Big Red Machine/Big Red Machine 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Big Red Machine』(2018)Big Red Machine
(ビッグ・レッド・マシーン/ビッグ・レッド・マシーン)

 

ビッグ・レッド・マシーンとはボン・イヴェールことジャスティン・ヴァーノンとザ・ナショナルのアーロン・デスナーによるコラボ・プロジェクト。ボーカルがジャスティン・ヴァーノンなので、聴けば、あぁボン・イヴェールだということで、僕はあの静謐な狂気とでも言うような世界が好きなので迷わず購入した。ザ・ナショナルのことはアーロン・デスナーのことも含めて知らない。

ソングライティングは共同で行っているようだが、恐らく歌詞はジャスティン・ヴァーノン。ていうかあんなヘンテコな歌詞は彼にしか書けないだろう。サウンド的にもほぼボン・イヴェールの延長線上にあると考えていい。その点、僕はザ・ナショナルのことは知らないので詳しくは聴き分けられない。でも1曲目の電子音にはちょっと身構えた。『KID A』やんって(笑)。

でもそれは最初だけ。参加ミュージシャンは50名!ほどいるらしいからいろんな音が聴こえてくる。ストリングスもあるからそれぐらいの人数にはなるのかもしれないが、それにしても多い!っていうかボン・イヴェールもそうだなと思いつつ、このいろんな音がチクチクと聴こえてくるのはやっぱ病みつきになる。体の中の手薄なところをいちいち突いてくる感じが心地よいのは僕もヘンテコなのか。

ボン・イヴェールの時もそうだけど、沢山のミュージシャンがいて、沢山の音が奏でられて、その上コンピュータ音もあって、にもかかわらず賑やかな感じがしないというのは不思議。つまりはお行儀がいいということか。けれど全体として飛び込んでくる印象は狂気。イメージも都会の喧騒と言うより、緑豊かな、或いは湖があってっていう景色が広がるんだけど、そこからはみ出るような、いや、はみ出さずにはいられないという狂気がある。それでもやっぱり行儀の良さを感じてしまうのは、周りに迷惑を掛けたくないというごく普通の感情と他者へのいたわり。しかしそのちゃんとした人の狂気は、我々が持っているごく普通の狂気とも言える。だからこそ我々の体の中の無防備なところをチクチクと突いてくるが心地よいのだ。つまり僕たちは人である以上ヘンテコなのだ。という僕たちのごく当たり前の狂気をごく当たり前に表したアルバム。

それにしてもなんでビッグ・レッド・マシンて名だ?シンシナティ・レッズとは関係あるのだろうか?

 

Track List:
1. Deep Green
2. Gratitude
3. Lyla
4. Air Stryp
5. Hymnostic
6. Forest Green
7. Omdb
8. People Lullaby
9. I Won’t Run From It
10. Melt

この世界の片隅に/こうの史代 感想

ブック・レビュー:

『この世界の片隅に』 こうの史代

 

ずっと前から気になっていた『この世界の片隅に』。友達が買ったってんで、そいじゃあオレにも貸してよってことで幸運にも読むことが出来ました。マンガだし上・中・下、さらーっと読めちゃうかなと思っていたけど、そうはいかんよね。読んでは戻り、戻っては読む、なんかすずさんみたいにゆ~っくりとページ開いていくのが、この本の読み方なのかなぁと。映画もドラマも観てなかったけど、今さらどっちも観たくなりました。遅いっちゅうねん(笑)。

冒頭からしばらくは日常の風景が流れてゆくだけなんだけど、僕たちの日常が淡々としていそうで実はそうではないのと同じで、いつも心が少しずつ動いていくような、でも勿論そんな堅苦しいものではなくて、それは本っ当に素晴らしい絵を描くこうの史代さんの絵の柔らかさもあると思うんだけど、そういうものに優しく導かれて自分もその中に入っていくような、柔らかいんだけど力強いとでもいうような、慌ただしく波風は立たないんだけど、大きく濃くゆっくりと柔らかい波が進んでいくみたいな感じで、共に読みすすんでいるような気はします。

だから、とりあえず最後までゆ~っくりと読みはしたけど、決して読み終えたって感じはしなくて、またしばらくしたら読みたいな~と思うだろうし、それでもやっぱり何回読んでも読み終えたなぁとは思わないだろうし、いつ読んでも途中からお邪魔しま~すっていうか、この物語はそうやっていつまでも続いていくものだと思います。

それはやっぱ地続きだからで、地続きなんて言うとあの時代と今は全然違うんだから同じように考えないでくださいとピシャッと言われそうだけど、僕にはそうは思えなくて、確かに時代背景は違うけど、僕たちだって一応はちゃんと真面目に生きているし、そういうささやかな営みがある以上はそれを守りたいっていうか、守りたいって言うと大げさだけど、悲しい出来事はそういうささやかな日常にすっと滑り込んでくる訳だから、そこのところはやっぱ同じなのかもしれないって。

だから玉音放送の後、すずさんの印象的な場面があって、それは急にエネルギーが立ち上がるような強烈な場面なんだけど、それも割となんかすぅっと入ってくる感じで、恐らくこの漫画を読む前にそのセリフだけを聞いていたら、いまひとつ飲み込めなかったかもしれないけど、上巻中巻下巻と読む進む中で表れるすずさんの言葉というのは自然に入ってくるのだな。でも自然に入ってくるからといって理解したとか軽く流れてしまうってことではなくて、重い言葉なんだけど、ていうか重い言葉とは言いたくはなくて、それは僕たちへと続いていく言葉でもあるわけだから、そこを情緒的に捉えるのはヤダなっていう。肯定するとか否定するとかってんでもなく、そこはちゃんと落ち着いて飲み込みたいというか、そこはこのこうの史代さんの絵とストーリーの力で多分ちゃんと飲み込ませてもらえたと思います。

とまぁもっともらしいことを言っていますが、またしばらくして読んだら違った感想も出てくるだろうし、これはこうだということではなく、その折々に頷きながら長く読んでいくものなのかなぁとは思います。

僕にも片隅があって、皆にも片隅があって。人の片隅に触れたいなんて図々しい話だけど、たまにはね、すずさん、またあんた達の片隅に触れさせてくれんさいね、って(笑)。

カクテル

ポエトリー:

『カクテル』

 

クールなふりを装うのなら
我々はゼロに従うべきだ
クローゼットは閉めて
諦めは肝心

買い物帰り、ふと考える
果たしてこれは必要だったか
おもむろに尋ねる
すみません、ボク、コレ、ヒツヨウデスカ?

タオルケットを腰に当てて
いつでも着替える準備はOK
姿見は彼女
いつも貴重なご意見をありがとう

そもそもここへは何を?
さしあたって…
そう、格調高く!

そうさ僕らは旅する楓
試作のカクテル
重なり合って色を付ける
春は春色
秋は秋色
今は何色?

進むべく方角をすっと指で指し示し
来るべき朝を今ある色で調色
あなたはそれを誰に教わった?

冬枯れのコートを次のシーズンまで
持ち越すつもりはない
キッパリと
あなたはどこへ翻す
湯呑みの茶柱は立っている

 

2018年8月

音楽が奏でる球体

ポエトリー:

『音楽が奏でる球体』

 

音楽が奏でる球体が夜分にそっと忍び込む
あなたが夢を見るのは球体のスクリーンのせい
球体があなたの記憶を吸い込むの
朝になって思い出せない幾つかは
もうとっくに運び出された後だから
そうやって私たちは少しずつ記憶を失う

球体は地球に与える
私たち人類の記憶を
輪になって
束になって
雨粒になって
晴れやかな太陽の日差しとなって

地球は健やかに育つでしょう
我々が地球の邪魔をしている?
うううん
私たちがいなければ地球はとっくに枯れてしまっているわ
私たちはそういう関係

私たちはテキストとなって
大切に一枚ずつ削り取られていく
受験生の脳みそのように地球はそれを食い尽くす
それが地球のシンフォニー!!

 

2018年7月

NHKスペシャル 平成史 第1回 大リーガーNOMO HIDEO 感想

TV Program:

NHKスペシャル 平成史 第1回 大リーガーNOMO HIDEO             

 

野茂は近鉄時代から野茂英雄だった。ノーヒットノーランが掛かる最終回であろうが、勝負にこだわり真っ直ぐを投げ続けたし、右腕にライナー性の打球が当たり一旦ベンチに引っ込んでも、何食わぬ顔をして再びマウンドに上がった。何を聞かれても仏頂面で自分の意志だけを言った。その周りの事はどうでもよかった。今年、50代を迎えた野茂は体型が違えども眼光は昔のまま。今も尚、野茂英雄は野茂英雄のままだった。             

この番組で興味深かったのは野茂が近鉄バッファローズから離れることになったいきさつ。今回のインタビューで野茂から語られた内容によると、第1回契約更改の前に既に自由契約になっていたということ。揉めに揉めて自由契約になったとばかり思っていたが実は違うようだ。任意引退を申し出たのは野茂サイドの方で、自由契約になれば、復帰するには元の在籍球団としか交渉できないという制約があるものの、アメリカの球団との交渉は可能という、当時の日本プロ野球規則をあらかじめ調べ上げ、これならいけると近鉄球団へ申し出たのだ。その時点では誰も野茂がメジャーリーグに挑戦する意向を持っているとは思っていなかったわけで、近鉄球団側は野茂サイドのシナリオに乗った訳だ。

この辺り、番組中に名前は出てこなかったが、当時の野茂の代理人はダン野村氏であったかと思う。しかしこれを可能にしたのは、ここで野球人生が終わってもいいと覚悟した野茂の決意だ。説明を聞いてこれで行こうと一度決めたなら、あとは迷わずに突き進む。そこに野茂のピッチング・スタイルと同じ太い幹を見るような気がした。       

最後の交渉の場で近鉄はあらゆるオプション契約を提示し、野茂を引き留めようとしたが、同行した当時のピッチングコーチの佐藤道郎によると野茂は「メジャーに行かせてください」としか言わなかったようで、その様子を見た佐藤もその情熱の前では「頼むから気持ちよう行かせたってくれ」としか言えなかったそうだ。

野茂は自分が日本人メジャーリーガーのフロンティアと呼ばれることに抵抗を持っている。通訳やトレーナーや多くの関係者がいる。自分だけが特別扱いされることを極端に嫌う。野茂は自分がフロンティアだとは本当に微塵も思っていないし、寧ろ理解のあるドジャースに入れた自分は幸運だったと述べている。 

野茂は華々しくメジャー・デビューをするものの、キャリアの中盤では肘を手術するなど、思うような結果が出ない時期を過ごす。メッツ時代、ブリュワーズ時代がそれにあたるだろうか。しかしそこから野茂は二つ目の大きな山を作り出す。それはレッドソックス在籍時のノーヒットノーランであり、再びドジャースに戻った時のエースとしての活躍だ。どうして二つ目の山を作ることが出来たのかという問いには、「この頃から自分の事だけじゃなく、自分が投げない時もチームに貢献出来ないかと考えるようになり、回りの選手の事も見るようになった。投げていない日も試合を観るようになったし、そうしたらうまくいくようになった」と答えている。この非常に重要なコメントを引き出したインタビュアーの大越キャスターの質問は素晴らしかったと思う。

野茂は剛腕のイメージがあるが、肘を手術してからの真っ直ぐは(野茂はいつも直球を真っ直ぐと言う)140km/h中盤しか出ない。しかしその140km/h台中盤しかでない真っ直ぐで野茂は真っ向勝負を挑む。スピードがあるとかないとかではないのだ。打者を見据えて、腕を思いっ切り振ることしか考えない。野茂にとっては打者を抑えることが結果ではなくて、腕を思い切り振れたかどうかが結果なのだ。

大谷選手の活躍について聞かれると、大谷がどうこうとは一切言わず、自分も体が元気だったらもう一度やりたいとか、どんな球を投げるのか打席にも立ってみたいとだけ言う。日米野球では自分の真っ直ぐがどれだけ通用するかを知りたかったから、真っ直ぐばっかり投げて怒られてましたと言って笑う姿や、引退したくなかったし、引退してからも投げたいと思いましたと当たり前のように言う姿を見て、引退して何年も経っても野茂英雄は野茂英雄のままなんだなと思った。

野茂は批評めいたことや誰かのことを悪しざまに言ったりしない。「日本球界に対して大きな壁を感じたことはありますか」と聞かれた時もそうだった。近鉄球団に対しても文句はいくらでもあるだろうけど、口にするのは「最後の話し合いで、メジャーに行かせてくれた人には感謝しています」と言うのみ。マスコミに散々嫌な思いをしたろうけど、そんなことも一切言わない。多分それは野球とは関係ないことだからだと思う。

野茂英雄は僕にとってのヒーローだった。別にメジャーリーガーになったからではない。ユニフォームがはち切れんばかりに大きくワインドアップをして、背番号が見えるほど体を捻り、どんなに大きい相手であろうと、真正面から突破を試みる。それは僕には到底できないことだった。この日、久しぶりに野茂さんを見た。体型は変わって髪の毛には白いものが見えたけど、やっぱり野茂さんは僕のヒーローのままだった。高校の教科書に何度もピッチングフォームを落書きした、大学時代に4畳半のアパートで夜な夜な観た、あの時のヒーローのままだった。

佐野元春 & The Coyote Band 禅BEAT TOUR 2018 感想

ライブ・レビュー:

佐野元春 & The Coyote Band 禅BEAT TOUR 2018 in ZEPPなんば 2018.10.20 感想

いや~、楽しかったッス。佐野元春 & The Coyote Band「禅ビート・ツアー 2018」。今年の春にニュー・アルバム『Maniju』をフォローするマニジュ・ツアーが行われたばっかなのに、この秋に『Maniju』アルバム中の1曲である「禅ビート」をタイトルにしたツアーを行うという。春がホール・ツアーで今回はライヴ・ハウスを巡るということで主旨が異なるものの、またなんでツアーなの?という疑問が無くもなかったのですが、行ってみてよ~く分かりました。全編、重心の低い Coyote Band ならではビートをフィーチャーした名付けて禅ビート。2007年のアルバム『Coyote』に端を発した Coyote Band 結成がここに至り獲得したひとつのスタイルをより重点的に披露しようってんですね。その意図がよ~く伝わるライヴでした。

マニジュ・ツアーは Coyote Band と制作したアルバムからの曲のみで本編が構成されるという潔いセット・リストだったけど、今回の禅ビート・ツアーも基本はそこは同じ。オープニングからほぼ全編、近年の曲で占められています。これはやっぱりいいですね。ロック音楽には同時代性が必要で佐野さんの昔の曲がそうではないという訳ではないけど、今の佐野さんには今を叩きつける今の歌が沢山あるわけだから僕はやっぱりそれを聴きたい。世の中には音楽が沢山あるけれど、残念ながら日本には時代に言及する音楽が足りない。今の佐野さんの音楽はチャートに昇るようなものではないけれど、今日この日の会場では2018年の音楽が流れている。そう強く感じさせるライブでした。

ライブ前半はマニジュ・ツアーに準ずるラインナップ。しかしやはりライブ・ハウスというのは大きい。単純に届く距離が短いということは同じ曲であっても響き方が全然違うということ。これは僕が思ってるだけかもしれないけど、やはりCoyote Band はライブ・ハウスが映える。なんかホールだとよそよそしく感じてしまうんだよなぁ。このバンドが一番自然体ていられるのはライブ・ハウスってことではないでしょうか。

てことで、ところ違えば響き方も違う。僕個人として今回一番そこを感じたのは「純恋(すみれ)」だ。この曲は『Maniju』アルバムの中でも人気が高い曲だけど、実は僕にはあまり響いて来なかった。ところが今回はイントロを聴いた瞬間に感情が大きく波打って自分でもびっくり。この曲は佐野さんのMCでもあったようにティーンエイジャーに向けられた曲で、恋に落ちた時の心模様が描かれている。なんだろ、好きになった時やそれが成就した時の天にも昇る気分、恋が終わった時ののたうち回るような苦しさ、そういった記憶がバババッと思い出されてきたんだな。なんか自分の中の思春期が急に蘇ってきた感じ(笑)。強烈なアンセムとして響きました。僕にとってはこの曲がこの日のハイライトでした。

ライブ後半はマニジュ・ツアーと違って80年代、90年代の曲が幾つか披露されました。禅ビート・ツアーって言うぐらいですから勿論、Coyote Band としての解釈でぐぐくっと重心の低いダンス・ビートとして鳴らされます。確かにこの辺の曲をやった時の方が Coyote Band としてのアイデンティティーが明確に目に見えて来ますね。なんて言うのかな、世代的にオルタナティブなロックをくぐり抜けた Coyote Band の面々ではあるけれど、かえってアーシーと言うか非常に泥臭いサウンドで直に迫る感じ、泥が跳ねて来そうな直接性を感じられました。「インディビジュアリスト」や「ヤァ!ソウルボーイ」などでそれは顕著に感じましたね。

まぁそういう意味では、古い曲をすることで Coyote Band が叩き出す`禅ビート’がよりはっきりと浮かび上がってくる訳だけど、マニジュ・ツアーに比べると幾分古い曲が多いかなと。個人的にはもうちょい『Maniju』アルバムからの曲が聴きたかったかなとは思います。ま、そうするとマニジュ・ツアーとあんま変わらないセトリになってしまいますからとマニジュ・ツアーとは別のアプローチで、というのはあったのかもしれないですね。

あとライブの中身と関係無いところで、春のツアーはフェスティバルホールだったの席番があって、ところが本編の間中ずっと誰も立たないという髄分なストレスがかかる状態となり(←主要年齢層が50代なもので)、集中することが難しかったんだけど、今回はライブ・ハウスということでスタンディングあり。それでも年齢層を考慮してほぼ9割が座席ありのチケットで、僕は勿論前みたいにずっと座ってんのヤダからスタンディングにしたんだけど、始まったら結局みんな立ち上がって、なんだそんならイス席取りゃ良かったなと(笑)。だってスタンディングは1階の最後列なんやもんなぁ。

あと途中からなんかプワ~ンと漂うものがあって、これは多分口臭ですかね(笑)。これがどうも気になっちゃって、いかんいかん、口で息をしようと思ったんだけど、オレ魚じゃねぇし無理(笑)。多分後ろの人だと思うんだけど、だんだん盛り上がって来て一緒に歌い出したんだろな、そうすっと息も前へ前へ押し出されてくる訳で、スンマセン、僕はもう我慢出来なくなりました。てことで途中で一番後ろへ移動(笑)。でもこれが不幸中の幸い。一番後ろはスペースもあって、そこからは周りを気にすることなく目一杯楽しめました。やっぱスタンディングで良かったという話です(笑)。

今回はインスト・ナンバーも披露されました。キーボードの渡辺シュンスケ率いるバンド、シュローダー・ヘッズの曲、「ライナス・アンド・ルーシー」。聞き覚えのあるスヌーピーの曲です。これが格好良かった!めちゃくちゃ楽しかった!僕は一番後ろで跳び跳ねてしまいました(笑)。佐野さんも「ここからは渡辺シュンスケ・アンド・ザ・コヨーテ・バンド!」なんて粋なこと言います。

ライブはアンコール含めての2時間弱。えっ、そんだけしか時間経ってないの?っていうぐらいあっという間の濃密なライブでした。セトリもアップ・テンポのものが多く、やはりビートに重きを置いたライブという主旨が如何なく発揮されていました。力強く深く道を抉る感じ。今の佐野元春はこれなんだよ、という宣言。Coyote Band のアイデンティティーはこれなんだよ、という宣言。どうしても年齢層は高くなるけど、これはやっぱり若い人に聴いてもらいたいな思いました。現実的に年齢層の高いお客さんのパワーも落ちてきたような気もするしね(笑)。

でも実際、もし佐野元春の曲をひとつも知らなくても十分楽しめるライブだと思います。今の若い子はフェスなんかでそういう場合の楽しみ方もよーく分かってるだろうし、なんつっても Coyote Band の作り出すサウンドは普通に格好いい!勿論、手練れのメンバーだし技量的に優れているのだけど大事なのはそういことではなく、同時代性を伴って如何にビートを鳴らせるかに掛かっている訳で、そういう意味では佐野元春 and The Coyote Band の’禅ビート’はまさしく今を強くキックするバンドだと思います。

ライブとは何なのか。こうやってひとつところに集まって直に音楽を聴く、体感することはどういう意味を持つのか。この日の佐野さんは何度も「楽しんでいこう!」、「ダンスしよう!」と言った。会場には少ないながらも10代、20代の連中がいた。佐野元春は言う。「僕たちと皆の見ている景色は違うかもしれないけれど、明るい未来は願う気持ちは一緒だ」と。ただ楽しむもよし、踊るもよし。自分の胸を打つものは何なのか?それは何故なのか?と咀嚼し考えるもよし。それぞれの人生と照らし合わせ、思い思いにライブを過ごす。そういう自由でポジティブなムードをもたらすものはやはり現代の荒地を往く Coyote Band のビートがあるからなのだと思いました。

それにしても佐野さんが一番楽しそう(笑)。ところどころで顔を出すユーモアも抜群だし、佐野さん、キャラ変わってきたな(笑)。「僕たちはこれからも前進します」と言ってたし、結成して10年以上経ちますが、佐野元春 & The Coyote Band の旅はまだまだ続きそう。皆さん、今の佐野元春は凄いですよ!

セットリスト:
1. 境界線
2. 君が気高い孤独なら
3. ポーラスタア
4. 私の太陽
5. 紅い月
6. いつかの君
7. 世界は慈悲を待っている
8. La Vita e Vella
9. 空港待合室
10. 新しい雨
11. 純恋
12. ライナス&ルーシー(インスト)
13. 禅ビート
14. 優しい闇
15. 新しい航海
16. レインガール
17. インディビジュアリスト
(アンコール)
18. ヤァ!ソウルボーイ
19. 水上バスに乗って
20. アンジェリーナ

My Mind Makes Noises/Pale Waves 感想レビュー

洋楽レビュー:

『My Mind Makes Noises』(2018)Pale Waves
(マイ・マインド・メイクス・ノイジーズ/ペール・ウェーヴス)

 

若さとは過剰であること。誰かが言っていたけど、ここにあるのは過剰さそのもの。しかしペール・ウェーヴスはそんなことお構いなしだ。まるでその過剰さこそが現実を凌駕するとでも言うように。そうだ、若さはいつも正しいのだ。

ヘザー・バロン・グレイシーによる歌詞は自身の恋愛体験を綴ったもので、それはまぁよくある話。そんなもの放っぽっておけばいい。しかしあまりに無垢で鋭利な言葉は聴き手に無視することを許さない。こちらの感情にまで真っ直ぐに踏み込んでくる言葉の力は通り一遍の‘私の恋愛物語’ではないから。そこには反逆やここではない何処かを希求する強烈な意志の力が蠢いている。これは彼女たちによる存在証明なのだ。

その存在証明こそが剥き出しの感情であり、過剰にポップなメロディであり、過剰に耳馴染みの良いサウンドであり、幾たびも登場する‘kiss’という言葉なのだ。正直言って、余りに自己主張の激しいポップ・ソングは互いに協調し合うことなんかなく、それぞれが好きな方を向いて勝手し放題。曲順なんてしっちゃかめっちゃかだ。けれどこれでいいんだと思う。多くの人が過剰さを抑えて、クールに決めようとする時代にあって、彼女たちはひたすら懸命に手を挙げているのだから。

今後、彼女たちはキャリアを重ねる中で、新たなスキルを身に付け、より多くの表現方法を獲得していくだろう。けれど、歪で不器用だけど強烈な正しさを秘めたこのアルバムの無防備なエネルギーを超えることはない。何故なら、このアルバムはどうあっても吐き出してしまわざるを得ない初期衝動によって生まれたアルバムなのだから。

 

1. Eighteen
2. There’s a Honey
3. Noises
4. Came In Close
5. Loveless Girl
6. Drive
7. When Did I Lose It All
8. She
9. One More Time
10. Television Romance
11. Red
12. Kiss
13. Black
14. Karl (I Wonder What It’s Like to Die)

Eテレ 日曜美術館「巨大な絵画にこめたもの~画家・遠藤彰子の世界~」 感想

TV Program:

Eテレ 日曜美術館「巨大な絵画にこめたもの~画家・遠藤彰子の世界~」 2018.10.14放送 感想

 

今回の日美、すっごく良かったです。番組は道路にチョークで絵を描く女の子の映像で始まります(←そういや昔はこんな光景がたくさんあったよなぁ)。イメージがどんどん溢れて絵が止まりません。マンホールは太陽になり、キャンパスは道の有る限り。描けば描くほどイメージは広がって手が止まらない。きっとお母さんに「お昼ご飯ですよ~」って言われても止まらないだろう。

子供の頃に絵を描くのが好きだった人なら誰しも、そんな記憶があるかもしれない。確か僕にも似たような経験、あったっけな(笑)。72才の画家、遠藤彰子さんの根本は今もそういうところにあるのかもしれない、そんなイメージを抱かせる象徴的な冒頭のシーンは見事でした。さすが日美やね!

遠藤さんはもう何年も前から500号(約3メートル×約2メートル)という大きな絵を描き続けています。ヨーロッパから取り寄せた大きな脚立に乗って。何故こんなに大きな絵を描くのか?それは「自由になれるから」、「重力をコントロール出来るから」。窮屈なことは全て取っ払って、自由に好きなだけ想いを巡らせたい。そういうことでしょうか。

勿論、遠藤さんは本当の子供みたいに何もない所からスタートするんじゃなく、500号のキャンパスに向かう前に100枚以上の下書きをする。その上で、準備を万端整えた上で、後は絵の中に入って自由に遊ぶ。キャンパスはどこまでも。まるで家の前でアスファルトにしゃがんでは、次々と浮かぶイメージにチョークを振るわせていくかのように。

今回の放送では遠藤さんが炭で下書きを始めるところから、彩色し完成するまでの約半年間の創作風景を追ってゆきます。これはよかったですね。画家がどのように筆を進めていくのかが垣間見えてとても興味深かったです。それにしても遠藤さん若々しい!大きな脚立を移動させながら、変な姿勢になりながら、軽やかな身のこなし!70を幾つか過ぎた年齢は私の母とそんなに変わらないんだけどな(笑)。やっぱり時空を巡るアーティストは時間の流れが常人とは異なるのかもしれないですね。

絵が完成した時、遠藤さんは何故か分からないけど、いつも悲しくなるそうです。司会の小野正嗣さんは「それは絵が手を離れるからですか?」と訊ねますが、それはどうやら違うらしい。何故だか分からないけど、悲しくなるのだと。ただそれを思いつめようとはせず、なんででしょうねって受け流していく遠遠さんの自然な表情が素敵でした。

この時描き終えた絵と昨年描いた絵は対になっていて(←この点も観ていてゾワッとした)、どちらにも少女が描かれている。それは遠藤さんの内面を表したものではないかという解説があったけど、それが実のところ本当かどうかは別にして、やはり少女性というのは遠藤さんとは切り離せないキーワードで、絵が完成した時に悲しくなるのはなんででしょうねって、さらーっと流せてしまうところなんかも正にそんなところから来るのかなと。なんか自然体で頭の中のスポンジがまだふわふわの人だなって、そんな印象を受けました。

Baby Cry For Me/Date Of Birth 感想レビュー

邦楽レビュー:

Baby Cry For Me(1991)Date Of Birth
(ベイビー・クライ・フォー・ミー/デイト・オブ・バース)

 

デイト・オブ・バースをご存じでしょうか?バブル全盛期の1992年、フジテレビのドラマ主題歌というこりゃヒットするに決まってるや~んていう絶好のポール・ポジションに抜擢されながらも、気持ちいいぐらい見事にヒットしなかった、まるでフォーメーション・ラップ中にリタイアしてしまったアラン・プロストのような伝説のバンド。当時、全編英語詞、しかもバブリーさの欠片もない地味な曲を聴いて、折角のチャンスやのになんでやね~んとツッコミを入れた方も大勢いらっしゃるかと思いますが、以前からこのバンドをイチオシしていた私も全くその通り。しかも曲名が「You Are My Secret」っていうホントに秘密にしたいぐらいのオチまで付いて、私も後にも先にもあれぐらいびっくりしたことは御座いません。

てことで実は私、ドラマ主題歌に抜擢される前からこのバンドを知っていまして、きっかけはこちらもかの伝説のテレビ番組「ミュージック・トマト・ジャパン」。関西地方ではサンテレビでやっていて、たまに私も観ていたのですが、そこに颯爽と登場したのがデイト・オブ・バースの「ベイビー・クライ・フォー・ミー」(1991年)という曲なのです。

まぁ騙されたと思って聴いてみてください。この一瞬でロッキン・ボーイズの心を鷲掴みするイントロ。タンッ!タンッ!タンッ!タンッ!っていうドラムがこれから楽しいポップ・チューンが始まるぞっていう予感に溢れて最高でしょ。続いていい具合にリバーブな(←憂いがかったという意味です)ギター・リフ。そして始まるボーカルがいきなり「ビジュアルよりマイ~ン♪」ですよあーた。これがまたノリコさんっていうボーカリストで綺麗なお姉さんで、こんな素敵なお姉さんに「ビジュアルよりマイ~ン♪」(←正確には「ビジュアルよりマインド」)なんて歌われた日にゃ、どこぞの田舎のロッキン・ボーイズはそりゃやられるやろっ!

この曲、前述のドラマ主題歌と同じバンドとは思えないぐらいのご機嫌なポップ・チューンで、とにかくドラムが終始跳ねてるんすよ。当時ポップ・ソングにはホーンが絡んでくるっていうの一つの定型だったんですけど、この曲も途中からラッパ隊が入ってきて、ウキウキ感に拍車をかけるんですね。そうそう、懐かしのスイング・アウト・シスターズの「ブレイク・アウト」なんかを思い出してもらうといいかもです。まさしくあんな感じですね。

今回私も何を思ったか急に思い出して、ネット検索して聴いたんですけど、久しぶりに聴くとやっぱ簡潔で歯切れよくってホントいいんですよね~。シンプルだけど、この人達は音楽的な素養がふんだんにあったんだろうなって。今になってギターがすんげー格好いいフレーズ弾いてるのに気付いたり、それとやっぱりドラムの乾いた感じ。こんな小気味いい音、なかなかお目にかかれませんぜ!

で繰り返すようですけど、非常にシンプル。それでいて伝わるものはいっぱいあって、これこそ正に優れたポップ・ソングの王道。なんてったってサビは「ベイビー・クライ・フォー・ミー♪」のひと言だけなんですから。そうやね、竹を割ったようなスパッとした歌詞も心地いいっス。思わず、あ~この曲がドラマ主題歌になってたらヒットしてたのにな~なんて野暮な事を思ったりもしますが、それはそれ。バブル全盛にあっても全く浮かれなかった大人なバンド、今思えば大したもんです。

ところでこの曲入ったアルバム、昔々どっかの中古店に売っちゃたんだよな~。なんてことしたんだ昔のオレ。皆さんも聴かなくなったからといって、すぐ売らないように(笑)。

※Youtubeにあったので貼り付けていましたが、削除されているようで。
 また見つけたら貼っておきます。

 

プーシキン美術館展 感想

アート・シーン:

プーシキン美術館展ー旅するフランス風景画 in 国立国際美術館

 

前々から行きたいと思っていたプーシキン美術館展。ようやく足を運ぶことが出来ました。僕が行ったのは展覧会が終わる最後の週。平日、10時のオープン前に行ったのですが、駆け込みなのかエライ行列。こりゃ参ったなと思いつつ、けれど中に入ると思ったより広くって十分ゆっくりと観ることが出来ました。

展覧会は全6章からなり、17世紀から18世紀の宗教画の背景に書き込まれた後景を風景画の源流と考え、そこから風景画としての始まり、自然へ接近、パリの様子、そして20世紀に至る新しい風景画までを年代順に追って観てゆきます。

第1章は宗教画や神話のおまけみたいな感じだから、風景画として目を見張るという程のこともないかな。本展覧会の醍醐味は風景画をメインとして描かれ始めた第2章からになります。僕個人としても、宗教画の背景はやはり写実的というかそれっぽく描かれているのだけど、やはりそれは風景画の前段階。それよりも作家のフィルターを通して本格的に描かれ始めた第2章からの風景画は作家それぞれの個性というフィルターを通している分、個性的で決して写実的ではないんだけど、だからこそのリアリティーがある。それに景色そのものは21世紀の日本にいる僕には馴染みのないものだけど、それでもやっぱり例えば、冬の朝ってこういう景色だなぁとか、そうそう薄暗くなり始めた夕方はこんな感じだよなぁとか。そう思わせるのは多分ノスタルジーというか僕の中にある景色が喚起されるからで、なるほど音楽と一緒でよい絵画にもノスタルジーは宿るんだなと、そんな風に思いました。

この展覧会には著名な画家の絵も沢山あって、僕はこの日初めてルノワールの絵を直に観ました。で、初めて直に観て思ったこと。例のごとくルノワールってホワ~ンとしたタッチなんだけど、不思議と描かれている人と人との関係がハッキリ見えてしまう。向かい合っている人同士の愛情の加減まで見えてくるというか、つまりは写実というのは実は心象であるということなんでしょうか。加えてルノワールの絵は観る側が補完する部分かかなりあって、そういう意味でも余力があるというか、スケールの大きい絵だなぁと思いました。

あとルノワールの後ぐらいに展示されていた、ピエール・カリエ・ベルリーズって人の「パリのビガール広場」も個人的には好きだな。斜め上からの俯瞰で描かれた絵なんだけど、画家のクセに遠近感や斜めの具合がちょっとビミョーで、多分そんな上手くないんだろうなって感じがして、でもなんか愛嬌があって良かったです。

個人的な好みで言うと、今回、アルベール・マルケっていう人の絵が好きになりました。穏やかで優しい絵。明確な輪郭があっても主張しない所がいいんだけど、今回展示されていた絵は2枚とも彼が住んでいたアパートの窓から描いた景色らしく、そういう彼の視点が少しだけ感じられる所もまたちょうどよいバランスで。きっと描いていた時は作家自身の心も落ち着いていたんだろうなって気がしました。

続いて第4章はパリ近郊、著名な画家の絵が沢山出てきます。その初っぱながモネの「草上の昼食」。あれっ?モネって意外とザクッザクッて描く人なんだ。この絵は試行錯誤を繰り返し、完成までに年月を要したらしいけど、なるほど確かに統一感はないな(笑)。それに風景画っていうより人物がグワッと前に出ていて、風景に溶け込んでいない。でも全体として観ると構図は抜群で力強い。後の解説文を読んで納得しました。この絵はモネ、26才の時の絵なんだそうな。どおりでキャンバスからはみ出すような情熱がほとばしってます。

でその後に僕らがよーく知っているモネの絵が出てくる。あー、もう「草上の昼食」とは全然違う。全然ハッキリ描いてない。なのにちゃんと人とか花とか全部分かる。それに今回も思った。モネは自然という継続していく生命を描きたかったじゃないかなって。やっぱモネは時間を描きたかったんじゃないかな。

第4章には他にもセザンヌがあって、あー、やっぱセザンヌは自己主張激しいなとか(笑)、ピカソがあって、あー、やっぱピカソはこういう風に見えてしまうからしょーがねぇなぁとか(笑)、あとマティスやゴーガンもあって結構な密度です。

続いて第5章、第6章と風景画が益々充実してくるこの辺も最高に楽しい。なんか全然その通り描いてないんだけど、返ってリアリティーがあるというか、画家それぞれの表現の仕方というか見え方が個性的でとても愉快だ。中でも僕が断トツに気に入ったのはアンドレ・ドランの「港に並ぶヨット」。ヨットハーバーの風景でオレンジとかあって割りと暖色な派手な絵なんだけど、印象としては全然派手じゃなくて、そこに差し込む海の白色とヨットの帆の白色がまたいいバランスで、構図も距離感も抜群だなぁと。これはずっと観ていられるなって、そんな絵です。

そうそう、やっぱ気に入った絵って持って帰りたい(笑)。家に飾って眺めていたい。眺めれば眺める程色んな発見があるのを知っているから、持って帰りたい(笑)。なんかホントに買ってしまう大金持ちの気持ちが分からんでもないなって思いましたが、でもやっぱそれって悪趣味だよな(笑)。

で最後に待ってました。今回の僕の最大のお目当て。アンリ・ルソーの「馬を襲うジャガー」です。なんか接近して行ったら思わず笑ってしまいました。やっぱ凄い愛嬌あるこの絵。やっぱ巷で言われる通り、技量的に優れている訳ではないんだけど、不思議な魅力があって、ルソー自身もこれが描けた時には、描けたぞーっとか、オレは描いたぞーっていう達成感がきっとあったんじゃねぇかっていう。実物を観て、それぐらいこれ以上もない絵だと思いました。

でこの絵は真ん中に白馬とその首に巻き付くジャガーが据えられているんだけど、この白馬がどう観てもど真ん中で、例えば横からスーッと観ていって正面に来たらそこに白馬がビシッと来る。でまた動くと中心から外れる。でまたふらふら~っと観て白馬の正面に来るとビシッと来る。ホントに音が聴こえるぐらいビシッと来る(笑)。これがだからどうなんだという訳でもないんだけど、なんか楽しくって嬉しくって僕は何回も行ったり来たりしてニヤニヤしていました(笑)。

今回、この大阪は中之島にある国立国際美術館に初めて行ったんだけど、地下のわりに意外と広くて、結構な人出だったにもかかわらず、最後までストレスなく観ることが出来ました。流石、国立やね。それにここらはビジネス街でもあるから、昼時には安くて美味しそうな飲食店が沢山並んでいて、そういう意味でも楽しいです。また来るときには、その辺もちゃんと調べてから来ようかな(笑)。