で、手紙

ポエトリー:

 『で、手紙』

 

手紙が届いた 誰からだろう
差出人の名前がなかった
爪が欠けていて 早く切らないといけないことを思い出していた
部屋に入って手紙の封を切ったら 爪の事は忘れるだろうなとも思った
部屋のテレビは壊れていた
ヒーターの調子もおかしかった

部屋でコートを脱げないなんてクソッタレだ
夕飯は外で済ませてきた
会社帰りにいつものあいつと
あいつは仕事が出来ねえけど あいつとは気が合う
そういや一緒にメシ食うの 今週は三回目だ
外から賑やかな声が聞こえてきた
子供の声 こんな夜遅くに出歩くんじゃねぇよ
オレの親はこんなことさせなかった
はずだ 多分 よく思い出せない

明日からまた夜勤だ いつまで続くのやら
大して時給もよくならねぇのに オレもお人好しだね
明日偉そうなあの野郎に言ってみるか
まぁ、いい 誰かがやんなくちゃならねぇんだから
丈夫に産んでくれた母親に感謝だな

そうそう手紙だな
母親だったらマジ勘弁
そういやオレがまともな仕事に就かずにフラフラしていた頃
男は仕事をするものです みたいな手紙寄越しやがった
あれにはちょっと参った

で 手紙
封を切るか?
いや しばらくは置いておくべきだ
明日から夜勤なのに面倒くせぇ事頭に入れたかない
そうだな 夜勤から戻ってあいつがまた退屈そうにしてやがったらまた一杯やって
そんでもって今みたいにいい気分で帰ってきたとして
そん時にこいつがオレの目に入ったとしたら

まぁ 分かってる 分かってるさ
大体見当は付いているんだからさぁ
読まなくてもお前の役目はもう済んだようなもんなんだぜ
あぁ面倒くせぇ
爪を切るのやになってきたな
おめえの言いたいことは分かる 分かるよ
けどもういいんだ
いや諦めたとかやる気が無くなったとかそんなんじゃない
気が済んだと言えばいいのかな
元々大したこと描きやしねぇんだ
誰かのためにやってた訳じゃねぇし
そうやって引き留めてくれるやつがいるなんて有難い 有難いよ
でもな こうやってっと生きてる感じがするんだよ
だから今はこれ これなんだ

変な時間に帰ってきてさ
バカなやつと一杯やってさ
他にやるやつがいねぇんだぜ
大層な服着てさ 日にちょっとしか進まないけど
それでもいいんだよ

オレァ多分 役に立ってんだ
まぁいい 今日はもう終わり
手紙 まぁしばらくそこにいな
オレの気が変わるのを辛抱強く待っててくれ
今日はぐっすり寝て あぁ、そうだ
今日はわりかし上手くいったぜ

ま、心配すんな
どっちにしろ一度描いた人間はやめられないんだ

 

2017年12月

自己主張の激しい奴ら

その他雑感:

 

近頃は散髪屋に行くと必ず耳に例のペン状の電動剃刀を当ててもらっている。先日も散髪に出掛けたのだが、理容師が電動剃刀を耳の外側に当てただけで終わろうとするので、「耳の中も当ててください」と言った。

40を過ぎてからどうも耳の中から妙に長い耳毛が伸びてくる。耳の中など普段は気にもしないし、僕は視力が弱く目視も出来ないので、何気に耳を触ったら、「なんじゃこれは!?」というような耳毛が生えているのに気付くことがある。これはこれで妙に愛おしくそのままにしておきたい気持ちもないでもないが、イヤイヤこれはエチケットとしてバツだろうということで、せめて剃るのではなく引っこ抜いてやろうとするのだが、これがなかなか摘めない。指の腹では挿めても引っ張るとすり抜けてしまうので、爪で挟もうとするのだが、そう簡単に爪でピンポイントで挟めるものではない。鏡を見ながらでもそこまでの精度ではつかめないし、結局はやたら当てずっぽうで引っこ抜くしかなく、それはそれで最高にオレはやったぜ感にも浸れるのだが、やっぱこれはそこまでの長さになる前に剃っておきたいものである。

毛といえば、もうひとつ気になるのが鼻毛。これも定期的にカットするのが大人のたしなみなのだが、近頃は鼻の穴の内側出口のキワに、わざわざ外に向かって生えてくるというトンデモナイ目立ちたがり屋がいる。僕は電動式ではなく、小さな鼻毛用ハサミでカットする派なのだが、この目立ちたがりをカットするのが甚だ難しい。僅か1mm程度でも外から見えてしまいかねないこいつをハサミでカットするのは至難の業だ。結局は諦めて、小指でキュキュッとこれで良し、みたいな妙な大人な納得の付け方で終わるのがオチだ。

人間、不惑にもなると慎ましやかになるものだが、こいつらは逆にかえって自己主張が激しくなる。これまで虐げてきたつもりはないのだが、これは何の反逆か。この年にもなって前へ出ようとする姿勢は殊勝だが何もご主人様に迷惑をかけることもあるまい。まったく手のかかる奴らだ。

てことで僕は散髪に行くと必ず耳の中をカットしてもらう。そして鼻毛は毎日チェックをする。これは40男共通の大事なチェックポイントだ。世の中には反逆させっぱなしの強者も結構いるが、僕はまだそこまで大らかにはなれない。まだまだ修行は必要だ。

あと長い眉毛にも要注意!

Little Dark Age/MGMT 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Little Dark Age』(2018)MGMT
(リトル・ダーク・エイジ/MGMT)

 

NY出身のポップ・デュオによる5年振りの4thアルバム。僕は彼らの音楽を聴くのが今回が初めてなので、元々どういう音楽を指向していた人たちなのかよく知らないが、このアルバムに関して言えば、非常にポップであるものの、ポップというオブラートに包みきれない彼らの世界観があちこちに滲み出していて、それがこのアルバムの印象を決定付けているような気はする。

サウンド的はもう思いっ切り80年代というか、当時のMTVに彼らの音楽が混じっても違和感ないというか、1曲目の『 She Works Out Too Much』の最後でサックスがブロウ・アップするところなんて思わずニヤッとしてしまう。3曲目『When You Die』とか4曲目『Me And Michael』なんて思い出せないけどどっかで聴いた感満載だ。ただそのサウンド・デザインもそこを狙ったという訳ではなさそうで、彼らとしては今回の曲をどう響かせるかという流れの中で自然にそうなっていったというか、この辺りはもう’10年代の特権というか、昔がどうとか今はどうとかお構いなしにいいものはそれ貰いって素直に採用できる自由さがあって、それが結果的にもろ80年代になろうが、彼らとしちゃああそうですかって程度のもので、それが実は1曲目ほど全体は明るくはないのだけど、全体を通してのこのアルバムに感じる風通しの良さにも繋がっているのではないだろうか。

ただ風通しが良いからといって、全てがスムーズに流れていく訳ではなくて、全体としてはポップなアルバムなんだけど、それぞれの曲のタイトルを見ても分かるようにどこかでダーク・サイドを引きずって行くような手触りがあるのも確か。例えば、君が裏切っても僕は落ち込まないよとでも言うような、もうそんなことは始めからデフォルトで設定されているといった重い現実認識が背後に横たわっているのは結構重要だ。

チャーミングなメロディは普通にアレンジすれば楽しいポップ・アルバムになりそうだが、そうは出来ないところはもう体がそうなっちゃってんだから仕方がない。てことで我々は不穏な時代に生きているのかもしれないけど、それも彼らにしてみれば少しやな時代ってこと。逆に言えば、それぐらいやな時代ってことかもしれない。『Little Dark Age』とはよく言ったものだ。

信じられるものは実はそんなにない世の中で、そんなものさと嘘ぶくか、それともそれに抗うか。5年振りにアルバムを出したってことはそういうことだろう。てことで捉えどころのないバンド(ユニット?)ではあるが、これはやっぱりロックなアルバムなのである。

 

1. She Works Out Too Much
2. Little Dark Age
3. When You Die
4. Me And Michael
5. TSLAMP
6. James
7. Day That Got Away
8. One Thing Left To Try
9. When You’re Small
10. Hand It Over

日美の司会者

その他雑感:

日美の司会者

Eテレ『日美』の司会者がこの春から変わった。高橋美鈴アナはそのままに、男性司会者が俳優の井浦新さんから作家の小野正嗣さんに変わった。井浦さんはいい感じで評判も良かったと思うけど、それでも何年かやったらこうしてスパッと変更する姿勢が僕は好きです。流石Eテレ。

井浦さんはとにかく格好いいんだけど、気取らないというか、常にアーティストやアートへの尊敬の眼差しを忘れない人で、子供みたいにすぐにウットリするお茶目な方。なにより、分からない事を無理に分かろうとしないところが僕は好きでした。上手く言葉にできなくても上手く言おうとしないというか、しょっちゅう言葉に詰まってましたが(笑)、その詰まった感がかえって良かったですね。

現在司会をされている小野正嗣さんは作家ということで最初は理知的な堅いイメージがあったのですが、何度か見ていると小野さんも無理に分かろうとしないというところがあって、知的な印象の割に絵に圧倒されているところが意外とバレバレな人で(笑)、最近は僕も親しみを覚えるようになってきました。

それとやっぱり品の良い語り口の高橋美鈴アナが素晴らしいですね。高橋アナがこの番組の空気を下支えしているように思います。

Eテレ 日曜美術館「もうひとつのモネ~現代アーティストが語る革新~」 感想

TV program:

Eテレ 日曜美術館「もうひとつのモネ~現代アーティストが語る革新~」 2018.6.10放送 感想

日美、この日のテーマは「モネ」。それも印象派としてのモネではなく、現代アートとして見るモネの革新性について。現在、名古屋市美術館にて「モネ それからの100年」と題した展覧会が開かれている。今回はスタジオからではなく、その名古屋市美術館から、そこに展示されている日本の現代アーティストたち(画家:児玉靖枝、美術家:小野耕石、版画家:湯浅克俊)の対談形式で番組は進行しました。

モネはどうしても「睡蓮」が有名過ぎて、あぁあの絵ねってことで落ち着いてしまい、今まであまり気にも留めていなかったんだけど、現代の日本人アーティスト3名が語るモネの魅力が非常に分かりやすい形で伝えられていて、モネの魅力を再発見するという意味でも僕にとってとても興味深い回となりました。

今回気付いたことの一つが、モネの絵に上も下もないのではないかということ。水面に映る空は下にも広がっていくし、横にも上にも広がっていく。上も下もない宇宙的な感覚。それは動的なもので、それこそ移り行く自然。絵は静的なものだけど、モネは当然、自然を描いている訳だから、その時にしかない動くものを捉えている。だから絵は静的なものであっても動いているのだ。そこに鮮やかな原色の花弁がちょんとあって、画面いっぱいにたゆたう中で、それこそ命がバッと開いている。

しかし原色で色づけされたその花びらは画面全体に広がる動的なもののうち、ほんの一瞬でしかない動的なもの。それは上と下もなくて、この世は所詮浮世、或いはこの世ははかないものとする日本的な美に通ずるものではないでしょうか。

だから画家、児玉靖枝さんの「モネは時間を書きたかったんじゃないかな」という言葉が、あぁなるほどなって。絵画は筆を置いた時に止まるものだけど、止まらないまま続く揺らぎ。本当の景色があって、でもそれだけではないし、画家が描いたものが一方にあるものの、それもそうだというものではなくて、やはり揺らぎ続ける。

モネは言い切らない、見る人の広がりに委ねる。そこが絵に意味を持たせる同時代の作家とは異なる部分であり(版画家、湯浅克俊さんの「海外の美術館に行った時に、宗教画とか写実的な絵、意味があり、時代背景があり、隠れたメッセージが含まれたような絵が続いた後にモネの絵を見るとホッとする」、という言葉が印象的だった)、現代アートにも通じる部分ではないかということ。

つまり、絵を見る、というのではなく体験するという感覚、姿形をこういうものだと見るのではなく、同化する、ここではないどこかへ連れ去られる、ここが本当の場所とは限らないし、勿論、作家が提示したものが本当の場所とは限らないけど、異質ではあるけれど、心地よい、行ったことはないけれど馴染みのある場所と思わせる感覚。それはつまり、芸術家は人が見えないものを描く、ということにも繋がるのではないでしょうか。

今回は現代の日本人アーティスト3名の対談が凄くよかったです。芸術家は何故描くのか?誰も急き立ててはいないのにこの切羽詰まった感は何なのか?その一端が垣間見えるような気がしました。

名古屋市美術館「モネ それからの100年」は2018年7月1日まで続き、その後は神奈川へ。十数年前に京都でモネ展を見た記憶があるが、もうほとんど記憶にない(笑)。また近くに来たら是非見に行きたいな、と思いました。

夕方はまだ隣の国

ポエトリー:

 

『夕方はまだ隣の国』

 

ぼんのくぼからぷよぷよと入って向こう側へ抜けていった
そのまま飛行機雲のレールに乗って何処かへ消えてしまいそうだった
その日の午後は爪がふやけたり無くなったりして大変だった
夕焼けはまだ隣の国に長居しているように思えた
ざっくりとした長さの夕方は夏に向かって拵えられていてスイカの種はまだ種のままだった

遠くで救急車の色が焼けていた
理科室の実験のように静かだった
明日の朝は爽やかなTシャツが似合うはず
けれどまだ洗濯に出しているはず
白い立方体は白い立方体のまま数字が書き込まれるのを待っている
家では夕食の支度が整えられていて
ざらざらの舌はオゾン層が合成した水溶液の透明な部分だけを吸い取り始めていた

冷たい人形が耳元で囁く
分かっているつもり
明日は来ないつもり
知ってるよ、僕がうっかりしてもまだ夕方だからね

閉じたり開いたりして理科の実験室から君が溢れてくる
僕は思わず手で押さえていた
思い出をたくさん玄関に並べてみても
夕方はまだ隣の国
人が青と言う色の青さがまだ残っていて
空は逆さまのソーダ水のまま、泡を吹いている

 

2018年3月

Tranquility Base Hotel & Casino/Arctic Monkeys 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Tranquility Base Hotel & Casino』(2018)Arctic Monkeys
(トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ/アークティック・モンキーズ)

よい音楽を聴くと語りたくなるというか、それが一筋縄ではいかない音楽であれば尚のこと自分なりの視点、私はこういう風に思うんですっ、てのを語りたくなる。例えて言うと、レディオヘッドなんて正にそんな感じ。このアークティック・モンキーズの新作もそんな語りたくなる作品で、もしグラミーに「語りたくなるアルバム賞」なんてのがあれば、間違いなくノミネートされるのではないでしょうか。

トランクイリティ・ベースというのはアポロ11号の月着陸船が着陸した場所である月面の“静かの海=トランクイリティ・ベース”のことで、このアルバムはその名前を冠した‘ここではない何処か’にある架空のホテルでの群像劇。もうこれだけで語りたくなる度満載ですな(笑)。

タイトルに「カジノ&ホテル」と付いているようにやっぱ只のホテルではないんですね~。ある種、ギャンブル依存症とでもいうような、或いはドラッグを思わせる現実と幻想のはざまを行き来する、正気とジョージ・オーウェルの『1984』(もしくは歌詞に「頭蓋骨に直接パーティーを接続している」とあるように映画『マトリックス』)を思わせるディストピア、かえってその心地よさに足を踏み入れる、いや正気に戻る、そのような不穏な世界へ行き来する様、その境界線上を漂う世界とでもいうようなアルバム、ていうか、もうこうやって書いてるだけでトリップしそうです(笑)。

つまり今回のロック音楽の仕様とはそれこそ宇宙的にかけ離れたゴージャスでサントラめいたサウンド、あちこちでこんなのロックじゃねぇなどと言われたりもしているそうですが(そうですが、って周りに洋楽談義出来る人がいないので、あくまでのネット上での話です…)、これはその設定に則ったサウンドであり、ありうべくして鳴らされたサウンドなのでございます!

このアルバムでのアレックス・ターナーのボーカルは演劇的だ。一部ポエトリー・リーディングを思わせるものもあって、正直とっつきにくいです(笑)。しかも演劇ですから粘っこいです。吉本新喜劇でいうところの末成由美並みの粘っこさでございます。ただまあこれが逆に言うと異様にメロディが立っているとも言える訳で、非常にメロウ!人体と同期したようなメロディとでもいうか、恐らくそう感じるのはそれが言葉、或いはフレーズ、或いは物語自体に元々備わったメロディだからということで、つまりは言葉に内包されたメロディを引き出してゆく、素直に身を委ねていくことが、今回のギターではなくピアノのみで行われたアレックスのソングライティングだったのではないでしょうか。これはもう作曲とは言わないかも。ある意味ボブ・ディラン的といいますか、完全に言葉に憑依してますね(←言葉とメロディが同期しているという意味で)。

それに対してバンドはどうしていくか?バンドもまた、素直にアレックスの紡いだ物語の進行に沿ってそれに見合う音を当てていく。もう派手なリフで曲全体をリードしていく必要は無くって、それこそ演劇の第1幕、第2幕とでもいうように物語に光と影を当てる。このアルバムのサントラめいた余韻は恐らくそういうことではないかなと。

しかしそれは単に曲に柔順という意味ではなく、時に荒々しく、時にはみ出そうとする演奏はバンド・メンバーそれぞれが独立した詩人であり、それぞれがそれぞれの思うところを朗読しているからこそ。音の壁(=ウォール・オブ・サウンド)。言ってみれば、スペース・ポエトリー・カフェ。ここにあるのは紛れてしまわない自立したサウンドなのです。ボーカルは物語り、バンドも物語る。もうそこに境界線はないのです!

架空のホテルで繰り広げられる群像劇は最後の11幕、『The Ultracheese』で‘いつもの場所’に戻る。そこは古きよきアメリカ。しかし命のともしびはもう残りわずかだ。主人公は壁にかかった友人の写真を見上げる。しかしそこに映っているのは果たして友人の姿なのか或いは…。ひぇ~、これ完全にSFや~ん。

アレックス・ターナーはかつて「ロックンロールは死なない」と発言した。2018年にもなって、ロックンロール音楽を前に押しやろうとするバンドがいる。こんなに嬉しいことはない。レディオヘッドがそうであったように、この訳の分からない音楽は圧倒的にスケールがデカく、圧倒的に正しい!!

 

1. Star Treatment
2. One Point Perspective
3. American Sports
4. Tranquility Base Hotel & Casino
5. Golden Trunks
6. Four Out Of Five
7. The World’s First Ever Monster Truck Front Flip
8. Science Fiction
9. She Looks Like Fun
10.Batphone
11.The Ultracheese

彼女は最低

ポエトリー:

 

『彼女は最低』

 

ひどい女が

オレの残り福を巻き上げる

ひどい女

がオレのまごころを消費する

彼女はいつも一足跳びで

オレの返事も待ちやしない

切符を買うのも待ちやしない

例えば

あらすじなんかはすっ飛ばして

エンドロール

すら聞かないで席を立つ

例えば

丁寧にしつらえた物語

ひとつ、ふたつ、みっつ

強引に読み解く

インド、日本、サンパウロ

辺りをうろつく視線に合わせ

1ページ、2ページ、3ページ

破って読んだでハイお終い

オレは知らない駅で待ちぼうけ

それは正しいか

か来た道戻るか

映写機の音はカタカタとして遥かな記憶を辿る

旅、共に回転し

道端の石コロにも目星付けたところ

彼女はいつも勝利する

薄い羽で舞い

象の鼻で笑い

ヒョウのように快速

オレはダビデなまま

歪なポーズで突っ立っている

ぶっ壊したい

彼女は最低

早く自由になりたい

 

2017年11月

『The Covers』 NHK BSプレミアム 2018.5.22 放送(ゲスト:エレファントカシマシ) 感想

TV Program:

『The Covers』 NHK BSプレミアム 2018.5.22 放送(ゲスト:エレファントカシマシ) 感想

 

NHK BSプレミアムにて月1回放送されているこの番組。番組H.Pを見ると2018年4月からリニューアルされたようで、MCの一人も仲里依紗から池田エライザへバトンタッチされております。どうでもいいですけどエライザさん、またえらい色気ですなぁ…。仲里依紗さんも夜な感じが出ていましたが、更にラウンジ感強まったような(笑)。リリー・フランキー、ナイスです。

さて、今回のゲストはエレファント・カシマシ。エレカシは僕が大学生の時にブレイクしたバンドで、何度かカラオケで歌った記憶がある。しかしこれが難しいのなんの。宮本浩次の声は男っぽい太い声をしているから、気軽に歌えると思ったら大間違いっ。実はキーがかなり高いのです!

てことで、エラカシが選んだ最初のカバー曲は山口百恵さんの「さよならの向う側」(1980年)。これを宮本さんは原曲のキーのまま歌います。そーなんです。僕が大学の頃のキーの高い男性ボーカリストといえばスピッツの草野マサムネ氏なんですが、実は宮本さんも負けず劣らず高いのです。てことで、どちらも間違いなくカラオケで玉砕します(笑)。

ともあれ、エレカシはカバーをする時は原曲のキーのまま歌うというのを大事にしているらしく、それは原曲の魅力を損ないたくないからということなんですが、そうは言ってもそんな芸当、なかなか出来るもんじゃあございません。しかも全然聴き苦しくないんですから、大したもんです。そういやマサムネ氏も女性ボーカル曲を原曲キーのままで歌うらしいですから、いや~、二人とも流石でんな~。

しかしこの曲はいいです。宮本さんも当時の日本歌謡曲のレベルは凄い凄いと連発していましたが(笑)、確かに凄い!まず言葉。平易な言葉しか使用していないのに凄く奥行きがあるというか、聴き手にもたらす情感の幅が限りなく広いのです。でもってメロディもそれ自体に起承転結があって、だからアレンジで殊更ドラマチックに盛り上げなくても自然な情感が立ちあがってくるのです。宮本さんも言ってましたが、やっぱ視点が俯瞰なんですね~。入れ込み過ぎないというか、これを山口百恵さんがしっとり歌うわけですから、そうそうここも思い入れたっぷり歌い上げるのではなくて、誰かの物語として歌ってるんですね。だからこそ聴き手に伝わる情感が増幅される訳です。やっぱ俯瞰ですよ皆さん。いや~、勉強になりますな~。百恵さんも宇崎竜童さん(作曲)も阿木燿子さん(作詞)もスゴイッ!

2曲目はサザン・オール・スターズの「いとしのエリー」(1979年)。これを歌う宮本さんも良かったです。ですがこれはもう桑田圭祐のあの歌唱がやっぱありまして、やっぱあれはあれなんですねぇ(笑)。まぁどういうことかと言うと、「いとしのエリー」のメロディにはあの歌い方というか独特のリズム感が内包されてあって、それはもう真似できないわけです。以前この番組でRCサクセションのカバーがあった時も出演者が一様に苦労していましたが、あれと一緒ですね(笑)。RCのメロディにも清志郎のリズムが内包されている訳です。

でまぁそれはエレカシ=宮本浩次も一緒なわけで、番組では逆に若いミュージシャンがエレカシの曲をカバーするコーナーもあったりするわけですが、これもそういう訳で、いーんですけどね、なかなかそれっぽく歌えないというか、そういう意味では宮本さんが歌う「さよならの向う側」は良かったですねぇ。僕が百恵さんのことをよく知らないというのもあると思うんですが、なんかエレカシの元々の歌にあったような気さえするとってもいい演奏でした。

去年はエレカシの30周年だったそうで、31年目の新しい曲「Easy Go」も披露されました。これがまたお見事でした。31年目にして荒々しいというか、宮本さんはシンガーというよりやっぱシャウタ―ってイメージなんですが、この曲でも歌うというよりもうやたらめったら叫んでいて、それが彼らの今の意思表示というか、まだまだやってくぜっていう、その現役感が最高でした。

それにしても宮本さんのフロントマンとしての存在感は抜群ですね。あーいうパフォーマンスが出来るロック・ミュージシャンってのはもうあんまりいないですもんねぇ。でやっぱり声が抜群にデカい。失礼ながらもう結構な年齢だと思うのですが、経時変化していかないってのは驚きです。あれだけ叫んで喉を酷使していながらですから、これは実はかなり凄いことだと思います!

それに改めて、ソングライターとしても素晴らしい。いい事を歌おうっていうのではなくて正直な言葉というか、それも奇を衒った言葉使いではないし、それにメロディはふくよかで情緒がある。だからこの番組で若い世代がエレカシをカバーしたようにより幅広い世代へ伝わるんですね。「さよならの向う側」がエレカシの歌みたいに感じたのもきっとそういう日本の歌謡曲の良い部分をエレカシも持っているからなんだと思います。未だに若い層から支持されている理由はそういうことなんじゃないでしょうか。僕は彼らのことをあんまりよく分かっていなかったですが、この番組で何だかそれが分かるような気がしました。この番組を観て良かったです。凄いぞ、エレカシ!

So Long, See You Tomorrow/Bombay Bicycle Club 感想レビュー

洋楽レビュー:

『So Long, See You Tomorrow』(2014)Bombay Bicycle Club
(ソー・ロング・シー・ユー・トゥモロゥ/ボンベイ・バイシクル・クラブ)

 

英国出身の4人組。デビュー・アルバムから少しずつチャートを上げ、このアルバムではついに全英№1を獲得したそうだ。繊細なアレンジやその風貌と相まって、イメージとしちゃ文系ロック・バンドといった感じかな。

本作に取り掛かる前に、メイン・ソングライターであるジャック・ステッドマンは海外を旅したそうで、本作にはそのことが色濃く影響しているとのこと。日本やトルコにも訪れたらしく、オリエンタルな要素もちらほら。バンド名からして「ボンベイ~」っていうくらいだし、オリエンタルと言っても中国とか香港ではなく東南アジアやインド、トルコといったイメージ。アルバムのアート・ワークも東洋的だ。但し東洋趣味にありがちな変な神秘主義はないし、メロディ主体のさわやかな英国ロック。流れるようなメロディは大河を漂うようで、聴いている方も一緒に旅をしているような気分になる。そんな移動を感じさせるアルバムだ。

このバンドを特徴づけているのが女性ボーカル。ゲスト扱いのようだけど、いつも参加しているようなので準メンバーといったところかな。#6『ルナ』なんて、彼女なしでは成立しえない楽曲だ。ただでさえ流麗なメロディが際立ち、一段も二段も表現の幅が広がっている。ジャックとの相性も抜群だ。バンドの演奏も的確だし、飛び抜けた何かでアピールするというのではなく、コーラスも含めたあくまでもアンサンブル主体。なるべく目立たないように歌うボーカリストらしからぬジャック・ステッドマンも含めたバンド全体のムードが心地よい。

楽曲自体の魅力もいいのだけど、そこにメロウなフレーズのリフレインが被さって更なる相乗効果。ちょっと切ない胸キュンフレーズが抜群である。それでいてハードな部分もポップな部分も過剰にならないし情緒にも流れてしまわないまま、オリエンタルなフレーズと共に全体のバランスとして飛び込んでくる。好感度の高いアルバムだ。

アルバム・ジャケットは人が一人で歩き続ける姿を輪廻をモチーフに描かれている。そしてカバーを開けると、CDの盤面に同じイラストが。しかしそこに描かれているのは二人のシルエットだ。人は一人だという認識と、それでも人は誰かと共にいるという理解。そのことをほのかなイメージに乗せて歌う彼らのスタイルはとてもリアルなものだ。

派手さはないけど、真っ直ぐで地に足の着いたアルバム。あまり知られてはいないけど多くの人に是非聴いてもらいたい。そんなアルバムだ。

 

1. Overdone
2. It’s Alright Now
3. Carry Me
4. Home By Now
5. Whenever, Wherever
6. Luna
7. Eyes Off You
8. Feel
9. Come To
10. So Long, See You Tomorrow