THE SUN(2003年)/佐野元春
佐野元春は孤高の存在だった。時に抽象的に、時にコラージュのように言葉を並べ、場合によってはスポークン・ワーズ形式で理知的に語るときもあるし、ラップのように語感を強く響かせたりもした。比喩表現をふんだんに散りばめ、押韻を踏み、また聞いたこともないような人名や語彙を盛り込ませながら、聴き手の想像力にさざ波を立てた。ややもすれば聴き手を置いてけぼりにするその態度はアーティストそのものだった。その如何にも意味ありげな言葉や未知の表現に、意味がよく分からないながらも僕はなんとか食らいつこうとした。そしてそこに抗いがたい魅力を感じた。だからライブに行ってたとえそこに佐野がいたとしても、佐野は僕にとってはるか遠い存在だった。
このアルバムが出た2003年、僕は結婚をした。仕事から帰っては時間を見つけて、日に2~3曲づつこのアルバムを聴いていた。当時の僕は仕事から精神的にダメージを受けていた。でも彼女との新しい暮らしに喜びを感じていたし、やがて子供を宿したと聞いてかつてない幸福感を感じていた。そんな色んな日常の感情が激しく揺れ動くなかにこのアルバムはあった。
このアルバムで佐野はいつになく身近な言葉を用いている。時に巧みな比喩表現を用いて心象風景を描いてきたこれまでとは出発点から異なっていた。簡単な、平易なという意味ではなく、生活に根差した身近な言葉。かつての少年少女は大人になった。30年前、街のファンタジーを切り取ったように、今度は地に足の着いた人生を切り取る。アーティストが我々の側に降りてきたとまでは言わないが、佐野のスタンス、視点が大きく変わり始めたアルバムではないだろうか。
佐野はこのアルバムを自身のキャリアと共に成長してきたファンに向けて書いたと言っていた。この時(2003年当時)、30代から40代といった彼、彼女たちは不況の中、上からや下からのプレッシャーの中でしんどい時期を迎えている。そんな彼、彼女たちの物語を書きたいと話していた。その言葉通り、ここには14編の小さな物語がある。どれも生活といううすのろと悪戦苦闘するそう若くない男女の物語。そこには確実に絶望が横たわっている。しかしそれだけではない。見えない何か、それは希望と言ってもいい。明々と照らしているわけではないが、その分確実に存在する光。木漏れ日のような光が差し込んでいる。数十年前に佐野はこう歌った。~いつの日も誰かがきっと遠くから見ていてくれる~(1989年『ジュジュ』)。佐野はここでそれをもう一度高らかに歌っているようだ。何処かで見ていてくれる存在。そして小さくとも確かにそこにある希望。そして僕にとってもこのアルバムは、2003年の景色として冬の日の太陽のように温かく傍にいてくれた。
僕はこのところ、ライブに行くと目の前に佐野がいるという事実にどうしようもなく胸が熱くなる。そりゃ当然今だって遠い存在であることに変わりはない。でも以前のような全く別の世界にいる人、実際に存在しているのかどうかも分からないぐらい遠い存在ということではなくなってきた。確かにそこに佐野元春がいる。そんな風に感じるようになってきたのは、もしかしたらこのアルバムがきっかけだったのかもしれない。
もう一つこのアルバムについて述べておかないといけないことがある。ホーボー・キング・バンド(HKB)について。消化不良にも思えた前作、『Stones & Eggs』の反省もあったのかもしれないが、たっぷりと時間をかけて8年間を共にしたHKBの集大成とも言えるのサウンドを作り上げている。これが本当に素晴らしく、発酵して熟成された蒸留酒のような表情豊かな演奏。もうこれ以上望むべくもないと言ってしまえるほどの素晴らしいサウンドだ。現にHKBとしてはこれ以降オリジナル・アルバムを発表していない。僕は今のアグレッシブなコヨーテ・バンドも大好きだけど、HKBも同じくらい好きだ。最近のビルボード・ライブやセルフ・カバー・アルバム(2011年『月と専制君主』、2018年『自由の岸辺』)では若干のメンバー・チェンジをしたHKBとなっているけど、僕はやはりこの時期まで(1996年『Fruits』~2003年『The Sun』)のHKBが好き。またいつかこの時のメンバーでガッツリとロックンロール・アルバムを作ってくれたら嬉しい。
自身のレーベル、デイジー・ミュージックからの最初のアルバムであり、HKBとの蜜月が生んだ最良の作品。今思えば、終わりの始まりのようなアルバムだ。佐野にとって特別なアルバムであるように、僕にとっても思い出深いとても大切なアルバム。
Track List:
1. 月夜を往け
2. 最後の1ピース
3. 恵みの雨
4. 希望
5. 地図のない旅
6. 観覧車の夜
7. 愛しい我が家
8. 君の魂 大事な魂
9. 遠い声
10. Leyna
11. 明日を生きよう
12. DIG
13. 国のための準備
14. 太陽