別れ

ポエトリー:

『別れ』

 

寂しくないと言ったけど
本当は寂しいのです
嬉しくないと言ったけど
本当は嬉しいのです

寂しくないと言ったけど本当は寂しいと
ちゃんと相手に伝わったなら
嬉しくないと言ったけど本当は嬉しいと
ちゃんと相手に伝わったなら

あなたはどうなのですか?
泣いたり笑ったりいつも忙しいあなただけど
本当は心のほんの少しも伝えきれていない?

分かり合うって難しいね
いつもボタンのかけ違い
心の本当の奥ではちゃんと分かっているはずなのに
分かり合えないなんて不思議だね
こんなに君を離したくないのに

 

2017年3月

「いだてん」第22回 ヴィーナスの誕生 感想

TV Program:

「いだてん」 第22回 ヴィーナスの誕生 感想

 

先日電車に乗っていたら、大阪駅で前に立っていた旅行者が「次降りる方がよか」「降りるばい」と言っていたのを聞いてわたくし、「リアル熊本弁や!」と心中大阪弁で興奮した覚えがございます。個人的には昨年の「じゃっどん、ほなこつ」より「よかですばい!」の方が明るくていいですね。ま、言い方によるか。

先々週の第20回「恋の片道切符」で金栗四三のオリンピックを巡る物語は一旦終了。先週の「櫻の園」からは急転直下、四三の女子スポーツ普及にまつわる話にひとっ跳びです。この変わり身の早さ、いいですねぇ。その第21回「櫻の園」。廃墟のベルリン女子の「くそったれ!」で始まり、黎明日本体育女子の「くそったれ!」で終わるという本大河屈指の痛快回でございましたが、今回の第22回も名場面続出の素晴らしい回となりました。

出だしは志ん生こと若き日の美濃部孝蔵。変名を繰り返した志ん生ですがこん時の名前はなんだったか。ようやく真打ちに昇進したものの相変わらずの放蕩三昧。見かねた小梅が孝ちゃんに無理くり見合いをさせます。で、その相手がちょいといいとこのお嬢さん、かどうかは怪しいりん。ちなみに後年のりんを演じているのが中尾彬の「おい、志乃」でお馴染みの池波志乃さんで、志乃さんは本物の志ん生の長男、金原亭馬生の娘ですから志ん生直系の孫娘様なのです。ってそんなこと知ってるって?

前回、東京府立第二高等女学校に着任した金栗四三。女子スポーツの普及に四苦八苦していたいだてんですが、もうすっかり打ち解けて思う存分女子スポーツの普及にいそしんでいます。と話しは進み、四三先生の生徒の興味はもっぱらテニス!てことではるばる岡山へテニスの遠征へ行きます。そこで出会ったのが後に日本女子オリンピアン第1号となる人見絹枝。その人見に四三の生徒たちはコテンパンにやられます。

が、人見の有り余るスポーツの才能にほれ込んだ同行していたシマ先生、人見に向かって、日本陸上界の第一人者である四三の元へ来てはどうかと熱心に口説きます。最初は渋っていた人見もシマの熱意にほだされ、四三に脚の状態を見せることになる。裾を上げて脚を出そうとする人見に四三は「いやいや、見せんでよか。触れば分かる」と人見の脚にふれようとした刹那、人見は我に返り四三にハイキック!うずくまる四三を横目にスタコラと人見は去っていく…。

この時の描写、良かったですね。人見のハイキックはスローモーションとなり、ワイヤーアクションのように四三が吹っ飛ぶ。人見さん、まるでマトリックスのトリニティー!!で、映像おもしれぇーってなるところで同時に我々視聴者は人見のシャンな(=美しい)ハイキックにとつけむにゃあ運動能力を視覚的に理解するわけです。こりゃ確かに触らんでも分かるなと。

東京へ戻った四三一同は日本初の女子による運動競技会を開催します。ところが第二高等女学校のエース村田富江は新調したスパイクが足に合わない。ってことでその場で黒のハイソックスを脱いでしまいます。なんせ女子は肌を見せちゃいかんという時代ですから、先生、生徒、日本初の女子運動競技会の取材に来ていた記者などなど、競技場全体がどよめく事態となります。が、当の村田は素知らぬ顔、最初は戸惑いの表情を見せた四三も大きくうなずき、見事村田は優勝をかっさらっていきます。

しかし女性が脚を出して走り回ったということが新聞紙上に踊り、大問題に。しまいにゃ、村田の写真が卑猥な写真として露店で売られる始末。それを売ってるのが美川ですよ。忘れたころに出てきますよねぇ美川くん。スヤには本当に忘れられていましたが、我々も本当に忘れそう。でもね、多分ですよ、この美川って人はやっぱ我々なんですよ。同じ遊び人の孝蔵は憎めないのに、美川が憎たらしいのは、そこに自分自身を見るからです。胸に手を当てると誰だって美川くん的な一つや二つあるわけです。そういう現代人っぽい普通の人、ちょっと露悪的に描かれていますが、美川は我々なんだと思います。

で間の悪いことにその写真が村田の父親の知るところになってしまい、父親は第二高等女学校へ怒鳴り込んできます。女子が脚を出すとは何事か。こんなことをしてどう責任を取るんだ。だいたい女子にスポーツをさせるなどと…。最初は殊勝に聞いていた四三先生ですがここで遂にブチ切れます。

「なぜ、女が悪かとですか!」、「それは君、好奇の目にさらされる」、「それは男が悪か!女子が靴下履くのではなく、男が目隠ししたらどぎゃんですか!!」。もういだてん屈指の名場面でしたね。物語中、ここまで四三が怒ったのは初めてじゃないですか。この言葉の力、これほど四三がリアルに感じられたのは初めてでした。「いだてん」では2019年現在に投げかけられたような言葉が随所に見られますが、今回のこの言葉は正にそうでなかったか。それぐらい魂のこもった声でした。

物語の最後、学校をクビになった四三先生を辞めさすまいと女生徒たちが教室に立てこもります。一歩も引くそぶりを見せない女生徒たちに、遂に四三が動き出す。さて、どうなる!ってとこで続きは次回へ。ん?次回はいだてん、金八先生になる、か?!

Eテレ『SWITCHインタビュー 達人たち』2019年6月8日放送 奥田民生×リオ・コーエン 感想

TV program:

Eテレ『SWITCHインタビュー 達人たち』2019年6月8日放送回 奥田民生×リオ・コーエン

2名のゲストが交代してインタビューをし合うEテレ『SWITCHインタビュー 達人たち』。2019年6月8日の放送回では、ミュージシャンの奥田民生とYouTube音楽部門の総責任者リオ・コーエンが対談した。

日本でもそうだが海外では完全にストリーミングが中心。若い子のほとんどはもうCDなんて買わないそうだ。そりゃ月々1000円程度で音楽が聴き放題ならそっちがいいに決まっている。一方、アナログ盤、レコードの売上は右肩上がり。より本格的に音楽を聴きたい連中はレコードを聴くのだという。

リオ・コーエンもCDプレーヤーは持っていないそうだ。じっくり聴くときはアナログ盤。だから来日した時に色々な方がCDをくれるんだけど実は聴けないんだと笑いながら話していた。

番組を観ていて思ったのは、二人とも何も特別なことを言っていないということ。根底に流れるのは音楽とそれを作る人と聴く人双方へのリスペクト。

例えば奥田民生からリオ・コーエンへの質問。「レコード会社は要らないですか?」。リオ・コーエンは言う。「80年代と同じことをするのならレコード会社は要らない」と。

これからの音楽の流通においては。奥田民生は言う。「こちらからは選べないから全て出す」。リオ・コーエンは大きく頷き、CD、レコード、音楽配信。音楽を聴きたいと思う人に、聴き手が望む形でちゃんと聴けるようにするべきだと。

音楽の流通形態がこの10年で大きく変わったように、この先10年ももっと早いスピードで変わり続けるだろう。しかし大事なのは音楽家と聴き手両方に対する敬意。作る側と聴く側にもっとも利益(お金という意味だけではなく)がもたらされるべきだという、ごく当たり前の態度ではないだろうか。

リオ・コーエンはYouTubeの機能について不満があるそうだ。現在のような聴き手の好みに応じていく形ではなく、レコード店に行ったときに目当てのミュージシャンだけでなく他のミュージシャンに目移りをしてしまうような、良い音楽とそれを求めている人との偶然の出会いがあればいい。YouTubeをそんな未知の音楽との出会いの場していきたいと語っていた。

僕はCDを買う派だ。歌詞や対訳を読みたいから。だからストリーミングでも対訳が読めれぱ僕はストリーミングを選ぶかもしれない。ただ今はやっぱりCDを買うことがそのミュージシャンへのサポートになるかもしれないという気持ちが大きいいかな。ストリーミングはどういうシステムだかよく分からないし。

聴き手のわがままを言わせてもらえば、選択肢は沢山あった方がいいけど僕の好きな音楽家の収入が減って、彼らが思うように音楽が作れなくなるのは一番困る。だから結局は音楽の作り手にちゃんと正当な利益が還元される仕組みが絶対に必要。音楽を作らない、音楽を聴かない商売人に音楽配信の世界を牛耳られてはいけないのだ。

僕がこの番組を観て思ったこと。音楽配信の最大手であるYouTubeのトップにリオ・コーエンのような人がいて本当に良かった。日本を代表する音楽家の根本の考えが僕たち聴き手と同じ方向を向いていることを知れて良かった。この番組を観て僕は音楽の未来に対し、明るい気分になりました。

デイヴ・マシューズ・バンドをご存じ?

洋楽レビュー:

デイヴ・マシューズ・バンドをご存じ?

デイヴ・マシューズ・バンド(Dave Matthews Band)をご存知でしょうか?1991年に結成された米国のバンドです。日本では殆ど知られておりませんが、米国では大層な人気で、スタジオ・アルバムは3作目『Before These Crowded Street』から昨年リリースされた9作目『Come Tomorrow』までなんと7作連続で Billboard チャート初登場№1を記録しています。ま、米国の国民的バンドと言ってもいいですな。

てことで大陸的で大雑把な音楽と思われそうですが、これが実に細やかなバンドでして。というのも編成が少し特殊です。ギターを兼務するボーカルにドラムとベース。そこにサックスとバイオリン。ね、変でしょ?

バンドは1991年に結成されたのですが、きっかけはフロント・マンのデイヴ・マシューズがジャズ・バーでバーテンとして働いていた頃にそこの出演者に声を掛けたというものらしく、だもんで普通のロック・バンドの音楽的背景としても珍しい成り立ちです。またメンバーが黒人3人に白人2人というのもこのバンドの個性に大きく影響しているのではないでしょうか。

つーことで、演奏が上手いです。上手いだけじゃなく出自がそんなですから、かなり奇妙なサウンドを展開します。一般的なロック・バンドではないですね。それこそジャズっぽいこともやるし、R&Bは勿論のことカントリー、ハードロック、何でもござれ。でも彼らの最大の魅力はそういう何でも出来るとか演奏が上手いということではないんですね。僕もライブDVD持ってますが、単純に楽しいんです。若い女の子から白髪のおっさんまでいろんな世代が観に来てて、本当に楽しそうに踊ってるんです。

演奏が上手いから、一応ジャム・バンド的な扱われ方をしますが、そう言われるとなんか演奏に酔ってる、やたら長いインプロビゼーション(←即興演奏のことです)が待ってて、好きな人はいいでしょうけど、普通の人は退屈っていうイメージがありますよね。でも彼らはそうじゃないんです。ちゃんと間奏部分にもチャーミングなメロディがあって強弱があって、面白いことやるんです。だから、ちょっと世間のイメージとは違うかもしれませんが、僕としては遊園地みたいな人たちという印象ですね。例えばこの曲、1枚目のスタジオ・アルバムに収録されている『Ants Marching』なんですけど、後半のワクワク感が最高です。

あとこれは米国的かもしれないけど、パワーで押し切るところが圧倒的なんです。茫然とするというか、あまりに熱量が凄くて、聴いた後は放心状態になる。しばらくしてから拍手が起きるみたいな。『見張塔からずっと(All Along the Watchtower)』なんかはその典型です。

これはボブ・ディランの曲です。色んな人がカバーしてて、この曲で言えばジミ・ヘンドリックスが有名ですが、デイヴ・マシューズ・バンドの『見張塔からずっと』もすんごいです。

余談ですが、ディランはこの曲以外にも本当にたくさんの曲がいろんなミュージシャンにカバーされていて、ディランはあの独特のぶっきらぼうな歌い方ですから、勘違いされやすいんですけど、実は類まれなメロディ・メイカーなんです。他の人がやってるのを聴くとそれがよく分かります(笑)。

デイヴ・マシューズ・バンド。色々あって今はだいぶメンバー構成が変わりましたが、今も変わらずカッコいいです。ただ、来日することはほぼないでしょう(笑)。言ってみればU2がちっちゃいライブ・ハウスでやるみたいなもんですから、それってまずあり得ないわけでして。ま、それぐらい日米の温度差が激しいってことです。にしても音楽誌に一向に出てこないのは謎やな。

変なリセットに対する違和感 補足

その他雑感:

 

『変なリセットに対する違和感』補足

先にアップした『変なリセットに対する違和感』について。言葉足らずだったので、ちょっと補足を。

僕がこの言葉に違和感を抱くのは、一つにはそこに同調圧を感じてしまうから。なんかオリンピックについての後ろ向きなことを言う空気を抑えつける作用を感じてしまうから。ちょっと待ってよ、おかしいことまだ解決してないでしょって言うと、お前今はそういうことじゃなくて、国を挙げてよいものにするために皆で協力すべき時だろ?みたいな。

もう一つはそれでほくそ笑んでいる人がいるんじゃないかってこと。勿論この言葉を発する人の多くは、純粋に「やると決まったからにはよりよいものにしましょう」ってことで言っているのだとは思いますし、そりゃあ僕もそう思いますが、一方でそういう空気を実に巧みに利用する連中がいる、ほらほら時間が経てばいつものように皆忘れるからって密かに逃げ切ってしまう連中がいる、だから僕たちは「オリンピックを良いものにしましょう」と言う一方で、それはそれとして、おかしな問題はまだまだ解決されていないでしょ、それおかしんじゃないかってのは言い続けるべきなのではないか、でもそっちの言葉が今全く聞こえてこない事に嫌な感じがするのです。

何気ない「やると決まったからには一致団結してやりましょう」と言う言葉で、そのことが少しずつ少しずつ塗り固められていくような違和感。それを『変なリセットに対する違和感』と言ったのです。

変なリセットに対する違和感

その他雑感:

ニュースウォッチ9を観ていたら、スポーツコーナーで来るべき東京オリンピックについて、サンドウィッチマンがこんなようなことを言っていた。
「最初は東北の復興が遅れるからどうなんだろうって思っていたが、やると決まったからには一致団結してやりましょうと」
これ、わりと聞く言葉ではないでしょうか。

やると決まったからには皆で協力し合って、いいものを作り上げましょう。一見前向きな良い言葉に見えるけど、本当にそうなの?動き出した大きな流れは良しとしなきゃいけないの?

コンパクトな五輪のはずがそうじゃなくなったり、東京に人手が集中してしまったり、誘致にはお金が動いてたんじゃないかとか、オリンピックの後どうすんだとか、いろいろあったけど、やると決まった以上は一致団結してやりましょうってなんか変。やると決まっていてもおかしなことはおかしなままのはず。

勿論、サンドウィッチマンにしても実際に多くの復興に尽力していて、僕よりも沢山考えて、沢山行動している。それなのにお前なに偉そうなこと言ってんだと言われるかもしれませんが、でもやっぱりおかしなことには、それおかしいよって言い続けるべきではないでしょうか。

せっかく決まったんだからとか。何にしてもやることはやるんだからとか。そういう変なリセットの仕方はちょっと方向が違うんじゃないかと僕は思います。

吉村芳生 超絶技巧を超えて 感想

『吉村芳生 超絶技巧を超えて』美術館「えき」KYOTO 2019年6月2日

結局、最後まで吉村さんはなんで描いてるのか分からなかった。当たり前だけど。吉村さんは実物を見て描くのではなく、わざわざ写真に撮ったものを描く。自分というものを放っぽって数学的に、機械的に描く。だから吉村さんの意図とか感情が見えないのはそれでいい。多分。

吉村さんは自画像を描く。新聞紙上に描く。ある年には365枚描いた。パリ留学の時にはパリに居るのに部屋に籠ってパリの新聞紙に自画像だけを描き続けた。展覧会ではその自画像の山が辺り一面に貼り出され、たくさん居る吉村さんに僕たちは囲まれる。吉村さんの居ないところで一人ぼっちの吉村さんが描いたたくさんの自画像にたくさんの人々が感嘆の声を上げる。ここでは一人ではなくたくさんの人々に囲まれる吉村さん。なんか意味分からない。

毎日の新聞紙面。その日の一面に掲載されたその日一番のニュースを背景に描かれた自画像。つまり吉村さんのインスタグラム。今たくさんの人々が`いいね´を押す矛盾。自分というものを放っぽって描くことに執念を燃やしたクセに自画像ばかりを描く矛盾。本当に分からない。

吉村さんが次に選んだのは色鉛筆による表現。ん?表現?吉村さんが表現したかったのかはさておき、観ている人々は一様に驚きの声。わぁ!写真みたい!でもどうかな。写真とは違う。

変な違和感。素直に写真とは言えない得も言われなさ。吉村さんも感じていたのか色鉛筆画には色々な試行錯誤の後が見える。なんか違うなー、なんか違うなーって。鉛筆画の変態としか言えないような細かな作業に比べればやはり物足りなかったのでしょうか。わざわざ写真みたいに描いた色鉛筆画にダメージを付けるなんて。やっぱり吉村さんは変態です。

表現するというよりむしろ。ある一定の作業量があって、作業がある一定量まで来ないと気持ちが落ち着かない、描いた気にならない感じ。そこにある程度の労働が組み込まれていないと満足出来なかったのでしょうか。

結局、最後まで吉村さんは何をしたかったのか、何を描きたかったのか分からず仕舞い。それはつまり吉村さんのミッションが完遂された証。元々そんなもの分かるべくもないけれど、いつも分かったような気になる僕たちを横目に、そんなものは鼻からないんだとか、そういう表情すら見せない吉村さん。吉村さんは何て言われるのが一番嬉しかったんですか?

 

という感想をその日の内に書いて、今なんとはなしにスマホの写真を見ると、展覧会の出口で撮った、壁に書かれていた吉村さんの言葉がありました。

「退屈だとして切り捨てられる日常のひとこまから、非日常な新鮮味を発掘してみせる。それが芸術の力でしょう。一輪の花に、それを見いだしたいんです」

僕がその日のうちに書いた感想は、これらの言葉に打たれ、成す術もなく崩れ去っていきました。分かったような愚かな感想ではありますが、その日のうちに書いたそれも事実ですから、それはそれとして、赤っ恥を承知でそのままにしておきます。

Big Whiskey & The GrooGrux King/Dave Matthews Band 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Big Whiskey & The GrooGrux King』(2009)Dave Matthews Band
(ビッグ・ウィスキー・アンド・ザ・グルーグラックス・キング/デイヴ・マシューズ・バンド)

 

たまに海外では大層な人気なのに日本ではからきし認知されていないバンドがいるが、デイヴ・マシューズ・バンドはその最たるもの。確か何年か前にライブ動員数だったかライブ収益だったかの年間世界一になったと思うが、日本じゃほとんど知られていない。昨年出たアルバムが7作連続の全米№1になったそうだが、それでも日本じゃほとんど知られていない。加えて日本の主要音楽誌にもほぼ載らないという不思議なバンドです。

ちょこっと紹介すると、デイヴ・マシューズ・バンドというのは南アフリカ出身のデイヴ・マシューズがバーテンとして働いていたジャズ・バーの出演メンバーに声を掛け結成したバンド。ドラム、ベース、ギターにサックスとバイオリンという一風変わった編成で、白人2名と黒人3名という構成も大きな特徴かもしれない。

兎に角演奏が上手い!半端なく上手い!ライブでは1曲が10分近くなることもしばしばで、所謂ジャム・バンドと言えるのかもしれないが、根がサービス精神旺盛なバンドなので疲れません。楽しいです。そんな彼らの近年の代表作がこれ。『Big Whiskey & The GrooGrux King』です。

1曲目の「Grux」はサックスによる短いインスト。ま、イントロですな。そのサックスを担当しているのはリロイ・ムーア。残念ながら、バンドとして7作目にあたるこのアルバムがリロイ・ムーアの遺作となってしまいます。交通事故に遭われたんですね。リロイ・ムーアの愛称が GrooGrux King ということですから、このアルバムの名は彼に捧げられたもの、という風に解釈できます。

厳かなサックスで始まる導入部から2曲目の「Shake Me Like a Monkey」は一気にテンションMAX!!これ聴いて何とも思わない人はいるんでしょうかっていうくらいなファンキー・ダイナマイト・ナンバー。もう、すんごいです。どこがどうっていちいち挙げてたらキリないぐらい聴きどころ満載というか、でもそうもいかないんで、一応挙げときます。

先ずボーカルに注目してみよう。デイヴさんはギターも超絶に上手いんですが、歌もめちゃくちゃ上手い!しかも技が豊富!裏声だったりがなり声だったり、スキャットも多用しますし、キン肉マングレートかっていうぐらいの技を持ってます。で言葉の乗せ方が独特なんですね。ラップのように早口でまくしたてる時もあれば大股に舵を切ったりと縦横無尽。いやこの曲だけじゃないんですが、デイヴさんのボーカルに集中して聴いてみるのもいいと思います。なんじゃこれ!?とたまげることうけあいです。

あとこの曲で注目したいのはドラムです。カーター・ビューフォードと言う人です。この人のドラムもすんごいです。いわゆるロックなドラムではないし、手数がやたら多い早叩きでもないんですが、踊っちゃってるんです、ドラムが。さっきボーカルがラップっぽい時があると言いましたが、ドラムもそうかもしれないですね。ドラムがラップしてるというか跳ねちゃってるんです。この独特のリズム感というか叩きっぷりは癖になりますね。ホント独特。特に最後の畳み掛けるドラム捌きは何回聴いてもシビれます!

次の「Funny the Way It Is」からは落ち着いた曲が続きますが、このアルバムの山場は後半です。これぞデイヴ・マシューズ・バンドとでも言うような凄まじい熱量を発するのは後半です。特に素晴らしいのが「Squirm」。もうロック・オペラですね。デイヴさんが囁くように歌って静かに始まりますが、その時点で既に不穏な空気満載。サビは得意のがなり声。2番を過ぎたあたりから、大きく耳に飛び込んでくるのはストリングス。まるでドラキュラ伯爵でも登場したかのような危機感煽るアレンジ。ギャー!おそろしやー!って感じです。

もうね、ストリングスがうねるんです。まぁロックにストリングスはありがちっちゃあありがちなんですけど、こういう使い方は聴いたことないですね。それに伴い他の楽器も上や下やらあちこちから雪崩れ込んできてカオスです。もう無茶苦茶です。カオスです。でもカオティックなロック・パノラマが最高にカッコいい。で最後はなにやらアラビアンな楽器で終わるという最後までカオス。

その後、「Alligator Pie」、「Seven」、「Time Bomb」と続きますが、もう全部転調してます。メロディ途中で変わります。もう上手すぎ!それでもちゃんとそれぞれに違った色がありますから聴いてて面白いんですね。だから熱量はハンパないけど疲れない。強弱があって楽しいメロディがいっぱいだから聴いてて飽きないんです。

デイヴ・マシューズ・バンド。聴いたことある人少ないと思いますけど、聴けばちょっとびっくらこくと思います。一応の形あるじゃないですか。ドラムはこんな感じで、ギターリフはこんな感じでっていうロックの形が。もうそういうの、全部ひっくりかえさります。ドラムで言えば一回もそういう風に叩かないです。ずっと変則プレイです。もうこの人達は変態ですね。

その変態たちが最高にスパークしてる代表作がこの『『Big Whiskey & The GrooGrux King』。あ、最後の「You & Me」は普通にメロウなラブ・ソングです。こういう素敵な曲を最後に持ってくるところなんか完全に確信犯ですね。

 

Tracklist:
1. Grux
2. Shake Me Like a Monkey
3. Funny the Way It Is
4. Lying in the Hands of God
5. Why I Am
6. Dive In
7. Spaceman
8. Squirm
9. Alligator Pie
10. Seven
11. Time Bomb
12. Baby Blue
13. You & Me

いやいや「いだてん」は面白い!

TV Program:

いやいや「いだてん」は面白い!

 

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の視聴率が低調らしいが、いやいやかなり面白いぞ。ということで唐突ですが、先日の第20回「恋の片道切符」の感想です。はは~ん、そういうことやったのねと思っていただければ幸いです。

とその前に。このドラマが始まる前、天の邪鬼な私としては、「けっ、2020年東京オリンピックのプロパガンダかいっ」と思っていました。が実は実は大間違い。プロパガンダどころかちゃっかりスポーツはこうでなくっちゃっていう批評が盛り込まれているんです。

例えば、満を持して出場したアントワープ・オリンピックでは、テニスで日本初の銀メダルを獲得するものの金栗四三始めその他の競技は完敗。帰国後の記者会見で記者から選手団が集中攻撃を受ける中、二階堂トクヨはこう言い放ちます。「オリンピック最優先の体制を改めない限り、わが国の体育の向上はない!」と。これ完全に今の日本に対して言ってますよね(笑)。

あと嘉納治五郎が欧米との実力の差にこう呟きます。「重要なのは50年後、100年後の…」。視聴者はこれまでの嘉納治五郎のイケイケぶりを観てますから、きっとこの後のセリフは、「50年後、100年後の日本選手が欧米人と対等に、いやそれ以上に戦えるよう」みたいなことを言うのかと想像します。ところがです、嘉納治五郎は満面の笑みでこう言うんです。「50年後、100年後の選手たちが、運動やスポーツを楽しんでくれていたら、我々としては嬉しいよね」と。

この場面の嘉納先生は神々しかった~(笑)。それまでは女子はスポーツしては駄目なんですかと訴えるシマに対しても、全く理解を見せるところが無かったあの嘉納治五郎がここでは打って変わってこういうセリフを吐く。なんか嘉納治五郎が一気に開花したような錯覚を覚えました(笑)。

シマは女子がスポーツなんかするもんじゃないと言われながらもこっそりと朝早く起きて、マラソンの練習に励んでおります。そこへ四三の朝練とかち合います。そしてその邂逅と四三がオリンピック後の放浪中にベルリンで観た景色、女子が当たり前のようにスポーツをする景色を見て四三は天啓を得るわけですが、ここでシマとの邂逅が繋がるわけです。

そのシマ。今回の話では彼女の「キエーッ!!」というシャウトが聞けます。そうです。四三の持ちネタですね。四三が素っ裸で水浴びをして「キエーッ!!」と叫ぶ。もう「いだてん」の定番です。ところが最近はその四三の「キエーッ!!」の回数が減ってきた。そこで今回はシマが初の「キエーッ!!」。次週の予告編ではシマが何度もシャウトする姿が描かれています。しかも四三は女学校の教師!?

つまり第21回、ここから四三の精神がシマへ受け継がれることを意味するのです。密かな主役交代と言っていいんじゃないでしょうか。日本人初のオリンピアン、金栗四三から女子体育の夜明けを担うシマへのバトンタッチ。私はそういう風に受け取りました。

この点、先のトクヨさんの発言や嘉納先生の発言と被って来ません?つまりそういうことなんです。勝利至上主義やメダルを何個獲ったとかではなく、市井の人々が等しくスポーツを楽しめることこそが本来のスポーツではないかと。金メダル、金メダルと念仏のように唱えていた四三もまたここで鮮やかに開花するのです。

私は芸術というのはすべからく批評の精神が宿っていると思っているんですね。たかが日曜夜の大河ドラマにそんな大層な理屈付けるんじゃないよと言われるかもしれませんが、これはやっぱり芸術なんだと。制作者一同もきっとそういう心意気なんだと私は思います。

ちなみにシマ演じる杉咲花さんは昨年末の「笑ってはいけない」に出演。バス内でのコントでいきなり「ギヤーッ!!」と叫び笑いを起こしていました。「いだてん」でのシャウトはそこから始まったのではと私は勝手に解釈しております(笑)。

Lonely Avenue/Ben Folds and Nick Hornby 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Lonely Avenue』(2010)Ben Folds and Nick Hornby
(ロンリー・アヴェニュー/ベンフォールズ・アンド・ニック・ホーンビィ)

 

ベン・フォールズとニック・ホーンビィによるコラボレーション・アルバム。ニック・ホーンビィという人は英国の著名な作家で、幾つかの作品がハリウッドで映画化されているそうだ。そんなことは全く知らないが、英国人らしい皮肉やユーモアを交えながら素晴らしい詩を紡いでいる。そしてそこに曲を付け、表情を与えるのがロッキン・ピアノ・マン、ベン・フォールズ。とても素晴らしいメロディ・メーカーであり、サウンド・デザイナーである。

その詩の内容はとりわけ特別なテーマを描くのではなく、僕たちの隣人の物語。例えば、大晦日の夜を病気の息子と病院で過ごす母親の心象風景『Picture Window』。副大統領候補の娘と付き合ったばっかりにマスコミの格好の餌食となった青年のため息『Levi Johnston’s Blues』。お互いささやかな幸せを掴みつつも、一向に巡り合えないソウル・メイツを描く『From Above』。どれも人生つまずきながらも、なんとかやりくりしていこうとする人々の日常を切り取ったもので、まるで良質の短編映画を観るよう。

良い悪いの判断も、彼らがどうなったかもとりあえずは横に置いておいて、ただ彼らの動く様子をカメラで追ってゆく。そんな俯瞰的な描写が好い。しかしながら、作者の登場人物に対する愛情は多量である。

彼ら登場人物を更に活き活きと動き回らせるのが才能豊かなピアノ・マン、ベン・フォールズ。ニック・ホーンビィが登場人物を温かく見守る親なら、ベン・フォールズは彼らの肩を叩く友人といったところか。彼らがしっかり歩いてゆけるよう、珠玉のメロディで道を照らしている。

本作で僕が最も好きなのは『Claire’s Ninth』。「もう、最低!」と歌うところは本当にスクール・ガールのよう。この曲の主人公はティーン・ネイジャーだが、曲によっては年老いたミュージシャンであったり、作家であったり老若男女問わず様々。どれも素晴らしいストーリー・テリングと色彩豊かなサウンド・デザインで幅広く奥行き深く楽しむことが出来る。シリアスなストーリーが多かったりもするのだが、あくまでもポップに。そこがまたいい。

日本盤ボーナストラックとして最後に『Picture Window』のポップ・ヴァージョンが収められている。ストリングスとピアノによる本編とは異なるバンド・サウンドだ。歌詞がシリアスな分、ポップなサウンドとの落差にかえって胸が締め付けられる。本編は絶望を幾分和らげるためにストリングスというオブラートを掛けたのかもしれない。

 

Tracklist:
1. A Working Day
2. Picture Window
3. Levi Johnston’s Blues
4. Doc Pomus
5. Your Dogs
6. Practical Amanda
7. Claire’s Ninth
8. Password
9. From Above
10. Saskia Hamilton
11. Belinda
(日本盤ボーナストラック)
12. Picture Window(Pop Version)