The First Question Award / コーネリアス 感想レビュー

邦楽レビュー:

『The First Question Award』(1994年)コーネリアス Cornelius

一足先にリリースされた小沢健二のソロ1作目が大絶賛されていた状況は、小山田圭吾にとって相当なプレッシャーであったろうと想像する。フリッパーズ・ギターが小山田と小沢の共同作業であったことは周知のことだとはいえ、ボーカリストが小山田であった以上、小山田にそれ相当の期待が背負わされてしまうのは仕方がないところではあった。

当時、何かの雑誌で小山田のインタビュー記事を初めて読んだ僕は、想像とは違った偉そうでいきがった彼の受け答えに面食らってしまったわけだが、それは後年、彼自身がフリッパーズ解散後は不安で不安でしかたなかったと語っているように、あの時期は虚勢を張るしか自分を守る術はなかったのかもしれない。

そんな精神状態で作られた小山田圭吾改め、コーネリアスのデビュー作は恐ろしくハイパーで強烈なポップさと陽性に満ち満ちている。フリッパーズ時代の作詞は小沢が担当していたにもかかわらず、これだけの言葉数でまくしたてる小山田は一種の躁状態にあったのかもしれない。その洪水のような言葉をフリッパーズぽさを求めるファンが引くぐらいのフリッパーズぽさで’やり過ぎている’のはそうせざるを得なかったとも言えるし、小山田のやけくそも半分あったようにも思う。

が、言い換えれば、小山田の手のひらには未だそれだけのものが残っていたし、その残り物を総ざらいし、束にしたマッチ棒のように火をつけ一瞬で終わらせる作業はいずれにせよ必要であった。このアルバムはどうせならと華々しく打ち上げられた花火だったのかもしれない。しかしその総ざらいは恐ろしく練度が高い。

なんだかんだ言いながら、キレキレの小山田がここにいる。アルバム1枚を通して聴くには聴く方にもエネルギーが必要だ。

Mellow Waves / コーネリアス 感想レビュー

邦楽レビュー:

『Mellow Waves』(2017年)コーネリアス Cornelius

 

コーネリアスは自己主張をぶつけたいとか誰かに言いたいことがあるとかそういう部分とは無縁のような、そんなこと他人に言ったってしょうがないでしょう的なある意味当たり前の前提で音楽を作っているような気はするのだが、出てくる音楽というのは非常にエモーショナル。つまりそれは言葉に頼るのではなく、音楽全体として表現しているからで、分かりやすく言うと音の一つ一つがメッセージなのである。

ただそのメッセージは我々が期待するような具体的な何かということではないし、むしろ聴き手に対しても何か特定の理解を求めるのではなく、音楽というものが複合芸術である以上、その表現するところも複合的なもの、そこのニュアンスを嗅ぎとればいいじゃないかというのが聴き方として程よいのかも。聴き手の方が勘違いしやすいけど、明確な意味を求めるのであれば、論文なり解説書なりを読めばよいわけで。

例えばこの時コーネリアスはEテレで『デザインあ』なる番組を手掛けていて、向かい方としては尚のこと言葉による表現に特化したものから離れているだろうし、アルバム後半の曲は特に、#6『Helix / Spiral』とか#7『Mellow Yellow Feel』とかのヘンテコさはそのままEテレの不思議な番組で流れていそうないろいろ感がある。#9『The Rain Song』なんかもうそのまま。

そうやって表現される細々見るとよくわからないけどいろいろな何かの塊は、聴き手にじんわりと押し寄せて僕たちの中で確実に広がっていく。それはとてもエモーショナルで雄弁で温かい。誤解されがちだが、コーネリアスの音楽は分かる人にだけ分かればいいというような一方的なものではなく、聴き手がいてはじめて成立するし、小山田圭吾は多分それを信じている。

法事

ポエトリー:

「法事」

 

堅苦しいとこじゃないし普段着のままでいいから
もよりの駅からの手書きの地図をわたされ
親戚の法事に行きました
父の代わりに

電車をふたつ乗り継いだ先
真下に川が流れるマンションの
玄関を開け放した一室
よく来てくれたと大仰にむかえられ
案内されるままに座りました
僕以外は喪服でした

お経が終わり
おじゅっさんが帰った後の
スーパーで買ってきたという海鮮巻きのパック
これはとても美味しいからと
特にすすめられた若い僕は
言われるがままパクパクと食べた

変な時間に腹をふくらませた僕は
世帯主の満足げな表情に見送られ
真下に川が流れるマンションを後にした

なにをしに来たのかよくわからないまま
父の代わりに手を合わせてきた僕は
もうすぐ二十歳
それにしても大人の世界は
なんだかよくわからないことだ

 

2023年7月

クライムズ・オブ・ザ・フューチャー(2023年)感想

フィルム・レビュー:

クライムズ・オブ・ザ・フューチャー / Crimes of the Future(2023年)

 

この手の映画を観るのは初めてだったが、個人的にはいわゆるディストピアもの含め近未来SF小説は好きなので、わりと違和感なく映画の世界に入りこめた。一部、目を逸らせたくなる場面もあるかもとの事前情報もあり少し身構えていたが、そこは作品世界を踏まえての表現、つまり敢えて人工的に見える作りになっていたので、特に気持ち悪いことはなかった。グロいけど生々しくない。

この映画は環境問題から着想を得たということだが、進化した人間がプラスチック(有害物質)を食べられるようになるというのはブラックユーモア以外の何ものでもない。ということで真面目に見れば、眉間に皺を寄せて観ることもできるが、一方でなんじゃこれは的なユーモアの感覚も忘れてはいけない。腹を開く器具が手の形を模していたり、それを操作するリモコンが気持ち悪い形状をしているのもその延長。

要するにデヴィッド・クローネンバーグ監督としては思いついたワクワクするアイデアを何とか形にしたいと考えた時に、環境問題とくっ付けることでこれ更に面白く出来るやん、となったんじゃないかという穿った見方もできる。高尚な環境問題を考える映画と言うより、新しい臓器ができちゃう体とか、痛みがなくなった人間とか、外傷に性的な興奮を覚えてしまうとかいうデヴィッド・クローネンバーグの世界を楽しむ映画というのが先にある、という理解でよいのではないか。

とは言え、例えばビーガンとか環境保護団体とかそれ自体は良い事であっても度が過ぎると恐ろしい方へ向かってしまう暴力性、或いはそうした思想などお構いなしの狂った人々、常識的だと思える人々さえ抗えないものなどなど、我々の日常とリンクする部分も多く、笑うに笑えない作品であることも確か。生真面目さや下らなさや恐ろしさをどう配分するかは観た人それぞれに異なると思うが、最後のソールの表情をポジティブに捉えることはなかなか難しい。

夢中夢 / コーネリアス 感想レビュー

邦楽レビュー:

『夢中夢 – Dream In Dream』(2023年)コーネリアス Cornelius

 

高校時代はフリッパーズ・ギターをよく聴いていた。彼らは3人称の歌、彼彼女の歌を歌っていた。当時の僕に自覚はなかったろうけど、どうやら僕は3人称で歌われる誰かの物語を聴くのが好きだった。逆に作者自身の熱い思いを歌われるのは苦手だった。フリッパーズ・ギターが解散した時、僕は小山田圭吾の新しい活動を待ちわびた。そしてコーネリアスとしての第一弾シングル『太陽は僕の敵』がリリースされた。

小山田の声に飢餓感を感じていた僕はその新曲とほどなくリリースされた1stアルバム『First Question Award』をむさぼるように聴いた。しかし急速にその熱は冷めていく。何故ならコーネリアスとなった小山田の歌には僕が僕がという強い自己主張があったから。そこにはフリッパーズ・ギターで作った(作詞は小沢健二だったが)サリンジャーのような美しい誰かの物語はなかった。

以来、コーネリアスの音楽は聴いていなかった。コーネリアスは2nd以降、野心的な取り組みで世界的にも著名なミュージシャンになったのは知っている。しかし一旦距離を感じてしまった僕は改めてコーネリアスの音楽に手を伸ばすことはなかった。ところが唐突にコーネリアスは、というか小山田圭吾は時の人となる。かつて彼の音楽に心を奪われた人間として僕はその顛末を知りたかった。そして僕の中である程度の結論が出た。それは肯定的なものだった。むしろあれほど天才だと思っていた小山田圭吾に僕は勝手に親近感を感じ始めていた(勿論、そうでない部分もあるが)。そしてアルバム『夢中夢』がリリースされた。

このアルバムは彼にしては珍しく、シンガーソングライター的な手法で作られたと言う。つまり自分のことを歌っている。そこにはかつてのような息苦しさはなく、まるで他人事のようなおだやかな歌声があった。ただ歌と言っても全10曲のうち、3曲はボーカルが無いインストルメンタル。しかしこれは歌のアルバムと言いたい。なぜならボーカルの無い曲にも声が溶けているから。

ここではボーカルと楽器とサウンドに継ぎ目がないまま全体として響いている。曲を構成する楽器のように小山田は歌い、やがてその声はメロディやサウンドの中に溶けていく。するとインストルメンタルと思えた曲も実は小山田の声が溶けていった後なのではないかと感じるようになる。きっと言葉や声は見えないだけでそこにあるのだと。

シンガーソングライター的な手法で作られたこのアルバムには多かれ少なかれ小山田個人の内省、或いは思いが入っている。しかし彼は言葉のみで何かを言おうとしていない。言葉に重きを置いていると言葉は強くなる。けれど彼の音楽にその必要はない。音楽表現とは言葉やメロディやサウンドが溶け合ったうえで、全体として聴き手が感じるものにあるのだから。

僕たちは何気なく街を歩くときでさえ歩くだけではない。いろいろなことを脈絡なく考え、自動車の音や風の音、人の話し声、様々なことが同時に起きている中、手足を動かしている。表現もそれらすべてをひっくるめたものであるならば、なにか一つに答えを求めることもない。聴き手は自由に感じればいいし、言葉でなんか説明できなくても感じればそれでいいのだ。

子ども時代

ポエトリー:

「子ども時代」

 

僕たちは塞ぎ込むことをよしとせず
少しくらいの荒地などお構いなしに
学び、戯れ、声を吐き、
少しくらいの擦り傷などお構いなしに
真っ暗闇になるまで遊び呆けた
残り僅かな子ども時代を使い尽くすことが
唯一の仕事でもあるかのように

 

2023年2月

水色の分母の上に緑色を乗せて

ポエトリー:

「水色の分母の上に緑色を乗せて」

 

クソ暑い真夏の朝でさえさわやかに
すいすいとすべる自然の動力をそなえ
普通にいいひとを紹介するノリ
まるで意味がわからない

水色の分母に緑色を乗せたみたい
特に集中力なんていらないみたいにすいすいと
だからその普通にいいひとを紹介するノリ
マジで意味がわからない

水面をすべる木の葉のように
くるっと回ってあんたそのうち
派手に事故っても知らないからね

 

2023年5月

In the End It Always Does / The Jananese House 感想レビュー

洋楽レビュー:

『In the End It Always Does』(2023年)The Jananese House
(イン・ジ・エンド・イット・オールウェイズ・ダズ/ザ・ジャパニーズ・ハウス)

 

英国の女性シンガーソングライター、アンバー・ベインによるプロジェクト。デビュー作から4年ぶりの2ndアルバムです。僕は2019年にリリースされたシングル『Something HasTo Change』で彼女を知った口です。この曲はほんと大好きで何度も何度も聴いたので、今回のアルバムは凄く期待していました。ちなみに『Something HasTo Change』が納められた4曲入りのEP盤『Chewing Cotton Wool』もジャスティン・ヴァーノン参加曲があったりしてなかなかよいです。

でこのアルバム、オープニング曲の『Spot Dog』からイイ感じです。と言ってもこの曲は大半がピアノのインストですけど、この短い曲にジャパニーズ・ハウスらしさがしっかりと出ていると思います。風合いとしてはアコースティックでアナログなサウンドにエレクトリカルな部分が混ざってくるんですけど、最大の特徴は穏やかな口調ながら心の奥に熱を秘めている部分が見え隠れする点です。淡々と演奏されてはいるんだけど焦点が明確に定まっている、そんなタイプの曲なんだと思います。余談ですが、リリックの「I think I know you best」っていう部分が「行~かな~いで~」って聴こえます。空耳的なもんだと思いますけど、なんかイイ感じです。

製作には同じレーベルのThe 1975 からダニエルとマット・ヒーリーが参加しています。なのでそれっぽい要素もあったりはしますが、他にも多くの協力者が名前を連ねていますので、特にどうということではないです。むしろ彼女の紡ぐメロディと声とサウンドは他にはない独特の雰囲気があるので、誰がどう関わろうとザ・ジャパニーズ・ハウスという根幹は変わらないのだと思います。

あと彼女の場合はリリックも重要ですね。自身も同性愛者でもあるというところでの恋愛体験を素直に表現しています。英国は日本とは違い社会の理解も進んでいるとは思いますが、まだまだ偏見はあると思います。けれどもこうして表現していく姿勢というのは、同じくそうである人にもそうでない人にもきっと良い影響を与えるもの。アートの役割とも言えます。そこに正面を向いて歩いていくアンバー・ベイン、とても強い意志を感じるソングライターです。

カネコアヤノ 野音ワンマンショー 2023 in 大阪城野外音楽堂 感想

ライブ・レビュー:

カネコアヤノ 野音ワンマンショー 2023 in 大阪城野外音楽堂 2023年7月23日

 

念願のカネコアヤノのライブに行きました。場所は大阪城野外音楽堂。木に囲まれ空は高く、最高のロケーションでした。木に囲まれているから蝉がずっと鳴いていて、カネコアヤノとバンドがエモーショナルにガーッて演奏し、曲が終わってもしーんとならず蝉はずっと鳴いてる。なんか生き物がいる感じがとても良かったです。そんな環境的な印象も含め初カネコ、とても記憶に残るものとなりました。

初めて生で聴きましたが、バンド、素晴らしかったです。技術的にどうこうというのは分かりませんが、わたしたちはこういう音楽をしたいんだという意思が明確にあって、皆が同じ方向を向いている。その上で、曲に合わせて色々な表情を出せる素晴らしいバンドだと思います。あとオリジナルをそのまま再現するのではなく、もっとダイナミックにもっと幅の広いアレンジでいろいろやっちゃうところも、あぁバンドっていいなぁと。久しぶりにバンドらしさを体現している人たちに出会えたような気がします。

今年になってかな、ドラムとベースが変わりましたけど、そういうことは全く感じませんでしたし、むしろ今、カネコアヤノとバンドは表現のピークを迎えているんじゃないか、そんな風にも思いました。つまり、新しい曲も今までの曲もすべてが旬な感じがして、デビューしてここまでやって来た初期の集大成をガッとやるみたいな、少し矛盾した言い方になりますけど、ここで一区切りというか来るとこまで来ちゃった、それぐらいのピーク感を感じました。

そしてそれはカネコアヤノのボーカルも同じで、大声でグワーッと歌うスタイルもここに来て最高潮を迎えつつあるんじゃないかって。今後も歌い方自体は変わらないのかもしれませんけど、今のこの年齢だから出せるバカみたいにでかい声と、度重なるライブで鍛えられた表現力が交錯して今は凄いことになっている。これを大阪城野外音楽堂の開放的な空間で聴けたというのはホントに素晴らしい体験でした。

ライブにはエモーショナルな瞬間が幾度も訪れました。そのクライマックスは最後の『わたしたちへ』。どんな辛いことがあっても、泣きながらでも目をつむりながらでも両手で闇を押しのけようとする、そんな魂の発光、命の強さというものがあの轟音の中にあったように思います。会場にはどのぐらいの人いたのか分かりませんが、カネコアヤノの音楽を心の底から必要としている人が沢山いたのだろうと。そんな人たちに、いや、そうじゃない人たちにもきっと何か届いた、バンドの轟音やカネコの叫びが大多数ではなく観客ひとりひとりに向かう素晴らしいライブだったと思います。カネコアヤノが大好きな人も、あまりよく知らなかった人も何か感じるものがあったのではないでしょうか。

それにしても『アーケード』での盛り上がりはすごかったですね。割とシリアスな曲が多い中で、このロック一直線の曲が始まった時のみんなの爆発力は凄かったです。あと僕自身はなんの曲か忘れましたが、聴いてる途中に高い空を見上げ、そういやオレは子供の頃に何になりたかったんだっけ、そんな風に思う瞬間がありました。カネコアヤノの歌声にはそういう気持ちにさせる何かがあったのだと思います。

開演前のBGMではベックの『ルーザー』がかかってて、終演後にはレディオヘッドの『クリープ』がかかってました。この日僕はレディオヘッドTシャツを着ていまして(笑)、なおのこと余韻の中で聴く『クリープ』は本当にいい感じで最高でした。

レビュアー

ポエトリー:

「レビュアー」

 

カメラが向こう側をむいたから
関係ないことを言うことにする
レビュアーはあること無いこと言いつらね
早くも帰り支度

お前さんが額に入れたのは正解さ
早くも値が下がり始めているがね
結果的にさまよう方を採る
それが我らの性分さ

前面にしつらえられたカメラは反転し
否応なくテキストを映しだす
お前とは面と向かって話をしたくない
そこにはそんなことが書かれてあった

 

2023年3月