Eテレ 日曜美術館「仏師 運慶~時代が生み出した天才~」感想

TV Program:

Eテレ 日曜美術館「仏師 運慶~時代が生み出した天才~」 2017.10.15放送分 感想

 

いや~、昨日の日美、面白かった。今回は関西人には東大寺南大門の仁王さんでおなじみ、運慶の特集です。現在、東京国立博物館で運慶展を行っているとのこと。そこからの放送となります。ゲストは見仏記でおなじみのみうらじゅん氏と美術史家の佐々木あすかさん。みうらじゅんのぐちゃっとした話も、佐々木あすかさんのガシッとした話も面白かったです。

で仁王像、私のような80年代ジャンプ世代にとってはやっぱ北斗の拳です。どう見ても昔の造形物とは思えない漫画チックなビジュアルは子供心にも訴えるものがありました。ちなみに向かって左側の口を開いた方が阿形(あぎょう)像で右側の口を閉じた方が吽形(うんぎょう)像。阿は宇宙の始まりを表し、吽は宇宙の終わりを表すのだそうです。う~ん、小学校の遠足以来何度も見ているがそういうことだったのか。なるほど。

続いて大日如来坐像。運慶のデビュー作だそうです。この坐像はそれまでの仏像とは全く違うそうで仏像らしからぬ造形をしているとのこと。例えば足の裏。仏様というのは偏平足と相場が決まっているのに、ちゃんと土踏まずの凹みまで表している。仏様は人ではないという概念があったから偏平足だったのか、単に昔からそうだったからそうなっていただけなのかは知らないけど、とにかく運慶は自分の審美眼というか自分の思い描く仏像というものがはっきりと目に見えていたのだ。

正直言って、仏様というのは正面から見ると、あぁ仏様だって感じは受けるけど、角度を変えて見ると、造形的におかしかったりして、それはやっぱり仏様というのは人ではないのだから当たり前で、異様なバランスがそれはそれでそういうもんだという納得をしてしまえるのだけど、運慶はそうはならなかった、ということではないでしょうか。

この大日如来坐像の台座の裏に運慶は自分の名前を書いている。仏像に製作者の名を入れるというのは運慶が初めてだったらしい。ということは、もう完全に作品として捉えているからで、もちろん仏様という存在は私たちとは比較にならないぐらい大きなものだったと思うんだけど、それでもなお仏像を作るというよりは芸術作品を作ってるっていう意識があったから名前を入れるってところに繋がってったんじゃないだろうか。

次は八大童子立像。これがもう大日如来坐像とも阿形像・吽形像とも違う世界。顔つきがめっちゃリアルです。こうして同じ手法を繰り返すのではなく、次々に新しいことに取り組んでいくっていう面もやっぱり芸術家です。この八大童子立像ですが仏像というより人。リアリティの追求、仏像という名を借りた想像物とでも言おうか、当時の人はどう思ったかは知らないけど、これはもう我々の時代の作品としてもいいんじゃないかっていう。瞳の輪郭を赤にするというのも完全に現代アートの世界で、リアリティとそこにフィクションを加えることで更にグッとリアリティをもたらす運慶の真骨頂。未だに先鋭的な部分が失われない所以ではないでしょうか。
体は確かに仏像の形を残しているが、顔はもう完全に人。証拠にどの角度から見てもリアリティがあって、仏像っていうある意味非合理的な描写ではなく理にかなった造形ということになる。その辺り、みうらじゅんが運慶はビートルズって言ってたけど、それがすっごく分かり易かった。ビートルズとかiPhoneみたいなそれまでの常識とは違うルートからポーンと新しいものが出てきて、まずは分かりやすくてポップでっていう。でその後にこれって凄いんじゃないかっていうような感想がやって来て、だから何百年経った今でも新しさがあるんだと思う。

最後は興福寺の無著・世親菩薩立像(むじゃく・せしんぼさつりつぞう)。これが後ろに立ってたら気配感じてめっちゃ怖いでっていうぐらい、人みたい。そっくりそのままに造形すればリアルというわけではなくて、本当はそうじゃないかもしれないけど、本当よりも内面を生々しく描いたリアリティっていうのかな。確かに生きているかのようなリアルな造形だけど、やはりどこかをデフォルメしたり抑えたりしているからこそのリアリティ。この人の最大のものを抽出したらこうなるだろうというような描写ということなのかもしれない。そうした見えないものを彫刻しているんだけど、運慶にはやっぱり見えているのであって、それは運慶自身の生き来し方というものがあればこそだろうし、そこの部分と年月を経て極めた技術というものが合致して生み出されたのだと。そしてそうした目に見えないものを我々に見せてくれる、何百年経った我々にも紐解いてくれる。それは何かと言われれば、やっぱり芸術としか言えない物だと思う。

てことでこの日本肖像彫刻の最高傑作と言われている興福寺の無著・世親菩薩立像は現在、東京国立博物館で展示中ということで奈良におわしません。来月、奈良に行こう思てたのにおれへんや~ん。ま、近いしそのうち行けるからえーか。

秋の庭

ポエトリー:

『秋の庭』

 

お手玉をして変わり果てたあの人の肢体に

虫眼鏡を当てた

晩御飯の残り物みたいに昨日の湯気がうっすらと浮かび上がり

その向かいにあるグラスの淵

唇の形が凝視する

朝晩は冷えるから上着を持って行きなさい

おせっかいだほんとにもう

蛍光灯ひとつ

白が気に入らないからオレンジ

オレンジが気に入らないからLED

何のために何を変える?

黙って従うべき言葉も無いまま代わりに

集合写真のような柔らかさで

主人の居ない一戸建ての奥の部屋

慰めてが木霊する

笑っているのは置き忘れた夏の簾で

元気よく泣く赤ちゃんのようにそこだけ立体的

冷たいご飯を温めたりしないで

鉛筆は尖らせないで

辛抱に辛抱を重ね

秋の庭

虫が泣く代わりに猫が泣く

耳障りな音、道路を横切る銅線のようにぶら下がり

それも黒い服を着た今の私なら

簡単に引き摺り下ろせる

 

2017年9月

いい加減な旅行

ポエトリー:

『いい加減な旅行』

 

君の形

嘘の形

唇の形

三分の友達

もう視界の外

逸らしてしまう

 

ルーブルへ行きたいと言う

稜線に触りたいと言う

でも君は何度も何度も

LINEを見返して

僕は何度も何度も

LINEを確かめて

何度も何度もひとりじゃやりきれない

 

鋳型に詰められた忘れ物

今月のノルマもほどほどに

はい、いい加減な性格です

はい、いい加減な生活です

 

先日行った風呂やの窓越し

太平洋や西アフリカや中央アジア

中南米などなど

いい湯加減

ジャンプ読みます

コーヒー牛乳飲みます

 

世界の果てに飛び立つ

今月末が締め切り

準備もそこそこ旅立とう

新しい場所に着いたら

またLINEして落ち合おう

イエーイなんつって

 

列車から覗く景色は夏草が揺れるそれ

トウモロコシ畑のトンガリは宇宙へ駆け出すロケット

いい加減な旅でも構わない

さらりと夏草追い抜いて

大きな顔のあの人を出し抜いてしまおう

 

2017年8月

Keep The Village Alive/Stereophonics 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Keep The Village Alive』(2015) Stereophonics
(キープ・ザ・ヴィレッジ・アライヴ/ステレオフォニックス)

 

新作が出ると聞くと嬉しくなるバンドが幾つかあって、このステレオフォニックスもそう。真っ先に公開された『セ・ラ・ヴィ』がまた待ってました感満載のアッパー・チューンだったので、すごく楽しみに待っていた。

その『セ・ラ・ヴィ』から始まって、2曲目、3曲目と聴いてゆくとやっぱいいんだなあ、この安定感。どっからどう切ってもステフォなんだけど、前作で取り組んだ陰影の部分がちゃんと出てるし、基本的なスタンスとしちゃ何も変わらないんだけどしっかりバージョン・アップされてて、昔ながらのバンドではなく今まさに旬のバンドとしての音が聴こえてくる。キャリア20年目でまたUKチャート1位に返り咲いたというのがその証しだろう。

僕は音楽的なことはよく分からないけどコード進行も単純な感じがするし、曲そのものもいたってシンプル。それでいてこうもドラマティックで奥行きのあるサウンドに仕上がってくるということは、曲作りにおいてもサウンド・デザインにおいても何がしか秘密がある訳で、ミュージシャンを目指す人にとってはよいお手本になるんじゃないだろうか。

今回もケリーのソングライティングは冴えわたっていて、ストーリーテリングが相変わらず素晴らしい。日本人の僕にだってちゃんと映像が浮かんでくるし、ほんと間口の広いストーリーテリングだ。やっぱそこは語り過ぎないということだろう。ちょっとどうなのか分かりにくいところが所々あって、そこはどっちでもいいよ、って聴き手に委ねられている感じ。不足があるというのではなく、そこのさじ加減が丁度いいのだろう。そしてちょっとグッとくる話には何げにストリングスが絡んできたりして、この扱いがまた絶妙なんだな。

このバンドはケリー・ジョーンズの声とソングライティングなんだけど、それも盤石なバンド演奏があってこそ。やっぱバンド力なんだと思う。キャリア20年目にしての9枚目のオリジナル・アルバム。タワレコ・オンラインで初回限定盤を注文しようとしたらすぐに無くなってて、日本でも根強い人気。勿論僕も大好きだ。

 

1. セ・ラ・ヴィ
2. ホワイト・ライズ
3. シング・リトル・シスター
4. アイ・ウォナ・ゲット・ロスト・ウィズ・ユー
5. ソング・フォー・ザ・サマー
6. ファイト・オア・フライト
7. マイ・ヒーロー
8. サニー
9. イントゥ・ザ・ワールド
10. ミスター・アンド・ミセス・スミス

(日本盤限定ボーナス・トラック)
11. セ・ラ・ヴィ (ライヴ・フロム・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール)
12. マイ・オウン・ワースト・エネミー (ストリップト 2015)

Working On A Dream/Bruce Springsteen 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Working On A Dream』(2009) Bruce Springsteen
(ウォーキング・オン・ア・ドリーム/ブルース・スプリングスティーン)

 

詳しくは知らないけれど1950年代に生まれたロックンロールは、チャック・ベリーが‘sweet 16’と歌ったように若者のための音楽であった。大人に「なんだあのジャカジャカやかましい音楽は」と思われたかもしれないが、そんなことはお構いなしにウィルスのようにどんどん伝播していった。ヒップ・ホップがあっという間に世を席巻していったことを思えば、僕らにも何となく想像がつく。

以来、様々なミュージシャンの登場で現在に至るわけだが、何も変わらないことがあるとすればそれは‘若者の音楽’である、という一点ではないだろうか。いや、ロック音楽の誕生から数十年経った今では、大人が聞くロック音楽もたくさんあるじゃないか、と言われるかもしれない。この辺は議論が尽きないところだけれども、例えば誰かをを好きになる、友達とうまくいかない、或いは理想の自分と現実の自分とのギャップに苦しむ、でもどうしたらいいか分からない。そんな多感な頃に初めて経験するナイーブな問題に直面したとき、そっと肩を叩いてくれる、時にはケツを引っぱたいてくれる。それがロックン・ロール音楽ではないだろうか。

なんか話が随分それたが、僕が言いたいのはロック音楽というのは‘成長’というテーマを抜きには語れないということ。かつては年老いたロック・ミュージシャンなんて考えられなかった。なんせジョン・レノンは40才でいなくなったんだから。でも現実はロック・ミュージシャンも年をとる。‘成熟’というロックンロールとは相反する事態に直面するのである。

このアルバムはラブ・ソング集とも言える。スプリングスティーンがここで歌うのは他愛もない愛の歌。稀代のストーリー・テラーがなんのてらいもなく真っ直ぐなラブ・ソングを紡いでいる。そんな中、このアルバムの冒頭に据えられたのは9分の大作、『Outlaw Pete』。80年代のアルバム『ネブラスカ』を思い起こさせる、生まれながらの無法者、通称‘アウトロー・ピート’の物語である。

勿論、CDをトレーに乗せて真っ先に聞くのがこの曲なので、この後の展開は知る由もないのだが、2曲目3曲目と続くうちにこのオープニング・ナンバーが本作において、異色な存在であることに気付く。何故、人肌を感じさせるミニマムな‘愛の歌集’とも言える本作のオープニングに、このような深い影のある曲を持ってきたのだろうか?このアルバムを幾度が聞き、僕はふと思った。我々もこのアルバムの登場人物も、アウトロー・ピートとなんら変わらないのではないか、と。

この曲では何度も‘Can you hear me ?’と繰り返される。しかし‘Can you hear me ?’と叫ぶのはアウトロー・ピートだけではない。ときには彼を狙う賞金稼ぎであり、ときには彼の妻でもある。すなわち、こう言い換えることは出来ないだろうか。聞こえてくるのは、アウトロー・ピート自身の声であり、決して消すことの出来ない過去からの呼び声であり、そして新しい自分を呼ぶ声であると。そしてその何れもが紛れもないアウトロー・ピート自身であるのだ。

本作の登場人物は意識的にせよ無意識的にせよ、このことを理解している。ここに出てくる人生の折り返し地点を過ぎた人々は、何も知らなかった自分も、知ってしまった自分も、何かを乗り越えた自分も、何かを乗り越えられなかった自分も全てが自分自身であり、過去も現在も、そしてやがて来る未来も、全てが自分自身なのだという認識に立っている。それは経験であり、成熟ではないだろうか。にもかかわらず彼らは今も尚、一途に希望を歌う。ここに及んでは年齢など関係ない。ここにあるのは成長のしるしであり、現在進行形の成長の歌である。だからこそ僕はたまらなく心が揺さぶられるのだ。

 

1. Outlaw Pete
2. My Lucky Day
3. Working On a Dream
4. Queen of the Supermarket
5. What Love Can Do
6. This Life
7. Good Eye
8. Tomorrow Never Knows
9. Life Itself
10. Kingdom of Days
11. Surprise, Surprise
12. The Last Carnival
13. The Wrestler (Bonus Track)

Blood Moon/佐野元春 感想レビュー

『BLOOD MOON』(2015年)佐野元春

僕がこのアルバムを聴いて最初に思ったのは、バンド・サウンドだ。ついにコヨーテ・バンドのオリジナリティが開花したと思った。ハートランドとも違う、ホーボーキングとも違うコヨーテ・バンドならではのサウンド。今この時、2015年を生き抜くには強靭なグルーヴが必要だ。足元をすくわれぬよう、無意識のうちに導かれぬよう、自ら拠って立つ強靭なグルーヴが。

2007年の『コヨーテ』アルバムは‘荒地’がテーマだった。現代を荒地と捉え、その中でどうサバイブしてゆくか、ということが大きなテーマだった。佐野はこのアルバム・リリースにあたってのインタビューで「変容」という言葉を使っている。「変化=change」ではなく、「変容=transformation」。変化という生易しいものではなく、我々の住む世界そのものが形を変えてようとしていると。アルバム『コヨーテ』以来、バンドは原始的で重心の低いグルーヴを求めてきた。それは邪な風が吹いても優しい闇が訪れても、決して流されない為だったのか。そうして鍛え上げられてきたグルーヴに今回、いつもより硬質な言葉が乗せてられている。

それは政治的な言葉と言っていい。但し政治的と言っても特定の誰かを糾弾したり、批判したりというものではない。今ある世界にいる我々の生きてゆく様を大げさに言うでもなく、ありのまま物語ることだ。しかしそれはバンドと聴き手のイマジネーションへの揺るぎない信頼があって初めて可能になる。それさえあれば作家は思うままに言葉を乗せてゆくことができる。どう聞いても間違いようのない明確な言葉が躍動しているのはバンドに対する深い信頼と、当たり前のことではあるが良き聴き手がいて自分がいるという意識の表れだ。

今回のアルバムではいつになく、映像が鮮やかだ。全ての曲ではっきりと聴き手のイマジネーションに働きかけている。といっても実際の話という訳ではない。あくまでも架空の物語である。フィクションにどれだけリアリティを持ち込めるか。フィクションだからこそのリアリティ。これは優れたアートの大前提と言っていい。そしてフィクション故に様々な両義性が生まれる。

そう、このアルバムの特徴を一言で言うなら両義性だ。かつてないほどネガティブな言葉、硬質な言葉。そして象徴的なアルバム・ジャケット。しかしそのすべてが一方的に外に向けられたものではなく、こちらにも等しく返ってくるということ。ここにあるのはどちらかの立場で何かを述べたものではなく、どちらが正しいというものでもなく、今ある世界をあるがまま見ようとする態度である。#3『本当の彼女』での「彼女のこと 誰もわかっちゃいない」というのも、だからといってこちらが分かっているわけではないし、#4『バイ・ザ・シー』においても何もセレブな週末を描いているわけでもない。『優しい闇』での闇というのも外から迫りくるものという解釈がある一方で、自分の内に芽生えるものという解釈も見えてくる。#6『新世界の夜』や#9『誰かの神』などはもろに言葉がこちらに返ってくるし、#7『私の太陽』でも主人公は不公平な世界を「気にしない」と言うけれど、そことは無関係ではいられない自分を知っている。#10『キャビアとキャピタリズム』も市場原理主義の真っ只中にいる我々が「俺のキャビアとキャピタリズム」と叫ぶところに意味がある。

一見、外に向けたメッセージ色の濃いアルバムのように思える。しかしこのアルバムは自分以外の誰かや見えない何かを指さすものではない。「何も変わらない」、「気にしない」といった言葉の意味は?正義面して誰かを指弾することができるのか?今の自分の生活はどこに立脚しているのか?不公平な世の中の恩恵を受けているのは誰なのか?僕たちの生活は明日も保証されたものなのか?僕たちこそ糾弾されるかもしれない、坂を転げ落ちるかもしれない。そんないつどうなるとも限らない頼りない世の中で、僕たちはどう生きてゆけばいいのか、どう向き合ってゆけばいいのかということを投げかけてくる。だからこそこのアルバムは人々のイマジネーションに働きかけ、各々がはっきりと自分自身の物語として像を結ぶのである。

今はかつてないほど同時代性が重要だ。今この時代に何も言うことがない作家はどこにもいないだろう。これは今を生きるある作家からのメッセージだ。不特定多数へではなく、聴き手ひとりひとりへ。一方通行ではなく相互に作用しあうメッセージ。

但しそのメッセージは非常に言葉が強い。それを可能にしたのは間違いなくバンドだ。こうしたはっきりとした言葉が表に出過ぎてしまうと、きっとそれは聴くに堪えない。だがここにある言葉は浮つくこともなければ、逆に重すぎて沈み込んでしまうこともない。また殊更ネガティブになることもなければ、ポジティブになることもない。えぐい言葉が出てくる。だが聴き手を突き刺してくることはない。むしろこちらの態度に委ねられていると言っていい。ここで歌われている風景を見ているのは我々なのか。あるいは見られているのはこちら側なのか。バンドはただフラットな感情を呼び起こし、我々に踊ろうと言う。音楽というのは楽しむものだ。その本能に従っていけばいい。硬質な言葉が眉間にしわを寄せることなくダンスする。我々はビートに従ってゆくだけだ。ビートとは反抗。佐野は言う。「ロックンロール音楽はカウンターである」と。

 

1. 境界線
2. 紅い月
3. 本当の彼女
4. バイ・ザ・シー
5. 優しい闇
6. 新世界の夜
7. 私の太陽
8. いつかの君
9. 誰かの神
10. キャビアとキャピタリズム
11. 空港待合室
12. 東京スカイライン

Hang/Foxygen 感想レビュー

洋楽レビュー:

『Hang』(2017) Foxygen
(ハング/フォクシジェン)

 

米国の2人組、フォクシジェンの4枚目のアルバム。アルバムを買うきっかけは、YouTubeで見た#1『Follow The Leader』のビデオ。60年代ポップスを思わせるストリングスを聴かせたゴージャスな作品だけど、ちょっとずれてる。ていうかわざとずらして真剣にふざけてる。道化のようにおどけ、「Follow The Leader」と歌う姿がとてもいかしていた。

ライナー・ノーツを読んでいると、ソングライティングと多くの楽器を手掛けるジョナサン・ラドがバンドの核のようにも思えるが、幾つかのライブ映像を見れば、このバンドはフロント・マン、サム・フランスの存在感があって初めて成立するのだということがよく分かる。何かが憑依したかのように振り切ったロック・パフォーマーとしての立ち居振る舞いが、バンドのメッセージを示すビジュアルとしての効果は非常に大きい。

このアルバムを語るに避けては通れないのが総勢40名からなるオーケストラだ。ジョナサン・ラドとサム・フランスが今回のアルバムで導入したのは演劇性とエンターテイメント。自分たちの意見を声高に歌うというのではなく、道化のように一芝居打つこと。だがまあ大したものじゃない。基本、彼らは楽しんでるだけだ。その悪ふざけとも取られるようなお芝居がしかし、フィクションが真実を語るようなシリアスさを醸し出す。#4『America』で「ア~メ~リカ~」と歌い上げる姿は可笑しいはずなんだけど、そこに裏を感じさせるのは恐らく聴き手が勝手に想像しているだけ。この辺は恐らく計算済みだろう。この曲ではオーケストラが何度も転調を繰り返す。ご機嫌なしらべはさながらミュージカルで、途中クレイジーキャッツみたいなコミカルな展開も。単純にご機嫌な曲として楽しんで、勝手に裏読みするってのが正しい聴き方かもしれない。

このアルバムは大ラスの『Rise Up』でクライマックスを迎える。この曲は米国では教科書にも採用されているという『赤いシダの木』というお話がモチーフとなっている。それまでの道化が嘘のように作者のまなざしは優しげだ。曲のラストでは大げさなオーケストラと叩きつけるドラミングがうねる中、エレクリック・ギターのディスト―ションが唸りを上げる。これは声なき者の声。この鳴り方は作者の本音がここに隠されているということか。もしかすると彼らのサーカスは最後の歪んだギターを聴かせるための序章だったのかもしれない。

ここにある音楽は60年代70年代のポップ音楽を切ったり貼ったりして、単純にこれカッコイイやんと遊んでいるだけかもしれないが、芸術が内面や暗部を浮かび上がらせるものだとしたら、彼らの態度はその無邪気さで内面や暗部を浮かび上がらせる。多くのポップ音楽はそうしたものを情緒的に処理してしまいがちだが、それでは真のポップ音楽足り得ない。ここで「ア~メ~リカ~」って歌い上げたら面白いやん、っていうエンターテイメント性はそのことを自覚しているからではないか。

蛇足ながら、この無邪気さゆえのメッセージ性(意図的であれ無自覚であれ)は僕にはフリッパーズ・ギターを思い浮かばせた。

 

1. Follow The Leader
2. Avalon
3. Mrs. Adams
4. America
5. On Lankershim
6. Upon A Hill
7. Trauma
8. Rise Up

ポエトリー:

『朝』

 

新しい朝

カカオ80%で休息を

電車に乗り遅れないようにしなくちゃ

 

壊れかけたミキサーに果物を入れ

いつもと同じ栄養源

何度洗っても落ちないコンタクトレンズの汚れ

パウダールームの憂鬱

無くしては探して

見つけてはまた見失う

 

だけど空っぽのクローゼット

今日も着ていく服が無い

 

まだ見失うまい

悲しいフリをするのはもうやめた

 

昨日デパ地下で買ったクロワッサンの匂い

国境を越える彼女の笑顔

真新しい明日

真っ暗闇の明日

それでも君はアジアのきらめき

どが付くリアリスト

澄み渡る風

言葉と言葉の間をすり抜ける君の新しい明日へ

 

ゴビ砂漠に照り続ける太陽のような君の後悔も越えて

きっと遠くイスタンブールまで見渡せる

 

2012年11月

搾取

ポエトリー:

『搾取』

 

インターネットを越えて私たちの脳髄に食い込む彼の地の 貧困 暴力 差別

私たちの栄養は彼の地の困難と地続きだ

 

ぼやけた人間の宿命を

脳髄に打ち込まれた回線で

私たちは配達する

使い古しの靴下を

私たちは搾取する

隣近所の果樹園を

私たちは強奪する

向こう岸の獲物を

 

このまま事が運ぶわけがない

私たちはきっと

一杯食わされているに違いない

 

私はもう聖者にはなれない

私たちは友だちであり

私たちは商売敵

 

私のナイキのスニーカーは

あいつの裏庭を踏み潰している

 

2017年5月

新しい世界

ポエトリー:

『新しい世界』

 

世界は今、昔より 遠くなった

数ある社会の今 一部になった

 

見知らぬ人が道の上 取り残されていたら

私はすぐに声かけて 手を差し伸ばせるだろうか

 

道が増えてきた

街が混んできた

 

友達とは今 そんなに会わなくなった

友達は今、昔より 身近になった

 

家族が見知らぬ夜の中 取り残されたとしたら

私は今すぐ駆け出して 辿りつけるだろうか

 

風が遠のいた

海は凪いでいた

 

世界は今、昔より 届かなくなった

数ある社会の組織の今 一部になった

 

2017年7月