佐野元春 & The Coyote Band 禅BEAT TOUR 2018 感想

ライブ・レビュー:

佐野元春 & The Coyote Band 禅BEAT TOUR 2018 in ZEPPなんば 2018.10.20 感想

いや~、楽しかったッス。佐野元春 & The Coyote Band「禅ビート・ツアー 2018」。今年の春にニュー・アルバム『Maniju』をフォローするマニジュ・ツアーが行われたばっかなのに、この秋に『Maniju』アルバム中の1曲である「禅ビート」をタイトルにしたツアーを行うという。春がホール・ツアーで今回はライヴ・ハウスを巡るということで主旨が異なるものの、またなんでツアーなの?という疑問が無くもなかったのですが、行ってみてよ~く分かりました。全編、重心の低い Coyote Band ならではビートをフィーチャーした名付けて禅ビート。2007年のアルバム『Coyote』に端を発した Coyote Band 結成がここに至り獲得したひとつのスタイルをより重点的に披露しようってんですね。その意図がよ~く伝わるライヴでした。

マニジュ・ツアーは Coyote Band と制作したアルバムからの曲のみで本編が構成されるという潔いセット・リストだったけど、今回の禅ビート・ツアーも基本はそこは同じ。オープニングからほぼ全編、近年の曲で占められています。これはやっぱりいいですね。ロック音楽には同時代性が必要で佐野さんの昔の曲がそうではないという訳ではないけど、今の佐野さんには今を叩きつける今の歌が沢山あるわけだから僕はやっぱりそれを聴きたい。世の中には音楽が沢山あるけれど、残念ながら日本には時代に言及する音楽が足りない。今の佐野さんの音楽はチャートに昇るようなものではないけれど、今日この日の会場では2018年の音楽が流れている。そう強く感じさせるライブでした。

ライブ前半はマニジュ・ツアーに準ずるラインナップ。しかしやはりライブ・ハウスというのは大きい。単純に届く距離が短いということは同じ曲であっても響き方が全然違うということ。これは僕が思ってるだけかもしれないけど、やはりCoyote Band はライブ・ハウスが映える。なんかホールだとよそよそしく感じてしまうんだよなぁ。このバンドが一番自然体ていられるのはライブ・ハウスってことではないでしょうか。

てことで、ところ違えば響き方も違う。僕個人として今回一番そこを感じたのは「純恋(すみれ)」だ。この曲は『Maniju』アルバムの中でも人気が高い曲だけど、実は僕にはあまり響いて来なかった。ところが今回はイントロを聴いた瞬間に感情が大きく波打って自分でもびっくり。この曲は佐野さんのMCでもあったようにティーンエイジャーに向けられた曲で、恋に落ちた時の心模様が描かれている。なんだろ、好きになった時やそれが成就した時の天にも昇る気分、恋が終わった時ののたうち回るような苦しさ、そういった記憶がバババッと思い出されてきたんだな。なんか自分の中の思春期が急に蘇ってきた感じ(笑)。強烈なアンセムとして響きました。僕にとってはこの曲がこの日のハイライトでした。

ライブ後半はマニジュ・ツアーと違って80年代、90年代の曲が幾つか披露されました。禅ビート・ツアーって言うぐらいですから勿論、Coyote Band としての解釈でぐぐくっと重心の低いダンス・ビートとして鳴らされます。確かにこの辺の曲をやった時の方が Coyote Band としてのアイデンティティーが明確に目に見えて来ますね。なんて言うのかな、世代的にオルタナティブなロックをくぐり抜けた Coyote Band の面々ではあるけれど、かえってアーシーと言うか非常に泥臭いサウンドで直に迫る感じ、泥が跳ねて来そうな直接性を感じられました。「インディビジュアリスト」や「ヤァ!ソウルボーイ」などでそれは顕著に感じましたね。

まぁそういう意味では、古い曲をすることで Coyote Band が叩き出す`禅ビート’がよりはっきりと浮かび上がってくる訳だけど、マニジュ・ツアーに比べると幾分古い曲が多いかなと。個人的にはもうちょい『Maniju』アルバムからの曲が聴きたかったかなとは思います。ま、そうするとマニジュ・ツアーとあんま変わらないセトリになってしまいますからとマニジュ・ツアーとは別のアプローチで、というのはあったのかもしれないですね。

あとライブの中身と関係無いところで、春のツアーはフェスティバルホールだったの席番があって、ところが本編の間中ずっと誰も立たないという髄分なストレスがかかる状態となり(←主要年齢層が50代なもので)、集中することが難しかったんだけど、今回はライブ・ハウスということでスタンディングあり。それでも年齢層を考慮してほぼ9割が座席ありのチケットで、僕は勿論前みたいにずっと座ってんのヤダからスタンディングにしたんだけど、始まったら結局みんな立ち上がって、なんだそんならイス席取りゃ良かったなと(笑)。だってスタンディングは1階の最後列なんやもんなぁ。

あと途中からなんかプワ~ンと漂うものがあって、これは多分口臭ですかね(笑)。これがどうも気になっちゃって、いかんいかん、口で息をしようと思ったんだけど、オレ魚じゃねぇし無理(笑)。多分後ろの人だと思うんだけど、だんだん盛り上がって来て一緒に歌い出したんだろな、そうすっと息も前へ前へ押し出されてくる訳で、スンマセン、僕はもう我慢出来なくなりました。てことで途中で一番後ろへ移動(笑)。でもこれが不幸中の幸い。一番後ろはスペースもあって、そこからは周りを気にすることなく目一杯楽しめました。やっぱスタンディングで良かったという話です(笑)。

今回はインスト・ナンバーも披露されました。キーボードの渡辺シュンスケ率いるバンド、シュローダー・ヘッズの曲、「ライナス・アンド・ルーシー」。聞き覚えのあるスヌーピーの曲です。これが格好良かった!めちゃくちゃ楽しかった!僕は一番後ろで跳び跳ねてしまいました(笑)。佐野さんも「ここからは渡辺シュンスケ・アンド・ザ・コヨーテ・バンド!」なんて粋なこと言います。

ライブはアンコール含めての2時間弱。えっ、そんだけしか時間経ってないの?っていうぐらいあっという間の濃密なライブでした。セトリもアップ・テンポのものが多く、やはりビートに重きを置いたライブという主旨が如何なく発揮されていました。力強く深く道を抉る感じ。今の佐野元春はこれなんだよ、という宣言。Coyote Band のアイデンティティーはこれなんだよ、という宣言。どうしても年齢層は高くなるけど、これはやっぱり若い人に聴いてもらいたいな思いました。現実的に年齢層の高いお客さんのパワーも落ちてきたような気もするしね(笑)。

でも実際、もし佐野元春の曲をひとつも知らなくても十分楽しめるライブだと思います。今の若い子はフェスなんかでそういう場合の楽しみ方もよーく分かってるだろうし、なんつっても Coyote Band の作り出すサウンドは普通に格好いい!勿論、手練れのメンバーだし技量的に優れているのだけど大事なのはそういことではなく、同時代性を伴って如何にビートを鳴らせるかに掛かっている訳で、そういう意味では佐野元春 and The Coyote Band の’禅ビート’はまさしく今を強くキックするバンドだと思います。

ライブとは何なのか。こうやってひとつところに集まって直に音楽を聴く、体感することはどういう意味を持つのか。この日の佐野さんは何度も「楽しんでいこう!」、「ダンスしよう!」と言った。会場には少ないながらも10代、20代の連中がいた。佐野元春は言う。「僕たちと皆の見ている景色は違うかもしれないけれど、明るい未来は願う気持ちは一緒だ」と。ただ楽しむもよし、踊るもよし。自分の胸を打つものは何なのか?それは何故なのか?と咀嚼し考えるもよし。それぞれの人生と照らし合わせ、思い思いにライブを過ごす。そういう自由でポジティブなムードをもたらすものはやはり現代の荒地を往く Coyote Band のビートがあるからなのだと思いました。

それにしても佐野さんが一番楽しそう(笑)。ところどころで顔を出すユーモアも抜群だし、佐野さん、キャラ変わってきたな(笑)。「僕たちはこれからも前進します」と言ってたし、結成して10年以上経ちますが、佐野元春 & The Coyote Band の旅はまだまだ続きそう。皆さん、今の佐野元春は凄いですよ!

セットリスト:
1. 境界線
2. 君が気高い孤独なら
3. ポーラスタア
4. 私の太陽
5. 紅い月
6. いつかの君
7. 世界は慈悲を待っている
8. La Vita e Vella
9. 空港待合室
10. 新しい雨
11. 純恋
12. ライナス&ルーシー(インスト)
13. 禅ビート
14. 優しい闇
15. 新しい航海
16. レインガール
17. インディビジュアリスト
(アンコール)
18. ヤァ!ソウルボーイ
19. 水上バスに乗って
20. アンジェリーナ

My Mind Makes Noises/Pale Waves 感想レビュー

洋楽レビュー:

『My Mind Makes Noises』(2018)Pale Waves
(マイ・マインド・メイクス・ノイジーズ/ペール・ウェーヴス)

 

若さとは過剰であること。誰かが言っていたけど、ここにあるのは過剰さそのもの。しかしペール・ウェーヴスはそんなことお構いなしだ。まるでその過剰さこそが現実を凌駕するとでも言うように。そうだ、若さはいつも正しいのだ。

ヘザー・バロン・グレイシーによる歌詞は自身の恋愛体験を綴ったもので、それはまぁよくある話。そんなもの放っぽっておけばいい。しかしあまりに無垢で鋭利な言葉は聴き手に無視することを許さない。こちらの感情にまで真っ直ぐに踏み込んでくる言葉の力は通り一遍の‘私の恋愛物語’ではないから。そこには反逆やここではない何処かを希求する強烈な意志の力が蠢いている。これは彼女たちによる存在証明なのだ。

その存在証明こそが剥き出しの感情であり、過剰にポップなメロディであり、過剰に耳馴染みの良いサウンドであり、幾たびも登場する‘kiss’という言葉なのだ。正直言って、余りに自己主張の激しいポップ・ソングは互いに協調し合うことなんかなく、それぞれが好きな方を向いて勝手し放題。曲順なんてしっちゃかめっちゃかだ。けれどこれでいいんだと思う。多くの人が過剰さを抑えて、クールに決めようとする時代にあって、彼女たちはひたすら懸命に手を挙げているのだから。

今後、彼女たちはキャリアを重ねる中で、新たなスキルを身に付け、より多くの表現方法を獲得していくだろう。けれど、歪で不器用だけど強烈な正しさを秘めたこのアルバムの無防備なエネルギーを超えることはない。何故なら、このアルバムはどうあっても吐き出してしまわざるを得ない初期衝動によって生まれたアルバムなのだから。

 

1. Eighteen
2. There’s a Honey
3. Noises
4. Came In Close
5. Loveless Girl
6. Drive
7. When Did I Lose It All
8. She
9. One More Time
10. Television Romance
11. Red
12. Kiss
13. Black
14. Karl (I Wonder What It’s Like to Die)

Eテレ 日曜美術館「巨大な絵画にこめたもの~画家・遠藤彰子の世界~」 感想

TV Program:

Eテレ 日曜美術館「巨大な絵画にこめたもの~画家・遠藤彰子の世界~」 2018.10.14放送 感想

 

今回の日美、すっごく良かったです。番組は道路にチョークで絵を描く女の子の映像で始まります(←そういや昔はこんな光景がたくさんあったよなぁ)。イメージがどんどん溢れて絵が止まりません。マンホールは太陽になり、キャンパスは道の有る限り。描けば描くほどイメージは広がって手が止まらない。きっとお母さんに「お昼ご飯ですよ~」って言われても止まらないだろう。

子供の頃に絵を描くのが好きだった人なら誰しも、そんな記憶があるかもしれない。確か僕にも似たような経験、あったっけな(笑)。72才の画家、遠藤彰子さんの根本は今もそういうところにあるのかもしれない、そんなイメージを抱かせる象徴的な冒頭のシーンは見事でした。さすが日美やね!

遠藤さんはもう何年も前から500号(約3メートル×約2メートル)という大きな絵を描き続けています。ヨーロッパから取り寄せた大きな脚立に乗って。何故こんなに大きな絵を描くのか?それは「自由になれるから」、「重力をコントロール出来るから」。窮屈なことは全て取っ払って、自由に好きなだけ想いを巡らせたい。そういうことでしょうか。

勿論、遠藤さんは本当の子供みたいに何もない所からスタートするんじゃなく、500号のキャンパスに向かう前に100枚以上の下書きをする。その上で、準備を万端整えた上で、後は絵の中に入って自由に遊ぶ。キャンパスはどこまでも。まるで家の前でアスファルトにしゃがんでは、次々と浮かぶイメージにチョークを振るわせていくかのように。

今回の放送では遠藤さんが炭で下書きを始めるところから、彩色し完成するまでの約半年間の創作風景を追ってゆきます。これはよかったですね。画家がどのように筆を進めていくのかが垣間見えてとても興味深かったです。それにしても遠藤さん若々しい!大きな脚立を移動させながら、変な姿勢になりながら、軽やかな身のこなし!70を幾つか過ぎた年齢は私の母とそんなに変わらないんだけどな(笑)。やっぱり時空を巡るアーティストは時間の流れが常人とは異なるのかもしれないですね。

絵が完成した時、遠藤さんは何故か分からないけど、いつも悲しくなるそうです。司会の小野正嗣さんは「それは絵が手を離れるからですか?」と訊ねますが、それはどうやら違うらしい。何故だか分からないけど、悲しくなるのだと。ただそれを思いつめようとはせず、なんででしょうねって受け流していく遠遠さんの自然な表情が素敵でした。

この時描き終えた絵と昨年描いた絵は対になっていて(←この点も観ていてゾワッとした)、どちらにも少女が描かれている。それは遠藤さんの内面を表したものではないかという解説があったけど、それが実のところ本当かどうかは別にして、やはり少女性というのは遠藤さんとは切り離せないキーワードで、絵が完成した時に悲しくなるのはなんででしょうねって、さらーっと流せてしまうところなんかも正にそんなところから来るのかなと。なんか自然体で頭の中のスポンジがまだふわふわの人だなって、そんな印象を受けました。

Baby Cry For Me/Date Of Birth 感想レビュー

邦楽レビュー:

Baby Cry For Me(1991)Date Of Birth
(ベイビー・クライ・フォー・ミー/デイト・オブ・バース)

 

デイト・オブ・バースをご存じでしょうか?バブル全盛期の1992年、フジテレビのドラマ主題歌というこりゃヒットするに決まってるや~んていう絶好のポール・ポジションに抜擢されながらも、気持ちいいぐらい見事にヒットしなかった、まるでフォーメーション・ラップ中にリタイアしてしまったアラン・プロストのような伝説のバンド。当時、全編英語詞、しかもバブリーさの欠片もない地味な曲を聴いて、折角のチャンスやのになんでやね~んとツッコミを入れた方も大勢いらっしゃるかと思いますが、以前からこのバンドをイチオシしていた私も全くその通り。しかも曲名が「You Are My Secret」っていうホントに秘密にしたいぐらいのオチまで付いて、私も後にも先にもあれぐらいびっくりしたことは御座いません。

てことで実は私、ドラマ主題歌に抜擢される前からこのバンドを知っていまして、きっかけはこちらもかの伝説のテレビ番組「ミュージック・トマト・ジャパン」。関西地方ではサンテレビでやっていて、たまに私も観ていたのですが、そこに颯爽と登場したのがデイト・オブ・バースの「ベイビー・クライ・フォー・ミー」(1991年)という曲なのです。

まぁ騙されたと思って聴いてみてください。この一瞬でロッキン・ボーイズの心を鷲掴みするイントロ。タンッ!タンッ!タンッ!タンッ!っていうドラムがこれから楽しいポップ・チューンが始まるぞっていう予感に溢れて最高でしょ。続いていい具合にリバーブな(←憂いがかったという意味です)ギター・リフ。そして始まるボーカルがいきなり「ビジュアルよりマイ~ン♪」ですよあーた。これがまたノリコさんっていうボーカリストで綺麗なお姉さんで、こんな素敵なお姉さんに「ビジュアルよりマイ~ン♪」(←正確には「ビジュアルよりマインド」)なんて歌われた日にゃ、どこぞの田舎のロッキン・ボーイズはそりゃやられるやろっ!

この曲、前述のドラマ主題歌と同じバンドとは思えないぐらいのご機嫌なポップ・チューンで、とにかくドラムが終始跳ねてるんすよ。当時ポップ・ソングにはホーンが絡んでくるっていうの一つの定型だったんですけど、この曲も途中からラッパ隊が入ってきて、ウキウキ感に拍車をかけるんですね。そうそう、懐かしのスイング・アウト・シスターズの「ブレイク・アウト」なんかを思い出してもらうといいかもです。まさしくあんな感じですね。

今回私も何を思ったか急に思い出して、ネット検索して聴いたんですけど、久しぶりに聴くとやっぱ簡潔で歯切れよくってホントいいんですよね~。シンプルだけど、この人達は音楽的な素養がふんだんにあったんだろうなって。今になってギターがすんげー格好いいフレーズ弾いてるのに気付いたり、それとやっぱりドラムの乾いた感じ。こんな小気味いい音、なかなかお目にかかれませんぜ!

で繰り返すようですけど、非常にシンプル。それでいて伝わるものはいっぱいあって、これこそ正に優れたポップ・ソングの王道。なんてったってサビは「ベイビー・クライ・フォー・ミー♪」のひと言だけなんですから。そうやね、竹を割ったようなスパッとした歌詞も心地いいっス。思わず、あ~この曲がドラマ主題歌になってたらヒットしてたのにな~なんて野暮な事を思ったりもしますが、それはそれ。バブル全盛にあっても全く浮かれなかった大人なバンド、今思えば大したもんです。

ところでこの曲入ったアルバム、昔々どっかの中古店に売っちゃたんだよな~。なんてことしたんだ昔のオレ。皆さんも聴かなくなったからといって、すぐ売らないように(笑)。

※Youtubeにあったので貼り付けていましたが、削除されているようで。
 また見つけたら貼っておきます。

 

プーシキン美術館展 感想

アート・シーン:

プーシキン美術館展ー旅するフランス風景画 in 国立国際美術館

 

前々から行きたいと思っていたプーシキン美術館展。ようやく足を運ぶことが出来ました。僕が行ったのは展覧会が終わる最後の週。平日、10時のオープン前に行ったのですが、駆け込みなのかエライ行列。こりゃ参ったなと思いつつ、けれど中に入ると思ったより広くって十分ゆっくりと観ることが出来ました。

展覧会は全6章からなり、17世紀から18世紀の宗教画の背景に書き込まれた後景を風景画の源流と考え、そこから風景画としての始まり、自然へ接近、パリの様子、そして20世紀に至る新しい風景画までを年代順に追って観てゆきます。

第1章は宗教画や神話のおまけみたいな感じだから、風景画として目を見張るという程のこともないかな。本展覧会の醍醐味は風景画をメインとして描かれ始めた第2章からになります。僕個人としても、宗教画の背景はやはり写実的というかそれっぽく描かれているのだけど、やはりそれは風景画の前段階。それよりも作家のフィルターを通して本格的に描かれ始めた第2章からの風景画は作家それぞれの個性というフィルターを通している分、個性的で決して写実的ではないんだけど、だからこそのリアリティーがある。それに景色そのものは21世紀の日本にいる僕には馴染みのないものだけど、それでもやっぱり例えば、冬の朝ってこういう景色だなぁとか、そうそう薄暗くなり始めた夕方はこんな感じだよなぁとか。そう思わせるのは多分ノスタルジーというか僕の中にある景色が喚起されるからで、なるほど音楽と一緒でよい絵画にもノスタルジーは宿るんだなと、そんな風に思いました。

この展覧会には著名な画家の絵も沢山あって、僕はこの日初めてルノワールの絵を直に観ました。で、初めて直に観て思ったこと。例のごとくルノワールってホワ~ンとしたタッチなんだけど、不思議と描かれている人と人との関係がハッキリ見えてしまう。向かい合っている人同士の愛情の加減まで見えてくるというか、つまりは写実というのは実は心象であるということなんでしょうか。加えてルノワールの絵は観る側が補完する部分かかなりあって、そういう意味でも余力があるというか、スケールの大きい絵だなぁと思いました。

あとルノワールの後ぐらいに展示されていた、ピエール・カリエ・ベルリーズって人の「パリのビガール広場」も個人的には好きだな。斜め上からの俯瞰で描かれた絵なんだけど、画家のクセに遠近感や斜めの具合がちょっとビミョーで、多分そんな上手くないんだろうなって感じがして、でもなんか愛嬌があって良かったです。

個人的な好みで言うと、今回、アルベール・マルケっていう人の絵が好きになりました。穏やかで優しい絵。明確な輪郭があっても主張しない所がいいんだけど、今回展示されていた絵は2枚とも彼が住んでいたアパートの窓から描いた景色らしく、そういう彼の視点が少しだけ感じられる所もまたちょうどよいバランスで。きっと描いていた時は作家自身の心も落ち着いていたんだろうなって気がしました。

続いて第4章はパリ近郊、著名な画家の絵が沢山出てきます。その初っぱながモネの「草上の昼食」。あれっ?モネって意外とザクッザクッて描く人なんだ。この絵は試行錯誤を繰り返し、完成までに年月を要したらしいけど、なるほど確かに統一感はないな(笑)。それに風景画っていうより人物がグワッと前に出ていて、風景に溶け込んでいない。でも全体として観ると構図は抜群で力強い。後の解説文を読んで納得しました。この絵はモネ、26才の時の絵なんだそうな。どおりでキャンバスからはみ出すような情熱がほとばしってます。

でその後に僕らがよーく知っているモネの絵が出てくる。あー、もう「草上の昼食」とは全然違う。全然ハッキリ描いてない。なのにちゃんと人とか花とか全部分かる。それに今回も思った。モネは自然という継続していく生命を描きたかったじゃないかなって。やっぱモネは時間を描きたかったんじゃないかな。

第4章には他にもセザンヌがあって、あー、やっぱセザンヌは自己主張激しいなとか(笑)、ピカソがあって、あー、やっぱピカソはこういう風に見えてしまうからしょーがねぇなぁとか(笑)、あとマティスやゴーガンもあって結構な密度です。

続いて第5章、第6章と風景画が益々充実してくるこの辺も最高に楽しい。なんか全然その通り描いてないんだけど、返ってリアリティーがあるというか、画家それぞれの表現の仕方というか見え方が個性的でとても愉快だ。中でも僕が断トツに気に入ったのはアンドレ・ドランの「港に並ぶヨット」。ヨットハーバーの風景でオレンジとかあって割りと暖色な派手な絵なんだけど、印象としては全然派手じゃなくて、そこに差し込む海の白色とヨットの帆の白色がまたいいバランスで、構図も距離感も抜群だなぁと。これはずっと観ていられるなって、そんな絵です。

そうそう、やっぱ気に入った絵って持って帰りたい(笑)。家に飾って眺めていたい。眺めれば眺める程色んな発見があるのを知っているから、持って帰りたい(笑)。なんかホントに買ってしまう大金持ちの気持ちが分からんでもないなって思いましたが、でもやっぱそれって悪趣味だよな(笑)。

で最後に待ってました。今回の僕の最大のお目当て。アンリ・ルソーの「馬を襲うジャガー」です。なんか接近して行ったら思わず笑ってしまいました。やっぱ凄い愛嬌あるこの絵。やっぱ巷で言われる通り、技量的に優れている訳ではないんだけど、不思議な魅力があって、ルソー自身もこれが描けた時には、描けたぞーっとか、オレは描いたぞーっていう達成感がきっとあったんじゃねぇかっていう。実物を観て、それぐらいこれ以上もない絵だと思いました。

でこの絵は真ん中に白馬とその首に巻き付くジャガーが据えられているんだけど、この白馬がどう観てもど真ん中で、例えば横からスーッと観ていって正面に来たらそこに白馬がビシッと来る。でまた動くと中心から外れる。でまたふらふら~っと観て白馬の正面に来るとビシッと来る。ホントに音が聴こえるぐらいビシッと来る(笑)。これがだからどうなんだという訳でもないんだけど、なんか楽しくって嬉しくって僕は何回も行ったり来たりしてニヤニヤしていました(笑)。

今回、この大阪は中之島にある国立国際美術館に初めて行ったんだけど、地下のわりに意外と広くて、結構な人出だったにもかかわらず、最後までストレスなく観ることが出来ました。流石、国立やね。それにここらはビジネス街でもあるから、昼時には安くて美味しそうな飲食店が沢山並んでいて、そういう意味でも楽しいです。また来るときには、その辺もちゃんと調べてから来ようかな(笑)。

Be The Cowboy/Mitski 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Be The Cowboy』(2018)Mitski
(ビー・ザ・カウボーイ/ミツキ)

 

詩というものは恐らく、主義主張があるとか、個人的に言いたいことがあるとか、ましてや作者自身の感情を吐き出したいとか、そういうものとは少し違うような気がする。詩とは作者の目に映る作者自身も何かよく分からないものを作者という個性のフィルターを通して言葉に変換されたもの。また詩人とはどうあってもそういう風に言葉に変換せざるを得ない人たちのことを言うのかもしれないと。

このアルバムは一見すると、取り返せない愛についての歌集のようだし、実際その解釈でもいいのだろうけど、やはりそこにはそれだけではない某かが含まれている。かつて手にしたけれど、もう離れてしまったもの。或いはかつては持っていたが、今は損なわれてしまったもの。そうしたもう取り戻せないもの、また強いて取り戻そうとも、取り戻せるとも思っていないけれど、もう手元を離れてしまったものについてを、ミツキはあぁもう取り戻せないのだなとまるで他人事のように詩に仕立てているのではないか。まるで他人事とは少し言い過ぎかもしれないが、だからと言って彼女は入れ込んだりはしない。客観的な詩として幾ばくかの物語に託している。そこにミツキの出自(父がアメリカ人で母が日本人であり、かつて兵庫県や三重県にも住んでいた)を絡ませるのは野暮。それが彼女のスタンスなのだから。

したがって、「演じる」というのはひとつのキーワードなのかもしれない。このアルバムからの先行トラックとして公開された#1『Geyser』と#9『Nobody』ではそれこそ本職の女優のような演技を見せているミツキではあるが、そこでもこちらからは役とミツキは被ってこない。あくでも映像の中のキャラクターに過ぎないのだ。『Geyser』で見せる情熱的な演技にも過度な生々しさや重苦しい情念を感じないのは彼女の演技が未熟だからではなく、彼女自身がただ単に演じているからに過ぎないし、そのことの方がより核心に迫れるということを彼女は知っているからなのだ。余計な情緒に核心をくぐもらせたくないという明確な意志が働いているからというのは穿ち過ぎだろうか。

そのことはアルバムのアートワークからもうかがい見ることが出来る。ジャケットといい、その内側といい、まるで映画の一コマのように役になりきったミツキのポートレイト。中身の音楽を聴いていても、それぞれの曲で映像が明確に喚起されるのは、ミツキのスタンス、自分のことを書いているようで自分ではない誰かの物語を書いているということにも繋がる。

それは歌詞カードに主語である‘I’が小文字の‘i’と表記されていることと無縁ではないだろう。すなわち、‘i’は聴き手に委ねられているということ。ミツキは物語を提示しているに過ぎない。後は皆さんで、ということになるだろう。彼女はあくまでもある感情やある景色を自身のフィルターを通して詩として、或いは物語として表しているに過ぎないのだ。

だからこそ逆説的に僕は聴いていると言葉が気になってしまう。けれど歌詞を読んでも彼女の本音は容易く隠されてはいない。しかしやはりいくら距離を取ろうとも覆いきれない彼女の感情は間違いなくそこにあって、けれどそれはポツポツと滲む雨粒のように跡を残さない。そこを敢えて抒情的に眺めれば、窓越しに遠くを見つめて、片目から涙がすーっと流れてくる。そんなイメージだ。

 

Track List:
1. Geyser
2. Why Didn’t You Stop Me?
3. Old Friend
4. A Pearl
5. Lonesome Love
6. Remember My Name
7. Me and My Husband
8. Come into the Water
9. Nobody
10. Pink in the Night
11. A Horse Named Cold Air
12. Washing Machine Heart
13. Blue Light
14. Two Slow Dancers

(日本国内盤ボーナストラック)
15. Geyser(Demo)
16. Why Didn’t You Stop Me?(ほうじ茶バージョン)

汗でベタベタするそうだ

ポエトリー:

『汗でベタベタするそうだ』

 

氷だらけに熱いコーヒー
今週からまた日本は暑くなるそうだ
暑い夏ってバカだ
ザーッと通り雨が
汗でベタベタするそうだ
だからって体を揺すらない揺すらない
焦っていいことない行方すら分からない
声すらかからない
誰が妨害をするか
汗のせいで手首すら掴めないんだって
いんげん豆の季節か確か
しかし暑い夏の季節感は無しだ
迂回して広げたい
今言った言葉を
狂った説明は不必要だ
しかしせめて名前ぐらいは伝えて欲しい
私としても焦って全てを台無しにしてしまいそうだから
夏は嫌いだ
これって夏バテか?
ジョーシンに行って診てもらうべきか
それなのに…
デビューから3年経っても人は煮えないままだ
責めない責めない
心配しなくても責めないよ
景品で貰った花火の重量みたいだ
夜を根こそぎ引っこ抜きたい
身だしなみまでおかしくなるのは三十六度を過ぎた辺りだ
そんな姿、写真に収めなくてもいいよ
無くなったものを修繕してもいいよ
修繕なんかしないだろうけど
けどもう元のようになった気でいていいよ
景品で貰った花火の重量みたいだ
ズシンと来るよ
実家になんて帰るんじゃなかった
氷だらけの熱いコーヒー
体の欠損まで適度に薄まってはくれない
呉れないままだ

 

2018年7月

パスポート・イズ・レバニラー

ポエトリー:

『パスポート・イズ・レバニラー』

 

レバニラー
交配するデカダンス
回転ドアーに右膝
片足挟まるスリッポン

丁さんはドタドタ店内を闊歩し
パンテオン並み耳の中をかっぽじ
花開くチャン・スー
史上最大のデート
時間が花丸で止まらない

上海蟹の夢をくぐれば
ニッポニアニッポンを
手早く溶き卵とかき混ぜて
よく書けました
速やかに健やかな覚めない夢
冷めない麺
どこまでも伸びていく
手荒れにはニベア
よく効きます

止まらないで
アイマスクしてもらいます
そのままで真っ直ぐ行って路地に突き当たります
毎日の食卓はパスポート
蛇行して出会えるワンデイパスポート
今すぐあなたに会いに行きます

旅、日常、おおむね、流れて、
街、油に、通訳、なしで、
片足、スリッポン、スピード、ラーニング
手際が命、レバニラー

丁さん、やけに声大きいですね

 

2018年7月

ヒューミリティ

ポエトリー:

『ヒューミリティ』

 

頭の先から古い汗を流す
天の邪鬼が来て新しい砂を運ぶ

 ねぇ 君はうなじが近いね
 そんなに近いとのけぞってしまうよ

物語が来て右の頬をつねった
思い出話が夜の町をすべる

小指を立て方位磁針に見立てる
折からの風は駄目な方を指し招く

 会いたい ねぇ君
 二人だけで会いたいね

遠からず汗がいそいそと引っ込んで
通り雨だけが笑い声を立てる

魔が差したのは偏西風
街が吹き上がった
日が射したのは真夜中じゅう
軽くのぼせ上がった

冷たい 君の指示だけが冷たい
締まりのない笑顔は頼りない

物語が来て右の頬をつねった
思い出話が夜の町をすべる
遠からず汗がいそいそと引っ込んで
通り雨だけが笑い声を立てる

 

2018年8月

『The Covers』 NHK BSプレミアム 2018.9.23 再放送(ゲスト:グループ魂) 感想

TV Program:

『The Covers』 NHK BSプレミアム 2018.9.23 再放送(ゲスト:グループ魂) 感想

 

MC:リリー・フランキー 池田エライザ、ゲスト:グループ魂 Char

NHK BSプレミアムにて月1で放送されているこの番組。ラテ欄に‘グループ魂’とあり急いで録画。どうも8月放送分の再放送のようでした。番組H.Pを見ると7月はクレイジー・ケン・バンドだった模様。くっそ~、見逃して残念。この番組は月一だからつい見逃してしまうんだよなぁ。

ゲストのグループ魂は元々、劇団「大人計画」のメンバーを中心に結成され、もう10年以上も活動をしているそうだ。活動は年に合わせても1週間程度ということで、パンク・バンドと称しながら細く長くやってますと自虐的に話していました(笑)。過去にテレビで何度か観た印象は遊びの延長みたいな感じで、失礼ながら完全にイロモノとして見ていましたが、この日観たグループ魂はなかなかどうして立派なもん。演奏も上手いし、立ち居振る舞いも完全にバンド。ちょっと見直しました。ちなみにメンバーを列挙すると、阿部サダヲ、宮藤官九郎、皆川猿時、村杉蝉之介、三宅弘城、小園竜一、富澤タク。それぞれ破壊(=阿部)とか暴動(=宮藤)とかバイト君(=村杉)といったバンド・ネームも付いとります。

今回のテーマは昭和のアイドルってことですが、年齢的に1980年前後ですね。カバーしたのはチェッカーズの『哀しくてジェラシー』と渋谷哲平の『Deep』。どっちも良かったけど、『Deep』の方がカッコ良かったかな。クドカンがテンポを倍にしてごまかしましたって言ってたけど、全然パンクの王道って感じで良かったですね。ただもう元歌の渋谷哲平の映像が…。リリー曰く「インベーダー・ダンス」を含めてのインパクトが強烈過ぎて、やっぱ破壊力では元歌だなと(笑)。

トーク・コーナーではメンバーの好きなアイドル遍歴が披露されて、エライザさんが終始引き気味だったんだけど、港カヲルこと皆川猿時が「(渡辺)美奈代もいいけど、エライザもいい」と言った時のエライザさんのド引き具合が最高でした(笑)。

番組は中盤からゲストが登場。赤い彗星と同じ綴りのレジェンドChar。常人の3倍で弾くチャーさんです。流石NHKということで若かりし頃の映像が流れるんだけど、これが20才そこそことは思えない色気で、何でも当時はセックス・アピールが強すぎるってことで出入り禁止になった場所もあったとか。セックス・アピールが強すぎるってどういうことやねん(笑)!で、その「男が一度は言われてみたい言葉(←リリー談)」を持つチャーさんがその場で持ち歌『気絶するほど悩ましい』をアコースティックで披露。これがまた大人の色気満載で、思わずあのエライザさんが「女性ホルモンが出た」と仰ったぐらいなもんで。てことで皆チャーさんの唄よりもエライザさんのその一言にやられちゃいました。ハイ、もちろん私もです…。つーかエライザさん色っぽ過ぎ!そのくせ下ネタには引き気味で、私お酒飲めないんです…みたいなウブなところも見せやがる。こりゃおっちゃん通ってまうやろっ!

歌に戻って、チャーさんとグループ魂のコラボ。『チャーのフェンダー』と『チャーのローディー』のメドレーです。勿論、途中でコント挟みます(笑)。『チャーのフェンダー』っていうのはチャーさんのローディーの気持ちを歌った曲で、『チャーのローディー』はローディーに対するチャーさんの不満を歌った曲。どっちもグループ魂の持ち歌です。これがカッコ良かった。最初にも書いたけど、グループ魂のバンドとしての力量が、えっ!?こんなだっけ?っていうぐらいこなれてて、チャーさんと共演しても全然違和感なくやってける。活動期間は年に1週間程度と言うけど、みんな好きで結構練習してんだろうな~って微笑ましくなりました。ていうかクドカン、ギターうめー。それにやっぱ細身の人が上下タイトに黒でバシッと決めて、足広げてギター鳴らすってのは絵になるねぇ~。クドカンがカッコよく見えた(笑)。阿部サダヲにしたって、本職でもこれだけシャウト出来る人いませんぜ。

それにしても真剣にプレイして、コントにまで付き合うチャーさんは素敵っす。阿部サダヲこと破壊にチャーハン、チャーハンって言われても全然気にしないんだもんな~。そうそうトークでチャーハンが、いやチャーさんが彼らはクレイジー・キャッツとかドリフみたいで今時こんなバンドいないから好きだみたいな話をして、そういや昔はちゃんとしたバンドの音楽コントって結構あったよなぁって。グループ魂は技量にも優れているし、なんてったって舞台俳優だからパフォーマンスはバッチリ。1週間と言わずもっと沢山出てくんねぇかなと思いました。そういや天下のチャーさんのギタープレイに割って入る村杉蝉之介ことバイト君のブルースハープもカッコよかったぞ!

ラストはグループ魂の新曲「もうすっかりNO FUTURE!」。加齢についての歌だそうです。「セックスレス・ピストルズ」って歌詞が最高(笑)。そういやちょっとまえに最近の日本人はなかなかオッサンになれないっていう記事があって、かくいう私も一向に貫録無くて、逆に若いですねなんて言われて図に乗ってますが、昭和のオッサンみたいにしっかりとしたオッサンになれなくても、彼らのようなバカ中学生みたいなオッサンもそれはそれで素敵だなと思いました。

番組の最後はいつものスナックを舞台にしたミニ・コーナー。ミッツ・マングローブ率いるオネエ・トリオによるカバーです。今回はテーマにちなんで中森明菜の「ミ・アモーレ」。これがまた上手いんよね~。いつもながら聴き入ってしまいました。そして聴き入りつつもつい目をつむって聴いてしまう私でした…(笑)。