言葉のない夜に / 優河 感想レビュー

邦楽レビュー:
 
『言葉のない夜に」(2022年)優河
 
 
いわゆるUSインディー・フォークと呼ばれる系譜にあたるのだろか。優河の音楽は今回初めて聴いたのですが、冒頭の数十秒で確信しました。あ、これオレの好きなやつや。
 
USインディー・フォークというとフリート・フォクシーズとかビッグ・シーフの名前が浮かびますけど、1曲目の『やらわかな夜』を聴いた感想はマイロ・グリーンですね。あんまりメジャーな存在じゃないですけどコーラス感とかピアノの入り方が彼らの1stアルバムに近いような感触がありました。
 
続く『WATER』はこのアルバムの特徴である優河自身による多重コーラスが独特の浮遊感を出しています。時折聴こえるエレピかな、シンセかもしれないですけどズレたような相打ち音がとても心地よいです。描かれる景色に一気に引きずり込まれる感じですね。
 
3曲目『fifteen』、なんでフィフティーンっていうタイトルか分かりませんけど、聞いた瞬間ノラ・ジョーンズだ、って思いました。あのくすんだ声、スモーキーなんて言われますけど英語で歌うと同じなんじゃないかと思うほどそっくりな声です。この曲はギターがいいですね。すごく印象的に鳴っていてこの曲に関してはロック色が強く出ています。もう1回言います。ギターがすごくカッコイイ。
 
続く『夏の庭』も独特の浮遊感が漂っています。タイトル通り、夏ですよね。そこで描かれる景色も少しけぶっているでしょうか。2分ちょいの短い曲ですけど、メロディもバンドも声も完璧に近いですね。素晴らしいです。優河はあるインタビューで、悲しみを帯びた曲だと言葉や演奏がすでに悲しいのだから、ボーカルまで悲しくなってしまうと情緒過多になる、と語っています。そういう意味でこの曲なんかはそこでバランスを取る彼女のボーカルの妙がすごく出ているような気がします。
 
5曲目『loose』も『fifiteen』と同じくロック色の強い曲です。この曲はドラムが印象的な活躍をしますね。あとこのアルバムで欠かせないのが電子ピアノです。僕も大好きなフェンダーローズやウーリッツァーが沢山使われています。この曲ではメインがローズでそこに印象的なピアノのフレーズが入ってくる。ホント、素晴らしい演奏でうっとりします。
 
アルバムで演奏しているのは魔法バンドの面々です。元々、優河の前のアルバム『魔法』に参加していたミュージシャンがそのままバンドという形をとって、以来、ライブやレコーディングを共に行っているとのことです。折坂悠太の重奏とかカネコアヤノバンドみたいな感じですかね。自然発生的に生まれたバンド、故の説得力があります。
 
6曲目の『ゆらぎ』。アルバムの中で一番強い光を放っているのはこの曲でしょうか。先ほど述べたボーカルの曲へのアプローチがこれまた凄いですね。バンドメンバーもほれ込む優河の声、確かにある一定の声音というのはあるのですが、アルバムを聴いていると、彼女は曲によって歌い分けているのが見て取れます。声の質感が曲ごとに違う。この曲では声で曲をリードしていくというか、声が前に来ていますね。特に最後のコーラス、「愛が・・・」とリフレインしつ最後へ向かい着地する部分は多重コーラスも相まって声の力が凄い。このアルバムのハイライトのひとつですね。
 
コーラスの美しさだと次の『sumire』でしょうか。曲調は全然違いますけど、通底するところは『夏の窓』に近い曲のような気もします。こっちはもう少し明るいイメージかな。僕はこのアルバムで初めて優河を聴いたのですが、前作までコーラスはしてこなかったそうです。どんな感じだったのか気になるのでこれから聴こうとは思っていますが、とにかくコーラスは今回から始めたと。で、やってて面白かったからデモでは全曲コーラスを付けてるそうです。となればそれも聴いてみたい気がしますね。
 
『灯火』はドラマの主題歌になりました。ということでドラマサイドから要望があったのかなと思わせる他の曲とは異なるトーンがありますね。一言で言うと派手(笑)。なんてったってサビで始まりますから。ただ違和感があるかといえばそうでもない。この辺は魔法バンドの流石の存在感といったところでしょうか。でもこういう曲がポンと入ることで全体としてのスケールの大きさに繋がっていると思います。
 
で、『灯火』で一旦しめて、最後の『28』は夜明けを迎えるような作りになっています。もう完全に太陽が出てきていますね(笑)。こういう明るいトーンで終わるところに彼女たちの意思が表れているような気がします。28というのはどういう意味だろうか?1周回って明け方の4時ということでしょうか。4時だとまだ暗いか(笑)。
 
アルバム・タイトルにあるように言葉がキーワードになります。言葉というのは実態があるようでない、言わば借りものの器です。人々の間にはなにがしかの共通の意思疎通アイテムが無いとコミュニケーションは図れませんから、我々は仮に嬉しいとか悲しいとか丸いとか赤いとかを名付けているんですね。でも正確に言うと、例えばあなたが今朝食べた食パンは昨日のそれとは違う。食パンもあなたの体も1日分変化している。大げさに言うと、今朝のあなたの食パンを食べるという行為は人類史上初めての経験なわけです。であればそれに的確に当てはまる言葉はこの世にもまだ存在していないということになります。でもそこになんとかして既存の言葉、我々で言うと日本語を使って言い表そうとする、というのが詩人の仕事なのかなと思っています。
 
つまり、というような理由で優河は言葉というものを当てにしていない。けれど逆に言えば言葉を非常に大切に思っているとも言えます。このアルバムの抽象的な歌詞は慣れていない人からすると難解に聴こえるかもしれない。そんなもってまわった言い方をしないで、例えば悲しいなら悲しいって言えばいいじゃないかって。ただ、みんなが即座に理解しうる言葉、インスタントな表現で即座に理解してもらえたとて、そこに何の意味があるだろうか。であればわざわざ歌う必要はないのではないか。つまり言葉で表現することに対して、優河は出来るだけ誠実であろうとしている、ということなんだと思います。
 
夜というのは人々が思いふける時間帯ですよね。時には眠れない夜を過ごしたりもする。そこには簡単に言葉をあてはめられないものです。けれど我々は言葉を探そうとする。そう考えると『言葉のない夜に』というタイトルもなかなか深いものがありますね。

サヨナラ

ポエトリー:

「サヨナラ」

見違えたよ
その喋り方
見違えたよ
その微かに目にかかって前髪
急にどうしたんだいという声に備える君の
億劫な瞳

いつでもどこでも
見ず知らずの人に喋りかけられるようにいたい
そんなことを仲良しの友達にも言う君に
僕たちは悪気がないようクスクス笑った

そんな日の明け方、
僕たちの靴下にはよじれたような染みがあって
けどそれには目もくれずおしまいの証、
サヨナラと
手を振りあったりしたんだよな

 

2022年3月

OOPARTS / 羊文学 感想レビュー

邦楽レビュー:

『our hope』(2022年) 羊文学

 

聴いて一番に思うことは塩塚モエカの声が力強くなったということ。いや、力強くなったというだけじゃないな。彼女はきっと語り部になったのだと思う。物語があって、そこに自分自身の喜怒哀楽は立ち入らせない。表現者としてまた一歩、前へ進んだのだと思う。

ではあるけれど、音楽というのはボーカルだけじゃない。彼女が歌わなくてもバンドが表現してくれることがある。その取捨選択が見事だなと思う。つまりバンドとしてもまた一つ、ステージが上がったということ。サブスク時代にあって歌以外の部分は飛ばされることが多いけど、こと羊文学の音楽の聴き手に関してはそんなことしないかもしれない。

リズム隊であったり、コーラスであったり。ボーカルであったり、ギターであったり、3ピースではあるけれどこれだけ音がまとまってガッと届いてくるバンドはそうはいない。いくら塩塚モエカの才能が素晴らしくとも彼女一人ではここまでの音楽にはならなかった。突出した塩塚モエカのバンドではなく、どこからどう見ても羊文学というバンドでしかないというのが清々しい。

その清々しさはやはり3人の曲に向かうアプローチから来るのだと思う。よい意味で淡々としているというか、勿論実際はそんなことはないのだろうけど、入れ込まなさ、というのが背後にあるのではないかと。メロディーありき言葉ありき曲ありき。そこにどうアプローチしていくかしかなくて、ああしてやろうとかこうしてやろうといった気負いがない。それは恐らく前作やコロナ禍であってもライブを続けてきたことの成果であり、曲に向かっていればよいのだという自信の表れなのかもしれない。#7『くだらない』での深刻でありながらも淡々とした疾走感と、だからこそのやるせなさはそれを端的に表している。

オープニングの『hopi』は暗い夜更けを朝へ向かってゆっくりと進む船になぞらえた曲。その後、何気ない日常を描いた#6『ラッキー』から宇宙規模の#10『OOPARTS』(この曲はイントロがThe1975を思わせるね)まで、様々な世界をめぐりつつ、けれど最後の#12『予感』では結局「おやすみ」としか言えないというのがたまらない。

OTODAMA’22~音泉魂~ 2022年5月5日 感想

ライブ・レビュー:
 
OTODAMA’22~音泉魂~ 2022年5月5日 感想
 
 
5月5日、7日、8日に大阪は泉大津フェニックスで開催される音楽フェス、音魂’22の初日に行ってきた。他の音楽フェス同様2年ぶりの開催だそうだが、僕が参加するのは今年が初めて。やってるのは知っていたし、なかなか素敵な出演者が揃っているなという印象もあったので、近場だし、なんなら自転車でもいけるのでそのうちにと思っていたが、今回はグレイプバインにくるり、そしてなにより羊文学が来るということで、これは行かねばと再開一発目の5/5(木)初日のチケットを購入した。
 
ステージは2か所で交互の演奏になる。演奏が終わると割とすぐにもう一つの場所で演奏が始まるので、続けて次のステージを前の方で観ようと思っても間に合わない。でもどこにいても演奏はしっかり聴こえるので特に問題はない。このどこにいてもすべての演奏を聴く事が出来るというのはこのフェスの利点やね。あと中央にシートエリアがあって、地べたに座るところとイスを置いて座るところが別々に区切られているのがよいです。もちろん飲食OKなので、皆ゴザを敷いてゆったりと鑑賞している。アルコールOKでしたけど、バカ騒ぎをしている人は皆無でとてもマナーのよい環境でした。
 
僕の一番のお目当ては羊文学。新しいアルバム『OOPARTS』も素晴らしかったもんね。久しぶりのフェスということで観る方もちょっと緊張していたと思うけど、華やかで茶目っ気たっぷりの羊文学がそれを吹き飛ばしてくれました。こういうキャラの人だったんだと(笑)。そんなことを知れるのもフェスのいいところです。
 
もちろん演奏も素晴らしかったです。とても3ピースとは思えない分厚いサウンドで、いわゆるシューゲイザーですけどギターの響きがとても心地よかったです。途中で気付いたんですけどベーシストはギターを弾いてましたね。ベースはコンピュータか袖で誰か弾いてたのかな。3ピースなのでその辺は臨機応変にということでしょうか。ボーカルも力強く安定していて、見た目は華奢ですけど、芯のある鍛えられた声ですね。新しいアルバムでも声が力強くなったなぁという印象を受けたのですが、生で聴いてそれを確認することが出来ました。険しい顔して結構ロックな歌い方が格好いいんですが、MCになるとほのぼのとしたキャラになるギャップ萌えも〇。
 
あと新しいアルバムが出たばっかりでそのことにも触れていたんですけど、そこからは1曲しかしないっていうのが計算なのか天然なのか(笑)。とにかく期待に違わぬ、というかそれ以上でますます好きになりました。
 
ただこの日、僕がガッツリ聴いた中で最高だったのはグレイプバインでした。もうめちゃくちゃかっこよかったです。特に昨年のアルバム『新しい果実』からの3曲が最高でしたけど、中でも『阿』は圧巻でしたね。田中和将の咆哮が辺りの空気を切り裂いていました。アルバムも良かったですけど、ライブだと尚のこと素晴らしかった。やっぱりこの人たちはライブの人なんですね。「今日みたいな天気に合わせて」と言って、随分と昔の『風待ち』も演奏してくれました。当時は僕もまだ20代でしたけど大好きな曲だったのでとても嬉しかったです。そうそう、ライブ中は喋らないという評判でしたけど、結構気さくに喋ってましたよ。関西人らしくもっちゃりと(笑)。
 
ところでライブ前のチューニング、本人たちがやってました。あまりに普通にごちょごちょやってたから、観客の方も歓声あげるタイミング逃したみたいな感じになっていました。え、あれ、本人ちゃうんって(笑)。
 
そしてグレイプバインの次がくるり。なんで立て続けやねん!前で観られへんやんか!と思っていたのは僕だけではなかったと思いますが、これは正解でしたね。あのグレイプバインのすぐあとは並みのバンドじゃキツイです(笑)。でゾロゾロとくるりのステージへ向かったのですが、こんなに人おったっけ?というぐらいの大観衆でした。流石くるり、すごい人気やね。
 
『上海蟹~』や『ばらの花』といった有名曲で始まり、田中和将より更にもっちゃりとした岸田繁の関西弁を挟みつつ、『すけべな女の子』で勢いつけてって感じでしたけど、最新アルバムの『天才の愛』からはひとつも演奏しなかったのが残念だったかな。くるりのハイライトは最後に演奏した『街』。僕は初めて聴きましたが調べてみると2000年の曲なんですね。『青すぎるそらを飛び交うミサイル』という歌詞があったり、最後に世界の都市名を連呼したりというところで、思うところがあってこの曲を選んだのだと思います。全身全霊を込めて歌う岸田繫の姿に心を打たれた人も多かったはず。僕もその一人でした。
 
5月初旬にしては暑かったですけど、夏に向けてよい肩慣らしとなりました。屋台はそんなに期待してなかったんですけど、結構充実してましたよ。すごい行列でしたけど(笑)。今度来るときは家から食べ物もって行ってもいいかもですね、真夏じゃないから痛まないし。あと会場全体が芝生ってのがいいですね。足にやさしい(笑)。暑さも軽減されるんじゃないでしょうか。こんな近場でこんなに素晴らしいフェスがあるなんて滅多にあることじゃないので、これからは毎年チェックしようかなと思っています。

朝の光

ポエトリー:

『朝の光』

 

緩やかな髪のウェーブに光がさして
それは朝の光だから見ることをやめない
ずぶ濡れの夕べの記憶は
バタートーストと共に
喉の奥に流れた
はず

今朝みたいにたっぷりと時間がある日は
コーンスープをしっかりと
飲み干すだけの余裕が私にはある
これも、はず

朝からつまらない冗談を言う父親の
気の抜けた声にはまるで覚悟がない
これが我が家のトップランナー
けれど贅沢は敵
私はある程度の相槌が打てる子だ

たかが一年ばかり早く生まれただけで先輩面するアイツにも教えてやらねば今朝のスローガン
贅沢は敵

小学校の時に覚えさせられた寿限無が頭を離れない
水行末ならぬ水餃子
コーンスープと合わないことは知っている
それはとても大事なこと

緩やかな髪のウェーブに光がさして
けれどまだ勝ち名乗りはするなよ
今日はまだ始まったばかりだということを忘れるなよ

 

2019年5月

Love All Serve All / 藤井風 感想レビュー

邦楽レビュー:
 

『Love All Serve All』(2022年) 藤井風

 

日産スタジアムでの無観客一人ライブがあったり、紅白歌合戦で特集を組まれたりと大飛躍の2021年となったわけだが、ここでアルバムとしても売れて、よい評価も得て、いよいよ邦楽シーンの顔になろうかという、言わば勝負のタイミングでリリースされた本作。

とにかく曲が抜群にいいです。複雑なメロディーだけどスムーズに進行して、印象的なサビで一気に持っていくっていう、最高にキャッチーなポップ・ソングです。あちこちで韻を踏む言葉選びの巧みさとかもそうですけど、この辺は考えて出来ることではないと思うので、初期衝動のなせる業というか、今は凄くいい状態で曲が出来ているのかなぁと想像します。キラー・フレーズも満載だし、一度聴いたら頭から離れないですね。
 
ただ、それでいいのか藤井風、というのが実はありまして、最初から最後までいい曲ばかりだし、聴いてて心地よいし、非常によくできたポップ・ソング集だとは思うのですが、そこからの広がりですよね。なんかこう期待してたのとちょっと違うなぁと。もっと個性的なのがグワッと来るのかなと思ってたんですけど、普通にええアルバムやんていう。
 
ピアノの前に座って、一人で歌ってるときは個性の塊でめちゃくちゃ格好いいんですけどあの他とは一線を画する突き抜けた個性がアルバムになるとなんか薄っすらしてるなぁと。そこは多分アレンジなんだと思うんですが、その90年代ぽい、久保田利伸っぽいアレンジがあまり魅力的なものになっていないような気はします。曲はいいしボーカルはいいし、そこにビタッとはまるサウンドがあれば最高なんだけどなぁと思ってるのは私だけでしょうか。既視感のあるシンセのフレーズはなんだかなぁ。。。
 
ただアレンジに関しては、最近は宇多田ヒカルの『BADモード』でも編曲に加わっていたA.G.クックと一緒になんか始めたみたいなので、フットワーク軽く今回はこれ、次はこれっていう風に決めつけはせずコロコロ変えていくタイプなのかもしれません。それはそれで面白いとは思いますが、今回のアルバムに関しては決め手に欠ける気がしました。
 
アルバムは凄く売れて、多分これから先もしばらくは売れ続けるとは思いますけど、万人に好かれるポップ・ソングを作る人ではなく、好きなことをめちゃくちゃやって、僕ら凡人の理解を超えていく作品を残してほしいなとは思います。藤井風っていいよねじゃなく、なんか分からんけど、すげぇっていう。やっぱ彼にはそっちを期待してしまいますね。いいアルバムだとは思うんですけど、あの圧倒的な存在感とかいい意味での異物感が薄まっちゃったかなぁというのが正直な感想です。

NIA / 中村佳穂 感想レビュー

邦楽レビュー:
 
『NIA』(2022年)中村佳穂
 
 
映画『竜とそばかすの姫』の主演に抜擢され、紅白歌合戦にまで出場した2021年。言わば勝負のタイミングでリリースされた『NIA』アルバム。一言で言うと、テンションたけぇ!初っ端からイケイケで現在の彼女の状態の良さ、クリエイティビティの高まりを存分に感じることが出来ます。が、ちょっとハイパー過ぎるかなという気はします。こっちがそのテンションに付いていけない(笑)。
 
その象徴がオープニングの#1『KAPO』で、いきなり「Hi My name is KAHO !」で始まります。つまりここでこのアルバムは中村佳穂本人にかなり近い形で進んでいくのだなと聴き手は了解します。これ実は凄い事だと思います。海外の音楽を聴いていると割と歌い手がそのまま歌詞に登場するってのがあるんですけど、日本でここまで宣言するのって聞いたことないです。
 
邦楽の場合はそこまで宣言しなくても、歌い手=歌の主体、なのかなと思わせる人が多いですけど、多分それは無自覚なんだと思います(笑)。自覚的なミュージシャンは恐らくそこは距離を取っている。作家は自身の喜怒哀楽を表現するのではなく、ストーリー・テラーなんだという自覚ですね。だからこそ聞き手は各々の物語として受け止めることが出来るのです。
 
中村佳穂はどうか。無自覚なわけないですよね(笑)。恐らく彼女は敢えて「Hi My name is KAHO !」と宣言している。それは何故か?彼女は多分今はそうしていかないとダメなんだという現実認識があるのだと思います。コロナで思うような活動が出来なかった特に若い人たち。彼彼女らをなんとかチア・アップしたい。誰かの物語として訴えるのではなく、直接私が皆の手を取って、さぁ行こうよって伝えたい。そんな心意気が「Hi My name is KAHO !」に繋がっているのだと私は想像します。
 
歌い手である「私」が前に出過ぎることは危険です。それはどこから見ても「私」の歌でしかないから。けれど中村佳穂は敢えてそうした。これはチャレンジなんだと思います。それにあの素晴らしい『AINOU』(2018年)アルバム。皆はあれの第2弾を期待した。僕もそうでした。でも彼女はアーティストなんですね。同じことをしてもつまらない。彼女は自分の感性に従って、今は何をすべきかを選択した。それが『NIA』アルバムなんだと思います。
 
音楽的に言えば、もっと落ち着いたサウンドに出来たでしょうし、ストーリー・テリングに徹することも出来たと思います。でも彼女はそれよりも大きな熱量、ちょっとばかり強引でも、シンドイ気持ちを抱えている人、生きづらさを感じている人に彼女自身が直接タッチできるような、直接声をかけられるような、そんなアルバムを作りたかった。「Hi My name is KAHO !」の後は「そこにいるって合図をしてよ」という言葉へ続くんですね。つまりそういう意思の働きがこのアルバムには流れているということではないでしょうか。
 
ただやっぱり余計なお世話かもしれませんが、心配事はありまして、2021年のメディアへの登場は少しぶっ飛んだ人というか、アート系の浮世離れした人みたいなイメージもありましたから、この『NIA』アルバムのテンションはそこに拍車をかけたかもしれないなって。実際はここで僕がずっと書いてきたように、聴き手に寄り添った歌い手ではあるんだけど、パッと聴きして、あぁこの人は私たちとは違うんだみたいに誤解されたら嫌だなって、いちファンとしては思っちゃいますね(笑)。
 
あと最後に一つ付け加えておくと、中村佳穂の声は微妙にビブラートしているのが特徴で、僕は2年ぐらい前だかにたまたまラジオでDJが中村佳穂本人にそのことを質問をしているところを聞いたんですけど、彼女自身は言われて初めて気がついたみたいだったんですね。でその時はナチュラルでビブラートしているんだなという話になった。でそんなことはすっかり忘れて今回の『NIA』アルバムを聴いていたのですが、表題曲『NIA』を聴いた時に思い出したんです。つまりこのアルバムでは『NIA』だけが微妙にビブラートしている。これが何を意味しているのかはわかりません。意図的なのか自然とそうなったのか。ただこのアルバムを聴いていてようやく11曲目の『NIA』になって初めて中村佳穂の声が微妙にビブラートしているのが聴こえてくる。これは何故か分からないですけど、胸に迫るものがありました。

大人なのに子供の漫画が描ける人

その他雑感:
 
大人なのに子供の漫画が描ける人
 
 
僕は絵ばっかりかいていた子供で、絵と言っても漫画ですね、ほらクラスに一人はいませんでしたか?漫画のキャラクターをノートに描いて皆に見せてる子。あれです(笑)。
 
僕が小学校高学年の頃はそれこそジャンプ黄金時代で、ケンシロウやらキャプテン翼やらをよく描いていたんだけど、低学年の頃は藤子不二雄のキャラをよく描いていた。クラスには他にも同じように絵を描いている子がいたけど、僕は負けている気がしなくて内心少し得意になっていた。
 
ある日、大人びた(と言っても1、2年生だが)女の子が転校生としてやってきて、彼女もノートに絵を描いてきていた。皆が凄い凄いと言うので、気になって見に行ったら、そこにはとてもリアルな犬の絵がたくさん描いてあった。ませた彼女の雰囲気も相まって、漫画ばっかり描いてる自分が随分恥ずかしくなったのを覚えている。多分その記憶があったから、自分が小さい頃に何を描いていたのかを覚えているのだろう。
 
藤子不二雄Aはある時期から子供向けの漫画ばかり描いてることが嫌になってきたそうだ。そこでできたキャラクターが喪黒福造だと先日の訃報にあたってのニュースが伝えていた。物珍しいアニメだったので、僕も『笑ウせぇるすまん』を最初は興味深く観ていたけど、そのうち全く観なくなった。僕にはブラックユーモアは馴染まなかった。
 
藤子不二雄Aは満足していたかもしれないけど、大人なんだから『笑ウせぇるすまん』を描けることに驚きはしない。本人は嫌になったのかもしれないけど、大人のくせに子供向けの漫画ばかりを描けてしまうことの方が何倍も偉大だ。それにあのキャラクター。怪物くんとかハットリくんとかよくもまぁあんなの思いつく。
 
ドラえもんも怪物くんもハットリくんもみんな僕たちの友達だったなぜなら僕たちも間抜けでおっちょこちょいののび太でありヒロシでありケンイチ氏だったから。
 
R.I.P.

僕の相棒

ポエトリー:

「僕の相棒」

明け方に
君の輝きを見た
いつもより1分早い速度で動いていた
おはようと伝えるとおはようと返す

暮らしはいつもささやかに
怯えは胸ポケットに
台所からはコーヒーの薫り

いってきます、僕の相棒
君が僕より少しだけ幸せでありますように

 

2021年4月

残り湯

ポエトリー:

『残り湯』

残り湯で体を温めてくれる経験が
二人をそっと包みます
両方の手の形をした炎がぼうっと
二人の暮らしを照らしています

きっと食卓の中心には
温かいお茶があって
二人の会話は弾みます

夜半過ぎ
短くて長い一日の終わりがどちらにも行けず
ひとりぼっち
まだ湯船に浮かんでいます

 

2021年12月