Author: よんきー
サヨナラ
ポエトリー:
「サヨナラ」
見違えたよ
その喋り方
見違えたよ
その微かに目にかかって前髪
急にどうしたんだいという声に備える君の
億劫な瞳
いつでもどこでも
見ず知らずの人に喋りかけられるようにいたい
そんなことを仲良しの友達にも言う君に
僕たちは悪気がないようクスクス笑った
そんな日の明け方、
僕たちの靴下にはよじれたような染みがあって
けどそれには目もくれずおしまいの証、
サヨナラと
手を振りあったりしたんだよな
2022年3月
OOPARTS / 羊文学 感想レビュー
邦楽レビュー:
『our hope』(2022年) 羊文学
聴いて一番に思うことは塩塚モエカの声が力強くなったということ。いや、力強くなったというだけじゃないな。彼女はきっと語り部になったのだと思う。物語があって、そこに自分自身の喜怒哀楽は立ち入らせない。表現者としてまた一歩、前へ進んだのだと思う。
ではあるけれど、音楽というのはボーカルだけじゃない。彼女が歌わなくてもバンドが表現してくれることがある。その取捨選択が見事だなと思う。つまりバンドとしてもまた一つ、ステージが上がったということ。サブスク時代にあって歌以外の部分は飛ばされることが多いけど、こと羊文学の音楽の聴き手に関してはそんなことしないかもしれない。
リズム隊であったり、コーラスであったり。ボーカルであったり、ギターであったり、3ピースではあるけれどこれだけ音がまとまってガッと届いてくるバンドはそうはいない。いくら塩塚モエカの才能が素晴らしくとも彼女一人ではここまでの音楽にはならなかった。突出した塩塚モエカのバンドではなく、どこからどう見ても羊文学というバンドでしかないというのが清々しい。
その清々しさはやはり3人の曲に向かうアプローチから来るのだと思う。よい意味で淡々としているというか、勿論実際はそんなことはないのだろうけど、入れ込まなさ、というのが背後にあるのではないかと。メロディーありき言葉ありき曲ありき。そこにどうアプローチしていくかしかなくて、ああしてやろうとかこうしてやろうといった気負いがない。それは恐らく前作やコロナ禍であってもライブを続けてきたことの成果であり、曲に向かっていればよいのだという自信の表れなのかもしれない。#7『くだらない』での深刻でありながらも淡々とした疾走感と、だからこそのやるせなさはそれを端的に表している。
オープニングの『hopi』は暗い夜更けを朝へ向かってゆっくりと進む船になぞらえた曲。その後、何気ない日常を描いた#6『ラッキー』から宇宙規模の#10『OOPARTS』(この曲はイントロがThe1975を思わせるね)まで、様々な世界をめぐりつつ、けれど最後の#12『予感』では結局「おやすみ」としか言えないというのがたまらない。
OTODAMA’22~音泉魂~ 2022年5月5日 感想
朝の光
ポエトリー:
『朝の光』
緩やかな髪のウェーブに光がさして
それは朝の光だから見ることをやめない
ずぶ濡れの夕べの記憶は
バタートーストと共に
喉の奥に流れた
はず
今朝みたいにたっぷりと時間がある日は
コーンスープをしっかりと
飲み干すだけの余裕が私にはある
これも、はず
朝からつまらない冗談を言う父親の
気の抜けた声にはまるで覚悟がない
これが我が家のトップランナー
けれど贅沢は敵
私はある程度の相槌が打てる子だ
たかが一年ばかり早く生まれただけで先輩面するアイツにも教えてやらねば今朝のスローガン
贅沢は敵
小学校の時に覚えさせられた寿限無が頭を離れない
水行末ならぬ水餃子
コーンスープと合わないことは知っている
それはとても大事なこと
緩やかな髪のウェーブに光がさして
けれどまだ勝ち名乗りはするなよ
今日はまだ始まったばかりだということを忘れるなよ
2019年5月
Love All Serve All / 藤井風 感想レビュー
『Love All Serve All』(2022年) 藤井風
日産スタジアムでの無観客一人ライブがあったり、
NIA / 中村佳穂 感想レビュー
大人なのに子供の漫画が描ける人
僕の相棒
ポエトリー:
「僕の相棒」
明け方に
君の輝きを見た
いつもより1分早い速度で動いていた
おはようと伝えるとおはようと返す
暮らしはいつもささやかに
怯えは胸ポケットに
台所からはコーヒーの薫り
いってきます、僕の相棒
君が僕より少しだけ幸せでありますように
2021年4月
残り湯
ポエトリー:
『残り湯』
残り湯で体を温めてくれる経験が
二人をそっと包みます
両方の手の形をした炎がぼうっと
二人の暮らしを照らしています
きっと食卓の中心には
温かいお茶があって
二人の会話は弾みます
夜半過ぎ
短くて長い一日の終わりがどちらにも行けず
ひとりぼっち
まだ湯船に浮かんでいます
2021年12月