ポエトリー:
『煮っ転がし』
四六時中話し合って
芋の煮っ転がしのように煮詰まれば
表面もトロトロに
カツオ節なんかもくっついて
君も僕も温かいうちに
頬張ってしまおう
2015年6月
ポエトリー:
『煮っ転がし』
四六時中話し合って
芋の煮っ転がしのように煮詰まれば
表面もトロトロに
カツオ節なんかもくっついて
君も僕も温かいうちに
頬張ってしまおう
2015年6月
ポエトリー:
『アオイノシシの生態』
アオイノシシはこじる
地面をこじる
何が埋まってあるのかは知れず
アオイノシシ
懸命にこじる
隣の奥さんの午睡などつゆ知らず
アオイノシシ
懸命にこじる
時限爆弾を掘るような勢いで
明日の事でも書いてあるのか
前に向かってひたすら
飯を食うために生きてきた
お前への手向け
ひとつも揺れもしない地面
一向にすり減らない地面
ただ一様にひたすら地面
地面
2017年5月
ポエトリー:
『花びらのロンド』
家族で醍醐寺に花見に行った。境内にある霊宝館の傍には大きな枝垂桜があり、満開の花を咲かせていた。眺めていると数枚の花びらがゆらゆらと落ちてゆくのがよく見える。花びらは「先に往くよ」って言っているみたいだった。だんだん僕は花びらに見られている気がしてきた。すると花以外にも木や土やお堂や漆喰にも見られている気がしてきた。
知り合いに赤ん坊が生まれた。よく子は親を選んでくると言うが正にそんな感じ。過去のどこかで一緒にいた。「はじめまして」というより「久しぶり」。そんな気さえしてくる。うちの子は8才と4才だが、そういう気持ちは年々強くなってくるから不思議だ。
僕の方が先に地面に現れたに過ぎない。お先ってね。それから僕が先にこの世界から出てったとして、また別のどこかで落ち合う。家族や友人や、好きな人や嫌いな人や、よく知っている人や名前さえも知らない人。いずれみんな、どっかの見えるものや見えないものになって落ち合う。例えば桜の木の下に舞い降りたとして。やがて木の一部となり、花びらとなり、しまいにゃ、じゃあまたねってまた別の場所へ。出会っては別れ、別れてはまた集う。それは時間のない営み。絶え間のない命の旅。僕らにはその記憶が残っている。古い太古の地層のように。
2013年4月
世界大会のやり投げで
アメリカを飛び越え
アフリカを飛び越え
地球を飛び出した
君の詩想はコズミック
自然の摂理のハルカカナタ
何処へ行く?
何をする?
スカーフの結び目を解いてあからさま
風がヒュッと空を跨いだ
我儘は頭から消え去って煙と化す
その吹き出しもコズミック
宇宙から確認できるはずだ
2015年8月