カネコアヤノの言葉~例えば「布と皮膚」

邦楽レビュー:

カネコアヤノの言葉~例えば「布と皮膚」~

 

僕は洋楽をメインに聴いていますが、何も邦楽を避けているわけではありません。ただ邦楽の場合はどうしても言葉に目が行ってしまうんですね。そこでこれちょっとなと思ってしまうともうダメなんです。逆に言葉の部分でこれいいなと思えるものがあったらすぐに食いつきますね(笑)。やっぱり母国語で得られるカタルシスは特別ですから。

最近僕が食いついたのはカネコアヤノさんの曲です。彼女の言葉への向かい方が新鮮なんですね。そこで今回はカネコさんの曲の中でも、これ特徴的だなと思った曲があったので、それを紹介したいと思います。2019年リリースのアルバム『燦燦』に収められた「布と皮膚」という曲です。

先ずタイトルの「布と皮膚」ですよね。最初に聴き手はここで引っ掛かります。カネコさんは突飛な曲のタイトルの付け方をしないのですが、この「布と皮膚」はちょっと独特ですね。字だけを見ているとちょっと堅い印象を受けます。その堅い印象を持ったまま、そして意味の把握しかねる状態で聴き手は曲を聴き始めます。で最初のヴァース。

  いろんなところがドキドキしてる
  Tシャツの襟ぐりと首の境を
  行ったり来たりバレないように
  指先でそっと縫い目をなぞった

ここで聴き手は「布と皮膚」は具体的には「Tシャツの襟ぐりと首の境」のことなんだなと了解します。もう単純に映像が、この「布と皮膚」というタイトルと「Tシャツの襟ぐりと首の境」という言葉で映像が立ちあがってきますよね。それも少し離れた、或いは俯瞰的な絵というのではなく近い映像。例えて言うと陶芸家が土をこねるようなそぐそこにある即物的な絵です。そこを「行ったり来たりバレないように / 指先でそっと縫い目をなぞ」るわけです。

つまり聴き手は最初のヴァースで「縫い目」とは何か、「Tシャツの襟ぐりと首の境」とは何か、加えて歌の主人公はそこを指でなぞっている、ということを視覚的に知るわけです。ではこの「縫い目」とはどういう意味なのか、「Tシャツの襟ぐりと首の境」が象徴するものは何なんだ、ということがコーラスで判明します。

  布と皮膚 布と皮膚 布と皮膚
  交互になぞった
  眠れない夜にそっと
  布と皮膚 交互になぞった

僕の解釈では「皮膚」というのは‘私’の一番外側にあるもの。「布」というのは反対に‘私’ではない存在の最も‘私’寄りの部分。この両者の接触付近について歌われていることなんだと。簡単に言うと自分と外界の境目についての歌ですよね。そう考えるとそんなニュアンスの歌って結構ありますよね。ただカネコさんはそこをわざわざ「布と皮膚」と表現するんです。「布と皮膚」と表現することによってより即物的なイメージを聴き手は持つことが出来るのです。

面白いのはその境目、触れるか触れないかの接触付近、出入口についての歌なんだけど、そこがどうなんだということは一切触れられていないんです。違和感を感じるとか心地よいとかそういう作者の主観は入ってこない。つまり状態が描写されているだけなんです。ここ、結構大きなポイントではないでしょうか。

そして「布と皮膚」を「眠れない夜にそっと / 交互になぞった」という表現ですがこの表現、少し色っぽいです。これは歌ですからこの言葉に動的な意味が加わる、メロディや声や演奏が加わるわけです。ここをカネコさんは「布と皮膚」ではなく「ぬぅのと、ひっふー」と歌います。少し色っぽい表現を更に「ぬぅのと」と歌うことで同じ意味が被さってきて、要は強調されてきて、次、ここですよね、「ひっふー」と歌うことですばやくユーモアに転じて行く。この部分、見事だと思います。

音楽家に限らず、言葉を扱う人というのはやはりオリジナルの表現を好むんですね。自分自身の言葉を獲得したい、そう思うものだと思います。ですのでどうしても突飛な言い回し、違和感のある言葉遣いに目が向いてしまうわけです。要は表現のアプローチを伸ばしたくなるんですね。

でも結果どうなるかというと、それはやはり自分から離れた言葉ですからリアリティが希薄になります。加えて、突飛な表現というのは案外使い古されている、突飛な表現という行為自体が使い古されていますから、かえってありきたりな表現、紋切型の定型文になってしまいがちです。だから言葉というのは自分の体の中から出てくる、手の届く範囲でないといけないということなんだと思います。

そういう意味でカネコさんの言葉はカネコさんの中から出てきた言葉なんですね。言い換えれば肉体的な言葉。手の届く範囲で捕まえることのできる言葉なんです。だから言葉に通っている静脈がうっすら透けて見えるんです。言葉というものへの向き合い方をカネコさんに改めて教わったような気がします。

最後に。これは谷川俊太郎さんが折に触れて仰っているのですが、言葉というのはもうすでに意味を持ってしまっているんですね。だから詩というのはそことのせめぎ合いということになります。つまり「布と皮膚」というタイトルで言うと、「布」という言葉も「皮膚」という言葉も予め意味、イメージを持っていますよね。その従来持っている言葉が組み合わさることで別のイメージが現れてくる。加えてこれは歌ですから、声やメロディによる効果も加味されて、「布と皮膚」という言葉は従来持っている言葉を組み合わただけではない別のイメージを生み出している、ということが言えると思います。

追記:
本来であればここに歌詞を全て掲載したいのですが、著作権の問題もありますからね。とか言いながら半分程度載せてしまっていますが(笑)。ま、ご容赦ください。

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