詩について:
『詩に触れる』
仕事でも趣味でも長く続けていると時折気付きが訪れます。世間的にはどうか知らないけど、そういうことか、こうすればよいのかという自分の中での新しい発見。誰にもそういう経験はあると思います。
僕は下手な詩をもう10年ほど書き続けていますが、僕なりの発見はこれまでに幾度か訪れました。先日のテレビ放送『SWITCHインタビュー 達人たち ~ 佐野元春×吉増剛造』もその一つです。内容については既に記載しているので省きますが、これは自分にとって得難い気付きでした。
そこで吉増剛造さんの詩を、もちろんこれまでも詩のアンソロジーや雑誌やなんかで吉増さんの詩に触れることはあったのですが、ちゃんと詩集を読んだことはなかったので、番組で吉増さんが朗読していたあの『黄金詩篇』、これを読みたいと思って、早速Amazonで検索したんですけど無いんです。番組終わりによくある皆が殺到して売り切れとかそういうことではなく、恐らくもう刷っていない。取り扱い外になってるんです。
番組終わりに僕と同じように吉増さんに興味を持った方、たくさんいると思うんですけど、こうやって現代詩への接近の機会を失ってしまうの、非常に残念です。今はネットで著作権はどうかは知らないけどアップしている人もいるし、吉増さんの他の詩集であったり、簡単にまとめたものがあるので是非、多くの人に吉増さんの詩を手に取ってもらいたいですね。
これはずっと前の僕の気付きでもあるんですけど、詩を書く力と読む力は繋がっているのではないかということ。これは詩に限らず、短歌や俳句も、或いは音楽や絵画もそうかもしれません。鑑賞する能力とそれに取り組む能力は互いに影響し合っている、そういう部分があるんじゃないかと思っています。
現代詩、非常に難解ですよね。でも頭で追っかけていかなくていいと思います。理解したという証を求めなくてもいいと思います。とはいえ、あまりにも取っ付きにくい。だからこそ触れる機会を持って欲しい。多分これは慣れだと思うんです。僕たちの日常に溶け込んでいれば、どんな難解な詩であっても何となく肌で感じていればそれでオッケー、人がどうかでも作者の意図がどうかでもなく自分はこんな感じ、というのを気軽に持てるようになれば、多分それが文化だと思うんですが、そうなればとても嬉しいです。
ですので現代詩という今の時代において随分と遠くに離れてしまったものに対して出来るだけ多く人に触れて欲しい。目に馴染んで欲しい、そう願っています。ビカソの絵を初見で見てもなんのこっちゃだと思うんですが、有名ですからもう目に馴染んでいますよね。誰でも何がしかの感じることはある。でもいちいち理解の証を求めないですよね。そういう風に現代詩とも気さくな関係を築いていければ、そしてやがて短歌な俳句のように自分でも気楽に創作していける関係になれば、詩を好きな人間として、こんな嬉しいことはないですね。