フェニックス ジャパン・ツアー2018 Zepp 大阪ベイサイド 感想

ライブ・レポート:

Phoenix  Japn  tour  2018 in Zepp Osaka Bayside

 

4月27日(木)にZepp大阪ベイサイドで行われたフェニックスのライブに行って参りました。もう素晴らしいの一言。いつものことながら最初から最後までテンション上がりっぱなし。圧巻のパフォーマンスでした。

19時開演、サポートアクトの「ねごと」のライブでスタート。女の子4人組のエレクトロ・ポップ・バンドというのかな。4つ打ちが多くていかにもな感じでしたが、ラス前の曲は良かったです。最前列のおっかけとおぼしきファン数名のテンションが凄かった(笑)。彼らは最後までいたのかな?ねごとのライブはちょうど30分きっかりで終了。真面目な方たちです。頑張ってほしいですね。お客さんのマナーもよくて、ねごとのことはよく知らないだろうに(私もですが…)、それでもスマホをいじることなく体を揺らしながらちゃんと聴いていました(笑)。やっぱこういうのがいいですね。

そこから約30分後、ステージの準備も整い暗転し、遂にフェニックスのメンバーが登場!すかさず始まりました!最新アルバム『Ti Amo』のオープニングを飾る『J-Boy』だ!

『J-Boy』もオシャレで素敵過ぎるんですが、こっからが凄かった。これもうアンコール!?っていうぐらいのテンションでひっくり返りそうになりました(笑)。『Lasso』に『Entertainment』と来て『Lisztomania』。この流れはもう笑うしかないでしょう。『Lasso』のサビも、チャイナな出だしで始まる『Entertainment』のイントロも凄いのなんのって。この曲の盛り上がり方はハンパなかったッス。更に盛り上がったのが『Lisztomania』。イントロが始まった時の大歓声と言ったらもう。勿論、サビは大合唱しましたよ。ちゃんと予習してったもんね。

しかしまあドラムのマッチョな人(スミマセンッ、名前知らなくて)の叩きっぷりは凄いね!もうドラムセット壊れるんじゃないかっていうぐらいで、飛び跳ねながらぶっとい腕で叩いてました(笑)。その横で太鼓やその他の楽器を静かに演奏してる神父さんみたいな髭モジャのおじさんとの対比がなかなかのツボでした(笑)。

『Everything Is Everything』があったり、『Consolation Prizes』あったりでまさにオール・タイム・ベストなセトリ。盛り上がってばっかで忙しかった中にインスト曲の『Sunskrupt!』が挟まる展開も良かったです。と言ってもこの曲はエレクトロ組曲てな仕上がりでまた別の高揚感。これはこれで存分に聴かせてくれました。そして本編最後は『If I Ever Feel Better』で締め。しまった、この曲を予習すんの忘れてた。サビは客に歌わすってやつね。代表曲なのにすっかり抜けてしまいました(笑)。

ここで一旦終了。5分ぐらい挟んでアンコールです。まず出てきたのはボーカルのトーマとギタリストのローラン。そういえばローランさん、いつもギターの位置がスゴイ上なのが気になっていましたが、この日ももちろん窮屈そうなお馴染みのスタイル。ついでに言うとこの方、チャーミングな方でちょいちょいおふざけを放り込んできます(笑)。

で二人で静かに歌うは『Goodbye Soleil』。オリジナルもいいけど、この曲はこういうパターンもはまりますね。手前味噌でアレですが、この曲に触発されて私、当ブログでちょっとしたお話、「さよならソレイユ」ってのを書いていますので、どうぞそちらもよしなに…。

『Telefono』ではラブ・ラブ・トークの部分を黒電話でリーディングする演出も。CDではイタリア語で「Pronto」って言うところを「もしもし」って言ってくれました!続いて『Consolation Prizes』でまたテンション上がって、必殺の『Fior di latte』。タイトルどうりのあま~いラブ・ソングがたまりません。物凄い多幸感ですな。続いてこれもとっておきの『1901』。もうそろそろ最後だってのはみんな分かってるし、更に輪をかけての物凄い爆発力でした。

で最後の最後は『Ti amo di più』。要するにトーマがフロアに下りてくるための曲です(笑)。揉みくちゃにされながらも嬉しそう。割と近くだったので僕も急いでそっちへ向かい、体触ったり、サラサラヘアをぐしゃぐしゃっとしちゃいました(笑)。手すりの上を歩いて最後はお神輿状態。ステージに戻る時には足が上になってました(笑)。とまあ、こんだけやりゃあいいでしょうという感じで正に大円団。お腹一杯、お客様満足度100%の素晴らしいライブでした。

しかしまあお客さんのスパークもハンパなかった(笑)。1曲1曲が嬉しくてしょうがないっていうか、この日を待ちに待ったというか、それでいて濃ゆーい感じは一切なくて、自由でオープンな雰囲気。例えばビール片手に気だるく踊る人がいたり、ずっと手を挙げて気持ちよく踊ってる人がいたり、ジャンプしてる人がいたりと皆が思い思いに好きなように楽しんでいる様子がとてもいいのです。で終始みんな笑顔。そんなライブ滅多にないかも。

ただそれもフェニックスの面々が楽しそうだからで、仕事で来ましたじゃなくて、ステージ上の彼らも笑顔だし、そりゃこっちも笑顔になるし、彼らが自由でオープンだからこっちもそうなるし、でそれが彼らにも伝わるからもう多幸感スパイラルがハンパないのです!僕は過去にサマソニで2回、彼らのステージを観てその度にこんな多幸感を感じるライブはもうないだろうなぁと思っていましたが、今回のフルセットのライブは更にそれを上回りました!かっこいいライブ。感動的なライブ。色々あると思いますが、楽しいライブと言えばフェニックスに勝るものはございませんっ!!

ちなみに客層を見渡すと女子の方が多かったかな。しかも若い子が多い!2000年デビューの中堅バンドにこれだけ若い女子が集まるなんて!いや~、凄いっす。恐るべし、フェニックス!

それにしてもあのフェニックスが1000人程度のライブハウスで観れるなんて。いやー、こりゃ日本ならではというか、ここは素直にお得感満載ということで喜びましょう。

そーいやトーマさん、「おーきに」って言うてはりましたで!

 

セット・リスト:
1. J-Boy
2. Lasso
3. Entertainment
4. Lisztomania
5. Everything Is Everything
6. Trying to Be Cool
7. Tuttifrutti
8. Rally
9. Too Young
10. Girlfriend
11. Sunskrupt!
12. Ti amo
13. Armistice
14. Rome
15. If I Ever Feel Better

(アンコール)
17. Goodbye Soleil
18. Telefono
19. Consolation Prizes
20. Fior di latte
21. 1901
22. Ti amo di più

COYOTE/佐野元春 感想レビュー

 

『COYOTE』 (2007) 

 

一時期の混迷期を抜けて、復活の狼煙を上げたのが、『THE SUN』。とても素晴らしいアルバムで僕にとっても特別なアルバムになったわけだが、この数年の積極的な活動を振り返った時、ターニング・ポイントとなったのは、間違いなくこの『COYOTE』ではないだろうか。それはまさしく出会い。コヨーテ・バンドとの出会いである。

勿論それは、佐野の嗅覚がさせたものであるが、ここに集まった佐野より下の世代との交流は佐野に計り知れない影響を与えてきたように思う。熟練のホーボー・キング・バンド(HKB)が素晴らしいのは重々承知しているのだけど、言ってみればそれは長距離選手のようなもので、やはりロックンロールのダイナミズムというか、パッと走り出しパッと駆け抜ける短距離走の切れ味という意味ではコヨーテ・バンドである。HKBが大人のロックというつまらないものではなく、スリリングなバンドであるという事実を僕たちファンなら知っているのだけど、フェスなんかでコヨーテ・バンドを従え最前線に降り立った佐野の立ち姿というものは単純にロックンロール・ヒーローなのだ。

このアルバムはその始まりの記録である。今聴くとやはり始めということで、方向付けというかひとつの作品としてまとめられた感があるが、ここで聴けるサウンドは今現在のコヨーテ・バンドにつながる紛れもないコヨーテ・サウンドだ。

このアルバムを最初に聴いた時に強く耳に残ったのは『君が気高い孤独なら』だ。まるで20代の佐野が書いたかのような瑞々しい曲で、久しぶりにうれしい気持ち、ワクワクする気持ちになった。この曲で歌われる思いやりの気持ちと反逆の心を表す(と僕が勝手に解釈している)「Sweet soul ,Blue beat」というコーラスは今の僕にとっても大事なメッセージだ。当時2才のうちの娘がこの曲をかけると踊りだし、「しーそー、ぶーびー(Sweet soul ,Blue beat)」と嬉しそうに歌っていたのを思い出す。このアルバムでは他にも瑞々しいメロディを沢山聴くことが出来るが、それはもしかすると新しいバンドとの新鮮なセッションが呼び水となったのかもしれない。

今につながるコヨーテ・バンドが垣間見えるのはこのアルバムの後半だ。『Us』、『夜空の果てまで』、『世界は誰のために』といったロック・チューンはコヨーテ・バンドならでは。今必要なのは、悠長な歌ではない。今僕たちに必要なのは、畳み掛ける性急なサウンドだ。

このアルバムのタイトル・チューンは『コヨーテ、海へ』。このアルバムはコヨーテなる人物(むしろ生き物といった方が適切か)のロード・ムービーであり、そのサウンド・トラックという格好を採っている。『コヨーテ、海へ』はその典型のような曲。ゆったりとしたバラードで、コヨーテ男の終着点でもあるのだが、にも関わらず不思議と最も‘移動’を感じさせる曲である。

この曲の持つ素晴らしさは何より乾いているという点にある。日本的情緒に依りかからない乾いたバラード。これこそ佐野の真骨頂と言える。この『コヨーテ、海へ』とラストの『黄金色の天使』は、アルバム『Someday』のラスト、『ロックンロールナイト』~『サンチャイルドは僕の友達』の流れを思い起こさせる。『サンチャイルドは僕の友達』がララバイであるのに対し、『黄金色の天使』はエピローグ。当時の登場人物のひとりが時を経て‘コヨーテ男’として歩いている。数十年経った今、この2枚のアルバムのラストがシンクロしているように思うのは気のせいだろうか。

このアルバムのテーマとなっているのは‘荒地’である。この困難な時代にどう生きてゆくのかという主題が、前作の『THE SUN』とは違う側面から照らされている。

『THE SUN』は苦い現実認識の歌であるとはいえ、その根底には明確な希望、祈りが流れていた。一方この作品ではより暗闇に軸足が乗っかっている。そうした闇を表現するのに、最低限のバンド編成でより若い世代を起用したというのには当然理由がある。それは取りも直さず当事者意識ということではないだろうか。HKBがそうではないというのではなく、若手の先頭に立つべき世代、今この困難な時代に先頭きって飛び込んでゆく彼らの態度、ビートこそが今鳴らされるべき音ではないか。佐野は‘荒地’とそこを突き進む彼らの一歩に何かあるのかもしれないと感じていたのかもしれない。

しかし当然のことながら、その更に先頭に立つのは紛れもなく佐野である。僕は素直にジャム・バンドであるHKBも好きだけど、あのハートランド時代のように佐野が全面的にタクトを振るう明確なサウンドが好きだ。寄り道せずにまっすぐに。佐野が長い髪を振り乱すただのロックンロールが好きなのだ。そういう意味でこのコヨーテ・バンドというのは、渋い深みのあるHKBへ一旦振れた佐野が、もう一度初期衝動に立ち返るきっかけになったバンドと言えるのではないか。

本人はそんな気はないのかもしれないが、佐野はバンドメンバーの一人ではない。一人の抜きんでた才能である。その抜きんでた個性をあおるように当事者であるコヨーテ・バンドの面々が追う。だからこそ彼らのサウンドはリアルで、直接的で性急なのだ。そしてそれは今も進行中である。

 

1. 星の下 路の上
2. 荒地の何処かで
3. 君が気高い孤独なら
4. 折れた翼
5. 呼吸
6. ラジオデイズ
7. Us
8. 夜空の果てまで
9. 壊れた振り子
10.世界は誰のために
11.コヨーテ、海へ
12.黄金色の天使

人ひとりの夜に

ポエトリー:

『人ひとりの夜に』 ~Tim Berglingに捧ぐ~

声がしたら
うずくまって
人ひとりの夜が降りてくる
両方のポケットの中
握り締めるまぼろし

あの人の声が静かなまま
私たちの夜に降り注ぐ
もういい加減、始まりを確かめるのは止めて
そっと貴方の頬に手を当てて
柔らかな重みを感じたい

誰もいない夜
まだきっと誰も起きていない夜に
お別れを告げる光がうらめしい
早く、大切な声で私たちにも告げて

全世界は今もなお
眠ったままだから
人ひとりの夜の間じゅうずっと
世界を抱き締めていると
世界を愛していると

2018年4月21日

Superorganism/Superorganism 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Superorganism』(2018) Superorganism
(スーパーオーガニズム/スーパーオーガニズム)

 

少し前から話題のバンドがある。名前はスーパーオーガニズム。メンバーは8人で今はロンドンで同じ屋根の下、共同生活をしているそうだ。国籍もまばらで英国、ニュージーランド、オーストラリア、韓国、そしてボーカリストでリリックを書いているのは17歳の日本の女の子、オロノだ。

年齢も国籍も異なる若者がインターネットを介して知り合い、実際に会うことなく曲を作り上げ、それをネットに上げたところ、フランク・オーシャンやヴァンパイア・ウィークエンドのエズラの目に留まり一躍脚光を浴びて今に至るという。この辺になるともう想像がつかない(笑)。

ただ共同生活をしているといえども、分かりあえないことが大前提というか、そんなことは当たり前でデフォルトとしてそこにある、そりゃそうですよ、っていう感じ。つまり色んなアイデンティティーを持った人たちが寄り集まって一人では出し得ないようなアイデアを皆で出しあって創作していくことを全面的に信頼はしているけど、そこに固執していないというか、何より創作の自由さを重んじるフラットさというか風通しの良さが、その若さでもうそんな感じなのって。普通はそういうことを経験を通して知っていくんだろうけど、それをもう達観してしまっているというか、大げさに言えば我々人類の集合知が一足跳びに始めから彼らには備わっているような、大げさに言えばこれはもう新しい人類だなと感じざるを得ない。

つまり資本主義とか個人主義っていいことだって教わってきたけど、それってホントかなっていうこれまでの常識が疑われつつある世界で、或いはインターネットが生まれてあらゆるものの境界線や速度が格段に早くなった世界で、仮に人類が新たな段階へ変容しつつあるとすれば、彼らはその第一世代ということなのかもしれない。

口に出すことを憚れるような震災のことをリリックにしたり、或いは日本の緊急速報アラームをサンプリングしたりということを自然にやってしまえる胆力と無垢さを併せ持った強さは若さ故か。これが若者の単なる無邪気さに過ぎないのか、そこになにがしかの人々が拠って立つ新しい世界の前触れがあるのかは誰にも分からない。しかし彼らは若さゆえの圧倒的な正しさに自覚的だ。

プロデューサーも立てずに好き放題鳴らしているサウンドに目を奪われがちだが、そうした意匠もただの借り物。出入り自由でどう変容していくかもわからないバンドの行く先は当人たちも分からないだろう。しかしガチャガチャとしたサンプリングの向こうにあるのはポップ・ソングという強固なメロディだ。

そんな自分たちのことをアンディ・ウォーホールの芸術工房、「The Factry」になぞらえたり、スーパーオーガニズム(超有機体)と名付けてしまうセンスにはもう脱帽するしかない。リリックの中にはデイドリームという言葉があちこちに見受けられて、これも彼らキーワードなのかもしれないが、アルバムの最後に一番にポップな曲を持ってきて、その最後の最後で目覚ましのピピピピッて音が入って、オロノの欠伸があって、小鳥のさえずりで終わるっていうセンスといいもう完璧過ぎる。

 

1. It’s All Good
2. Everybody Wants To Be Famous
3. Nobody Cares
4. Reflections On The Screen
5. SPRORGNSM
6. Something For Your M.I.N.D. 
7. Nai’s March
8. The Prawn Song
9. Relax
10. Night Time

 

夜明け

ポエトリー:

『夜明け』

 

耳元で火薬の音がして夜中の3時 目が覚めた

喉に張り付いたドライヤー ペットボトルで燗をする

空もカラカラに乾いて 12月の夜

太陽の使いが真夜中に訪れる

 

冗談が過ぎる彼女の唇 雲に隠れた下弦の月は

瞬きを108回もして 僕の煩悩は街の上

勾配のきつい坂道登る覚悟で けれど今も背中合わせ

早く理解したい 彼女の瞬き

 

太陽の使いはやがて 百均で買った噴霧器で

水を含ませた太陽の欠片を やたらめったら振り撒くから

おとなしい素振りのこの夜にも 間もなく灯りが届くはず

だから僕もちゃんと 嘘をつく準備するよ

 

もうじき訪れる朝光を横目に ずるずると低く伸びてしまう僕の魂

また身だしなみ崩れて 朝にしてしまう悪い癖

 

 

2018年1月

Telefono/Noname 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Telefono』(2016)Noname
(テレフォーノ/ノーネーム)

近頃はもっぱらスマホで音楽を聴く機会が増えてきた。家はWiFiだし、電車の中もWiFiフリーだしつい気軽にスマホで聴いてしまうというのは自然な流れなのかもしれない。ということでCDを買う行為が随分と減ってきたわけだけど、中にはCD自体を出していないアーティストもいるわけでこのノーネームもそのうちの1人だ。

近頃僕はチャンス・ザ・ラッパーにはまっていて、Youtubeで聴いていると彼に関連する音楽がわんさか紹介されてくる。その流れでノーネームを知ったんだけど、先ず目に留まったのがカワイイ絵のアルバム・ジャケット。CDでの販売はないので、ジャケットと言っていいのかよく分からないけど、このジャケットが可愛いくて、けれど女の子の頭の上にドクロの絵があったりして、しかも名前が‘Noname’っていうもんだから、そりゃ気になるでしょって感じ。で聴いてみたらとってもいい音楽で、調べてみるとどうやらチャンスさんと同じシカゴ出身で、二人は高校生の時から知り合いのようでした。

でチャンスさんはラップなんだけど、ノーネームの方は高校時代からポエトリー・リーディングを色んなところで披露していたとかで(←米国にはポエトリー・カフェとか気軽に参加できる詩の朗読の場がたくさんあるようで、うらやましい限りです)、それが回り回ってチャンスさん繋がりでラップをすることになったっていう。チャンスさんのアルバムにも参加しているし、なんかそういうのっていいエピソードですな。ちなみに当初は‘Noname Gipsy(ノーネーム・ジプシー)って名乗ってたそうで、これはこれで素敵な名前です。

で名前がノーネームだからって訳じゃないでしょうが、この人もやっぱ自分自身の個人的な心情をラップするっていうんじゃなくて基本はストーリー・テリング。僕は英語をちゃんと訳せないからそれがどこまで正しいかは分からないけど、みんなの歌を歌いたいというか、こういう人たちがいてこういう景色があってっていうことを切り取っていく、歌にしていく、そういうような立ち位置の人のような気がします。

そこのところの優しい眼差しっていうのがやっぱチャンスさんと共通していて僕なんかは聴いていていいなぁと思ったりするんだけど、それでも穏やかなサウンドで優しくラップしていくといえども現実はかなり困難で、例えば#7『Casket Pretty』なんて「All of my niggas is casket pretty(友達はみんな棺桶の中)」で始まって、‘casket’ってのは棺桶、そこに‘pretty’が付いてるからこれは子供だろうと。曲の中盤では「Roses in the road, teddy bear outside(バラの花が道端に、そしてテディベアのぬいぐるみ)」っていう事だからやっぱ子供なんだなと。僕が可愛い絵だなって思ったジャケットの絵はそういうところにも繋がっていて、シカゴで生まれ育って今もそこにいる彼女はそういう世界にいるんだということがここで突き付けられてくるわけです。

9曲目の『Bye Bye Baby』は堕胎についての歌で、最初のヴァースは堕胎する母親の視点、2つめのヴァースは堕胎される赤ちゃんの視点。それを暗く悲しく歌うのではなく、優しく愛おしく歌う彼女のラップは月並みだけど愛を感じるというかポジティヴな温かみを感じるというか、だからこそグッと来るのです。

てことで詩をどんどん知りたくなってくる訳だけど、ここがCD販売されていないつらいところ。ネットにリリックはアップされてるんだけどいかんせん英語…。英語がもっとできたらなぁと思う今日この頃でございます(笑)。

あと、トラックもチャンスさん一派ということでオシャレでセンス抜群です。#1『Yesterday』のコーラスなんて最高に気持ちいい。意外と早口でまくしたてるところもあったりで彼女のフロウもスムーズでなかなかのもの。ライムも心地よくて楽しいし、総じて彼女の人柄が出ているような素晴らしいアルバムです。

 

1. Yesterday
2. Sunny Duet
3. Diddy Bop
4. All I Need
5. Reality Check
6. Freedom (Interlude)
7. Casket Pretty
8 .Forever
9. Bye Bye Baby
10. Shadow Man

Let Me Get By/Tadeschi Trucks Band 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Let Me Get By』(2016)Tadeschi Trucks Band
(レット・ミー・ゲット・バイ/テデスキ・トラックス・バンド)

 

こういうのは普段からよく聴くわけじゃないんだけど、どういう契機かたまに聴きたくなる。ホーン・セクションを含め、総勢10名からなる大所帯バンドの3rdアルバム。ブルース・ロックと言うのかサザン・ロックと言うのかよく分からないが、電子音に溢れた現在ではアナログなバンド・サウンドがかえって新鮮だ。

バンドの全面に立つのはその名のとおりデレク・トラックスとスーザン・テデスキ。デレクは名うてのギタリストでありプロデューサー、スーザンはメイン・ボーカル。この二人の存在感が突出しているのかなと思いきや、実際はあくまでもバランスを重視した音作り。皆で同じ方向を向いて練り上げるといった風情で、僕は2枚目を聴いてないけど、1枚目と比べてもいいこなれ感というか、バンドとしての一体感がより感じられる。また今回は前身のデレク・トラックス・バンドでボーカルを取っていたマイク・マティソンが2曲、メイン・ボーカルを務めていることもいいアクセントになっていて、1枚のアルバムとしても広がりが出てきたように思う。

バンドの売りはデレクのギターということになるんだろうけど、キーボード関係が充実しているのも魅力のひとつだ。ほぼ全編に渡って、グランド・ピアノを始め、クラビネットやウィリッツアーといった電子ピアノ、そしてハモンド・オルガンがクレジットされている。演奏するのはコフィ・バーブリジュ。表題曲でもいかしたオルガン・プレイを聴かせてくれる。今回のコフィはフルートでも活躍。#9『アイ・ウォント・モア』でのデレクのギターとの掛け合いは本作の見どころだ。文字通り八面六臂の活躍で、デレク、スーザンと並んでこのバンドの顔と言っていいだろう。

このバンドはデレクのワンマン・バンドではないので派手なギター・プレイは見せないが、それでも時折見せるギター・ソロがあるとやはりグッと引き締まる。この辺りのさじ加減も抜群だ。テクニカルな集団だが、冗長にならずすっきりとまとめられていて風通しがいいのも特徴だ。

例えば、久しぶりに実家に帰って近しい人や地元の友達に会ったりっていうような何かホッとする雰囲気がこのバンドにはあって、米国産のブルース・ロックなんて言うとなんか敷居が高そうだけど、日本人の我々にとってもまるで初めからそこにあったかのような安心感がある。

この手の音楽は家でじっくり耳を傾けて、というイメージだが、意外と景色を見ながら外で聴くのがはまる。要は開放的なんだろう。

バンドはこのアルバムのリリースに際して来日、東京・大阪・名古屋でホール公演をしたらしい(なんと東京は武道館!)。日本にもこの手のバンドの需要が結構あるのがびっくり。一体どういう人たちが来るのだろうか?

 

1. Anyhow
2. Laugh About It
3. Don’t Know What It Means
4. Right On Time
5. Let Me Get By
6. Just As Strange
7. Crying Over You / Swamp Raga For Hozapfel, Lefebvre, Flute And Harmonium
8. Hear Me
9. I Want More
10. In Every Heart

#7の穏やかなフルート・ソロから#8に繋がるところがよいです。

The Sea/Corinne Bailey Lae 感想レビュー

洋楽レビュー:

『The Sea』(2009)Corinne Bailey Lae
(あの日の海/コリーヌ・ベイリー・レイ)

 

2016年に出たアルバム『The Heart Speaks in Whispers』を僕はかなり気に入っていてよく聴いたものだからそのアルバムのイメージが随分強くなってしまっていたけど、あれはコリーヌさんとしてはかなり新しいサウンドに舵を切った異質なもので、久しぶりに2ndアルバムの『THE SEA(あの日の海)』(2009年)を聴いたら、あぁコリーヌさんは元々こっちだったんだなぁと改めて思った次第。

1曲目のけだるい感じに早速「そうそう、これこれ」ってなって、2曲目の『All Again』で切なく盛り上がった日にゃ僕はもうとろけそうになりました(笑)。で続けて聴いてると、やっぱ声もいいんだけど、曲の素晴らしさに目が行って、そういや彼女は生粋のソングライターなんだなと。

感情の起伏に沿うというか、彼女の体に沿っていくようなメロディが彼女自身のパーソナリティを感じさせるんだけど、同時に彼女だけじゃなくみんなのメロディに溶けていくような柔らかさを宿していて、それは要するに普遍性ということになるんだろうけど、このメロディ・センスには改めて驚かされてしまいました。

エレクトリカルもふんだんにそっち寄りのサウンドを指向した『The Heart Speaks in Whispers』を経てこのアルバムを聴いてみるとメロディがギター主体だなぁと。実際、ライブ映像を見ているとギターを抱えている姿(←これがまた華奢な体にギターがよく似合うのです!)が結構あって、割とロック寄りというか、ライブでは弾き語りもしちゃうタイプ。そうそう、このメロディの感じはギターで作った曲なんだよなぁと、ギターも弾けないくせに妙に納得してしてしまいました(笑)。てことで、やっぱりコリーヌさんにはオーガニックなサウンドがよく似合います。

それとやっぱ声。『The Heart Speaks in Whispers』では曲調の変化に伴って、割と元気よくというか前を向いた声なんだけど、このアルバムでは少し口ごもるというか、色っぽく言えば恋人に遠まわしに話すような感じで、だから時折本音が出てグイグイッとボルテージが上がる時なんかはドキッとしちゃうし、それでもスッと引く時はすぐに引いちゃうみたいな。そんなコリーヌ節が縦横無尽のやっぱこれも相当な熱量のアルバムですね。

音楽はと言うと、メロディであったり言葉であったりサウンドであったりということになるんだろうけど、彼女の場合は声に集約されていくというか、勿論言葉も含めた曲自体の魅力も大きいんだけど、全てがこの声に集約されて着地する感覚があって、それは多量な感情を込めつつも、聞き手の心の中にすっと落ちてくるような、さっきも言ったように個人の思いを普遍的なものに変えていく力、それを癒しという言葉で簡単に片づけたくは無いけど、聴く人の心を優しく慰撫する、或いは鼓舞するのは儚くも力強いこの声なのだと思います。

天才的な声で有無を言わさずっていうんじゃなくて、身近にあってスッと距離が縮まるみたいな感じで僕にはなんか友達みたいな、隣で歌ってくれているみたいな親近感を感じてしまいます。YouTubeで沢山映像を見たけど、飾り気が無くてほんとチャーミング。素敵な方です。

 

1. Are You Here
2. I’d Do It All Again
3. Feels Like the First Time
4. The Blackest Lily
5. Closer
6. Love’s on Its Way
7. I Would Like to Call It Beauty
8. Paris Nights/New York Mornings
9. Paper Dolls
10. Diving for Hearts
11. The Sea

 (日本盤ボーナス・トラック)
12. Little Wing
13. It Be’s That Way Sometime

春の合図

ポエトリー:

『春の合図』

 

ゆっくりと近づく

話しかける合図

友達見つけたよに

ゆっくり離れるあいつナイス

 

おはようとしか言えない

あの子は寒いねと返す

ここから校舎までが

桜並木、春の合図

 

よかったね

誰にも責められることはない

よかったね

たまには人のこと横に置いといてさ

 

右側にいつも髪がハネタ

斜めからの光差した

影が近くなって

少し好きになった

 

君はいつも音楽室の中

外で待つこと

苦にならないのは何故だろう

冬の空気ってなんだか

澄んでいるのは何故だろう

困った人を見ると

胸が疼くのは何故だろう

 

よかったね

誰も触れられない

よかったね

少しずつ噛み砕いていく

 

右側にいつも髪がハネタ

斜めからの光差した

影が近くなって

また少し気持ち大きくなった

 

2015年11月