気持ちのいいことを歌う人が苦手

その他雑感:

「気持ちのいいことを歌う人が苦手」

気持ちのいいことを歌う人が苦手だ。何事によらず物事には良い面と悪い面があるのだけど、そのどちらか一方だけに寄りかかった歌を歌われると個人的には何だかなぁと思ってしまう。

高校時代に「それが一番大事」という歌が流行ってクラスメートにもえらく気に入っているやつがいたけど、僕にはそれのどこがいいのか全く分からなかった。今思えばそういうことだったのだろう。これは全く個人的な好みなので、この歌が好きな人には申し訳ないですが。

僕がウィルコを好きなのはウィルコはその両面をちゃんと描いているから。彼らは決して一面的にきっとうまくいくなんて歌わない。右から照らせば反対側に影が出来ることを当たり前の事として描いている。

例えば昨年出た『Ode To Joy』というアルバムの『Love Is Everywhere』という歌では、チャーミングなギター・リフに乗せて「愛はどこにでもある」と歌うんだけど、「愛はどこにでもある」と同時進行で「愛はどこにでもないかもしれない」というニュアンスが立ち上がってくる。

同じく『Ode To Joy』の『Hold Me Anyway』という曲では「すべてはうまくいく」と歌うけど、どうも丸っきり「すべてはうまくいく」とは思えない。ウィルコの歌にはいつもそうした反語的な響きがどこかしらある。

でそういうことをウィルコはジェフの声とかバントの演奏やなんかで匂わすだけで殊更詳しく述べたりはせずに、いつもの通りのあの調子で歌うだけなんだな。ぐっと体温が上がったりせずに平熱のまま。実にほんのりとほのめかしてくる。だからこちらも安心して素直に耳を傾けられるのだ。

今、世界のティーンが熱狂しているビリー・アイリッシュだってあんなにダークな歌世界にもかかわらず逆に子どもたちはそこに希望を感じている。それは何故かというと、どちらか一方に寄りかかった表現ではないからではないか。その事を子どもたちは感覚的に理解している。あぁ、この人は信用できるんじゃないかって。

この事は表現をするものとして頭の隅に入れておいてもよいのではないか。

変なリセットに対する違和感 補足

その他雑感:

 

『変なリセットに対する違和感』補足

先にアップした『変なリセットに対する違和感』について。言葉足らずだったので、ちょっと補足を。

僕がこの言葉に違和感を抱くのは、一つにはそこに同調圧を感じてしまうから。なんかオリンピックについての後ろ向きなことを言う空気を抑えつける作用を感じてしまうから。ちょっと待ってよ、おかしいことまだ解決してないでしょって言うと、お前今はそういうことじゃなくて、国を挙げてよいものにするために皆で協力すべき時だろ?みたいな。

もう一つはそれでほくそ笑んでいる人がいるんじゃないかってこと。勿論この言葉を発する人の多くは、純粋に「やると決まったからにはよりよいものにしましょう」ってことで言っているのだとは思いますし、そりゃあ僕もそう思いますが、一方でそういう空気を実に巧みに利用する連中がいる、ほらほら時間が経てばいつものように皆忘れるからって密かに逃げ切ってしまう連中がいる、だから僕たちは「オリンピックを良いものにしましょう」と言う一方で、それはそれとして、おかしな問題はまだまだ解決されていないでしょ、それおかしんじゃないかってのは言い続けるべきなのではないか、でもそっちの言葉が今全く聞こえてこない事に嫌な感じがするのです。

何気ない「やると決まったからには一致団結してやりましょう」と言う言葉で、そのことが少しずつ少しずつ塗り固められていくような違和感。それを『変なリセットに対する違和感』と言ったのです。

変なリセットに対する違和感

その他雑感:

ニュースウォッチ9を観ていたら、スポーツコーナーで来るべき東京オリンピックについて、サンドウィッチマンがこんなようなことを言っていた。
「最初は東北の復興が遅れるからどうなんだろうって思っていたが、やると決まったからには一致団結してやりましょうと」
これ、わりと聞く言葉ではないでしょうか。

やると決まったからには皆で協力し合って、いいものを作り上げましょう。一見前向きな良い言葉に見えるけど、本当にそうなの?動き出した大きな流れは良しとしなきゃいけないの?

コンパクトな五輪のはずがそうじゃなくなったり、東京に人手が集中してしまったり、誘致にはお金が動いてたんじゃないかとか、オリンピックの後どうすんだとか、いろいろあったけど、やると決まった以上は一致団結してやりましょうってなんか変。やると決まっていてもおかしなことはおかしなままのはず。

勿論、サンドウィッチマンにしても実際に多くの復興に尽力していて、僕よりも沢山考えて、沢山行動している。それなのにお前なに偉そうなこと言ってんだと言われるかもしれませんが、でもやっぱりおかしなことには、それおかしいよって言い続けるべきではないでしょうか。

せっかく決まったんだからとか。何にしてもやることはやるんだからとか。そういう変なリセットの仕方はちょっと方向が違うんじゃないかと僕は思います。

改元を機に

その他雑感:

「改元を機に」

年齢を数える時に昭和64年が平成元年で、平成31年が令和元年だから、オレは今何歳だなんていう数え方は誰もしないだろう。

てことは織田信長は「ワシは天文3年の生まれだぎゃ。天文は23年までで翌年は弘治になって、弘治は3年まででその次は永禄で、永禄12年の翌年が元亀元年で今年は元亀3年。てことは今ワシは39歳だがや」なんて数え方はしなかったはず。話が急に戦国時代に飛びましたが。

今我々が桶狭間の戦いの時の信長は27歳で、本能寺の変の時は49歳だったというのを知るのは恐らく信長の側近とか祐筆とかがしっかり書き留めていたからで、当の本人は自分の歳を正確に把握していたかどうか。出自が農民の秀吉の年齢が曖昧なのはもっともな話だ。

何が言いたいかって、昔の人は自分の歳に無頓着だったんじゃないのって話です。昔の日本人は西暦なんて知らなかった訳だから元号で数えなきゃならない。でも昔はころころと元号が変わったもんだから、いちいち天文何年だから何歳だとか数えてられないだろうし、ていうか庶民はそんなこと知らない。てことは自分の年齢は去年は幾つだったから今年は幾つだろうなぐらいの積み上げ式の数え方しか出来なかったんじゃないだろうか。

そうすっと自分の正確な年齢もそのうち分からなくなって、要するに「そういや近所の平蔵が今年40っつってたな、じゃあオレも今年は40か?」ぐらいのテキトーな認識だったんじゃないだろうか。
現代に生きる我々は同い歳のあいつはあーなのに自分はどーしてこんななんだとか、何歳だからこうしていなくちゃならないとか、わりと年相応ってことを気にしがちなんだけど、この際昔にならってその辺はなんとなくでいいんじゃないでしょうか。

元号っていうのはそういう年齢に曖昧さをもたらす効用があったのかもしれず、ならばそれに素直に従って行きましょうと。改元を機に年齢なんて大体でいいんじゃないかと思った次第です。これからは昔の人にならって「そういやオレは幾つだったっけ?」ぐらいの大らかさで行きましょうか。

丸選手のFA移籍と長野選手の人的補償をきっかけに思った事

野球のこと:

『丸選手のFA移籍と長野選手の人的補償をきっかけに思った事』

 

2018年のFA取得者の中で超目玉選手であった広島カープの丸選手が読売ジャイアンツへFA移籍。それに伴う人的補償として長野選手が選ばれ、広島カープへ移籍することとなった。ジャイアンツはその前に西武の炭谷捕手を同じくFAで獲得しており、その時の人的補償としては内海投手が選ばれ、西武へ移籍している。

FA移籍に関する人的補償について簡単に説明しておくと、FA移籍をされた球団はその見返りとして、FA移籍先球団に対し金銭補償、若しくは人的補償を求めることが出来る。人的補償を要求した場合、移籍先球団は、この中から好きな選手を持ってっていいですよ、というリストを提出。FA移籍をされた球団はその中から欲しい選手をピックアップしチームに迎え入れるというものだ。原則、指名された選手は拒否できない。

この場合、移籍先球団は引き抜かれては困る選手をプロテクトするのだが、今回の件で言えば、ジャイアンツは生え抜きの功労者である内海投手と長野選手をプロテクトしなかった。そのことに一部のジャイアンツOBやファンから怒りの声があるようだ。

そのことは感情論として分からなくもないが、いちプロ野球ファンとしては昭和の大型トレードみたいでワクワクしている。どっちにしても冷静に考えれば、内海投手と長野選手はこのままジャイアンツにいたとしても出場機会はかなり限られるわけで、二人とも、特に長野選手はまだ十分にレギュラーを張れる選手であり、そうした選手が試合に出られないとなると本人にとっても、僕たちプロ野球ファンにとっても大きな損失である。なので、かつて清原だのマルちゃんだの江藤だの各チームの4番を片っ端から寄せ集め、挙げ句、ベンチや2軍で大戦力を持て余していた時代に比べると、今回の方がよっぽど健全なのではないでしょうか。

しかし、FA権が「一定の資格を得たならば、選手が自由に移籍出来る権利」であるにも関わらず、現状のFA制度では人的補償というよく分からない制度がくっ付いてしまっているし、せっかく得たFA権にしてもFA宣言したらしたで裏切り者だなんだ言われたりして、なにかすっきりとしないのも確か。

いっそのことメジャーリーグみたいに資格を得れば宣言なんかしなくても、自動的にFAになってしまうようにしてみてはどうか。サッカーみたいに出場機会を求めてレンタル移籍なんてのもあっていい。プロスポーツ選手は試合に出てナンボなんだし出来るだけ沢山の人に試合に出てもらう。そうするともう3球団ほど増やすことができるかもしれない。じゃあ5チームの3リーグ制になって、ワイルドカードを入れたもっと真実味のあるプレーオフも出来る。なんか活気が出てきて面白いかも。

僕が子供の頃は落合の電撃トレードがあったり、主力選手の移動がもっと活発だったように思う。メジャーリーグのようにコロコロ選手が入れ替わるのも何だが、もう少し流動性があった方が面白いんじゃないだろうかという話です。

サザンオールスターズで年末年始

その他雑感:

『サザンオールスターズで年末年始』

 

今年の年末年始は図らずもサザンオールスターズ。紅白に元旦のスペシャルに、どちらも偶然チャンネルが合っただけなのについつい最後まで観てしまいました。特にサザンのフォロワーってわけじゃないですが、ほとんどの曲を知っていましたね(笑)。恐るべし、サザンオールスターズ!

紅白では他の歌手がさんざん出てきた後に聴くサザンというのが、すご~く新鮮でした。端的に言うと歌詞です。歌っていたのはかの「希望の轍」。これがやっぱいいんですよ。「希望の轍」なのに「希望」という言葉が一切出てこない。それでもやっぱ浮かぶイメージは「希望の轍」なんですね。それは何かって言うと情景描写なんです。

ほら、ついこの手の曲って応援したくなるでしょ。それは作者も同じ。だから普通はそこに作者の声が入ってしまうのです。でもこの曲には作者の声が入ってない。作者である桑田さんの気持ちとかメッセージは入ってないんです。いや、厳密に言えば入ってるんですよ。でも分かりやすく言えば歌い上げない系とでも言いますか、例えて言うと、コブクロとかゆずって歌い上げるでしょ。要するに情緒が入ってるんです。

これはどっちがいいって話じゃなくて、これは所謂J-POPの特徴でもありますけど、情緒的なんですね。入れ込んじゃう。ところが「希望の轍」には情緒がない。丸っきりないことはないんですが、ただ情景を描いているだけなんです。俺はこう思うとか、俺はこんな気持ちなんだぜとか、俺は応援してるぜっていうんじゃなく、ただそこに風景があるっていう。

桑田さんはその風景をスケッチしてるだけなんですね。そこに桑田さん自身の情緒は入り込まない。だから聴き手がそれぞれ、それこそ若い子でもお年寄りでも自分自身の経験とか希望に応じてそれぞれの物語を描けるんです。だからみんなのうたになり得るのですね。これはやっぱ凄いやって(笑)。紅白を観ながら僕はそんなことを思いました。

あと元旦にやってたNHKの「クローズアップ・サザン!」。この番組で印象に残った曲は「ミス・ブランニュー・デイ」。これ、80年代前半の曲ですよね確か。でも全く古びてない。今の時代を歌ってるような、ちゃんと今の曲になってるんです。音楽家に限らずアーティストというのはカナリアと言いますか嗅覚が優れていて、やっぱマーケティングではないんですね。アーティスト自身のフィルターを通してその時代の空気を感じていく。その先を感じていく。だから普遍性を獲得していくのだと思いますが、「ミス・ブランニュー・デイ」なんか正にそんな曲。2019年現在の事を切り取っているかのような曲で、ほんとにお見事!改めて桑田さんは凄い人だなと思いました。

で、全編聴いて思ったのはホントにヒット曲ばかりで、聴いてて楽しいのは知ってる曲ってのが大きいとは思うんですが、おそらく全然知らない人、例えば若い子がいきなりサザンの歌を聴いてもこりゃかなり楽しいんじゃないかと。改めて、僕は桑田さんは日本有数のソングライターだなと。もうポール・マッカートニーに見えてきました(笑)。

それにも関わらず、番組内のインタビューで桑田さんが語ったのは、「新曲を書きたい」と。これからのサザンはどういう風にやっていきたいですかっていう質問に「新曲を書いていきたい。ポップ・グループである以上。それがすべて」なんて言うんです。こんだけヒット曲がありながら、新曲を出して、それで勝負する。それがポップ・グループの宿命なんだって言うんです。普通のトーンで喋ってましたが、こん時の桑田さんの凄みはたまんなかったです。

ちょっと長くなりましたけど、両方の番組を観て思ったのは、もうサザンはみんなのものだなって。意図的でもなく、無理してってんでもなくこの開かれた感じ。それでいて密かに作家性を真っ先に持ってきている。矛盾しているようで自然体としてそれが同居してしまっている。こんなおかしなバンド、ちょっと見当たらない。

紅白を観てる時の家族あるあるって「最近は知らない歌ばっかりだよな」って感じで(笑)、今や皆が楽しめる歌ってほとんどないのかもしれないけど、デビュー当時、大人たちが眉をひそめたサザンオールスターズが40年やって、もしかしたら昭和が過ぎ平成が終わり新しい時代を迎えるにあたって、一番老若男女を楽しませる最大公約数なみんなのうたになってる。演歌でなく、歌謡曲でもなく、アイドルでもなく、サザンオールスターズっていうジャンルがみんなのうたになってる。2日続けて観たからちょっと僕も情緒的になってますが(笑)、それもあながち的外れではないのではないでしょうか。

#MeToo

昨日、NHKのニュースウォッチ9でジャーナリストの伊藤詩織氏の特集が放送されていた。2015年に性的暴行を受けた彼女は記者会見を開きその被害を白日の下にさらした。この日本で、尋常ならざる勇気を持って、顔をさらし堂々と会見を行った。

しかし彼女に性的暴行を行ったとされる山口敬之氏は彼女を執拗に攻撃した。著名なジャーナリストであった彼は表には一切顔を出さず、疑惑には答えず、質問は受け付けず、自分の言いたいことだけを自分の息のかかったメディアを通じてのみ一方的に反論した。 どちらが正しいかは二人の態度を見れば明らかだ。しかし世間はそうではなかった。何のバックボーンも持たない一人の女性ジャーナリストの声よりも、金とコネと権力を持った親父どもの声を支持する顔の見えない連中は、彼女を執拗にバッシングし続け、疲弊した彼女は追われるようにして日本を出て行った。

彼女は今も戦っている。世界中の性被害者との交流を重ね、事実を伝えるという地道な活動を行っている。しかし事件はまだ数年ほど前の話だ。表情を見れば、彼女の傷は到底癒えていない事は明らか。それでも何とか踏ん張って毎日戦っている。

昨年の#MeToo運動はハリウッドの大物プロデューサーによるセクハラへの告発が始まりだったか。その後、続々と大物著名人によるセクハラ行為(トランプ大統領も!)が明るみになり、#MeToo運動は世界的な広がりを見せた。レディー・ガガを始め、多くの有名人はそれを支持した。しかし日本ではどうだっただろう。アイスバケツチャレンジにはこぞって参加した有名人が、こと#MeToo運動になると誰一人手を挙げようとしない(僕が知らないだけかもしれないが)。どころか伊藤詩織氏はバッシングされ続け、彼女への支持を表明する有名人はほとんど現れなかった。そんな日本で彼女は戦っている。

僕は彼女の声を支持します。このような私的なブログではあるが、僕は伊藤詩織氏を支持します。

「カモン、ベイビー、アメリカ」とは思えない

その他雑感:

「カモン、ベイビー、アメリカ」とは思えない

 

別に水を差す訳じゃないですが、僕はやっぱり今の状況に対し、「カモン、ベイビー、アメリカ」とは思えない。

基地問題があって、どう考えたって民主的とは言えないトランプがいて、それでも僕たちは「アメリカ、サイコー!」と歌いながら平成最後の大晦日を過ごすのだ。なんだかタチの悪いジョークみたい。僕たちはもう少し批評的になってもいいんじゃないだろうか。

沖縄出身の歌手が「カモン、ベイビー、アメリカ」と陽気に歌うことに対して、沖縄の人たちはどう捉えているのだろうか。夏に沖縄知事選があって、件の歌手にだって思うところはあったはず。彼はこの歌にどのような意味を込めているのだろう。

ただの歌なんだし、そんな目くじらを立てるようなことじゃないと言う人もいるだろうけど、僕はやっぱりスッキリとしない。僕だってアメリカの文学や音楽や映画が大好きだ。けど今は素直に「カモン、ベイビー、アメリカ」とは思えない。

『「10.19」~7時間33分の追憶~』 ABCラジオ 2018.11.18放送 感想

野球のこと:

『「10.19」~7時間33分の追憶~』 ABCラジオ 2018.11.18放送

 

最近はRadikoを聴いとります。主に落語ですね。落語好きの友達から、日曜朝にABCラジオで落語やってるよ(←「なみはや亭」のことです)って聞いて、それ以来Radikoを利用しています。先日はラジオ好きの別の友達から、こんなんどうってまた別の連絡が来ました。それが『「10.19」~7時間33分の追憶~』です。

「10.19」と聞いてピンと来ない方もいらっしゃると思いますが、これは1988年10月19日に行われたプロ野球の試合のこと。当時、首位を走っていた西武ライオンズに、天候不順の影響で13日間で15試合という強行軍の中、猛然と肉薄する近鉄バッファローズの最後の2戦。2連勝すれば優勝する川崎球場で行われたロッテ・オリオンズとのダブルヘッダーのことです(←当時はドーム球場なんてなかったから、ダブルヘッダーが結構あったのです)。ABCラジオの番宣ツイッターにはこんな文句が。「昭和最後にして最高の名勝負、ロッテ×近鉄のダブルヘッダーを30年後の今、伝説のテレビ実況と当時の主役たちのインタビューで振り返ります。」

まず進行役の伊藤史隆アナの落ち着いた語り口がいいですね。妙に盛り上げようとせず、事実だけを積み上げていく語り口。折角の素材があるのだからというスタンスでしょうか。テレビだとこうはいきませんから、この辺はラジオならではですね。

インタビューが行われた当時の近鉄メンバーは、コーチの中西太。選手は吹石徳一(←吹石一恵のお父さんです)、梨田 昌崇、大石第二朗、村上隆行、阿波野 秀幸。インタビューはそれぞれのキャラが明確に出ていて凄く面白かったです。結局1試合目は何とか勝つものの、2試合目に引き分けて近鉄は優勝を逃します。もう勝ちが無くなった最後の守備に就いた時のことを振り返って、奇しくもこの試合が現役最後の試合となった梨田さんや吹石さんが、あんなむなしい事はなかったと答えるのに対し、当時のチーム・リーダー大石さんは気持ちを切り替えて、さぁ行こう!と声を挙げて守備に就いたとのこと。

この辺りの対比が面白かったですね。大石さんはこの年のシーズン中にドラゴンズから移籍してきた陽気なブライアントの面白エピソードなんかも笑いながら話していて、この方は随分とポジティブな方なんだなと。こんな明るい人なら、ちょっと我がタイガースの監督になってもらえないかなと思ったりもしました(笑)。

インタビューで印象的だったのは阿波野さんですね。エースだった阿波野さんは完投した日から中1日でこの日の試合に挑み、2試合ともリリーフで登板します。インタビューは至って真面目そのもの。エースとしての役割を全うしようとした阿波野さんの人柄が如実に表れていました。

阿波野さんはこの時入団して2年目。翌年は最多勝を獲得します。調べてみると最初の3年間で90試合に出場。うち58試合で完投。計705.2回を投げている。4年目は190イニングを投げ何とか10勝をするものの、以降は一度も規定投球回数をクリアすることなく現役を全うします。元々丈夫な方ではなかったのかもしれませんが、この時の登板過多がその後のキャリアに何らかの影響を与えたとすれば、それも昭和の野球のひとつの側面だったのかもしれません。

阿波野さんはその後、巨人、横浜ベイスターズと渡り歩き、横浜では貴重な中継ぎ投手として日本一を経験します。その時の横浜ベイスターズの監督が10.19当時の近鉄のピッチング・コーチ、権藤博。余談ながら、権藤さんも現役時代は最初の2年間で130試合に登板。イニングにして791.2回!チーム総イニングの7割近くを一人で投げた結果、僅か5年で現役を引退しています。横浜ベイスターズの日本一の瞬間、恐らく二人には10.19を経験した二人にしか分からない感慨があったのではないでしょうか。

あと中西太さんの元気な声が聞けたのが嬉しかったですね。御年85才。偉大な打者であるとともに、名伯楽として多くのバッターを育てた名コーチですが、いかつい風貌とは裏腹に相手を思いやる気持ちの強い方なんだなと。この日のインタビューではそのことが強く心に残りました。これからも多くの話を聞かせてほしいです。

あれから30年。今や超一流選手はメジャー・リーグにまで行こうかという時代。そうした選手は科学的なトレーニングをし、自己管理を徹底し、野球選手というよりはアスリートと言っていいかもしれません。どちらがいいということではなく、昭和には昭和の野球があり、平成には平成の、来たるべき新時代には新時代のプロ野球があるということなのだと思います。

そういえば大石さんが、あんな試合はこれからも起きるでしょうかという問いに、きっぱりと「ある」、と答えていました。ていうかもう既に人それぞれにあるんじゃないですか、勿論これからもありますよって朗らかに応えていたのが印象的でした。

「ちびまる子ちゃん」の思い出

その他雑感:

「ちびまる子ちゃん」の思い出

 

高1のある日、友達が学校に「ちびまる子ちゃん」の単行本を持ってきて熱心に薦めてくれた。最初はなんだそれ、小女マンガじゃねぇかってことで無下に断っていたんだけど、パラパラと読んでるとハマってしまって、そのうち皆で回し読みするようになって、気が付けば僕たちの周りではちょっとした「ちびまる子ちゃん」ブームが起きていた。程なくテレビアニメも始まって日本中が「ちびまる子ちゃん」ブームになるんだけど、その数か月前から実は僕たちはちゃんと読んでいたのです(笑)。

僕は絵を描くのが好きだったから、教室の後ろの黒板に、漫画のキャラを描いたり、先生の似顔絵を描いたりして遊んでいたんだけど、そのうちまるちゃんとか丸尾君とか花輪君とかもしょっちゅう黒板に描くようになっていた。また、母がサティでパートをしていたのでPOPを頼まれてアンパンマンとかそんな絵を何度か描いたことがあったけど、まるちゃんの絵を描いたこともあった。まるちゃんを描くのにはちょっとしたコツがあって、輪郭の延長線とか考えず意外と髪の毛ぺっちゃんこにして描いた方が上手く描けた気がするけど、でもやっぱりそれはそれっぽいニセモノでさくらももこさんの描いたまるちゃんほどかわいくはならなかった(笑)。

最近つい考えてしまうことがあって、絵描きはなんで絵を描くんだろうとか、作家はなんで文章を書くんだろうとか、音楽家はなんで音楽を作るんだろうとかまぁそんなようなこと。ただ生活のために描いてる訳じゃなさそうだし。吉増剛造さんはなんで詩を書いてるんだろう?

僕は時折美術館に足を運ぶんだけど、美術館に行くといいことがあって、それはそうした疑問が少し晴れたような気がすること。何か少しだけ分かりあえたような気になれる。まぁそんなことはまず無いんだけど、勘違いでもそんな気分になれるから今のところ僕はそれはそれでよしとしています(笑)。

さくらさん、まるちゃんってさくらさんのことですよね。だから多分、皆もさくらさんのこと友達のように身近に感じていると思います。僕も自慢じゃないですが、なんせ高1の時から知ってますから(笑)、さくらさんには何年にかに1度会う親戚の人ぐらいの親近感を持ってます。さくらさんはなんで描いてたんですか?さくらさんはまるちゃんだから、どーせ「メンドクサイな~も~」とか言いながら、「あっ、そうだ」とか言ってくだらないこと思い付いてニヤニヤしながら、周りの人に「あんた、何ニヤニヤしてんの」とか言われながら描いてたんでしょ。