#MeToo

昨日、NHKのニュースウォッチ9でジャーナリストの伊藤詩織氏の特集が放送されていた。2015年に性的暴行を受けた彼女は記者会見を開きその被害を白日の下にさらした。この日本で、尋常ならざる勇気を持って、顔をさらし堂々と会見を行った。

しかし彼女に性的暴行を行ったとされる山口敬之氏は彼女を執拗に攻撃した。著名なジャーナリストであった彼は表には一切顔を出さず、疑惑には答えず、質問は受け付けず、自分の言いたいことだけを自分の息のかかったメディアを通じてのみ一方的に反論した。 どちらが正しいかは二人の態度を見れば明らかだ。しかし世間はそうではなかった。何のバックボーンも持たない一人の女性ジャーナリストの声よりも、金とコネと権力を持った親父どもの声を支持する顔の見えない連中は、彼女を執拗にバッシングし続け、疲弊した彼女は追われるようにして日本を出て行った。

彼女は今も戦っている。世界中の性被害者との交流を重ね、事実を伝えるという地道な活動を行っている。しかし事件はまだ数年ほど前の話だ。表情を見れば、彼女の傷は到底癒えていない事は明らか。それでも何とか踏ん張って毎日戦っている。

昨年の#MeToo運動はハリウッドの大物プロデューサーによるセクハラへの告発が始まりだったか。その後、続々と大物著名人によるセクハラ行為(トランプ大統領も!)が明るみになり、#MeToo運動は世界的な広がりを見せた。レディー・ガガを始め、多くの有名人はそれを支持した。しかし日本ではどうだっただろう。アイスバケツチャレンジにはこぞって参加した有名人が、こと#MeToo運動になると誰一人手を挙げようとしない(僕が知らないだけかもしれないが)。どころか伊藤詩織氏はバッシングされ続け、彼女への支持を表明する有名人はほとんど現れなかった。そんな日本で彼女は戦っている。

僕は彼女の声を支持します。このような私的なブログではあるが、僕は伊藤詩織氏を支持します。

「カモン、ベイビー、アメリカ」とは思えない

その他雑感:

「カモン、ベイビー、アメリカ」とは思えない

 

別に水を差す訳じゃないですが、僕はやっぱり今の状況に対し、「カモン、ベイビー、アメリカ」とは思えない。

基地問題があって、どう考えたって民主的とは言えないトランプがいて、それでも僕たちは「アメリカ、サイコー!」と歌いながら平成最後の大晦日を過ごすのだ。なんだかタチの悪いジョークみたい。僕たちはもう少し批評的になってもいいんじゃないだろうか。

沖縄出身の歌手が「カモン、ベイビー、アメリカ」と陽気に歌うことに対して、沖縄の人たちはどう捉えているのだろうか。夏に沖縄知事選があって、件の歌手にだって思うところはあったはず。彼はこの歌にどのような意味を込めているのだろう。

ただの歌なんだし、そんな目くじらを立てるようなことじゃないと言う人もいるだろうけど、僕はやっぱりスッキリとしない。僕だってアメリカの文学や音楽や映画が大好きだ。けど今は素直に「カモン、ベイビー、アメリカ」とは思えない。

『「10.19」~7時間33分の追憶~』 ABCラジオ 2018.11.18放送 感想

野球のこと:

『「10.19」~7時間33分の追憶~』 ABCラジオ 2018.11.18放送

 

最近はRadikoを聴いとります。主に落語ですね。落語好きの友達から、日曜朝にABCラジオで落語やってるよ(←「なみはや亭」のことです)って聞いて、それ以来Radikoを利用しています。先日はラジオ好きの別の友達から、こんなんどうってまた別の連絡が来ました。それが『「10.19」~7時間33分の追憶~』です。

「10.19」と聞いてピンと来ない方もいらっしゃると思いますが、これは1988年10月19日に行われたプロ野球の試合のこと。当時、首位を走っていた西武ライオンズに、天候不順の影響で13日間で15試合という強行軍の中、猛然と肉薄する近鉄バッファローズの最後の2戦。2連勝すれば優勝する川崎球場で行われたロッテ・オリオンズとのダブルヘッダーのことです(←当時はドーム球場なんてなかったから、ダブルヘッダーが結構あったのです)。ABCラジオの番宣ツイッターにはこんな文句が。「昭和最後にして最高の名勝負、ロッテ×近鉄のダブルヘッダーを30年後の今、伝説のテレビ実況と当時の主役たちのインタビューで振り返ります。」

まず進行役の伊藤史隆アナの落ち着いた語り口がいいですね。妙に盛り上げようとせず、事実だけを積み上げていく語り口。折角の素材があるのだからというスタンスでしょうか。テレビだとこうはいきませんから、この辺はラジオならではですね。

インタビューが行われた当時の近鉄メンバーは、コーチの中西太。選手は吹石徳一(←吹石一恵のお父さんです)、梨田 昌崇、大石第二朗、村上隆行、阿波野 秀幸。インタビューはそれぞれのキャラが明確に出ていて凄く面白かったです。結局1試合目は何とか勝つものの、2試合目に引き分けて近鉄は優勝を逃します。もう勝ちが無くなった最後の守備に就いた時のことを振り返って、奇しくもこの試合が現役最後の試合となった梨田さんや吹石さんが、あんなむなしい事はなかったと答えるのに対し、当時のチーム・リーダー大石さんは気持ちを切り替えて、さぁ行こう!と声を挙げて守備に就いたとのこと。

この辺りの対比が面白かったですね。大石さんはこの年のシーズン中にドラゴンズから移籍してきた陽気なブライアントの面白エピソードなんかも笑いながら話していて、この方は随分とポジティブな方なんだなと。こんな明るい人なら、ちょっと我がタイガースの監督になってもらえないかなと思ったりもしました(笑)。

インタビューで印象的だったのは阿波野さんですね。エースだった阿波野さんは完投した日から中1日でこの日の試合に挑み、2試合ともリリーフで登板します。インタビューは至って真面目そのもの。エースとしての役割を全うしようとした阿波野さんの人柄が如実に表れていました。

阿波野さんはこの時入団して2年目。翌年は最多勝を獲得します。調べてみると最初の3年間で90試合に出場。うち58試合で完投。計705.2回を投げている。4年目は190イニングを投げ何とか10勝をするものの、以降は一度も規定投球回数をクリアすることなく現役を全うします。元々丈夫な方ではなかったのかもしれませんが、この時の登板過多がその後のキャリアに何らかの影響を与えたとすれば、それも昭和の野球のひとつの側面だったのかもしれません。

阿波野さんはその後、巨人、横浜ベイスターズと渡り歩き、横浜では貴重な中継ぎ投手として日本一を経験します。その時の横浜ベイスターズの監督が10.19当時の近鉄のピッチング・コーチ、権藤博。余談ながら、権藤さんも現役時代は最初の2年間で130試合に登板。イニングにして791.2回!チーム総イニングの7割近くを一人で投げた結果、僅か5年で現役を引退しています。横浜ベイスターズの日本一の瞬間、恐らく二人には10.19を経験した二人にしか分からない感慨があったのではないでしょうか。

あと中西太さんの元気な声が聞けたのが嬉しかったですね。御年85才。偉大な打者であるとともに、名伯楽として多くのバッターを育てた名コーチですが、いかつい風貌とは裏腹に相手を思いやる気持ちの強い方なんだなと。この日のインタビューではそのことが強く心に残りました。これからも多くの話を聞かせてほしいです。

あれから30年。今や超一流選手はメジャー・リーグにまで行こうかという時代。そうした選手は科学的なトレーニングをし、自己管理を徹底し、野球選手というよりはアスリートと言っていいかもしれません。どちらがいいということではなく、昭和には昭和の野球があり、平成には平成の、来たるべき新時代には新時代のプロ野球があるということなのだと思います。

そういえば大石さんが、あんな試合はこれからも起きるでしょうかという問いに、きっぱりと「ある」、と答えていました。ていうかもう既に人それぞれにあるんじゃないですか、勿論これからもありますよって朗らかに応えていたのが印象的でした。

「ちびまる子ちゃん」の思い出

その他雑感:

「ちびまる子ちゃん」の思い出

 

高1のある日、友達が学校に「ちびまる子ちゃん」の単行本を持ってきて熱心に薦めてくれた。最初はなんだそれ、小女マンガじゃねぇかってことで無下に断っていたんだけど、パラパラと読んでるとハマってしまって、そのうち皆で回し読みするようになって、気が付けば僕たちの周りではちょっとした「ちびまる子ちゃん」ブームが起きていた。程なくテレビアニメも始まって日本中が「ちびまる子ちゃん」ブームになるんだけど、その数か月前から実は僕たちはちゃんと読んでいたのです(笑)。

僕は絵を描くのが好きだったから、教室の後ろの黒板に、漫画のキャラを描いたり、先生の似顔絵を描いたりして遊んでいたんだけど、そのうちまるちゃんとか丸尾君とか花輪君とかもしょっちゅう黒板に描くようになっていた。また、母がサティでパートをしていたのでPOPを頼まれてアンパンマンとかそんな絵を何度か描いたことがあったけど、まるちゃんの絵を描いたこともあった。まるちゃんを描くのにはちょっとしたコツがあって、輪郭の延長線とか考えず意外と髪の毛ぺっちゃんこにして描いた方が上手く描けた気がするけど、でもやっぱりそれはそれっぽいニセモノでさくらももこさんの描いたまるちゃんほどかわいくはならなかった(笑)。

最近つい考えてしまうことがあって、絵描きはなんで絵を描くんだろうとか、作家はなんで文章を書くんだろうとか、音楽家はなんで音楽を作るんだろうとかまぁそんなようなこと。ただ生活のために描いてる訳じゃなさそうだし。吉増剛造さんはなんで詩を書いてるんだろう?

僕は時折美術館に足を運ぶんだけど、美術館に行くといいことがあって、それはそうした疑問が少し晴れたような気がすること。何か少しだけ分かりあえたような気になれる。まぁそんなことはまず無いんだけど、勘違いでもそんな気分になれるから今のところ僕はそれはそれでよしとしています(笑)。

さくらさん、まるちゃんってさくらさんのことですよね。だから多分、皆もさくらさんのこと友達のように身近に感じていると思います。僕も自慢じゃないですが、なんせ高1の時から知ってますから(笑)、さくらさんには何年にかに1度会う親戚の人ぐらいの親近感を持ってます。さくらさんはなんで描いてたんですか?さくらさんはまるちゃんだから、どーせ「メンドクサイな~も~」とか言いながら、「あっ、そうだ」とか言ってくだらないこと思い付いてニヤニヤしながら、周りの人に「あんた、何ニヤニヤしてんの」とか言われながら描いてたんでしょ。

サニーデイ・サービスのこと

その他雑感:

サニーデイ・サービスのこと

 

サニーデイ・サービスのドラマー、丸山晴茂さんが今年の5月に亡くなっていたことを一昨日、スマホで知った。47才だったそうだ。びっくりした。僕にとってサニーデイ・サービスは特別なバンドだった。その夜、「雨の土曜日」とか「カーニバルの灯」とか「恋はいつも」とか「旅の手帖」とか思いつくままに片っ端から聴いた。サニーデイを聞くのは10数年ぶりだった。

個人的な事を書いてもアレなんだけど、僕は大学時代を京都で過ごした。当時、素敵な女の子がいたんだけど、その子は文学とか音楽とかを割と積極的に吸収していきたいっていうような子で、その子がよく口にしていたのがサニーデイ・サービスというバンドだった。

僕はサニーデイ・サービスなんて全く知らなかったんだけど、彼女がサニーデイの新しいシングルが出たとかでそれが欲しいなんてよく言っていたもんだから、まぁ今だったら臆面もなくシングルぐらいはプレゼントしてあげるんだろうけど当時の僕はまだ純粋でしたから(笑)。なんかそれモノで釣るみたいでヤダなとか、単純にこっぱずかしいなとか。

そんな頃に偶然αステーション(←京都のFM局のことです)からサニーデイ・サービスの音楽が流れてきて、あぁ、これがあの子の言ってたサニーデイ・サービスかぁ、いい歌だなぁと。僕とサニーデイ・サービスとの出会いはそんな風にして始まった。

サニーデイ・サービスは日本的な情景を歌うバンドだった。僕は嬉しいとか私は悲しいといった情緒は一旦横に置いておいて、登場人物が動く様をまるでカメラが追うように切り取っていく。特に若い男女の風景をロマンチックに描くのが抜群だった。その俯瞰的に切り取られたストーリーは、僕のことではないんだけどまるで僕の物語のように感じられ、僕はいっぺんにサニーデイの虜になった。

サニーデイのアルバムはどれも思い出深いんだけど、セルフ・タイトルになった4thアルバム『サニーデイ・サービス』は特に好きだった。それこそ僕の物語みたいで(笑)。それにこのアルバムはバンド・サウンドが前面に出ていて凄くカッコイイ。特に巧い訳じゃないんだけど、曽我部さん(←サニーデイのボーカルでソングライターです)が言うようにバンドがピークにあった時期で、目一杯気合が入っていて迫力がある。勿論、丸山さんのドラムも目一杯カッコイイ。「星をみたかい?」や「旅の手帖」は丸山さんの聴かせどころだ。

そうこうしているうちに僕は就職をして結婚をして人並みにバタバタして、ある日サニーデイは解散をして、いつの間にやら僕は音楽自体をあまり聴かなくなっていった。

サニーデイの音楽には僕の青春時代が真空パックされている。数年前、サニーデイが復活したって聞いたけど、僕にとってはもうどうでもよかった。変なノスタルジーがある訳じゃないんだけど、やっぱり僕にとってあの京都時代とサニーデイは密接に結び付いている。河原町であり、賀茂川であり、町屋が並ぶ路地裏だったり。サニーデイ・サービスと聞くと今でもキュンとなる。そこは大切にしまっておきたい。

丸山さん、ひとつぐらいそんな音楽があってもいいですよね?

R.I.P.

The 1975/Give Yourself A Try が僕の記憶を呼び起こす

その他雑感:
 
The 1975/Give Yourself A Try が僕の記憶を呼び起こす
 
 
僕はやっぱり10代から20代前半のあの頃の自分が一番正しかったと思っている。まぁ正しかったと言っても当時の自分は何も解決できなかったしだらしなかったし、大人になった今の方が精神的にも落ち着いていて、ちゃんとやれているのは間違いないんだけど、どっちが正しいかと言われればやっぱあの頃の自分の方が正しかったんじゃないかと。今の自分が間違ったことをしているということではないし、何が‘正しい’ってのは聞かれても困るんだけど(笑)、それでも他に言いようはなくあの頃の自分は圧倒的に正しかったのだと思います。
 
The1975 の新しい歌、『Give Yourself A Try』が公開された。僕はマット・ヒーリーみたいに格好よくないし沢山のことを経験した訳じゃないけど、不思議とあの頃の風景が折り重なっては次々と浮かんでくる。友達のこと。好きな子のこと。よく歩いた通り。すれ違った人々。上手くいったことや上手くいかなかったこと。英語なんて全然聴き取れへんのになんでやろね。
 
全てを正しくあろうとしたあの頃に顔向けできる大人になっているだろうか…。
とか言ったりして(笑)。

自己主張の激しい奴ら

その他雑感:

 

近頃は散髪屋に行くと必ず耳に例のペン状の電動剃刀を当ててもらっている。先日も散髪に出掛けたのだが、理容師が電動剃刀を耳の外側に当てただけで終わろうとするので、「耳の中も当ててください」と言った。

40を過ぎてからどうも耳の中から妙に長い耳毛が伸びてくる。耳の中など普段は気にもしないし、僕は視力が弱く目視も出来ないので、何気に耳を触ったら、「なんじゃこれは!?」というような耳毛が生えているのに気付くことがある。これはこれで妙に愛おしくそのままにしておきたい気持ちもないでもないが、イヤイヤこれはエチケットとしてバツだろうということで、せめて剃るのではなく引っこ抜いてやろうとするのだが、これがなかなか摘めない。指の腹では挿めても引っ張るとすり抜けてしまうので、爪で挟もうとするのだが、そう簡単に爪でピンポイントで挟めるものではない。鏡を見ながらでもそこまでの精度ではつかめないし、結局はやたら当てずっぽうで引っこ抜くしかなく、それはそれで最高にオレはやったぜ感にも浸れるのだが、やっぱこれはそこまでの長さになる前に剃っておきたいものである。

毛といえば、もうひとつ気になるのが鼻毛。これも定期的にカットするのが大人のたしなみなのだが、近頃は鼻の穴の内側出口のキワに、わざわざ外に向かって生えてくるというトンデモナイ目立ちたがり屋がいる。僕は電動式ではなく、小さな鼻毛用ハサミでカットする派なのだが、この目立ちたがりをカットするのが甚だ難しい。僅か1mm程度でも外から見えてしまいかねないこいつをハサミでカットするのは至難の業だ。結局は諦めて、小指でキュキュッとこれで良し、みたいな妙な大人な納得の付け方で終わるのがオチだ。

人間、不惑にもなると慎ましやかになるものだが、こいつらは逆にかえって自己主張が激しくなる。これまで虐げてきたつもりはないのだが、これは何の反逆か。この年にもなって前へ出ようとする姿勢は殊勝だが何もご主人様に迷惑をかけることもあるまい。まったく手のかかる奴らだ。

てことで僕は散髪に行くと必ず耳の中をカットしてもらう。そして鼻毛は毎日チェックをする。これは40男共通の大事なチェックポイントだ。世の中には反逆させっぱなしの強者も結構いるが、僕はまだそこまで大らかにはなれない。まだまだ修行は必要だ。

あと長い眉毛にも要注意!

日美の司会者

その他雑感:

日美の司会者

Eテレ『日美』の司会者がこの春から変わった。高橋美鈴アナはそのままに、男性司会者が俳優の井浦新さんから作家の小野正嗣さんに変わった。井浦さんはいい感じで評判も良かったと思うけど、それでも何年かやったらこうしてスパッと変更する姿勢が僕は好きです。流石Eテレ。

井浦さんはとにかく格好いいんだけど、気取らないというか、常にアーティストやアートへの尊敬の眼差しを忘れない人で、子供みたいにすぐにウットリするお茶目な方。なにより、分からない事を無理に分かろうとしないところが僕は好きでした。上手く言葉にできなくても上手く言おうとしないというか、しょっちゅう言葉に詰まってましたが(笑)、その詰まった感がかえって良かったですね。

現在司会をされている小野正嗣さんは作家ということで最初は理知的な堅いイメージがあったのですが、何度か見ていると小野さんも無理に分かろうとしないというところがあって、知的な印象の割に絵に圧倒されているところが意外とバレバレな人で(笑)、最近は僕も親しみを覚えるようになってきました。

それとやっぱり品の良い語り口の高橋美鈴アナが素晴らしいですね。高橋アナがこの番組の空気を下支えしているように思います。

アークティック・モンキーズの『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』が素晴らしい

その他雑感:

アークティック・モンキーズの新作、『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』が素晴らしい。最初聴いた時はこりゃまた厄介なのが来たぞ、しょーがねぇなという感じだったんだけど、何回か聴いてるとこれは凄い作品だなと。もうしばらく聴いてからちゃんとレビューを書くつもりですが、とりあえず今の感想を。

この作品、あまりにも一般的なロックンロールのフォーマットから離れているから賛否両論のようだけど、理屈は抜きにしてカッコいいんだからそれで済ませてしまえばいいんじゃないだろうか。

ヴィンテージSFというか古いんだか新しいんだか分からないサウンドと、これまた近未来小説か歴史小説かとでも言うような相反する要素を詰め込んだブッ飛んだ歌詞。これがとんでもなく素晴らしい。

この訳の分からなさを正しいと思わせる説得力はどこから来ているのか。こういう訳の分からないラジカルな音楽が王道を行くロック・バンドから出て来たのが嬉しい。

前途ある若者の未来を奪っちゃいけない

その他雑感:

 

悪質タックル問題で、当事者の大学生が記者会見を開いた。なんで学生が一人で会見しなくちゃならないんだ、大学は、周りの大人は何をやってるんだ、ということに尽きるんだけど、この学生が思いの他ちゃんとしていて驚いたのは僕だけじゃあるまい。逆に言うと、これだけ精神的に落ち着いた聡明な学生が、あんな酷いことをしてしまったという事実が恐ろしい。人はいとも簡単に洗脳されてしまうのだ。

事実は消えないが、立派な会見だったと思う。事件を起こしてからこの日まで、彼がどういう日々を過ごしてきたのか。推して量るべきかなである。

アメフトに人生を賭けた青年に、「二度とアメフトをやることはない」、「その資格はない」と言わせてしまったのだ。オリンピックで沢山メダルを獲ることよりも、今しなくてはならないことは。答えは出ていると思う。

彼にはいばらの道が待ち受けているだろう。日大アメフト部だってどうなるか分からない。そこにいる部員の多くがアメフトをするために日大へ入り、アメフトに人生を賭けた青年達だとすると、勿論、彼らもつらいだろうが、その矛先は件の青年に向かうこともあるだろう。人生は長い。もう二度と彼や他の部員や被害に遭った関学生の未来を奪っちゃいけない。今度こそ、彼らを導いてあげられる大人や友人たちが周りにいてくれることを願ってやまない。