タペストリー

ポエトリー:

「タペストリー」

しあわせ折れる
ふしあわせ 綴れおり
タペストリー 仕舞い込んで
しわは褪せ 踊る

瞼の上 大げさな太陽
染み込んでは 一度に吐き出す
ぐらいのまね してみるんだお前
吐かなかったろ ゆうべ

めぐり合わせ ていうものがこの世にあるなら
次第に遠ざかる太陽 次に現れるの
いつになるん
たるんだ瞼 一度に吐き出してみるんだ

間違っても 思い通りにならない
珍しい生き物飼って 
それで手痺れる

写実な実験を課す
生え際から もらい泣きする輩
もらいなさい
適度にもらいなさい

小細工や小癪な真似通して
うろ覚えの手、握る
徹頭徹尾 私たちが選んだ人生の荒縄
ほどく手指抗うほど伸びやかな
強く引き締めた手綱

マグネットコーティングされた機体を
白熱する有機体を
混ざれ 混ざるな
生ぬるいかんしゃく玉を
はじけ はじけるな

十年くらい前の気持ち ここに集めて
おかわりする気持ち たしなめてください
第一発見者になる能力 ささやかな憂鬱
位置情報で確かめてください

今はどこだか分からぬまま塞ぎ込んで
ふしあわせ 指折り数えました
タペストリー 全部折り
ミリ単位で
つなぎ留める

2021年4月

The Shadow I Remember / Cloud Nothings 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『The Shadow I Remember』(2021)Cloud Nothings
(ザ・シャドウ・アイ・リメンバー/クラウド・ナッシングス)
 
 
前作『The Black Hole Understands』(2020年)をYoutubeでタダで聴いたので、今回はちゃんとCDを買いました(笑)。日本盤にはボーナストラックが付いていて、#2『The Spirit Of』と#6『Open Rain』のデモトラックです。この2曲のデモはリモートで作られた前作とニュアンスが似ていて、ボーカルが大人しめ。前作を気に入っていた僕としては最初、本編よりも軽めのこっちの方が良かったりもしたんですけど、何回も聴いてるとやっぱ本編の荒々しい感じが好きになりました。そりゃ当然か。それにしても、、、日本盤をせっかく買ったのに対訳付いてないやんけ~。
 
キャリア20年の8枚目だそうです。名前は知ってたんですけど、ちゃんと聴いたのは前作が初めてでして、まぁビックリするぐらいキャッチーですね。基本荒々しいパンクなんですけど、曲がことのほかチャーミング。このギャップが彼らの魅力でしょうか。う~ん、クセになる。
 
僕は直近の2作しか聴いていないのでよく分かりませんが、多分今までもそうだったんでしょうね。だからその時々でサウンド的な変遷はあるのだろうけど、やっぱ売りはこの愛らしいメロディですよね。しかも今回は特に敢えて短い3分の中に長尺の曲のような変化をつけようと取り組んだみたいですから、尚更。ここがやっぱり彼らのストロング・ポイントなんだと思います。
 
それにしても、キャリア20年でこれだけ瑞々しいメロディを書け続けるのはちょっと異質な才能だ。ボーカルないとこのメロディも抜群で、しかも未だに早い曲ばっか。デビュー間もないみたいなナチュラルなざらつき。とうに初期衝動とは違うところで作曲をしているのだろうから、なにか秘訣があるのかもしれない。この技術、もっと注目されてもいいかも。
 
ソングライターのディラン・バルディなる人物、パッと見は垢ぬけない髯モジャ男だが、その中身は未だに瑞々しさを保ち続けているのか。やはり凄いギャップだ。

共感

ポエトリー:

「共感」

 

君によせた共感の
ほんの一ミリでもちゃんと伝わっていればいいのに
君の傾きを少しでも思い止まらせることができたらいいのに
なんて
夜の無責任
はな紙みたい

 

2021年3月

くるりと現在の日本のロック・シーンと今年のフェス

その他雑感:
 
 
Youtubeを開くと、くるりの新曲が現れた。タイトルは『I Love You』。と言ってもくるりのことだから、通り一遍のI Love You ではないようだ。3回ほど聴いたけど、まだ何もわからない。今月末にアルバムが出るようだから、そこでしっかりと聴きたいと思う。とか言いながら僕はくるりのアルバムを1枚も聴いたことがない。シングルをつまみ食いしていた程度だ。それがなぜか今回、アルバムが出ると聞いて迷わず購入するをクリックした。
 
くるりは僕が大学生の頃にデビューした。20数年前のことだ。以来、メンバー変更をいとわない野心的なチャレンジを経て、今も一線で活躍している。僕はくるりのアルバムを一枚も持っていないけど、ずっと気になる存在ではあった。くるりの岸田繁は僕と同世代だ。その岸田繫が未曾有のこの一年を経過して出すアルバム。どんなサウンドでどんなメロディで何を歌うのかを聴きたい。
 
思えば、くるりがデビューした90年代の中盤から後半にかけては多くの素晴らしいバンドが登場した。グレイプバイン、ピロウズ、トライセラトップス、サニーデイサービス、TOKYO No.1ソウルセット、スーパーカー、他にも数え上げればキリがない。一般的にはミスチルやGLAYといった巨大な存在に隠れていたが、彼らはJ-POPとはまた別の今に至るオルタナティブな日本のロックの大きなうねりを作り上げた。
 
昨年はフジロック、スーパーソニックが開催されなかった。海外からミュージシャンを呼ぶことが出来なかったということもあるけど、そもそもライブ自体が行われなかった。しかし今年は違う。先ずはフジロックの開催が発表された。出演するのは日本のミュージシャンだけだ。勿論それもコロナ禍が落ち着いていることが前提にはなるが、恐らくスーパーソニックも日本人だけでの開催へ向かうだろう。
 
ひところの日本のロックと言えば、アジカンやバンプの焼き回しみたいな似たようなバンドばかりだった印象がある。けれど今はどうだ。 このブログでたびたび取り上げている折坂悠太、カネコアヤノ、中村佳穂、羊文学。一般的は知られていないが、彼らのライブ・チケットは入手が困難なほど盛り上がってきている。まだ他にも沢山いるし、マスで言えば、髭ダン、King Gnu もいる。音楽に年齢は関係ないというけれど、この数年で幅広いサウンドの若い才能がどんどん出てきている。
 
勿論、海外のミュージシャンは観たいけど、今年に限って言えばフジロックもスーパーソニックも日本のアーティストだけで十分やっていけると思う。今の日本のロック・シーンはそれぐらい質と量ともに充実している。90年代の中盤から後半にかけてのあの黄金期に勝るとも劣らない活況期。彼ら先行する先輩とここ数年に現れ始めた新しい才能。であれば海外勢がいなくても僕はフェスに行きたい。
 
 

輪廻

ポエトリー:

「輪廻」

 

支えられる輪廻
ふた口めをスプーンにすくう
ぼくに出来ること
きみへの目覚め

少しおどかしてほしい
可愛らしいまつ毛におどる
台風のようなひとみ
渦の真ん中には一点
支えられる輪廻

向かわせてほしい
川は流れず吹きこぼれる
スプーンに三口めをすくう
音がして君のうちへ入る

 

2021年1月

When You See Yourself / Kings of Leon 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『When You See Yourself』(2021年)Kings of Leon
(ホエン・ユー・シー・ユアセルフ/キングス・オブ・レオン)
 
 
前作の『Walls』が2016年だったので、5年ぶりということになるが、全くそうは感じない。キングス・オブ・レオンは大体いつもそんな感じで、忘れた頃にあぁそういえばという形で新作がリリースされる。それでも出たら出たで年間ベストにしそうになるほど気に入ってしまうから不思議。でも時間が立ってみるとそうでもなかったり。今回も久しぶり、で気に入ってほぼ毎日聴いています。そのくせ待ち焦がれ感0。僕にとってキングス・オブ・レオンとはそういうバンドである。
 
そういうバンドは他にもある。ステレオフォニックス。なんだかんだ言ってこの2組は新作が出たら必ずチェックしてしまう。どちらもどっちかっていうと地味なバンドだ。でも間違いない。盤石だ。毎回特に目新しいことはないが、あの声とあのバンドの演奏はそれ以外の何物でもない。どちらも泥臭い男4人組。今時こんなロック・バンドは珍しい。とか言いながら、キングス・オブ・レオン、前作に続き全英1位。
 
キングス・オブ・レオンのアルバムには毎回、キラー・チューンが2、3曲入ってる。今回で言えば、#5『A Wave』とか#6『Golden Restless Age』なんかがそうだ。中でも#10『Echoing』は白眉。彼らの曲って演奏もそうだけど、馴染みがいい。もしかしたらどっかで聴いたことある?っていう。良い曲にはあらかじめノスタルジーが宿っていると言うのを聞いたことがあるがまさしくそれ。つまりこちらが求めているサウンドを期待通り奏でてくれるということ。そうか、#10『Echoing』が一番好きなのはそういうのがいっぱい詰まっているからか。
 
勿論基本的によい曲を書くのだろう。演奏も上手いのだろう。でもあからさまじゃない。なんとなくいい。琴線を突いてくる。あの声だし、抜群のギター・フレーズだし、勿論ベース・ラインも畳みかけるドラムも。でも多分それらはビッグ・マックじゃない。フィレオフィッシュぐらい。ただ久しぶりに食うとやっぱオレ一番好きなのフィレオフィッシュかもって。そして時間が経つとそれも忘れちゃう。ビッグ・マック派手だしね。
 
僕は自分で思ってる以上にキングス・オブ・レオン好きかもしれない。そこで『Walls』(2016年)、『Mechanical Bull』(2013年)と遡って聴いてみた。うん、やっぱり好きだ。これ、絶対ライブ楽しいで。
 
キングス・オブ・レオンとステレオフォニックス。ともに待ち焦がれ感0。でも新作が出たら嬉しくなる。恐らく僕が頭に描くロック・バンドとはこういうバンドなんだろう。

ポエトリー:

『線』

会いたくなると 凍えるの 吹きだまり 水色の 当てもない交差点 見上げれば ほら みんなが知っている水色 空 それなのに 頑なに こらえる心と体が一致する 夕刻まで待てないと あなたも一緒でしょ 一瞬で 夕闇にうっとりする人 もがき苦しむほど 場違いなはらわた 煮えくり返り おまえのせいだ おまえのせいだ とせっつく 軽く口止めする 輩 柔な瞳につっかえて 今晩のおかずは スーパーに立ち寄る秘密 冗談でいいから コロッケひとつ おまけしてください 真面目に話しかけると スーパーの店員の笑顔を鳴らし それでも雲の形は 変わらない もしくは変われない 水溜まり それを写す鏡 水色の空を見下ろし 派手に歪んだ似姿が ぼんやりと海の彼方へ あなたの方へ 帰りたい 帰りたいのと呟く 私の色は かまわないで足踏み 見上げれば 当てもない交差点 苦手な骨格が現れる 私の線がそこにある

2021年2月

Evermore / Taylor Swift 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Evermore』(2020年)Taylor Swift
(エヴァーモア/テイラー・スウィフト)
 
 
 
『フォークロア』に続くサプライズ第2弾。『フォークロア』とほぼ同じメンツによる続編です。なんにしても『フォークロア』全17曲、『エヴァーモア』全17曲、短い期間にこれだけの曲を作り上げる旺盛な創造力が凄まじい。しかも全部ちゃんとシングル切れるぐらいの完成度なんだもんなぁ。今更ながら、テイラー・スウィフト恐るべし。
 
つまり彼女は純然たるソングライターだということで、デビューは育った環境のせいかカントリーという船出だったけど、作品を重ねるごとに新しいサウンドに取り組んで、ていうか彼女ぐらい巨大になると自分の意向だけでは済まないだろうから、レーベルとのすり合わせもあるだろうし、ただ今となって思うのは、その中でサウンド云々というのは特別なこだわりというのは無かったんじゃないかな。
 
もちろんそんな簡単は話ではないだろうけど、彼女にはやっぱりこの圧倒的なソングライティングがある。ソングライター・チームと組んで何人かで、っていうことも時にはあるだろうけどそこは彼女が絶対的な主導権を取る、譲れない線としてあったのはそっちだったのかなとは思います。
 
だから『フォークロア』と『エヴァーモア』の2部作というのは、もちろんアーロン・デスナーを中心にしたザ・ナショナル周辺とのコラボレーションというのが大きなトピックではあるけれど、後年に彼女のキャリアを眺めた時に、ここはテイラー・スウィフトのソングライティングの爆発期というべき見方もできるんじゃないかとは思います。しかもどんどん深化していくという。
 
つまり『フォークロア』は初めに聴いた時はその新鮮さに驚いた。けど、やっぱりそれまでの彼女のソングライティングの流れではあったと思うんです。『エヴァーモア』と比べると明らかにキャッチーだし、ストリングスでの盛り上げであったり、今聴くとやっぱりマーケットを賑わせてきたテイラーの作品だなという感じはある。それが『エヴァーモア』になると純化していく、キャッチー云々とは違うところでソングライティングしている、ウケるウケないという雑念とは関係のないところで曲が出来てあがったんじゃないかなという気はします。
 
そして『フォークロア』はやっぱりアーロン・デスナーとタッグを組んだ、ボン・イヴェールを招いた、という個々が組み合わさったという印象がある。けれど『エヴァーモア』に至っては混ぜ合わさっている、コラボレーションというより一体化している、もっと言うとテイラーが完全に取り込んだ、テイラー印のサウンドになっているということだと思うんです。だから『フォークロア』でグラミー賞は獲りましたけど、実際のこのコラボレーションでの達成は『エヴァーモア』にあると僕は思います。だからどっちかと言われると僕はこっちが好きですね。
 
このアルバムは通勤時にSpotifyでよく聴いていたんですけど、僕はCDも買っていたので後からCDで聴くとですね、家のしょぼいコンポですけど、全然CDの方がいいんです。やっぱり端末だと聴こえない音がちゃんと聞こえるし、空気感というか空気の泡だとかがちゃんと感じられる。サウンドがサウンドなので、端末を通してでしか聴いていない人がいたら、是非CDでも聴いてもらいたい。このアルバムがまた違う形で見えてくると思います。

詩に触れる

詩について:

『詩に触れる』

 

仕事でも趣味でも長く続けていると時折気付きが訪れます。世間的にはどうか知らないけど、そういうことか、こうすればよいのかという自分の中での新しい発見。誰にもそういう経験はあると思います。

僕は下手な詩をもう10年ほど書き続けていますが、僕なりの発見はこれまでに幾度か訪れました。先日のテレビ放送『SWITCHインタビュー 達人たち ~ 佐野元春×吉増剛造』もその一つです。内容については既に記載しているので省きますが、これは自分にとって得難い気付きでした。

そこで吉増剛造さんの詩を、もちろんこれまでも詩のアンソロジーや雑誌やなんかで吉増さんの詩に触れることはあったのですが、ちゃんと詩集を読んだことはなかったので、番組で吉増さんが朗読していたあの『黄金詩篇』、これを読みたいと思って、早速Amazonで検索したんですけど無いんです。番組終わりによくある皆が殺到して売り切れとかそういうことではなく、恐らくもう刷っていない。取り扱い外になってるんです。

番組終わりに僕と同じように吉増さんに興味を持った方、たくさんいると思うんですけど、こうやって現代詩への接近の機会を失ってしまうの、非常に残念です。今はネットで著作権はどうかは知らないけどアップしている人もいるし、吉増さんの他の詩集であったり、簡単にまとめたものがあるので是非、多くの人に吉増さんの詩を手に取ってもらいたいですね。

これはずっと前の僕の気付きでもあるんですけど、詩を書く力と読む力は繋がっているのではないかということ。これは詩に限らず、短歌や俳句も、或いは音楽や絵画もそうかもしれません。鑑賞する能力とそれに取り組む能力は互いに影響し合っている、そういう部分があるんじゃないかと思っています。

現代詩、非常に難解ですよね。でも頭で追っかけていかなくていいと思います。理解したという証を求めなくてもいいと思います。とはいえ、あまりにも取っ付きにくい。だからこそ触れる機会を持って欲しい。多分これは慣れだと思うんです。僕たちの日常に溶け込んでいれば、どんな難解な詩であっても何となく肌で感じていればそれでオッケー、人がどうかでも作者の意図がどうかでもなく自分はこんな感じ、というのを気軽に持てるようになれば、多分それが文化だと思うんですが、そうなればとても嬉しいです。

ですので現代詩という今の時代において随分と遠くに離れてしまったものに対して出来るだけ多く人に触れて欲しい。目に馴染んで欲しい、そう願っています。ビカソの絵を初見で見てもなんのこっちゃだと思うんですが、有名ですからもう目に馴染んでいますよね。誰でも何がしかの感じることはある。でもいちいち理解の証を求めないですよね。そういう風に現代詩とも気さくな関係を築いていければ、そしてやがて短歌な俳句のように自分でも気楽に創作していける関係になれば、詩を好きな人間として、こんな嬉しいことはないですね。