この世界の片隅に/こうの史代 再読 感想

ブック・レビュー:

『この世界の片隅に』 こうの史代 再読 感想

 

『この世界の片隅に』をもう一度読みまして。もう一度って言っても前読んだ時からまだ1ヶ月ぐらいしか経ってないんですけど、まぁそれでも1度目ではよく分からなかったところがなんとなく、あ~そうなんかねぇ~ぐらいにはなったような気もして、やはり2度目だと落ち着いて読めたのかなぁなどと思ったりもしています。

1つ目。これは皆もそう思ったかもしれないですけど、やっぱ哲さんのくだり。よく分からないですよね~。ちょっと説明しますと、すずさんの幼馴染に哲さんて方がいて、この人は水兵さんなんですけど、休暇ということですずさんの嫁ぎ先にふらっとやって来て、ていうか確信犯的にやって来るんですけど、この人が子供時代以上に馴れ馴れしくてですね、「すず、すず」って呼び捨てにするぐらいなんですけど、じゃあ今日はすずの家に泊めてもらおうか、なんて言うわけです。そこですずさんの夫である周作さんがですね、「今日は父がおらんですけぇ、私が主です。あなたをお泊めするわけにはいきません」みたいなことを言いまして。ここで読者は、おぉよう言うた周作さん、それでこそ周作や、なんて思うんですが、ところが周作さん、離れというか物置に追いやった哲さんとこへすずさんに行火なんか持たせて、あっちは寒いから持って行ってやれなんて言うんです。あかんっあかんっ、そんなん離れに二人きりにしたらあかんやんか!なんてこっちは思うわけですけど案の定哲さんはすずさんに言い寄りまして、おぉ~っ、お前ら何しよんね~ん!って展開になるわけです。結局すずさんが、うちは周作さんが好きですけぇみたいなことを言って事なきを得るんですが、それにしてもですよ。おい、周作!あんた何で大好きなすずさんを差し出すような真似やったんやって思うわけです。

ただこれがですね、読み返してみるとなんか分かるような気がしてきまして。だって周作さんにしたってすずさんが好きで、何も知らんすずさんを無理やりって言ったらあれですけど、もしかしたらすずさんにいい人がおったかもしれんけど、それを嫁に貰ったわけで、そういう意味じゃ周作さんには負い目みたいなのがあるわけです。で哲さんとすずさんは幼馴染で傍で見てたら仲がいいのは分かるし、哲さんは水兵だからいつ死ぬか分からんし、わざわざすずさんのところに来たってのは今生の別れを言いに来たんだというのはそりゃ誰にだって分かるし。それが周作さんの優しさって言ったらそんなの優しさじゃねぇなんて言われそうだけど、自分の負い目もあるだろうけど、すずさんと哲さんのこと考えたら周作さんは人の気持ちに敏感な人だからついそうするのが一番いいんだなんて。他人から見たら絶対いいわけないんですけど、当事者はですね、周作さんはすずさんが好きだからそういう時はそう考えてしまうもんなんですよ。

ていうかこの行ったり来たりな頼りない男の微妙な心情をこうの史代さんはよく描けるなと。表情もそうですけど、微妙な心の動きをホントに丁寧に描くんですね。だからやっぱこうの史代さん自身も他人の感情に敏感な人なんだろうな~と勝手ながら偉そうに思ったりしました。

あと終盤の方で義姉の径子さんがすずさんに、あんたの居場所はここなんやからここにおったらええ、みたいなことを言うのですが、2度目読んだ時にはここが凄く印象に残りました。すずさんなりに思い悩むところがあって、でもそれは夫である周作さんにも十分に分かってもらえずに、そこでキツイ性格の径子さんがすっとすずさんに吐くセリフがね、全然ドラマチックじゃないところがまたええですよねぇ。

でまぁそういうところを見ていくと、こうの史代さんはやっぱり詩人だなぁと。これは中盤の話だったか、土手ですずさんが海というか軍用艦を見ていて、そこへ周作さんが仕事から帰ってきて、落ち込んでいるすずさんの頭を撫でようとするんですね。でもすずさんは周作さんの手を振り払う。周作さんは撫でようとする、すずさんは振り払う、そんなことを繰り返す描写があって。で後で分かることなんですが、実はすずさんの頭には10円禿げができていたっていうオチがつくんですけど、でも本当はね、もしかしたらすずさんが周作さんの手を振り払ったのは10円禿げがバレるのが嫌だったというよりも、別の意味があったんじゃないかって、そういう行間があるんです。

だからあらゆる場面でそうなんですけど、こうのさんはこの辺をクドクドと説明したりしない。絵でもって、前後の動きでもって表現するんですね。だから読む人によって色んな解釈が出来る。読む場所や時によって違う見え方がする。つまりはポエジーなんです。世の中には言葉で説明できないものがあって、それを言葉で説明するのではなく、ポエジーという目には見えないものを立ち上がらせることで過去にあった情感や思いを現出させるやり方がある。言葉では説明できないものを表現するのが詩人であるならば、こうのさんも詩人なのだと僕は思いました。

てことで2回も続けざまに読んだんで、まぁしばらくは読まないかなと。といいながら、来年には映画の再編集版が上映されるそうで、僕は「片隅」ビギナーなんでスクリーンではまだ一度も観たことがなく、再編集版であろうと何であろうと今から楽しみで仕方がないんだけど、そん時にはまたこの原作を読み返すかもしれないなぁと。そんな具合にして、結局この物語はいつまでも終わらないものなんだと思います。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)