When We All Fall Asleep, Where Do We Go?/Billie Eilish 感想レビュー

洋楽レビュー:

『When We All Fall Asleep, Where Do We Go?』(2019)Billie Eilish
(ホエン・ウィ・オール・フォール・ア・スリープ、ホエア・ドゥ・ウィ・ゴー/ビリー・アイリッシュ)

 

驚くほどシンプルでエレガントなメロディは、両親の影響でビートルズを聴きまくったというところに由来するのかと老人はつい言いたくなってしまうが、2019年にもなってそれはないだろう。勿論、その影響はアリにせよ。

元来作為的なものを排除する性質なのか。作為の無い始めからそこにあったかのようなメロディは、ソングライター・チームのあの手この手の入ったメロディには無い自然美がある。と思うのはビリーと兄フィネアス・オコネルに関するバイアスがかかっているせいか。それにしても兄妹が生み出すメロディのエレガントなこと。まるでアレックス・ターナーのようだ。

そこに被さる、声を張らない歌唱力が魅力のビリー・アイリッシュの声との親和性は見事。しかも「私は王になる」と言いながらもまるで他人事のようなリリック!!

そしてビリーの囁く声がロックの様相を帯びているのはシンプルでキャッチーなメロディ故という円環。兄妹が作り出すサウンドとボーカルはバンド・サウンドでドカンとやってしまえる精度だ。エレクトリカルなサウンドでありながら、デイヴ・クロールやトム・ヨークがこぞって称賛する理由はそこにあるのではないか。兄妹にとってはどうでもいいことだろうけど。

しかしそのトラックとビリーの声の近さは宅録故の成果。大掛かりになればなるほど手元から遠ざかるのは恐怖そのもの。真実と言い切れるものはやはり手の届く範囲でしかない。しかしビリーはこの時17歳。囁くようなボーカルもミニマルなサウンドもこれから幾らでも変わり続けるだろう。

勿論彼女は降って沸いた天才ではないが、自らをBad Guyと言いながら、ドラッグもタトゥーも要らないと言う意志の強さは眩しいったらありゃしない。この正しさには抗えない。

 

Tracklist:
1. !!!!!!!
2. Bad Guy
3. Xanny
4. You Should See Me in a Crown
5. All the Good Girls Go to Hell
6. Wish You Were Gay
7. When the Party’s Over
8. 8
9. My Strange Addiction
10. Bury a Friend
11. Ilomilo
12.
Listen Before I Go
13. I Love You
14. Goodbye

 (日本盤ボーナス・トラック)
15. Come Out and Play
16. When I Was Older

Eテレ 日曜美術館「火だるま槐多~村山槐多の絵と詩~」感想

アート・シーン:

Eテレ 日曜美術館「火だるま槐多~村山槐多の絵と詩~」 2019.6.23放送

 

確か、高校の美術の授業の最後の課題がポートレートだった。私は先ずキャンパスを真っ赤に塗りたくり、その上にぼんやりと椅子に座る自分の姿を描いた。それは私のガランス(暗赤色)だった。しかし私の灯火のようなガランスに比して、村山槐多のガランスは体中の血が濁流となって溢れんばかり、マグマのガランスだ。

生きるエネルギーに溢れている人がいる。そのエネルギーを仕事へ向ける人もいれば、芸術に向ける人もいれば、対人関係に向ける人もいるだろう。しかしそのエネルギーを放出する術を持っていなければ。私はこれまでに何人かそういう人を見かけたが、皆一様に苦しんでいるように見えた。その点、槐多は途方もない生命エネルギーの向ける先を持っていた。

代表作、裸の僧侶が小便する『尿する裸僧』はどうだ。陰茎からおびただしい量のガランスが溢れ出ているではないか。それでも放出しきれないガランスがオーラとなって体中から放たれている。この過剰なエネルギー。しかし不思議なことにこれほど個の熱量が向けられた絵であっても、全く暑苦しくはない。

若い情熱のたぎりであっても、槐多の絵には不思議なことに若さゆえの屈折したネガティブさがない。槐多のエネルギーに圧倒されつつ、ゲストの美術史家、村松和明氏は槐多のこんな言葉を紹介した。「日本中の幸福の絵を描きたい」。この言葉によろめくような感動を覚えた。そうだったのか。槐多は自身のはち切れんばかりのエネルギーを放出するために描いていたのではなかったのだ!!

槐多はきっとモテた人であったろう。自身は報われぬ恋にのたうち回ったにせよ、知らぬところできっと大勢の人に愛されていたであろう。彼の絵であり詩からは激烈でありながら、上品で得も言われぬ愛嬌がある。過剰でやかましい人であったろうけど、きっと周りの人に愛されていたのではなかったろうか。

ひとり言

ポエトリー:

『ひとり言』

 

天気がいい日に外に出掛けなくたっていい
あなたがいなくっても今日はいい日
心から嬉しいと思える日がたまにあって
それは得てして
いい事があった日じゃないことの方が多くて
それでも生きている喜びとか
あなたに出会えて良かったとか
ナイーブな人間になったりする時
それはそれで悪くない
公園で遊ぶ子供らを見て
あるいは慎ましやかな幸福を見て
それで心が満たされる日もあったりするのです
私とは関係のないところで世界は回り
知らぬ間に明日になっているのです
だからまあ
金輪際あなたの事は忘れてしまおうとかメンドくさいことは言わないで
なすがまま
あたり前に仕事に出掛け
日々の暮らしを続ける中で
いつもの馬鹿らしい私が顔をのぞかせるのが
ひとときの慰めになっているのだろうから
それはそれで良しとして
たまには空に向かって話しかけてみるんだ
私といた方が良かったのに
なんてね

 

2017年9月

Father of the Bride/Vampire Weekend 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Father of the Bride』(2019)Vampire Weekend

 

オーウェルやディックが描いたディストピアとは車が空を飛ぶようになったり、アンドロイドが街を闊歩するようになってからだと思っていたが、実はそうではないらしい。17歳のビリー・アイリッシュが「When We All Fall Asleep, Where Do We Go?」と歌うように、僕たちはもうその世界へ片足を突っ込んでいるのかもしれない。

6年ぶりに出たヴァンパイア・ウィークエンドの『Father of the Bride』はエズラ・クーニグと並ぶ主要ソングライターの一人であるロスタム・バトマングリが脱退してから初めてのアルバム。彼らのメロディの多くがロスタムの手によるものと聞いて、彼らの新しいアルバムはどういう風になるのか少し心配していたが、当のエズラは大した悲壮感も無く相変わらず活動は続けていたし、確かにバンドのスクラッチ・アンド・ビルドというか、立て直しの時期はあったにせよ、バンドとしてのモチベーションはそのままに、きっと沢山曲を書いていたんだろうなというのがこのアルバムを聴くとよく分かる。

こっちが勝手に心配していた曲の方も、今までもエズラが全部書いてたんじゃないのっていうぐらいヴァンパイア・ウィークエンドしているし、ていうか今まで以上にチャーミングなメロディが溢れている。と思うのは僕だけだろうか。このバラエティ溢れるチャーミングなメロディの源泉は何なんだろう?

とりわけその明るさ、全体を通しての風通しの良さはこれまでと比べても相当上がっているようで(今までも風通しは良かったが)、それは恐らく、リズムを刻む細かなギターの音からベースからシンセから何から何まで、楽器のひとつひとつがちゃんとセパレートされていて、それでいていっせーのーでっドンッで録ったかのような爽やかさでこちらに届いてくるからだとも思うが、それも当然エズラの意識したものなんだろう。

打って変わって歌詞の方は相当ヘビーだ。アルバムからの先行シングルとなった清々しい朝のような#2『Harmony Hall』でさえ「I don’t wanna live like this, but I wanna die / こんな風に生きたくないけど、死にたくない」と歌われるし、アルバム屈指のポップ・チューン#3『This Life』でも「Am I good for nothing? / 僕は何の役にも立たないのか?」と歌われる。それはもう、最初から最後までそんな調子だ。

どう見ても頭の良さそうなエズラ・クーニグは今の世界のありようを素晴らしいものだとは捉えていないはずだ。にもかかわらず、相変わらずエズラは深刻な顔をしちゃいない。恐らくそれはここ2,3年になってようやく騒ぎ始めた僕たちよりもずっと前から、エズラは世界のありようを認識していたから。だから「I can’t carry you forever,but I can hold you now / 君をこの先ずっと支えることは出来ないけど、今は抱きしめることはできるよ」(by #1『Hold You Now』)としか言えないし、「There’s no use in being clever,it don’t mean we’ll stay together / 賢明でいようとすることが、僕らがずっと一緒にいることを意味しない」(by #15『We Belong Together』)としか言えないのだ。しかしそれは悲観することでも何でもない。裏を返せば、今この時には真実があるということだから。

裏切るとか、分かり合えないとか、嘘をつくとかそんなことはもうデフォルトとして横たわっていて、それでもシニカルに皮肉めいた物言いではなく、このアルバム全体が陽気なトーンで貫かれているのは、いくら賢明でいようがそれがこれから先もずっと一緒なんだということを意味しないにせよ、この瞬間には真実は山ほどあるという一点が揺るぎないものとして存在しているからではないか。

高慢チキでやるせない世の中であっても、エズラ・クーニグは深刻な顔はしない。それはディストピアに片足を突っ込んだ世界であろうが、「今は抱きしめることはできる」と言った今この瞬間には間違いなく真実があるということを、エズラはずっと前から知っているからだ。

 

Tracklist:
1. Hold You Now (feat. Danielle Haim)
2. Harmony Hall
3. Bambina
4. This Life
5. Big Blue
6. How Long?
7. Unbearably White
8. Rich Man
9. Married in a Gold Rush (feat. Danielle Haim)
10. My Mistake
11. Sympathy
12. Sunflower (feat. Steve Lacy)
13. Flower Moon (feat. Steve Lacy)
14. 2021
15. We Belong Together (feat. Danielle Haim)
16. Stranger
17. Spring Snow
18. Jerusalem, New York, Berlin

 (日本盤ボーナス・トラック)
19. ヒューストン・ドバイ
20. アイ・ドント・シンク・マッチ・アバウト・ハー・ノー・モア
21. ロード・ウルリンズ・ドーター (feat.ジュード・ロウ)

なだれ

ポエトリー:

『なだれ』

 

自意識に触れる
マグマのわだかまりを
反省の意味で
撫でつける
幾人も無しの
ただの白い
面影橋

(地響きに揺れる
 僅かなわだかまりを
 満面の笑みで
 投げつける
 意気地無しの
 だだっ広い
 重い架け橋)

硬い針の
慟哭で記された
対決色の
決め事を
尖った靴履いて蹴り上げ
蔦絡まる思いは
はしたない

(空威張りの
 広告に照らされた
 耐熱式の
 秘め事を
 尖った口調で掻きむしり
 忸怩たる思いは
 明日には)

全体を通して
嘆きにもあらず
倦怠感の花

(全体をして
 げに懐かしき
 近代のあだ花)

咲かす
明日に備えし
スローな現在

 

2019年4月

ハグ

ポエトリー:

『ハグ』

 

外国からのお客に
普通にハグしたよと言ったあなたの顔が
赤くなるのを隣の同僚が冷やかしていた時
僕の頭に浮かんだのは
茨木のり子さんの「人を人と思わなくなった時に堕落は始まるのよ」という詩で
僕はまるっきりその時
そんな事を考えていたんだ

 

2017年5月

別れ

ポエトリー:

『別れ』

 

寂しくないと言ったけど
本当は寂しいのです
嬉しくないと言ったけど
本当は嬉しいのです

寂しくないと言ったけど本当は寂しいと
ちゃんと相手に伝わったなら
嬉しくないと言ったけど本当は嬉しいと
ちゃんと相手に伝わったなら

あなたはどうなのですか?
泣いたり笑ったりいつも忙しいあなただけど
本当は心のほんの少しも伝えきれていない?

分かり合うって難しいね
いつもボタンのかけ違い
心の本当の奥ではちゃんと分かっているはずなのに
分かり合えないなんて不思議だね
こんなに君を離したくないのに

 

2017年3月

「いだてん」第22回 ヴィーナスの誕生 感想

TV Program:

「いだてん」 第22回 ヴィーナスの誕生 感想

 

先日電車に乗っていたら、大阪駅で前に立っていた旅行者が「次降りる方がよか」「降りるばい」と言っていたのを聞いてわたくし、「リアル熊本弁や!」と心中大阪弁で興奮した覚えがございます。個人的には昨年の「じゃっどん、ほなこつ」より「よかですばい!」の方が明るくていいですね。ま、言い方によるか。

先々週の第20回「恋の片道切符」で金栗四三のオリンピックを巡る物語は一旦終了。先週の「櫻の園」からは急転直下、四三の女子スポーツ普及にまつわる話にひとっ跳びです。この変わり身の早さ、いいですねぇ。その第21回「櫻の園」。廃墟のベルリン女子の「くそったれ!」で始まり、黎明日本体育女子の「くそったれ!」で終わるという本大河屈指の痛快回でございましたが、今回の第22回も名場面続出の素晴らしい回となりました。

出だしは志ん生こと若き日の美濃部孝蔵。変名を繰り返した志ん生ですがこん時の名前はなんだったか。ようやく真打ちに昇進したものの相変わらずの放蕩三昧。見かねた小梅が孝ちゃんに無理くり見合いをさせます。で、その相手がちょいといいとこのお嬢さん、かどうかは怪しいりん。ちなみに後年のりんを演じているのが中尾彬の「おい、志乃」でお馴染みの池波志乃さんで、志乃さんは本物の志ん生の長男、金原亭馬生の娘ですから志ん生直系の孫娘様なのです。ってそんなこと知ってるって?

前回、東京府立第二高等女学校に着任した金栗四三。女子スポーツの普及に四苦八苦していたいだてんですが、もうすっかり打ち解けて思う存分女子スポーツの普及にいそしんでいます。と話しは進み、四三先生の生徒の興味はもっぱらテニス!てことではるばる岡山へテニスの遠征へ行きます。そこで出会ったのが後に日本女子オリンピアン第1号となる人見絹枝。その人見に四三の生徒たちはコテンパンにやられます。

が、人見の有り余るスポーツの才能にほれ込んだ同行していたシマ先生、人見に向かって、日本陸上界の第一人者である四三の元へ来てはどうかと熱心に口説きます。最初は渋っていた人見もシマの熱意にほだされ、四三に脚の状態を見せることになる。裾を上げて脚を出そうとする人見に四三は「いやいや、見せんでよか。触れば分かる」と人見の脚にふれようとした刹那、人見は我に返り四三にハイキック!うずくまる四三を横目にスタコラと人見は去っていく…。

この時の描写、良かったですね。人見のハイキックはスローモーションとなり、ワイヤーアクションのように四三が吹っ飛ぶ。人見さん、まるでマトリックスのトリニティー!!で、映像おもしれぇーってなるところで同時に我々視聴者は人見のシャンな(=美しい)ハイキックにとつけむにゃあ運動能力を視覚的に理解するわけです。こりゃ確かに触らんでも分かるなと。

東京へ戻った四三一同は日本初の女子による運動競技会を開催します。ところが第二高等女学校のエース村田富江は新調したスパイクが足に合わない。ってことでその場で黒のハイソックスを脱いでしまいます。なんせ女子は肌を見せちゃいかんという時代ですから、先生、生徒、日本初の女子運動競技会の取材に来ていた記者などなど、競技場全体がどよめく事態となります。が、当の村田は素知らぬ顔、最初は戸惑いの表情を見せた四三も大きくうなずき、見事村田は優勝をかっさらっていきます。

しかし女性が脚を出して走り回ったということが新聞紙上に踊り、大問題に。しまいにゃ、村田の写真が卑猥な写真として露店で売られる始末。それを売ってるのが美川ですよ。忘れたころに出てきますよねぇ美川くん。スヤには本当に忘れられていましたが、我々も本当に忘れそう。でもね、多分ですよ、この美川って人はやっぱ我々なんですよ。同じ遊び人の孝蔵は憎めないのに、美川が憎たらしいのは、そこに自分自身を見るからです。胸に手を当てると誰だって美川くん的な一つや二つあるわけです。そういう現代人っぽい普通の人、ちょっと露悪的に描かれていますが、美川は我々なんだと思います。

で間の悪いことにその写真が村田の父親の知るところになってしまい、父親は第二高等女学校へ怒鳴り込んできます。女子が脚を出すとは何事か。こんなことをしてどう責任を取るんだ。だいたい女子にスポーツをさせるなどと…。最初は殊勝に聞いていた四三先生ですがここで遂にブチ切れます。

「なぜ、女が悪かとですか!」、「それは君、好奇の目にさらされる」、「それは男が悪か!女子が靴下履くのではなく、男が目隠ししたらどぎゃんですか!!」。もういだてん屈指の名場面でしたね。物語中、ここまで四三が怒ったのは初めてじゃないですか。この言葉の力、これほど四三がリアルに感じられたのは初めてでした。「いだてん」では2019年現在に投げかけられたような言葉が随所に見られますが、今回のこの言葉は正にそうでなかったか。それぐらい魂のこもった声でした。

物語の最後、学校をクビになった四三先生を辞めさすまいと女生徒たちが教室に立てこもります。一歩も引くそぶりを見せない女生徒たちに、遂に四三が動き出す。さて、どうなる!ってとこで続きは次回へ。ん?次回はいだてん、金八先生になる、か?!

Eテレ『SWITCHインタビュー 達人たち』2019年6月8日放送 奥田民生×リオ・コーエン 感想

TV program:

Eテレ『SWITCHインタビュー 達人たち』2019年6月8日放送回 奥田民生×リオ・コーエン

2名のゲストが交代してインタビューをし合うEテレ『SWITCHインタビュー 達人たち』。2019年6月8日の放送回では、ミュージシャンの奥田民生とYouTube音楽部門の総責任者リオ・コーエンが対談した。

日本でもそうだが海外では完全にストリーミングが中心。若い子のほとんどはもうCDなんて買わないそうだ。そりゃ月々1000円程度で音楽が聴き放題ならそっちがいいに決まっている。一方、アナログ盤、レコードの売上は右肩上がり。より本格的に音楽を聴きたい連中はレコードを聴くのだという。

リオ・コーエンもCDプレーヤーは持っていないそうだ。じっくり聴くときはアナログ盤。だから来日した時に色々な方がCDをくれるんだけど実は聴けないんだと笑いながら話していた。

番組を観ていて思ったのは、二人とも何も特別なことを言っていないということ。根底に流れるのは音楽とそれを作る人と聴く人双方へのリスペクト。

例えば奥田民生からリオ・コーエンへの質問。「レコード会社は要らないですか?」。リオ・コーエンは言う。「80年代と同じことをするのならレコード会社は要らない」と。

これからの音楽の流通においては。奥田民生は言う。「こちらからは選べないから全て出す」。リオ・コーエンは大きく頷き、CD、レコード、音楽配信。音楽を聴きたいと思う人に、聴き手が望む形でちゃんと聴けるようにするべきだと。

音楽の流通形態がこの10年で大きく変わったように、この先10年ももっと早いスピードで変わり続けるだろう。しかし大事なのは音楽家と聴き手両方に対する敬意。作る側と聴く側にもっとも利益(お金という意味だけではなく)がもたらされるべきだという、ごく当たり前の態度ではないだろうか。

リオ・コーエンはYouTubeの機能について不満があるそうだ。現在のような聴き手の好みに応じていく形ではなく、レコード店に行ったときに目当てのミュージシャンだけでなく他のミュージシャンに目移りをしてしまうような、良い音楽とそれを求めている人との偶然の出会いがあればいい。YouTubeをそんな未知の音楽との出会いの場していきたいと語っていた。

僕はCDを買う派だ。歌詞や対訳を読みたいから。だからストリーミングでも対訳が読めれぱ僕はストリーミングを選ぶかもしれない。ただ今はやっぱりCDを買うことがそのミュージシャンへのサポートになるかもしれないという気持ちが大きいいかな。ストリーミングはどういうシステムだかよく分からないし。

聴き手のわがままを言わせてもらえば、選択肢は沢山あった方がいいけど僕の好きな音楽家の収入が減って、彼らが思うように音楽が作れなくなるのは一番困る。だから結局は音楽の作り手にちゃんと正当な利益が還元される仕組みが絶対に必要。音楽を作らない、音楽を聴かない商売人に音楽配信の世界を牛耳られてはいけないのだ。

僕がこの番組を観て思ったこと。音楽配信の最大手であるYouTubeのトップにリオ・コーエンのような人がいて本当に良かった。日本を代表する音楽家の根本の考えが僕たち聴き手と同じ方向を向いていることを知れて良かった。この番組を観て僕は音楽の未来に対し、明るい気分になりました。

デイヴ・マシューズ・バンドをご存じ?

洋楽レビュー:

デイヴ・マシューズ・バンドをご存じ?

デイヴ・マシューズ・バンド(Dave Matthews Band)をご存知でしょうか?1991年に結成された米国のバンドです。日本では殆ど知られておりませんが、米国では大層な人気で、スタジオ・アルバムは3作目『Before These Crowded Street』から昨年リリースされた9作目『Come Tomorrow』までなんと7作連続で Billboard チャート初登場№1を記録しています。ま、米国の国民的バンドと言ってもいいですな。

てことで大陸的で大雑把な音楽と思われそうですが、これが実に細やかなバンドでして。というのも編成が少し特殊です。ギターを兼務するボーカルにドラムとベース。そこにサックスとバイオリン。ね、変でしょ?

バンドは1991年に結成されたのですが、きっかけはフロント・マンのデイヴ・マシューズがジャズ・バーでバーテンとして働いていた頃にそこの出演者に声を掛けたというものらしく、だもんで普通のロック・バンドの音楽的背景としても珍しい成り立ちです。またメンバーが黒人3人に白人2人というのもこのバンドの個性に大きく影響しているのではないでしょうか。

つーことで、演奏が上手いです。上手いだけじゃなく出自がそんなですから、かなり奇妙なサウンドを展開します。一般的なロック・バンドではないですね。それこそジャズっぽいこともやるし、R&Bは勿論のことカントリー、ハードロック、何でもござれ。でも彼らの最大の魅力はそういう何でも出来るとか演奏が上手いということではないんですね。僕もライブDVD持ってますが、単純に楽しいんです。若い女の子から白髪のおっさんまでいろんな世代が観に来てて、本当に楽しそうに踊ってるんです。

演奏が上手いから、一応ジャム・バンド的な扱われ方をしますが、そう言われるとなんか演奏に酔ってる、やたら長いインプロビゼーション(←即興演奏のことです)が待ってて、好きな人はいいでしょうけど、普通の人は退屈っていうイメージがありますよね。でも彼らはそうじゃないんです。ちゃんと間奏部分にもチャーミングなメロディがあって強弱があって、面白いことやるんです。だから、ちょっと世間のイメージとは違うかもしれませんが、僕としては遊園地みたいな人たちという印象ですね。例えばこの曲、1枚目のスタジオ・アルバムに収録されている『Ants Marching』なんですけど、後半のワクワク感が最高です。

あとこれは米国的かもしれないけど、パワーで押し切るところが圧倒的なんです。茫然とするというか、あまりに熱量が凄くて、聴いた後は放心状態になる。しばらくしてから拍手が起きるみたいな。『見張塔からずっと(All Along the Watchtower)』なんかはその典型です。

これはボブ・ディランの曲です。色んな人がカバーしてて、この曲で言えばジミ・ヘンドリックスが有名ですが、デイヴ・マシューズ・バンドの『見張塔からずっと』もすんごいです。

余談ですが、ディランはこの曲以外にも本当にたくさんの曲がいろんなミュージシャンにカバーされていて、ディランはあの独特のぶっきらぼうな歌い方ですから、勘違いされやすいんですけど、実は類まれなメロディ・メイカーなんです。他の人がやってるのを聴くとそれがよく分かります(笑)。

デイヴ・マシューズ・バンド。色々あって今はだいぶメンバー構成が変わりましたが、今も変わらずカッコいいです。ただ、来日することはほぼないでしょう(笑)。言ってみればU2がちっちゃいライブ・ハウスでやるみたいなもんですから、それってまずあり得ないわけでして。ま、それぐらい日米の温度差が激しいってことです。にしても音楽誌に一向に出てこないのは謎やな。