『100de名著 アレクシェーヴィチ/戦争は女の顔をしていない』感想

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『100de名著 アレクシェーヴィチ/戦争は女の顔をしていない』感想
 
 
ホントに知らないことばかりで、個人で検索するネットじゃこうはいきませんから、やっぱりテレビというのは必要だなぁとこういうのを見るたびに思います。今回はロシアの作家の作品です。ロシアでは先の大戦で多くの女性が兵士として戦場に赴いたとのこと。その彼女たちへの聞き取りがこの作品です。
 
4回目の放送では全てをここに書きたいぐらい重要な話ばかりでした。アレクシェーヴィチは言います。歴史は歴史家によって語られるが、人文学によって語られてもよいはずだと。歴史家の書く歴史には感情がなおざりにされているのではないかと
 
この言葉、今現在の私たちの暮らしにも当てはまるような気がします。テレビでは連日、医療従事者や経済学者が登場しますが、今となっては文学者や社会学者たちの意見もあってよいような気がします。もっと言うと画家や建築家といった異なるジャンルの人たちがどう考えてるのか、科学的な側面だけでなく、別の側面からの言葉も必要な時期がきているのではないかと思います。
 
アレクシェーヴィチはこの本の中に自身の考えは書いていないそうです。彼女たちの口から語られる言葉に、作者の哲学や思想を加えるべきではないと。そういえば少し前に読んだいとうせいこうさんの『福島モノローグ』も同じスタンスだったかと思います(いとうさんは’あとがき’さえ書くのをためらっていました)。それは作者の相手に対する態度でもありますよね。等しく聞く。それをアレクシェーヴィチは愛を持って聞くと書いています。
 
今回の講師を務められた沼野恭子さんはそうしたアレクシェーヴィチの態度を共感と言っています。上の者が下の者に対する同情ではなく共感であると。共感という言葉、よく耳にしますよね。「私もそう思う」、「その気持ち分かる」など、一般的にはそんなイメージかもしれません。
 
でもこれは僕の想像ですけど、アレクシェーヴィチはインタビューする相手を単に自分ではない相手とは見ていないと思うんですね。一歩違えば私も戦争へ行っていたかもしれない。ちょっとした偶然で彼女たちは戦場へ行き私は行かなかった。つまり彼女たちは私であるという認識。ここでいう共感というのはそうした切実感を伴った共感ではないでしょうか。愛を持って話を聞きに行ったというのはそういうことなのかもしれません。
 
「戦争は女の顔をしていない」。それは戦争は女性の心と体には合っていないということ。つまり戦争は男の顔をしているということです。しかしそれは戦争だけではないような気がします。今の私たちの暮らしは男が、もっと言えば中高年男性が作り上げたものです。でもこれって逆に言えばまだまだ別のやり方があるということでもあると思います。
 
アレクシェーヴィチがこの本を書いた時代は社会主義が崩壊し、資本主義が勝利した時代です。しかし今やその資本主義も行き詰まりを迎えています。更には新型コロナによる社会の変容。また男女差別や人種差別。ジェンダーや障害者、環境問題などなど、課題は山積みです。これはつまり今までどおりの中高年男性だけの視点では限界が来ているということではないでしょうか。
 
女性、若者、障害者、マイノリティー、今まで顧みられることのなかった視点が加われば、目から鱗のように物事は物事はより良い方向へ向かうかもしれない。そう考えるのはいささか楽観的でしょうか。けれど異なる視点がまだまだあるのは確かなことです。
 
この本は戦争について書かれた本です。番組で少し紹介されただけでも女性兵士たちの生な声は凄まじいものです。けれどその内容は現代にも通じる内容が多く含まれているように思います(この辺りを講師の沼野さんは実にうまく説明されていました)。それはつまりこれはただの記録、書物ではなく人文学によるものだからです。そのことを実証するようにアレクシェーヴィチは今現在、祖国ベラルーシの民主活動を行っています。

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