ってます。アルバム中随一のカッコイイ曲がゲム作っていうのも何ですが…。
で4曲目は渾身のバラード、『Stop Crying Your Heart Out』。やっぱリアムの声はいいね。だいぶ盛り上がってますが、ストリングスなんか無くっても多分ええ曲です。続く『Song Bird』はリアム作の小品。ってかリアムはいい小品書くねぇ。昨年のソロ・アルバムを含めても、僕はこの曲がリアムのベストではないかなと。
続いては『Littele by Littele』。ノエルが血管浮き出して歌っている姿が目に浮かぶ(笑)。普通にいい曲。安定感抜群。これぞノエル。やっぱ盤石やね。
次の『A Quick Peep』はアンディ作の短いインスト。その次の『(Probably) All in the Mind』と『She Is Love』の流れが僕は結構好きです。『(Probably) All in the Mind』の方は若干のサイケデリアを絡ませつつハッピーな雰囲気でいい感じ。どっかで聴いたことのあるようなっていうノエル作にはよくパターン(笑)。『She Is Love』もいい。リアムが『Song Bird』ならノエルはこれって感じかな。曲のこなれ具合が全然違うけどどっちもいい曲だ。
10曲目の『Born on a Different Cloud』はリアムの作詞曲。こんな大曲も書けるんやね。今のリアムがこういうのに取り組んでみても面白いかも。続く『Better Man』もリアム作。まあこれはこんなもんというか、だいぶバンドに助けられてるというか(笑)。そうそうこのアルバムはサウンドがいいのです。素直にバンド感が前面に出ててそういう部分もこのアルバムの風通しを良くしている一因じゃないかな。そういや今のノエルのバンドにはゲムも参加しているみたいなので、今年のライブではゲムのギター・プレイも楽しみだ。で最後はノエルがボーカルの『You’ve Got the Heart of a Star』で締め。ゆったりとした穏やかな曲で終了です。
ガツンと来るのが『Hung in a Bad Place』だけなのがちょっと寂しいけど、ここに来てバンド感が高まってきているし、何より全体を通していい曲が揃ってる。初期のアルバムが強烈過ぎるから目立たないけど、僕は地味に穏やかでいいアルバムだと思います。ただまあ、オアシスが地味に穏やかってのがやっぱアレなんやろね(笑)。
1. The Hindu Times
2. Force of Nature
3. Hung in a Bad Place
4. Stop Crying Your Heart Out
5. Song Bird
6. Little by Little
7. A Quick Peep
8. (Probably) All in the Mind
9. She Is Love
10.Born on a Different Cloud
11.Better Man
12.You’ve Got the Heart of a Star
ポエトリー:
『山岳地帯の物語』
物語を語る老婆の好きな花はバラ
語り口は滔々と夢の中の偽り
あったことでもなかったことにしてしまう
口を大きく開いた財布をバッグに忍ばせ
権力にしがみつく輩に噛みつく
油断ならない山岳地帯の王は今年で満八十才
牛の生き血を吸うというもっぱらの噂だが虫も殺せない臆病者
腹が一斗樽のように突き出ているがいつも足元にいる猫の尻尾も踏んだことはない
山岳地帯の王たるゆえん
街へと続く坂道をくどくどと歩いてゆく五十がらみの配達夫はそろそろ後のことを考えている
かといって息子もいず頼るべき親類もいず
あるものといえば三十年以上肩に担いだなめし皮のバッグのみ
しかしそれは魔法のバッグ
薄汚れた空気の攻撃を三十年以上に渡り受け付けずにきた動物性皮脂由来の頑丈さを備えている
配達夫の意味は頑丈である事
五十がらみの配達夫がさんざんぱら言われてきたことを体現するそのバッグこそがかの男の教養だ
物語を語る老婆は小さな菜園を持っている
積み木を重ねた仕切りで覆われた菜園で育つものは何?
言いがかりは山ほどあるが老婆は何も発しない
一言も発しない!
その傍を虚ろな目をした少女が過ぎる
何処の街にもよくある風景
思春期特有の鼻持ちならなさを醸し出しながら正義の器を小脇に抱えている
共に歩く弟の擦り傷とは対照的に彼女の傷口からは鮮血が孵化する
奇妙な思いやりのイメージだが後にそれがこの国を丸くする
街に古くからある肉屋は古くからあるだけあって住人の信頼を得ている
主人はめったに顔を出さないが奥で目を光らせている
その主人に目を光らせているのがその妻女だ
妻女は工場の生産管理よろしく先を打って働く
ということもあってそこの従業員は皆よく足が動く
先月新しく入ったアルバイトの青年もまた同様に
街から少し離れたところにある大きな石の塊は神聖なものだが冒すべからずという程のものでもない
健全なストーンヘンジ
母親たちは生まれたばかりの赤ん坊の名を書き込む
最近生まれた風習だがこれもとやかく言う程のものではない
勿論虚ろな目をした女の子の名前もその弟の名前も肉屋の青年の名前も書いてある
近くに川があるから丁度良い憩いの場でもある
例えば新しい料理屋の味付けがどうとか何組の担任がどうとかこうとか…
この国の気候は目まぐるしい
虚ろな目をした少女より目まぐるしい
母親連中の昼の話題より目まぐるしい
肉屋のアルバイトより目まぐるしい
ぐるぐるとかき混ぜマーマレードみたいに皮は残して満遍なく行き渡る
ゴールドの羽音がする瓶詰めの気候
やがてこの国にグラニュー糖の雨が降り注ぐ
老婆の菜園に滋養を与える雨になるのか
配達夫のバッグの頑丈さを試す雨になるのか
山岳地帯の王の太鼓腹を冷やすことになるのか
当時は誰も知らなかったが、
最も恩恵を受けたのは意外にも老婆の大きく口を開いたバッグだった!
2017年1月
洋楽レビュー:
『Scream Above The Sounds』(2017)Stereophonics
(スクリーム・アバヴ・ザ・サウンズ/ステレオフォニックス)
いや~鉄板やね~。551の豚まんやね~。りくろーおじさんやね~(※1)。間違いないねぇ~。いやいやステレオフォニックスのことですよ。デビュー21年目を迎え10作目のオリジナル・アルバムという多作ぶりもさることながら、今回もいい出来。もう間違いないんすよ。御大、ボブ・ディランもフェイバリットに挙げるぐらいですし(※2)、もうイギリス土産としてヒースロー空港に置いてもいいんじゃないですか(※3)!?
てことでステレオフォニックスの10枚目、『スクリーム・アバヴ・ザ・サウンズ』のレビューです。先ずは1曲目。サビで「コート・バイ・ザ・ウィン~♪」ってそよ風吹いてます。どうです、この軽やかさ。デビュー20年を経てのこの軽やかさはちょっとやそっとで出ませんぜ。リリックにある「屋根の上で日光浴(Sunbathing on the roof)」をしているかのようなギター・リフが心地よい。ここで早くも私は思いましたね。今回も間違いない!
続く2曲目『Taken A Tumble』も軽快なロック・チューン。こりゃ懐かしのストリート・ロック、ジョン・メレンキャンプやん。軽やかに進むと思いきや、後半はリリックが膨らんでドラムもろとも畳み掛けてくる。流石フォニックス、カッコいいぜ!
3曲目『What’s All The Fuss About?』はちょっと趣が変わってフラメンコ(←あくまでもイメージです)。哀愁漂うトランペットといい、気分は『私だけの十字架(※4)』(←これも勝手なイメージです)。この曲も後半にかけて畳み掛けてきます。なんか今回のアルバムはこういうの多いな。アウトロのフラメンコ・ギターが沁みるぜ。
『Geronimo』は多分ライミングとかアクセント先行で出来た曲やね。全編韻を踏んでます。中でもサビの「~like a domino」と「~like Jeronimo」の韻がイカす。そーです。カッコよけりゃ意味なんて雰囲気でどーとでもなるのです。こういう遊びで作ったような曲がえてしてカッコイイから不思議。演ってる方も実はこういうのが一番楽しかったりするのではないでしょうか。曲の中盤では珍しくサックスだ。ちなみにジェロニモといえばつい「アパッチの雄叫び(※5)」を思い出してしまいますが、全く関係ありませんのであしからず。
フォニックスの魅力の一つはリリック、とりわけそのストーリー・テリングにある。今回で言えば5曲目の『All In One Night』だ。余計な感情は一切排し、時間軸に沿ってただ物語だけが進行していく。リリックにもサウンドにも大げさな仕掛けは一切なし。にもかかわらず、徐々に立ち上がる情感。見事である。
6曲目の『Chances Are』は同じフレーズを繰り返しながらサウンドが徐々に盛り上がっていくハード・ロック・ナンバー。最後は盛り上がっちゃってどうしようもなくなる感じがいい。7曲目は今は亡き元メンバーへ捧げる『Before Anyone Knew Our Name』。ピアノの伴奏のみで静かに歌われる。ピアノはケリー自身によるものだろうか。
8曲目は珍しくサビがファルセットの『Would You Believe?』。これもストーリー・テリング。でもこっちは主人公の独白で進行していくタイプ。ブルースやね。間奏から入ってくるギター・ソロがたまらんね。ウイスキーでもグッとあおりましょうか。そんな感じです。ま、したことないけどっ。
続く『Cryin’ In Your Beer』は古き良きロックン・ロール。ヴィンテージ・ロックだ。オルガンもグイングインしちゃってるし、ここでもサックスがブロウ・アップだ。アメリカっぽいな~。元々フォニックスは大陸的な大らかさがあるバンドだけど、今回は特にその傾向が強い。
そしてケリーの回想録のような『Boy On A Bike』をはさみ本編ラストの『Elevators』へ。これなんかもすごくアメリカっぽい。ジョン・メレンキャンプ感満載で、ピアノのフレーズなんてブルース・スプリングスティーン&ザ・ E・ストリート・バンドみたい。でもサビにかかるとやっぱ英国的な情緒があって、そういうとこがまたいいんだよな。
ってことで本編全11曲。細かくコンピューター・サウンドを取り入れてみたり、ハード・ロッキンしたり、ケリー・ジョーンズの声を満喫できる弾き語りもあったりで、バラエティ豊かな曲調。肩肘張らずに、でも攻めの姿勢は忘れない、そんなフォニックスらしいアルバムではないでしょうか。ここからまた新しい旅が始まるんだという軽やかさがいい!
確固たるスタイルがありつつも決して守りに入らない。不思議と今作る音が今の音になる現役感がフォニックスの最大の強みだ。てことで、やっぱ今回も間違いないぜ!
伝統がありつつも最前線。こりゃやっぱヒースロー空港に置くしかないね!どうです?メイ首相。
1. Caught By The Wind
2. Taken A Tumble
3. What’s All The Fuss About?
4. Geronimo
5. All In One Night
6. Chances Are
7. Before Anyone Knew Our Name
8. Would You Believe?
9. Cryin’ In Your Beer
10.Boy On A Bike
11.Elevators
(ボーナス・トラック)
12.Never Going Down(Live at RAK Studios)
13.Drive A Thousand Miles(Graffiti Sessions)
14.Breaking Dawn(Written for Twilight)
15.All In One Night(Unplugged)
16.Caught By The Wind(Unplugged)
(※1)「りくろーおじさん」とは、全国的には知られていないが、大阪人にはお馴染みのチーズケーキ店のこと。味もさることながら1ホール700円弱というコスパが嬉しい。父親が昔よく仕事帰りに買ってきたのはそういうことだったのね。今では私が買って帰ります。
(※2)2017年のインタビューで、ボブ・ディランはステレオフォニックスとエイミー・ワインハウスがお気に入りのアーティストであることを明かしている。
(※3)実際、6度の全英№1を誇る国民的バンドでございます。
(※4)テレビ朝日系列で1970年代から80年代にかけて放送された刑事ドラマ『特捜最前線』。当時人気を博した石原軍団の派手な刑事ものとは対極にあるような渋い刑事ドラマ。
当時の小学生は何故かこれを昼の再放送とかで観ていて、誰もがエンディング・テーマ、チリアーノの『私だけの十字架』を歌えた。最後のとこだけやけどね。
(※5)80年代ジャンプ世代にとってジェロニモといえば「キン肉マン」に登場する正義超人、ジェロニモが先ず思い浮かぶ。人間から超人になったレア超人だ。得意技は「ウ~ララ~」という‘アパッチの雄叫び’。地味やな~。
~TRTRに捧ぐ~