Eテレ 日曜美術館「奄美の森に抱かれて~日本画家 田中一村~」 感想

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Eテレ 日曜美術館「奄美の森に抱かれて~日本画家 田中一村~」 2018.12.30再放送 感想

 

毎週録画している番組が幾つかあって、なるべくその週中に観ようと思うんだけど、なんだかんだと観ることが出来ずに録画がどんどん増えていくというのは録画あるある。

Eテレの日曜美術館もそのひとつでついつい観るのが先になってしまう。ということで昨年末に放送していた「日本画家 田中一村(いっそん)」の回も先日やっと観たばかりで、この人のことは知らなかったんだけど、とても素晴らしい画家だということを知って、なんだもう少し早く観ておけば良かったなどと今さらながら思った次第ですが、なんでもこの回は昨年7月の再放送だということで、多分その時はタイトルだけを見てなんとなく削除してしまったんだろうな。こういうのも録画あるあるです(笑)。

田中一村という人は明治41年の生まれで、彫刻家だった父親の薫陶を得、幼い頃から絵を描いていたそうで、一村8歳の頃の水墨画が番組でも紹介されていましたが、子供が描いたとは思えない素晴らしい水墨画。当時は神童なんて呼ばれていたそうです。

長じて、東京美術学校(現東京芸大)へ入学するものの、当時は南画と呼ばれる水墨画は衰退の一途を辿っていたそうで誰も教えてくれる人がいない。加えて家庭の事情もあって退学し、そこからは誰の師事も仰がずに独学で日本画を学んでいったということです。独学と言っても物心両面で支えてくれる支援者もいたり、晩年に奄美大島で生活をする際には地元の人に随分助けられたようで、一村の経歴を見てみると、芸術一辺倒の激烈な性格であったと思われますが、実際は人懐っこく社会性に富んだ人ではなかったかと思います。

とかく日本画というと淡い色調の大らかな絵を想像しますが、一村の日本画は非常に色彩豊かで躍動的。色彩感覚や構図はアンリ・ルソーを思わせますが、ルソーの売りがいわゆる「素人っぽさ」だったのに対し、一村は技術的にも優れていますから非常にリアルです。構図としてはルソー同様ファンタジーの要素もあるのですが、一村は実際にある景色を描いているし、しかも写実的で色鮮やかですから圧倒的に生命力があるわけです。

一村は自分なりの日本画を求める中、旅で九州を訪れます。その時に魅せられた南国の自然の豊かさが後の奄美大島での生活に繋がっていくようですが、結果的には独自で絵を研鑽し誰にも学ばなかった一村の一番の師は南国の自然だったのかもしれません。

一村の経歴をネットで調べてみると、彼は何度も壁にぶち当たってるんですね。展覧会に出展しては落ち、出展しては落ちの繰り返し。今見ると圧倒的な絵ばかりですが、生前はあまり評価されなかったようです。けれど一村はひたすら絵の道を突き進みます。挙句に奄美大島へ移住する。この絵に対する一途さが作品にも表れているような気がします。自分の力で立っている。絵そのものが凛としている。そういう凄みが立ち上がってくるような気がします。

芸術というのは誰かに評価されるためにやっているのではないのだと思いますが、そうは言っても実際には経済的なことだったり社会的な事だったりで、自分の信じる道を突き進むなんてのはそう出来ることではありません。一村の奄美時代の写真を見ると非常に人懐っこい顔をしていて、体質もあろうかと思いますが体も引き締まっていて、やっぱり生命の強さ、美しさが滲み出ている。今も健在の奄美の人々の一村に関する思い出話を聞いていても、とても魅力的な人だったのではないかなぁと想像します。

昨年は田中一村生誕110周年ということで、各地で展覧会が催されていたようです。何でも滋賀県の守山でも大がかりな展覧会があったようで、昨年7月の日美もそれに合わせての放送だったようですね。なんだ、ちょっと遠いけど守山なら日帰りで行けたのになぁと、やはり録画は溜め込まず早くに観るべしと、改めて誓った次第でごさいます。

ちなみにこの日以来は僕はスマホの待ち受けを一村の代表作、「初夏の海に赤翡翠」にしています。この頃の一村の絵はスマホ時代を見透かしたかのように縦長なのでバッチリ(笑)。ホンマ、いい絵やわぁ。

Eテレ 日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ マティス」 感想

TV Program:

Eテレ 日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ マティス」
2019.1.21放送 感想

 

この日の日美は一人の芸術家の魅力をその芸術家を心から愛するゲストと共にその魅力を談義する恒例の「ダンギ・シリーズ」。今回のテーマは「アンリ・マティス」です。

~芸術家の役目は見たものをそのまま描きとることではなく、対象がもたらした衝撃を最初の新鮮な感動とともに表現することなのだ~

これはマティスの言葉です。ま、そういうことです。これで全部言い切っちゃってるから、もう他に言うことないですね(笑)。

僕にとってマティスは好きな部類には入るけど、同時代のゴッホとかピカソに比べてあまり強烈なイメージは持っていませんでした。どっちかっていうと優等生的なイメージ。だから今回の日美も何となく観始めたのですが、番組の冒頭で紹介されたこのマティスの言葉に僕は気持ちを一気に持って行かれました。

マティスといえば色鮮やかな色彩。特に「赤」が印象的です。その「マティスの赤」の魅力について、俳優の津田寛治さん。赤というのは強くキツイ色だけど、マティスの赤はドキッとさせる赤ではなく、逆に温かみを感じると仰っています。これは面白い指摘ですね。番組でも紹介されていましたが、マティスはアクの強い絵を描こうとしていたのではなく、何気ない初めからそこにあるような絵を目指していたとのこと。それを表現するのに敢えて個性の強い赤、反対の意味のもの用いてみる。穏やかな絵を反対のイメージを持つ色で構成してみる。そうすることでかえって本当の穏やかさが表現されるのではないか。マティスはそこに起きる化学反応を試していたのかもしれないですね。

この手法、音楽で例えるとポップ・ソングと同じですよね。悲しい詩に悲しいメロディを持って来ても聴き手には悲しい気持ちしか伝わりません。そこで悲しい詩ならば、敢えて明るいメロディを持ってくる。陽気な言葉ならば暗いメロディを持ってくる。そうすることで不思議な化学反応が起き、聴き手へ届くイメージは大きく広がってゆく。絵についても同様だということではないでしょうか。

マティスは赤を多用しますが、一緒くたに赤と言っても微妙に赤味を変えてくる。例えば下地に別の色を塗ってからその上に赤を重ねたり。アーティストの日比野克彦さんは言います。思考錯誤の末にこれだと思える瞬間がある。それは作家にとって大きな喜び。それが経験値として積み重なってくると同じ手法を用いたくなるが、作家自身の鮮度としては当然落ちるわけで、そこは作家の宿命として崩したくなる。それが一見同じ赤であって印象変えてくるマティスの態度にも繋がっているのではないかと。

マティスの第一次世界大戦の頃の絵は全てがそうではないが、色彩の魔術師と言われる人がキャンバスの大半を黒やグレーといった暗い色で覆い尽くしてしまう。お茶の水女子大学教授、天野知香さんんの話によると、元々あった風景やそれに伴う色彩を上から黒く塗りつぶしてしまっている絵もあるそうで、やはり芸術家は時代と無関係ではいられないのではと考えてしまいますと、司会の小野正嗣さんが言うと日比野さんはこんなことを言います。芸術家は時代に敏感に反応するように普段からトレーニングしているから、やっぱり時代からは逃れられない。とは言いつつ、作家独自の個性はあってそこからも逃れられないから、これはちょっと異質てすね、なんていう絵でも作家らしさは残っている。これも非常に面白い話でした。

晩年のマティスは創作のブロセスを写真に取って残している。素人考えでは、何かインスピレーションが降りてきて、さささっと描いてしまう、しかもマティスみたいな抽象画だと尚のことそう思ってしまうが、実はテクニックの占める割合は相当あるんだと。天野知香さんはこれは後進に対する教育という意味もあったということですが、マティスの芸術に対する考え方がうかがい知れて興味深いです。つまり、芸術というととかく感性で括られがちですけど、修練の部分、技術の部分も多くを占めるのだと。これは芸術全般に言えることではないでしょうか。

最晩年、キャンバスに向かう体力の落ちたマティスは新しい表現方法を獲得します。それが切り絵。図らずもキャンバスや筆から離れることでマティスは絵画という枠組みから解き放たれます。以前から、デッサンと色彩とに乖離を感じていたマティスは色彩によるデッサンという新しいスタイルを獲得するのです。それをマティスは「濃縮された音色」と言っています。

年を取るということは成熟するということではなくて、よりピュアになっていく。以前、あるアーティストがそんなことを言っていたのを聞いたことがありますが、マティスは正にそれを地で行く存在だったのかもしれません。

マティスは教会とその敷地をデザインするという創作も行っています。切り絵といい工業デザインといい、キャンバスに囚われない活動はまるで創作をインタラクティブなものとして捉える現代のアーティストのよう。冒頭の言葉や、異なる組み合わせによる化学反応への期待、テクニックの部分への信頼。そうした印象からもマティスは単に絵画に留まらない総合的なアーティストだったと言えるのではないでしょうか。

NHKスペシャル 平成史 第1回 大リーガーNOMO HIDEO 感想

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NHKスペシャル 平成史 第1回 大リーガーNOMO HIDEO             

 

野茂は近鉄時代から野茂英雄だった。ノーヒットノーランが掛かる最終回であろうが、勝負にこだわり真っ直ぐを投げ続けたし、右腕にライナー性の打球が当たり一旦ベンチに引っ込んでも、何食わぬ顔をして再びマウンドに上がった。何を聞かれても仏頂面で自分の意志だけを言った。その周りの事はどうでもよかった。今年、50代を迎えた野茂は体型が違えども眼光は昔のまま。今も尚、野茂英雄は野茂英雄のままだった。             

この番組で興味深かったのは野茂が近鉄バッファローズから離れることになったいきさつ。今回のインタビューで野茂から語られた内容によると、第1回契約更改の前に既に自由契約になっていたということ。揉めに揉めて自由契約になったとばかり思っていたが実は違うようだ。任意引退を申し出たのは野茂サイドの方で、自由契約になれば、復帰するには元の在籍球団としか交渉できないという制約があるものの、アメリカの球団との交渉は可能という、当時の日本プロ野球規則をあらかじめ調べ上げ、これならいけると近鉄球団へ申し出たのだ。その時点では誰も野茂がメジャーリーグに挑戦する意向を持っているとは思っていなかったわけで、近鉄球団側は野茂サイドのシナリオに乗った訳だ。

この辺り、番組中に名前は出てこなかったが、当時の野茂の代理人はダン野村氏であったかと思う。しかしこれを可能にしたのは、ここで野球人生が終わってもいいと覚悟した野茂の決意だ。説明を聞いてこれで行こうと一度決めたなら、あとは迷わずに突き進む。そこに野茂のピッチング・スタイルと同じ太い幹を見るような気がした。       

最後の交渉の場で近鉄はあらゆるオプション契約を提示し、野茂を引き留めようとしたが、同行した当時のピッチングコーチの佐藤道郎によると野茂は「メジャーに行かせてください」としか言わなかったようで、その様子を見た佐藤もその情熱の前では「頼むから気持ちよう行かせたってくれ」としか言えなかったそうだ。

野茂は自分が日本人メジャーリーガーのフロンティアと呼ばれることに抵抗を持っている。通訳やトレーナーや多くの関係者がいる。自分だけが特別扱いされることを極端に嫌う。野茂は自分がフロンティアだとは本当に微塵も思っていないし、寧ろ理解のあるドジャースに入れた自分は幸運だったと述べている。 

野茂は華々しくメジャー・デビューをするものの、キャリアの中盤では肘を手術するなど、思うような結果が出ない時期を過ごす。メッツ時代、ブリュワーズ時代がそれにあたるだろうか。しかしそこから野茂は二つ目の大きな山を作り出す。それはレッドソックス在籍時のノーヒットノーランであり、再びドジャースに戻った時のエースとしての活躍だ。どうして二つ目の山を作ることが出来たのかという問いには、「この頃から自分の事だけじゃなく、自分が投げない時もチームに貢献出来ないかと考えるようになり、回りの選手の事も見るようになった。投げていない日も試合を観るようになったし、そうしたらうまくいくようになった」と答えている。この非常に重要なコメントを引き出したインタビュアーの大越キャスターの質問は素晴らしかったと思う。

野茂は剛腕のイメージがあるが、肘を手術してからの真っ直ぐは(野茂はいつも直球を真っ直ぐと言う)140km/h中盤しか出ない。しかしその140km/h台中盤しかでない真っ直ぐで野茂は真っ向勝負を挑む。スピードがあるとかないとかではないのだ。打者を見据えて、腕を思いっ切り振ることしか考えない。野茂にとっては打者を抑えることが結果ではなくて、腕を思い切り振れたかどうかが結果なのだ。

大谷選手の活躍について聞かれると、大谷がどうこうとは一切言わず、自分も体が元気だったらもう一度やりたいとか、どんな球を投げるのか打席にも立ってみたいとだけ言う。日米野球では自分の真っ直ぐがどれだけ通用するかを知りたかったから、真っ直ぐばっかり投げて怒られてましたと言って笑う姿や、引退したくなかったし、引退してからも投げたいと思いましたと当たり前のように言う姿を見て、引退して何年も経っても野茂英雄は野茂英雄のままなんだなと思った。

野茂は批評めいたことや誰かのことを悪しざまに言ったりしない。「日本球界に対して大きな壁を感じたことはありますか」と聞かれた時もそうだった。近鉄球団に対しても文句はいくらでもあるだろうけど、口にするのは「最後の話し合いで、メジャーに行かせてくれた人には感謝しています」と言うのみ。マスコミに散々嫌な思いをしたろうけど、そんなことも一切言わない。多分それは野球とは関係ないことだからだと思う。

野茂英雄は僕にとってのヒーローだった。別にメジャーリーガーになったからではない。ユニフォームがはち切れんばかりに大きくワインドアップをして、背番号が見えるほど体を捻り、どんなに大きい相手であろうと、真正面から突破を試みる。それは僕には到底できないことだった。この日、久しぶりに野茂さんを見た。体型は変わって髪の毛には白いものが見えたけど、やっぱり野茂さんは僕のヒーローのままだった。高校の教科書に何度もピッチングフォームを落書きした、大学時代に4畳半のアパートで夜な夜な観た、あの時のヒーローのままだった。

Eテレ 日曜美術館「巨大な絵画にこめたもの~画家・遠藤彰子の世界~」 感想

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Eテレ 日曜美術館「巨大な絵画にこめたもの~画家・遠藤彰子の世界~」 2018.10.14放送 感想

 

今回の日美、すっごく良かったです。番組は道路にチョークで絵を描く女の子の映像で始まります(←そういや昔はこんな光景がたくさんあったよなぁ)。イメージがどんどん溢れて絵が止まりません。マンホールは太陽になり、キャンパスは道の有る限り。描けば描くほどイメージは広がって手が止まらない。きっとお母さんに「お昼ご飯ですよ~」って言われても止まらないだろう。

子供の頃に絵を描くのが好きだった人なら誰しも、そんな記憶があるかもしれない。確か僕にも似たような経験、あったっけな(笑)。72才の画家、遠藤彰子さんの根本は今もそういうところにあるのかもしれない、そんなイメージを抱かせる象徴的な冒頭のシーンは見事でした。さすが日美やね!

遠藤さんはもう何年も前から500号(約3メートル×約2メートル)という大きな絵を描き続けています。ヨーロッパから取り寄せた大きな脚立に乗って。何故こんなに大きな絵を描くのか?それは「自由になれるから」、「重力をコントロール出来るから」。窮屈なことは全て取っ払って、自由に好きなだけ想いを巡らせたい。そういうことでしょうか。

勿論、遠藤さんは本当の子供みたいに何もない所からスタートするんじゃなく、500号のキャンパスに向かう前に100枚以上の下書きをする。その上で、準備を万端整えた上で、後は絵の中に入って自由に遊ぶ。キャンパスはどこまでも。まるで家の前でアスファルトにしゃがんでは、次々と浮かぶイメージにチョークを振るわせていくかのように。

今回の放送では遠藤さんが炭で下書きを始めるところから、彩色し完成するまでの約半年間の創作風景を追ってゆきます。これはよかったですね。画家がどのように筆を進めていくのかが垣間見えてとても興味深かったです。それにしても遠藤さん若々しい!大きな脚立を移動させながら、変な姿勢になりながら、軽やかな身のこなし!70を幾つか過ぎた年齢は私の母とそんなに変わらないんだけどな(笑)。やっぱり時空を巡るアーティストは時間の流れが常人とは異なるのかもしれないですね。

絵が完成した時、遠藤さんは何故か分からないけど、いつも悲しくなるそうです。司会の小野正嗣さんは「それは絵が手を離れるからですか?」と訊ねますが、それはどうやら違うらしい。何故だか分からないけど、悲しくなるのだと。ただそれを思いつめようとはせず、なんででしょうねって受け流していく遠遠さんの自然な表情が素敵でした。

この時描き終えた絵と昨年描いた絵は対になっていて(←この点も観ていてゾワッとした)、どちらにも少女が描かれている。それは遠藤さんの内面を表したものではないかという解説があったけど、それが実のところ本当かどうかは別にして、やはり少女性というのは遠藤さんとは切り離せないキーワードで、絵が完成した時に悲しくなるのはなんででしょうねって、さらーっと流せてしまうところなんかも正にそんなところから来るのかなと。なんか自然体で頭の中のスポンジがまだふわふわの人だなって、そんな印象を受けました。

『The Covers』 NHK BSプレミアム 2018.9.23 再放送(ゲスト:グループ魂) 感想

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『The Covers』 NHK BSプレミアム 2018.9.23 再放送(ゲスト:グループ魂) 感想

 

MC:リリー・フランキー 池田エライザ、ゲスト:グループ魂 Char

NHK BSプレミアムにて月1で放送されているこの番組。ラテ欄に‘グループ魂’とあり急いで録画。どうも8月放送分の再放送のようでした。番組H.Pを見ると7月はクレイジー・ケン・バンドだった模様。くっそ~、見逃して残念。この番組は月一だからつい見逃してしまうんだよなぁ。

ゲストのグループ魂は元々、劇団「大人計画」のメンバーを中心に結成され、もう10年以上も活動をしているそうだ。活動は年に合わせても1週間程度ということで、パンク・バンドと称しながら細く長くやってますと自虐的に話していました(笑)。過去にテレビで何度か観た印象は遊びの延長みたいな感じで、失礼ながら完全にイロモノとして見ていましたが、この日観たグループ魂はなかなかどうして立派なもん。演奏も上手いし、立ち居振る舞いも完全にバンド。ちょっと見直しました。ちなみにメンバーを列挙すると、阿部サダヲ、宮藤官九郎、皆川猿時、村杉蝉之介、三宅弘城、小園竜一、富澤タク。それぞれ破壊(=阿部)とか暴動(=宮藤)とかバイト君(=村杉)といったバンド・ネームも付いとります。

今回のテーマは昭和のアイドルってことですが、年齢的に1980年前後ですね。カバーしたのはチェッカーズの『哀しくてジェラシー』と渋谷哲平の『Deep』。どっちも良かったけど、『Deep』の方がカッコ良かったかな。クドカンがテンポを倍にしてごまかしましたって言ってたけど、全然パンクの王道って感じで良かったですね。ただもう元歌の渋谷哲平の映像が…。リリー曰く「インベーダー・ダンス」を含めてのインパクトが強烈過ぎて、やっぱ破壊力では元歌だなと(笑)。

トーク・コーナーではメンバーの好きなアイドル遍歴が披露されて、エライザさんが終始引き気味だったんだけど、港カヲルこと皆川猿時が「(渡辺)美奈代もいいけど、エライザもいい」と言った時のエライザさんのド引き具合が最高でした(笑)。

番組は中盤からゲストが登場。赤い彗星と同じ綴りのレジェンドChar。常人の3倍で弾くチャーさんです。流石NHKということで若かりし頃の映像が流れるんだけど、これが20才そこそことは思えない色気で、何でも当時はセックス・アピールが強すぎるってことで出入り禁止になった場所もあったとか。セックス・アピールが強すぎるってどういうことやねん(笑)!で、その「男が一度は言われてみたい言葉(←リリー談)」を持つチャーさんがその場で持ち歌『気絶するほど悩ましい』をアコースティックで披露。これがまた大人の色気満載で、思わずあのエライザさんが「女性ホルモンが出た」と仰ったぐらいなもんで。てことで皆チャーさんの唄よりもエライザさんのその一言にやられちゃいました。ハイ、もちろん私もです…。つーかエライザさん色っぽ過ぎ!そのくせ下ネタには引き気味で、私お酒飲めないんです…みたいなウブなところも見せやがる。こりゃおっちゃん通ってまうやろっ!

歌に戻って、チャーさんとグループ魂のコラボ。『チャーのフェンダー』と『チャーのローディー』のメドレーです。勿論、途中でコント挟みます(笑)。『チャーのフェンダー』っていうのはチャーさんのローディーの気持ちを歌った曲で、『チャーのローディー』はローディーに対するチャーさんの不満を歌った曲。どっちもグループ魂の持ち歌です。これがカッコ良かった。最初にも書いたけど、グループ魂のバンドとしての力量が、えっ!?こんなだっけ?っていうぐらいこなれてて、チャーさんと共演しても全然違和感なくやってける。活動期間は年に1週間程度と言うけど、みんな好きで結構練習してんだろうな~って微笑ましくなりました。ていうかクドカン、ギターうめー。それにやっぱ細身の人が上下タイトに黒でバシッと決めて、足広げてギター鳴らすってのは絵になるねぇ~。クドカンがカッコよく見えた(笑)。阿部サダヲにしたって、本職でもこれだけシャウト出来る人いませんぜ。

それにしても真剣にプレイして、コントにまで付き合うチャーさんは素敵っす。阿部サダヲこと破壊にチャーハン、チャーハンって言われても全然気にしないんだもんな~。そうそうトークでチャーハンが、いやチャーさんが彼らはクレイジー・キャッツとかドリフみたいで今時こんなバンドいないから好きだみたいな話をして、そういや昔はちゃんとしたバンドの音楽コントって結構あったよなぁって。グループ魂は技量にも優れているし、なんてったって舞台俳優だからパフォーマンスはバッチリ。1週間と言わずもっと沢山出てくんねぇかなと思いました。そういや天下のチャーさんのギタープレイに割って入る村杉蝉之介ことバイト君のブルースハープもカッコよかったぞ!

ラストはグループ魂の新曲「もうすっかりNO FUTURE!」。加齢についての歌だそうです。「セックスレス・ピストルズ」って歌詞が最高(笑)。そういやちょっとまえに最近の日本人はなかなかオッサンになれないっていう記事があって、かくいう私も一向に貫録無くて、逆に若いですねなんて言われて図に乗ってますが、昭和のオッサンみたいにしっかりとしたオッサンになれなくても、彼らのようなバカ中学生みたいなオッサンもそれはそれで素敵だなと思いました。

番組の最後はいつものスナックを舞台にしたミニ・コーナー。ミッツ・マングローブ率いるオネエ・トリオによるカバーです。今回はテーマにちなんで中森明菜の「ミ・アモーレ」。これがまた上手いんよね~。いつもながら聴き入ってしまいました。そして聴き入りつつもつい目をつむって聴いてしまう私でした…(笑)。

Eテレ『日曜美術館~北大路魯山人X樹木希林~』 感想

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Eテレ『日曜美術館~北大路魯山人×樹木希林~』 2017年8月6日放送(2018年9月23日再放送)

 

北大路魯山人は美にこだわる。
洗濯物の干し方ひとつで怒鳴り込む。

樹木希林さんは言いました。

 「どうでしょう、
  魯山人の美を理解できた人はひとりいたかどうか。」

希林さんは司会の井浦新さんに尋ねます。

 「あなたに理解者はいますか?」

井浦さんは口ごもります。
(ちなみにこの人はいつも口ごもります。それがとてもいいと思います。)

 「すぐには名前が出てこないです。」

希林さん、

 「そういうもんじゃないですか。
  人にあまり期待してもらっては困ります。」

 

いやぁ、やられました。お婆ちゃんのアフォリズムやね(笑)。人と人は本来わかり合えないもの。欲張っちゃいけませんね。たまに分かってくれていると感じた時には、ラッキーぐらいに思っておけばいい。そういうことでしょうか。

番組の最後の方で、希林さんにとって人生は「持って生まれた綻びを繕っているようなもの」と仰っていました。ふむふむ、生きるとは何かを積上げていくものかと思っていたけど逆か。穴ぼこを埋めていく作業。なるほど、確かにこっちの方がしっくりくるな。ただ私の場合は持って生まれた綻びだけじゃなく、今も進行形であちこち破れちゃってますが(笑)。

てことで、私も死ぬ間際には、沢山のツギハギだらけの布っきれになっていたいなぁと、そんな風に思いました。

落語番組の決定版!Eテレ「落語ディーパー」が面白い

TV Program:

落語番組の決定版!Eテレ「落語ディーパー」が面白い

 

月曜の23時からEテレで放送されている「落語ディーパー~東出・一之輔の噺(はなし)のはなし~」がすごく面白い。近年落語ブームということで「落語ザ・ムービー」のような落語に関する番組があったけど、これはその決定版という感じ。落語に興味はあるけど余り馴染みがない人にとっては持って来いの番組だ。

まずその日の放送回でフィーチャーされる噺があって、あらすじが紹介されます。そしてその噺にまつわる背景なんかが語られて、この語られてっていうのが堅苦しくなく、出ている出演者が若い落語家ばかりで我々と同じ目線で語ってくれる。ていうか若いから当たり前のように同じ目線になってしまう。例えばあんな噺は堅苦しくて嫌だとかそういう類の話がポンポン出てくる。落語といやぁお年寄りというイメージで、僕が密かに毎週録画している「日本の話芸」(同じくEテレ、土曜の午後にやってます)だって、出てくる演者は超ベテランばかりだし、やっぱ若い演者が今の感覚で喋るってのは大きいと思います。

この番組のいいところがもう一つあって、それはその回の噺を過去の名人が演じているVTRが流れるところ。しかも一人だけじゃなく対照的な二人の名人の映像を流してくれたりする。例えば9/10放送回だとテーマは「鼠穴」。昭和の大名人三遊亭圓生と僕らでも知ってるあの立川談志の映像が流れる。圓生の方は江戸ッ子のパリッとした語り口で談志はご存じのとおり破天荒な濃ゆ~い語り口。「鼠穴」は困窮した弟に3文しか貸さない吝嗇な兄が出てくるんだけど、圓生だと江戸っ子だからキャラとしては50両でも100両でも貸しそうだと。一方の談志は本当に貸しなさそう(笑)。で貸さないのには理由があるんだけど、談志だとその理由も敢えて言わずに憎んでくれて結構っていう背景が普通に成立してしまう(笑)。だからどっちがいいとかではなく、私はこっちが好みですみたいなトークがあって、この辺は観ていてとても面白かったですね。あと余談ですが、前述の「日本の話芸」で以前桂福團治による「鼠穴」があって、なんでも上方落語の「鼠穴」は珍しいそうですが、凄く生活感があって、妙なリアリティーというか迫力がありました。

あともう一ついいところ。番組にはホームページがあってそこで落語の動画が公開されている。第1回(8/30放送)は桂米團治の「地獄八景亡者戯」(この回の上方落語と江戸落語の違いのトークも面白かったです)。第2回(9/3放送)は番組出演者でもある柳亭小痴楽の「明烏」。第3回(9/10放送)は先ほど話した「鼠穴」でこちらも出演者である春風亭一之輔。いつでもどこでも気軽に観れるのでホントお勧めです(※但し、公開期間があるので注意)。

出演者は春風亭一之輔、柳家わさび、柳亭小痴楽、立川吉笑、俳優の東出昌大、雨宮萌果アナウンサー。一之輔を筆頭に皆さんキャラが立ってます。あと俳優の東出さんの知識とか落語愛がすんごくてびっくりします。番組H.Pによるとこのあと、「粗忽長屋」 9/17(月)、「居残り佐平次」 9/24(月)と続くようなので、今からとても楽しみです。

NHK SONGSスペシャル 宇多田ヒカル 2018.6.3.放送 感想

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NHK SONGSスペシャル 宇多田ヒカル 2018.6.3.放送

『初恋』を聴いていたら冒頭の「うるさいほどに高鳴る胸が~」のところでいきなりグッと来て目頭が熱くなった。感動したとか切なくなったとか、ましてや初恋云々ではない。それにこの曲は一般的な初恋について歌われた曲ではないし(勿論そうも読み取れる)、宇多田さんにとっての最初の愛、両親に関わる愛についてを歌ったものだという話もあった訳で、ところが何故か冒頭の歌詞でいきなりグッと来て、それは今思い出してみれば、そこに人間の原初に立ち返るような言葉の響きがあって僕はそれに少し震えていたのかもしれない。

『初恋』のメロディは後韻を踏む言葉と共に繰り返しが多用されていて、そのせいかどうかは分からないけど、まるで昔からある童謡、『かごめかごめ』のような懐かしさがふわっと立ち昇る。それが最初に言った原初的な感覚とも繋がるのかもしれないけど、そのふるさとに触れたようなノスタルジーは切れば血の出るような生々しさを含んでいて、つまりは子供の頃の夕方の暗くなりつつある世界、異世界に踏み込んでいくおどろおどろしさでもあり、そこが宇多田ヒカルという人の凄みにも繋がっていく気がしました。

自分のことを歌っているのに自分のことではないような、気持ちを込めて歌っていてももう一人の自分が違う場所から見ていているような。それは自身の生い立ちにも関係しているのかもと述べていたけど、僕にはまるで魂の入ったマネキンのようにも見えてしまうのです。悲しみの純度は益々高くなって、そのマネキンは益々人間になっていく。そういう部分に起因するのかもしれないけど、宇多田さんは今が一番綺麗な気がします。

あと余計なことを言うと、、、。宇多田さんは生い立ちもあって社会の出来事に関心はあっても歌には出来ないと言っていたけど、宇多田さんが社会の事、世の中の事を歌ったらどんなだろうって。若干の怖いもの見たさもあるけど(笑)、彼女が世界をどういう風に歌うのか、それも気になるところです。

Eテレ 日曜美術館「熱烈! 傑作ダンギ アンリ・ルソー」 感想

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Eテレ 日曜美術館「熱烈! 傑作ダンギ アンリ・ルソー」 2018.7.2放送 感想

 

教科書に載っていたのかな。何かの媒体で目にしたことがあるのかな。どこかで見たことがあるような気はするけど、実際そんな身近な絵とでもいうか、決して画壇のお偉いさんや巨匠が描いた絵ではなく、一見シュールな絵なんだけど手が届きそうな親しみ。僕たちの側にある絵。それは独学で学んだということにも関係してくるのかもしれないけど、自由で明るく前向きな彼の姿勢が強く関係しているのかもしれない。そんな風に思いました。

アンリ・ルソーが本格的に絵を描き始めたのは40才を過ぎてから。パリの税関で働きながら休みの日に絵を描くという日曜画家。な~んだ、サラリーマンだったのかって余計に親しみを覚えてしまいました。ただ彼は日曜の休み毎にのんびりと描いていたわけではなく、展覧会に出す絵はことごとく酷評。私生活でも一人目の妻、二人目の妻を病気で亡くし、更には5人の子供のうち4人までをも病気でなくしている。そんな絵などもう描きたくなくなるような試練の中、彼は強い心で絵を描き続けた。

少しづつ世間に認められつつあったルソーは絵の先生として地域の人々に絵を教え始める。自身の肖像画にはその資格を認められたバッジを胸にした姿が誇らしく描かれている。見ているこちらにまでその喜びが伝わるような絵だが、そこに描かれたパレットには亡くした二人の妻の名前が書き込まれている。全体としてはまるでどこかの万博ポスターのような明るい絵だけど、彼はそういう人なんだな。

今回、番組で談義を繰り広げるのは、世田谷美術館学芸員の遠藤望さん。ミュージシャンのグローバーさん。女優の鶴田真由さん。ルソーの研究家でもある遠藤さんでさえルソーの絵はよく分からないという不思議な世界。けれど彼はあきらめない人、めげない人だと、そこは何度も強く強調していた。結局はそこがいつまでも掴んで離さない彼の絵の魅力なのかもしれない。

ミュージシャンのグローバーさんの言葉も印象的だった。影を描かなかったり、朝陽なのか夕陽なのか分からない描き方をする時間の概念を無視したルソーに対し、時制に囚われたくなかったのかも、との気付きを話していた。あぁ、確かにそうだ。時間の概念よりも大切なものがルソーにはあったんだ。それに対し鶴田真由さんはこういう見方をしていた。彼は興味あるものにしか目が向かない人なんじゃないかって(笑)。それもそうかもしれない。男の子にはそういうところがあるからな。ルソーは男の子の部分を大きく残していた人のような気もするし、うん、確かにそうかもしれない(笑)。

死の半年前に描かれた「夢」という作品はルソーの総括。この世の生命力を象徴するような絵だ。ルソー自身の諦めない、めげない精神を象徴する絵。遠藤望さんは彼の絵は晩年になればなるほど良くなっていくと言っていたけど、死の半年前に書かれた絵が最高傑作だなんて。もしルソー自身もそう思っていたとしたら、絵描きにとってこんな嬉しいことはないのかもしれない。

苦労してきたのに暗い感じで絵に出ていない、そこが酷評されてもくじけないところとリンクする、と言った鶴田真由さんの言葉が強く心に残りました。人生はつらいことの方が多いけど、出来るだけ前を向いていたい。そんな風に考えている人はきっと、アンリ・ルソーの絵に何かを感じるのかもしれません。勿論僕もそんなひとりです(笑)。

幼い頃からの夢を持ち続け、40才を過ぎてから筆を取り始め、妻や子供を失くしながらも、世間に酷評されながらも描き続けたルソー。そんな彼の絵を僕はいつか直に見てみたいと思いました。

ちなみに、、、。感性で話すいつまでもロマンチストなグローバーさんと、論理的でいつまでもクールな鶴田さんの対比が可笑しかった。やっぱ女性にはかなわないや(笑)。

日美の司会者

その他雑感:

日美の司会者

Eテレ『日美』の司会者がこの春から変わった。高橋美鈴アナはそのままに、男性司会者が俳優の井浦新さんから作家の小野正嗣さんに変わった。井浦さんはいい感じで評判も良かったと思うけど、それでも何年かやったらこうしてスパッと変更する姿勢が僕は好きです。流石Eテレ。

井浦さんはとにかく格好いいんだけど、気取らないというか、常にアーティストやアートへの尊敬の眼差しを忘れない人で、子供みたいにすぐにウットリするお茶目な方。なにより、分からない事を無理に分かろうとしないところが僕は好きでした。上手く言葉にできなくても上手く言おうとしないというか、しょっちゅう言葉に詰まってましたが(笑)、その詰まった感がかえって良かったですね。

現在司会をされている小野正嗣さんは作家ということで最初は理知的な堅いイメージがあったのですが、何度か見ていると小野さんも無理に分かろうとしないというところがあって、知的な印象の割に絵に圧倒されているところが意外とバレバレな人で(笑)、最近は僕も親しみを覚えるようになってきました。

それとやっぱり品の良い語り口の高橋美鈴アナが素晴らしいですね。高橋アナがこの番組の空気を下支えしているように思います。