The Circle/佐野元春 感想レビュー

 

『The Circle』 (1994) 佐野元春

 

冒頭の『欲望』は長田進の低く唸るディストーションギターで幕が上がる。「物憂げな顔したこの街の夜/天使達が夢を見てる/コスモスの花束を抱えて/君に話しかける」という詩で始まるこの曲を、佐野は放り投げるようにして歌う。網膜に映る鮮烈なイメージをただひたすら追い続けるかのようなこの曲はまるで白中夢。言葉にならない感情がそれでも言葉になろうと蠢いている。

冒頭の『欲望』が夜明けなら、「朝 目が覚めて」で始まる2曲目の『トゥモロウ』は休日の朝の風景。「It’s getting better now」と歌うこの曲には,混迷の時代を陽気に切り抜けようとする楽観性が見えてくる。この曲の見せ場はその「It’s getting better now」で始まるブリッジの部分。ここで佐野は「作り話はいらない/ただ素早く叩け/速やかに動け」と激しくシャウトする。本アルバムのハイライトのひとつだ。

続く『レイン・ガール』は佐野のキャリアの中でも屈指のポップ・チューン。くぐもったトーンのアルバムにあって、タイトルとは裏腹に太陽のように明るい曲だ。この曲の見せ場もブリッジ。「楽しい時にはいつも君がそばにいてくれる/悲しい時にはいつも君の口付けに舞い上がる」。このロマンティックなセリフを佐野は高らかに歌い上げる。

続く『ウィークリー・ニュース』はプロテスト・ソング。過去の楽曲で言うと『Shame』に連なる曲だ。とはいえ、特定の誰かを糾弾するものではない。矛先は「好きなだけ悲しげなふりして/うまく立ち回るのはどんな気がする」僕たち自身に向けられる。無論、佐野自身にも。

本アルバムにはその名も『ザ・サークル』という表題曲があるが、実質このアルバムの中核をなすのは5曲目の『君を連れて行く』だろう。そしてまた、この曲はこの時の佐野のソングライティングの一つの到達点と言える。

「無垢の円環」という概念に着目した佐野が示した「再生」の歌。幾つかの終わりを経験した年を重ねた男女の物語。曲も素晴らしいが、このアルバムで最後となるザ・ハートランドの演奏が本当に素晴らしい。ゲストのハモンド・オルガン・プレイヤーであるジョージィ・フェイムと共に、ザ・ハートランドの数ある楽曲の中でも屈指の名演に挙げられるのではないだろうか。

続く5曲目は少し感傷的になった気持ちを目覚めさせるようなホーン・セクションで始まる『新しいシャツ』。それまでの価値観が崩壊しつつあった90年代前半、「ウェヘヘイ」と笑い飛ばし、「新しいシャツを見つけに行く」と歌う姿は、まさにノー・ダメージ。重いテーマを陽気に歌う佐野の真骨頂である。

次曲の『彼女の隣人』ではどちらかと言うと歌詞にそぐわない「ありったけ」というフレーズが繰り返される。「ありったけのrain/ありったけのpain/ありったけのlove/君と抱きしめてゆく」。ロックンロール音楽は英語圏で生まれたものではあるが、日本語ならではの語感もまたいい。

8曲目は表題曲の『ザ・サークル』。「今までの自由はもうないのさ/本当の真実ももうないのさ」という、ショッキングな歌詞で始まるこの曲は、延々「今までのようには~しない」という否定の言葉が続く。ひたすら自己否定を繰り返した挙句、「少しだけやり方を変えてみるのさ」、「今までのように」と続く。まるで禅問答のように。そして特筆すべきは間奏での佐野のシャウト。本人も当時のインタビューで語っていたが、『アンジェリーナ』の頃とはひと味もふた味も違う、実に滋味深いシャウトである。

本作はハモンド・オルガン・プレーヤーのジョージィ・フェイムを招いている。9曲目の『エンジェル』はそのジョージィ・フェイムのために書いたようなバラード。シンプルな歌詞をレゲエのリズムに乗せ、「今夜は君の天使になるよ」とだけ囁くように歌う。中盤のジョージィ・フェイムのソロ・パートは至福の時間である。ラストの佐野とジョージィ・フェイムの掛け合いも実に楽しそう。

このアルバムの最後を締めるのは『君がいなければ』。佐野には珍しいオーソドックスなラブ・ソング。他の曲の個性が際立っているせいか地味な印象を受けるが、後にカバー・アルバムにも収められた重要な曲。ある男の告白といったところか。言葉に出しては言えないが、歌にしてなら言える。けれど本当に伝えるべきことはあるのだろうか。

本アルバムの根底にあるのは、この時期の佐野が発見した「サークル・オブ・イノセンス~無垢の円環~」という概念である。イノセンスというのは消えたり無くなったりするのではなく、それを失いかけた時、新たなイノセンスが立ち現れるというもの。

ロックンロール音楽というのは子供のための音楽である。「生きるってどういうこと?」、「人を好きになるってどういうこと?」という十代の心の迷いや葛藤こそがロックンロール音楽の根幹をなすものと考えられてきたし、もっと極端に言えば、ロックンロールは十代の多感な男の子の為の音楽であった。

かつて「つまらない大人にはなりたくない」と歌った佐野も大人になり、そして僕たちもいつまでも「つまらない大人にはなりたくない」では済まされない年齢になった。「本当の真実が見つかるまで」と歌った佐野はついには「家へ帰ろう」とさえ歌うようになる。誰しも年を取る。老いや成熟といったロックンロール音楽とは相反する立場にありながら、しかし音楽家は或いは僕たちは未だにロックンロール音楽を欲して止まない。

ロックンロール音楽は未開の領域へ踏み出した。例えば、スプリングスティーンは70歳を迎えてもなお、希望や成長についての歌を歌い続けている。幾つかの絶望や喜びを経験した先の希望の歌を。それは無垢の円環とは言えないだろうか。

「家へ帰ろう」と歌った佐野も成熟と成長という相反するテーマに向かい始める。前作の『スィート16』(1992年)アルバムで瑞々しさを取り戻した佐野は陽気に軽やかに再び無垢について歌い始めた。そして無垢の円環についてより深くアプローチしていく。少しも零れ落ちることのないような丁寧さで。それがこの『ザ・サークル』アルバムだ。そしてザ・ハートランドとの最後の作品となったこのアルバムで、佐野はデビュー以来ずっと続いてきたひとつの道程に終止符を打つ。

 

Tracklist:
1. 欲望
2. トゥモロウ
3. レイン・ガール
4. ウィークリー・ニュース
5. 君を連れてゆく
6. 新しいシャツ
7. 彼女の隣人
8. ザ・サークル
9. エンジェル
10.君がいなければ

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