忘れられた巨人/カズオ・イシグロ 感想

ブック・レビュー:

『忘れられた巨人』  カズオ・イシグロ

 

歴史は封印されるべきものだろうか。もし悲惨な歴史が記憶から消えてしまえば、私たちと隣国はもっと穏やかに暮らすことができるかもしれない。いっそこの極東にも、その息で人々の記憶を失わせるという雌竜が現れてくれないものか。けれどそれは虫が良すぎる話だろうか?

そんな大それた話じゃなくても例えば愛する人との事。些細なかつての行動が相手にとっては許し難い何かであったかもしれず、時が経ち、二人は仲睦まじく暮らしていたとしても何かの拍子にそれは頭をもたげることがあったとして、その時、かつての行き違いはもう過ぎ去ったこととして処理してしまえるのだろうか。今はどんなに仲睦まじくとも記憶は消せない。やはり忘れてしまえた方が二人はより穏やかに日々を過ごせるというもの。

忘れること(=初めから無かった)と許すこと(=無かったことにする)とは違う。一時は‘無かったことにする’として心の奥に収めたことでも、記憶がある限りそれは‘あったこと’に変わりはない。アクセルはベアトリスを「お姫様」と呼ぶ。確かに記憶が薄まれば、アクセルとベアトリスのように初めて会った時のようにずっと仲良くいられるかもしれない。けれど大切なことはそんなことじゃないはずだ。だから年老いたアクセルとベアトリスは記憶を求めて旅に出る。

私たちは記憶で出来ている。好きなものを好きと言い、嫌いなものを嫌いと言い、勉学に励み為すところを目指し、人に強く当たったり、人に優しくするというのは全て記憶の為せるわざだ。それを‘無かったこと’には出来ない。失くしてしまうということは私自身を失くすということ。だからこそ、アクセルとベアトリスはいつまでも二人いるために旅に出るのだ。

これは記憶をめぐる物語。答えは無論何処にもない。けれど私たちは意識せずともいつもそうした記憶を巡る葛藤の中にいる。やはり記憶は消せない。時に自分に問いかけ、時にあなたに問いかける。愛するならば繰り返すしかない。いつの日か、記憶に少しでも優しく触れるために。自分自身でいるために。

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