雨の日のリオデジャネイロ

ポエトリー:

『雨の日のリオデジャネイロ』

 

世界の理(ことわり)を
通り抜けるリオ
雨の日の
友達の泣き顔は冷たい

おおらかな窓を開け放つリオ
普段の行いは鮮やかに晴れ
けれど雨の日のリオ
友達は泣きはらす

揺さぶる手に
先代に拾われてきた貝殻
耳に当て
覗きこむフリを

大好きなのは波打ち際
羽目を外し戯れの貝殻
沈み混む時を
待ちきれない

だからじゃない
黙って去ったのはだからじゃない

上目遣いで
砂から出て来れない時よ
雨はもうしばらく続くから
そっとしてやれよ

雨の日のリオ
冷たいよ
もっと祈りを
雲を振りほどく
朝の光を

 

2018年6月

新版画展 美しき日本の風景 美術館「えき」KYOTO 感想その②

アート・シーン:

新版画展 美しき日本の風景 美術館「えき」KYOTO 感想その②

 

展覧会に入ってすぐに現れるのは瀬川巴水の作品。「東京二十景」と題された作品が続きます。「桜田門(昭和3年)」、「井の頭の春の夜(昭和6年)」、夜の表現が凄いです。吸い込まれていきそうです。「東京二十景」の中で僕が一番気に入ったのは「池上市之倉(昭和3年)」です。何もない街道が画面の下4分の1ぐらいに真横にスーッと伸びていてそこに林が並んで立っている。その街道の暗さと奥から覗く夕陽のオレンジの鮮やかさ、その対比が素晴らしいです。

もうこの辺りで新版画の魅力に打ちのめされます。小さい絵、渡邊庄三郎さんの意向なのか版画はそういうものなのか、B4サイズぐらいに統一されているので、そんなに大きな絵ではないのですが、だからこそそこに広がる宇宙に感動して胸が熱くなる。新版画が大体どういうものかは知っていたので、最初はその精緻さに驚くんだろうなとは思っていたんだけど、ちょっとグッとこみ上げるような感動がありましたね。それはやっぱりそこに広がる宇宙だと思います。

瀬川巴水に続いて、吉田博の作品が並びます。個人的にずっと見たかった作品。念願が叶いました(笑)。やっぱ違いますね、瀬川巴水とは。もう全然違う。なんていうか独創的!勿論、巴水の作品も素晴らしいのですが、同じ新版画といえども全くキャラが違ってて面白いです。なんか吉田博の作品は壮大ですね。画面のサイズは変わらないのですが、躍動感というか、分かりやすく言えば巴水が静で吉田が動といった感じでしょうか。吉田は登山家でもありましたから、山の絵が多いのですが、そうした移動感とでも言うか、止まっている絵でも、静かな湖面を描いた絵でも移動感が仄かに立ち上がるのです。

あと吉田博にも「東京十二題」という連作があるんですが、そのうちの「平川橋(昭和4年)」ていうのが夜を描いていてこれがやっぱいいんです。版画の魅力は彩色にもあるわけで、吉田の作品には「陽明門(昭和12年)」ってのがあってこれは96度摺りっていうとんでもない執念の作品で、立体感とか質感が素晴らしいのですが、逆にトーンを落とした夜の場面てのも新版画の見どころなんですね。深い闇を摺り重ねた向こう側に見えてくるもの、抒情感とでも言えばいいのか、新版画の夜、これも必見ですね。

新版画に続いていくつか江戸時代の浮世絵も展示されていて、この展示の仕方もその違いが浮き彫りになって良かったです。勿論、独創的な江戸時代のものもいいのですが、やっぱ細かさとか技術は進化してるんですね。どちらがいいとか言うのではなく感触が全く異なります。こういうのを見ると、じゃあ現代の作家の版画はどうなのか。これも気になるところです。

あと気付いたことに構図の妙がありますね。さっきも書いたようにサイズが小さいですから、油絵のようにキャンバスに大きく描くっていうのとは違うんです。スケッチブックを持って写生に行ってある部分だけを切り取る。だから構図が自由なんですね。ただ浮世絵の場合は実際にはあり得ないような独創的な構図に持っていく。新版画は最初から構図自体を印象的、特徴的なものにして選んでいく。勿論全てではないですが、そんな印象は受けました。

他にも新版画の旗手たちの作品があるのですが、個人的には瀬川巴水と吉田博、この2名が突出していましたね。巴水は渡邊庄三郎が見出した人ですから、二人で意見を出し合っていい作品を、売れる作品をと頑張るわけです。一方の吉田は版画を始めたのが40代後半でその頃は既に油絵の大家として有名で、だから版元といえども庄三郎さんは何も言えない(笑)。だからその違いがやっぱり絵にも出てて面白いんです。音楽で言えば、売れっ子プロデューサーとタッグを組んでポップでコマーシャルなものを作ろうとするタイプと、遮二無二作家性を追求していくタイプ。例えば人気があった3点セットが、雪と赤(神社とか楼門とか)と女性で、これらが含まれていると売れると(笑)。だから巴水の作品にはそういう絵がよく出てくるわけです。でもそうは言ってもこれがいいんですね。やっぱりその表現を突き詰めている訳ですから完成度が恐ろしく高い。

逆に吉田は色んなタイプの作品を残しているし、やっぱ執念の人っていうイメージ。とにかく細かさというのかな、リアリズムの追及 さっき書いた96度の摺りだってそうだし、徹底した精緻さ、色の細かさ、指示の細かさ、それに付いて行った刷師の人たちも凄いけど、これでいいがないような、そんな執念を感じますね。

あと気になったのが吉田の絵には余白に「自摺」って書いてあるのが結構あったけど、あれはそういう意味だったんだろか。以前テレビで見た吉田博の特集では本人が彫ってるって言ってたけど、摺りも自分でやったのかな。どっちにしろ、人任せには出来ずに、あーでもないこーでもないと最後まで口うるさく言っていたイメージはやっぱあるなぁ(笑)。

だから版画は画家と彫師と刷師の共同作業ですから、巴水とか吉田博って名前が前面に出ては来ますが、実は名もない職人の技や戦いがその裏にあるわけです。そういう部分に思いを馳せるとまた見え方も違ってくるかもしれません。やっぱプロジェクトXですなぁ。

新版画展 美しき日本の風景 美術館「えき」KYOTO 感想その①

アート・シーン:

新版画展 美しき日本の風景 美術館「えき」KYOTO 感想その①

 

JR京都伊勢丹にある美術館「えき」で開催されていた展覧会、「新版画展 美しき日本の風景」に行って参りました。新版画と言われてもピンと来ないかもしれませんが、要するに新しい版画のことです。ハイ、そのまんまですね(笑)。

版画と聞いて思い浮かぶのは浮世絵。浮世絵は江戸時代に盛隆を迎える訳ですが、明治になる頃には写真の登場や印刷技術の進歩もあって衰退してしまいます。しかしその頃、横浜で貿易に携わっていた渡邊庄三郎という方が海外向けに浮世絵がジャンジャン輸出される様子を見て、こりゃ商売になるんじゃねぇかって独立します。そうです、当時はヨーロッパでジャポニズムが一大ブームにだったんですね。で、渡邊庄三郎は版元になるわけです。

基本的に版画というのは画家と彫師と刷師による分業です。それらの版元ということは要するに今で言う総合プロデューサーですね。画家達を集めて工房を立ち上げる。資金繰りもして販売もする。と言っても版画は衰退していたわけですから、手を挙げてくれる人なんてそうはいません。そこを駆け回って版画をもう一度再興させたのですから余り知られてはいないですが、庄三郎さんて方、実は大層凄い方なのです。なんて偉そうに言ってますが、僕もこの展覧会を通じて初めて知った口です(笑)。ちなみにその庄三郎さんの生涯を追った書籍に「最後の版元」というものがあるそうです。一度読んでみたいですね。

で、庄三郎さん、どうせやるなら新しい版画を目指そうじゃないかって、江戸時代の浮世絵を進化させた版画を目指します。それが新版画です。その新版画、展覧会を見た僕の印象では、まず写実ですね。浮世絵ってほら、美人画とか役者絵ってバランス悪いじゃないですか、目や鼻がちょんちょんで。手、ちっちゃいし(笑)。

それと遠近感。広重の東海道五十三次を思い浮かべてもらえば分かると思いますが、浮世絵の遠近感って凄く独創的ですよね。それが海外の人には斬新だ!って受けた訳だけど、新版画はそうじゃなくて西洋の印象派のように実際に見た風景を写真のように切り取ろうとします。します、って言ってますけど版画ですからね(笑)。相当無茶なわけです。それをやろうとしたんですから、もう笑うしかない。プロジェクトXです(笑)。だから見ていると熱量がね、半端なく伝わってきます。中には96回も色を摺った作品もあって、それはもう画家と彫師と刷師の熱意を思わずにはいられないのです。

~感想その②へ続く~