Speak a Little Louder/Diane Birch 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Speak a Little Louder 』(2013)Diane Birch
(スピーク・ア・リトル・ラウダー/ダイアン・バーチ)

 

ダイアン・バーチ、待望のセカンド。ファーストからかれこれ4年。もう彼女の新しい歌は聴けないのかもしれないなんて思っていた。で聴いてびっくり。前作とは全く異なるスタイルに最初は戸惑ってしまったが、考えてみれば4年も経てば変わるのは当たり前。あの素晴らしいデビュー・アルバムより更にスケール・アップした力強い作品になっている。

ファーストではキャロル・キングを思わせるシンガー・ソングライター的風合いで、それを強力なR&B系バンドが支えるといった構図だったのだが、今作では打ち込みも使用し全体的にダイナミックになっている。ボーカル・スタイルもファーストには見られなかった激しさがあり、彼女の思いがより強くなっている印象だ。詩を見てみると、個人的なものからもっと大きなものへと視点が移っており、やはり音楽に対するスタンス自体が若干変容しているのかもしれない。そのせいで多少ダークな印象を受けるが、それもファーストに比べればという程度。詩へのアプローチや情熱を込めた歌い方などを含め、非常に力のこもった作品となっている。

ファーストの頃からいいメロディを書いていたが、今回は表現の幅が飛躍的に伸びている。共作が多いので、どこまでが彼女のアイデアなのかは分からないが、出し惜しみすることなく様々な表現のスタイルを披露し、それこそもう伸び伸びと曲を書いているような感じだ。そう、今回は彼女が好きな音楽を何の制約もなく好きなように表出している、そんな印象を受ける。勿論、ファーストのようなR&Bスタイルもそうなんだろうけど、今回はもっとラフというか、ティーンネイジャーの頃に親しんだ音楽をそのまま出しました、という感じなのかもしれない。だからなのかどうかは分からないが、今回は彼女の圧倒的なボーカルと相まって、曲の強さが目に付く。80年代風の味付けもたくさんあって、この人は本当はこっちが好きなんじゃないかと思わせる程。どちらにしても本当に音楽が好きなんだなあという想いがひしひしと伝わってくる。

作風が如何に変わろうとも彼女らしさは健在。#1『Speak A Little Louder』のアウトロのピアノのタッチを聴いてると思わず嬉しくなってしまう。でやっぱりボーカル。低音域から一気にファルセットまで駆け上がる様にはうっとりしてしまう。#5『Superstars』なんてホントに素晴らしい。どう転がっていこうがこの声がある限り僕はいつまでも聴き続けるだろう。

 

1. Speak A Little Louder
2. Lighthouse
3. All The Love You Got
4. Tell Me Tomorrow
5. Superstars
6. Pretty In Pain
7. Love And War
8. Frozen Over
9. Diamonds In The Dust
10. Unfkd
11. It Plays On
12. Walk the Rainbow To the End
13. Adelaide
14. Staring At You
15. Hold On a Little Longer
16. Truer Than Blue

Bible Belt/Diane Birch 感想レビュー

洋楽レビュー:

Bible Belt』(2009)Diane Birch
(バイブル・ベルト/ダイアン・バーチ)

 

私は誰にも属さない。そんな自立心が垣間見えるアルバム・ジャケットが印象的だ。歳を重ねればやはり内面が出てくるものだ。ダイアン・バーチの場合はその若さもあって意志の強さが表情に表れている。Wikipediaで調べると2009年当時、彼女は26才。真っ直ぐ見据えるポートレートさながらの意思の強そうな声の記名性は抜群だ。

彼女の魅力はやはりその歌唱力。野太く個性的なボーカルはもしかしたら好き嫌いが分かれるかもしれないが、それさえ凌駕する歌唱力。中でもファルセットが素晴らしく、地声との境目が分からない程ナチュラルで伸びやか。ソフトなんだけど力強くて心地よい。彼女の最大の魅力だろう。ソングライティングも彼女の手によるもので、こちらも落ち着いた素晴らしいメロディを紡いでいる。ピアノの腕も相当なもので、こんな才能が26才まで世に表れなかったが不思議なくらいだ。

そして彼女をサポートするニューオーリンズやN.Yの凄腕ミュージシャン達の極上の演奏がなんとも素晴らしい。出過ぎず、かといって物足りないという訳ではなく、ちょうど良い塩梅。ギターといい、オルガンといい、ホーンといい、要所要所で鳴らされるちょっとしたフレーズが琴線触れまくりだ。彼女の歌を最高に引き立てている。#4 『Nothing but a miracle』の出だし。ダイアン・バーチによるフェンダー・ローズ(※フェンダー社製の電子ピアノのこと。僕はこの音色が大好きなのです)で静かに始まり、コーラス、そしてフリューゲル・ホルンが重なるイントロは言葉にならない美しさ。魔法の粉が降りかかったかのようで、気を失いそうになる。

世代を越えてジャンルを越えて親しまれる音楽というのがある。ラップしか聴かない人、J-POPしか聴かない人、そんな人にも受け入れられる音楽というものがあるとすれば、このアルバムもそんなアルバムではないだろうか。

ところでこのアルバムが出た当時、 YouTubeで『Daryl’s House』(ダリル・ホール&ジョン・オーツ のダリル・ホールが自宅にミュージシャンを迎え、自身のバンドと一緒に演奏をする番組)で歌うダイアン・バーチを何度も何度も見た記憶がある。彼女の映像は他にも色々見たが、僕の中では『Daryl’s House』がベスト。中でもアレサ・フランクリンの『Day Dreaming』のカバーはすんごいことになってます。

 

1. ファイヤ・エスケイプ
2. ヴァレンティノ
3. フールズ
4. ナッシング・バット・ア・ミラクル
5. リワインド
6. ライズ・アップ
7. フォトグラフ
8. ドント・ウェイト・アップ
9. ミラー・ミラー
10. アリエル
11. チュー・チュー
12. フィーギヴネス
13. マジック・ビュー

(日本盤ボーナス・トラック)
14. エヴリー・ナウ・アンド・アゲイン
15. チープ・アス・ラヴ

Colors/Beck 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Colors』(2017)Beck
(カラーズ/ベック)

 

『100分de名著』という番組をほぼ毎週観ている。今月の名著はラッセル『幸福論』。哲学というほど堅苦しくはなく、哲学エッセーとでもいうような実生活に根差した幸福論で、現代に生きる我々にもピンと来る実践を踏まえた哲学書だそうだ。ラッセルの幸福論の大きな特徴は究極のポジティブ思考。例えて言うと、自分の欠点なんて忘れてしまえとか、自分の事より外に目を向けろ、てな具合。

っていうのを観てるとつい最近聴いているベックの新譜『カラーズ』を思い出した。もしかしたら『カラーズ』はベックの幸福論なんじゃないかって。

ベック、通算10枚目のアルバム。びっくりするぐらいポップなアルバムだ。まるでどこかのフランス・バンドみたいな多幸感。フレンドリーな曲のオンパレード。どうしちゃったのベック、って感じ(笑)。

今回のアルバムは前作の制作時、2013年から創作を進めていたようで、何度も練り直したすえにようやく出来上がったアルバムだそうだ。ということはこの1、2年の世界の動きどうこうということではなく、もう少し前からのベックの世の中に対する認識が含まれているということになる。

ベックなら上手くいっているとは言えない僕らの世界についていくらでもそれらしい言葉を紡ぐことが出来るだろう。けれど彼はそうしなかった。90年代を通してずっとメインストリームではなく、オルタナティブな視点で歌を歌ってきた彼の経験、思索が導き出した答えは眉間にシワを寄せて憂いを憂いとして歌うとこではなく、世界はもっと上手くいくはずなのに、僕たちはもっと仲良く出来るはずなのにっていう一見バカみたいな幸福論。けどそれはバカに出来るものではない。ずっとメインストリームに対するカウンターとして戦ってきたベックの生きこし方に裏打ちされた生硬な幸福論なのだ。

このアルバムを初めて聴いたとき、僕は優しいアルバムだなと思った。彼はインタビューでマイケル・ジャクソンやスティービー・ワンダーのような全てを包み込むアルバムを作りたかったと答えている。誰も排除しない、聴き手を選ばない開かれた音楽。聴いているとそんな彼の意図がはっきりと伝わってくる。

今回のアルバムは優しい。もちろん優しさだけでは何も解決しない。そんなことは誰だって分かっている。けれど本当の自由を手探りで求め続けてきたベックが、今はみんなの音楽が作りたいと欲したその勘に僕らは耳を傾けてみてもいいのではないか。信じてもいいのではないか。

僕はアジアのあの人もヨーロッパのあの人もアメリカ大陸のあの人もアフリカのあの人も僕も友達も知らない人も知ってる人もみんな一緒になって語り合い『セブンス・ヘブン』や『ノー・ディストラクション』を聴きながらダンスするのを夢想する。そしてこのアルバムを聴いた多くの人たちもまた、僕と同じではないかもしれないけれど、人種や思想や宗教を越え共に踊る姿を夢想するだろう。それは愚かなことだろうか。

これはベックの『幸福論』だ。楽観的過ぎると言う人もいるかもしれないが、僕たちはもう内に籠って憂いてばかりではいられない。いいことを考えよう。それは決して意味のないことではないはずだ。人生にはいいことも悪いこともある。いたずらに自己に没頭することなく、逆に殊更アッパーになり過ぎることもなく、いいことは素直にいいと祝福する。これはそんな地に足の着いた『幸福論』に裏打ちされた、時の風化も肯んじえない全く正統で強固な全方位型ポップ・ソング集だ。

 

1. Colors
2. Seventh Heaven
3. I’m So Free
4. Dear Life
5. No Distraction
6. Dreams
7. Wow
8. Up All Night
9. Square One
10. Fix Me

鳩が飛ぶ

ポエトリー:

『鳩が飛ぶ』

 

日々紡ぐ優しさは溶解し一杯のコーヒーに

夕方は後ろ手を組んで夜を逆さまにする

 

日々紡ぐ虚しさは静海し二杯目のコーヒーに

所々手に入れた網膜の欠片は一編の詩よりも長い

 

ピントをキチンと合わせても

上手くはズレない

昨日がおろそかに遠ざかる

 

愛おしい

残り湯で私を温めて欲しい

 

芳しい声  過去からの手紙

安らかに眠る  私たちの誇り

手鏡に映る  話し合いの形

うらぶれた話  焚きつけた

長く続かない  泣き虫の私

 

手はずを整えて、、、

 

     この国の夜に電波し白妙の

     あまつさえ聞く屋根に乗るらん

 

週末に鳩が飛ぶ

シルエットは白い方がいい

 

2017年10月

国宝展 Ⅳ期 京都国立博物館 感想

アート・シーン:

国宝展 Ⅳ期 京都国立博物館 感想

 

京都国立博物館で行われている特別展覧会『国宝』へ行きました。10月3日~11月26日の間、Ⅰ期~Ⅳ期と展示内容を一部入れ替えながら行われています。私が訪れたのはⅣ期。有名どころで言うと「伝源頼朝像」や「燕子花図屏風」などがあります。

京都国立博物館前に着いたのは10時半頃でしたが、平日ということでチケットを並んで買うこともなく、すんなりと建物へ。館内ロビーで2、30分ほど並びましたが、スムーズに入場することができました。

1階は仏像などの巨大な造形物の展示。暗闇に浮かぶ巨大な像。いきなり迫力があります。漆黒に浮かぶ大日如来坐像はなかなかのも。普段は大阪の金剛寺に所蔵されているとのこと。今度は金剛寺で見てみたいと思いました。

テレビの国宝展紹介番組で見た「油滴天目」(陶磁器)。光を当てると器の内側が星空のように光るということでしたが、展示中は上部からのライトで常時輝いています。ふむふむ。

2階には絵画や書物などが展示されており、ここに「伝源頼朝像」がありました。意外と大きいことにびっくり。縦横2メートル近くあるぞ。これだけ大きいと単なる肖像画というより作品です。ちょっと認識が改まりました。

この階にはこれも有名な尾形光琳の「燕子花図屏風」もありました。これもでかい!意外とざっくりとした筆使い。ずっーと考えて、ヨシッ、って一気にグワッグワッて描いていく。なんか絵師のそういう姿が思い起こされました。

3階には私が一番見たかった縄文式土器(これも教科書に載っている有名なやつ「深鉢型土器」)と土偶があります。どっちも素晴らしかった。土器は上部に鶏のトサカのような造形を施しているのだが、これがちゃんと4面とも対象に形作られていて、しかもその内側が今で言う樹脂成形品の内側のような整然とした線の並びで、こういうのを見ていると、あぁ今も昔も人の美的感覚というのは同じなんだなぁなどと、縄文人に親近感が沸いてきました。

土偶もよかった。お尻がプリッとした「縄文のビーナス」と呼ばれている土偶もテレビで見たときはなんじゃこりゃって感じだったが、実際に見てみるとかわいい。ユーモアがあってなかなか面白いです。

絵図や書物や刀剣、織物に蒔絵や調度品などなど、ホント多種多様な展示がされていたのだけど、個人的には結局小さい土偶が一番よかった。私はやっぱ仏像とかこういった造形物が好きなんだと再確認しました(笑)。他にもホントにいろんなジャンルの国宝が展示されているので、見る人それぞれの好みでいかようにも楽しめるオールマイティな展覧会ではないでしょうか。

雪舟の作品も今回の目玉だったのだが、展示はもう終わってたみたいでちょっと残念。私は日程の都合もあってⅣ期を訪れることになったのだが、それでも十分見れたので満足。ただ平日でしたがどのフロアも結構な人だかりで結構疲れます。これに外で並んで中で並んでが加わるとかなり大変かも。なかなか難しいけどやっぱ平日がお薦めです。

しかし寒かった。先日奈良に行った時はポカポカ陽気で最高だったけど、この日は曇りがちで風も吹いてちょっと大変。私は20代をずっと京都で過ごしましたが、なんかその頃の空気の感じを思い出しました。

ちなみに。
京都国立博物館の向かいには三十三間堂があります。京都に住んでいた頃に2度ほど来たことがあるけど久しぶりに入りました。やっぱいい。1001体の仏像は圧巻です。奈良の興福寺で八部衆を見て、ほうほうなんて思っていたけどここは二十八部衆像(笑)。運慶一派の組織立った大量生産(なんて言うと怒られるかな)な仕事ぶりも詳しく見ていくときっと面白いんだろうな。

 

2017年11月

仏を巡る旅「興福寺~新薬師寺~奈良市写真美術館」

アート・シーン:

仏を巡る旅「興福寺~新薬師寺~奈良市写真美術館」

奈良へ行ってまいりました。興福寺仮講堂での特別展「阿修羅ー天平乾漆群像展」から新薬師寺の薬師如来坐像と十二神将立像を経て、奈良市写真美術館で開催されている入江泰吉の「古き仏たち」。丸一日、様々な仏様を拝観しました。

まずは興福寺仮講堂での乾漆群像展。国宝館の耐震補強工事に伴う特別展で、春の公開に続き二度目、秋の公開となる。春に家族と奈良公園界隈を訪れたのだが、その時はこの特別展に入ることは叶わず。今回は念願の再訪となった。

西金堂内陣の宗教空間イメージを一部視覚化したとの記述があったが、その配置が絶妙だった。両サイドで筋骨隆々の阿形像吽形像が見得を切る横に、一転、胸板に骨が浮かぶ静謐な佇まい十大弟子がいるという対比。その写実的な十大弟子像の横に八部衆という神話の神々が配置されているこれまたコントラスト。その中心には阿弥陀如来像というこの並びが最高にイカしていた。

今回の旅の一番の目的はこの乾漆群像であるが、中でも一番のお目当ては阿修羅像。僕は初めて直に見たが、美しいの一言。体のラインや立ち姿、6本の腕のバランスを含めた佇まいは息をのむ美しさだ。それとやはり表情。両サイドの2面の顔はあまりよく見えなかったが、正面を見据える表情が何とも言えない。悲しんでいるのか憐れんでいるのか、優しさなのか怒りなのか。そのどれでもないし全てとも言える表情。それに決して目線は合わないのに、ずっと見られているようで、人垣の後ろへ少し離れてみても同じようにすっと見据えられているような感覚がする。まるで阿修羅像の目線の先にこちらから吸い込まれていくようだ。

その阿修羅像のとなりに立つ迦楼羅像もまた素晴らしい。鶏頭の半獣半人像だ。この表情も何とも言えない。悟りきったようなすべてを受け入れたような表情。阿修羅像が多くの人に同じような印象を与えるとすれば、迦楼羅像は人によって、時によって全く異なる印象を与えるのだと思う。見る人を写す鏡のような表情と言えるかもしれない。

続いて向かったのは奈良公園を南東に抜けた場所にある新薬師寺。ここには十二支を題材にした十二神将立像が薬師如来坐像を取り囲むように並んでいる。十二神将立像は木を骨組みとし主に粘土で造形されている。故に先ほどの乾漆像とは重量感、質感が全く異なる。全て動きのある造形だが、粘土ゆえか中国の兵馬俑を思わせる。中心の薬師如来坐像の表情も彫が深く鼻筋がすっと通っておりインド風な趣。ここは少し異国的な雰囲気があった。

十二神将立像は本来極彩色で彩られていたそうで、往時の姿がパネルで再現されていた。結構すごい。皮膚はアバターのように緑で鎧は赤や青でずっしり重い。これが十二体、全て彩られていたら結構なインパクトだろう。と言ってもここに限らず、昔の像の多くは彩色されていたらしいので、単なる信仰とは別に、仏像は僕たちが思うそれとは全く違う捉えられ方をしていたのかもしれない。

最後に向かったのは新薬師寺のすぐ近くにある入江泰吉記念奈良市写真美術館。ここでは現代の写真家による奈良の風景が前半部に、メインに入江泰吉の仏像写真が展示されている。前半の現代の写真家による奈良の写真も良かったが、後半の入江泰吉の仏像写真は今見てきた実物の写真が多く展示されているので、また違った角度で思いを巡らせることができ、非常に興味深かった。ここの美術館に入ったのは偶然だったけど、実物を見た後にまた違う手法で見るというのもなかなかのもの。印象に残ったのは広目天像。顔がいかついのなんのって。すげえ迫力を捉えていた。

阿修羅像の写真もいくつかあって、その下に入江泰吉の言葉が記載されていた。少し紹介すると、「一二、三才の少年をモデルにしたと言い伝えらえれているが、清純な乙女のイメージが強いのである。」。そうだな、そう言われるとそんな気もする。そんな見方ができるのも阿修羅像の魅力だ。

入江の奈良の風景を捉えた写真展示はなかった。今回はそういう趣旨ではなかったのだろうけど、僕はそっちも好きなのでこの点は残念だったかな。

当初は奈良市写真美術館へ行く予定はなかった。新薬師寺に行ったら近くにあるのを知って、入江泰吉のことは知っていたからちょうどいいやと思って入った。10時頃に奈良に着いて、全部見終わったのは2時ごろかな。結果的に奈良の仏像を巡る旅になったけど、最初に東大寺で大仏や広目天像を見るのもいいかもしれない。で最後に奈良市写真美術館へ行く。今日も奈良公園界隈は観光客でいっぱいだったが、新薬師寺~奈良市写真美術館辺りはほとんど人がいない。あまり知られていないようだけどなかなかいいコースだと思います。特に写真美術館、ここで最後を締めるのもよいのではないでしょうか。

仏像の写真展は12月24日までのようだけど、以降も奈良を舞台にした写真展が行われるだろうし、それはそれですごくいいんじゃないかな。

ところで全てを見終わった後、写真美術館の近くにあるお店で(名前は忘れましたっ)少し遅い昼食を採ったのだが、そこの二階でちょっとした写真展をしていた。年配の地元の写真家によるものだという大台ヶ原を舞台にした写真の数々。奈良市写真美術館にも奈良県川上村の写真が展示されていたが、その若手写真家による直線的な表現と食堂の二階で見た年配の写真家による磁味深い写真との対比。これもなかなか良い体験でした。

 

2017年11月

ピカソと日本美術-線描の魅力- 感想

アート・シーン:

『ピカソと日本美術-線描の魅力-』 和泉市久保惣記念美術館

 

この展覧会では浮世絵に代表される日本絵画のコレクターでもあったピカソの絵と、彼に影響を与えたであろう日本絵画が並列して陳列されている。まあ僕にとっては解説文を読んでふむふむといった程度のもので、その関連性についてはよく分からない。当時は日本からも多くの芸術家がかの地を訪れピカソと交流をしていたそうなので、お互いに影響を与え与えられというところがあったというのは想像に難くないところだろう。

この展覧会ではピカソの多くの下書きやデッサンが展示されている。メモ程度のものであっても写実的な描写はない。ほぼ全てが僕たちのよく知るピカソのへんてこな絵の下書きばかりだ。あぁ、そうか、なんとなくピカソは感性を頼りにへんてこな絵を描いていたとばかり思っていたが、そこに至るまでには何百何千の下書きをしているのだ。この下書き、自分の中にあるイメージを確認するためなのか、徐々に固めていくためなのか、結局のところは分からないにせよ、彼の試行錯誤を見るようで面白かった。ずっと見ていると彼の中の何か決まり事というか美しさの基準が見えてくるような気もしてくる。ま、そんなことは一切分かりっこないんだろうけど、そんな気がするだけで僕は満足だ。なんにしても思いつきで描いているわけではないのだ。

ピカソの特徴として静物よりも人物画の方が圧倒的に多い。今回もほとんどが人物画だ。例のごとく一見本人とは似ても似つかぬデフォルメした人物画。けれどちゃんと違うんだな。例えば、2枚並べて展示してあった「女の半身像」と「男の胸像」は同じ手法、色味で描かれているけれど、印象は全く異なる。ということはつまり、2枚ともちゃんとモデルその人を描いているということだ。あんなデフォルメした絵を描いてはいてもちゃんとその人を描いている。だから多分よく似ているんだと思う。きっとその人の本質を言葉ではなく絵で見抜くんだろうな。ピカソのデッサン力が凄いのは有名だが、つまりは観察力が尋常ではないということだろう。

ピカソの場合、とかく造形に目が行きがちだけど、色使いも抜群だ。同じ色合いの濃淡とかはみ出し具合とか混ざり具合とか。僕はやっぱこっちの方に圧倒される。さっき述べた「女の半身像」と「男の胸像」もそうだし、「赤い枕で眠る女」とかホントきれいだ。デッサン力は磨けても色の感覚はそうはいかない。これはもう天性のものだろう。

また、『博物誌』なるものに描いた挿絵が何枚も展示されていたのだか、そこに描かれた動物とか昆虫が実に見事。人物画とは対照的に非常に細かく描きこまれている。といっても写実ということではなく、生き物の生命力や躍動感を前面に出した力強く精密な絵。ピカソの違う一面が見れてとても良かった。

今回の展覧会は久保惣記念美術館の35周年記念特別展。それにしてもこれだけのピカソの絵が一地方都市の美術館に集められたというのが驚き。関係者の皆さんの熱意の賜物。この展示会を開催するため奔走したであろう皆さんに感謝。よいものを見せてくれてありがとうございます。

最後に。僕がここを訪れた日、たまたま近くの中学校が校外学習に来ていた。学芸員と思しき方が学生達に説明をされていて、それがとても的確だったので僕も一緒になって聞いていた。ちょっとラッキー。学芸員さん、ありがとう。

 

2017年11月

 

Talking Is Hard/Walk The Moon 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Talking Is Hard』(2015)Walk The Moon
(トーキング・イズ・ハード/ウォーク・ザ・ムーン)

 

こりゃ参った。2枚目でこんなに飛躍するとは思わなかった。1stも結構好きだったけど、出来にムラがあったり垢抜けなかったりで、あと一歩だなあなんて思ってたんだけど、一足飛びにその辺はクリアしてしまった。ていうかクリエイティビティが一気にスパークしているぞ。

まず曲がいい。単に感性だけで作ってたものがなんかコツを掴んだみたいで、曲に深みが出て表情が豊かになった。奇を衒う訳でもなく、正統派のソングライティングで勝負できるようになったということか。色んなパターンの曲を用意する余裕もあって、中にはハイムみたいなのやヴァンパイア・ウィ-クエンドみたいなのがあったり。最後の曲の80’S的なニュアンスなんてThe 1975っぽくもある。11曲目で切なくなって、最後の曲でしっとり終わるっていうのもまた見事。2枚目でもう余裕の構成である。

アレンジの方は更に80’S振りに拍車がかかったようでもろ80’Sなのもあったりするけど、ただそこは当然2010年代の音として緻密に作り込まれており、前作では物足りなかったバックが格段に良くなってる。ベースとドラムの多彩なリズムと表情豊かなボーカルが一辺倒になりがちなシンセ・ポップをしっかりリードしているのがポイントかな。

で、ボーカルも更にパワーアップ。#4『アップ・2・ユー』とか#9『スペンド・ユア・$$$』でシャウトしたり、#11『カム・アンダー・ザ・カヴァーズ』や#12『アクアマン』でしっとりさせたりとなかなかなもので、それがまた暑苦しくなくスマート。今どきこんなはしゃいじゃってるのも珍しいんじゃないかってぐらいはじけちゃてるけど、相変わらず近所の兄ちゃん的なノリで好感度抜群のバンドだ。知的な連中は馬鹿にするかもしれないが、結局小さな子供でも跳ねてしまうこの楽しさに勝るものはない。#3『シャット・アップ・アンド・ダンス』なんて何度うちの子供たちにリピートさせられたことか(笑)
準備は整った。次で一気に最前線へ登りつめるか。

 

1. ディファレント・カラーズ
2. サイドキック
3. シャット・アップ・アンド・ダンス
4. アップ・2・ユー
5. アバランチ
6. ポルトガル
7. ダウン・イン・ザ・ダンプス
8. ワーク・ディス・ボディ
9. スペンド・ユア・$$$
10. ウィー・アー・ザ・キッズ
11. カム・アンダー・ザ・カヴァーズ
12. アクアマン

忘れられた巨人/カズオ・イシグロ 感想

ブック・レビュー:

『忘れられた巨人』  カズオ・イシグロ

 

歴史は封印されるべきものだろうか。もし悲惨な歴史が記憶から消えてしまえば、私たちと隣国はもっと穏やかに暮らすことができるかもしれない。いっそこの極東にも、その息で人々の記憶を失わせるという雌竜が現れてくれないものか。けれどそれは虫が良すぎる話だろうか?

そんな大それた話じゃなくても例えば愛する人との事。些細なかつての行動が相手にとっては許し難い何かであったかもしれず、時が経ち、二人は仲睦まじく暮らしていたとしても何かの拍子にそれは頭をもたげることがあったとして、その時、かつての行き違いはもう過ぎ去ったこととして処理してしまえるのだろうか。今はどんなに仲睦まじくとも記憶は消せない。やはり忘れてしまえた方が二人はより穏やかに日々を過ごせるというもの。

忘れること(=初めから無かった)と許すこと(=無かったことにする)とは違う。一時は‘無かったことにする’として心の奥に収めたことでも、記憶がある限りそれは‘あったこと’に変わりはない。アクセルはベアトリスを「お姫様」と呼ぶ。確かに記憶が薄まれば、アクセルとベアトリスのように初めて会った時のようにずっと仲良くいられるかもしれない。けれど大切なことはそんなことじゃないはずだ。だから年老いたアクセルとベアトリスは記憶を求めて旅に出る。

私たちは記憶で出来ている。好きなものを好きと言い、嫌いなものを嫌いと言い、勉学に励み為すところを目指し、人に強く当たったり、人に優しくするというのは全て記憶の為せるわざだ。それを‘無かったこと’には出来ない。失くしてしまうということは私自身を失くすということ。だからこそ、アクセルとベアトリスはいつまでも二人いるために旅に出るのだ。

これは記憶をめぐる物語。答えは無論何処にもない。けれど私たちは意識せずともいつもそうした記憶を巡る葛藤の中にいる。やはり記憶は消せない。時に自分に問いかけ、時にあなたに問いかける。愛するならば繰り返すしかない。いつの日か、記憶に少しでも優しく触れるために。自分自身でいるために。

Battle Born/The Killers 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Battle Born』(2012)The Killers
(バトル・ボーン/キラーズ)

 

キラーズ、4年ぶりの4枚目。4年のブランクがいい効果を表したようで、デビューから一回りしてまた戻ってきたかようなフレッシュで瑞々しい作品だ。

昨今シンセを用いた80年代サウンドがたくさん出てきたが、彼らの場合は2005年のデビューから自身が影響を受けた80’sサウンドを臆面もなく露出させてオリジナリティと評価を得たバンド。今やそのような形容が必要ないほど確立されたキラーズ・サウンドであるが、彼らの持ち味は何と言ってもそのセンスの良さ。大げさなくせに悪趣味にならずスマートに練り上げられたサウンドは唯一無二である。今作はそんな彼らが決定的なキラーズ・サウンドをということで作り上げたど真ん中ストレート、まじりっけなしの快作である。

代表的なのがリード・シングルの#2『ランナウェイズ』。ブランドン・フラワーズが「詰め込めるだけパンチを詰め込んだ」と語っているように、キラーズ節炸裂のロック・ナンバー。更に伸びやかになったブランドンのボーカルに、畳み掛けるサビ。ファンは即頭しそうになる程のキラーズ節全開である。キラーズ節と言えば#4『ヒア・ウィズ・ミー』の大げさなバラードも最高だ。後半のブリッジからラスサビへ向かう、まるでハリウッドの青春映画を見ているような盛り上がり方といったら鳥肌もの。詞がいいんだなまた。

ということで、今回の作品で目を引くのがブランドンのボーカル。元々素晴らしい歌唱力の持ち主であるが、更にスケールが大きくなったようで、このアルバムに大作感というか壮大さをもたらしている。そしてこのアルバムにはいいメロディがたくさんあるのも特徴。いいメロディにはあらかじめノスタルジーが宿っているというけれど、まさにそんな感じ。ブランドンてこんないいメロディ・メイカーだとは思わなかった。それを具現化するバンドの演奏も確か。一見大げさに見えるアレンジもしっかり手綱を引いており、このバンドの知的さが窺える。そう、なんといってもキラーズは歌ものなのだ。

とにかくスケールがでかくて盛り上げ上手。サビの後にもう一つ大きなサビが来るというサビの2段階ロケットも1度や2度ではなく、それでいてクドくならないのは流石。#5『ア・マター・オブ・タイム』のラスサビの大爆発ぶりなんか最高だ。最近はこうしたスケールのでかいバンドがなかなかいないのでかえって新鮮。今や数少ないスタジアム・ロックの雄。キラーズ、堂々の帰還である。

 

1. フレッシュ・アンド・ボーン
2. ランナウェイズ
3. ザ・ウェイ・イット・ワズ
4. ヒア・ウィズ・ミー
5. ア・マター・オブ・タイム
6. デッドラインズ・アンド・コミットメンツ
7. ミス・アトミック・ボム
8. ザ・ライジング・タイド
9. ハート・オブ・ア・ガール
10. フロム・ヒア・オン・アウト
11. ビー・スティル
12. バトル・ボーン

(ボーナス・トラック)
13. キャリー・ミー・ホーム
14. フレッシュ・アンド・ボーン (ジャック・ル・コント・リミックス)
15. プライズ・ファイター (ボーナス・トラック)
(日本盤ボーナス・トラック)
16. ビー・スティル (オルタネイト・ヴァージョン)
17. ランナウェイズ (ミシェル・リミックス)

ボーナス・トラックの#13と#15もよいです。ブランドンも大好きなブルース・スプリングスティーンばりの#15『プライズ・ファイター』なんて本人が歌ってそうなぐらい。