フィルム・レビュー:
映画『金子文子と朴烈』 (2019年) 感想レビュー その③
しつこいようですが『金子文子と朴烈』の話、その③です(笑)。
金子文子については先にも述べたように自伝が出版されていたり(絶版のようなので、図書館で探すつもり。高い中古品はあるようですが)、ネットで検索しても多くの情報を得られるのだが、朴烈についてはあまり検索に引っ掛かってこない。この辺りは朝鮮人と日本人の違いなのだろうか。
映画の中の金子文子もカッコいいんですが、朴烈もめちゃくちゃカッコよくて、じゃあ実際の朴さんはどうだったか。映画は供述記録などを基にほぼそのままのセリフだそうですから実際もあんなふてぶてしい野郎だったんです、やっぱり(笑)。金子文子も朴を「宿無し犬のような暮らしをしているのに、あの人は王者のようにどっしりしている」と称していて、戦後も周りに担がれたみたいですから、やはり泰然としたところがあったのでしょう。結局文子と二人で権力と戦うことになるのですが、当初朴烈は一人で皆の盾になろうとした訳ですからやっぱり英雄的気質があったということでしょうか。
二人は大逆罪ということで一旦は死刑判決を受けるのですが、この大逆罪というのはほぼ政府のでっち上げです。確かに朴烈は爆弾を入手しようとしますが、粗漏な計画の為失敗しますし、皇太子暗殺計画も書生の口角泡を飛ばす程度のもので具体的な計画は無し。それをこれ得たりと政府に利用されるわけです。
しかし朴烈の快進撃はここから始まるわけで、当初は煙に巻いていたものの文子が堂々と話始めたと知るや「あぁそうだ、皇太子暗殺を計画した」とあっさり自供し(というか敢えてその尻馬に乗り)、その激烈な思想や行動計画を頼まれもしないのに滔々と述べるわけです(ちなみに天皇は寄生虫だと述べるくだりは、日本人としても知っておいてよいものの見方だと思います)。そうなりゃ取り調べる側もこりゃ大変だとなって世を揺るがす大事件になるわけですが、これこそ朴のしてやったりで、要するに朴烈は自分で騒ぎをどんどん大きくして、同胞の決起をうながそうとするわけです。
でこれ、似たような話をどっかで聞いたことあるなと思ったら、吉田松陰です。松陰の場合、最初はついでに捕縛されたような感じだったんですけど、お白州の場で自分から時の老中暗殺計画を述べ立てます。松陰は‘狂’という言葉をよく使いますが、要は自分は革命の為の捨て石になろうという訳です。皆、立ち上がれ!と。松陰には帝国主義的な思想がありましたから(当然、あの幕末においてです。後の大正昭和期に松陰がもし生きていたとしたら、同じ思想を持ち続けていたかどうか。)、同じ土俵に上げることに抵抗を覚える方も多いかとは思いますが、姿勢というか心意気は相通ずるものがあるのではないかなと。僕はそんな風に思いました。
戦後、朴烈は釈放され、朝連(在日朝鮮人連盟)に英雄として招かれるが、反共であった朴はそこに参加することを拒否します。その後、仲間と共に今に続く在日本大韓民国民団を立ち上げ、初代団長に指名されますが、程なくその座も追われます。恐らく、生来協調することが出来ないたちだったのか。やはり権力に対する嫌悪感というか、映画で描かれているような孤高の人だったのかもしれません。吉田松陰は‘草莽崛起’という言葉を用いました。在野の民衆の力で事を成し遂げようというものです。松陰風に言えば、朴烈も金子文子も‘草莽崛起の人’だったということでしょうか。
ところでその民団代表当時の1948年に神戸事件が起きます。神戸事件とは、GHQの指令を受けた日本政府が「朝鮮人学校閉鎖令」を発令し、日本全国の朝鮮人学校を閉鎖しようとした事に対して、大阪府と兵庫県で発生した在日韓国・朝鮮人と日本共産党による暴動事件です。
この事件後、朴烈は「神戸事件の教訓(一九四八年六月)― 我等は子弟を如何に教育すべきか ―」と題するレポートを書いています。内容は、暴力によって訴えてはいけないとか、そのことはかえって朝鮮人の印象を悪くするとか、何より朝鮮人の子どもたちにも悪影響だとか、とりわけ教育の問題に政治を絡ませてはいけないと強く述べています。僕も読みましたが、非常にリベラルなんですね。かつて皇太子暗殺を企てた人物と同じ人物とは思えない程、一人落ち着いてリベラルなことを言っている。要するに大局に立って、人がまだ見えていない部分に先んじて気付き得た。そのような人物だったのかもしれません。
話が随分と逸れましたが、映画『金子文子と朴烈』は本当に素晴らしいです。牢屋に入れられ、自由に会えなくなった二人のそれでも私は貴方の全てを理解しているといった表情が何とも言えません。僕は日本人ですから、つい金子文子に目が行ってしまいますが、あの激烈な文子を受け止め得たのは朴であり、文子の導火線に火をつけたのは朴であると。ソウルメイトとという言葉がありますが、二人は確かにそうであったかもしれない。そんな風に思いました。