三日遅れてやってくる

ポエトリー:

「三日遅れてやってくる」

 

熱波熱波と言うがここは孤島なので
潮風がすべてを防いでしまう
潮風は他にもいろんなものを遮るようで
ここではすべてが三日遅れてやってくる

そんな具合なので天気予報も当てにならない
うわさ話も三日遅れでやってくる
それでも島民はスマホを手放せない
どうやらそういうことではないらしい
ということで災害なども三日遅れでやってくる
このところ小さな地震が続く

三日後のことは本島ではとうに分かっているのだが
誰も本島に行って確かめようとはしない
ひとびとの暮らしはいつもと変わらない
みんな変わらずのんきに暮らしている

本島では米が足りないらしいが、ここでは梅雨には梅雨の雨が降る
夏は夏でほどほどに暑く、冬は冬でほどほどに寒い
そんな気候もあってわたしはここに越してきた

今朝も田んぼに出かけた
本島を尻目に朝は卵ご飯、昼はどんぶり、夜は締めの雑炊
今日もたらふく米を食う

とはいえ三日後にはどうなっているのか分からぬ身
今の感じでは三日後のこの島も危ういかもしれない
が、かと言って本島まで見に行かないのはわたしも同じで
今もぐらり、ぐらりと来た

とにかく腹ごしらえでもして三日前(つまり本島で言うと六日前)に録画したテレビを見る
この腹減りも三日前のもの
厄介なのは腹いっぱい食っても腹いっぱいになるのは三日後だということ
初めの頃は調子にのってえらい目にあったがもう大丈夫
ここの暮らしもすっかり身についた

言い換えれば今のわたしも三日遅れの録画みたいなもの
どうにかすればどうにかすることができるものでもなく
とにかく三日後にえらい目にあわないよう努める
でもそれだって大したものだ
わたしたちは相変わらず確かめることなくどうにかしようと暮らしている

わたしたちは三日前のことを受け入れ、三日後のことに先回りする
たかが三日前、三日後
それで米をたらふく(といっても加減が必要だが)食えるなら言うことはない

今もぐらり、ぐらりと来た
住民は三日後に備える
なぜならここではすべてが三日遅れてやってくるから

 

2025年9月

わたしの家

ポエトリー:

「わたしの家」

 

ひとつひとつは小さいけれど
積み上がったことばかりが
重くのしかかる

そのひとつひとつが家をなしていて
ローンを払い続けている
払う気はないのだけど

朝歯を磨いていると
首筋に歯型を見つけた
いつ付いたのか定かでない

街へ出るとひとそれぞれに
等しく歯型があることに気づいた
が、向こうは気づいていないようで

なぜ今朝のわたしには見えるのか
わからないがローンが満期を迎えるものだけの特権
のような気もしてきた

そうだ
そろそろそれは
わたしのものになる

 

2025年10月

OTODAMA’22~音泉魂~ 2024年5月5日 感想

2023年 洋楽ベスト・アルバム

「2023年 洋楽ベスト・アルバム」

 

2023年は圧倒的に女性アーティストの年だった。特に前半はほとんど女性ばっか聴いていたんじゃないか。別に僕が女性好きということではなく、世の傾向が全くそうだったということです、はい。その最先端にいるのは間違いなく、フィービー・ブリジャーズ、ジュリアン・ベイカー、ルーシー・ダッカスによるユニット、ボーイジーニアス。勿論音楽も素晴らしいが、特筆すべきは3人の佇まい。そこには性別や国境を超えた新しい世代による新しい美しさがありました。そしてそれを多くの人々が支持している。よい方に向かっているとは言えない世界ではあるけど、彼女たちの音楽には希望を感じました。ということで、2023年の個人的なベスト・アルバムはボーイジーニアスの『The Record』です。やっぱり後で振り返った時に2023年の象徴として残るのはこのアルバムだと思います。

 

2023年によく聴いた女性アーティストを振り返ってみると、久しぶりのパラモアの会心作に始まって、ブロンドシェルやウェンズデーといったインディー・ロック勢があり、先ずそこで勢いを感じました。ロックじゃないけどソウルフルなジェシー・ウェアもカッコよかった。後半に入ってもジャパニーズ・ハウスが期待通りだったし、ミツキもいいのを出しました。日本で印象深かったのはカネコアヤノ。オアシスばりの轟音ギターで、ライブにも行きましたけどエモーショナルでとても記憶に残るものでした。そうそう、羊文学もついにブレイクしましたね。というところで年末、各種媒体の年間ベストを眺めていると、知らぬ間にコリーヌ・ベイリー・レイに新譜が出ていたじゃないか、オリビア・ロドリゴもパラモアみたいなロックをやってるじゃないか、なになに、アナ・フランゴ・エレトリコ?誰だそれ、めっちゃええやないか、と今慌てて聴いているところです。

 

そういう後から知ったのも含め、2023年は女性アーティストが多かったわけですが、嬉しいのはその多くがギターを抱えたロック音楽だということ。ただ、ロックと言うのは世の中に対する異議申し立てと言う側面もある。それだけ女性が言いたいことを言えるようになってきたとも言えるし、ジェンダーレスなんて言ってもまだまだ理不尽なことは山ほどあるってこと。いずれにしてもめちゃくちゃカッコいい女性のロックがどんどん出てきている。ロックにおいても男とか女とかはもう関係ない。

 

あと2023年の個人的ベスト・トラック。これは年初に聴いたインヘイラーの『When I Have Her on My Mind』がずっと印象深く残っていたのですが、後半に入ってザ・ビューの嬉しい復活があって、そこからの『Woman of the Year』、これにしようと思います。曲といいボーカルといい、ずっと持っている強みと今になって出せる深み、これらが両立した素晴らしい曲でした。ミュージック・ビデオも素晴らしかったです。

 

あと個人的なトピックとしてコーネリアスのことも書いておきます。高校生の頃はよくフリッパーズ・ギターを聴いていましたが、ソロになってからはあまり聴いたことがなかった。そこに例のオリンピック騒動。かつて大好きだった音楽家が本当にそうだったのかというところが僕の中で結びつかなかった。そしていろいろと調べてある程度納得がいった、そういう中で再活動後のアルバムが出た、それがとてもよいアルバムだった。という流れで過去作も沢山聴いてライブにも行きました。それは本当に心に残るものでした。彼の活動はこれからも見ていきたいと思います。

 

ちなみにSpotifyによると、2023年に僕が最も聞いた曲はボーイジーニアスの『$20』。ていうか再生ランキングの上位ほとんどがボーイジーニアス『The Record』からの曲だったので、客観的に見ても僕の2023年ベスト・アルバムはこれだということです。一番聴いたアーティストはさっき書いた理由でもってコーネリアス。ウィルコはなんだかんだで3位に。やっぱ僕はウィルコ好きなんだな。

一年の計

ポエトリー:

「一年の計」

 

同じ言葉で嘆くより
違う言葉でハグしよう

같은 말로 한탄하는것 보다 다른 말로 안아주자

用同样的话语相互叹息,
不如用不同的话语拥抱彼此

Instead of lamenting with the same words,
let’s hug with different words.

 

2022年1月

折坂悠太『心理』~わたしなりの全曲レビュー

邦楽レビュー:
 
折坂悠太『心理』 わたしなりの全曲レビュー
 
 
『爆発』
インスタントな表現を拒む、言葉は口をつぐみ、こちらはじっとこらえて待つのみ。折坂悠太の創作に向かう姿勢を表しているようにも思えます。表現の核にあるものを大切に思う、主体はあくまでもそこにある、受け手である私。ところで「岸辺の爆発」という言葉、関係ないけど僕は思わず福島第一原発を思い出しました。
 
『心』
子供の頃に自分が蝶になったり蜂になったりするのを想像をしたことはありませんか?僕はあります(笑)。と思ったら、砂漠にバンドが登場します。と思ったら、更に唐突にグラスの縁を撫でる女が登場。おまけに鉄の扉に手紙は焼かれるそうです。ここは素直に脳内で想像力の飛躍を楽しみましょう。
 
『トーチ』
この歌詞を見ていると、本当に景色を置いていってるなという気がします。あとは知らない、皆さんご自由にという感じ。2番の歌詞、とりわけ「倒された標識示す彼方へ 急ごう終わりの向こう ここからは二人きり」が好きです。抽象的な描写ではあるけれど、とても具体的な表現かと思います。「いませんかこの中に あの子の言うこと分かるやつは」には日本で暮らす外国人のことも頭に浮かんできます。
 
『悪魔』
画家の行動、自転車の動き、おれのコール、これらは何に怯え、何を警告しようとしているのか。「戦争もかたなし」というのは重く捉えるべきか軽く捉えるべきか。「壁に書かれた番号へコール 10分後のおれが答える おれはそれからかけ直すが 10年後のおれはでなかった」。怖いですね(笑)。主人公は偽悪的に「悪魔のふりして」語ります。
 
『nyunen』
窓際で揺らぐレースのカーテンを思い浮かべました。
 
『春』
近頃、エモいなんて言葉をよく耳にしますが、わたしもここはひとつ。「確かじゃないけど 春かもしれない」、「けど波は立つ その声を聞いたのだ」のなんとエモいこと。殊更歌に寄せようとはせずに悠々と流れるバンドが尚のこと春。
 
『鯱』
ちんどん屋のように商店街を練り歩くガチャガチャ感。つまり昭和の流行歌のような、もっと言うと大正期のそれ。ていうかよく知らない。が、そう思わせる身内感があります。つまり日本人にもっともしっくりくる音楽と言うのはこういうものなんじゃないでしょうか。追いかけっこ感がたまらない。それにしても楽しい演奏だこと。
 
『荼毘』
さよならの歌か。とすればラストのダヤバ…はまじない、お経とでも解せばよいか。それはたむけ?それともわたしへの癒し。僕は夏を思い浮かべました。お盆だからでしょうか。「今生きる私を救おう」が遠乗りのように響いてきます。ただ悲しみに暮れどおしではなく、少しシュールでユーモアが効いている。「山陰山陽」が「三人三様」に聴こえるのもよいです。
 
『炎 feat. Sam Gendel』
私たちは見えない傷をたくさん負った。けれどそんなことはお構いなしに雨は降る。私たちをめがけてるわけでもないだろうに。あなたに言葉を投げかける術は持たないけれど、ここでゆっくりおやすみよ。わたしもじきに眠るから。近いようで遠い演奏がこの情景に近づくことを許さない。
 
『星屑』
『見上げてごらん夜の星を』のような美しい曲です。夜遅く、こども園からの帰りであろうか。親子の後ろ姿が描かれます。世界で一番美しい光景をここで持ってくるなんてズルいよ。一番大切なものは日常の中に。見落とさないようにしたいものです。とはいえそれだけじゃなく、将来への得も言われぬ不安も顔をのぞかせます。
 
『kohei』
上賀茂神社を思い出しました。あそこでよく横になりました。
 
『윤슬(ユンスル) feat. イ・ラン』
アルバムでこの曲だけは水彩画で描かれたようなたおやかさがあります。1本のショートフィルムを見ているようです。普通に考えると折坂悠太は日本側の岸、イ・ランは韓国側の岸にいるということになりますが、でも「流れがどっちかわからない」のだと。この辺り、凄く映画的で想像力を掻き立てます。ハングルで書かれたタイトルとイ・ランのリーディングでイメージは横に広がる。互いの詩を交換することから理解は始まる。
 
『鯨』
小さな船の下を鯨が洋々と進んでいく。それはあまりにも大きすぎて私たちの一生を経ても全ては見通せないようです。『윤슬(ユンスル)』では流れがどっちか分かりませんでしたが、それも今は分かりそうです。

遠い山なみ

ポエトリー:

「遠い山なみ」

 

あちこちに立ち並ぶ群青色した肉体に
感動して君は頭から血を流した
生きていることの蓋が開いたような気がして
あちこちの人に話しかけてみる

葉巻みたいにウンザリ、とした表情で煙たがられることもしばしば
それでもリレーの第一走者のような気分でスタート・ラインに立つ
華奢な体で

あちこちに立つ狼煙、
不定期に届くダイレクトメール、
そのひとつひとつに
不確かな未来の口も開いている
けれど勘違いしないで、と彼女は言う

柔らかな肌を滑りゆく君の反動
あくまでも肉体は群青色
ガサガサと音を立ててそぞろ歩く
けれど勘違いしないで、彼女は何度もそれを言う

  ————————————–

遠い山なみを指でなぞるようにして、彼女は一昨日のことを思い出していた
遠い時代が被さる彼女の面影には一切のモラルが抜け落ちているようだった
指一本なら本当の自分を描けるよ
遠い山なみがそう言うのを待ってから、彼女はおもむろに席を立った
軽くお辞儀をしているようにも見えた

彼女は納得したがっていた
人々が完成と言う完成が何処にあるのかを
惰性と言う惰性が何処にあるのかを
身近な存在
そうかもしれない
何を意味するかをとうに知っているように
問題は遠回りをしてきつく体に巻きつく

駅前に小さな書店があればいいな
夜になれば小さなろうそくに火を灯し
形あるものは全て溶かして再び形あるものに

彼女はお財布の中身を勘定して横になる
初めての時みたいにゆっくりと身を委ね
モナリザ
まるで家族の一員みたいに
ゆっくりとモナリザが横になる

 

2021年10月

星屑 / 折坂悠太 感想

邦楽レビュー:

『星屑』(2021年)折坂悠太

 
折坂さんの新しいアルバム『心理』、素晴らしいです。折坂さんの歌は所謂分かりやすさとはかけ離れていますから、取っつきにくい印象を持たれるかもしれませんが、逆から捉えればこちらの理解の幅は大きなゆとりを与えられてるとも言え、この『星屑』という曲も聴き手の環境によって大きく印象を変えてくるように思います。
 
この曲はアルバムの中では割と素直な表現でもあるので、歌詞をそのままに受け取ることが出来るのですが、それでも昔懐かしい人、友人、愛する人、対象はいかようにも受け取れます。僕が心に思い浮かべたのは、幼子をこども園から迎えて帰ってゆく様子です。このように捉えた方は結構多いのではないでしょうか。
 
僕の子供は随分と大きくなり、もう遊んではくれませんが(笑)、子供に良きことが訪れることを祈る気持ちは今も変わりません。ただこの歌は自分の子供だけに限定するものではありませんよね。もっと大きな意味、全ての子供たちへの祈り、そういう大らかさも含まれているような気がします。
 
 
 疲れた顔 見ないでいい ほら
 聴かせてほしい 漫画のあの歌
 覚えたての歌
 
 ~『星屑』折坂悠太~

 

https://www.youtube.com/watch?v=adiG68h9T1Y

野宿

ポエトリー:

『野宿』

 

僕たちの炎が燃え尽きる前に
僕たちのガソリンが尽きる前に

僕たちの田畑が刈り取られる前に
僕たちの電線が切断される前に

僕たちの記録が削除される前に
僕たちの記憶が燃えカスになる前に

僕たちの街から人がいなくなる前に
僕たちのカナリアが袋詰めにされる前に

僕たちが善玉と悪玉に線引きされる前に
僕たちの良心と悪意が引き裂かれる前に

僕たちの声帯が取り除かれる前に
僕たちのどちらでもないが非難される前に

言葉を持たない者たちが
灯火を何度も継ぎ足し野宿する
脳内が検閲される前の束の間
流れ星に走り書きをする

僕たちは夜空を見上げ生命に恋をする

 

2018年8月

『「10.19」~7時間33分の追憶~』 ABCラジオ 2018.11.18放送 感想

野球のこと:

『「10.19」~7時間33分の追憶~』 ABCラジオ 2018.11.18放送

 

最近はRadikoを聴いとります。主に落語ですね。落語好きの友達から、日曜朝にABCラジオで落語やってるよ(←「なみはや亭」のことです)って聞いて、それ以来Radikoを利用しています。先日はラジオ好きの別の友達から、こんなんどうってまた別の連絡が来ました。それが『「10.19」~7時間33分の追憶~』です。

「10.19」と聞いてピンと来ない方もいらっしゃると思いますが、これは1988年10月19日に行われたプロ野球の試合のこと。当時、首位を走っていた西武ライオンズに、天候不順の影響で13日間で15試合という強行軍の中、猛然と肉薄する近鉄バッファローズの最後の2戦。2連勝すれば優勝する川崎球場で行われたロッテ・オリオンズとのダブルヘッダーのことです(←当時はドーム球場なんてなかったから、ダブルヘッダーが結構あったのです)。ABCラジオの番宣ツイッターにはこんな文句が。「昭和最後にして最高の名勝負、ロッテ×近鉄のダブルヘッダーを30年後の今、伝説のテレビ実況と当時の主役たちのインタビューで振り返ります。」

まず進行役の伊藤史隆アナの落ち着いた語り口がいいですね。妙に盛り上げようとせず、事実だけを積み上げていく語り口。折角の素材があるのだからというスタンスでしょうか。テレビだとこうはいきませんから、この辺はラジオならではですね。

インタビューが行われた当時の近鉄メンバーは、コーチの中西太。選手は吹石徳一(←吹石一恵のお父さんです)、梨田 昌崇、大石第二朗、村上隆行、阿波野 秀幸。インタビューはそれぞれのキャラが明確に出ていて凄く面白かったです。結局1試合目は何とか勝つものの、2試合目に引き分けて近鉄は優勝を逃します。もう勝ちが無くなった最後の守備に就いた時のことを振り返って、奇しくもこの試合が現役最後の試合となった梨田さんや吹石さんが、あんなむなしい事はなかったと答えるのに対し、当時のチーム・リーダー大石さんは気持ちを切り替えて、さぁ行こう!と声を挙げて守備に就いたとのこと。

この辺りの対比が面白かったですね。大石さんはこの年のシーズン中にドラゴンズから移籍してきた陽気なブライアントの面白エピソードなんかも笑いながら話していて、この方は随分とポジティブな方なんだなと。こんな明るい人なら、ちょっと我がタイガースの監督になってもらえないかなと思ったりもしました(笑)。

インタビューで印象的だったのは阿波野さんですね。エースだった阿波野さんは完投した日から中1日でこの日の試合に挑み、2試合ともリリーフで登板します。インタビューは至って真面目そのもの。エースとしての役割を全うしようとした阿波野さんの人柄が如実に表れていました。

阿波野さんはこの時入団して2年目。翌年は最多勝を獲得します。調べてみると最初の3年間で90試合に出場。うち58試合で完投。計705.2回を投げている。4年目は190イニングを投げ何とか10勝をするものの、以降は一度も規定投球回数をクリアすることなく現役を全うします。元々丈夫な方ではなかったのかもしれませんが、この時の登板過多がその後のキャリアに何らかの影響を与えたとすれば、それも昭和の野球のひとつの側面だったのかもしれません。

阿波野さんはその後、巨人、横浜ベイスターズと渡り歩き、横浜では貴重な中継ぎ投手として日本一を経験します。その時の横浜ベイスターズの監督が10.19当時の近鉄のピッチング・コーチ、権藤博。余談ながら、権藤さんも現役時代は最初の2年間で130試合に登板。イニングにして791.2回!チーム総イニングの7割近くを一人で投げた結果、僅か5年で現役を引退しています。横浜ベイスターズの日本一の瞬間、恐らく二人には10.19を経験した二人にしか分からない感慨があったのではないでしょうか。

あと中西太さんの元気な声が聞けたのが嬉しかったですね。御年85才。偉大な打者であるとともに、名伯楽として多くのバッターを育てた名コーチですが、いかつい風貌とは裏腹に相手を思いやる気持ちの強い方なんだなと。この日のインタビューではそのことが強く心に残りました。これからも多くの話を聞かせてほしいです。

あれから30年。今や超一流選手はメジャー・リーグにまで行こうかという時代。そうした選手は科学的なトレーニングをし、自己管理を徹底し、野球選手というよりはアスリートと言っていいかもしれません。どちらがいいということではなく、昭和には昭和の野球があり、平成には平成の、来たるべき新時代には新時代のプロ野球があるということなのだと思います。

そういえば大石さんが、あんな試合はこれからも起きるでしょうかという問いに、きっぱりと「ある」、と答えていました。ていうかもう既に人それぞれにあるんじゃないですか、勿論これからもありますよって朗らかに応えていたのが印象的でした。