The Whole Love/Wilco 感想レビュー

洋楽レビュー:

『The Whole Love』(2011)Wilco
(ホール・ラヴ/ウィルコ)

 

いつも思うんだけど、ウィルコの魅力って何なのだろう。ボーカルにしてもバンドにしても曲にしても、決してインパクトのあるものではないのだが、何か引っ掛かるんだよなあ。ということで、改めて1曲目から順に何か書いていこうと思う。そうすることで、何故僕はウィルコの音楽に惹かれているのかが見えてくるかもしれない。

1.  Art Of Almost
冒頭からSEも交えあちこちに飛び回るサウンドで、7分の大作。後半に向け、次第に激しくなってゆく演奏は、抑えつけていた感情が放たれるかのよう。

2. I Might
シングル向けのポップ・ナンバー。とはいえ詩は結構アイロニーが含まれたもので、ジェフ・トゥイー ディの特徴的なソングライティングと言える。キーボードが印象的。

3. Sunloathe
メランコリィ。太陽が嫌いだと言う。ここで言う太陽とは何なのだろう。砂漠でジリジリと太陽に照りつ けられながらも持ちこたえている。敵は誰かであり、自分である。

4. Dawned On Me
シングル向けのポップ・チューン。タイトルがいい。ちょっと直訳しにくいが、ここでいう気配とは良い兆候なのか、悪い兆候なのか。快活なサウンドはやっぱりいい兆候なのだろう。

5. Black Moon
カントリーに属する曲。とはいえ、後半に掛かるとストリングスが待ち受けており、意外と盛り上がる。が、基本的には気だるい曲。

6. Born Alone
「人はひとりで生まれて、一人で死んでいく」、なんて陳腐な言い回しは、普段なら屁にも思わない。でも、素晴らしいメロディと素晴らしいサウンドが伴えば言葉以上の意味が現れ、静かに満ちてくる。

7. Open Mind
実はジェフ・トゥイーディは内気なんじゃないかと思わせる声がとてもいい。好きなんだけど、「君の心を開く人になりたい」としか言えない控えめな態度が僕は好きだ。

8. Capitol City
「此処は君に似合わないよ」って。これも結局自分に言ってるようにも聞こえる。結構厳しい現実認識の唄だが、ユーモア=優しさがある。転調がいい塩梅。

9. Standing O
ゴキゲンなロック・ナンバー。詩は辛辣で小気味良い。何をぐずぐず言ってるんだと誰かに言っているようだが、実は自分に言っている。

10. Rising Red Lung
フォーク調の曲。6弦、及び12弦のエレキ・ギターがとてもいい。こうして聴いていると、単調な曲でもバンド力できっちり聴かせるところもウィルコの魅力なんだな。再認識。

11. Whole Love
個人的には本作のベスト・トラック。タイトルどおりの愛に溢れたサウンドで、このバンドの一体感を強く感じることができる。ラストのコーラスの幸福感はとにかく素晴らしい。

12. One Sunday Morning(Song For Jane Smiley’s Boyfriend)
「ひとりの息子が死んだ」って、これは自分自身のことなのか。ジェフ・トゥイーディの独白のようにも聞こえる。起伏の少ない12分の大作だが、アレンジに感情のうねりがあり聴き応えあり。比較的ポップな本作においても、オープニングとエンディングにこうした長尺の曲を持ってくる辺りはいかにも彼らのスタンスを示しているようだ。

ボーナストラック「Sometimes It Happens」が追加されて全13曲。全ての曲にユーモアと優しさ、そして何より反逆の精神がある。そしてそのいずれもにラブ・ソング、あるいはポリティカルなメッセージ、そして人生についての深い洞察が含まれている。曲によってその比重は違えど、どうとでも取れるその重層性こそがウィルコの魅力なんじゃないだろうか。誰かに言っているようであり、自分に言ってるよう。皮肉と思いきや、正直な言葉とも思わせる。「物事はどちらか一方ということはないんだよ」。ここにはそんなメッセージが見え隠れする。そしてそれらのメッセージがゴキゲンなサウンドにくるまれている。最高じゃないか。

物事というのは

ポエトリー:

『物事というのは』

 

すぐに怒るあの人も案外優しくしてくれる

人懐っこいあの人だって誰かにイジワルすることも

 

優しいご主人ね、なんて言われる僕ですが

結構冷たいところがあるのです

 

右から照らせば左に影が

左から照らせば右に影が

 

「物事というのは、どちらか一方ってことはないんだよ」

 

ある日、ウィルコのアルバムを聴いていたら、そんな声が聞こえてきました

 

2012年3月

見知らぬ街、ふたり連れ

ポエトリー:

『見知らぬ街、ふたり連れ』

 

連れだって自転車こいで街へ向かう

二人の上には運良く希望

誰だってすぐには叶えられそうにない

遠ざかる昨日

 

歪んだ眼    人より多く見える

繋いだ手    誰より愛して    虚しく届かないんだまだ

 

またね    夢    押しのける君の声  力づけ

たたえられ    俄かに    雲晴れ

陽が    昨日より    よく見える

 

本当のことリボンをかけて渡した

すれ違い忘れ形見

それでも君は受け取ってくれたただ

よくある泣き笑い

 

見上げたね    物陰に隠れて

繋いだ手    誰より愛して    悲しくて届かないんだまだ

 

会ったね    知らぬ間に二人    出会ったね    何が見える

夕映え    花    風に吹かれ

また    昨日のように    消え失せ

またね    夢    押しのける君の声    力づけ

たたえられ    俄かに    雲晴れ

陽が    昨日より    よく見える

 

2015年7月

お風呂フタした隊

お話:

『お風呂フタした隊』

 

「おーい、お風呂フタしたかぁ~。今日しないと三日連続だぞぉ。好きなテレビ見せないからなぁ。今から見に行くぞぉ~。」

「うわぁ、ちょっと待って。多分した。したっけ? えっと、したっけ?えーっと、えーっと。」

 

 

むむっ!『お風呂フタした隊』、集合!
せいれーつ!

 1、2、3、4、5……、7、

おいっ、6番はどうした

多分トイレです

よし、7番、お前呼んで来い!

えっ、俺がですかぁ トイレだったらもうちょっと待ってさぁ

おい、ブツクサ言ってねえで早くいって来い

しょうがねえなぁ  ちぇっ、6番の野郎

 

なんで俺が行かなきゃなんねぇんだ、ブツブツ……チクショー
大体あいつはいっつも急なんだよなあ
そりゃあトイレぐらい入るだろうさ
あぁ、ここだここだ
おーい6番、入ってんだろう
隊長がお呼びだぜ~
おーい6番、入ってんだろう

  ・・・

なんでぇあいつ、返事もしねぇ
おーい6番、いねぇのかぁ
コンコン、

  コンコン、コンコン

ん?入ってんじゃねえか
コンコン、
そろそろ出てこいよぉ

  コンコン、コンコン

おーい、まだ出てこねえのかぁ
いや、出てこねえってのは、そっちじゃなくて、トイレから出てこねえのかって話で、
ややこしいなあもう、まあいいや、とにかく返事しろい

  コンコン、コンコン

なんだよあいつ、コンコン叩くばっかりで返事もしねぇ
ちょっと待てよ
コンコン、

  コンコン、コンコン

やっぱりだ、こりゃあなんか訳でもあんじゃねぇか

 

と7番さん、えっちらおっちら扉を登って中を覗いてみると…

 

  コーン、コン
  コーン、コン
  嫁入りじゃ嫁入りじゃ~        
  キツネのお姫の嫁入りじゃ~

 

なんとそこは大平原
うららかな陽気の下、キツネの嫁入りの大行列が行われているではありませんか

 

ひゃー、おったまげた~
こかぁ、トイレじゃなかったのかぇ
いたいた、6番のやろう、あんなとこ、赤い傘持って何やってんだ
あれじゃあまるっきり行列のお供じゃねえか
なんだあれ、キラキラするもん振り撒いてるぞ
ありゃ金粒じゃねぇか!
オイッ、ちょっと待ってくれ、俺にもそいつ分けてくんろー、分けてくんろー

おっとっと、イテテ、イテテ、こりゃ金粒以外にも、なんか上から、ごつごつゲンコツみたいなのが、頭の上から、あちゃちゃ、イテテテ、

 

ゴン!

オイッ6番!お前さっきから何言ってんだ

クックックッ、6番のやろう、また寝ぼけてやんの

しょうがない、今日は6名で出動だ
『お風呂フタした隊』、出発だ!

 

よいしょ、よいしょ よいしょ、よいしょ

よし、全員登ったな、こっちもOK 誰も来る気配はないぞ
今のうちに、せーので押すぞ

  せ~のっ、ゴロゴロゴロ~

 

ふう~、やっと終わったぜ
この家、ゴロゴロタイプに変わってだいぶ楽になったな
あっ、6番、今頃になってやっと来やがった

おーい、わりいわりい、ちょっと面倒に巻き込まれちゃってさぁ
それが誰かの嫁入りがなんとかかんとかって、終わんねぇのなんのって…

すると、6番さん、肩の上にはなにやらキラキラ光るものが…

あっ、6番、そりゃおめぇ、

 

 

「おっ、フタしてんじゃん」
「あ、ホントだ」あれ、でもボク閉めたかなぁ…

 

皆さんのおうちでもこんなこと、ありませんか?
したはずなのに、していない。
していないのに、ちゃんとしてある。
これらは全て小さなボクの勘違いではないのです。
実は家には『お風呂フタした隊』なる秘密結社がいるのです。
あと、『家のカギ閉めた隊』とか、はたまた『おやつ1個食べちゃう隊』なんかも。

 

「ん?なんだこれ?こんなとこにキラキラ光るもんが…」

 

2017年5月

Visions of a Life/Wolf Alice 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Visions of a Life』(2017)Wolf Alice
(ヴィジョンズ・オヴ・ア・ライフ/ウルフ・アリス)

 

都会でも田舎でもいいんだけど、やっぱ霧がかっていてスッキリしないというのかな。雨の多い英国の景色というのがあって、根本的に解決されないものがされないままそこにあるっていう。例えばカズオ・イシグロとかの世界に近いって言えば分かってもらえるだろうか。

解決されないままそこにあり続けるっていうのは昔からそうだったかもしれないけど、今はそのことが当たり前というかデフォルトとして横たわっていて、英国に暮らす20代の彼らのこの世界観というのはもしかしたら日本にいる僕らよりも一層強いのかもしれない。でも考えてみれば、生きているとそりゃ嫌な事とか大変な事とかしんどい事ってのが結構あって、でもそういうのをいちいち解決している訳じゃないし並走しているわけで。多くは苦しくて生きていけないって程ではないし、ひとつひとつにちゃんと向き合ってしんどい思いをする必要のないまま、なんだかんだ言ってもそこそこやっていけている。ただそれをきっとうまく行くよとか、明日はいい日になるとかっていう風に歌うのはやっぱちょっと違う話で。だからそういう霧がかかってスッキリしないままこのアルバムも進んでいくってのは凄く真っ当なことだし、そういう意味ではエコーがかった声に手が届かないってのは当然といえば当然。それは向こう側からも同じ。現実的に言えば直に聴ける時はライブでしかないし、すなわち本当のことはその時その場にしかないというこれもまたごく普通の価値観だ。

だからシューゲイザーとかパンクとかドリーム・ポップが一緒くたになったからといって、そのどれをも彼女たちが信じているかっていうと信じているし信じていないってことだろうし、どういう意匠を纏っていようが彼女たちが4人集まってその時その場にしかない本当のこと(明日になれば霧と共に消え去ってしまうようなもの)を歌って演奏するってことに全力で取り組んでいるだけで、そこにそれだけの理由しかない以上、何故これだけ多岐にわたるサウンドになったのかと聞かれても答えることはできないのも当然だ。

そのことはあらゆる混沌を統べてしまうボーカルのエリー・ロウゼルのカリスマ性やあらゆる音楽性を同じフィルターに閉じ込めてしまえるプロデューサーのジャスティン・メルダル・ジョンセン(※パラモアのニュー・アルバムも彼による)の力にもよるだろう。しかしどういう意匠を纏おうが間違いようなくウルフ・アリスでしかない強烈な記名性はやはりそうした彼女たちの世界の認識、世界との距離感に由来するのではないか。

その気分を表だって引き受けるエリー・ロウゼルの存在感は圧倒的だ。1曲目『Heavenward』のウィスパー・ボイスから一転、2曲目の『Yuk Foo』で「誰かれ構わずヤッてやる(I wanna fuck all the people I meet)」と荒々しくシャウトする様は鮮烈。#4『Don’t Delete The Kisses』や#6『Sky Musings』のリーディングにおけるナチュラルなリズムやメロディの内包感はどうだ。#7『Formidable Cool』のシャウトも今作のハイライト。一転、#8『Space & Time』のブリッジにおける少女のような声、#11『After The Zero Hour』の魔女のような声も魅力的だ。更にはリリックの方も見逃せない。ストーリー・テリング主体のリリックで、切ない#4『Don’t Delete The Kisses』と妄想しまくる#6『Sky Musings』の落差も同じ人から出た言葉とは思えない多様さだ。

このアルバムはウルフ・アリスが次世代のロック・バンドとして傑出した存在であるということを証明するのと同時に、稀有なボーカリスト、エリー・ロウゼルの才能が一気に解放されたアルバムでもある。

 

1. Heavenward
2. Yuk Foo
3. Beautifully Unconventional
4. Don’t Delete The Kisses
5. Planet Hunter
6. Sky Musings
7. Formidable Cool
8. Space & Time
9. Sadboy
10. St. Purple & Green
11. After The Zero Hour
12. Visions Of A Life

(日本盤ボーナス・トラック)
13. Heavenward(Demo)
14. Sadboy(Demo)

ウルフ・アリス、すげ〜

 

このところウルフ・アリスの『ヴィジョンズ・オヴ・ア・ライフ』ばかりを聴いている。凄いんだなこれが。先行で公開されたキャッチーな3曲が配置された前半もいいんだけど、後半のグデングデンしたダークな感じがまた最高。聴けば聴くほどよくなってくる。

ボーカルはエリー・ロウゼルっていう人で、中谷美紀ばりのクール・ビューティが目を引くんだけど、いやいやそれどころじゃない。ニコリともせずにシャウトする様がカッコいいのなんのって。この人、もしかして凄いボーカリストなんじゃないか。曲も彼女が全部作ってんのかな。だとしたら凄い才能だ。とんでもないのが出てきたもんだ。バンドの演奏もカッコイイし、これからの英国ロックをしょって立つ存在になるかもしれないぞ。あ~、もっと早く聴いてりゃ先月の来日公演に行ってたのになぁ~。

しかしまあ今年はいいのばっか出てくる。フォスター・ザ・ピープルの新作を聴いた時はこれが今年の№1だなと思っていたが、フォクシジェンを聴けばいやいやこっちが1番だなと思ったり、で今はウルフ・アリスが最高だ、ってなっている。

順番で言えば次はベックを聴いて、月末にはノエル・ギャラガーの新作も出る。キラーズの新作もまだ買ってないし、ステレオフォニックスも11月だ。今年のロック勢はスゴイ充実ぶりだぞ。年末に向けてこっちもギアを上げなきゃだな。

AM/Arctic Monkeys 感想レビュー

洋楽レビュー:

『AM』(2013) Arctic Monkeys
(AM/アークティック・モンキーズ)

 

地を這う重厚な作品。まるでコールタールのように流れくる。アークティック・モンキーズ、4枚目のアルバムの登場である。まさしく登場という言葉に相応しい王者の風格。ヘビーなリフに引きずられるようなビートで始まるのっけの#1から物凄い臨場感だ。デビュー時のスピード感はもうここにはない。いや、正確に言うとあるかもしれない。つまりは重々しくとも密度が半端ないのだ。

アークティックは何と言ってもアレックス・ターナーのソングライティングと歌唱だが、僕はこのバンドの肝はやっぱりバンドの技量だと思う。手数はうんと減っているが、こちらに迫る情報量はかつてのもの以上。視覚的に言うとギターの太さが違う、ドラムの重みが違う、ベースの濃さが違う。でまた隠し味的に使われる鍵盤類が最高だ。

指折りのテクニカルな集団なので、思わず手数を増やしたくなるところだろうけど、派手な自己主張はなし。それでも際立つサウンドは彼らはもうそんな領域にいるということだ。ただそれができるのもアレックス・ターナーが作る楽曲の強靭さがあってのこと。色んな要素はあるだろうが、彼の作り出す曲が磁場となってこの傑作を作り上げているのは間違いない。

メロディの決まりごとから離れていても何の違和感もないどしっとした安定感。前作辺りから続く、この一見何気ないメロディを作り出す才能は他に比肩しうる存在がない。加えて、今や若手№1どころか業界トップクラスのボーカリスト。前作も良かったけど、今回は輪をかけていい。でまた詩がいいんだ。だんだん凄いことになってきたぞ。

#6、#7と続くスロー・ソングは本作のハイライト。ここは素直にロマンティックなメロディにうっとりしてしまおう。そのまま続く#8への流れがまたいいんだこれが。

サウンドといいメロディといいこれまでの蓄積の上に、アークティックのオリジナリティが一気に花開いたという感じ。セルフ・タイトルが示す通り、彼らの代表作と言っていいんじゃないだろうか。今までもそうだったけど、今回は特にいつ聴いてもOK。艶々としたヴィンテージ感も最高な普遍的なロックンロール・アルバムだ。

 

1. Do I Wanna Know?
2. R U Mine?
3. One For The Road
4. Arabella
5. I Want It All
6. No. 1 Party Anthem
7. Mad Sounds
8. Fireside
9. Why’d You Only Call Me When You’re High?
10. Snap Out Of It
11. Knee Socks
12. I Wanna Be Yours

Graffiti on the Train/Stereophonics 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Graffiti on the Train』(2013)Stereophonics
(グラフィティ・オン・ザ・トレイン/ステレオフォニックス)

 

UKではアルバム・チャート1位回数6回を誇るという国民的バンド。ちなみにレディオヘッドが同じく6回でオアシスやコールドプレイが7回のようだけど(2017現在)、日本での知名度としちゃだいぶ落差があるような。何がそんなイギリス人の気を引くのかよく分からないが、とにかくかなりの人気だ。

このバンドの最大の売りはケリー・ジョーンズの声だが、それだけではこれだけの人気は勝ちえない。彼らの魅力はケリー・ジョーンズの紡ぎだす歌詞、そのストーリー・テリングにもある。例えば表題曲『グラフィティ・オン・ザ・トレイン』はこんな感じ。男は恋人が寝息を立てている真夜中にベッドを抜け出し、夜の線路へ向かう。お目当ては彼女が毎朝乗る列車。男はその列車にスプレー缶で落書きをする。「Marry me」と。翌朝、プラットホームで列車を待つ彼女に人々の声が聞こえた。昨夜誰かが死んだらしい。どうやら列車の上に乗って足を滑らせたらしいと。いつもの列車がやって来た。扉には「Marry me I love you」と描かれていた。

ソングライターのケリー・ジョーンズは今作を製作するに当たり、幾つかの脚本を仕上げている。もともと映像作家希望だったということもあってか、今作のミュージック・ビデオも彼自身の手によるものだ。それを聞いて今作の映画のような手触りに僕は納得した。彼らの曲はいつも誰かの物語だけど、今回それがとりわけ素晴らしいのはひとつひとつにきちんとしたプロットがあるからなのだ。また、その物語がこちら側にしっかりとした輪郭を持って転写されてくるのは、一歩引いた抑制されたトーンあればこそ。それでいてこちら側に働きかけてくる感情に適度な湿っぽさがあり、その塩梅が丁度いい。そしてそれはケリーの声そのものでもある。

ケリーが書く曲と同じように俯瞰的で入れ込み過ぎないバンドの存在も大きい。当然ながら、ケリーの声もソングライティングもちょっとやそっとでは流れてしまわない盤石な演奏があってこそだ。バンド内のケミストリーがとてもいい形で表れているとてもバンドらしいバンドではないだろうか。

サウンドについて付け加えて言うと、今回はストリングスが際立つ。ドラマ性を盛り上げることに一役買っているが、決して冗長にならないところがいい。特にバンドの演奏と共に次第に激しさを増す『ヴァイオリンズ・アンド・タンバリンズ』は白眉。

オーソドックスなロック・バンドだが、地に足の付いた気名性は抜群。派手さは無いが、これを聴いときゃ間違いないという感じ。1997年のデビューからほぼ2年おきに新作をリリースする多作ぶりも含めて安定感では随一だ。

 

1. ウィ・シェア・ザ・セイム・サン
2. グラフィティ・オン・ザ・トレイン
3. インディアン・サマー
4. テイク・ミー
5. カタコーム
6. ロール・ザ・ダイス
7. ヴァイオリンズ・アンド・タンバリンズ
8. ビーン・コウト・チーティング
9. イン・ア・モーメント
10. ノー・ワンズ・パーフェクト

(日本盤限定ボーナス・トラック)
11. スィーン・ザット・ルック・ビフォー
12. ヴァイオリンズ・アンド・タンバリンズ (ライヴ)
13. イン・ア・モーメント (ライヴ)

As You Were/Liam Gallagher 感想レビュー

洋楽レビュー:

『As You Were』(2017)Liam Gallagher
(アズ・ユー・ワー/リアム・ギャラガー)

 

リアム・ギャラガー、初のソロ・アルバム。共作が多くその出来が良いため話題はそちらに向きがちだが、それでもリアム単独による作詞曲は15曲中8曲(※ちなみに共作は5曲で、他作は2曲)!! 僕はそっちの方が驚いた。はっきり言ってオアシス時代のリアムの曲は小品。僕は『Songbird』も『I’m Outta Time』も大好きだけど、大げさなノエルの曲に挟まれてこそって部分はあると思う。穏やかで紳士的。リアムのソングライティングの強みはそっちにある。だから1枚のアルバムを成立させるだけの多様な曲が沢山書けるってのが先ず驚きなのだ。

とはいっても全部が全部OKっていうわけではない。本人が言うとおり「いいヴァースは書けるけど、ビッグなサビは書けない」ってのはそう思うし、いくら売れっ子の共作者と組んだって、オアシスの曲があるんだから見劣りしちゃうのは仕方がない。でもそれはそれ。恐らく、またノエルと組んだとしてもあんなマジックはもう起きないし、それはそういうもん。ノエル節がないから物足りなく思ってしまう人もいるかもしれないが、普通に考えりゃ共作だけじゃなくリアム単独作にもいい曲はある。リアム独特の歌いっぷりが炸裂してる『I Get By』なんて凄くダイナミックだし、『I’ve All I Need』だってこんなのも書けるんだ、って僕はびっくりした。今はただ、ひとりのソングライターとして歩き始めたリアム・ギャラガーの心意気を素直に喜びたい。僕はロック音楽に最も必要なのは‘気’だと思っているので、そういう面ではオアシスの最後のアルバムよりずっと‘気’は込められているし、少なくとも僕はこっちの方が何回も聴ける。でもって今んとこ飽きてない(笑)。

それとやっぱ聴いてると、リアムが「オアシスとはオレの事」って言ってたのがよく分かる。それを再認識するアルバムだとも思う。何故ってノエルのソロは僕も好きだけど、あれを聴いても一緒に歌おうとはならないもん。これって好みの問題でしょうか?だからオアシスの最大の魅力でもある一緒に歌いたくなる感(英語がからきし分からない日本人の僕でさえ)は、やっぱリアムの声あればこそ。今年のサマソニでは覚えてなかったから『Wall Of Glass』も『For What It’s Worth』も一緒に歌わなかったけど、次日本に来たら絶対覚えて歌うで、ってやっぱそうなっちゃう(笑)。

それに絡んでもう一つ驚いた点。声すっげぇ出てるやん。オアシス後期はぶつぶつ切れてたのがグイッと伸びてる。スロー・ソングは裏声使いまくってる。年相応の渋みもあって、ちょっとこれ別人のようである。だいぶトレーニングしたんだろうな、節制したんだろうな、ってことで、これもリアムの‘気’が伝わってくる要因のひとつだ。ただちょっと真面目に歌い過ぎかなってとこはある。だからちょっとかすれたボーナス・トラックのライブ・バージョンの方が僕は好きかも。スンマセンっ、復活したらしたで欲張っちゃうもんで(笑)。

ただやっぱ心配な点もある。もしかしたらこれで最後なんじゃないかっていうやつ(笑)。今回のソロはオアシス時代のイケイケどんどんじゃなくて年相応の影があってそこがいいんだけど、その影って言うのがもしかしたらこれで最後なんじゃないかっていう不安も含んだもので、また声が出なくなったり、トラブルに巻き込まれたり(自分で作ることの方が多いですが)して新しい歌がまた聴けなくなるんじゃないかっていう。歌以外のそういうリアム本人の佇まいから発せられる影というのはやっぱりオアシス時代よりも濃くなっているわけで、年相応の等身大の光と影っていうものが一人の人間として、特にその明暗のはっきりとした攻防こそがこのアルバム全体を貫く、オアシスではなくリアム・ギャラガーのソロっていう確固たる輝きをもたらしている原因ではないでしょうか。でもってそれはノエルも同じ。様々なキャリアを通したからこその今の輝きはあの頃にはない魅力なのだと思う。

僕はこのアルバムをもう何度も聴いているけど、初めて聴いた時から印象はさほど変わらない。初のソロ・アルバムだけどずっと前からあったような気もするし、それでいて今日初めて聴いたような気もする。そんなアルバムだ。知ったかぶった言い方になってしまうけど、オアシスもそうだった。音楽的には新しくも何ともなかった。レッド・ツェッペリンでもないし、デビッド・ボウイでもない。物凄くいい曲を書く奴がいて、物凄くいい声を持った奴がただ前を見て歌うってだけのバンドで、他に何にもなかった。だからこそ偉大だったのだ。リアムの初ソロ・アルバムのタイトルが『As You Were』と聞いて、オアシスの最重要ワードのひとつ、「I need be myself / I can’t be no-one else」を思い出した人も多いと思う。結局、オアシスもリアムもこれでしかないのだ。リアムが「オアシスとはオレの事」と言っていたのは、強がりでもノエルへの当てつけでなく、本当にそうだったのだ。逆説的に言えば、リアムは「I need be myself」でしか生きられないのだ。これはそれを再確認するためのアルバムだ。

このアルバムは初のソロ・アルバムだけどずっと前からあったような気もするし、それでいて今日初めて聴いたような気もする。理由は簡単だ。オアシスが古くも新しくもなくただオアシスだったように、リアムのソロも古くも新しくもなくただリアム・ギャラガーその人だからである。

 

1. Wall Of Glass
2. Bold
3. Greedy Soul
4. Paper Crown
5. For What It’s Worth
6. When I’m In Need
7. You Better Run
8. I Get By
9. Chinatown
10. Come Back To Me
11. Universal Gleam
12. I’ve All I Need

(ボーナス・トラック)
13. Does’nt Have To Be That Way
14. All My People / All Mankind
15. I Never Wanna Be Like You

(日本盤ボーナス・トラック)
16. For What It’s Worth (Live at Air Studios)
17. Greedy Soul (Live at Air Studios)
18. Paper Crown (Live at Air Studios)

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/J・D・サリンジャー 感想

ブック・レビュー:

『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』  J・D・サリンジャー

 

結婚式当日。シーモアは現れない。「幸福すぎる」というのだ。新婦側によって盛大な準備がなされた披露宴へ、新郎側の数少ないゲストの一人として出席した次兄バディの針のむしろのような状態が描かれる。結局シーモアは密かに新婦のミュリエルのもとへ訪れ、二人して駆け落ちしてゆく。例によってこのあたりのくだりは描かれていない。

主人公はシーモアのすぐ下の弟バディ。この二人は他の弟妹と比べ年が近く年長であり、ある種の同志めいたものがある。バディにしても‘あのシーモア’の一番の理解者であるという気持ちがあるようだ。ここでのバディは後年の人里離れた隠遁者ではない。未だ軍隊に属する若き青年である。といっても彼には他の兄弟のような溌剌さはなく、どこかコンプレックスを感じさせる言わば普通の人に近い存在。しかし哲人のようなシーモアを誰よりも理解しているのも彼であり、同時に多くの人にとっては理解されないのだろうなというようなことをよく分かっているのも彼である。

つまりは特別な何かと、その対極にある普通の人々の両方を理解する一方で、自分はそのどちらでもないこと知っているバディ、すなわちサリンジャー自身の物語とも言える。人物描写が素晴らしく、これもよく出来た短編。下世話な人たち(特にそんなわけではないが)の間に見え隠れするイノセンス。でも痛々しいわけではなく、バディと世間との相容れなさが透けて見える。これをコメディと言っていいのか僕には分からない。