Sour / Olivia Rodrigo 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Sour』(2021年)Olivia Rodrigo
(サワー/オリヴィア・ロドリゴ)
 
 
20数年前に圧倒的な新種として宇多田ヒカルが登場したときも、二匹目の鯛を狙ってか彼女に似たような売り出し方をされた新人が数多くいた。見当違いの売り出し方をされた当人はさぞ迷惑だったろうと推察するが、「Driver’s License」のメガヒットで第二のビリー・アイリッシュと目されたオリヴィア・ロドリゴであるけれど、待ちに待たれたデビュー・アルバムの1曲目にレーベルの反対を押し切って’90年代オルタナ・ロック風の「Brutal」を持ってきた彼女のキャラクターによって、第二のビリー・アイリッシュとしていつの間にか消えていくという危惧はすっかり吹き飛ばされた。
 
長くティーンエイジャーの代弁者であったロック音楽はその王座をヒップホップに完全に奪われ、2010年代は見る影もなくなった。しかしサブスクの普及とともに、音楽志向の多様化は急激に進み、90年代に青春期を過ごした僕でさえも分け隔てなくケンドリック・ラマーやリトル・シムズを聴く時代。若い世代ではなおさらだろう。そして2020年代を迎え残ったのは廃ることのないシンプルで優しいメロディ。そのポップ・フィールドでの代表がビリー・アイリッシュなら、インディ・ロックの代表はスネイル・メイル。そしてメイン・ストリームに登場したロックがマネスキンであり、オリヴィア・ロドリゴだ。
 
クレジットを見るとソングライティングはほぼオリヴィア本人とNigroなる人物との共作(#8「Happier」と#9「Jealousy,Jealousy」はオリヴィアの単独作)。どこまで彼女が主導しているのかは分からないが、皆が大好きなアヴリル・ラヴィーンのポップ・パンクとパラモアのエモとテイラー・スウィフトの詩情とビリー・アイリッシュのゴシックが初めから搭載されたオリヴィア・ロドリゴは、まるで子供の時からスーパーサイヤ人になれたトランクスと悟天のようで最強。スーパーサイヤ人2や3を期待する周囲は気にせず、自由に羽ばたいて欲しい。
 

I Don’t Live Here Anymore / The War On Drugs 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『I Don’t Live Here Anymore』(2021)The War On Drugs
(アイ・ドント・リブ・ヒア・エニモア/ザ・ウォー・オン・ドラッグス)
 
 
ウォー・オン・ドラッグスの場合、いつもブルース・スプリングスティーンが引き合いに出されるが、本当にそうだろうか。ウォー・オン・ドラッグスにはサックスもオルガンもないし、なによりあの派手でエネルギッシュなボーカルはない。それでもやっぱ似ていなくもない。と考えていると、あぁそうだ、90年代のスプリングスティーンがEストリート・バンドから離れた『Lucky Town』や『Human Touch』の時期、あの頃の雰囲気はあるかもしれないと。でもそれってブルース唯一の低迷期や~ん。
 
ま、でもそうではなくて僕のイメージではオルタナ・カントリー、ウィルコの並びですね。ただウィルコほどの洗練さはなく、もっと土臭い、ハートランド・ロックなんて言われていますが、でもその分野で考えても、ウォー・オン・ドラッグスはちょっと違いますね。サウンド的にはエレクトリカルな部分もあったりかなり新しいことをしているのだとは思いますし、あぁそうだ、やっぱ彼らは土臭い田舎が嫌で都会でなくともいいからとにかく別のところへ行きたい感はあるかも。ってことで僕がわりかし彼らを好きなのは同じく閉鎖的な地元から早く抜け出したかった自分と合致するのだなと、あぁ、ここにきて合点がいった。
 
しかもこのアルバムでは更に聴きやすくなっている。気づいたら、親密なバンド感もあるし、2020年代的なポスト・ロックとしても側面もあって、かなり守備範囲の広いアルバム。なんてったってメロディがいいし。あとはもうクセがなさそうでクセがあるボーカルに好き嫌いが分かれるぐらいだろう。なんだそれ、ダッド・ロックじゃんって思わせながら、そういうのとは対極にある実はめっちゃ新しいロックじゃないかこれは。ビリー・アイリッシュやオリヴィア・ロドリゴと並べて聴いても違和感なし!

2021年 洋楽ベスト・アルバム

「2021年 洋楽ベスト・アルバム」
 
 
2020年がコロナに萎縮した年だったとすれば、2021年は様子見をしながら少しずつ動き始めた1年ということになるだろう。とはいえ、今年も海外からミュージシャンを呼ぶことは出来ず、洋楽ライブはほぼ無し。この状況に慣れたと言えばそうかもしれないが、それはそれで内向き思考が促進されるようで、やはり僕としては生きる上で「外に出る」気持ちは保ち続けたい。2022年は洋楽ライブが復活するのだろうか。
 
今年は国内のミュージシャンを聴こうキャンペーンを個人的に発動していたのだが、終わってみればたった5枚のみ。ただ、僕が20代の頃に聴いていたくるりやグレイプバインが今もめちゃくちゃカッコいいというのを知れたし、羊文学という新しい才能を知れたので、このプチキャンペーンも意味はあったのかもしれない。2022年も意識的に国内ミュージシャンを聴こう。
 
洋楽の方に目を向ければ、今年は初めて聴く人たちが多い年だった。つまり新しい才能が沢山いたということだが、中でもロックが多種多様で楽しかった。所謂UKサウス・ロンドンもそうだが、2021年はやはりマネスキン。最初はパロディかと思わせつつもアークティックっぽさもあれば高速ラップもふんだんに、完全に今の時代にこそ現れた新種のような輝き。外見はハデハデだが中身は柱なみの揺るぎなさで、まるで宇随天元のようだなと思いつつ、2022年は生マネスキンを体験したい。
 
さて2021年の個人的ベスト・アルバムはどうしようかなと、僕がアルバムを聴くたびに付けていた点数を振り返ってみると、10点満点はテイラーさんの『Evermore』(2020年末だったので2021年としてカウント)、くるり『天才の愛』、ウルフ・アリス『BlueWeekend』、リトル・シムズ『Sometimes I Might Be Introvert』、折坂悠太『心理』の5枚。ていうか5枚もある。ただ今振り返ってみると、ウルフ・アリス、折坂悠太、リトル・シムズがベスト3か。ていうかこの3枚から一つは選べねぇ。。。
 
というわけにもいかないので無理くり選択。1か月後には気持ちが変わっているかもしれないが、とりあえず個人的2021年のベスト・アルバムはこれでいきます。脳内評議会の結果は、、、
 
 ドゥルルルルル。。。。。、ドンッ!はいっ、ウルフ・アリスさんの『Blue Weekend』です!
 そして特別賞として折坂悠太さんの『心理』。
 ベスト・トラックはリトル・シムズさんの『Little Q, Pt. 2』になりました~。
 
ちゅうか、3枚とも選んでるや~ん!
 
ま、それぐらい甲乙つけがたいということで。ただウルフ・アリスは初期のピークとして、勿論これからキャリアを重ねる中でまた別のピークは迎えるとは思うのですが、20代でのこのピークを記録しておきたいと、この作品はそういう気持ちにさせる特別感があったと思います。あと折坂悠太はまだ底が知れないというか、まだまだピークは先にあるんじゃないかという気はしている。でまぁリトル・シムズはサウンド、ラップ、リリック、どれをとっても最高なんですが、やっぱ2021年はロックを選びたいなと。ま、そういうことで完全に今の気分で選びました。
 
中国で発生したウィルスがその後の1年をあんな風にするとは思ってもみなかったし、今の状況も去年の今頃からは想像できていない。オミクロンなどというアメコミに出てきそうなキャラクターの名前も1年後にはどう響いているのか全くもって分からない。相変わらずマッチョな価値観に引きずられがちな世の中ではあるが、やりたいこと、やりたくたいことにしっかり線引きし、図らずもコロナ禍で顧みられることになった個をこれからも大切に出来ればよい。窮屈な世界はまだまだ続くが、私はいいですと少しは開き直って言える世の中になってきたのかもしれない。
 
とは言いつつ、アートに対してはこれまで以上にオープンに。Life is short 、人に構わず好きなことに邁進していければ。逆に言えば、それが異なる視点を持った他者との交流に繋がるのだから。

Sometimes I Might Be Introvert / Little Simz 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Sometimes I Might Be Introvert』(2021)Little Simz
(サムタイムズ・アイ・マイト・ビー・イントロヴァート/リトル・シムズ)
 
 
このアルバムで度肝を抜かれた一人です。同じくInfloが手掛けたSAULT名義の幾つかのアルバムでその洗礼は受けていたはずなのに。つまりはリトル・シムズなる英国の若いラッパーにもやられたということ。ロック聴きの僕がラップをうなされる程に聴き続けたのはチャンス・ザ・ラッパー以来。よい音楽にラップもロックもないということだが、このキャッチーなラップには誰だってやられるでしょ。ってキャッチーなラップって何?
 
つまりリトル・シムズの織りなすフローには俺はこんなに偉いんだとか俺はこんなにデカいんだといった俺様自慢はなく、ただ淡々と私の物語を私小説のように、時には絵本のように読み聞かすのみ。まぁ絵本にしては大変な人生だけど、この絵本のようにが凄く大切で、そこには淡い色があって時にはどぎつい色があって、そうやって自分の側に引き寄せられるからこそ私のようなサラリーマンでも絵を感じられるのです。#5『I Love You, I Hate You』を聴くとあなたも映像が浮かぶはず。
 
とかなんとか言ってそれっぽく書いているが、#6『Little Q, Pt. 2』や#13『Protect My Energy』といった華やかなポップさにやられたのが事実。饒舌高速ラップにサビはキャッチーなメロディー、でもってオシャレなサウンド、っていうウケる要素は今までにも沢山あったろうけど、そこを狙ってやったのとやってるうちに壮大にこうなってしまったとでは大きく異なる。加えて、リトル・シムズとInfloは幼馴染という背景もあってか完璧なコラボ。どこまで登るんだいというぐらい登ってます。
 
全19曲。頭から順に聴いてたどりつく#18『How Did You Get Here』は感動的。ここでリトル・シムズが語るこれまで努力は、今現在、何かに向けて一心不乱に取り組んでいる人たちへの大いなる勇気となるだろう。それを受けての最終曲、誤解から逃れることの出来ない様を描く#19『Miss Understood』もまた心を打つ。

一年の計

ポエトリー:

「一年の計」

 

同じ言葉で嘆くより
違う言葉でハグしよう

같은 말로 한탄하는것 보다 다른 말로 안아주자

用同样的话语相互叹息,
不如用不同的话语拥抱彼此

Instead of lamenting with the same words,
let’s hug with different words.

 

2022年1月

Valentine / Snail Mail 感想レビュー

洋楽レビュー:
 
『Valentine』(2021)Snail Mail
(バレンタイン/スネイル・メイル)
 
 
自分で曲を書いておきながら、私の言いたいことはこんな事じゃないとでもいうような不満感を感じさせるのはロック以外の何ものでもない。シンプルな編成のギター女子として登場したけれど、2ndとなる今作ではそのエンジンにシンセという新しい加速装置が取り付けられその飛距離はグンと伸びた。初っ端の#1『Valentine』のコーラスで爆発する様はいきなりカッコいいぞ。おもいっきりロケットで飛ばされたぐらいの宇宙感はある。
 
スネイル・メイルというのは芸名で直訳すると ‘カタツムリ便’ 。カタツムリがギターとシンセの融合音でドカンと発射されるのも凄い絵だなと思いつつ、考えてみればすげぇカッコいい名前。ぱっと見、長澤まさみ似の美人のくせにコンプレックスだらけみたいな立ち居振る舞いで、うじうじして最後にゃグワーッとなってしまう(←まったくの想像です)彼女にはピッタリの名。うまいこと付けたもんだ。便と言うからにゃやっぱ届けたいんだな。
 
それにしてもビリー・アイリッシュといいスネイル・メイルといい、最近の若い娘はシンプルで優しいメロディーを書きやがる。#4『Light Blue』と#5『Forever(Sailing)』の低い地声のファルセットがかすれる高音部のなんと美しいこと。どうかこのままショービズの世界で潰されずにすくすくと育ってほしい。しかしまぁ、自分をふった相手の名前をアルバム・タイトルにするなんて、すげぇ業だな。。。
 

溶解

ポエトリー:

「溶解」

 

手違いで訪れた世界
手のひらで溺れた人という文字を書いてみる
重ねてみる
くちばしであなたを尋ねてみる
新しい我が家に
新しい生物が
ここはわたしではなかったですかと問いかける

あなたの庭に
満開の花が咲くころ
かれんな姿のご婦人は
ご苦労さまと出ていった

手違いでゆらり
見たことのない衣擦れの
音、重なるほど
余韻の軋む音

偶然の成り行き
それとも迷い込んだ
不可思議な国の楽園は静かに体溶かして
あなたといた時間が頬を流れる

 

2021年9月

どこかにきずついているひとがいたら

ポエトリー:

「どこかにきずついているひとがいたら」

 

どこかにきずついているひとがいたら
ひとまえではなくまいと涙をこらえているひとがいたら

どうしてかわからなくて
なぜだかわからなくて
いきもできずに ことばもだせずに
だったらぼくがだいじょうぶってゆうよ

ぼくはもうきみのてをひいてやれないけど
きっとせいいっぱい
だいじなひとからてがみがたくさんくるくらい
ゆうひがまっかにそまるくらい
さよならがこんにちはにひっくりかえるくらい
だいじょうぶってゆうよ

そしたらダイヤモンドよりとうめいなきみの涙は
クレオパトラみたくせかいをそのてにいれて
まっすぐなにじになる

そしたらあまがえるがちょんととびはねて
きみがわらうよ

 

2012年5月

「みうらじゅん マイ遺品展」感想

アート・シーン:
 
「みうらじゅん マイ遺品展」 in アサヒビール大山崎山荘美術館
 
 
入ってすぐにみうら編集長によるご挨拶文(400字詰め原稿用紙に手書き!!)が展示されておりまして、そこにはプレイしてもらえればという記述がございましたので、物心ついた時から妄想ばかりしておりました私は思う存分脳内プレイを楽しませていただきました。美術館へは年に数回ほど足を運びますが、これだけ笑った展覧会は後にも先にもないと思います。とりあえず入ってすぐの「大西郷の湯飲み」に大笑いしたことはお伝えしておきます。
 
みうらさんの作品も沢山ございましたが、多くは何十年かかけてみうらさんが収集されてきたもの。つまりこれらにはクリエイターがいたわけです。商品として売るつもりはあるのかというツッコミはツッコミ如来にお任せするとして(如来なんですね。。。)、まぁ作り手としての哲学はあったのでしょう、いやあったはず。そこには企画会議もあったやもしれず、ケンケンガクガクの議論、いや企画会議など経ずにいきなり商品化という強引さ(そこはクリエイターですから)も時にはあったでしょう。思いつきで作るおやじと奥さんの夫婦ゲンカも十分に想像されます。しかしまぁ、日本のご当地クリエイターも捨てたもんじゃないですね。これらはアンクール・ジャパン文化遺産として残すべき、継承されていくべきですね。
 
みうらさんの作品も素晴らしかったです。スクラップブックですかね、収集した雑誌の切り抜きやパンフなどを基にコラージュしたと思われる作品。ものすごい大量に、壁一面どころかレースのカーテンのようなものにもプリントされておりました。野球好きは打撃ベストテンを眺めているだけでいくらでも酒が飲めると言いますが、私はこれを眺めているだけでいくらでもいけそうです。いやもうほうじ茶で十分いけます。松方弘樹と梅宮辰夫と山城新伍そろい踏みの裸の写真、最高ですね。ところでみうら編集長がまとめられたスクラップブック、一番多いのはエロ関係なんですよね。いやいや、そんな超個人情報など拝見しようとは思いませぬが、つまり今回の展示は氷山の一角ということ。そこに驚いています。
 
みうらさんが子供の頃に作られたものもいくつか展示されています。何を隠そう私も自作漫画を描いてクラスメート(訂正します、ともだち2、3人に)に見せて喜んでいましたが、ちんけな私とは質量ともに全然比べ物にならないです。みうら少年、才能があふれ出ています。書かれた文章もそのまま拝見することが出来るのですが、文才も子供の頃から秀でていたのですね。今と変わらんやん。子供のみうらさん、大人のみうらさん、双方へリスペクツ!!
 
順路通り見ていきますと、最後の方にはみうらさんの描かれた絵がこれも壁一面に展示されています。コロナ禍の最中に描かれたということですが、それにしても旺盛な創作意欲!ていうかさっきのコラージュ作品と基本は一緒や~。絵か切り抜きかということですね。でも何気にみうらさんの画力、スゲーっす。しかも創作が止めどない!このテーマだといくらでも描ける(切り貼り)できるんですね。
 
ちなみに大山崎山荘美術館の地下にはモネとルノワールの絵も展示されておりまして、特にモネは半円上の壁に4枚、かの『睡蓮』が並んでおります。モネと言えば睡蓮シリーズですが、彼は『睡蓮』を100作以上描いたらしいです。自宅に蓮池を作ったりもして、よくもまあ飽きもせずというところですが、そうか、みうらさんも同じじゃないかと。みうらさんの作品も壁一面に並べられていましたが、それはみうらさんからモネおじさんへのリスペクトだったのですねここは大山崎山荘美術館が選ばれた理由をひとり合点しておきます
 
ところで誰か、みうらさんの作品に登場する人物の登場ランキングをつけてくれないでしょうか?エロ部門はアレなので非開示として、エロ以外の登場人物ランキング。ただこれは生前遺品整理ということになりますから、みうらさんご自身にやってもらうしかないでしょうか。私の予想では第1位はボブ・ディランです。
 
世の中デジタル化が進んでおりますので、収集ペースは以前より落ちているかもしれませんが(もしくは老いるショック?)、首を長くして「マイ遺品展Ⅱ」を待っておりますので、編集長!またよろしくお頼み申し上げます。

折坂悠太『心理』~わたしなりの全曲レビュー

邦楽レビュー:
 
折坂悠太『心理』 わたしなりの全曲レビュー
 
 
『爆発』
インスタントな表現を拒む、言葉は口をつぐみ、こちらはじっとこらえて待つのみ。折坂悠太の創作に向かう姿勢を表しているようにも思えます。表現の核にあるものを大切に思う、主体はあくまでもそこにある、受け手である私。ところで「岸辺の爆発」という言葉、関係ないけど僕は思わず福島第一原発を思い出しました。
 
『心』
子供の頃に自分が蝶になったり蜂になったりするのを想像をしたことはありませんか?僕はあります(笑)。と思ったら、砂漠にバンドが登場します。と思ったら、更に唐突にグラスの縁を撫でる女が登場。おまけに鉄の扉に手紙は焼かれるそうです。ここは素直に脳内で想像力の飛躍を楽しみましょう。
 
『トーチ』
この歌詞を見ていると、本当に景色を置いていってるなという気がします。あとは知らない、皆さんご自由にという感じ。2番の歌詞、とりわけ「倒された標識示す彼方へ 急ごう終わりの向こう ここからは二人きり」が好きです。抽象的な描写ではあるけれど、とても具体的な表現かと思います。「いませんかこの中に あの子の言うこと分かるやつは」には日本で暮らす外国人のことも頭に浮かんできます。
 
『悪魔』
画家の行動、自転車の動き、おれのコール、これらは何に怯え、何を警告しようとしているのか。「戦争もかたなし」というのは重く捉えるべきか軽く捉えるべきか。「壁に書かれた番号へコール 10分後のおれが答える おれはそれからかけ直すが 10年後のおれはでなかった」。怖いですね(笑)。主人公は偽悪的に「悪魔のふりして」語ります。
 
『nyunen』
窓際で揺らぐレースのカーテンを思い浮かべました。
 
『春』
近頃、エモいなんて言葉をよく耳にしますが、わたしもここはひとつ。「確かじゃないけど 春かもしれない」、「けど波は立つ その声を聞いたのだ」のなんとエモいこと。殊更歌に寄せようとはせずに悠々と流れるバンドが尚のこと春。
 
『鯱』
ちんどん屋のように商店街を練り歩くガチャガチャ感。つまり昭和の流行歌のような、もっと言うと大正期のそれ。ていうかよく知らない。が、そう思わせる身内感があります。つまり日本人にもっともしっくりくる音楽と言うのはこういうものなんじゃないでしょうか。追いかけっこ感がたまらない。それにしても楽しい演奏だこと。
 
『荼毘』
さよならの歌か。とすればラストのダヤバ…はまじない、お経とでも解せばよいか。それはたむけ?それともわたしへの癒し。僕は夏を思い浮かべました。お盆だからでしょうか。「今生きる私を救おう」が遠乗りのように響いてきます。ただ悲しみに暮れどおしではなく、少しシュールでユーモアが効いている。「山陰山陽」が「三人三様」に聴こえるのもよいです。
 
『炎 feat. Sam Gendel』
私たちは見えない傷をたくさん負った。けれどそんなことはお構いなしに雨は降る。私たちをめがけてるわけでもないだろうに。あなたに言葉を投げかける術は持たないけれど、ここでゆっくりおやすみよ。わたしもじきに眠るから。近いようで遠い演奏がこの情景に近づくことを許さない。
 
『星屑』
『見上げてごらん夜の星を』のような美しい曲です。夜遅く、こども園からの帰りであろうか。親子の後ろ姿が描かれます。世界で一番美しい光景をここで持ってくるなんてズルいよ。一番大切なものは日常の中に。見落とさないようにしたいものです。とはいえそれだけじゃなく、将来への得も言われぬ不安も顔をのぞかせます。
 
『kohei』
上賀茂神社を思い出しました。あそこでよく横になりました。
 
『윤슬(ユンスル) feat. イ・ラン』
アルバムでこの曲だけは水彩画で描かれたようなたおやかさがあります。1本のショートフィルムを見ているようです。普通に考えると折坂悠太は日本側の岸、イ・ランは韓国側の岸にいるということになりますが、でも「流れがどっちかわからない」のだと。この辺り、凄く映画的で想像力を掻き立てます。ハングルで書かれたタイトルとイ・ランのリーディングでイメージは横に広がる。互いの詩を交換することから理解は始まる。
 
『鯨』
小さな船の下を鯨が洋々と進んでいく。それはあまりにも大きすぎて私たちの一生を経ても全ては見通せないようです。『윤슬(ユンスル)』では流れがどっちか分かりませんでしたが、それも今は分かりそうです。