夜が来たら

ポエトリー:
 
「夜が来たら」
 
 
何度も
耳の奥で繰り返す
今日のこと
 
夜が来たら
君ですら眠たくなるよ
だからもうおやすみ
あくる日の天気は
神さまにゆだねよう
 
ぼくたちははまた
大事なものから離れている
まだ気づいていないけれど
ぼくたちはきっと
眠りたりない
 
だからもうおやすみ
あくる年の天気は
神さまにゆだねよう
 
 
2023年12月

グッド・パイレーツ

ポエトリー:
 
「グッド・パイレーツ」
 
 
ぼくたちは日に夜をついでやってきた
時間にせいげんがあったが知らないふりをした
彼女はたまごスープのようになめらかだった
ひとくちで飲みほすことができるくらいだった
 
ぼくたちはにぎやかだった
しまいにはおとなりさんに叱られた
それでもカーテンをしめることはなかった
すべて野放図だった
 
いいかげんあたらしい朝がきた
おしまいのベルが鳴った
ぼくたちは短いかいだんをのぼる覚悟ができていた
家をたてたのはそれからしばらくしてのことだった
 
引っ越しはなんじゅうをきわめた
なぜなら二人にはもちものがたくさんあったから
手ぶくろだけでも五組あった
フライパンだけでも六つあった
 
ぼくたちはそのどれひとつも落とすことはなかった
ぼくには彼女のこのみが分かっていたし
彼女もぼくのしゅみが分かっていた
それが二人のあいしょうだった
 
気がはやいけどいずれどちらかがはやくに死ぬ
それまでにじゅうぶんにくらしたいと思う
おだやかに押したり引いたりしながら
あせったりのんびりしながら
 
なにもかもうまくいくことはないけど
ただ大事なことは
彼女はかかとがカサカサにならないように
ぼくはしょっちゅうせきこまないように
 
ときおりいらぬ心配をしながら
カーテンをしめるのもほどほどに
コラーゲンはしっかり摂って
時間せいげんもたっぷり使って
ぼくも彼女も知らないふりをするつもり
どちらかがとちらかを分からなくなっても
知らないふりをするつもり
 
 
2023年12月

感覚は道標 / くるり 感想レビュー

邦楽レビュー:

『感覚は道標』(2023年)くるり

 

くるり14作目のオリジナル・アルバムです。今回のメンバーはデビュー当時、要するにくるり結成時のメンバーだそうです。くるりはメンバーの出入りが結構あって、音楽的にも変わったことやってる人たちというイメージがあります。岸田繫の才能に任せてって感じですね。そんなくるりがデビューから25年経って元のメンバーに戻って作りあげたのが今回のアルバムだそうです。

さっきも言ったようにくるりは変態的な音楽をやっているイメージがあるんですけど、このアルバムはいたく真っすぐなロック・アルバムです。メンバーがメンバーだし原点回帰ってことでしょうか。とは言えそこはなかなかどうして一筋縄にはいきません。ずっとあれやこれやと色んな事に取り組んできた流れがあっての真っすぐなロック・アルバムですから、ものすごく聴きごたえがあります。積み上がってます。聴く人が聴けばこれもやっぱり変態的なんでしょうね(笑)。

でも不思議とすごく爽やか。デビュー・アルバムみたいに爽やかです。アルバム・ジャケットがなんじゃこれはという感じでオッサン3人が、ま、くるりのメンバーなんですけど(笑)、3人がただ座ってこっちを向いてるだけの写真なんですが、オッサンやのに不思議な爽やかさがある。アルバムを象徴するいいジャケットだと思います。なんか面白いアルバムです。

ピカソとか岡本太郎も実はちゃんとした絵を描けば凄いのを描くのだと思います。しかもめちゃくちゃ上手に描けるうえに、積み上げたものがあるから更に凄いことになる。言ってみればこのアルバムもそんな感じです。いろいろな取り組みをしてきたんだけど、初心に帰ってシンプルにバンドでジャムってみたら、初心だけでは絶対できないようなプラスアルファの凄いのができた。あと、岸田繫の持っているコマーシャルな部分が素直に出てきてるから、それこそ若い子に混じって歌番組で歌ってしまえるぐらいのポップさもある。デビューして25年経ってなお、こんなに爽やかでポップなアルバムを作れるんだからすごいバンドです。

ことば、いし

ポエトリー:

「ことば、いし」

 

たとえば
そこらじゅうの
いしを
あつめ
おとを
あたえ
いみを
あたえ
かたちを
あたえ
ことばは
なりたち
わたしたちの
くらしや
かいわ
なりたち
それがすなわち
ひとっとびに
いっちょくせんの
ことばの
たびだち
わたしたちも
たびたび
てをかし
ときには
しでかし
あたらしいと
ふるいを
くりかえし
めにみえる
あるいはめにみえない
そこらじゅうの
いし
ひとりあるき

2023年10月

冬のはじまり

ポエトリー:

「冬のはじまり」

 

少しずつ大事にあたためてきたのに

いつのまにか繭になって

ほどけなくなりました

いつか

あなたを暖める編み物ができればよいのだけど

 

わたしたちの夜空には

満天の星と寒風

翌朝の舗道は濡れていて

 

2023年11月

オンしたりオフしたり

ポエトリー:

「オンしたりオフしたり」

 

無限に起きることがない代わりに
スイッチをオンしたりオフできる乗り物があったら
ぼくは一生をかけてきみにたどり着けるだろう
磨いたらきらっと格段に光る乗り物
やればできる子
そんな魔法のスイッチを
自在にオンしたりオフしたりする回路を手に入れて
目指すは人工の池、花と緑の大地の

ささくれ立った根性その他、
良からぬものをジェット噴射し
ぐんぐん進むことにして
もうじきコントラストが
赤やら黒やらのコントラストがきみに向かうのを知る

知っているから
とりいそぎ大事な荷物をひとまとめにして
昨と日のあいだはふれないように
明と日のあいだはさわれないように
そりゃあめいっぱい気をつけて
ぼくは一生をかけて大事なきみに会いにいく
無限に起きることがない代わりに
することがめいっぱいある
今は今と日のゆらぎの中にいて
スイッチはオンしたりオフしたり

 

2023年10月

なんて特別なことだ

ポエトリー:

「なんて特別なことだ」

 

なんて特別なことだ
今夜きみに羽が生えだしてきて
今にも飛べそうだ
これだから人生はやめられない

まだ見ぬ風景があるのだと
しかしそれさえ人から見れば控えめなこと
難しがることなんてなく
なんならもう空中

たとえば
人から見れば星くず
もしくは砂粒
それでもかまわない


コップ一杯の水を飲んで身支度
なにかいつもと違う気がして
今夜にも羽が生えだしてきそうだ

 

2023年10月

溶けてなくなる前に

ポエトリー:

「溶けてなくなる前に」

きみはわたしの声を秒単位で欲しがる
溶けてなくなる前に
早く次のを放り込んでおくれ
でないと声を失うと

そんなにも欲しがるならば
なぜあのとき
日が陰るあのとき
待ち合わせの場所にきみは来なかったのか

冷たい夕に
わたしはひとり凍えていたのだ
きみが
秒単位で欲しがるのと同じに

わたしも
ちいさなひとりの人間だということを
知ってか知らずか
あいも変わらずきみは秒単位で欲しがる

溶けてなくなるのはなにも
きみばかりじゃないというのに

 

2023年10月

Eテレ 司馬遼太郎 雑談 「昭和」への道 感想

TV program:

司馬遼太郎 雑談 「昭和」への道

 

今、NHKのEテレで司馬遼太郎生誕100年の特番をしていて、1986年だったかな、『昭和への道』という、まぁあの戦争に向かって日本が狂っていた時代ですね、あれはなんだったのかというところをメインに司馬遼太郎が話をしているという当時の番組の再放送をやっていて、その第6回だったかに戦争期の日本に蔓延していた、特に軍人やメディアで非常に誇大な言語表現がなされていた、かつてない言語量を使ってしかも漢文のような古い言い回しなんかも多用しながら大袈裟な言語表現をしていたわけですけど、それを司馬さんは実態のない言葉と言ってるんですね。中身が空っぽで空虚だと。だって日本はヤバいなんていう本当のことなど言えやしないんだからつい誇大な表現でごまかす、糊塗する。まぁ愚かな時代ですけど、この中身がない、実態がないからつい言語表現は大袈裟になるっていうのは、司馬さんは当時の政治家のスピーチを例にとって、実体がない、言っている本人に実感がないからああいうもったいぶった大層な言い方になると言ってましたけど、本当にそうだなぁと、今も変わらないなぁと、やっぱり大袈裟にいいこと言う人は信用なりませんよね。

ここで話は僕の意見、別の方向へ行きますけど、日本の漫画は世界でも人気で評価も高いわけですけど、日本の漫画、アニメ、特撮なんかもそうですけど、ヒーローものの場合だいたい必殺技がありまして、ライダーキックとかブレストファイヤーとかですね、もう初期の頃からあるわけです。今じゃもうさらに進んで、「全集中、水の呼吸、一の型、なんとかなんとか!」みたいな何個あるねんっていうぐらい決め台詞があってですね、もうそういうのが日本人はいちいち大好きで、僕も「キン肉マン」とか「北斗の拳」とかの世代ですからそういうのに熱狂してたんですけど、まぁあれもですね、技名がとにかく大袈裟でなんのこっちゃ意味の分からないものもいっぱいあるんですけど、なんかそういう誇大表現に納得してしまうというか、「廬山昇龍波!」なんて言われると、わぁスゲーって興奮してしまう。やっぱ日本人は意味はよく分からんけどなんか凄そうな名前だったらそれでよしとしてしまう気質があるんじゃないかと。アベンジャーズにヒーローはいっぱい出てきますけど、それぞれのキャラが必殺技名を連呼しまくるってないですからね。

あともう一個言うと、これはもう前から思っていたことですけど、いわゆるJ-POPですね、これも熱い表現とか大層な言い回しが好きなんですね。君を守るとか君を助けるとか、ま、そんなこと現実的でないですよね、これもやっぱり実体がない。本当に助けるとはどういうことなのか、本当に守るとはどういうことなのか、そこの実体がないから無邪気に大声で歌えるのだと思います。それなりの現実認識、要するに実感があればもう少し違った表現になると思うんですけどね、でも聴いてる方もそれで熱狂してしまう、涙流して感動したりするわけです。僕は海外の音楽も沢山聴きますけど、僕の知っている限り海外にああいうド直球な応援歌ってないんじゃないかな。これも日本独特の文化だと思います。

だからまぁ、日本人というのはこういうポップ・カルチャーの分野においても大袈裟な表現、今で言うエモい物言いについ引っ張られてしまう傾向があるんだなと。なので、司馬さんの番組、あれは昭和のことを言ってますけど、今だって根本は変わっていなくて、中身のない、実感のない言葉に引っ張られがちな国民であるんだということを番組を見ながら、もちろん自分も含めてですけど、改めて思いました。