夏の余韻

ポエトリー:

『夏の余韻』

 

酷い雨が降ってきた
路地裏で雨宿りをしよう
古い家と適度な湿度に心が柔らかくうずくまる
ひと息つく 回復してゆくのがよく分かる

今思っていることを明日の朝
誰かに言おうと思ったけど
明日の朝ではなく
今すぐにあの人に言うべきだと
帰る道すがら軒先に垂れる雫が
優しく背中を伝う

雨上がりのプリズムの中
大声を上げて走り抜ける子供らを横目に
今宵は地蔵盆
それらしき準備の路地裏で
私にも降る夏の終わりの心構え
最後の余韻が始まろうとしている

それは温もりやいたわりや未来の先を
永遠に枯れることなく
日々を生きる糧として
ずっと向こうまで指し示す
くっきりとしたその生の余韻が
水たまりにのぞくこの光のように
私たちを導かんことを

翌朝早く あの人のおはようが
生暖かい電波に乗ってやってきた
考えるいとまもなく返事を返す指先は
ふんわりと温かい

 

2016年9月

バルにて

ポエトリー:

『バルにて』

 

バルの奥から見える赤いドア枠の扉の隙間をグレーがかった猫が少し頭をもたげた格好で歩いている。揺れる扉のガラスに写り込んだ猫の姿は乱反射し、一匹が二匹にも三匹にも見えた。僕は心の中で言う。おい、お前、名前はなんて言うんだ?他の誰かも心の中で言う。おばさん、あの猫を捕まえてきて。猫は斜めになったドアガラスに写り込んだまま、石畳みを西の方角へ移動する。僕は跡をつける。

中東の入り組んだ住宅街。ここは一転砂の色。酔っ払いか、或いは普段から酔っ払ったようなオヤジが悪態を突く。オメェはどこの国のもんだ?どうやらどの家にも朝から洗濯物がなびいているのが気に入らないようだ。

自転車に轢かれそうになる。と思ったのはこちら側で、グレーがかった猫は見えているのか見えていないのか分からないような格好で、物売りか若しくはくたびれたビジネスマンのようにとりあえず前に進む。うねりながら若干登り坂になった通りの先にようやく市場が見えてきた。温かいスープにこんがり焼けたポテトの山。そんなような事を頭に浮かべながらバルのおばさんは買い物をする。あぁそうだ。僕は今、バルの奥で栄養価の高いワインを食しているところだった。

今夜もまた真っ直ぐ家には帰らないだろう。でもそこが中東の土で出来た幾つかの四角い窓のあるアパートならこのまま帰ってもいい。

 

2014年11月

夏から秋にかけては

ポエトリー:

『夏から秋にかけては』

 

夏から秋にかけては

体調を崩すから嫌だ

夏から秋にかけては

体調を崩すから嫌だ

 

秋から冬にかけては

Virusが舞うから嫌だ

秋から冬にかけては

Virusが舞うから嫌だ

 

冬から春にかけては

離れ離れになるから嫌だ

冬から春にかけては

離れ離れになるから嫌だ

 

夏は命の源

夏は命の源

大切な人もきっと良くなる

 

2016年6月

夕方五時、過去から

ポエトリー:

『夕方五時、過去から』

 

風邪をこじらせた

みたいに咳き込んで

遮断機の音

微かに届く

耳障りな手紙

虚空を流れ

夕飯の流れ

五時の知らせ

持ち運びが未だ

ままならないクラリネット

 

あいにく今はまだ

向かってはいない

何がこの世で

大切なのかさえ

歯ぎしりする痛み

走り出す陽射し

君なしでまだ

やっていける

 

地響きみたいな声

この時期だけの蝉の声

非常ベル気取りで

今年の背中蹴り立てる

駅まで伸びていく道

本屋の前で泣いた記憶

今度ばかりは

見知らぬ記憶

 

真っ暗闇の中

陽射しが高く傾いた

頬杖ついた逆からの光

君はまるで丘の上

輝くヒマワリ

解けた糸がまた絡まるように

途切れた時がまた動き出す

 

今新たな動き

過去からの働き

低く伸びた影を踏んで

あと一歩

形振りほどく背格好まで

あと一歩足りない

 

2017年7月

君は心の声に優しく寄り添う

ポエトリー:

『君は心の声に優しく寄り添う』

 

軽い噂話が君の心を重くさせるだろう

短いすれ違いが君に長い夜をもたらすだろう

心がそばにいて欲しいと君にそっと囁くだろう

八月の雨はもうしばらくアスファルトを叩くだろう

 

君は長雨を理由に友達の誘いを断るだろう

時間が重たい石となって君の上にのしかかるだろう

悲しみは溢れて二階の窓を開け放つだろう

君の涙は誰もいない道端へこぼれ落ちるだろう

 

曖昧なままでいいんだよ

誰だってすべてを乗り越えてきたわけじゃないんだよ

そうやって僕たちは少しづつ生きてきたんだよ

 

時のシーツにくるまって

時間はいつしかおぼろげな過去になる

全ては混ぜ合わさってほどけてゆくだろう

 

2017年8月

夏が過ぎれば

ポエトリー:

『夏過ぎれば』

 

あの人の三歩は君の一歩になるだろう

でも君にくよくよして欲しくない

何故ならあの人の三歩は上手く立ち回っているだけだから

君の一歩は確実な一歩だから

 

あの人の声は君の声より届くだろう

でも君に投げて出して欲しくない

何故ならあの人の声は無駄な拡声器が付いているだけだから

君の声は心から出た声だから

 

あの人は自分勝手な振る舞いは君を悲しませるだろう

でも君に諦めて欲しくない

何故ならあの人は優しさを知らないだけだから

君の振る舞いは誰かの為だから

 

君は決して損などしていない

決して

 

小鳥がひと夏で巣立つように

悲しみが声を枯らすように

営みは続いてくだろう

私たちは共にいるだろう

悲しみを少しづつ拭い去るだろう

 

2017年8月

命の導き

ポエトリー:

『命の導き』

 

雲が流れてゆく

雨の日も

終電に乗り遅れた夜も

寝坊した朝も

雲はあちこち移動する

 

蒸し暑い遊歩道を歩くだけで

夏休みの少年が中男の会社員に

中男の会社員が散歩する老人に

 

蝉の鳴き声は1985年のもの

伸び放題の夏草は2017年のもの

張り出した高気圧は2040年のもの

 

一週間泣いて

蝉はカラカラになる

ハンモック

ポエトリー:

『ハンモック』

 

大きなハンモックの上で世界の悪意が揺れている。

買い物帰りのハンナはレモンを掴む前までの苛立ちは全て机の向こうに、鉛筆やらコピー用紙だかを押しやるように滑らせ、今夜の夕食の支度を始める。時を同じく、夕方のニュースが目の前を横切る。玉ねぎは細かく刻んだ方がいい。

日付が変わる前にアパートに辿り着いたジョーは帰りがけに買った週刊誌のページを繰る。声を立てて笑った約1秒後、ゴミ箱へ丸めた。思わずソファを蹴りあげたくもなるが電話が呼んでいる。お誕生日おめでとう。

南の島の小さな岬には樫の木があり、そこは子供たちの目印だ。今はお昼の真っ只中。大忙しの奥さん連中の頭の中は来週に迫った村の選挙にかかりっきりだ。彼女たちは海に放射能が流れていることを知らない。

8月の朝、前の日に南半球での病が終息したとのニュースがあった。今日は土曜日、シンイチは表に出て子供たちの靴を洗う。新鮮な空気に独り言を放り込み、向こうでは今は冬なんだと、当たり前の事を思う。何処にいても朝は朝の空気があればいい。まして高望みではないだろう。

 

2014月11月