戯れ

ポエトリー:

「戯れ」

わたしたちは一歩
足音を早めてる
束の間届いた
夜の戯れ

今夜もあっけなく時は過ぎてゆき
確かに掴み得た想いは
淡い企み
それすら砂

振り向けば
振り出しに
その速度も
足早に

 

2022年7月

『今、何処』アルバムが凄い!

 
 
『今、何処』アルバムが凄い!
 
2022年は宇多田ヒカルとケンドリック・ラマーの年だと思っていましたけど、更に凄いアルバムが出てきました。まさかまさかの佐野元春です。音楽に限らず、アートには時折その時代と見事に合わさってしまう時があって、それはいくらマーケティングしようが意図的にどうこうできるものではありません。何故佐野にそれが出来たのか?何故この『今、何処』アルバムはジャストに響いてくるのか?
 
とにもかくにも40年以上のキャリアを誇るベテラン・ミュージシャンがここに来て何度目かのピークを迎えていることに驚きを隠せません。ただこのピーク、急に訪れたものではないんですね。佐野はずっと新しい音楽を発表し続け、毎年のようにライブ・ツアーを行ってきました。以下は今も第一線で活躍するベテラン・ミュージシャンのここ10年(2012~2022年)のオリジナル・アルバムのリリース数です。
 
松任谷由実 3作
桑田佳祐 2作(サザンで1作、ソロで1作)
小田和正 2作
長渕剛  2作
山下達郎 1作
佐野元春 6作
 
ま、出しゃいいってもんではないですけど、これを見ただけでも佐野の今というものを感じてもらえると思います。で、これらの作品、佐野は自分より下の世代と作ってきました。コヨーテ・バンドと名付けられていますけど、プレイグスの深沼元昭やノーナリーブスの小松シゲルといった面々です。佐野は彼らと15年ずっと一緒にやってるんですね。言ってみれば佐野が通過した60年代70年代の米英ロックと90年代のオルタナティブ・ロックのコラボレーションです。
 
でその結実が2015年の『Blood Moon』だと僕は思っていたのですが、今回の『今、何処』はそれを遥かに越えてきました。これこそ正真正銘の佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドの最高傑作だと思います。となると、その前の佐野のバンドであるホーボーキングバンドが『The Sun』(2003年)を最後にオリジナル・アルバムを出さなくなったのと同じことがコヨーテ・バンドでも起きそうな予感も無きにしも非ずですが、今はこの圧倒的な作品に打たれておこうと思います。
 
下に『今、何処』の映像トレイラーを貼り付けておきます。佐野のことを知らない世代も多いと思いますが、ものの数分ですので騙されたと思って聴いてもらえたら嬉しいです。そしてもし気になったら、アルバム自体を聴いてほしい。サブスクに入ってれば気軽に聴けますから、冒頭の数曲だけでも試しに聴いてもらえたらなって。
 
あらゆる世代、あらゆる考え方を持つどんな人々にも開かれた全肯定のブルース。私(わたくし)と世界とのせめぎあい、その中で一対をなす光と闇、2022年の今この時を撃つ傑作アルバムです。なんなら佐野の名前が表に出なくてもいい、この『今、何処』アルバムが多くの人の耳に届いてくれたら、そんな風に思わせる作品です。
 
ところでこのアルバム、音楽評論家の田中宗一郎によるポッドキャスト「THE SIGN PODCAST」で全3回にわたって特集が組まれています。田中宗一郎と言えばレディオヘッドを思い浮かべるので、なんでまた佐野元春?と思ったのですが、彼はずっと佐野の熱心なリスナーだったようですね。このポッドキャストではそのあたりも詳しく述べられています。とても的確な佐野元春評ですので、佐野のことを初めて知ったという人にもとてもよいガイドになると思います。勿論、目から鱗の『今、何処』評も聴けます!Spotifyでも聴けるのでこちらも是非!
 

助けにいかなくちゃ

ポエトリー:

「助けにいかなくちゃ」

あの子がケガをしている
今すぐ、
助けにいかなくちゃ

わたしたちが目指すのは惑星、太陽、それとも月
いずれにしても
あの子が泣いてちゃ始まらない

人々は雨のち晴れと言うけれど
立ちこめる雲を追い払い
傷薬を用意して
とにもかくにも
今すぐ会いにいかなくちゃ

あの子がケガをしている
人が聞いたら
泣き出すほどの
痛みをこらえて

 

2022年6月

今日は投票日

7月10日の雑感:

民主主義は時間がかかるシステムだ。確かに専制主義国家の方が何も決めるにも早い。しかしそれは一部の権力者や賢い人に任せるシステム。頭がよくて、知識があって、力のあるエリートに任せればいい。はっきり言ってそっちの方が楽じゃん。でもそれの行く着くところは選民思想でしかない。

民主主義は時間もかかるし、余計な対立も煽る。でも民主主義とは選挙に勝った政党が好き勝手にやっていいというものではない。選ばれた政党は選ばれなかった政党を支持した人々を含めるすべての国民の代表者だ。確かに自身の政党の思惑が優位に働くが、前提としてすべての国民の利益を考えなければならない。トランプによって歪められてしまったが、民主主義とは多数決で勝った方が好きにやっちゃえばいい、というシステムではないのだ。

わたしたちは今一度、この民主主義というものを考えなければならない。「民主主義というものに完成形はない」とは誰が言った言葉だったか。どうせ自分の意見なんて通らない、ではない。選挙で多を得なかったとしても民主主義というシステムがある限りわたしたちの意見はないがしろにはされない。その声を少しでも大きくするために選挙はある。

もののはずみ

ポエトリー:

「もののはずみ」

ありもしないものは
はじめからそこにないのだから
なくなったりはしないのに
どこにいったいつなくした
あそこにおいたはずなのに

こにくたらしいかのじょのえがおに
なんどにがむしをかんだかなんて
きどったようにいったとしても
そんなこともあったようななかったような

ありもしないものは
はじめからそこにないとしりつつも
むねぽけっとのたかなりは
なんだったのかとたずねてみれば
それはもののはずみというものですよ

ねぼけまなこのたかなりが
あっちへふらふらこっちへふらふら
ついぞみはてんあなたののぞみは
けっきょくちいさなむねさんずん

さりとてちいさなむねさんずん
ありもしないからはじまるのですよと
わかったようなくちぶりで
それこそもののはずみです

 

2022年3月

ENTERTAINMENT! / 佐野元春 感想レビュー

 
『ENTERTAINMENT!』(2022年)佐野元春
 
 
佐野はコロナ禍の中でもできうる限りの活動を続けてきた。’Save It for a Sunny Day‘プロジェクトと称し、その中からシングルをリリース、全7回におよぶ動画配信やグッズ販売、可能な範囲でのコンサートも行い、このプロジェクトで得た収益の一部はコロナ禍で困窮している音楽関係者への基金として役立てた。中には寄稿文募集というファン参加型の企画もあったりして、もしかしたらコロナ以前よりも旺盛な活動であったのではないかとも思う。そんな2年を僕自身はどう過ごしてきたのか。この間リリースされたいくつかのシングルを含むこのアルバムを聴いて、僕はそんなことを考えていた。
 
僕たちの暮らしは大きく変わった。密なコミュニケーションは避けられ、人と人は距離を保ち、僕たちは息をひそめるように語り合った。もう慣れた。そうかもしれない。僕たちはいろいろな息苦しさにその都度折り合いをつけ、こんなことは今だけだと自分に言い聞かせながら、いつか元に戻るさという頼りない楽観性で心の平衡を保っていた。けれど気付きつつもある。もう元には戻らないことを。
 
ただ、だからといってどうなのか。殊更悲観的になるだろうか。未来に絶望するだろうか。そんなことはない。どう転がろうが、もう元には戻れないと知りつつ、相変わらずなんとかなるさと日々をやり過ごすことしか僕たちにはできないけれど、そうやってストレスの角を少しづつ丸めていく自己防衛能力が僕たちにはちゃんと備わっている。僕たちにできることはこの無邪気なオプティミズムを支持し続けることではないか。
 
#3『この道』では何度も「いつかきっと」と歌われる。言葉巧みな作家が「いつかきっと いつかきっと 夜が明ける その日まで」と他愛のない希望を綴っている。#5『合言葉 – Save It for a Sunny Day』では「古い世界 蒼い未来 何処へもゆけない」と歌いつつも僕たちに「まだチャンスはあるよ」と元気づけてくれた。#10『いばらの道』では北原白秋の「この道」を引用することで過去への広がりを喚起させつつ、「明日になれば 明日になれば 悲しいことも 忘れるよ」と祈ってみせた。そして#7『東京に雨が降っている』では再び「濡れた街を歩いて行こう」と呼びかける。
 
僕たちは他愛なさの中にいる。もちろん、その時々で辛いこと、しんどい時期はあるけれど、なんとか頼りがない希望を胸にやり過ごしてきた。そしてこの危機に及んで僕たちが選んだこともやっぱりこの他愛ない無邪気な希望ではなかったか。そんなことでシリアスな現実は乗り越えられない、ウィルスに打ち克つことは出来ないと物知り顔は言うだろう。でも僕たちは打ち克とうなんて思っていない。もちろん、乗り越えられたら嬉しいけど、とにもかくにも僕たちはサバイブしていかないといけないのだから。
 
コロナ前にシングル#1『エンタテイメント!』がリリースされて、コロナになってリモートで制作された#3『この道』が急遽無料で公開されて、#5『合言葉 – Save It for a Sunny Day』があり、コロナ2年目に#4『街空ハ高ク晴レテ』が配信されて、久しぶりのコンサートで#2『愛が分母』を聴いて、今僕は新たな5曲が追加されたアルバムを聴いている。アルバムとしてどうなのかというシビアな目で見れば、この『ENTERTAINMENT!』アルバムはこれまでのコンセプチュアルな佐野のディスコグラフィーの中では見劣りするかもしれない。でもそれは次のアルバムに期待すればいい。今求めるものはそこじゃない。リスクは承知で、避けては通れない道を佐野はちゃんと選んだのだと思う。
 
いつか時間が経ってこのアルバムを聴いた時、僕はきっと思い出すだろう。この2年、僕がどう過ごしてきたかを。このアルバムはその記憶だ。僕たちが歩んできたコロナ禍とは何だったのか、という一般論ではなく、僕自身がどう過ごしてきたのかという個としての記憶。もちろん、これらの歌の主人公は僕ではないけれど、僕もまたそこにいたのだ。
 
 
追記:
今、僕たちが慎重に事を運んだこの2年を根本からひっくり返すような事態が起きている。この戦争に対し、日本人である僕たちはどうすべきか、多くの人が心の中に小さな泡立ちを感じながら、学校に行き、会社へ行き、家の用事をして、いつもの日々を過ごしている。難しい顔をしたところで何も変わらないと知りつつ、全く無茶苦茶な角度からいつミサイルが飛んでくるともしれない世の中で、僕たちはいつまでこの無邪気なオプティミズムを更新し続けることができるのだろうか。

Harrys House / Harry Styles 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Harrys House』(2022年)Harry Styles
(ハリーズ・ハウス/ハリー・スタイルズ)
 
 
このアルバムの欧州ツアーではバンド・メンバーが全て女性ということなので、アルバム自体もそうなのかな、でも生バンドっぽくないなと、ウィキペディアで調べてみたら、アルバムはそうではなかったです。でもピノ・パラディーノとかジョン・メイヤーとかベン・ハーパーの名前があってビックリ。大物やん!ただ、ドラムは基本ドラム・マシーンでした。オレの耳もなかなかやな。ちなみにツアーの前座は公演毎にミツキやウルフ・アリスやアーロ・パークスらが務めるらしい。ハリー、徹底してるな。ていうか豪華すぎるやろ!
 
僕はほぼ並行してこのアルバムとリアム・ギャラガーの『カモン・ユー・ノウ』を聴いていたのですが、だんだん思うようになってきました、この2人、なんか似てるなと。つまり、リアムもハリーも基本はチームでソングライティングをしている、ずっと同じチームで。ただ全く人任せではなく、自分も名を連ねてソングライティングに関与している。これはさっき言ったようにツアーではハリーの意向が全面的に出ていますが、それと一緒ですね。
 
つまりチームとはいえハリーがボスだということ。しかもちゃんと自分の求められている役割を全うしつつ、自分はこれだという基本線は崩さないという、これは全くリアムもそうですよね。それにサウンドは、ドラム・マシーンであるにせよ基本は生演奏で、ライブではちゃんとバンド編成。言わずもがなリアムもがっつりバンド。てことで、アウトプットされる音楽は異なるけど、スタンスとしちゃ非常に似てるんじゃないかと。
 
で肝心のアルバムですが、凄いです、いい曲ばっかです。チームとして多分今は絶好調なんだと思います。とにかくイントロからしてキャッチーだし、AメロもBメロもサビもサウンドも全部キャッチー。音楽的な新しさは感じないですし、既視感のあるメロディっちゃあそうなんですけど、どっから聴いても満点です。はい、言うことないです。この辺もリアムの『カモン・ユー・ノウ』と一緒やね。
 
という完璧なポップ・アルバムなので全世界あちこちでチャート№1に輝いています、日本以外(笑)。冒頭でウィキペディアを見たって言いましたけど、ウィキペディアには各国のチャートも記載されているんですね。30行ぐらいの表なんですけど、日本のとこだけオリコン35位、ビルボード・ジャパン43位、他は非英語圏でも全部1位(笑)。アルバム1曲目は『Music for a Sushi Restaurant』で、アルバム・タイトルは細野晴臣の『HOSONO HOUSE』(1973年)から来ているというのにこの結果はちょっと残念。
 
ただどうなんでしょう、日本はまだ6~7割はフィジカル盤、つまりCDらしいので、ほとんどサブスクの海外とは集計が異なるのかなと。ま、それにしても順位低すぎ(笑)。非英語圏でもちゃんと1位になってますから、こういうのを見ると、日本人の洋楽離れを実感しますね。

C’mon You Know / Liam Gallagher 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『C’mon You Know』(2022年)Liam Gallagher
(カモン・ユー・ノウ/リアム・ギャラガー)
 
 
 待ちに待ったソロ活動とはいえ、3作目にもなると新鮮味が薄れつつあるのも確か。リアム自身が今回のはいろいろやってるから、イマイチだったとしてもコロナのせいにして次はガッツリやればいい、なんて気弱なことを言っていたものだから、低調な期待値で聴き始めたんですけど、いやいやこれは今までと比べてもかなりいいです。
 
ファンとしてはリアムの声が聴きたい、それも景気のいい曲で。という期待に真っ向から応えたソロ1作目があって、2作目は更にまな板の鯉状態で歌うことに徹したリアム、を経ての3作目という感じがやっぱりあります。気弱発言もありましたが、ここまでいろいろな曲調にトライアルできたのは、やっぱり1作目2作目の大成功があってこそ。ヴァンパイア・ウィークエンドのエズラとコラボなんて以前のリアムなら考えられない。つーか、二人が会話してるのは今も想像つかない(笑)。
 
曲の練度で言えば今回が一番ですね。これまでどおりの制作チームではありますが、彼らの自由度も大幅にアップしています。ま、歌のないとこですね。1曲目なんて、リアムの声が聴けるまで1分近くかかるんですけど、しかもゴスペル(笑)。でもこれが全然OKなんですねぇ。他の曲でもアウトロを長めに取ったり、バンド演奏で聴かせるところがあったりしますし、リアムの声がメインなんだからという枷が取り払われて、素直に曲としての完成度が高くなってます。
 
ホントにもうオアシス云々というところから離れて、今のリアム・ギャラガーのアルバムということで完全に成立した感はありますね。そのリアム自身のボーカルもですね、皆の期待に応えねばというところではなく曲に合わせた自然体というか、アクの強い若手俳優がいつの間にか渋い演技をするベテラン俳優にになったみたいな感じというか、すごく肩の力が抜けて、余裕のある表現になっている気はします。アルバム・タイトルを「ボーカリスト」、もしくは「リアム、シナトラになる」にしてもいいぐらい。そりゃ言い過ぎか(笑)。
 
いやでも色んな曲があってなかなかですよ、このアルバム。リアムの壮大なバラードが好きな身としては、そういうのが#5『Too Good For Giving Up』1曲しかないのは寂しいですが、それをあまりあるバラエティーの豊かさ。ヴァンパイア・ウィークエンドっぽい曲も見事に歌いこなしているし、デイヴ・クロールが参加しているからフー・ファイターズっぽいのもあるし、もちろん今までどおりのもある。#11『Better Days』のコーラスで「Believe me, yeah」って伸びるとこなんて最高ですね。
 
そうそう、タイトル曲の#4『C’mon You Know』と#8『World’s In Need』はリアム単独作ということらしいです。リアムのソングライティングと言えば、繰り返しの多いシンプルなものというイメージがありますが、今回は2曲ともビッグなコーラス付き!こんなの今まであったっけ(笑)、というぐらいの曲が書けるんだからやっぱ今はいい状態なんやね。

ネットショッピング

ポエトリー:

「ネットショッピング」

明かりが漏れている
冷蔵庫が開いている
バタンと咳をして
扉を閉める

どこへ行ったのか
この部屋の暗がりは
いずれどこかの押し入れに
隠れたろうか

スマートフォンがついている
天井を照らしている
闇に光るマーケット
今夜は何を買わせるのか

どこへ行ったのか
ずっと大事にしていた宝物は
いずれどこかの戸棚にでも
隠れたろうか

箱買いしたトマトが
冷蔵庫で延々と冷やされ
もはや震えている

 

2021年11月

「没後50年 鏑木清方展」感想

アート・シーン:
 
「没後50年 鏑木清方展」京都国立近代美術館
 
 
日本画の美人画はあまり興味はなかったのですが、Eテレ「日曜美術館」で見た鏑木清方の作品がとても美しく、これは見ておきたいなと小雨まじりの京都へ出掛けました。あいにくの天気だったので、行く日を変えようかなとも思ったのですが、雨の方が人も少ないだろうと出発。これが大正解で、人気の展覧会にもかかわらず、土曜日ではありましたけど程よい人数でゆっくり鑑賞することが出来ました。
 
展覧会は目玉の三部作「浜町河岸」「築地明石町」「新富町」をクライマックスに清方のキャリアを順を追って辿っていく構成となっています。元々は挿絵画家として出発したということで、清方の絵は物語の一場面、という印象を受けますね。絵の背景に何かしらの物語があって、絵の登場人物の表情や体の動きなどを通して、こちらの想像力をかき立てる。僕の場合は絵そのものにどうこうというよりは、肩の入り方とか腰の浮かせ方とか、そういう微妙な体全体を通して出てくる表情に強く引きつけられました。全然関係ないかもしれませんが、この辺りは日本の漫画表現にも繋がる、西洋とは異なる日本人独特の人物の描き方というのがあるのかもしれないなとも思いました。
 
あと写真やネットでは分かりにくいところですが、実物を間近に見ると非常に細かい!髪の毛1本1本や肌の微妙な色合いの変化、睫毛、ものすごく繊細な表現がなされていることに気づきます。あと明治時代の江戸情緒を主題に描いていることが多いのですが、当時の風俗、とくに女性の着物の柄がすごく魅力的で非常にお洒落なんですね。柄もそうですけど、色見のバランスとかも、清方自身も凄くお洒落な人だったんじゃないかと思わせる配色の妙がありました。
 
でやっぱり目玉の三部作ですよね。特に「築地明石町」。女性の瞼の上に薄っすら線が入っているんですね。人によっては気に留めない箇所かもしれませんが、この線があると無いでは大違い。僕はこの薄っすらと入った線を見たいがためにこの展覧会へ行ったと言っても過言ではありません(笑)。
 
この三部作の下絵も展示されていたのですが、この下絵を見ると清方のデッサン力の凄さが分かりますね。鉛筆で描いて消しゴムで消すみたいなことは出来ませんから、ほぼ一発勝負で筆を載せていく、しかも着物を着ているのでやっぱり骨格を取りにくいんですね。それも大きなサイズで描いていく。これは相当難しいと思います。
 
ということで、漫画やイラストを描いている人が見に行ったらとても得るところがあるんじゃないでしょうか。それに江戸の庶民の風俗であったり、清方独自の画風がありますから、あまり日本画に興味がないという人も楽しめる展覧会だと思いました。