Modern Vampires of the City/Vampire Weekend 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Modern Vampires of the City』(2013)Vampire Weekend
(モダン・ヴァンパイアズ・オブ・ザ・シティ/ヴァンパイア・ウィークエンド)

 

エズラによるとこのアルバムはアメリカについてのアルバムだそうで、アルバムジャケットもマンハッタン。けれどそのマンハッタンは数十年前のマンハッタンのようで、色もモノクロで雲がちょうどよい具合にかかっているから、それこそ中世のヴァンパイア城のようだ。ヴァンパイア・ウィークエンドの新作がようやく出るってんで久しぶりにこのアルバムを聴き直してみたら、古いアメリカというより古いヨーロッパに近い印象を受けた。

そもそもアメリカはヨーロッパからの移民が多くを占めている訳だから、古いアメリカを描こうとすると古いヨーロッパ的なるというのは当然かもしれないが、つまりそういうところまで意識してヴァンパイア・ウィークエンドはこのアルバムを作ったということだろうか。にしても2019年になってその意味が響いてくるとは。恐るべし、ヴァンパイア・ウィークエンド。

このアルバムはエズラの声から始まるように、彼の声を大々的にフィーチャーしている。実際しているかどうかは分からないが、決して軽くない歌詞が彼の声があることにより、全体としての明るいトーンに繋がっている。やはりエズラの声のアルバムと言っていいだろう。

歌詞は至る所に皮肉っぽいところがあってサリンジャーみたいで僕は好きだけど、多分エズラはインテリだからサリンジャーのようにへこたれない。いや実際には大変な事とか嫌な事ばかりなんだと思うけど、そういうのにマトモにぶつかっていかないというか、インテリだからちょっと経路が普通とは違うんだろう。

やたらインテリって言葉で片付けてしまって申し訳ないけど、ただ不思議とそのインテリが作った音楽が何故か凄く風通しがよくって、それは今回は彼ら流のアメリカのロックということらしいが、多分今までがアフロビートだったり欧米主体の音楽じゃないところを経由してきたからかもしれないし、そういう部分も含め改めてインテリだなって思わざるを得ないけど、やっぱり軽やかなのは面白い。

それに彼の声はやたらめったらよく通るから、ジャケットがモノクロだろうが、歌詞が皮肉めいていようがお構いなしに突き抜けてしまう。陽性だから「Diane Young」(=Dying Youngという意味か?)なんて歌っても全然平気なのだ。実験的で批評的(芸術というものは全てそうかもしれないが)であってもその陽性さは崩さない。要するに、難しい顔をしても何も解決しないということか。

 

Track List:
1. Obvious Bicycle
2. Unbelievers
3. Step
4. Diane Young
5. Don’t Lie
6. Hannah Hunt
7. Everlasting Arms
8. Finger Back
9. Worship You
10. Ya Hey
11. Hudson
12. Young Lion

国内盤ボーナストラック:
13. YA HEY (‘PARANOID STYLES’ MIX)
14. UNBELIEVERS (‘SEEBURG DRUM MACHINE’ MIX)

悲しみ

ポエトリー:

『悲しみ』

 

電車に乗るのが仕事か
すれ違いざま、君を見れなかった
今朝は早くに言葉を失くしたから
時間をかけて温めて
椀の中で休ませたい
白湯で

音を立てないサイフォンが頼りなく
呼吸すら定かでない
ただいまを言う代わりに
知らないことが増えていった
誰かが訪ねて来た
喫茶店のカランコロンみたいにちゃんとした姿勢だった

生まれてからまだちゃんと口にしていない
いい加減には出来ないんだね
邪魔者みたいに中古販売店の硝子ケースに仕舞われていたんだね
知ってるはずはないさ

 お前、
 そんな目で
 遠縁の人みたいなジェスチャーで近寄って来ても受け付けないよ

全て木曜日の夕方のせいにして
灰色のTシャツもろとも
赤く薄くなった所に馴染ませたい
じゃなかったら
明日はもう電車に乗れない

 

2018年8月

叙事詩と叙情詩

その他雑感:

「叙事詩と叙情詩」

 

日本の音楽詞は叙情詩が圧倒的に多い。60年代フォークから70年代のニュー・ミュージック、現代に至る所謂Jポップまで、そのほとんどが叙情詩だ。人々の感情に寄り添う叙情詩には胸が締め付けられるいい歌が沢山ある。

一方、叙事詩というは作者が一歩引いた視線というのかな。主人公はあくまでも彼や彼女。その彼や彼女の動く様やその友人知人、周りで起きる出来事や景色を作者は個人的な感情は横に置いといてそのままスケッチする。そんなイメージだ。

叙事詩は叙情詩の様に直接聴き手の感情に訴えかけてこないが、第三者を主人公に据えることで、聴き手は独自の映像を浮かべることが可能だ。映画みたいなもんだな。但し、具体的な映像は無いので、聴き手は自分の経験や想像力を駆使して勝手に思い浮かべていく。それは100人いれば100通り。いつしかそれは自分自身の物語となってゆく。

叙情詩は感情に直接訴えてくるので瞬発力はあるけど、想像力という点では希薄かもしれない。それに曲そのものの力より聴き手の感情に左右される点が無くもない。誰だって振られた後に悲しい歌が聴こえてきたらどんな歌であれ思わず感情が昂ぶってしまうだろう。

僕はやっぱり叙事詩の方がしっくりくる。思い返してみても高校時代、好んで聴いていたのはレピッシュとかユニコーンとかフリッパーズ・ギターとか。初期のサニーディ・サービスもそうだし、このサイトでカテゴリーを設けている佐野元春も全くその通り。主人公は僕ではなく、彼彼女。みんな叙事詩だ。今も日本の音楽を沢山聴きたいんだけど、結局洋楽ばかりを聴いてるのはそのせいかもしれない。

で自分で書くときもやっぱり叙事詩がしっくりくる。僕は感情的なところがあるので、情緒的なところは出来るだけ廃していきたい。一歩引いた視線で、僕ではない誰か別の主人公に動いてもらう。

今まで沢山書いてきた詩を眺めてみても、自分でいい出来だなと思えるのはやっぱりそういう詩だ。僕には叙事詩が合っている。

ChapterⅡ-EPⅠ/Vintage Trouble 感想レビュー

洋楽レビュー:

ChapterⅡ-EPⅠ(2018)Vintage Trouble
(チャプターII – EP I/ヴィンテージ・トラブル)

 

ヴィンテージ・トラブルが2枚組の新作を出しました。2枚組と言っても各5曲入りのEPです。2枚組と言っても2枚目は1枚目のアンプラグドです。なんでまたそんなリリース形態なの?と思いましたが、しばらく聴いてるとちゃんと2枚合わせて一つの作品という気がしてきましたね。

リリース形態も今までと違いますが、中身の方も今までと全然違う。何が違うって曲ですよ。曲の練度がメチャクチャ上がってるじゃないですか。もしかして今流行のソングライター・チームによる共作かと思いましたが、クレジットを見るとこれまで通りボーカルのタイ・テイラーを中心としたバンド内でのソングライティングでした。

そういやタイ・テイラーは今回のEP盤のインタビューで、「ライブの躍動感をパッケージしたかった」みたいなこと言ってますね。確かにこのバンドのスキルは相当なもんですから、ついついボーカルを含めたバンド・サウンドで押し切ってしまうところがあったのかもしれない。それじゃいかんだろう、ということで今回は曲作りにかなり注力したのかもしれませんな。

それにしても。ヴィンテージ・トラブルどうしちゃったの?っていうポップさ。思惑通り、曲の力で持っていく感じが凄くしますね。従来のどストレートなロックンロールはないですが、その分複雑な曲も増えて曲の練度はすっごく上がってる。リリックも手が込んでいて洗練されたライミングやアクセントに動きがあって気持ちいい。あれ、ヴィンテージ・トラブルってこんなことも出来るんや、ってちょっと驚きです。

で、このEPのツボは2枚目ですよ。なぁ~んだ、よくあるアコースティック・バージョンでお茶を濁したのかなんて思っているそこのあなた。確かに私も最初はそう思いましたよ。ところが曲重視の1枚目がここで活きてくるわけです。

先ずバンドの演奏が的確なんですね。しかもトレンドであるラテン音楽の要素を取り入れてくる。パーカッション主体でドライブし、ラストの曲はレゲエのリズムやね。この辺はもう抜群の安定感。しかもアレンジがシンプルですから曲の良さが更に際立つのです。なのでまた1枚目を聴きたくなる。そして1枚目を聴いているとまた2枚目を聴きたくなる。どーです、この幸福な2枚組スパイラル。曲重視の1枚目があっての2枚目のアコースティック・バージョン。なんだかこの2枚組の意図がちゃんと伝わってきたような気がしてきました。

彼らはその名のとおりヴィンテージなソウル、ロックンロール音楽のみをする方かと思っていましたが、跳ねたポップソングでも勝負できるんですね。どーもおみそれしやした。もうこうなりゃヴィンテージ・トラブルは無敵ですな。じゃ次はいつもどおりのロックンロールでぶっ放しますか。

 

Tracklist:
Disc 1
1. Do Me Right
2. Can’t Stop Rollin’
3. My Whole World Stopped Without You
4. Crystal Clarity
5. The Battle’s End

Disc 2
1. Do Me Right (Acoustic)
2. Can’t Stop Rollin’ (Acoustic)
3. My Whole World Stopped Without You (Acoustic)
4. Crystal Clarity (Acoustic)
5. The Battle’s End (Acoustic)

折坂悠太さんという歌い手にちょいと感動しています

邦楽レビュー:

折坂悠太さんという歌い手にちょいと感動しています

 

折坂悠太さんという歌い手にちょいと感動しています。年の終わりに音楽各紙やネットで発表される2018年のベスト・アルバム選に折坂悠太という名前が散見されて、国内の老舗音楽誌、ミュージック・マガジンでは日本のロック部門で彼のアルバム『平成』が1位となっていました。てことで、最近になってようやくYoutubeで観だしたのですが、そしたら驚いたのなんのって。いや、驚いたんじゃなく、冒頭で述べたとおりちょいと感動しています。

僕は洋楽をメインで聴いているけど、別に邦楽を避けている訳じゃない。むしろ普段からなんか日本のいい音楽ないかなぁなんて思っている方だ。やっぱり母国語でしか得られないカタルシスは格別だから。

でも面白い表現、カッコイイ表現に時折出くわすことはあっても、心を揺さぶられるような言葉にはなかなか出会えない。勿論、音楽としてカッコよくなきゃ話になんないし、母国語なるが故、ついハードルが高くなってしまう。洋楽だと歌詞が少々アレでも曲が良けりゃ聴けちゃうからね。

折坂悠太さんの歌唱は独特だ。こぶしの入った節回しで合間にスキャットだのヨーデルだのを放り込んでくる。『逢引』という曲ではポエトリーリーディングもあって、いやこれも独特の口調でリーディングというより講談の口上っぽい。こういう声にならない声を発声する人はなかなかいない。

歌詞の方も独特で、最初は聴きなれない言葉遣いなので分かりにくいかもしれないが、独特の歌唱と相まって言葉がスパークしている。ぶつかり合っている。芸術というものは市井の人々の暮らしの中から湧き上がってくるもので、それはどうしようもなく地面を突き破って表れてくる。その時の地響きがここには記録されているということだと思う。

けれど折坂さんはそれを情感たっぷりに歌い上げるのではない。力を込めて目一杯歌っているけど、突き放している。それこそ講談師や浪曲師のようだ。宇多田ヒカルさんみたいに自分のことをまるで他人事のように歌える人と見たがどうだろう。どっちにしても言葉とメロディが有機的に機能している音楽に出会うことは楽しいことだ。

 

下に貼り付けたのはYoutubeのスタジオライブです。3分57秒後に始まる『逢引』という曲。僕には宇多田さんが登場してきた時のようなインパクトがありました。

Warm/Jeff Tweedy 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Warm』(2018)Jeff Tweedy
(ウォーム/ジェフ・トゥイーディー)

 

そう言えばウィルコの『Schmilco』アルバムが2016年だから、そろそろウィルコの新しいアルバムが出るんじゃないかとネットでウィルコの新譜を探していたら、ウィルコじゃなくてジェフ・トゥイーディーの新作を発見しました。

なんでもウィルコは現在活動休止中だそうで、その理由はドラマーのグレン・コッチェの奥さんがフルブライト奨学金とかいう学者や研究者といった各種専門家を対象とした国際交流プログラムを受けることとなり、夫婦そろって暫く北欧に滞在することになったためということらしいが、このいかにもウィルコっぽい真っ当な理由の前では、よく分からないながらも納得してしまうしかないわけで。とは言いつつそれはそれでウィルコの新しい音楽は聴けないのかと、僕としてはちょっと困った気持ちになったりもしている。

その埋め合わせってわけでもないでしょうが、ジェフが初のソロでのオリジナル・アルバム『Warm』をリリースした。でもこのアルバムには件のグレン・コッチェが参加しているようなので、ウィルコが活動休止しているのにはもっと他の理由があるのかもしれないとそれはそれで心配になるが、とりあえず今はこのアルバムを聴いてぼんやりしておこう。ちなみに2017年にもソロで自作を含めたアコースティック・カバー・アルバム『Together At Last』ってのを出していたらしいけど、それも僕は全く知らなかった。どっちにしてもジェフのソロが初ってのは意外だな。

音楽の方はいつものウィルコ節がいつものジェフのぼそぼそっとした声で歌われている。サウンドはアコースティック・ギター主体の穏やかなサウンドに時折エレキ・ギターが印象的なフレーズを挟んでくる。曲によっては2本のエレキ・ギターの別のフレーズが両耳から流れてきて(イヤホンで聴くことが多いので)気持ちいいったらありゃしない。穏やかなメロディに穏やかなサウンド。耳障りはタイトルどおりの穏やかなアルバムだけど、ジェフのことだからやっぱ歌詞は穏やかじゃない。和訳がないから正確には分かってないけど。

こういう心地よい音楽はぼんやり聴くに限る。僕はウィルコの、ボーカルに全く寄り添おうとしないバンドの演奏が醸し出す微妙な違和感が好きなんだけど、勿論ジェフのいつものウィルコ節とぼそぼそっとした声が好きだから、今はこれで満足している。ていうか今回もあんまり寄り添ってないか。だから心地よいのだろう。ジェフさん、間を開けずにちゃんとアルバムを出してくれてありがとう。ウィルコのアルバムもそのうち出してね。

 

Tracklist:
1. Bombs Above
2. Some Birds
3. Don’t Forget
4. How Hard It Is for a Desert to Die
5. Let’s Go Rain
6. From Far Away
7. I Know What It’s Like
8. Having Been Is No Way to Be
9. The Red Brick
10. Warm (When the Sun Has Died)
11. How Will I Find You?

A Brief Inquiry Into Online Relationships/The 1975 感想レビュー

洋楽レビュー:

『A Brief Inquiry Into Online Relationships』(2018)The 1975
(ネット上の人間関係についての簡単な調査/The 1975)

 

The 1975、およそ2年半ぶりの3rdアルバム。全英全米ともにNo.1になった2ndアルバムで一躍若手ロック・バントの筆頭株となった彼らだか、3枚目ともなると『OK コンピューター』のようなアルバムを作らないといけないと、フロント・マンのマット・ヒーリーはかのレディオヘッドの名盤の名を持ち出した。とはいえ彼らはThe 1975。確かにシリアスな一面もあるが、自身のアイドル性を敢えて持ち出すしなやかさが売りだ。『OK コンピューター』と言われてもなと、半ば冗談として受け止めた我々を尻目に The 1975 は本当に『OK コンピューター』のような強大なアルバムを作り上げた。しかもそれは『Music For The Cars』というシリーズ2部作の1作目になるという。もう一山来るというのは本当だろうか。

オープニングはいつもの『The 1975』のテーマ。オートチューンにゴスペルクワイアと近年のトレンドを恥ずがしげもなく採用しているが、いつもの如くその違和感の無さは、確か前からそんな感じだったよなと我々に思わせてしまう器用さと屈託のなさ。しかし今回はこれまで披露してきたテーマ曲とは異なり才気走っている。これはロック音楽にとってとても重要な事だ。

確かに The 1975 はデビュー・アルバムからジャンルを横断する一筋縄ではいかない存在だった。例えば、誰かに The 1975 とはどのようなバンドかと聞かれれば答えに窮してしまう、悪く言えば無節操で、よく言えばこれまでのジャンルでは形容しがたい新しい魅力を備えていた。しかし今後我々はもう躊躇する必要は無いだろう。彼らは古き良きギター・バンドであり、アンビエントな音階を奏でるエレクトロニカであり、心地よくも煌びやかな80’sであり、首筋に直に接続してくるネオソウルであり、そのいずれもが The 1975 という1個の音像として誰もに納得してもらえるだけのサウンドを確立したのだから。

本作の特徴を歌詞の面で見ていくと、マット・ヒーリーによる一人称の語り口調が目立つ。これまでも実体験を元に新たな物語を作り上げていたヒーリーだが、今回は特に個人的な側面が強くなっている。それは自身のドラッグの問題であったり、いつもの痴話話だったり。とはいえここにいるのは稀代のストーリー・テラーだ。個人的側面が強くなったところで間口が狭くなることはない。まるで他人事のように話し、極限の感情を押し込める本作におけるヒーリーの詩作は恐ろしく切れている。

そう。幾分キャラ先行であったマット・ヒーリーはこのアルバムで堂々と新しい世代のフロント・マンとしての覚悟を示したと言ってもよいのではないか。過剰さに重みが加わったヒーリーの声はありとあらゆる場所へ節操なく飛び移る多種多様なサウンドやストーリーを統べている。彼のボーカリストとしての新たな深みや記名性が The 1975 というバンドに新たなステージをもたらしたと言っていいだろう。

ロック・バンドにはバンドを決定づけるアルバムがある。そういう意味で本作は The 1975 というバンドを決定づけるアルバムと言えるのかもしれないが、先にも言ったようにこの後バンドは『Music For The Cars』という2部作のもう一枚(既にタイトルは『Notes on a Conditional Form』と決まっている)を今年の早い段階でリリースする予定だという。ここまでのアルバムを作り上げしまった以上、この後は『KID A』のような幽玄の彼方に行くしかないのか。それとも彼らには別の頂が見えているのか。いずれにせよ彼らが選んだ道は長く険しい。しかし彼らは持ち前の器用さ不真面目さでそれを乗り越えてゆくだろう。いつもの如く我々に確か前からそんな感じだったと思わせながら。

 

Tracklist:
1. The 1975
2. Give Yourself a Try
3. TOOTIMETOOTIMETOOTIME
4. How to Draw / Petrichor
5. Love It If We Made It
6. Be My Mistake
7. Sincerity Is Scary
8. I Like America & America Likes Me
9. The Man Who Married a Robot / Love Theme
10. Inside Your Mind
11. It’s Not Living (If It’s Not with You)
12. Surrounded by Heads and Bodies
13. Mine
14. I Couldn’t Be More in Love
15. I Always Wanna Die (Sometimes)

日本盤ボーナストラック
16. 102

The 1975 『A Brief Inquiry Into Online Relationships』 レビュー ~プロローグ~

洋楽レビュー:

The 1975 『A Brief Inquiry Into Online Relationships』 レビュー ~プロローグ~

 

僕たちは本当にクリック一つで地球の裏側まで行けるようになったのだろうか?それでも自分の年齢を知るのは集めたレコードの数だったりコーヒーの種類だったりするのだけど、君が何回あいつに連絡したのかは知らないし、僕があの子に何回電話したのかに至っては本当にどうだっていい。絵の描き方を一度も習ったことはないけど、僕たちは何度もトライアンドエラーを繰り返し気付いたことは嘘はいけないってこと。なのに連中の話すことに一切真実はないし、けれどそれを僕たちは愛さなければいけない。近代化が何ももたらなさいにせよ、それが僕たちがこしらえたものならば僕たちはそれを愛さなければならない。とはいえ何に付け自己言及的な僕は君に僕の間違いになって欲しいとうそぶく。それでも僕たちは友達になれるかな?まさか憎み合って終わったりしないよね?死ぬのが怖い。ちゃんと話し合いをしたい。だから銃は要らない。でもインターネットは要る。インターネットは君の友達。けど恐ろしいことに君がどこかに行ってしまってもインターネットはどこにも行かない。君の大体の事は知っている。加工された写真も知っている。これからも君はきっと上手くやれる。でも僕は本当の君を知りたい。ややこしいことに足を突っ込んで抜けられないなんてことあるよね。君無しじゃ生きている気がしないとか(笑)。そこで僕たちは静かに過ごす。余計なことは話さない。彼女はここでのリハビリをもう一週間続けることにしたらしい。言いにくい事があればジャズの調べに乗せたらいい。ほら、本当の事でも傷付けたりしない。僕は君の時間を無駄にしたって言うけれど、これ以上どうやって愛すればいいのだろう。僕は本当の人生を歩んでいない……、だから僕はいつも死にたい。時々。どうしようもなく生きたい。

これらは全て、the1975というバンドのスクリーンの中の物語。けれどそれは今、世界で起きている出来事。或いは彼らなりのオンライン上の簡単な調査。

追伸:結局、本当に大切なことは僕たちの些細な日常にしかない。時代が変わろうとも真実は毎日の暮らしの中にしかない。個人的な事を正直に話すことこそが(この正直っていうのが最も難しいが)、世界についてを話すこと。

Eテレ 日曜美術館「奄美の森に抱かれて~日本画家 田中一村~」 感想

TV Program:

Eテレ 日曜美術館「奄美の森に抱かれて~日本画家 田中一村~」 2018.12.30再放送 感想

 

毎週録画している番組が幾つかあって、なるべくその週中に観ようと思うんだけど、なんだかんだと観ることが出来ずに録画がどんどん増えていくというのは録画あるある。

Eテレの日曜美術館もそのひとつでついつい観るのが先になってしまう。ということで昨年末に放送していた「日本画家 田中一村(いっそん)」の回も先日やっと観たばかりで、この人のことは知らなかったんだけど、とても素晴らしい画家だということを知って、なんだもう少し早く観ておけば良かったなどと今さらながら思った次第ですが、なんでもこの回は昨年7月の再放送だということで、多分その時はタイトルだけを見てなんとなく削除してしまったんだろうな。こういうのも録画あるあるです(笑)。

田中一村という人は明治41年の生まれで、彫刻家だった父親の薫陶を得、幼い頃から絵を描いていたそうで、一村8歳の頃の水墨画が番組でも紹介されていましたが、子供が描いたとは思えない素晴らしい水墨画。当時は神童なんて呼ばれていたそうです。

長じて、東京美術学校(現東京芸大)へ入学するものの、当時は南画と呼ばれる水墨画は衰退の一途を辿っていたそうで誰も教えてくれる人がいない。加えて家庭の事情もあって退学し、そこからは誰の師事も仰がずに独学で日本画を学んでいったということです。独学と言っても物心両面で支えてくれる支援者もいたり、晩年に奄美大島で生活をする際には地元の人に随分助けられたようで、一村の経歴を見てみると、芸術一辺倒の激烈な性格であったと思われますが、実際は人懐っこく社会性に富んだ人ではなかったかと思います。

とかく日本画というと淡い色調の大らかな絵を想像しますが、一村の日本画は非常に色彩豊かで躍動的。色彩感覚や構図はアンリ・ルソーを思わせますが、ルソーの売りがいわゆる「素人っぽさ」だったのに対し、一村は技術的にも優れていますから非常にリアルです。構図としてはルソー同様ファンタジーの要素もあるのですが、一村は実際にある景色を描いているし、しかも写実的で色鮮やかですから圧倒的に生命力があるわけです。

一村は自分なりの日本画を求める中、旅で九州を訪れます。その時に魅せられた南国の自然の豊かさが後の奄美大島での生活に繋がっていくようですが、結果的には独自で絵を研鑽し誰にも学ばなかった一村の一番の師は南国の自然だったのかもしれません。

一村の経歴をネットで調べてみると、彼は何度も壁にぶち当たってるんですね。展覧会に出展しては落ち、出展しては落ちの繰り返し。今見ると圧倒的な絵ばかりですが、生前はあまり評価されなかったようです。けれど一村はひたすら絵の道を突き進みます。挙句に奄美大島へ移住する。この絵に対する一途さが作品にも表れているような気がします。自分の力で立っている。絵そのものが凛としている。そういう凄みが立ち上がってくるような気がします。

芸術というのは誰かに評価されるためにやっているのではないのだと思いますが、そうは言っても実際には経済的なことだったり社会的な事だったりで、自分の信じる道を突き進むなんてのはそう出来ることではありません。一村の奄美時代の写真を見ると非常に人懐っこい顔をしていて、体質もあろうかと思いますが体も引き締まっていて、やっぱり生命の強さ、美しさが滲み出ている。今も健在の奄美の人々の一村に関する思い出話を聞いていても、とても魅力的な人だったのではないかなぁと想像します。

昨年は田中一村生誕110周年ということで、各地で展覧会が催されていたようです。何でも滋賀県の守山でも大がかりな展覧会があったようで、昨年7月の日美もそれに合わせての放送だったようですね。なんだ、ちょっと遠いけど守山なら日帰りで行けたのになぁと、やはり録画は溜め込まず早くに観るべしと、改めて誓った次第でごさいます。

ちなみにこの日以来は僕はスマホの待ち受けを一村の代表作、「初夏の海に赤翡翠」にしています。この頃の一村の絵はスマホ時代を見透かしたかのように縦長なのでバッチリ(笑)。ホンマ、いい絵やわぁ。

Eテレ 日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ マティス」 感想

TV Program:

Eテレ 日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ マティス」
2019.1.21放送 感想

 

この日の日美は一人の芸術家の魅力をその芸術家を心から愛するゲストと共にその魅力を談義する恒例の「ダンギ・シリーズ」。今回のテーマは「アンリ・マティス」です。

~芸術家の役目は見たものをそのまま描きとることではなく、対象がもたらした衝撃を最初の新鮮な感動とともに表現することなのだ~

これはマティスの言葉です。ま、そういうことです。これで全部言い切っちゃってるから、もう他に言うことないですね(笑)。

僕にとってマティスは好きな部類には入るけど、同時代のゴッホとかピカソに比べてあまり強烈なイメージは持っていませんでした。どっちかっていうと優等生的なイメージ。だから今回の日美も何となく観始めたのですが、番組の冒頭で紹介されたこのマティスの言葉に僕は気持ちを一気に持って行かれました。

マティスといえば色鮮やかな色彩。特に「赤」が印象的です。その「マティスの赤」の魅力について、俳優の津田寛治さん。赤というのは強くキツイ色だけど、マティスの赤はドキッとさせる赤ではなく、逆に温かみを感じると仰っています。これは面白い指摘ですね。番組でも紹介されていましたが、マティスはアクの強い絵を描こうとしていたのではなく、何気ない初めからそこにあるような絵を目指していたとのこと。それを表現するのに敢えて個性の強い赤、反対の意味のもの用いてみる。穏やかな絵を反対のイメージを持つ色で構成してみる。そうすることでかえって本当の穏やかさが表現されるのではないか。マティスはそこに起きる化学反応を試していたのかもしれないですね。

この手法、音楽で例えるとポップ・ソングと同じですよね。悲しい詩に悲しいメロディを持って来ても聴き手には悲しい気持ちしか伝わりません。そこで悲しい詩ならば、敢えて明るいメロディを持ってくる。陽気な言葉ならば暗いメロディを持ってくる。そうすることで不思議な化学反応が起き、聴き手へ届くイメージは大きく広がってゆく。絵についても同様だということではないでしょうか。

マティスは赤を多用しますが、一緒くたに赤と言っても微妙に赤味を変えてくる。例えば下地に別の色を塗ってからその上に赤を重ねたり。アーティストの日比野克彦さんは言います。思考錯誤の末にこれだと思える瞬間がある。それは作家にとって大きな喜び。それが経験値として積み重なってくると同じ手法を用いたくなるが、作家自身の鮮度としては当然落ちるわけで、そこは作家の宿命として崩したくなる。それが一見同じ赤であって印象変えてくるマティスの態度にも繋がっているのではないかと。

マティスの第一次世界大戦の頃の絵は全てがそうではないが、色彩の魔術師と言われる人がキャンバスの大半を黒やグレーといった暗い色で覆い尽くしてしまう。お茶の水女子大学教授、天野知香さんんの話によると、元々あった風景やそれに伴う色彩を上から黒く塗りつぶしてしまっている絵もあるそうで、やはり芸術家は時代と無関係ではいられないのではと考えてしまいますと、司会の小野正嗣さんが言うと日比野さんはこんなことを言います。芸術家は時代に敏感に反応するように普段からトレーニングしているから、やっぱり時代からは逃れられない。とは言いつつ、作家独自の個性はあってそこからも逃れられないから、これはちょっと異質てすね、なんていう絵でも作家らしさは残っている。これも非常に面白い話でした。

晩年のマティスは創作のブロセスを写真に取って残している。素人考えでは、何かインスピレーションが降りてきて、さささっと描いてしまう、しかもマティスみたいな抽象画だと尚のことそう思ってしまうが、実はテクニックの占める割合は相当あるんだと。天野知香さんはこれは後進に対する教育という意味もあったということですが、マティスの芸術に対する考え方がうかがい知れて興味深いです。つまり、芸術というととかく感性で括られがちですけど、修練の部分、技術の部分も多くを占めるのだと。これは芸術全般に言えることではないでしょうか。

最晩年、キャンバスに向かう体力の落ちたマティスは新しい表現方法を獲得します。それが切り絵。図らずもキャンバスや筆から離れることでマティスは絵画という枠組みから解き放たれます。以前から、デッサンと色彩とに乖離を感じていたマティスは色彩によるデッサンという新しいスタイルを獲得するのです。それをマティスは「濃縮された音色」と言っています。

年を取るということは成熟するということではなくて、よりピュアになっていく。以前、あるアーティストがそんなことを言っていたのを聞いたことがありますが、マティスは正にそれを地で行く存在だったのかもしれません。

マティスは教会とその敷地をデザインするという創作も行っています。切り絵といい工業デザインといい、キャンバスに囚われない活動はまるで創作をインタラクティブなものとして捉える現代のアーティストのよう。冒頭の言葉や、異なる組み合わせによる化学反応への期待、テクニックの部分への信頼。そうした印象からもマティスは単に絵画に留まらない総合的なアーティストだったと言えるのではないでしょうか。