『100de名著 北条民雄/いのちの初夜』感想

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『100de名著 北条民雄/いのちの初夜』感想
 
 
文学や音楽や絵画といった芸術に何を求めるかは人それぞれにあるのだろうけど、僕自身について言えば、受け手に何かしらのポジティブな作用をもたらすものであればよいなと思っている。
 
ポジティブと言ってもそれは俗に言う’元気をもらう’とか’勇気をもらう’ということではなくて(もちろん時にはそういう場合もあるのだろうが)、むしろ’知る’あるいは’知覚する’ということによる心持ちの豊かさ、視野の広がり、そういった自分自身の感覚領域をおし広げてくれるもの、そういう意味でのポジティブさとして捉えているところがある。
 
よき表現というのは、例えば水俣病問題を扱った『苦海浄土』やゲルハルト・リヒターの絵画がそうであるように、それがたとえシリアスな物語であろうと、辛い現実認識を伴うものであろうと、新しく知ることによる感覚領域をおし広げてくれるポジティブな作用がある。つまりそこには作者のいろいろな逡巡はあるのだろうけど、物事をよりよくしていきたいという動機が根底に流れているような気がする。その願いのようなポジティビティが受け取り手に作用しているのではないか。
 
北条民雄は勿論読み手を感動させようと思って書いたわけではない。また、辛い体験、死のうとさえした状況を全く暗い気持ちのまま書いたわけではない。彼は創作することに望みを託した。そしてそこには古今東西のよき芸術表現と同じように読み手の心に何らかのより良き作用をもたらす何かがあった。川端康成が北条民雄文学の紹介者になったのはそれを発見したからではなかったか。
 
その上で、北条民雄の’書きたい’或いは’生きたい’という強い意志に、彼なりの優しさで応えた川端康成。北条がハンセン病療養所という名の隔離施設で、23才という若さで息を引き取った日の翌日、北条に会いに療養所へ赴いた川端のエピソードはとても感動的だった

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