The Black Hole Understands/Cloud Nothings 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『The Black Hole Understands』(2020) Cloud Nothings
(ザ・ブラック・ホール・アンダースタンズ/クラウド・ナッシングス)
 
 
クラウド・ナッシングスというとハードなイメージがありました。ボーカルも声割れるぐらいシャウトするっていう。今回このアルバム、すごくいいいなぁと思って過去作も聴いてみたんですけど、やっぱそんな感じでしたね。
 
ところがこのアルバムはすごくポップなんですね。いや、今までも激しかったんですけど、曲はチャーミングだったようで、今回はアレンジも含めてポップっていうことで、だからすごく聴きやすいです。声割れてないし(笑)。ていうかどうしちゃったんだろうっていうぐらいソフトな歌声です。ただ相変わらずドラムはせわしないですな(笑)。ちなみにこのアルバムはリモートで作られたそうです。結果、元々持ってる彼らのメロディ・センスが前面にでてくるのが面白いですね。
 
そうそう思い出しました。過去作も普通に曲がいいからアルバム買おうかなって何度か視聴したことあったんですけどね、ただちょっとサウンドが好みじゃなかったっていう。でも今回はハードはハードなんですけどクラッシックなパンクっていうイメージで、クラッシュとかそんな感じ。ほらクラッシュも曲が抜群によくて細かいニュアンスちゃんと聴こえてくるでしょ。
 
あともっと古いところで言うと、ザ・バーズ。ああいうフォークロック的なニュアンスあります。3曲目の「An Average World」とかですね。我慢しきれなくなってかアウトロは激しくなりますけど(笑)。ずっと鳴り響くギターもいいですけど、丁寧にギター刻んでくるのがいいですね。
 
聴きやすいというところで言うと、ある意味邦楽ロックに通じるようなメロディっていうんですかね、起伏に富んでキャッチーなままいろいろ展開していくんです。洋楽に比べると邦楽はメロディのふり幅が大きいですから、割と馴染んできやすいと、そういう部分はあるかもしれません。ただ、このメロディ・センスはちょっとやそっとじゃ真似できませんね。
 
あと全体の構成が冒頭からアップテンポなのが続いて中盤は落ち着いたメロディ。インストもあって後半はまたテンポアップしていくっていう、まぁパターンと言えばそうなんですけどこれが見事にはまって、しかもトータル30分ちょいで、曲が抜群にいいですから、ホントに笑っちゃうぐらい全部いいんですけど、これはやっぱり最後まで集中して聴けます。もしかしたら傑作なのか?
 
ただ実はこのアルバム、サブスクでは聴けなくて毎月5ドル払うBandcampっていうサービスでしか聴けないそうです。すごくちゃんとしたサービスなんですけど海外もんなので僕は手を出せないでいますが、まぁ今回はYouTubeで聴けたっていう、ラッキーですね(笑)。ま、いつ聴けなくなるか分かりませんから、今のうちにしっかりと聴いておきたいなと。タダで聴こうなんざ不届きもんですな(笑)。
 
ちなみにBandcampでのこのアルバムの売り上げは25%が教育基金に寄付されるそうです。そしてこのアルバムではリモートでしたけど、続けて今度はみんなで集まって次のアルバムに取り掛かっているそうです。行動力のあるバンドなんだと思います。タダで聴いた報いに次はちゃんとお金払います(笑)。

グランド・ブダペスト・ホテル (2014年) 感想レビュー

フィルム・レビュー:
 

グランド・ブダペスト・ホテル (2014年) 感想レビュー

 

一人の女性が墓地を通り過ぎ、とある作家の胸像の前に立ち止まる。胸像にはいくつもの錠前が掛けられていて、女性も持参した錠前をそこに掛ける。彼女はベンチに腰かけ手にした本を開く。タイトルは「グランド・ブダペスト・ホテル」。そんな風にしてこの映画は始まります。

あらすじです。1930年代、さる東欧の国では由緒正しきホテルが人気を博していた。顧客は主にセレブリティ。特に年配のご婦人には絶大な人気を誇る。このホテルの人気を確たるものにしているのはコンシェルジュであるグスダヴ・H。そのおもてなしは微に入り細に入り、夜のおもてなしも辞さないというもの。ところが長年の顧客であるマダムに突然の訃報。彼女の遺産相続争いに巻き込まれたグスダヴは殺人容疑をかけられてしまう。

先ほど述べた冒頭のシーンに戻ります。本の裏表紙には作家の写真(※胸像の人ではない)。物語はその作家の回想でスタートします。若き日にグランド・ブダペスト・ホテルを訪れた時の記憶。そこで出会った深い孤独を刻んだ老紳士。その紳士は作家にかつて共に過ごした偉大なコンシェルジュ、グスダヴ・Hとグランド・ブダペスト・ホテルの物語を語り始める。

と、ここまでで、この映画は二重三重の入れ子構造になっていていることに気づく。ひとつ目が墓地の女性のシーンで、ふたつ目は彼女の本の中。みっつ目は更にその中の作家の回想で、よっつ目は作家の回想の中の老紳士の回想。というふうに物語は箱の中の中、またその中の中、といった具合に進んでいく。それはまるでおもちゃ箱のようで額縁の付いた紙芝居のよう。現に幕間が変わる毎にそれぞれのシーンを題したタイトルが画面いっぱいに表示される。

その映像は特徴的でウェス・アンダーソン監督は正面、真後ろ、若しくは真横からしか写さない。加えてシーン毎に統一したカラフルだけど淡い色使いは尚のこと紙芝居のような印象を与え、また登場するキャラクターはまるでスヌーピーのマンガのようにデフォルメされている。誰がどうという強いイメージ付けは控えられ、主役であろうが脇役であろうが同じトーンで語られる。ある意味平面的に、というか恐らく意図的に。有名俳優がバシバシ出てこれるのはそうしたトーン故、かな。そして全ての登場人物にどこかユーモア、どこか抜けているところがある、というのもチャーミングな点です。

映画はシュールでドタバタなブラック・コメディとして楽しめる。けれど特徴的なウェス・アンダーソン監督の映像美や不可思議さもあってファンタジーの要素も強くある。或いは追いつ追われつのクライム・ミステリーとして見る人もいるかもしれない。そのどれもが並列しているのは確かだが、やはり冒頭のシーンが気にかかる。

映画は「Inspired by the writings of STEFAN ZWEIG」という言葉で締めくくられます。シュテファン・ツヴァイクとは1930年代活躍したウィーンの作家だそうで、当時のウィーンはハンガリー・オーストリア帝国にありました。ユダヤ人への迫害もなく今で言う多様性が大いに認められた自由な雰囲気のその国家では文化的なサロンも充実し、シュテファン・ツヴァイクはそこでかのフロイトやカフカ、シュトラウスといった人々と交流を深めていったそうです。ツヴァイクは来るべき平和な世界をそこに見ていたのかもしれない

ところが時代はファシズムのが徐々に忍び寄るナチスが台頭してくる。やがてツヴァイクの祖国は完全に飲み込まれてしまう。そしてツヴァイクは自死を選んでしまう。絶望したのだろうか。

映画は基本的にはコミカルにテンポよく進んでいくがグロテスクな描写もあるのでご用心、ウェス・アンダーソン監督は要人物が最後にあっさりとああなってしまうことも含め、あの戦争のことを記憶させたかったのかもしれない。冒頭のシーンや「Inspired by the writings of STEFAN ZWEIG」という言葉は愛する作家、シュテファン・ツヴァイクを投影させ、自身の得意とする分野、得意とする手法であの戦争の時代を描くことではなかったか。

しかしそれはそれとして、絵本のように時折パラパラとページをめくり、或いは絵画のように部屋に飾って時折眺めたい、そんなチャーミングな作品であることは間違いない。まずはその世界に身をゆだねたい。

一筆書きの太陽

ポエトリー:

「一筆書きの太陽」

 

知らない人から埋もれていく
あれは
一筆書で書いた太陽

カラスは小躍り
自信なさげな僕はぐったりして
見知らぬ扉
ただぼんやりして開け放つ

短い夏
時間が惜しいから
タンスの奥から貯金を引き出した
溜まりに溜まった鬱を
振り込める先
一筆書の太陽

幼い時から騒いだりして
散らかしっぱなし
半透明に覆われた温もり
大事にしたいこだわり

更には言い逃れようと
アスファルトに立つ静かな熱気
夢中になって静かに荷ほどき
平らになった地面が余程気持ちいいのか
ひたすら横になっていたっけ

しばらくするとウサギの耳
ピンと立つように
ある日のこと思い出し
蛇腹になった未来を
出来るだけ目一杯
伸ばしてみた

それが唯一の自信
狭い報告に
一喜一憂するより
先頭切って走る短い夏
それが暴れ回る前に
そっと肩を叩き
そら、あれが太陽ですよと
よせばいいのにその気になって
軽く一筆書きする真似をする

濡れ落ちる太陽
踏みしめる唯一の自信
それがあればよかった

 

2020年8月

Fetch the Bolt Cutters/Fiona Apple 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
「Fetch the Bolt Cutters」(2020)Fiona Apple
(フィッチ・ザ・ボルト・カッターズ/フィオナ・アップル)
 
 
心に(或いは頭に)浮かんだものをそのまま表現出来ればよいのだが、形がないものを目に見える形に変換することはそう容易なことではない。それができるのが芸術家ということかもしれないが、芸術家だって思いのままを表現できるなんてことは稀であろう
 
試行錯誤なんていうけれど、実際はバッと書いたもん勝ちというか、頭からケツまで一気に出来てしまうのが一番強い。先日、棟方志功の映像を見たけどあれが芸術家ってもんだ。推敲すればするほど当初の感覚が薄れ、ダメな方へ向かうのでは思うのは僕が素人だからか。
 
ただ棟方志功だっていつもスッパリ出来てしまうというわけにはいかないだろうし、わけ分かんなくなって途中でやめた、なんてことがあるかもしれない。音楽界で言えば、天才の名をほしいままにしてきたフィオナ・アップルにしても作品ごとのインターバルがやたら長いのはその証左であろうし、逆に言えば満足できるものでなければ世に出さないという、これも芸術家としての態度。
 
今コロナ禍にあって大きなプロジェクトが組めない中、それぞれがリモートや宅録で作品をリリースしている。面白いのはそのどれもが最も大事な生な感情を出来るだけ簡素にパッケージしたようなシンプルなサウンドになっていること。そうなってしまったというニュアンスが強いのかもしれないが、あの手この手が入らず、初期衝動から最も距離が短い方がより本質を伝えることが出来るのは当然といや当然。
 
しかしフィオナ・アップルの『フィッチ・ザ・ボルト・カッターズ』はそうなる前からそのように作られた作品として明らかに毛色が異なる。そうなったのではなく、そうしたくてそうしたという意味合いは大きい。これはいかにすれば初期衝動を最短距離で(若しくはそのまま)パッケージできるかを突き詰め、尚且つそれを表現しうる技量を持ち合わせているフィオナが自らの意思で作り上げたフィオナ主導の作品だ。
 
心に(頭に)浮かんだものを出来るだけ形を損ねずに作品として変換させることは容易ではない。技量やセンスだけでなく、既存の表現に引っ張られることだってある。そこから如何に自由になるか。言ってみればそこが腕の見せ所だろう。
 
この作品はフィオナの中にある芸術衝動が出来るだけ形を損ねずに表出され、けれどそれが聴いてワクワクするような音の塊に翻訳されたフィオナ独自の大衆音楽である。

歌は世につれ世は歌につれ

その他雑感:
 
「歌は世につれ世は歌につれ」
 
 
クラウド・ナッシングスの新作が非常にポップだ。僕はこれまでクラウド・ナッシングスをちゃんと聴いたことはなかったのだが、ネット上でメロディが立ってすごくいいという情報を知り、じゃあと思って聴いてみたらハマってしまった。ハードでエモい印象があったのだが、すごく聴きやすくてちょっとネオアコっぽかったりバーズぽかったり。こういうの好きです。
 
また、間もなくリリースされるザ・キラーズの新作から2曲が先行公開されたのだが、これが笑ってしまうぐらいのキラーズ節で、もういい加減キラーズはいいかなと思っていたのだが、これを聴いたら買わねばなるまい(笑)。
 
もういっちょ。テイラー・スウィフトの「フォークロア」。テイラーさんはこのところ何処へ行きたいのかよくわからないサウンドだったけど、このアルバムではタイトルどおりフォーキー(と言ってしまっていいのかどうか)で、彼女本来の良さである曲の良さがしっかりと前に出ている。
 
ということで3枚だけですけどかつてなくポップなんです。すごく聴きやすい。多分これは今の状況を反映してるんですね。暗い世の中ですからシンプルにいい歌っていう、素直にソングライティングが活かされた曲が出てきてるんです。これ逆に世の中が浮かれてると暗い内省的な歌が多くなりますよね。世は歌につれ歌は世につれなんて言いますけど、つくづくその通りだなと思います。
 
物理的に大きなプロジェクトが動かせないというのもあるかもしれませんが、やっぱり皆、素直な曲を聴き手に真っすぐに届けたいという気持ちが強くなっているんだと思います。

目指した

ポエトリー:

「目指した」

 

君が目指したのは嘘
僕は言うがまま
戦いになったりはしない
間違っても

文字通り
嘘みたいに
急拵えの意味
言ったそばから
失せていく

そうやって生まれていく(意味)
昨日とか今日とか明日とか
本物と見まごうばかりの(本能)
でも
信じてはいけないからね
そうやって
今日もまた
なくすことを目指す

磨いても
磨いても
一向に綺麗にならないものなら
いっそなくしてまえばいいと気づいた
それからは
間違っても
薄汚れたりはしないから

君は
今日も硝子戸を開けて
嘘っぱちでなんにもない朝
本物と見まごうばかりのそれを
軽く吸い込んで西の空
太陽のない方を選んだ

正しさを争う前に

 

2020年7月

Woman In Music Pt.III / Haim 感想レビュー

洋楽レビュー:

「Woman In Music Pt.III 」 (2020年) Haim
(ウーマン・イン・ミュージック Pt.III / ハイム)

 

ハイム三姉妹、安定の三作目。とはいえ前作から三年のインターバルだから、本人たちにとっては安定なんて生易しいものではなかったのだろう。けれどここで第一期というか彼女たちの音楽が一息ついた感じはする。

僕はハイムの言語感覚が好きだ。独特のリズムに乗せて畳み掛けていくリリック、今回で言うと「I Know Alone」とか「Now I ´m In It」なんてすごく分かりやすいハイム節。こういうのを聴くと思わずにやけてしまう。歌詞の中身はヘビーなんだけどね。

てことでハイムはデビューの時からもうソングライティングは完成されている。それぞれが曲を書けてボーカルを取れて色々な楽器を演奏できる中、それぞれに特徴はあって、でも姉妹だからやっぱり同じ方向に顔が向く。この阿吽の呼吸感とさっき言ったリズム感がハイム最大のオリジナリティー。

だから後はどう肉付けしていくかということ。そこを担うのがアリエル・リヒトシェイドとロスタム・バトマングリで、もうこのコラボは五人でハイムと言っていいぐらい親密なもの。だからちょっとヴァンパイア・ウィークエンドぽい、というか昨年の『Father of The Bride』の流れを感じてしまうところも所々。次女のダニエルも参加してたしね。

思えばハイムの1stからは随分と洗練されてきました。バックに流れるちょっとしたサウンドは流石アリエルにロスタムで超何気なく超オシャレ。今回はラッパの音が印象的かな。そして時おり前に出てくるダニエルのギター・ソロ。そうそう今回はフィーチャリング彼女のギターってところもあってこれが物凄くカッコいい。いかにもなマッチョなギターじゃなくて自然体で鳴らされるダニエルのギターも本作の聴きどころ。

そうそうここ数年、#MeTooとかジェンダーに関する動きが活発でしょ?彼女たちはやっぱし三姉妹ロッカーですから、色々とね、デビュー以来やな事はあったみたいです。でそのことを自分たちの日常に即して表現している。例えば「The Steps」では「私は自分のお金を稼ぐために毎朝起きてる」、「同じベッドで一緒に寝てるからってあなたの助けは要らないわ」、「そこんとこ、ちゃんと分かってる?分かってないでしょベイビー」って。

同時期にリリースされたフィオナ・アップルの『Fetch The Bolt Cutters』があちこちで絶賛されてますけど、あっちが誰が聴いても分かる化け物みたいな作品だとすれば、こっちの『Woman In Music Pt.III』は誰が聴いても革新性を感じないと思うんです。でも僕はフィオナに負けないぐらいこの作品が好きです。何故ならここにも彼女たちのリアルがあるから。

彼女たちは声高に叫ばない。でもいつも変わらないトーンで身の回りの大事なことを歌っている。個人的なことを歌うことが世界を歌うことになる。誰かがそんな事を言っていたけど、それは一番難しいこと。彼女たちの歌には彼女たちの顔がちゃんと見えて、その向こうに世界が写っている。ごく自然体でこういうことが出来るのがハイムの凄みではないでしょうか。

このアルバムでは特に「Gasoline」と「Summer Girl」が好きです。ちょっと気が早いけど、次のアルバムではアリエルとロスタムには少し控えてもらって、三姉妹だけで作ったアルバムを聴きたいな。三姉妹で作ったミニマルな歌を通して聴こえる世界の声を感じ取りたい。

全国紙に派手なヘッドラインを出していくということではなく、言ってみれば地方紙というか、けれどその方がかえって真実を照らし出しているという側面もある。そしてそれはとても大切なこと。僕にとってハイムはそんなイメージです。

無理なお願い

ポエトリー:

「無理なお願い」

 

  着ている服の一枚一枚を
  あの人にもあげ
  この人にもあげ
  密やかに塗り替えられた夜は
  地を這うようにして
  辺りの景色を一変させた

投げ出してしまわぬように
あの人の面影を
そっとタオルに染み込ませ
道行く人、一人一人に
あなたではなかったですか?
あなたではなかったですか?
と問いかける

風ゆらめく草木によろめいて
僅かに背中に出来た指紋こそ
これはわたしのものですと
色付いた頬

きよつけの姿勢も曖昧な
あの人の姿勢が
中空に伸びたまま
空になるよすがを
黙っては見ておれぬ身体
最後の溜め息が流れる数秒間
全体がまろみを帯びるまで
わたしはじっとして
南中する太陽の真下

それは
遠いビルディングの影が
膝元に落ちるまでの
時間との戦い
狭まる肩幅への
無理なお願い

 

2019年5月

つむじ風

ポエトリー:

「つむじ風」

 

ひとりぼっちの君
風に吠えてる日々
性懲りもない君
月が吠えてる日々

声かけてきたあの子
振り返る君
つむじ風みたいに
二人は出会った

ツバメが弧を描く
君は街を急ぐ
前のめりにならないように
見透かされないように

声かける君
階段の中程
斜めになりながら
戸惑いながら

心ならずもいっぱい
ちぐはぐになる心
浮草みたいに
行き交う人波に

頭の中はいっぱい
千切れ雲でいっぱい
息を吸って目一杯
目の前も揺れる

自転車乗って行こう
抜け道ぬって行こう
君の前ゆくあの子
おもしろくない君

時間がないよ一体
どうすればいい?
二人静かに肩寄せながら
膝から崩れる

明日からは絶対
頭ごなしにいっぱい
春の営みみたいに
光が降りてくる

数え切れない失敗
爪を噛んでた日々
放り投げてしまう
嫌になってしまう
ひとりぼっちの君

見つけたのは宝物きっと忘れない…

二人でいれば絶対
夜も昼にすり変わる
忘れないよな日々
とりとめのない意味

頭の中はいっぱい
千切れ雲でいっぱい
息を吸って目一杯
つむじ風に揺れる

「聲の形」(2016年)感想レビュー

フィルム・レビュー:
 
「聲の形」(2016年)感想レビュー
 
 
先日、テレビ放送されていたこの作品、タイトルを見て気になったので録画をして観ました。僕はアニメーションには詳しくないのですが驚きました。アニメーションってこんなに繊細な表現ができるんですね。すごく丁寧な作りだなという印象を受けました。
 
てここで良かった点。オープニング曲にThe Whoの「My Generation」が使われていた!!僕としてはこれだけで、はい、観ます観ます!って感じでしたね。ま、なんでこの曲なのかはよく分かりませんでしたけど(笑)。
 
観ていて先ず思ったのはすごく作り手が冷静だなと。表現をしたいことがすごく明確にあってそこがぶれていかないという。だから高校生たちの青春物語であり、聴覚障害者が登場するというところに目が奪われがちですけど、それは設定に過ぎないというか、目指したい場所に向かって丁寧に歩を進めていく、そんな感じがしました。
 
あと、やっぱり言い過ぎないというのが効いてますよね。中にはちょっと分かりにくいという人もいるかもしれないですけど、敢えて説明しないというのかな、かといって分かる人にだけ分かればいいというのでもなく、分からないところがあっても、そういう感覚と並走していける優しさもちゃんとあるんです。
 
ただ、なんでもそうですけど分からないって当たり前のことなんですね。なんでも分かりやすくっていう時代ですから、すぐになんでも分かろうとしますけど、実はそうじゃなくって、この映画も当たり前にそういうトーンですよね。最後も明確な答えは出てこないし。でも明らかに彼彼女たちは成長してますよね。だから最初にこの映画は繊細で丁寧でって言いましたけど多分そういうことなんだと思います。
 
あとこれは一番思ったことですけど、主要登場人物の誰にも肩入れできない仕組みになってるんですね。誰とも近寄れない距離感がある。多分映画を観た人の多くは好きな登場人物っていないんじゃないでしょうか。でもそれもやっぱり当然というか、人ってそんな簡単なものではないですよね。そういう揺らぎが登場人物にちゃんとあって、こちらとの距離感も揺らいでいく。この感じもなかなか新鮮でした。
 
個人的な話になりますが、僕には小学校からの友人が何人かいて今も年に2回ぐらいは会うんです。30年以上の付き合いですからまぁ仲はいいです。でもだからといって彼らとの間には永遠の友情があるだなんて思っていないんです。人と人との関係はそんな簡単なものじゃないんです。30年以上の付き合いがあろうが、明日からはそうじゃなくなるかもしれない。人と人というのはそういう部分をはらんでいるんですね。
 
だからあの登場人物たちもね、これからも色々あるんです。今は友達ですけど、離れ離れになって結局誰一人一緒にはいないかもしれない。でもそれは別に驚く事ではなく普通のことなんです。でもずっと誰とも分かり合えないの嫌じゃないですか。ほんのひと時でも良い関係を築きたいし、楽しい時間を過ごしたい。だから多分僕たちは他者とコミュニケーションを図ろうとするんですね。そしてそのほんのひと時の繋がりが命を救うことだってあるわけです。
 
今の世の中って繋がろう繋がろうって割と簡単に言います。それはそれで良いことかもしれませんが、そうではない、人と人とはそう簡単には繋がれないんだよ、でもだからといってそこで切ってしまわないで、丁寧に握手をしようとする。そういう誰もが経験する、そして今も誰もが現在進行形で真剣に行っているコミュニケーションについてを非常にリアルに切り取った映画だと思いました。
 
最後に。この映画はすごく良かったんですけど、ちょっと女性の脚を見せるようなカットが多かったんですね。それ必要かなって。こういう絵は要らないんじゃないかなとは思いました。