Keep The Village Alive/Stereophonics 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Keep The Village Alive』(2015) Stereophonics
(キープ・ザ・ヴィレッジ・アライヴ/ステレオフォニックス)

 

新作が出ると聞くと嬉しくなるバンドが幾つかあって、このステレオフォニックスもそう。真っ先に公開された『セ・ラ・ヴィ』がまた待ってました感満載のアッパー・チューンだったので、すごく楽しみに待っていた。

その『セ・ラ・ヴィ』から始まって、2曲目、3曲目と聴いてゆくとやっぱいいんだなあ、この安定感。どっからどう切ってもステフォなんだけど、前作で取り組んだ陰影の部分がちゃんと出てるし、基本的なスタンスとしちゃ何も変わらないんだけどしっかりバージョン・アップされてて、昔ながらのバンドではなく今まさに旬のバンドとしての音が聴こえてくる。キャリア20年目でまたUKチャート1位に返り咲いたというのがその証しだろう。

僕は音楽的なことはよく分からないけどコード進行も単純な感じがするし、曲そのものもいたってシンプル。それでいてこうもドラマティックで奥行きのあるサウンドに仕上がってくるということは、曲作りにおいてもサウンド・デザインにおいても何がしか秘密がある訳で、ミュージシャンを目指す人にとってはよいお手本になるんじゃないだろうか。

今回もケリーのソングライティングは冴えわたっていて、ストーリーテリングが相変わらず素晴らしい。日本人の僕にだってちゃんと映像が浮かんでくるし、ほんと間口の広いストーリーテリングだ。やっぱそこは語り過ぎないということだろう。ちょっとどうなのか分かりにくいところが所々あって、そこはどっちでもいいよ、って聴き手に委ねられている感じ。不足があるというのではなく、そこのさじ加減が丁度いいのだろう。そしてちょっとグッとくる話には何げにストリングスが絡んできたりして、この扱いがまた絶妙なんだな。

このバンドはケリー・ジョーンズの声とソングライティングなんだけど、それも盤石なバンド演奏があってこそ。やっぱバンド力なんだと思う。キャリア20年目にしての9枚目のオリジナル・アルバム。タワレコ・オンラインで初回限定盤を注文しようとしたらすぐに無くなってて、日本でも根強い人気。勿論僕も大好きだ。

 

1. セ・ラ・ヴィ
2. ホワイト・ライズ
3. シング・リトル・シスター
4. アイ・ウォナ・ゲット・ロスト・ウィズ・ユー
5. ソング・フォー・ザ・サマー
6. ファイト・オア・フライト
7. マイ・ヒーロー
8. サニー
9. イントゥ・ザ・ワールド
10. ミスター・アンド・ミセス・スミス

(日本盤限定ボーナス・トラック)
11. セ・ラ・ヴィ (ライヴ・フロム・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール)
12. マイ・オウン・ワースト・エネミー (ストリップト 2015)

Working On A Dream/Bruce Springsteen 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Working On A Dream』(2009) Bruce Springsteen
(ウォーキング・オン・ア・ドリーム/ブルース・スプリングスティーン)

 

詳しくは知らないけれど1950年代に生まれたロックンロールは、チャック・ベリーが‘sweet 16’と歌ったように若者のための音楽であった。大人に「なんだあのジャカジャカやかましい音楽は」と思われたかもしれないが、そんなことはお構いなしにウィルスのようにどんどん伝播していった。ヒップ・ホップがあっという間に世を席巻していったことを思えば、僕らにも何となく想像がつく。

以来、様々なミュージシャンの登場で現在に至るわけだが、何も変わらないことがあるとすればそれは‘若者の音楽’である、という一点ではないだろうか。いや、ロック音楽の誕生から数十年経った今では、大人が聞くロック音楽もたくさんあるじゃないか、と言われるかもしれない。この辺は議論が尽きないところだけれども、例えば誰かをを好きになる、友達とうまくいかない、或いは理想の自分と現実の自分とのギャップに苦しむ、でもどうしたらいいか分からない。そんな多感な頃に初めて経験するナイーブな問題に直面したとき、そっと肩を叩いてくれる、時にはケツを引っぱたいてくれる。それがロックン・ロール音楽ではないだろうか。

なんか話が随分それたが、僕が言いたいのはロック音楽というのは‘成長’というテーマを抜きには語れないということ。かつては年老いたロック・ミュージシャンなんて考えられなかった。なんせジョン・レノンは40才でいなくなったんだから。でも現実はロック・ミュージシャンも年をとる。‘成熟’というロックンロールとは相反する事態に直面するのである。

このアルバムはラブ・ソング集とも言える。スプリングスティーンがここで歌うのは他愛もない愛の歌。稀代のストーリー・テラーがなんのてらいもなく真っ直ぐなラブ・ソングを紡いでいる。そんな中、このアルバムの冒頭に据えられたのは9分の大作、『Outlaw Pete』。80年代のアルバム『ネブラスカ』を思い起こさせる、生まれながらの無法者、通称‘アウトロー・ピート’の物語である。

勿論、CDをトレーに乗せて真っ先に聞くのがこの曲なので、この後の展開は知る由もないのだが、2曲目3曲目と続くうちにこのオープニング・ナンバーが本作において、異色な存在であることに気付く。何故、人肌を感じさせるミニマムな‘愛の歌集’とも言える本作のオープニングに、このような深い影のある曲を持ってきたのだろうか?このアルバムを幾度が聞き、僕はふと思った。我々もこのアルバムの登場人物も、アウトロー・ピートとなんら変わらないのではないか、と。

この曲では何度も‘Can you hear me ?’と繰り返される。しかし‘Can you hear me ?’と叫ぶのはアウトロー・ピートだけではない。ときには彼を狙う賞金稼ぎであり、ときには彼の妻でもある。すなわち、こう言い換えることは出来ないだろうか。聞こえてくるのは、アウトロー・ピート自身の声であり、決して消すことの出来ない過去からの呼び声であり、そして新しい自分を呼ぶ声であると。そしてその何れもが紛れもないアウトロー・ピート自身であるのだ。

本作の登場人物は意識的にせよ無意識的にせよ、このことを理解している。ここに出てくる人生の折り返し地点を過ぎた人々は、何も知らなかった自分も、知ってしまった自分も、何かを乗り越えた自分も、何かを乗り越えられなかった自分も全てが自分自身であり、過去も現在も、そしてやがて来る未来も、全てが自分自身なのだという認識に立っている。それは経験であり、成熟ではないだろうか。にもかかわらず彼らは今も尚、一途に希望を歌う。ここに及んでは年齢など関係ない。ここにあるのは成長のしるしであり、現在進行形の成長の歌である。だからこそ僕はたまらなく心が揺さぶられるのだ。

 

1. Outlaw Pete
2. My Lucky Day
3. Working On a Dream
4. Queen of the Supermarket
5. What Love Can Do
6. This Life
7. Good Eye
8. Tomorrow Never Knows
9. Life Itself
10. Kingdom of Days
11. Surprise, Surprise
12. The Last Carnival
13. The Wrestler (Bonus Track)

Blood Moon/佐野元春 感想レビュー

『BLOOD MOON』(2015年)佐野元春

僕がこのアルバムを聴いて最初に思ったのは、バンド・サウンドだ。ついにコヨーテ・バンドのオリジナリティが開花したと思った。ハートランドとも違う、ホーボーキングとも違うコヨーテ・バンドならではのサウンド。今この時、2015年を生き抜くには強靭なグルーヴが必要だ。足元をすくわれぬよう、無意識のうちに導かれぬよう、自ら拠って立つ強靭なグルーヴが。

2007年の『コヨーテ』アルバムは‘荒地’がテーマだった。現代を荒地と捉え、その中でどうサバイブしてゆくか、ということが大きなテーマだった。佐野はこのアルバム・リリースにあたってのインタビューで「変容」という言葉を使っている。「変化=change」ではなく、「変容=transformation」。変化という生易しいものではなく、我々の住む世界そのものが形を変えてようとしていると。アルバム『コヨーテ』以来、バンドは原始的で重心の低いグルーヴを求めてきた。それは邪な風が吹いても優しい闇が訪れても、決して流されない為だったのか。そうして鍛え上げられてきたグルーヴに今回、いつもより硬質な言葉が乗せてられている。

それは政治的な言葉と言っていい。但し政治的と言っても特定の誰かを糾弾したり、批判したりというものではない。今ある世界にいる我々の生きてゆく様を大げさに言うでもなく、ありのまま物語ることだ。しかしそれはバンドと聴き手のイマジネーションへの揺るぎない信頼があって初めて可能になる。それさえあれば作家は思うままに言葉を乗せてゆくことができる。どう聞いても間違いようのない明確な言葉が躍動しているのはバンドに対する深い信頼と、当たり前のことではあるが良き聴き手がいて自分がいるという意識の表れだ。

今回のアルバムではいつになく、映像が鮮やかだ。全ての曲ではっきりと聴き手のイマジネーションに働きかけている。といっても実際の話という訳ではない。あくまでも架空の物語である。フィクションにどれだけリアリティを持ち込めるか。フィクションだからこそのリアリティ。これは優れたアートの大前提と言っていい。そしてフィクション故に様々な両義性が生まれる。

そう、このアルバムの特徴を一言で言うなら両義性だ。かつてないほどネガティブな言葉、硬質な言葉。そして象徴的なアルバム・ジャケット。しかしそのすべてが一方的に外に向けられたものではなく、こちらにも等しく返ってくるということ。ここにあるのはどちらかの立場で何かを述べたものではなく、どちらが正しいというものでもなく、今ある世界をあるがまま見ようとする態度である。#3『本当の彼女』での「彼女のこと 誰もわかっちゃいない」というのも、だからといってこちらが分かっているわけではないし、#4『バイ・ザ・シー』においても何もセレブな週末を描いているわけでもない。『優しい闇』での闇というのも外から迫りくるものという解釈がある一方で、自分の内に芽生えるものという解釈も見えてくる。#6『新世界の夜』や#9『誰かの神』などはもろに言葉がこちらに返ってくるし、#7『私の太陽』でも主人公は不公平な世界を「気にしない」と言うけれど、そことは無関係ではいられない自分を知っている。#10『キャビアとキャピタリズム』も市場原理主義の真っ只中にいる我々が「俺のキャビアとキャピタリズム」と叫ぶところに意味がある。

一見、外に向けたメッセージ色の濃いアルバムのように思える。しかしこのアルバムは自分以外の誰かや見えない何かを指さすものではない。「何も変わらない」、「気にしない」といった言葉の意味は?正義面して誰かを指弾することができるのか?今の自分の生活はどこに立脚しているのか?不公平な世の中の恩恵を受けているのは誰なのか?僕たちの生活は明日も保証されたものなのか?僕たちこそ糾弾されるかもしれない、坂を転げ落ちるかもしれない。そんないつどうなるとも限らない頼りない世の中で、僕たちはどう生きてゆけばいいのか、どう向き合ってゆけばいいのかということを投げかけてくる。だからこそこのアルバムは人々のイマジネーションに働きかけ、各々がはっきりと自分自身の物語として像を結ぶのである。

今はかつてないほど同時代性が重要だ。今この時代に何も言うことがない作家はどこにもいないだろう。これは今を生きるある作家からのメッセージだ。不特定多数へではなく、聴き手ひとりひとりへ。一方通行ではなく相互に作用しあうメッセージ。

但しそのメッセージは非常に言葉が強い。それを可能にしたのは間違いなくバンドだ。こうしたはっきりとした言葉が表に出過ぎてしまうと、きっとそれは聴くに堪えない。だがここにある言葉は浮つくこともなければ、逆に重すぎて沈み込んでしまうこともない。また殊更ネガティブになることもなければ、ポジティブになることもない。えぐい言葉が出てくる。だが聴き手を突き刺してくることはない。むしろこちらの態度に委ねられていると言っていい。ここで歌われている風景を見ているのは我々なのか。あるいは見られているのはこちら側なのか。バンドはただフラットな感情を呼び起こし、我々に踊ろうと言う。音楽というのは楽しむものだ。その本能に従っていけばいい。硬質な言葉が眉間にしわを寄せることなくダンスする。我々はビートに従ってゆくだけだ。ビートとは反抗。佐野は言う。「ロックンロール音楽はカウンターである」と。

 

1. 境界線
2. 紅い月
3. 本当の彼女
4. バイ・ザ・シー
5. 優しい闇
6. 新世界の夜
7. 私の太陽
8. いつかの君
9. 誰かの神
10. キャビアとキャピタリズム
11. 空港待合室
12. 東京スカイライン

Hang/Foxygen 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Hang』(2017) Foxygen
(ハング/フォクシジェン)

 

米国の2人組、フォクシジェンの4枚目のアルバム。アルバムを買うきっかけは、YouTubeで見た#1『Follow The Leader』のビデオ。60年代ポップスを思わせるストリングスを聴かせたゴージャスな作品だけど、ちょっとずれてる。ていうかわざとずらして真剣にふざけてる。道化のようにおどけ、「Follow The Leader」と歌う姿がとてもいかしていた。

ライナー・ノーツを読んでいると、ソングライティングと多くの楽器を手掛けるジョナサン・ラドがバンドの核のようにも思えるが、幾つかのライブ映像を見れば、このバンドはフロント・マン、サム・フランスの存在感があって初めて成立するのだということがよく分かる。何かが憑依したかのように振り切ったロック・パフォーマーとしての立ち居振る舞いが、バンドのメッセージを示すビジュアルとしての効果は非常に大きい。

このアルバムを語るに避けては通れないのが総勢40名からなるオーケストラだ。ジョナサン・ラドとサム・フランスが今回のアルバムで導入したのは演劇性とエンターテイメント。自分たちの意見を声高に歌うというのではなく、道化のように一芝居打つこと。だがまあ大したものじゃない。基本、彼らは楽しんでるだけだ。その悪ふざけとも取られるようなお芝居がしかし、フィクションが真実を語るようなシリアスさを醸し出す。#4『America』で「ア~メ~リカ~」と歌い上げる姿は可笑しいはずなんだけど、そこに裏を感じさせるのは恐らく聴き手が勝手に想像しているだけ。この辺は恐らく計算済みだろう。この曲ではオーケストラが何度も転調を繰り返す。ご機嫌なしらべはさながらミュージカルで、途中クレイジーキャッツみたいなコミカルな展開も。単純にご機嫌な曲として楽しんで、勝手に裏読みするってのが正しい聴き方かもしれない。

このアルバムは大ラスの『Rise Up』でクライマックスを迎える。この曲は米国では教科書にも採用されているという『赤いシダの木』というお話がモチーフとなっている。それまでの道化が嘘のように作者のまなざしは優しげだ。曲のラストでは大げさなオーケストラと叩きつけるドラミングがうねる中、エレクリック・ギターのディスト―ションが唸りを上げる。これは声なき者の声。この鳴り方は作者の本音がここに隠されているということか。もしかすると彼らのサーカスは最後の歪んだギターを聴かせるための序章だったのかもしれない。

ここにある音楽は60年代70年代のポップ音楽を切ったり貼ったりして、単純にこれカッコイイやんと遊んでいるだけかもしれないが、芸術が内面や暗部を浮かび上がらせるものだとしたら、彼らの態度はその無邪気さで内面や暗部を浮かび上がらせる。多くのポップ音楽はそうしたものを情緒的に処理してしまいがちだが、それでは真のポップ音楽足り得ない。ここで「ア~メ~リカ~」って歌い上げたら面白いやん、っていうエンターテイメント性はそのことを自覚しているからではないか。

蛇足ながら、この無邪気さゆえのメッセージ性(意図的であれ無自覚であれ)は僕にはフリッパーズ・ギターを思い浮かばせた。

 

1. Follow The Leader
2. Avalon
3. Mrs. Adams
4. America
5. On Lankershim
6. Upon A Hill
7. Trauma
8. Rise Up

ポエトリー:

『朝』

 

新しい朝

カカオ80%で休息を

電車に乗り遅れないようにしなくちゃ

 

壊れかけたミキサーに果物を入れ

いつもと同じ栄養源

何度洗っても落ちないコンタクトレンズの汚れ

パウダールームの憂鬱

無くしては探して

見つけてはまた見失う

 

だけど空っぽのクローゼット

今日も着ていく服が無い

 

まだ見失うまい

悲しいフリをするのはもうやめた

 

昨日デパ地下で買ったクロワッサンの匂い

国境を越える彼女の笑顔

真新しい明日

真っ暗闇の明日

それでも君はアジアのきらめき

どが付くリアリスト

澄み渡る風

言葉と言葉の間をすり抜ける君の新しい明日へ

 

ゴビ砂漠に照り続ける太陽のような君の後悔も越えて

きっと遠くイスタンブールまで見渡せる

 

2012年11月

搾取

ポエトリー:

『搾取』

 

インターネットを越えて私たちの脳髄に食い込む彼の地の 貧困 暴力 差別

私たちの栄養は彼の地の困難と地続きだ

 

ぼやけた人間の宿命を

脳髄に打ち込まれた回線で

私たちは配達する

使い古しの靴下を

私たちは搾取する

隣近所の果樹園を

私たちは強奪する

向こう岸の獲物を

 

このまま事が運ぶわけがない

私たちはきっと

一杯食わされているに違いない

 

私はもう聖者にはなれない

私たちは友だちであり

私たちは商売敵

 

私のナイキのスニーカーは

あいつの裏庭を踏み潰している

 

2017年5月

新しい世界

ポエトリー:

『新しい世界』

 

世界は今、昔より 遠くなった

数ある社会の今 一部になった

 

見知らぬ人が道の上 取り残されていたら

私はすぐに声かけて 手を差し伸ばせるだろうか

 

道が増えてきた

街が混んできた

 

友達とは今 そんなに会わなくなった

友達は今、昔より 身近になった

 

家族が見知らぬ夜の中 取り残されたとしたら

私は今すぐ駆け出して 辿りつけるだろうか

 

風が遠のいた

海は凪いでいた

 

世界は今、昔より 届かなくなった

数ある社会の組織の今 一部になった

 

2017年7月

Wonder Future/アジアン・カンフー・ジェネレーション 感想レビュー

邦楽レビュー:

『Wonder Future』 (2015)  Asian Kung-Fu Generation
(ワンダー・フューチャー/アジアン・カンフー・ジェネレーション)

 

元々買う気は無かったんだけど、『復活祭』と『スタンダード』がやたらカッコよかったもんで、久しぶりにアジカンのアルバムを購入した。やっぱデビューして10年以上もたつと手癖というか、その人独特の言い回しが身に付いてしまう。アジカンもどうしても後藤正文節というのがあって、ありがちなメロディ、ありがちな言葉についつい目が行ってしまう。カッコいいなと思いつつ、結局買わずにいたのはそんなところに理由があったりするのだけど、この2曲はそういう部分を越えた先の表現が存在している気がした。

本作は米国、デイブ・クロールのスタジオで録音されている。今の子供たちに8ビートのロックンロールを届けたい。そんな気分になったということで全編に渡って勢いあるサウンド。アジカン史上、最も洋楽に接近したアルバムと言えよう。これまでのアルバム全部聴いたわけじゃないけどね。

で、この意気込みは大成功。取って付けた感は全くない、芯からぶっ放すロックンロールだ。その中でも冒頭に述べた2曲が突出しているのだけど、じゃあ他のはどうかってなるとちょっと物足りない感じがしないでもない。折角だし、もっと無茶苦茶になっててもよかったんじゃないかなと。そこがちょっと残念かな。でもまあこんなのやろうと思ってもなかなか出来るもんじゃないし、これが彼らの底力。キャリアから見てもこれまでの経路からは少し外れた異質なアルバムになっているんじゃないだろうか。

それとやっぱり嬉しいのは、彼らの目線が常に外を向いているということ。単純にサウンドという意味だけじゃなく、ドメスティックな域にとどまらない意識の開かれ方は流石である。

ジャパニーズ・ギターロックは掃いて捨てる程あるけど、言葉への向かい方とか、サウンドの鳴りとか、なんだかんだ言ってもやはりアジカン。こうやって改めて聴くとつくづく思いました。今もすべてにおいてトップランナーであるのは間違いない。これが若い子に届くといいけどなぁ。

 

1. Easter/復活祭
2. Little Lennon/小さなレノン
3. Winner and Loser/勝者と敗者
4. Caterpillar/芋虫
5. Eternal Sunshine/永遠の陽光
6. Planet of the Apes/猿の惑星
7. Standard/スタンダード
8. Wonder Future/ワンダーフューチャー
9. Prisoner in a Frame/額の中の囚人
10. Signal on the Street/街頭のシグナル
11. Opera Glasses/オペラグラス

Eテレ 100分 de 名著「ハンナ・アーレント/全体主義の起原」 感想

TV Program:

Eテレ 100分 de 名著「ハンナ・アーレント/全体主義の起原」  2017年9月放送分

 

国内外の名著を全4回、100分で紹介するこの番組。9月の作品はハンナ・アーレントの『全体主義の起原』。全体主義の生成過程をナチス・ドイツを例に取り紐解いていく。ここでは細かく述べないが、これは現代にも当てはまる僕らのすぐ側にある問題だ。

日本が右傾化しているのかどうかは分からないけど、メディアは自国を誉めそやすのに熱心だ。すぐに「世界が驚いた日本!」と騒ぎ立てる。そんなのは言い方次第でどうにでもなる。逆に言えば、「世界から見れば最低な日本!」なんてのもいくらでも作れるだろう。僕たちのリーダーは「絶対に」、「完全に」と言いたがる。かの国のリーダーは「never ever」と言いたがる。大げさな物言いが溢れている。僕たちは本当はどうなのかを自分自身で判断しなくてはならない。けど、とても難しいことだ。そんな時、僕はこう思うようにしている。「それって本当かな?」。物事というのはどちらか一方ということはない。光もあれば影の部分もある。どちらか一方に偏った意見には注意しなければならない。特に分かりやすい表現には。それを強いてくる連中には。

番組の最後で「複数性」という言葉が出てきた。この言葉を聞いて僕はある別の言葉が思い浮んだ。丸山真男の「他者共感」という言葉だ。自分の考えというのがあって、他者の別の考えがある。それを戦わせる、非難するというのではなく、相手の身になってそれを考えてみる。そうすることで、自分の考え方もまた別のステージに向かうことができる。自分の考えも他人の考えも俯瞰して見ることの重要性。そうした考えを丸山は「他者共感」と名づけている。

自分と違う考え、意見、性別、年齢、人種、民族。世界は「複数性」で成り立っている。自分(たち)だけが正しい。自分(たち)だけで成り立っている。悪いのはやつらだ。これは大きな誤りだ。自分とは異なる意見に出会った時、相手の立場になって考えてみる。そうするとまた違った自分の考えが生まれてくるのではないか。しかし言うは易し行うは難し。僕だって自分の考えはそう簡単に変わらないし、批判されりゃついムッとなる。世界は「複数性」で成り立っている。このことをしっかりと心に留めておきたい。

最後にこの番組で紹介されたミルグラム実験について述べておきたい。閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものだ。具体的に言うと、「体罰と学習効果の測定」と称して教師役は隣室にいる生徒役の回答が間違うたびにより強い電気ショックを与えることを要求される。もちろん、生徒役に電気は流れていないので苦しんでいるふりをしているだけ。本当の被験者は教師役ということになる。この実験では、うめき声がやがて絶叫となり、遂には聞こえなくなっても教師役は回答が違えば、権威者の指示通りに電気を強くし続け、最終的に6割以上の参加者が命の危険がある450Vのショックを与えることになったという。この実験は、ホロコーストに関与し、数百万のユダヤ人を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担ったアイヒマンの名前を取って、アイヒマン実験とも呼ばれている。誰だってアイヒマンになり得るのだ。

Chasing Yesterday/Noel Gallagher’s High Flying Birds 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Chasing Yesterday』(2015) Noel Gallagher’s High Flying Birds
(チェイシング・イエスタデイ/ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ)

 

僕にとっていいアルバムは後半がいいアルバムである。その点、ノエルのソロ第二弾は十八番のロック・バラード、#5『ザ・ダイイング・オブ・ザ・ライト』から俄然よくなってくる。そこまでは軽い手鳴らし、いよいよこっからが本編とばかりにグイグイやってくる。重い足枷から解き放たれた自由な感じがしてとてもいい。この人が好きなようにやると、こんな凄いことになっちゃうんだ。

表現も多彩でいろんなパターンを見せてくれるし、曲間のつなぎもオアシス時代みたいな遊びがあって、ニヤっとしてしまう。重厚なのが続いた後の9曲目に一番カッコイイのがスカッと入る解放感がまた最高だ。

僕の中ではノエルのボーカルは相変わらず地味な感じなんだけど、それでもこれだけいいというのは単純に曲がいいということ。曲がいいからこりゃ別に上手くもない普通の4人組のバンドでやってもそれはそれでよさそうとも思ってしまうが(それって最初の頃のオアシスやん)、今回はノエルのサウンド・デザインの素晴らしさがいい曲を更に高い所へ引っ張り上げている(意外だけどオアシス時代を含めて初のセルフ・プロデュース!)。#6なんてその典型で、インスト部の長い下手すりゃ退屈なものになってしまうんだけど、こういうのもカッコイイ曲に仕上げてしまう。単にいい曲を書くってだけの人ではないのだ。

ある一定の水準以上の曲を20年前と変わらず書き続けられる凄み。長くやってると似たような曲になってしまうんだろうけど、似たような曲に感じさせないこの鮮度の損なわなさは何なんだ。久しぶりに本気を出したノエルのソングライティングはやっぱり圧倒的だったっていう身も蓋もない結論。今も昔もノエルが歌ものロックの世界基準だ。

ボーナス・ディスクもカッコイイ。ホント、どうなってるんだこの人は。

 

1. リヴァーマン
2. イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・モーメント
3. ザ・ガール・ウィズ・エックスレイ・アイズ
4. ロック・オール・ザ・ドアーズ
5. ザ・ダイイング・オブ・ザ・ライト
6. ザ・ライト・スタッフ
7. ホワイル・ザ・ソング・リメインズ・ザ・セイム
8. ザ・メキシカン
9. ユー・ノウ・ウィ・キャント・ゴー・バック
10. バラード・オブ・ザ・マイティ・アイ

(ボーナス・ディスク)
11. ドゥ・ザ・ダメージ
12. レヴォリューション・ソング
13. フリーキー・ティース
14. イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・モーメント (リミックス)
15. リーヴ・マイ・ギター・アローン

ボートラをちゃんと分けてるところが〇